東洋医学とは? 

TOPペ−ジ 

1、起源と発展

1)東洋医学の特徴

(1)思想的特徴

数万年来、農業を生活の手段としてきた中国大陸の人々にとって、四季の変化が正常かどうかは、最大の関心事だった。一年を通じて農業の収穫を左右する太陽、雨、風などの自然の恵みを、ほどよく享受できるか否かというこである。
  
四季の季節的特徴を、生(春)・長(夏)・収(秋)・蔵(冬)としてとらえ、四季それぞれの季節の特徴的働きを「四気」といって、あらゆる生命活動が影響を受けるとみている。

この「気の思想」が「天人合一思想」※1とともに、森羅万象を理解するための基礎的思想となり、陰陽論、五行論によってさらに哲学性を深めて東洋医学の思想的背景を発展させた。

(2)人と自然についての見方

人は生きていくためには、食物・空気などすべて自然界に頼っている。これらはすべて天と地の産物である。このことから人の生命活動の源泉は、天て地からなる大自然(大宇宙)にあるということができる。これらは「気の思想」 「天人合一思想」 「天地人三才思想」※2に基づいている。

(3)人体を小自然(小宇宙)と見る

人の生命体を、大自然(大宇宙)の一環として捉えるということに基づいて、東洋医学では人体内部の仕組みも一つの小自然(小宇宙)としてみる。人体の臓器、組織、器官はそれぞれ異なった機能をもち、同時に全体として有機的につながった一つの自然(宇宙)ような統一体とみる。人体の統一性をつくっている中心は五臓で、これに六腑が配置されて経絡系統が「内は臓腑に属し、外は肢節を絡う」役割を果たして全体として統一性をもたしている。

※1天人合一思想・・・人体と形と機能とが、天地自然と相応しているとみる思想である。

※2天地人三才思想・・・天の陽気と地の陰気とが調和することによって、人の気が生成されるという思想である。東洋医学では人体の部位、体表からの深さとの相応に用いることが多い。 
   

2)起源

(1)原始的医術・・・中国における原始時代の医術は、他の文化圏とおなじように、本能的医術であったと思われる。それは「傷口を嘗める」、「痛いところを撫でる、さする(手当てする)」、「薬になる食物を摂取する」などである。中国の医術が他と違っていたのは痛むところに石を用いて治療したことである。これが後に「気の思想」を背景としての「経絡」を発見し「経絡説」を発明することとなる。
 その後、部族社会が形成されると、内部でシャ−マン(宗教的職能者)などの呪術師による呪術的な医療が行われるようになった。春秋・戦国時代になっても、祭祀、祈祷、祝言などによって病因を除こうとする療法が行われた。
 原始的な「痛いところを撫でる・さする」は「導引・按喬」に、「薬になる食物を摂取する」は「湯液療法」に発展する。

(2)気の思想による生理観と病理観
「気の思想」とは、宇宙の生成から生命現象にいたるまで、「気」を根底において、理解・解釈しようとするものである。                    
「気の思想」は戦国時代から秦漢期にかけて老子・荘子らによって「精気思想」に発展した。「呂氏春秋」(戦国末期、秦、呂不韋編)は、生命現象の基本に「気」置き、「達鬱編」で「流水は腐らず、戸枢は螻(虫食い)さず、動けばなり、形気も亦、然り。形動かざれば精流れず、精流れざれば気鬱す。」と病の成因を気の鬱滞であるという考え方がのべられている。このことは鍼灸における「経絡説」が形成されるうえでの思想的背景となった。前漢の武帝期の劉安が編纂した「准南子」になると「気」の考えかたは一気に展開されて、「内経」に基づく鍼灸医学を構成する「気の思想」がほぼ完成、鍼灸医学を体系化する骨子が確立された。

(3)鍼灸・湯液・気功・導引の起源
鍼灸の起源は、石器時代の石による啓脈、殷時代の骨針などにその源流を探ることができる。湯液は、伝説上の人物である神農が、草根木皮を嘗めて、その性質を明らかにしたといわれている。神農伝説は湯液系医療の成り立ちが、多くの医療体験がもとになっていることがうかがわれる。気功や導引は、気の思想が発展し、気を練磨する方法として確立したものと思われる。

3)東洋医学の発展
(1)黄帝内経・・・・春秋戦国時代、産業の進歩とともに、経済、社会、政治、文化が大きく発展した。学術思想もこうした情勢を背景に急速に発展した。このような歴史的情勢のなか、東洋医学の最古で体系的医学書である「黄帝内経」の原型が生まれた。                            
「黄帝内経」は当時の哲学の領域での鍼灸、湯液、導引、気功などに共通する独自の理論体系を確立、東洋医学発展の基礎をつくった。また医学理論ばかりではなく、陰陽、五行、天人関係、形神関係などについて進んだ探求がなされた。

