世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第六十四回 パリの空港でカードを盗まれる 2014.3.18
飛行機が、パリのシャルル・ドゴール空港に着き、そこから、RER(近距離列車)に乗ろうとしたとき、カードを盗まれた。今、思い出すと、本当に癪で、また気落ちしてしまう。記憶には自ずと合理化がなされ、従って、話は、少し脚色されている。手口は次の通りだ。
まず、空港を出て、すぐに列車乗り場があり、そこで、切符を買おうと思う。自動販売機は、長距離用と近距離用列車のものと両方あり、どの機械で買うべきか、すぐには分からない。ようやく確認ができて、一台の機械で、切符を買おうとし、カードを取り出したときに、大柄な黒人男性が声を掛けて来る。その機械は壊れている。俺が、切符を買ってあげようというのである。流暢な英語である。
それで、すぐ隣の機械を使えと言うので、まず黒人が、操作をし、次に私が自分のカードを入れて、暗証番号を押す。黒人は、それを盗み見し、しかし、その時は、良く見られなかったのだと思う。すると、彼は、ここの機械も壊れている。駄目だ、別のものを使おうと、キャンセルのボタンを押して、元に戻し、今度は、少し離れたところに連れて行く。私は、彼の強引なやり方に不自然さを感じ、自分で切符を買うことができると言ったのだが、彼は、フランスでは機械はしばしば壊れているし、カードが使えないことがあるのだと言う。それは本当で、確かに、今までのヨーロッパの旅で、しばしば機械が壊れていることがあったし、空港の切符売り場ではそんなことはないだろうが、街中では、VISAが使えず、ヨーロッパで発行したカードでないと駄目だと言われたことがある。なまじっか、旅慣れている私は、その男の言う通りだと思い、信用してしまう。さらに彼は、自分には日本の友だちがいて、彼を待っているところで、時間はたっぷりある、心配ない、今までも、こうして、皆を助けて来たのだ、問題ないという。笑みを絶やさず、私は乗せられてしまう。
そうしてやっと、別の機械で、切符を買うことができる。今から思えば、今度は、彼は、私が暗証番号を打つ際に、その番号を盗み見ることに成功したのだと思う。良し、大丈夫だと彼は言って、カードが機械から出て来るところを、素早くそれを奪い、また切符も、彼が取り出し、しかし次の瞬間、カードと切符と、ともに私に返してくれ、良かった、これで大丈夫だと言う。実はその時に、私のカードは別のものとすり替えられたのである。一瞬のことだし、しかも、私に返されたカードは、私のものと同じ、JALのゴールドカードで、私は、それが偽物だと疑わない。
彼は、その後、改札口まで私を誘導し、自動改札の使い方を教えてくれる。この改札機の使い方も慣れないと、面倒なもので、お陰で私は楽に改札機を通ることができ、彼に何度も礼を言い、別れたのであった。いささか強引ではあったが、しかし結果として、切符が買えたのだし、ここは、その強引な親切に礼を言おうと思ったのである。
その後、私は、パリ市内で、同僚と待ち合わせ、その時にカードを使おうとして、使えなかったのだが、しかし、まだ、そのカードが偽物だと気付かない。小さな店では、カードが使えないことは良くあることで、その時は、同僚に支払ってもらう。また、ホテルは日本から予約がしてあって、いい加減なところで、チェックインの際に、カードの提示を求めない。
翌日、午前中に、TGV(長距離列車)でリヨンに向かう。この切符も、日本で購入してあるから、やはり、カードは使わない。カードが偽物だと気付いたのは、リヨンのホテルに着いて、チェックインをしようとして、カードが使えず、さすがに、まともなホテルで、カードが使えないはずがないと、良くカードを見たら、そこには、私のものとは別の名前が記されていたのである。
ようやく事情が分かると、大急ぎで、日本のカード会社に電話して、カードを止めてもらうが、しかしもうすでに遅く、相当の額の現金引き落としと買い物がされていた。これが事件の顛末である。
