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1 「時枝誠記と『国語』の時代」


時枝誠記と「国語」の時代


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 時枝誠記が、言語過程説の基礎となる言語観を国学派の仕事から得たということを、彼の立場の政治性と結びつけて論じる論者がいますが、時枝の初期文献をよく読んでみれば、彼が国学派の言語観をみずからの理論に取り入れたことが政治的な動機に基づくものでないことがわかります。それは本質的には学問的な動機に基づくものです。日本の国語学が、その学問としての体系の細部においては日本の過去の言語研究の成果を取り入れつつも、その根本となる言語観およびその研究方法において西欧言語学を模範として出発し、発展を遂げたことは、今日において周知の事実です。時枝が言語研究を始めた大正末期においてもそれは多くの国語学者の常識であり、またそうであるがゆえに彼らの多くはそのことに何の疑問も感じていなかったものと思われます。とにかく明治以後の日本においては、国語学に限らずほとんどすべての学問分野が西欧の体系的に整った学問とその方法の移入によって成り立っていたからです。この事実の指摘およびそれが日本の学者にどのような精神的屈折を与えたかについての考察は、「日本の近代」というものに対して執拗なまでの問題意識を持ち続けた文芸批評家、中村光夫の著書に譲ることにして、ここでは時枝がなぜこのような常識に疑問を持ち、国学派の言語研究を本格的に調べてみようと思い立ったか、ということについて考えてみようと思います。
 先に少し触れたことですが、時枝誠記は国語研究を始めた当初、つまり大学時代から、従来の国語学の理論や方法に疑問を抱き、言語の本質は何か、という問題に取り組もうとしていました。彼はそのことを卒業論文の中で、次のように吐露しています。
 国語学上の種々なる分野、例へば文典上の問題、音韻、文字、仮名遣の問題、或は思想と言語との関係、或は方言及び歴史的変遷の問題に対して穿鑿しようとする時、私に対して先づ解決を迫る処の問題が現はれて来る。それは「言語とは何ぞや?」の問である。この問題を解決せずしては、私は今や一歩も末節の探究に進み入ることを許されない。(「日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法」)
 時枝が国語学者としての出発当初から、このように言語の本質に対する考察に頭を悩ませていたことは、西欧の近代言語学の枠組みを移入して学としての体系を整えようとしていた当時の国語学界においては、異例なことでした。なぜ彼がこのように独力で言語の本質を探求しようとしていたかというと、それは実に単純な話で、彼にとって西欧の近代言語学における言語本質観、つまり言語を人間から切り離して純客観的な対象物としてとらえる彼らの言語本質観が決して一般妥当なものと思われなかったからにほかなりません(2)。もちろんほかの国語学者たちの中にも、時枝と同じように西欧言語学の理論方法に疑問を持った人がいたとは思いますが、少なくとも時枝のようにその疑問を正直に吐露して自分で道を切り開いていこうとする学者はいませんでした。だからといってぼくは、今日の立場から彼らを非難するつもりはありません。当時の国語学者たちが、西欧の学問体系の移入によって華々しい発展を遂げた他の多くの学問分野(主に自然科学)の成功を前にして、内容はともかく同じく理論と呼ぶにたる体系を整えた西欧言語学の権威に対し異議を唱えることができなかった事情も、よくわかるからです。
 ここでぼくが問題にしたいのは、それではなぜ同じ国語学者であった時枝が右に述べたように西欧言語学に対する不満を正直に述べて、みずから言語の本質を探求しようとしたかということです。それは、何らナショナリスティックな動機に基づくものではなく、彼のいう、あるべき「研究者の態度」、ひいては洋の東西を問わずすべての研究者が範とするべき「根本の科学的精神」に基づくものでした。時枝は次のように述べています。
 学問には、いつも何か整然たる研究法が備つてゐるやうに考へるのは、旅程表が与へられれば、旅行が出来ると考へるにひとしい。もし、研究者が、研究法と学問の体系とについてのみ知識を持つてゐて、少しも対象である国語そのものに対して沈潜し凝視することがなければ、それは学問に対する態度としては、本末顛倒である。そのやうな態度に対しては、甚だ極端な、また誇張した云ひ方かも知れないが、学問の体系や研究法に対する一切の知識を捨てても、先づ、対象を求め、対象を凝視する我が心のありかたを追及したい。対象に対する研究者の心の燃焼こそ、学問のすべての出発点だからである(3)。
 泰西の科学の教へる根本精神は只対象と取組むことにあるのみである(4)。
 時枝はこのように、あらかじめ外部から与えられた方法や理論を国語にあてはめるのではなく、まずは国語という対象を研究者みずからの目で虚心に見つめるべきことを主張したのです。何度もいうようですが、この態度は別にナショナリスティックなものではありません。今日から見ても学者としてきわめて誠実な態度だと思います。対象の違いを度外視して無理やりに既製の理論や方法をあてはめることが学問のあり方として不当であることは、近代言語学をみずからの手で構築した当の西欧人自身も認めるところでしょう。右のような「学問する」態度をみずからの信条としていた時枝が、国語(言語)を対象とする学問に従事するに際して、国学派の言語研究を歴史的に遡って検討してみようとしたことは、いわば当然の成行きだったといえます。国学派の言語研究は、言語そのものを対象としてなされたものではなく、主として古文の解釈や擬古文の制作のために二次的になされたものでしたが、それでもそこには他の時代と比較にならないほど多くの優れた業績が残されていたのですから、彼が「国語学の立脚地」をここに求めたのは、今日からもよくわかる話なのです。
 また実際、時枝ばかりでなく、国語学者として偉大な仕事を残した人たちの多くも、実践的には、国学派の国語研究の成果に何らかのかたちで頼らざるをえなかったようです。大槻文彦や山田孝雄など国語学の大家と呼ばれる人たちは、西欧言語学を精力的に学びつつも、一方では日本の伝統的な国語研究に少なからぬ関心を寄せそこから多くのものを学びとっています。時枝が彼らと違うところは、末梢的な文法の問題だけでなく、そもそも国語(言語)をどうとらえるかという言語本質観に至るまで、国学派の国語研究の成果に見るべきものを見出したということです。これは、彼が先に述べたような対象重視の学問観を堅持して、本質論の追及に徹底的にこだわる学者であったということによるものと思われますが、その執拗なまでの追求の背後には、次のような理論的把握に裏づけられた自信が存在していました。彼は、国語学と言語学との位置関係を弁証法的に正しくとらえていたのです。
 当時の常識では、国語学が国語の特性を明らかにすることによって言語学の発展に寄与するなどということは考えられないことでした。言語学者の小林英夫は、国語と一般言語との関係を論じて「特異者は一般者を分有するにすぎない」(5)といい、国語の研究はあくまでも国語という特殊な領域の諸事実を明らかにすることにすぎないという典型的な形而上学を展開していました。一方、時枝は「一切の特殊的現象は、その中に同時に普遍相を持つといふことは、国語に於いてばかりでなく、一切の事物について云ひ得ることである。国語についての特殊的現象の探求は、同時に言語に於ける普遍相の闡明ともなり得るのである。こゝに国語研究といふことが、単に言語学に於ける特殊な領域の研究に終始することではなくして、同時に言語の一般理論の研究ともなり得る根拠があるのである」(6)と、普遍と特殊との関係を正しく弁証法的にとらえていたのです。この洞察が、彼をして一見幼稚に見える国学派の言語本質観を真剣に検討してみる機会を与えたことはいうまでもありません。
 時枝がこのように苦労してたどり着いた言語本質観は、今日の科学的立場から見て決して完成されたものでなく、すでに三浦つとむによって正しく批判され修正を受けているのですが、それでもその言語本質観は、言語を人間の主体的な表現行為として位置づけ言語表現の過程的構造を重要視するなど、今なお評価すべき多くの内容を含んでいます。この内容についての言及はまた別の機会に譲ることとして、とりあえずここでは、以上のように、時枝が当時の常識に反してまで国学派の国語研究に遡行したことが根源的にはナショナリスティックな動機に基づくものでなく、学問的な動機に基づくものであったということを確認するにとどめておきます。



