世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第六十二回 風景の愉悦、ワインの恍惚 2013.8.29
モネの絵を見たあとで、水辺の風景は必ずやモネを模倣する。人はモネの、あの水彩画のタッチを心に思い浮かべることなく、水辺の風景を見ることはできない。風景はいつだって、先立つ美術作品の経験に左右される。
フランス大西洋岸の街Bordeauxから、南西部Toulouseを経て、Carcassonneと歩き回り、そこで、低い山々や、風に揺れる木々や、色あせた赤褐色の屋根とくすんだベージュの壁からなる家々を見て、私は、まるでセザンヌとゴッホの絵を見ているようだと思う。この数年、特に気になって、このふたりの画家の絵を、あちらこちらの美術館に出かけて見ていたのだが、それはまるで、私が、フランスに今回出掛けることを予測しての行動だったのかと、思うほどである。もちろん、それは全然予期していなくて、今回、フランスに来たのは偶然であるし、南西部にまで足を延ばしたのも、計画しての話ではない。長めの休みが取れ、次の本を書くために、ちょうどフランスの哲学者の本を読んでいるところで、気分を盛り上げるために、フランスに行こうと、それだけで出掛けた旅である。しかし、そこで、思いがけず、セザンヌとゴッホに出会う。あるいは、『日傘を差す女』のモネ、『草原の坂道(夏の田舎道)』のルノワールに出会う (注 モネとルノワールの絵はどちらも、フランス南西部ではなく、パリ北西部に位置するArgenteuilで描かれたものだが)。
あるいは、列車やバスの車窓に広がる、満開のひまわりも美しい。それらは、太陽の光を浴びて、澄んだ空気の中に、どっしりと重みを持った輝きを維持している。
風景に酔う。それだけの旅だ。そして、それにもうひとつの楽しみは、やはりワインである。
昼も夜も飲む、という旅ではない。本をゆっくりと読みたいと思い、ある程度、観光もしたいと思う。昼間から酔う訳にも行かず、また身体も持たないと思い、飲むのは夜だけにする。
昼はしばしばサラダを食べる。ファーストフードのようなところだと、自分で野菜を何種類か指定して、それらを混ぜて、サラダを作ることができる。少し格式のあるところだと、サラダの上に、カマンベールチーズを一個丸ごと、焼いたものを乗せていたり、生ハムをどっさりと乗せたり、山羊のチーズやクルミを、これも大量に乗せたものなど、もうこれだけで十分、満腹する。
さて、それから、夕飯である。まともなレストランに行き、肉料理を頼み、デザートはチーズの盛り合わせにする。問題は、ワインである。これがえらく高い。料理の合計よりも高い。名前の聞いたことのあるものだと、100ユーロ位もする。到底飲めことはできず、安いものを、頼むことになる。しかし多くの場合、それでは、満足しない。料理はおいしいのに。
それで、夕飯は、マーケットでワインと食べ物を調達し、ホテルの部屋で、ひとりで取ることにする。その方が楽だ。マーケットに行くと、ワインが、たくさんの種類のものが置いてあり、10数ユーロも出せば、満足のいくものが求められる。つまみは、トマトとチーズ各種で、3,4ユーロで十分だ。あるいは、もう少し奮発して、この辺り、フランス南西部は、フォア・グラの産地であり、マーケットにも、それが小さな入れ物に入れて売られている。それを嘗めながら、ゆっくりと、ホテルの部屋で、ワインを飲む。恍惚とするほどの幸せを感じる。
そもそもひとり旅で、レストランに入るのは、侘しいものである。周りはたいてい、ふたり連れだ。ひとり酒を飲む、東京の下町の飲み屋だとか、バーとは、事情が違い、外国のレストランで、ひとり客はめったにいない。それが、ホテルの部屋でひとり飲むとなると、実に気が楽で、テレビを付けていても良いし、本を読んでいても良い。明日の観光の計画を立てるのも良いし、日々の反省をして、人生をあらためるのも良い。店員に、デザートの催促をされる恐れもないし、どのタイミングで勘定を頼むか、悩まなくても良い。
さて、面白いことがあった。マーケットで、Margauxと書いてあるワインを見つけたのである。それも、いくつか銘柄がある。例えば、それは、こんなふうだ。Château Graves, Margauxとラベルにある。Château Cordet, Margauxというのもある。いずれも、10数ユーロで売っている。
もちろん、これらは、いわゆるMargauxワインではない。情報化時代の今日、それこそ、ホテルの部屋でワインを飲みながら、そういうことは、すぐにインターネットで調べることができる。つまり、正式な評価を受けた、いわゆるMargauxワインは、Château Margauxを名乗る。今回、私が見つけたのは、要するに、Château 何とかMargaux、となっていて、つまり、マルゴー村で出来たワインを意味していて、評価を受けたMargauxワインではない。それだけのこと。しかし、結構味も良く、もちろん私は、本物を飲んだことがないし、一本、安くても数万円というワインを飲むことはできないのだから、比較もできないのだが、これはこれで結構うまい。しかも、やはりMargauxという文字が耀いて見え、段々と酔って来ると、何だか、うれしくなってくる。ひとり悦に入って、Margauxワインに浸るのだ。
この程度のワインで十分だと思う。旅の前半は、レストランにしばしば出かけるが、後半は、もう、ひとりで、部屋で飲む方が楽だと思い、Margauxワインを数日、飲んだあとは、今度は、専ら、St.Emilionのワインを飲む。先の、Margauxと同じく、Cabernet Sauvignon、Merlot、Cabernet Francの絶妙なバランスを感じる。土臭さと甘さ、コクと香りが両立している。
実際に、今回は、St. Emilionにも寄る機会があり、太陽の光を受けて一面に広がるぶどう畑、中世の面影を残す家並み、地下の石灰岩を掘って作ったという独特の教会と地下墓地を見て回る。日差しは強く、しかし風は涼しく、快適である。そして、その余韻にまだ浸っている。そう、旅の後半は、旅の前半の思い出に浸るという楽しみもある。東京に戻れば、戻った日に、仕事に追われる。旅の思い出を反芻することはできないが、旅の後半こそ、先週見た風景と、今日見て来た風景と、明日見られるであろう景色とが、私の頭の中で混ざって、それこそ旅の愉悦である。
8時を過ぎて、外は、なお明るい。ホテルの部屋の窓からは、隣家の庭のポプラの木が見える。明日も早起きしたいと思う。酔って、早く寝るのが一番良い。
世界の酒に戻る