「黄帝内経」のなかには、当時の世界的医学水準を大幅に越えた内容が少なくない。形態学の分野においては、人体の骨格、血管の長さ、内臓器官の大小と容量などの記載がある。これは現代医学の数値とほとんど一致していて、現代解剖学によるものと非常に近い。また、脈拍の中に気と血の変化を読み取ることにより、気の通路とを経絡と認識し、鍼灸医学の基礎をきずいた。

「黄帝内経」の成立後、難解の部分を解説するものとして、鍼による臨床実践の手引きとして作成されたものが「難経」である。また、後漢末期の著名な医家の張仲景は「内経」や「難経」などの理論と臨床体験を結合させ、「傷寒雑病論」を著した。

このほか歴代の医家は、「黄帝内経」・「傷寒雑病論」を基礎として、さまざまな角度から鍼灸や湯液の医学理論を発展させた。

2、陰陽五行論

1)陰陽学説

(1)気の思想・・・日本に「気の思想」が入ってきたのは、中国から文字が入ってきてからである。我々が日常使用している言葉の中に゛気"に関係しているものを数多くみることがある。たとえば「気が利く」、「行く気がしない」、「気心が知れない」、「気位が高い」など、例は幾らでもある。日本語における「気」は情緒的、雰囲気的な傾向があり、対象化、客観化したものにおいても流動的な性格が特徴的である。                         

中国では「気の思想」は「陰陽思想」とともに春秋戦国時代の厳しい現実を生き抜く方法論であり、実態を伴っていた。
古代中国では、「気」を空間と時間の具体的事象として解釈した。

天地万物の生成
宇宙の始まり・・・・・・・・まだ形も無く、混沌とした広がりがあるのみ
気の始まり・・・・・・・・・・混沌した広がりの中から気が生じる
陰陽気のはじまり・・・・・気が分化して、清軽な気(陽気)と重濁な気(陰気)とになる。
天地の始まり・・・・・・・・清軽な気は上がって天となり、重濁な気は下って地となる。
万物の始まり・・・・・・・・天地の陰陽の二気から四季が生じ、さらにそれによって人を含めて万物が生じる。

人の生命の生成と活動について。
生命のはじまり・・・・・・・両親から陰(母)と陽(父)の精気を受けて、これが合して一つの生命が始まる。
生後の活動・・・・・・・・・・天の陽気(空気中の活力源)と地の陰気(飲食物中の活力源)を取り入れ、生命活動を維持している。
生・病・死について・・・・体内の陰陽の気が調和していれば健康であり、陰陽の気が不調和になると疾病となり、気が散逸すると死ぬ。

(2)陰陽概念の発生
鍼灸医学理論の体系化に用いた方法論は陰陽五行論である。現代人が鍼灸の理論に接する時まず抵抗を覚えるのも、陰陽五行論である。だが、鍼灸の臨床で運用し、治療効果を上げるうえでこれ以上の方法論はまだみいだされていない。それは鍼灸理論が形成されるための思想的な背景が陰陽五行論だからである。現代医学が近代合理思想で育まれたのと同様、鍼灸理論は陰陽五行思想により育て上げられた。陰陽五行とまとめられているが、もともとは別々の理論であったがある時期に一つになり、陰陽五行論となった。
 
 陰陽は日があたるかあたらないかということから発生してきた考え方で「陰」は丘+今(禁と同義)+云(雲と同義)の会意文字で、日の当らない丘の側面を意味している。「陽」は丘+日+勿(玉光が下に放射するさま)の会意文字である。生活の中心が農業であった時代、日当たりのいい土地、水が多い土地に関心が集まるのは当然であろう。陰と陽との代わりに雄と雌が用いられるのも牧畜生活の経験から二つの対立したものが合して、新しい生命を生みだすのをみて、発想したのだろう。剛と柔を陰と陽の代わりに用いることがある。これは雄の動物の性質とか、その毛が剛いこと、背中の日の当たる皮が剛いことなどから考えついたのだろう。後には雌雄も剛柔も陰陽の概念に統合された。中国古代の思想家たちは万物が形をとって現れる状態、すなわち、いっさいの現象は、すべて正と反の二つの面を持っていると考え、正と反、すなわち陰と陽の対立や消長などの相互関係を自然界すべての現象を解釈するうえでの基本的観点とした。陰陽学説では、世界の本質は気であり、陰陽の二気の対立と統一によるものであるとみる。陰と陽は相互に対立し、また相互に関連する属性を代表している。一般に積極的に動くもの、外向的、上昇的、温熱的、明瞭なものなどは、すべて陽に属する。他方、相対的に静止したもの、内向的、下降的、寒冷的、あるいは暗いものなどは、陰に属する。
 