(2) 時枝のソシュール批判は厳密さを欠いた訳語をもとに行われているので、これを不当なものとする見解が今日一般的なようです。たしかに時枝のソシュール批判は時代的制約も手伝って不十分で幼稚なところもあります。けれどもソシュールの言語観が言語の表現主体である人間の関与を軽視したところに成立したものであり、その意味で自然科学的な態度方法に依拠しすぎていると批判したことは、いまだに評価されてしかるべきことなのです。
ソシュールの犯した最大の過ちは、言語を表現として、物質としてとらえなかったこと、そして言語の過程的構造において、表現主体の認識する独自の概念の存在を無視してしまったことにあります。つまり、彼は言語をただ精神的なものとしてきわめて平面的に扱うと同時に、そこに人間の意志、人間の能動的な精神作用の介入してくる道を塞いでしまっているのです。時枝のソシュール批判の本質はここに起因するものと思われますが、この意味で、彼がソシュールを頂点とする近代言語学の理論を「人間喪失の言語理論」(『国語問題のために』)皮肉ったことも、まんざら的をはずした戯れ言とはいえないのです。ソシュールにとって、言語とは「音の心的な刻印」でありその本質は「関係」である、ということになるでしょう。けれども今日の言語過程説の立場からするならば、言語とは表現すなわち物質であり、かつその本質は「関係」である、ということになります。このように実体と属性を統一してとらえ、その背後に存在する矛盾の構造を、すなわちその過程的構造を論理的にたぐっていかなければ、言語の本質は解明できないのです。
ソシュールがその言語本質観において決定的な過ちを犯していたからといって、ぼくは彼の言語研究に見るべきものがなかったなどと強弁するつもりはありません。彼は<言語規範>すなわち<ラング>の存在を特定して、それについての精密な研究を行っており、その方面における彼の業績は特筆すべきものがあります。言語学においても、まさに「過程の研究ができるようになるまえに、まず事物を研究しなければならなかった」(エンゲルス)というわけです。
(3) 時枝誠記『国語学への道』三省堂、1957。p.6
(4) 時枝誠記『国語学史』岩波書店、1940。p.16〜17
(5) 小林英夫『言語学通論』三省堂、1947改訂三版。p.79
(6) 時枝誠記『国語学原論』岩波書店、1941。p.9

時枝誠記と「国語」の時代 「3」


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