川島正平のページ

私独自の解釈1

<概念の二重化>説 2


〇疑問2 小川文昭さんより(2001/3/11)

●「概念の二重化」(三浦つとむ)の重要性
三浦つとむの「概念の二重化」説は、言語過程における概念の二重化の事実を指摘したものです。三浦がこのように、現実の言語過程と、それから相対的に独立したかたちで存在する言語規範との間の区別と連関の問題を取りあげたことは、言語学上の大きな業績であり、いわゆる現代言語学はもとより、時枝誠記の言語過程説の水準から見ても、画期的な理論的進展の一つだと考えます。
しかし、三浦は「概念の二重化」という事実の存在を言ってはいますが、それが実現する過程については具体的な説明をしていません。私は川島さんの問題提起のおかげで、この問題の重要性に気がつきました。そこで考えを進めてみた結果、私は、「概念の二重化」を「直接的同一」と見る点では川島さんと同じですが、それが実現する過程についての理解はすこし違うということが分りました。
そこで、以下、「疑問1」で述べられている「概念の二面化」の観点から、「概念の二重化」がどのように実現されるのかの私の考えを説明してみたいと思います。
●個別的概念と普遍的概念との区別
川島さんの引用によると、三浦は言語の背後の概念に、次のような二種類を区別しています。
(1)個別的概念:「現実の世界から思想として形成された概念」
(2)普遍的概念:「概念一般」
問題は、両者の関係である「二重化」とは具体的にはどういうことかです
●個別的概念と普遍的概念との連結の過程的構造(二重化即二面化)
川島さんによる<三浦つとむの図式>を見ると、まず個別的概念が成立し、その後で、それに規範の規定する普遍的概念が結びついて二重化するように読みとれます。私の考えは、それとはすこし違っています。
現実の表現された言語の背後には、表現の原型として概念(=個別的概念)が存在しています。この概念は、「表現主体が逐次的に認識する独自の概念」(川島)であり、生成・消滅の過程の中にあります。
一方、それとは独立に、固定的なものとして、個別具体的な対象からは相対的に独立した、言語規範に規定された普遍的な概念が存在しています。
この個別的概念と、規範の規定する普遍的概念とは、はじめは別々の二つの実体であったものが、後で一つに連結されるという形で二重化するのではなく、実は、一つの個別的概念が成立する過程が、同時に、規範の普遍的概念とその個別的概念との間の対立が止揚される過程でもあって、この過程の結果として成立する個別的概念は、それ自体がその内部に普遍的概念を含んだ構造体となることにより、普遍的概念と個別的概念との一体化が実現する。これが、二種類の概念が一つになる(=二重化する)過程の具体的な構造だと、私は考えます。
この過程は、二つのものが一つになる「二重化」の成立であるだけでなく、同時に、一つの個別的概念が直接に普遍的概念の面を持つ二面的存在になるという「二面化」の成立として見ることもできると考えます。
したがって、三浦のいう「概念の二重化」は、二重化即二面化であるという・両者の統一において把握する必要があると考えます。
●個別的概念の成立から聴覚表象の連結への過程
言語に表現される個別的概念が成立する過程は、概念が直接に対象から抽出されることもあれば、媒介的に抽出されることもあります。媒介的に抽出する場合、媒介するのが言語規範の普遍的概念です。
対象から個別的概念をつくりだすこの過程は、対象への問いかけと対象からの反映との往復運動的過程として存在し、その際、問いかけに用いられるのが言語規範に規定された普遍的概念です。そして、その結果として、成立した個別的概念の内部には「個別―特殊―普遍」の構造が成立します。
そしてさらに、この「個別―特殊―普遍」(個別・特殊が直接に普遍を孕む)という構造を持った個別的概念が形成されることにより実現した、二種類の概念の一体化(=二重化)を通じて、はじめに普遍的概念に連結されていた・表現のための表象が、個別的概念に結びつくことになります。
●三浦つとむの「二重化」論の内容
次の『言語学と記号学』からの川島さんの引用
表現のとき対象の認識として成立した概念は、概念が成立した後に聴覚表象が連結され、現実の音声の種類の側面にこの概念が固定されて表現が完了するのである。(強調は省略)
を見ると、先に個別的概念が成立し、後から聴覚表象が連結されるということが述べられていますが、その間の過程で、個別的概念に、規範が規定する普遍的概念がどう結びつくのかは述べられていません。
『認識と言語の理論第三部』からの引用では、「規範と表現される概念との媒介関係」の存在が述べられていますが、それがどういう媒介関係なのかは述べられていません。
この媒介関係は、先にまず個々の言語表現の個別的概念が成立し、後から、規範の成立する普遍的概念がそれに結びついて二重化するのかどうか、三浦つとむはなにも言っていませんが、私は、上に述べたように、そうではないと思います。
●『日本語はどういう言語か』の図解の問題点
『日本語はどういう言語か』p.67の図では、個別的概念と、規範の普遍的概念とが実体として別々なまま存在するように描かれています。これは図解のもつ限界によるもので、現実には、表現される認識の「普遍的な面」に「個別―特殊―普遍」の構造が存在し、その中の「普遍」として、規範の普遍的概念の存在は止揚されるのであると考えます。
以上です。ご批判をいただけると幸です。



