世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

 

第六十七回  ヘーゲルの墓参り            2015.8.6

 

 学会があり、ベルリンに来る。事情があって、ここのところ、国際学会に出向くのをさぼっていて、発表するのは数年ぶりになる。ずいぶんと不安を覚えている。外国に出掛けるのは好きなのだが、外国語を話すのは苦手である。

ヘーゲル論理学と、この2000年に入ってから急速に発達した、進化システム生物学ないしは、複雑系進化論との類似点について話そうと思う。私は、ヘーゲルを歴史的文脈の中に位置付けようとか、またその上で、ヘーゲルの現代的アクチュアリティーを論じようということには、あまり関心がない。ヘーゲルは論理的に、物質が自己運動し、それが生物を生み出し、さらにそれが進化して人間を生み出すことを、ていねいに論じている。論理的に考えれば、発展するということは、このようにしかあり得ないというのが、ヘーゲルの主張で、とすれば、近年の生物学が、ネオ・ダーウィニズムの機械論的発想を脱して、実験的手法と数学的記述を以って、ようやく発展を論じられるようになって来たときに、その論理構造が、ヘーゲル論理学と似て来るのは、当然である。そういうことを話したいと思ったのである。

それで、発表に先立って、ヘーゲルに敬意を払うために、彼の墓参りをしようと思う。うまくヘーゲルが、私に憑依してくれればありがたい。

 ヘーゲルは、その人生の最後の時を、ここベルリンで過ごしている。彼は、ベルリン大学の総長を務めていて、しかし、1831年に、コレラに罹って、あっけなく、亡くなったのである。彼の墓は、ベルリンの中央、Friedlich通りに沿った墓地にある。彼の希望で、その墓は、フィヒテの隣に作られたのである。そこには、フィヒテ夫妻とヘーゲル夫妻の四つの墓が並んでいる。

 8月の上旬、ベルリンは結構暑く、昼の気温は30度を優に上回る。しかし、空気が乾燥しているから、日陰に入ると涼しい。墓地は、木々が植えられて、ひっそりとしている。炎天下を歩いて、ようやく墓を探し出し、しかし墓の前に佇むと、さっと涼しい風が吹いて、汗が引いて行く。

 

翌日の研究発表は、まあ、何とかなる。ヘーゲルは乗り移っては来ない。彼は数学ができなかったから、機械論的発想が本当は分らなくて、だから、それを易々と乗り越えることができたのだとか、そういう悪口ばかり言っているので、多分、私はヘーゲルには嫌われている。仕方ない。

しかし、とにかく、責任は果たして、わざわざドイツに来た甲斐はあったと思う。

 

実際には、ベルリンに着いてから、書き上げていた原稿に不備があることに気付き、書き直したくても、資料はないし、プリンターなどの文房具もそろっていないし、外国語で発表をしなければならないことの不安は膨らむばかりで、憔悴し切っていたのである。それにせっかく日本から逃げ出してきたのに、職場や知人から、様々なメールが押し寄せていて、その返事も書かねばならず、苛立ってもいる。だから、とにかく、発表の前日に、ヘーゲルの墓参りだけは済ませたく、そうして出掛けて来ると、少し気分が落ち着いて、本番に臨むことができる。

発表は、いろいろな好条件もあって、予想外に参加者も多く、皆、まじめに聞いてくれて、意地悪な質問も出ず、有益な情報ももらって、気を良くしている。

そうなると、自分の話をするだけでなく、人の話も聞こうという気になる。はるばる学会に来て、自分の話をするだけでは申し訳ないという思いはあり、しかし自分の発表が終わるまでは、その準備に追われて余裕がなく、ようやく、人の発表を、その題を見て、面白そうだと思えば、聞いてみようと思う。必ずしも英語を母国語とする人ばかりでなく、たどたどしい英語で、しかも、随分と変わったテーマについて話す人もいる。そういう人がいると安心する。私のほか、誰もこんな分野については詳しくないだろうと思われる、あまりにも特殊なテーマで話をする人もいる。そういう時、私はうれしくなって、少々意地悪な質問をしたりする。私の発表もそう思われているのかもしれないが、この学会で、このテーマでは、誰もまともな質問ができないだろうと思うのだ。しかし、こういうことができるのも、つまり結構変わった人がいて、様々なテーマが話されるのは、国際学会の良いところだ。

 

発表の終わった日、とにかくまずは祝杯をあげたいと思う。それで、ほどほどのところで、学会会場をそっと抜け出して、というのは、連日、夜遅くまで、たくさんの発表があるのだが、そういくつも聞いてはいられず、私はひとり、馴染みの飲み屋に直行する。ここでビールを飲みたいと思う。学会会場から近く、ホテルもその近くに取った、Lindenbrauという店である。ここは、Weis Bier、かつNaturtrubという、私の最も好むビールを、しかも自家製で出している。Weis Bierとは、白ビールと訳され、または、Weizen Bier、つまり小麦ビールとも言われるもので、Naturtrubとは、自然の沈殿物という意味である。この店は、以前から馴染んでいて、今回も、ベルリンに到着した、その晩にまず出かけ、ビールをたらふく飲み、また、Eisbeinという、豚の腿肉を茹でたものを、これもたらふく食べて満足した。

さて、その日は、ビールを一杯だけ飲む。店の外にテラスが出ていて、涼しい風を感じながら、とにかく疲れて、ひたすらビールにありつく。夏のヨーロッパは、日が暮れるのが遅いから、いつまでも明るい。観光客や地元の人がごった返している。仕事は終えた。ビールはうまい。ドイツの街は美しいと、私は思考を止めて、快楽に身を委ねている。

さて、ひと息ついて、その後は、マーケットでワインとチーズとトマトを買って、ホテルの部屋に戻る。ひとり祝賀会の第二弾である。ドイツの良いところは、フランスやイタリアの安いワインが容易に入手できることである。今回は、フランスLanguedoc地方のSyrah-Merlotを買う。繰り返すが、本当に安いものだ。それに、山羊のチーズとモッツァレーラを買う。トマトは、ひと山買って、0.42ユーロである。そうして、祝宴を続ける。

わたしは、このひと時が一番好きだ。これだけおいしいワインが飲めれば文句なく、あとはパソコンに向かって文章を書き、また本を読み、窓から見える大きな木々に目をやり、眠くなったら、眠りにつく。実は、学会発表は口実で、飲み屋に行って、さらに、ひとり酒をホテルの部屋で飲むために、外国に来るようなものだ。

 

この短期の滞在では、基本的に毎日、朝は早く起きて、安ホテルの部屋の、しかし大きな窓を開いて、中庭を通り抜ける、涼しい風を部屋の中に入れ、窓辺で本を読む。その後、ドイツ式の、質量ともに充実した朝食は十分満喫し、それから、ゆっくりと学会会場に出掛け、しかし長居はせずに、またホテルに戻って、勉強する。あとは街中を少々歩き、夕方は早々と飲み屋に行き、早目に寝る。こういう生活を、一週間ほどすることができる。これは幸せだ。プチ留学だと自分では思っている。若い時に、貧乏で、留学ができず、中年になってやっとできたのだけれども、十分長く外国に滞在することはできず、その恨みが私の中に積もっていて、それを、少しでも晴らしたいと思う。すでに老いたという自覚はあるが、まだまだ外国に来て酒を飲む体力はある。
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