世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第七回 プラトン『饗宴』でソクラテスは何を飲んだか
2006.10.3
プラトンの描く『饗宴』でソクラテスは何を飲んだのか。九月の夕刻、私は食堂のテラスに座って、ワインを飲みながら、次第に暗闇に町が溶けていく様を楽しみ、アテネで過ごしたこの数日の記憶を反芻していた。ギリシアの空気は乾いて軒先の葡萄の葉やテーブルのすぐ脇に植えられた無花果の枝を揺らしていた。まだ現地の人が集まるには少し早い時分で、人気は少ない。無花果には、蝉がとまっていた。
私はアテネ滞在中、数日かけて、市内の名所や博物館を丁寧に見て回っただけでなく、一日は、港町まで電車で出かけ、そこから船に乗って、プラトンの生まれたエギナ島まで足を運び、プラトンの生まれる以前にすでにあったであろう神殿を拝んだ。また私はヨーロッパに滞在するときは、必ず日曜をはさんで、その日は教会を見て回ることにしている。ここでもギリシア正教のそれは、興味深いものだった。一日中良く歩いた後は、現地の人の集まる食堂に出かけ、チーズのフライや、羊の肉や、烏賊や蛸やオリーブの実を食べ、毎晩必ずワインを飲んだ。
さらにこの町は、人に様々な思いを促す。夏の良く乾いて、青く広がる空と、オリーブの木々、客引きだけは熱心なのに、あまり仕事をしたがらない人々、それにこのワインの味は、まさしく私が良く親しんでいるイタリアのいくつかの町を思い起こさせる。料理は明らかにトルコの影響がある。ギリシア正教とキリル文字は、私が何回かは訪れたことのあるロシアへの多大な影響を示している。いや、人々の顔そのものが、そもそもアラブ系やスラブ系などが混ざって、雑多である。この町は、西洋文明の発祥の地であるだけでなく、スラブ文化やイスラム世界に開かれている。いやそもそも西アジア、古代エジプトなどの太古の文明がギリシアに集約し、そこで新たな文明として開化し、そしてまた周辺にその影響が伝播して行ったと見るべきだろう。そうしてそのギリシア文明の象徴として、ワインが位置付けられるのではないかと私は考えていた。ワインもまた、様々な地方の古代文明の中で開拓され、それがギリシアに伝わって、そこで磨かれ、後に周辺に広がって行った筈である。ギリシア文化とワインは同時に展開され、両者は不可分の関係にあるに違いない。
名著『ワインの世界史』(古賀守 中公新書)によれば、ギリシア人は、ワインを水で薄めて飲んだという。これは実は私は実感できる。私は日本酒を水で割って、ぬる燗にして飲む習慣があるからだ。これはもうひとつの名著『純米酒を極める』(上原浩 光文社新書)から教わった。本当においしい純米酒を水で割って、ぬるく暖めて飲むのはうまい。気の置けない友人と、自宅でゆっくりと話をしながら酒を飲もうというときに、これは一番良い酒の飲み方である。水で割って、酒の旨みは増し、のどの渇きは潤い、酔いはゆっくりとやって来て、人と長時間飲む時に向く。むしろ本来の酒の飲み方だと思う。日本酒の場合、気の利いた肴がちょっとあって、親しい友人と言葉少なく、夜を過ごす。ただし、これは純米酒に限る。吟醸は、香りが強すぎて、水割りに向かない。本醸造では、人工的な味と香りがまずくて飲めない。
またイギリスで一番うまいエールビールは、私はビターであると思う。ビターは、ぬるく、しかもアルコール濃度は低い。まるでぬるま湯で割ったようなビールである。しかしこれがまたうまい。ぬるいビターをちびちびやりながら、立ったまま、パブで話に興ずるのはイギリス滞在の楽しみのひとつである。このときはつまみは頼まない。
むしろ蒸留酒類こそ、私はそのまま飲む。泡盛もそのまま飲むのが一番うまいし、焼酎も、米焼酎のうまいものを、そのまま温めて飲むのは良い。要するに、酒の飲み方は様々であると言うべきで、強いものを楽しむ蒸留酒こそ割らず、むしろ醸造酒(日本酒、ワイン、ビールなど)を水で割って飲んでも構わない。