〇筆者の応答2(2001/3/20)

まずは、小川さん、ご投稿ありがとうございます。これが当ページの記念すべき初めてのご投稿ということになります。初めから、きわめて高度な内容のご投稿(ご論考)で、筆者としては嬉しいかぎりです。今回の小川さんのご論考を通して、いろいろと勉強させていただきました。以下、私の小川さんに対する応答です。

(1)個別的概念の二面化的成立=小川さん独自の主張
小川さんの個別的概念の二面化的成立という考え方は、三浦つとむの考え方ではなく、小川さんのおっしゃるとおり、小川さん独自の考え方です。このページは、三浦つとむの理論的な叙述の正確な把握を目指していくとともに、三浦理論の(おそらく存在するであろう)過ちを正しく修正すること、および三浦が言及しなかった(あるいは、三浦が言及することができなかった)言語や認識に関する理論的な諸事項を解明していくこと、などを目的とするものです。ですから、小川さんの主張は、私たち三浦理論の批判的継承を目指す者にとっても、吟味するに値するものであり、また歓迎すべきものでもあります。
三浦つとむは、概念に異なる二種類が存在するとは述べていますが、個別的概念(表現主体が逐次的に認識する独自の概念)の成立する過程が同時に普遍的概念(言語規範の概念)とその個別的概念との間の対立が止揚される過程でもあって、一つの個別的概念は、不可避的にそれに対応する普遍的概念をそのうちに含む、という考え方を述べてはいません。
以下、前回引用した三浦の言葉をもう一度引用します。
〔引用開始〕:
《……だが実際には、言語規範の概念と、現実の世界から思想として形成された概念と、概念が二種類存在しているのであって、言語で表現される概念は前者のそれではなく後者のそれなのである。前者の概念は、後者の概念を表現するための言語規範を選択し聴覚表象を決定する契機として役立つだけであって、前者の概念が具体化されるわけでもなく表現されるわけでもない。概念が超感性的であることは、この二種の区別と連関を理解することを妨げて来た。言語規範の概念は、ソシュールもいうように聴覚表象と最初から不可分に連結されている。連結されなければ規範が成立しない。これに対して、表現のとき対象の認識として成立した概念は、概念が成立した後に聴覚表象が連結され、現実の音声の種類の側面にこの概念が固定されて表現が完了するのである》(『言語学と記号学』p.27〜28)(傍線は原文では傍点)(強調――川島)
〔引用終了〕
上に私が強調した部分の考え方をつなげ合せて考えてみてください。おそらく次のようになるでしょう。
普遍的概念(言語規範の概念)は、個別的概念(表現主体が逐次的に認識する独自の概念)が成立したあとに、その個別的概念の聴覚表象を決定する契機として役立つにすぎない、と。
この考え方は、明らかに、小川さんのおっしゃる個別的概念の二面化的成立の考え方とは異なる考え方です。少なくとも、上の考え方、すなわち個別的概念が成立したあとで普遍的概念がこれを媒介するという考え方から、個別的概念の成立する過程が同時に普遍的概念とその個別的概念との間の対立が止揚される過程であるという考え方が導かれるということは、常識的に考えるかぎりありえません。そして、小川さんのご指摘のとおり、三浦つとむは、個別的概念そのものの成立の具体的な過程については何も述べていないのです。ですから私は、「筆者の応答1」で引用したような三浦の叙述に従って、きわめて常識的な推測をめぐらせて、個別的概念が普遍的概念とは別のものとして形成されるという考え方を導き出したのです。