 事物の陰陽属性は絶対的なものでなく、相対的なものである。つまり一定の条件下で相互に転化するということである。陰は転化して陽になることがあるし、陽もまた転化して陰になることがある。事物は陰陽に無限に分けることができる。例えば昼は陽で、夜は陰である。午前と午後に分けると午前は陽中の陽で、午後は陽中の陰である。夜中を前半と後半と分けると前半は陰中の陰で後半は陰中の陽である。このように宇宙のどのようなことも、陰と陽の二つに分類することができる。またどのような事物の内部も陰と陽にわけることができる。このような相互対立や相互連携は、自然界のいたるところでみることができます。


(3)陰陽論の特徴

A、陰陽の対立と制約・・・陰陽論ではあらゆる事物を対立し、相互に制約しあう二つの側面からとらえる。たとえば、上と下、左と右、天と地、動と静、出と入、昇と降、昼と夜、明と暗、寒と熱、水と火などあげればきりがない。つまり陰と陽は対立的であり、統一的な関係である。対立は二者の間の相反する一面であり、統一は二者の間の制約しあいながら同時にまた補完しあう関係である。対立が無ければ統一はないし、相反するものがなければ制約し補完しあうこともない。
 
 人体が正常に生命活動をつづけられるのは、陰と陽の相互の制約と相互の消長によって生まれた統一の結果である。陰と陽の間の相互制約、相互消長があって事物は発展変化することができる。そして自然界は一刻も休むことなく運動しつづける。
 
 陰と陽の関係は「陰の気が多い事物、若しくはは側面」と「陽の気が多い事物、若しくは側面」と定義したほうがわかりやすい。

B. 相互に依存する・・・陰陽が、対立、統一しているというのは、両者が相互に対立し、相互に依存しているということである。一方だけで単独に存在することはありえない。上を陽、下を陰というが、上がなければ下はないし、下が存在しなければ、上も存在しない。つねに一方は、相対する別の一方の存在があってこそ自己の存在が条件づけられる。

 陰陽の相互関係は、人体を構成し、生命活動を維持している源である「気と血」の関係についてもいえる。「気は陽に属し、血は陰に属す」としているがこれは、「気は血の帥(すい)であり、血は気の舎(入れ物)である」ということである。これは物質と機能の間の相互関係をも表している。物質は陰に属し、機能は陽に属している。機能は物質運動の結果であり、運動のない物質は存在しない。陰陽の相互依存理論は人体の物質と物質間、機能と機能間、機能と物質間の相互依存関係についてもあてはめることができる。

C 陰陽の消長平衡・・・陰陽の対立と制約、相互依存は、静止した不変のものではなく、常に不断の運動変化をしている。このことを「消長平衡」という。「消長平衡」とは陰と陽の平衡が静止的、絶対的ものではなく、「陰消陽長」、「陽消陰長」のなかで相対的平衡を維持している陰陽の消長平衡は「事物の運動は絶対的であり、静止は相対的であり、消長は絶対的で、平衡は相対的である」という法則性と一致している。絶対的運動のなかに相対的静止が含まれていて、相対的静止のなかに絶対的運動が含まれている。事物は絶対的運動と相対的静止絶対的消長と相対的平衡のなかで発生と発展を行っている。

例えば、四季の気候変化でいえば、冬から春、春から夏になるにつれて、気候は寒冷から暑さに向かっていく、これは「陰消陽長」の過程であ。夏から秋、冬にうつるにつれて、気候は暑さから寒涼に向かっていく、これは「陽消陰長」である。しかし一年を通してみれば気候は相対的に暑さ寒さで平衡がたもられている。

D. 陰陽の相互転化・・・陰陽の転化は、相互の消長によって起こる緩やかな変化だけではない。一定条件下では正反対の方向に転化することがある。陰が転化し陽に、陽が転化し陰にする。陰陽の相互転化は事物転化の「極」の段階、「物極まれば必ず反す」である。「陰陽消長」は量的変化の過程の理論であるが陰陽転化は量的変化の結果による質的変化である。

対立している双方は対立している相手側に転化する要素を内包している。新しい事物が生成されるときは同時に消滅する要素を内包している。事物が消滅ときは新しい事物が生成される要素を内包している。

