参宮橋アイクリニック
近視手術図書室

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近視手術の歴史


日本で生まれロシアで大きく育った近視手術
 「近視を治す」飽くなき夢を人類は追い続けて来ました。
屈折異常である近視を外科的に矯正しようとする試みは19世紀にさかのぼります。以前、フカラ医師は水晶体を除去して屈折力を軽減し、強度近視の矯正を企てました。

 近代的な近視手術は、1939年、順天堂大学 佐藤 勉教授により、当初、円錐角膜の治療として開発されました。角膜厚の約70%の深度で切開を加える事により角膜中央部が扁平化して近視矯正を実現しました。

しかしながら、前面と後面から加えられた角膜切開が原因で、水疱性角膜変性症の合併が起き、頓挫しました。

ロシアから日本に里帰りした近視手術
1972年、旧ソ連モスクワ市、S・フィヨドロフ教授は自転車で転倒した少年の眼鏡が割れガラス片で角膜に傷がついたのち、傷が治ると少年の近視も治っていた事にヒントを得て、佐藤教授の文献を読みなおし、角膜裏面からの切開に問題があった事を発見しました。

 前面からの切開の深度、本数、及び長さを適切に組み合わせて、定量的な近視矯正に成功しました。切開の長さは、角膜周辺から切開を加えない中央光学領域までを意味しますが、中央光学領域のサイズ設定により切開の長さを変えて矯正度を調節しました。

1980年代後半、S・フィヨドロフ教授は米国のS・トロッケル博士と平行し、太いエキシマレーザービームによるPRK手術用機器プロファイルシリーズをリリースしました。
1990年代、S・フィヨドロフ教授は最強度近視矯正用に、プロファイルシリーズと平行しフェイキック眼内レンズを開発しました。
 現在米国を中心に、年間百万件の近視手術の基礎はS・フィヨドロフ教授よって培われたと言っても過言ではないでしょう。

日本に里帰りした近視手術
 佐藤 勉教授の近視手術は、ロシアで改良され、日本に里帰りしました。
 1980年桐生、百瀬晧博士がフィヨドロフ式RKを、我が国で施術を開始しました。
 1983年、近視であった内科医、奥山公道が留学先の旧ソ連でS・フィヨドロフ教授に近視を治して頂き、その際、若山久医師を同行し、RK研修のお手伝いをしました。
 「近視を治す」飽くなき夢を実現する為に、参宮橋アイクリニックが開設されました。

大ブレイクしたレーシック近視手術
 1990年代、バラケア教授による「角膜のカンナ掛けを、ドア状のフタを作ってエキシマレーザーを当てる手術方法がパリカリス教授により開発され、レーシックと命名され、年間数百万件もの手術が行なわれるようになりました。

レーシックの進歩型、イントラレーシック、
レーシック・フラップレス
 レーシックはフタを作りレーザーを当てる為、施術数の増加に伴い、フタに関連する様々な合併症が明らかになりました。
 合併症を減らす為にイントラ・レーシック、レーシック・フラップレスが開発されました。
 イントラはフェムトセコンドレーザーによりフタを作ります。刃を使ってカンナ掛けを行ないません。レーザーカンナにより薄いフタを作ります。

 フラップレスはフタを作らず、レーザーを当てるのみです。
 レーザーを当てるノリシロの部分に余裕があり、3D状、多焦点矯正面が作られます。