古代ギリシアで、主たる関心が議論にあるのなら、食事は先に済ませてしまって、あとはワインを水で薄めて、少しずつ飲みながら、話に興ずる、というのは、だから私には理解可能であるし、それは議論に長い時間を費やすためには理想的な酒の飲み方である。まだ酒造技術がなく、味覚も洗練されていないと、消極的な理由で考えられる、このワインの水割りも、私は、「議論をする」という点では、いかにもギリシア人らしいと肯定的に捕らえている。
ここでプラトンを読解してみよう。『饗宴』では、まず数人の男が集まって、飲み会が始まる。ギリシア語の饗宴「シンポシオン」とは今の言い方では飲み会である。昨夜飲み過ぎたから、今日はあまり飲みたくないという者もいて、自由に、人に強制せずに飲もうという話になる。しかし飲兵衛の通例として、酔いが回れば、小さな杯では物足りず、大きなものに代えて、人に強制するようになる。
さて、そこでは五人の男が、それぞれまず自説を披露する。ここで彼らは、対話をするのではなく、ひとりひとりが物語るのである。西洋人は、対話と言いつつ、実は物語る。私はこれは容易に想像ができる。例えば、私はドイツに滞在していたとき、アパートの隣の部屋に若い男がひとりで住んでいて、彼が毎晩のように長電話をするのに悩まされた。聞くともなく聞いていると、まず10分くらい、この男が話すのである。途切れることなく、まさに一気に物語るのである。その後今度は、10分くらい静かになる。相槌ひとつなく、私は話が終わったのかと思うと、またその10分後に男が話始め、それがまた10分は続く。彼らはこんな風に話す。電車に乗っていても、三、四人がいると、その中のひとりが延々と話をしている場面に出くわす。
だから私は容易に『饗宴』の光景を推察できる。もっとも、ひとりが物語るあいだ中、他の人々がおとなくしその話を聞いているのか、酒を飲むことに夢中で人の話など聞いていないのか、そのあたりは分からない。
さてその後に、いよいよ真打ソクラテスの登場である。彼の話し方は少し手が込んでいて、昔影響を受けた女性とソクラテス自身が対話をしている様をソクラテスが思い出しながら、再現するのだが、しかしその対話を結局は、ソクラテスがひとりで物語ることになって、やはりせっかくの対話をソクラテスひとりの物語にまとめ上げてしまう辺り、私は西洋の哲学の本質があると思う。
『饗宴』はその後、他の場で飲んで、すでに酔った男が現れ、彼がひたすらソクラテスの説を褒める。興味深いことに、彼が褒めるのはソクラテスの説だけではない。ソクラテス酒に一番強いということもまた、褒める対象となる。実際、『饗宴』は、明け方、皆、酔いつぶれて寝てしまうか、自宅に帰ってしまうかという中で、ひとりソクラテスだけが、大杯で酒を飲み続け、最後に皆の後始末をしてから、沐浴に出かけた、というところで終わっている。哲学者は酒に強くないとならない。
さて、そのようなことを反芻しながら、私はアテネの町で、テラスのテーブルについて、ワインを飲んでいた。私は議論をする訳ではなく、一晩中飲むのでもないので、このワインを水で薄めることはしない。ひとり旅では、酔えば早々とホテルに戻って寝るだけである。私がテーブルに就いたときに鳴いていた蝉は、もうひっそりと暗闇の中に消えていた。ヒグラシより少し小さく、ツクツクホウシを少し丸くしたような蝉である。鳴き声は何と形容すべきか、クマゼミを大人しくした様な具合である。ヨーロッパ世界で蝉はきわめて珍しく、やはりここは西洋の周縁であることを象徴している。やがて店は地元民で満員となるだろう。蝉の鳴き盛る国から来た旅人はそろそろ引き上げるべきである。
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