ナメクジ


「なんや…もうおれ、ナメクジとして生きていかれへん…。」
 それは突然のつぶやきだった。

 つぶやいて、見る間に憔悴していく服部平次が何を考えてい
るのか、今さらながら俺には全くナゾだった。



 俺たちは、大学が同じであることを理由に、一時期は米華町
の幽霊屋敷とかいう愛称で呼ばれたこともある洋館、つまり俺
ん家でいっしょに暮らしている。

 俺たちは学部がちがうので、講義が同じになることは滅多に
ないが、昼飯と、最終講義は大抵かさなるから、この時は待ち
合わせて一緒に行動している。

 あと、まぁ、なり行きで恋人同士でもある。



 今朝も一緒に、いつもどおりの時間に目覚めて、いつもどお
りに朝食を食べて、新聞に目を通し、大学へ向かった。

 今日の昼飯の時だって、一緒に定食を食いながら、いつもど
おり講義やら事件やらの話をした。

 いつものように一緒に帰宅した時も、帰宅したあとも、あいつ
のたたく際どい軽口に、なんら変わりは無かった。

 はずだ。


 あえて言うなら今日、服部の取ってる講義で急ぎのレポート
が出されたとかで、あいつは晩飯を終えた後、ノートパソコンと
大学の図書館から借りてきた本とをリビングに持ちこみ、先刻
からめずらしく必死に、黙々と作業に打ちこんでいた。

 俺も服部ほどではないけれど期限の近いレポート課題をか
かえていたため、邪魔にならないよう少し離れたリビングテー
ブルの上で問題に集中していた。時折ソファ越しにあいつを見
たけれど、あいつは、レポートを書く合間あいまに、借りてきた
学術雑誌を読む、というようなことをやっていたように思う。



 なのにそれが突然、悲愴な表情を浮かべ、

「なんや…もうおれ、ナメクジとして生きていかれへん…。」

 と、つぶやいたんだ。

 俺の驚愕の程いかばかりか、分かってもらえようというもの
だ。

 しかし、これほどまで不可解で謎めいた言葉を聞いてしまっ
ては、もはや驚愕しているわけにもレポートなんてやってるワ
ケにもいくまい。


 工藤新一、探偵さ。


 …という反射条件のもと、俺は推理を開始することにした。


 まず、謎のナメクジだ。

 今は梅雨時期でもねぇし、第一、今日は晴天で、あいつらの
活動の妨げにこそなれ、活発化には到底及ばない天候だった
よな。

 服部が生物とか農学部とかだったら、その講義中に扱われ
た可能性もあるけど、あいつは理Vだ。学部が違いすぎる。


 …どう考えても、ナメクジはかかわっていねぇよなぁ…。


 …まさか。


 あいつハットリヘイジは、実は世を忍ぶ仮の姿で、
 ほんとうはハットリナメクジだったとでも言うのか?!


 いや、いくら何でもそれは。

 恋人がナメクジって話、聞いたことあるけどそれは確か漫画
だろ。

 じゃあどうしてあんな風に悲愴…


「…使い捨て…なんや…。」


 そう悲愴感漂わせて、って、今度は『使い捨て』だぁ?

 な、なんなんだ?










 これ以上悲しい話はない、俺はナメクジとして生きていかれ
へん。

 そりゃ、最初は羨ましいと思たけど、あかん。

 考えが甘かったんや。



 実は今日、レポートのために借りてきた雑誌を調べとったら、
その中に「バナナナメクジ」っちゅう生物のことが載っとって、課
題には全く関係あらへんページやったんやけど、借りたついで
に読んでたんや。

 そしたら、まぁ、ナメクジは海で這ってるウミウシっちゅうのの
家系らしいんやけど、そのバナナナメクジは、交尾に24時間丸
一日かけるのが特徴なんやて。24時間ずっと、なんて、なんて
羨ましい…!工藤も見習ってほしいわ〜。暑苦しいとかなんと
か言うて、いっつもつれないんやからなぁ〜。おおっと、あか
ん、夢見てしもた。
 で、このナメクジのオスが、ガキはよう見つかるけれど大人
なんはこれまで見つからへんかった。メスはそんなコトないの
んに、それは何でか、っちゅう内容のことが論じられていたん
や。

 サラサウミウシという種に関して言うと、これまでの研究で、
個体をオスかメスか見分けるには、精器の有無つまりムスコ
が居るか居らんかを見ればええらしい。
 で、これまで、体の小ッさい子供のオスメスと、デカイ大人の
メスしか発見されてなくて、大人のオスが居らん。子を残したら
すぐに死んでまうんやろか?でも大人のオスの死体もなかな
か発見されない。
 とするとこれは謎や。何故かっちゅうと、死体ならメスもオス
も同じだけあるのが普通やし、オスのほうがすぐ死んでしまう
んやったらメスの死体よりオスのそれのほうが多く発見されな
あかんやろ?

 では、大人のオスはどこに行ったんか?





 それは、衝撃の事実やった。
 この発見を述べるのは、俺にはめっちゃしんどい。





 実は、オスは特別短命ではないし、どこかへ消えたりもして
へんかったんや。










 つまり、サラサウミウシは、コトの後1時間するとムスコが勝
手に切り落とされるそうなんや…。
 せやから、大人のオスが見つからんのは、オスが居てへん
のやのうて、メスやと見てたやつのなかに手負いのオスが含
まれとったからなんや。

 しかも、この驚くべき研究結果から導かれた新たな発見が、
さらに俺を震撼させた。 

 バナナナメクジ、そう、24時間頑張っとるちゅうやつら、あい
つらに関して言えば、大人のオスが見つからへんのは、終わ
った後に相手に、食いちぎられるせいなんや、と。


「なんや…もうおれ、ナメクジとして生きていかれへん…。」


 彼らの過酷な運命を思うと、俺は、レポートのタイムリミットな
どどうでもようなった。
 あんなしんどい困難に俺は、敢然と立ち向かって工藤と付き
あえるやろか?
 そりゃどんな困難も乗り越えて愛を貫き通す気はめっちゃあ
るで?
 けど、もし、このナメクジとして人生を歩んだ場合………つま
りその俺は…。


「…使い捨て…なんや…。」


 もう、何も考えられへん。
 俺はあまりの衝撃的発見に、気分はすっかり消沈、いやそ
んなもんやない、撃沈、してしもた。










 服部が静かだ。
 いや、あいつはいつもいつも騒がしいし、たまに静かなのは
結構なのだが。
 さっきからワケのわからねぇ独り言をとなえるし、一度は本気
でナメクジのことを思い悩んでいるのかと思ったけど…今度は
あいつがあまりにうなだれているんで、これはきっと、よっぽど
悲しいことがレポート題材にあがったのだろう、という推理に思
い至った。こころ優しい俺は、服部を元気づけてやるためこう声
をかけてやった。


「良いじゃねぇか、使い捨てなら、新しいナメクジに取りかえり
ゃあいいハナシだろぉ?」


 そう言ったら服部の奴、読んでた雑誌を手からばさりと落とし
て、机に突っ伏した。



 そうかそうか、よっぽど悲しかったんだなぁ〜。


 俺はそのまま、意気消沈しているらしい服部を、恋人らしく温
かく見守ることにした。







 ……もぉ、立ち直れへんわ……





fin

06'02.21
駄文目次
He/Si目次

「推理で相手を追い詰めたらあかんて、言うてたやないか工藤
ぉ〜。」

内容は立ち読み程度で多分にうろ覚えです。
「バナナナメクジ」という衝撃的な名前だけは確実です。

 …大変失礼致しました。(平謝り)