推測するに、犯人は、毎日、JALの飛行機が到着する頃を見計らって、切符売り場に出掛けて行く。そして、これはと見定めた人の後を付けて、彼が、カードを使おうとする際に、近付いて行くのである。JALの利用者で、ある程度年配の人なら、JALのゴールドカードを使っている確率は高いはずだ。私が、その黒人に掴まされたカードは、前日の犠牲者のものである。そして私のカードは、翌日の犠牲者に使われたことだろう。
パリの街中が危険であることは熟知しているはずだった。しかも旅で一番危険なのは、全部の荷物を持って、空港を出て、ホテルに着くまでの間である。それは良く知っている。しかし、その時の私の意識では、そこはまだ空港の中のはずであった。空港の中は、安全だという意識がどこかにあった。成田ならば、京成線を降りると、すぐに、パスポートをチェックする入口があるから、空港内に、不審者は入れないはずである。しかしここ、パリの空港で、切符売り場は、もはや空港の外である。危険極まりないところなのである。
長いフライトの後、私が疲れ果てていたのも事実である。私は飛行機の中では眠れないので、12時間、ずっと本を読んでいた。疲労困憊し、意識は朦朧としていた。しかしそういう言い訳をしたところで、何にもならない。
あるいはまだ、外国に着いたばかりでは、意識が、外国モードになっていない。つまり日本にいるときのままである。普通は、列車に乗ってから、そう、ここは外国なのだと思う。気を付けねばと思う。しかし、その前の、一瞬の隙を突かれて、私は被害に遭った。
さて、話はこれで終わりにしても良いのだが、もう少し書いて置く。
今回出掛けたリヨンは、街並みは華やかで、とりわけ、旧市街は、ルネッサンス建築が並び立ち、それは際立って美しい。古代からすでに栄えていたらしく、歴史の重みは、いやでも街を歩く人に圧し掛かる。際立ってヨーロッパを感じる街である。
しかもマルシェ(市場)を歩くと、そこには驚くほどの食材がある。何十種類のチーズが、用意されている。Comtéの専門店まである。さらに、この街では、サラミが、猪や鹿肉を原料にしたものや、各種のハーブなどの混ぜ物があるのやら、これもまた、数十種類のものが売られている。マルシェを歩き回り、試供品を食べ歩くだけで、満腹になる。その他に、有機飼料を与えたブタから作ったパテだの、魚介類のふんだんに使われたパエリヤなどもある。イタリアの影響を残し、モロッコ料理などもあり、食材も調理されたものも、多様で華やかである。これらを肴に、これまた、フランス各地から取り寄せられた夥しい種類のワインが、つまり、BordeauxもBourgogneも、好きなものがいくらでも手に入り、それらを飲めば、この上なく幸せであると思う。本当はそれらを存分に楽しむはずだったのだ。
リヨンには仕事で来ている。仕事は淡々とこなし、しかし、私は、自己嫌悪の念、著しく、最後まで怏怏として楽しまず、短い滞在を終えたのだった。
後日談を書く。
リヨンでは警察に行き、証明書を出してもらい、また帰国後は、カード会社に事情を話す。私の手元にある、別人のカードの番号を調べてもらうと、予想通り、その持ち主から盗難届が出ている。私と同じ犯罪に遭ったのだと思われる。そして、これで私の被害が証明された。幸いにして、カード会社が補填してくれることになり、私の実質的な被害はなかった。しかし精神的には著しく傷付けられた。
ブリュッセルで3人組の男に騙されてリュックサックを奪われたのが、7年前(このエッセイの、No.20)。プラハの地下鉄で、4人の男に囲まれて、財布を強奪されたのが、18年ほど前のことだ。どうも、ある程度の間隔を空けて、被害に遭うらしい。いずれも油断である。外国では、いつでも、誰かに狙われていると思うべきだ。気を付けていれば、大丈夫なのだが、しかし一瞬でも気を抜いたら、やられる。
日本に50年以上住んで、記憶している限りで、盗難に出会ったことはない。昔は、下町の辺りでは、家に鍵を掛ける習慣がなかった。そういう雰囲気で育っているから、不用心なこと、この上もない。また、アメリカに家族で1年余り住んだ時は、緊張して、始終気を使っていたので、やはり盗難には遭っていない。ドイツに単身1年弱滞在したときは、自転車を盗まれた。しかしそれだけだ。年に3度か4度の旅で、しかし、盗難に遭う頻度数は高い。そう思うと、情けない。