陰陽の転化には一定条件が必要である。四季の変化でいうと、春の温暖は夏の極点に向かい、寒涼へと向かう転化となる。。秋の涼しさは冬の寒の極点に向かい、温暖へと転化する基点となる。人体の生理面でも同じことが言える。興奮と抑制はその一例である。疾病の発展過程で陽が転じて陰となり、陰が転じて陽になるのはよくあることである。

2)陰陽論の具体的な医学的応用
鍼灸医学は、基礎部門である生理、病理から、診断、治療まで陰陽の観点を貫いている。診断では陰陽を間違えず。陰陽に合致する鍼の手技を正しく行えば治療は誤らず効果がある。抽象的に見える陰陽論は、臨床の実践に深く結びついているので、軽視することはできない

(1) 人体の組織構成・・・・陰陽の対立と統一の考え方は、人体を有機的統一体とみる。人体内部は陰陽の対立と統一で成立している。

例 人生れて形あるも、陰陽を離れず。

それ人の陰陽をいえば、外は陽、内は陰。人身の陰陽は背は陽、腹は陰となる。

(2) 生理機能の陰陽・・・・人体の生理機能は、陰陽の対立と統一ついう協調関係を保つことにより維持されている。生理活動は物質が基礎であり、物質なしでは生理機能は生まれない。しかし生理活動の結果は絶えず物質の新陳代謝を促進している。「気の思想」から見ると人体機能は「気」の働きによって動いている。気の源泉は空気と食物で食物が消化されてすぐにつくり出されるのが陽の気で衛気(えき)といわれており、外からの侵襲するものに対して防御などを行う。食物が十分に消化されると産出されるのが陰の気で、営気(えいき)といわれており、体の栄養や実質的運動エネルギーなどになる。

(3) 病理変化の陰陽・・・・人体が正常な機能を保っているのは、物質と物質、機能と機能、機能と物質の間の相対的陰陽協調関係が正常に保たれているからである。体の内外、表裏、上下、臓腑などの陰陽が平衡を保っている時が健康であり、疾病の発生、およびその病理過程は、ある原因で陰陽の協調関係が崩れたことを意味している。

 陰陽は相互依存であり、相互に消長、制約しあっている。このことから、陰陽の失調は陰陽の偏盛と偏衰といえる。

<<偏盛>>陰陽の偏盛には陰盛と陽盛がある。このことは陰陽のいずれか一方が正常な水準より高い状態になっている病変である。
<<偏衰>>陰陽の偏衰とは陰虚と陽虚がある。このことは陰陽のいずれか一方が正常な水準より低い状態になっている病変である。

 このほか陰陽の転化や離反といったような変化もある。転化とは、一定条件下で陰が陽に、陽が陰に転化することを、離反とは一見陽証でありながら内部が冷えていたり、上部が熱し、下部が冷えていたりすることである。完全に陰陽が離反したり、陰陽の片方が完全になくなると生命に危険が迫っていることとなる。


(4)診断と治療においての陰陽・・・・診断では病の原因から発生、発展の過程のすべてを陰陽の失調という観点でとらえる。疾病の発生、発展は原因が陰陽の失調であることから、治療原則は陰陽を調整することで、不足していれば補い、有余しているならば寫しして陰陽の平衡を回復することが基本原則となる。臨床においては、現象にとらわれずに、陰と陽のどちらが主要な問題であるかを把握して、状況に対応した治療を行うことが重要である。


(5) 三陰三陽とは。
陰陽論は、四季の変化を説明するのに陰陽の量的変化で説明し、春(少陽)、夏(太陽)、秋(少陰)、冬(太陰)の二陰二陽に分化した。

鍼灸医学の陰陽論でいう三陰三陽は、体表部の経絡区分が陽で三面、陰が三面であることからきている。三陰三陽説は最初に鍼灸医学で使用されたが、その後湯液系医学では違った意味で使用されている。

鍼灸医学・・・・・・体表部を循行する経絡の分類に使用する。
          三陰〜手太陰肺経、手少陰心経、手厥陰心包経、足太陰脾経、足少陰腎経、足厥陰肝経
          三陽〜手太陽小腸、手少陽三焦経、手陽明大腸経、足太陽膀胱経、足少陽胆経、足陽明胃経

湯液系医学・・・・外感熱性病の病期(病の進行に応じて病位や病情が変化していくこと)分類に用いている。
          太陽病→少陽病→陽明病→太陰病→少陰病→厥陰病
                三陽             三陰


