世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

 

第六十三回  ニューヨークのホリデー         2013.12.30

 

 2013年のクリスマスの前後を、ニューヨークで過ごす。しかし、残念なのは、仕事で来ているということと、その仕事が終われば、すぐに帰らねばならないということである。ここ数年、クリスマスは、ヨーロッパで過ごしていた。仕事は全部片付けて、のんびりとクリスマスを楽しみ、大晦日か正月になってから帰国する。そういうことをして来たのに、今年は、様子が違う。プライベートな悩み事があり、今年はどこにも行かずに、年末年始は、自宅で、読書と論文書きに専念しようと思っていたのに、しかし、出張を命じられたのだから、これは仕方ない。必然的に、最小限の滞在になる。

 とは言え、仕事の合間に、街を歩き、夜はワインと食事を楽しみ、また、その後に、さらに散歩を楽しむことはできる。

 

街を散歩すると、あちらこちら、デパートや、銀行や、ホテルや、公立図書館に飾ってあるクリスマスツリーは、素晴らしい。ドイツのクリスマスマーケットに似た一角もある。しかし、明らかに雰囲気は違っていて、と言うのも、ドイツでは、クリスマスは、伝統的な儀式であって、街は、意識的に中世の面影を感じさせるよう、工夫が凝らされているが、ここではそうではない。ニューヨークの中心地では、高層ビルが立ち並んで、電光板は強烈で、すべてが、あまりにも大げさで、近代的過ぎる。

 さらに、ニューヨークで感じるのは、とにかく人の多さと、その人通りが、広い範囲で絶えないことだ。とりわけ、ロックフェラー・センターに設置されたクリスマスツリーは、大きく、豪華で、こういう派手なところが、いかにもニューヨークだと思う。そうしてそこには、前に進むことができないほどの、人の混雑がある。

 

実際、ただただ、人が多いと思う。しかも、様々な人が、とりわけ、アジア系は随分と増えたと思うし、以前よりも、多様化していると思う。

以下のことを書いておくべきだろう。ここ、ニューヨークでは、Merry Christmasではなく、Happy Holidaysという言葉が使われる。ここでは、もともとユダヤ人が多く、実際、歩いていると、本当に多く見かけるのだが、従って、もともとクリスマスという言葉を使わない傾向があったが、しかし今、アメリカ全土で、イスラム教徒の増加などがあり、ますますそうなっている。

実は、雑誌やインターネット上で、しばしば論争があり、というのも、数年前までは、ごく自然に、ニューヨークなど、一部の地域で、Happy Holidaysが使われていたが、アメリカ全体で、宗教的に多様化すると、今度は、意図的に、どこでも、この言葉が使われるようになり、そうなると、今度は、保守派が、なぜMerry Christmasではないのかと、苛立ちを表明するという事態が起きている。Christian Nationalistsを標榜する人たちは、Happy Holidaysという言葉を使うことは、故意に、キリスト教徒を攻撃していることになると、過剰に反応する。アメリカ全土で、過剰なまでの多様性が、しばしばこのように、他者に対する非寛容を生み出し、対立を煽っている。

こういうことは日本にいると分からない。日本のクリスマスは、ますます華やかなお祭りと化しているのだが、本場だと思われているアメリカでは、必ずしもそうではない。ニューヨークの中心地では、人がごった返しているが、それは、やはり、Happy Holidaysとしてである。郊外に行き、中産階級の、一軒家が並ぶところでは、多くの家で、結構、クリスマスの飾りが華やかで、こういうところでは、伝統的なアメリカらしさを感じる。一方で、しかし、貧困層の多いところでは、家々に、何も飾りがなく、街は閑散としていて、いや、荒んでいるとしか形容できない雰囲気があって、その落差に驚く。これがアメリカのクリスマス、いや、ホリデーなのである。

 

さて、話の締めに、ワインのことを、これは嫌みにならない程度に書いておこう。

今回も、夕食の度に、馴染みのワインを飲む。そして、この馴染みのワインが、私を助けてくれる。先にプライベートな悩みがあると書いた。妻が、具合が悪く、その看病をしなければならない。それで、この間は、新婚の娘を嫁ぎ先から呼び出し、留守をさせ、しかしそうなると、私が、旅先で、あまり楽しんではいけないと思う。締め切りを過ぎた原稿も抱えて、というのも、ここのところ、看病疲れで、全然仕事が進んでいない。本当は一刻も早く帰りたい。しかし、楽しめるところは、せっかく来たのだから、楽しみたいと思う。罪悪感と焦燥感とに苦しんでいる時は、普段から親しんでいるワインが、これは、気持ちを落ち着かせるのに役立つ。

ワインは、東京で飲むより、さすがに安いし、それにうまいと思う。一緒に出かけた同僚のとふたりの夕食では、2本、向こうの人と一緒で、3人なら3本。4人なら4本。

カリフォルニアでは、Zinfandelと呼ばれるブドウが、イタリアでは、Primitivoと呼ばれるのだが、それを、連夜、つまりステーキハウスでは前者を、イタリアンレストランでは後者を飲む。さらに、前者では、Cabernet Sauvignon Merlotとカリフォルニアワインを、後者では、トスカーナのSangioveseを飲む。すべてお馴染みのもので、新味はないが、結構うまい。

またアメリカに来たら、必ず食べるステーキも、この店のリブは、少し脂が多すぎるかと思いながらも、これを食べると、やはりアメリカにいる、ここは馴染みのアメリカだ、と思う。

この程度に、つまり控え目に、ワインを楽しみ、食事を楽しみ、ニューヨークのホリデーを楽しむ。あとは14時間の時差に苦しみ、また年度末の、予算の限られた中では、ビジネス席という訳には行かず、行きはまだ、体調を整えるべく、出発前の数日は、走り込んで、体重を落としていたから良いようなもの、帰国の時は、毎晩のステーキとワインとで、それに朝から、クリームチーズをたっぷり付けたベーグルとベーコンエッグの食事で、数キロは体重が増え、エコノミー席に座った瞬間、これで14時間もこのまま座っているのかと思うと恐怖を覚える。実際、腕の筋肉は硬直し、足は攣り、散々な目にあって、やっと成田に着く。

帰国してから、年末に、人に会えば、誰からも、ニューヨークのクリスマスはうらやましいと言われ、私は、いや、仕事だからと答えるしかない。しかし、こうして、時々はアメリカに出かけられて、その少しずつ変化して行く様子を感じ取れるのは、幸せだと思う。

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