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誤解される中村光夫


 …しかし、ねえ君、今度のちょっとした事件でもやっぱりそう思ったんだが、奸計や悪意なんかよりも、誤解や怠惰のほうがよっぽどいざこざの基になるんだね。

――ゲーテ『若きウェルテルの悩み』――

(2003/2/10)
 きのう、近所の古本屋で吉本隆明『難しい話題』(青土社、1985)という対談集を買って読んでみたのですが、その中の蓮實重彦氏との対談で、吉本氏が中村光夫のことをずいぶんと悪く言っているのを見つけたので、それについてちょっと書いてみようと思います。
 吉本氏は、中村光夫が小林秀雄よりはるかに劣った批評家であるとして、彼の批評あるいは文学活動について、次の3点の欠点を挙げています。
1点目。《…「です」とか「ます」とかいう口調で、対象とする作品あるいは作家に批評の言葉が思い入れをすることを回避したこと。しかしそれが同時に味もそっけもない、これほど読んでつまらないものはないというスタイルになった一つの理由だとぼくは理解しています》(前掲書、42〜43頁)
 中村光夫の本をそれなりに真剣に読んだことのある読者であれば、吉本氏のこの物言いがいかに浅薄な理解であるかが分るでしょう。ぼくら中村光夫フリークは、彼の一見味もそっけもない客観的な論理的な文章の背後にとてつもなく大きな「思い入れ」を見るのです。中村光夫は、小林秀雄のように即興的に観客を酔わせるような文章は書きませんでしたが、自らの思い入れをわざと迂回して客観性と論理性の装いをもって表現することによって、より強い説得力のある感動をぼくらに与えてくれています(三島由紀夫は、このことをよく理解していました)。『二葉亭四迷伝』などはその典型です。最後の二葉亭が船上で死ぬ場面を描いたとき、おそらく中村光夫は自らの愛情、思い入れをおそらくこれ以上は不可能と思われるほど極度に抑制しているはずです。中村光夫フリークでなくとも彼の本を真剣に読めば、そういったことがわかるはずです。
 「歳はとりたくないものです」といった類の中村光夫の数々の極言は、そういった思い入れや感情が何かの折に噴火してしまった、その結果のものと見るべきでしょう。そしてそれがまた彼の文章の多様な面白さを演出しているのです。
 2点目《…いい年しやがって、中村光夫は、小説とか戯曲とかを書くようになった》(前掲書、43頁)
 あまりに低劣な批判なので、反駁する気にもなりません。
 3点目《…中村光夫は、原型的なイメージとしての西欧近代というものを置き、その鑑に日本の明治以降の文学とか日本の近代をキチッと照らして、ここが歪んでいるとか、ここの恰好はこぶが多すぎるとか、ここのところは胴が太すぎるとかと、それに正確に合わせて矯正した人だと思うんですよ》(前掲書、43〜44頁)
 これに対しては蓮實氏がしっかりと反駁してくれていますが、次の中村光夫自身の言葉がもっとも説得力のある反駁となっています。
私小説がヨーロッパ文学と違うのは当り前のことで、それだからといって非難する批評は成り立たない、これは当然のことです。問題なのは、私小説を書いて、これでヨーロッパ文学と同じものができたと思い込んだことなんですね。それは困る、ということをぼくは言っていたつもりなんですがね。言い方が悪いのか、正反対に受けとめられていますね》(蓮實重彦『饗宴U』【日本文芸社、1990】397頁における中村光夫の言葉)
 つまり、作家たちが「俺達はこの私小説で行く、西欧とは異なるが、これはこれで良いものだ」といったようなことを言えば、中村も私小説批判などしなかったはずです。問題は、西欧の流行の文学を志向し、それを自分たちと同列のものとして扱っているにもかかわらず、相変らず自分たちの文学自体は社会性の広がりや客観性を持たない私小説でしかなかった、ということなのです。
 吉本氏は、前掲書の中で、近代における日本は不美人で西欧は美人なのだから、日本の文学者が西欧の文学者に憧れを持つことは当り前のことだ、といいますが、不美人が不美人のままで自分が美人だと思い込んでしまったことが問題なのです。少なくとも批評家がそのことに無自覚ではまずいのではないか、と悟ったところに、批評家・中村光夫の出発点があったとみるべきでしょう。

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