3)五行学説                

(1) 五行の発想その限界
五行的な考え方の起源は、殷(商)時代の宗教的観念までさかのぼる。当時の甲骨文に見られる四方の風(春、夏、秋、冬)の神の名がこれを示している。甲骨文にきざまれていた風神の名が殷の神だったのか、それとも征服した四方の部族の神なのかは不明だが、後代の青龍白虎、朱雀、玄武の四神はこれから発想されたと思われる。

中国の風土を理解するのに、黄河を中心として四方の土の色、生産物、気候などを四神や色、五つの代表的物質(水、火、木、金、土)に結び付けて考えるとわかりやすい。五行説もこのような考え方から生まれたとおもわれます。

日本においては、鍼灸医学の五行説に対して、非科学的観念論とする傾向が見られるが、現代科学は、世界の成り立ちを原子、分子から説明し、完全な自然観を形成しているように見えるが、その自然観、人間や疾病に関しても、未知の世界を数多く残しているということから分析科学的な考え方をしなかった古代人が、複雑な世界をありのままにとらえ、健康維持のためどのように考えていたかを留意すべきであろう。

五行とは木、火、土、金、水の五種の物質のことである。中国の古代人が日常生活と生産活動の中から、不可欠の基本物質として認識していたのが、この五種の物質である。このことから五行のことを最初は五材といった。

(2) 初期の五行説
初期の五行説は「水火は百姓の飲食する所なり、金木は百姓の興作する所なり、土は万物の資生する所なり、是れ人の用と為すなり。」という単純なものであった。五行の形や性質は次のようにであった。

一に曰く水、水を潤下と曰う。
二に曰く火、火を炎上と曰う。
三に曰く木、木を曲直と曰う。
四に曰く金、金を従革と曰う。
五に曰く土、土はここに稼穡す。

(3)五行と気の思想
五行学説は五材説を基礎として、世界の一切の事象をあてはめ、五材間の関係を法則化した。その一つが「似た者は似たように働く」というものである。「五蔵の象は類を以て推すべし」というものがあるが、「類を以て推すべし」ことにより「類」に共通している性質を求めることができる。「類」に分ける基準となるのが、木、火、土、金、水の五つである。「形ある者は無形に生ず」という気の思想を基本としている中国では五つの物質を五種の気を有形化したものとしてとらえた。五行とは五種の気のことである。

(4)五行説の効用・その限界
鍼灸医学の基礎理論は陰陽論と五行理論が取り入れられたことによりおおきな発展を遂げた。しかし五行学説の形成の基礎が、北半球の中国風土に因っているので、日本の風土に合わない所も多い。また物事を五行学説的に整理しようとして、無理に当てはめる傾向もみられる。運用する場合その限界をみることも大事であり、機械的に運用することは注意しなければならない。

(5)五行学説の特徴
A.事物の五行特性・・・・
五行を中国の風土の特徴から考えてみる、一例として「木」をあげると、中国の東方は山東省で樹木が繁茂していることろである。その色は青で、東方は大海でこれも青、一日は東からの日の出で始まり、四季においては春になると生命がよみがえり、植物が一斉に活動を始める。このような類推が医まで拡大され、五臓では「木」には肝が配されている。肝臓の血管の走り方が樹木に似ていること、五臓では最も青いことなどから考えられたのだろう、六腑では胆。胆が肝と結び付くことは、機能から考えれば当然である。五官では「目」、形体では「怒り」、声では「呼ぶ」、変動では「握」と続く。このことは、怒りっぽく、カンシャクの強い、すぐに青くなって大声で怒鳴る人を想像すると納得できるだろう。このような類推は、幾らでも拡大できる。
 「木」の特性・・・・木は曲直を曰う。酸を作す。
曲直とは樹木の成長形態で、枝が曲直しながら上と外に向かって伸びていく姿を現す。このことから成長、昇発、のびのびした姿、などの作用、性質を備えている事象を「木」に帰属させる。
 「火」の特性・・・・火は炎上を曰う。苦を作す。
炎上は火が温熱、上昇の特性を備えていることを指す。温熱、上昇の作用をもつものは「火」に帰属することになる。
 「土」の特性・・・・土は爰に稼穡す、甘を作す。
「稼穡」とは土の持っている播種、収穫という農作物への作用をさす。生化、継承、受納などの作用は土に帰属する。
 「金」の特性・・・・金は従革と曰う、辛を作す。
「従革」とは「変革」を意味する。清潔、粛降、収斂などの事象は金に帰属する。
 「水」の特性・・・・水は潤下と曰う、鹹を作す。
水が持っている滋潤と向下性をさす。このため寒涼、滋潤、下へ事物を運ぶ作用はすべて水に帰属する。
B、五行の生克と乗侮