小川さんは、私と異なって、三浦の叙述とはまったく別の観点から、個別的概念の二面化的成立という独自の解釈を提出されました。問題は、この小川さんの考え方が現実の個別的概念の成立過程を相対的に正しく説明したものであるかどうか、です。次に、この問題について検討してみようと思います。

(2)個別的概念の二面化的成立と聴覚表象の連結のあり方について
●個別的概念と普遍的概念との連結の過程的構造(二重化即二面化)
 川島さんによる<三浦つとむの図式>を見ると、まず個別的概念が成立し、その後で、それに規範の規定する普遍的概念が結びついて二重化するように読みとれます。私の考えはそれとはすこし違っています。

現実の表現された言語の背後には、表現の原型として概念(=個別的概念)が存在しています。この概念は、「表現主体が逐次的に認識する独自の概念」(川島)であり、生成・消滅の過程の中にあります。

一方、それとは独立に、固定的なものとして、個別具体的な対象からは相対的に独立した、言語規範に規定された普遍的概念が存在しています。

この個別的概念と、規範の規定する普遍的概念とは、はじめは別々の二つの実体であったものが、後で一つに連結されるという形で二重化するのではなく、実は、一つの個別的概念が成立する過程が、同時に、規範の普遍的概念とその個別的概念との間の対立が止揚される過程でもあって、この過程の結果として成立する個別的概念は、それ自体がその内部に普遍的概念を含んだ構造体となることにより、普遍的概念と個別的概念との一体化が実現する。これが、二種類の概念が一つになる(=二重化する)過程の具体的な構造だと、私は考えます。

この過程は、二つのものが一つになる「二重化」の成立であるだけでなく、同時に、一つの個別的概念が直接に普遍的概念の面を持つ二面的存在になるという「二面化」の成立として見ることもできると考えます。

したがって、三浦のいう「概念の二重化」は、二重化即二面化であるという・両者の統一において把握する必要があると考えます。

このように、小川さんは、個別的概念と普遍的概念という二種類の概念が存在することは認めるのです(これは、私の解釈と小川さんの解釈の一致点です)が、個別的概念の成立する過程が同時に普遍的概念とその個別的概念との間の対立が止揚される過程でもあって、一つの個別的概念には、不可避的にそれに対応する普遍的概念がそのうちに含まれている、すなわち個別的概念は普遍的概念との二重化において成立する、そしてそれは同時に、個別的概念が直接に(同時に)普遍的概念の側面をも併せもつという、概念の二面化の成立でもある、と考えておられます。
私は、上の小川さんの叙述を読んで、いろいろと考えさせられました。私は、この問題について、ともすると、三浦つとむの叙述に固執するあまり、個別的概念と普遍的概念とを明瞭に切り離して考えすぎていたのかもしれません。
そこで、私はここに、もともと私がなぜ、「疑問1」の「個別的概念の二面化的成立」という考え方に反対していたかということを、明らかにしておこうと思います。それは、以下のような理由からでした。
※「疑問1」の考え方に私が反対した理由
@三浦つとむの著書には、個別的概念が成立したあとで、普遍的概念がその個別的概念の聴覚表象(映像)を決定する契機として役立つということが述べられていること。
A普遍的概念は、あらかじめ言語規範に規定されて存在する頭の中の一種の心的実在体であり、個別的概念とこの普遍的概念とが同じ一つの概念の二面化であるという考え方は、(無意識的に)概念が現実の世界の反映として成立するという唯物論的な考え方を否定してしまう可能性が多分にあること。
@に関しては、すでに述べたように、三浦はこのように個別的概念と普遍的概念とが明らかに別のものであるとも取れる発言をしているけれども、彼自身、実は個別的概念そのものの具体的な成立過程について何も述べていないので、今のところ私は、三浦つとむの言葉を盾にして、今回の小川さんの解釈を否定することはできません。三浦は、個別的概念の成立する具体的な過程については何も述べていないけれども、もしかすると、彼自身の頭の中には、上の小川さんのご主張と同じ考え方が存在していた可能性があるからです。
Aに関しても、今回の小川さんのご主張には当てはまらないように思われます。その理由は、以下の「個別的概念の成立から聴覚表象の連結への過程」を読めば明らかになります。以下の叙述によると、小川さんが概念が現実の世界の反映として成立するという唯物論的な考え方を否定していないことは、明らかです。
小川さんは、個別的概念が成立する過程には直接的媒介的という二通りのあり方があるということを主張され、個別的概念の媒介的な成立の場合における、その個別的概念に聴覚表象が連結される過程について、次のように述べておられます。
個別的概念の成立から聴覚表象の連結への過程
言語に表現される個別的概念が成立する過程は、概念が直接に対象から抽出されることもあれば、媒介的に抽出されることもあります。媒介的に抽出する場合、媒介するのが言語規範の普遍的概念です。
対象から個別的概念をつくりだすこの過程は、対象への問いかけと対象からの反映との往復運動的過程として存在し、その際、問いかけに用いられるのが言語規範に規定された普遍的概念です。そして、その結果として、成立した個別的概念の内部には「個別―特殊―普遍」の構造が成立します。

そしてさらに、この「個別―特殊―普遍」(個別・特殊が直接に普遍を孕む)という構造を持った個別的概念が形成されることにより実現した、二種類の概念の一体化(=二重化)を通じて、はじめに普遍的概念に連結されていた・表現のための表象が、個別的概念に結びつくことになります。
このように、小川さんは、個別的概念が成立する過程を、対象から直接に概念が形成される直接的な過程(=個別的概念の成立過程@)と、表現主体や思惟主体の対象への問いかけと対象からの反映という往復運動的過程を通して概念が形成される・媒介的な過程(=個別的概念の成立過程A)との、二通りに分けて考えておられます。
※個別的概念の成立する二通りの過程(小川さん)
・個別的概念の成立過程@―概念が直接に対象から抽出される過程。
・個別的概念の成立過程A―概念が対象から媒介的に抽出される過程。
小川さんの「個別的概念の二面化的成立」という考え方は、この個別的概念の成立過程Aのような問題構成における考え方、すなわち表現主体の対象への問いかけと対象からの反映という往復運動的過程における考え方ですので、私は、先の「『疑問1』の考え方に私が反対した理由A」をもって今回の小川さんのご主張を否定することはできないことは、明らかです。
ですから、ここから先は、私たち自身の問題です。いかにして私たちが現実の認識と言語の問題に取り組むか、いいかえれば、いかにして私たちが現実の対象と取り組んで、そこから答えを導き出すか、という問題です。
結論から先にいいますと、私は、小川さんの「個別的概念の二面化的成立」という考え方を、条件つきで認めます。
よく考えてみると、個別的概念といえども概念であるからには、それが類としての普遍的な性質を備えていることは自明のことですし、個別的概念が成立する過程において、今まさに形成されようとしているこの個別的概念に対してその普遍的な性質を付与する契機として言語規範の概念すなわち普遍的概念が関与していると考えることは、きわめて妥当な考え方のようにも思われます(もっとも、この個別的概念に普遍的概念が関与する過程は、実際には瞬時に行われていると思われますが、瞬時ではあるにしろ、純粋の個別的概念が存在しているといおうと思えばいるような気もするのですが…)。
実際、小川さんのご指摘された、『日本語はどういう言語か』p.67の三浦の言語表現の過程的構造図式を見ても、個別的概念が対象から形成される過程は、認識における言語規範の総体的な運動の中に包摂されるかたちで図示されています。
ただし、このような「個別的概念の二面化的成立」は、小川さんご自身のおっしゃるとおり、上の「個別的概念の成立過程A」の場合においてだけ、妥当するものでしょう。逆にいうと、「個別的概念の二面化的成立」は、上の「個別的概念の成立過程@」においては、当てはまりません。なぜなら、この場合、概念は対象から直接に抽出されるので、そこに表現主体や思惟主体の対象への問いかけという過程が存在しないからであり、つまりは規範の普遍的概念がこの個別的概念の成立に関与する契機が存在しないからです。
このように私は、小川さんのおっしゃるように、「個別的概念の成立過程A」の場合においてのみ、個別的概念の成立する過程にその概念としての普遍性を付与する契機として普遍的概念が不可避に関与する、それゆえ、ひとつの個別的概念の成立は直接に(同時に)個別的概念と普遍的概念との対立を止揚した概念の成立である、という考え方を支持します。もっとも、「個別的概念の二面化的成立」が「個別的概念の成立過程A」の場合だけ成立するという条件づけは、小川さんご自身がなされたことですから、私はこの小川さんの考え方にあとから賛成を表明したにすぎませんが。

(3)個別的概念の成立過程@Aについて
さて、今度は私から小川さんに質問をさせていただきたいと思います。概念が対象から直接抽出される過程、すなわち先の「個別的概念の成立過程@」は、具体的にどのような場合に該当するのでしょうか? そしてその場合は、私の把握した<概念の二重化>の図式が当てはまるのでしょうか? 
私は、「個別的概念の成立過程@」は、次のような場合に該当するものと考えています。
たとえば、ヘレン・ケラーがはじめてwaterという概念を水を触りながら認識した、というような場合です。この場合の個別的概念の成立過程は、その個別的概念の感性的な表象(water)を決定するために必要とされる普遍的概念が言語規範においてまだ十分に規定されていない段階における成立過程であり、それは、きわめて稀な・特殊な成立過程だと思われます。
また、たとえば次のような場合もこれに該当すると思われます。
《わたしたちは、ある対象を概念として認識しながらも、表現のための社会的な約束を知らなかったり、忘れたりすることがある。このときは、その対象を自分自身と一定の関係をもって存在するというありかたからとらえなおして、「あれ、なあに?」「これは誰ですか?」などと質問する。そのものズバリの概念でとらえはしたが、それを言語として表現できなかったからこそ、この質問がでてきたのである》(三浦つとむ『スターリン批判の時代』勁草書房、1983.p.110)(傍線は原文では傍点)
これも、個別的概念が対象から直接に抽出された例だと思います。なぜなら、そこに規範の普遍的概念による媒介過程が存在しないからです。それにもかかわらず、そこに対象の普遍性における認識として概念(個別的概念)が成立したことはたしかです。ですから、この場合も、概念が対象から直接に抽出されたものと見るべきでしょう。
上のヘレン・ケラーの場合は、私の<概念の二重化>の図式(つまり、<概念>→<概念/聴覚映像>という図式)が当てはまるものとは思いませんが、次の「あれ、なあに?」「これは誰ですか?」の場合は、私の図式が当てはまるものと考えています。
小川さんはどのようにお考えですか?

一方、個別的概念の成立過程Aについてですが、これは、私たちが通常、対象を認識して概念を抽出する場合のほとんどにあてはまるものでしょう。小川さんのおっしゃるように、私たちは、たとえ目の前にある事物であっても、それを頭の中で概念として思い浮かべる場合、その事物をいかにして普遍的に概念としてとりあげるかという問いかけと、その事物からの反映という往復運動的過程において個々の概念を抽出していくことが習慣化しているからです。

(4)「運用概念」と「規範概念」
私は、以上のような小川さんの問題提起をうけて、三浦つとむの著作をいろいろと読み返しているうちに、三浦が個別的概念と普遍的概念のそれぞれの成立過程の違いについて述べた、次のような叙述を再発見しました。
〔引用開始〕:
…概念は個々の事物の持っている共通した側面すなわち普遍性の反映として成立する。すでに述べて来たように、個々の事物はそれぞれ他の事物と異っていてその意味で特殊性を持っていると同時に、他の事物と共通した側面すなわち普遍性をもそなえているので、この普遍性を抽象してとりあげることができる。たとえば私の机の上に文字を記すための道具が存在するが、軸は黒いプラスチックでつくられ尖端に金属製のペンがついていて、カートリッジに入っているインクがペン先に流れ出るような構造になっている。このような道具は多くのメーカーでそれぞれ異ったかたちや材質のものを生産していて、私の持っているものにも他のものとは異った個性があるけれども、それらは共通した構造にもとずく共通した機能を持っていて、ここからこれを「万年筆」とよぶわけである。それゆえ、概念にあっては事物の特殊性についての認識はすべて超越され排除されてしまっている。だがこのことは、特殊性についての認識がもはや消滅したことを意味するものでもなければ、無視すべきだということを意味するものでもない。特殊性についての認識は概念をつくり出す過程において存在し、概念をつくり出した後にも依然として保存されている。私が「万年筆」を持っているというときのそれは、私の机の上にあるそれであって、文房具店のケースの中にあるそれではないし、もし必要とあらばその概念の背後に保存されている特殊性についての認識をもさらにそれ自体の他の側面である普遍性においてとらえかえして、「黒い」「万年筆」とか「細い」「万年筆」とか、別の概念をつけ加えてとりあげるのである。
この場合の「万年筆」は、机の上に個別的な事物として存在している。私はこの事物の普遍性を抽象して概念をつくり出したにはちがいないが、その対象とした普遍性はこの個別的な事物の一面として個別的な規定の中におかれている普遍性にすぎない。普遍性をとりあげてはいるものの、問題にしているのは個別的な事物それ自体なのである。しかしわれわれは、個別的な事物ではなく、この普遍性をそなえている事物全体を問題にすることも必要になる。このときにも同じように普遍性が抽象され概念がつくり出されるが、その普遍性はもはや個別的な規定を超えた存在としてとらえられるのであり、類としての普遍性が対象とされているのである。「万年筆はますます普及している」というときの「万年筆」は、個別的な存在ではなくて全体を問題にしている。さきの私の「万年筆」が個別的概念であるのに対して、この全体をとりあげた「万年筆」は普遍的概念あるいは一般的概念とよぶべきものである。これと同じことは、鉛筆やボールペンについても成立するのであって、「鉛筆」「ボールペン」などの概念にも、個別的な事物をとりあげた個別的概念もあれば、全体をとりあげた普遍的概念もあるわけである。(『言語過程説の展開』p.90〜92)(傍線は原文では強調か傍点)(強調――川島)
〔引用終了〕
ここで三浦は、先に小川さんが問題提起された言語表現過程や思惟に運用される二種類の個別的概念とはまた別の、表現主体や思惟主体が《普遍性をそなえている事物全体を問題にする》場合につくり出される《普遍的概念》の存在を指摘しています。
ここで三浦のいう普遍的概念(あるいは一般的概念)は、おそらく言語規範の普遍的概念からそのままスライドされて、思惟や言語表現過程や言語理解過程に運用できるものとして成立した概念だと思われますが、たしかに私たちの現実の思惟や言語表現過程を反芻してみると、そのような普遍的概念の運用ということもたしかにありうることだと思われます。たとえば、「海は青い」というきわめて抽象的な・一般的な表現における「海」という概念は、「海」という対象の普遍性そのものに重点をおいて形成され運用された概念であり、これはたしかに規範の概念からつくられた概念には違いありませんが、規範の概念そのものではありません。これは、私たちが思惟において現実に運用した概念であり、現実の言語表現の原型となった概念です。ですから、この思惟や言語表現過程に運用された普遍的概念は、規範の普遍的概念そのものではなく、両者は相対的独立において存在するものとして理解するべきでしょう。少なくとも前者は、表現主体や思惟主体が自らの意志で自由に運用できるという点で、後者の規範に規定されて存在する・ある意味規範に拘束されている普遍的概念とは、異なる概念ということができるのです。
そうしてみると、思惟や言語表現過程や言語理解過程に運用される概念には、三種類の性質の異なるものが区別されうる、ということになります。一つは、対象からの直接的な反映として成立する個別的概念であり(個別的概念の成立過程@によって抽出される概念)、一つは、表現および理解主体の対象への問いかけと対象からの反映という往復運動的過程の結果として成立する個別的概念、つまり媒介的に成立する個別的概念であり(個別的概念の成立過程Aによって抽出される概念)、一つは、言語規範の普遍的概念が規範からスライドしてつくり出された普遍的概念です。

つまり、思惟や言語表現過程や言語理解過程に運用される概念は、個別的概念だけでなく、上に三浦が指摘したような、対象の類としての普遍性に重点をおいた思惟過程において運用される普遍的概念も、その中に含まれることになります。
そうしてみると、私は、概念の区別の仕方に、次のような大まかな二大別のあり方も考えうるのではないか、と考えます。つまり、私は、上の三種類の性質の異なる概念を思惟や言語表現過程や言語理解過程に運用される概念、すなわち運用概念と呼んで一括し、言語規範において規定されている、運用概念の成立や運用に役立つ普遍的概念を規範概念と呼んでこれを運用概念と区別する、という区別の仕方もあるのではないか、と考えます。
以上の私の考えをまとめると、次のようになります。
〇運用概念―思惟や言語表現過程や言語理解過程において実際に運用される概念。それは、言語表現過程においては、表現の原型となる概念であり、言語理解過程においては、その表現の原型となった概念が表現を媒介として理解主体の頭の中に複製されたところの概念である。運用概念には、次の三種類が区別されうる。
 @対象から直接に抽出された個別的概念(個別的概念の成立過程@による概念)。
 A対象から媒介的に抽出された個別的概念(個別的概念の成立過程Aによる概念)。
 B言語規範の普遍的概念からスライドしてつくり出された普遍的概念。
〇規範概念―言語規範に規定された普遍的概念で、運用概念の成立や運用に役立てられる概念。言いかえれば、言語表現の媒介をする概念であり、表現される概念の表象を決定する契機として利用される。それ自身は観念的に対象化された意志としての概念であり、あくまでも言語規範に拘束された存在であるから、表現の原型とはなりえない。規範概念が表現の原型となるためには、これが運用概念へと転化することによってのみ可能となる。

――私の<概念の二重化>論といい、私がなぜ、このように、言語規範における普遍的概念を、そのほかの表現や思惟において運用される概念と区別したかというと、それは、言語規範における普遍的概念はあくまでも、思惟において概念の表象を決定するする契機として役立てられたり、表現される概念を表現へと媒介するのに役立てられたりするという、この概念の非創造的な側面に着目しているからです。ソシュールの言語記号論(拙著のソシュールの図式A)においては、この非創造的な概念が表現主体の用い方によっていろいろな意味を持った個別的・特殊的な「記号」として表現されるということになっていますから、このような不可知論と一線を画すために、私は、そういう非創造的な概念とは別に、表現主体が現実の世界から認識する個別的・特殊的な・あるいはまた創造的な概念が存在するのだということを、明確化しておきたかったのです。
このような私の概念の二大別の仕方に対して、小川さんはどのようにお考えですか? 


おたより、ありがとうございました。

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