
評論
脳考1.〜脳の研究(スーザン・グリーンフィー
ルド)意識の謎〜
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いつか他のテーマで詳しく申し上げるつもりだが、
私はある理由で脳に関する研究に興味を持った。
催眠術とか心霊現象とか、人の(特に、不思議・魅
力的という範疇で)興味をそそって、存在しないで
たらめを信じ込ませる、非科学的で納得できないも
のは、私は大嫌いで近づきたくない。新興宗教な
どはその頂点である。もしそんなものにはまってい
るなら、今すぐお辞めになるよう勧める。百害あっ
て一利なしです。
でも、私たち人間は、たとえば落ち込んだ時、何か
心のよりどころとなる何かを信じたくなるかもしれな
い。
たとえば大好きなこと・もの・人など、あることを考
えれば今の(今後のとか、コレまでの、でもいい)
つらいことを乗り越えられる、という、信じられない
能力がある。と、思っている。
私が興味を持つのは、この、信じられない能力、何
かを信じ込んで疑わないその人間の思考だ。
思考は、意識ともいえるかもしれない。
いま、この文章を書いている(読んでいる)この意
識が、考える心が、不思議なのだ。
人はその体内のどこにこの意識があるのだろう
か?
心は胸にある、という考えは現在の科学において
は成立しない。心臓は血液を体内にめぐらせるポ
ンプという役割しか担当していない。ものを考えは
しない。胸に心は無い。
ではどこにあるのか?
そう、脳にある。
脳は、有名な事としては、しわがあり、神経の中枢
であるとか、精神活動の中心だとか言われてい
る。頭蓋骨の内部にある、なにやら触ってはいけな
い臓器である、というイメージがおありではないだ
ろうか。
実際脳を見てみると、しわというより溝と思ったほう
が良いが、表面は滑らかではなく、重さはおよそ1.
3Kgほど両手で掬えるくらい、クリーム色をしてい
て、硬さは、ぷよぷよ。らしい。
どのようなものでも神経は体中の様々な経路を通
って、最終的にはこの脳につながっている。
神経から取り入れた情報は、神経を介して一度脳
に送って、その入力情報から体を次の瞬間どう動
かすか、などを脳の、とくに表面の部分が判断し
て、実際に体を動かしたりする。動くことに関して
は、脳のうち、頭のてっぺんの部分の表面で、動く
準備や動くかどうかの判断をしている。その部分
は、「頭頂葉」、表面の場所を「運動野」と、脳科学
では言っている。
ここで考えたいのは、私たちは、
動きたくて動いているのか、
それとも脳が先に判断して私たちを動くよう仕向け
ているのか?
ということだ。
もっと言うと、
前者は、意識的な決定が先なのか、
後者は、無意識的な決定が先なのか、
ということだ。
これまでの脳研究で分かっていることだけ述べれ
ば、後者が正しい。
つまり自分が意識して動こうと思ってから、動きを
判断する運動野が判断を始めるのではない。
先に、脳表面の運動野が準備を始め、そのあとか
ら遅れて、さあ動こう、と思うのだ。
つまり、何かをしたい、と思うより先に、もう運動を
つかさどる脳の表面が動く決断をしていて、自分の
体が動きたがっていることを私たちは後から気づく
だけなのだという。
これが意味することは何か?
途方も無くおおきい、と、スーザングリーンフィール
ドは言うが、その通りであると私も思う。
「何かをしよう」、と思う意識は、実はもう脳の表面
で既に「何かしよう」と決めていた後に思うのだとし
たら?
私たちの意識、は全く持って自由ではないのだと、
言える。
今この瞬間意識している「私」という感覚は、脳に
潜む潜在意識とでも言おうか、そんなものの支配
下に置かれているのだ。
たとえばあなたが今、この画面をスクロールしてこ
れよりしたの文章を読み進めようと、マウスに手を
伸ばしたとする。
「読み進めたいと判断した」ことも、
「マウスに手を動かすため筋肉を動かした」ことも、
実は、先に、脳の表面、運動野が筋肉を動かす準
備をしていて、その準備した状態にあなたが突き
動かされて(気づいて)、「読み進めるためマウスを
動かそう」、という気分になったのだ。
こんなふうに、私たち人間の行動の、もっというと
行動を決断している意識の全てが、実はそうした
いから行動するのではなくて、脳の支配下に置か
れているということを認めるとする。
ならば、いま脳が正しく機能していない人は、いま
脳が正しく機能している人とおんなじ意識は持てな
い、ということになるのではないだろうか?
人を傷つけた犯罪者に、
「人を傷つけることはいけないことだ。」
と諭しても、もしも、その犯罪者の脳内に異常な箇
所があって、正常な人と同じ考えをする脳の回路を
持っていなかった・もしくは損傷していたとしたら?
おそらく、
「人を傷つけることはいけないことだ。」
こんな簡単な言葉すら、理解できない可能性は充
分ある。
普通ならそう「思う」脳の回路自体、所有していな
いのだから。
脳が判断するのは、脳の中の回路(つまり中身)を
道具にするしかないのに、その脳の中に回路異常
があれば、判断しようにも出来ない。
この場合の犯人は、「悪意があって人を傷つけた」
のではない。
その(脳に通常誰しもあるはずの回路がない)人
は、「悪意は無い」のだ。
ただ、釣りをするような感覚で、釣りではなく傷害
事件を引き起こしてしまっただけなのだ。
私は犯人をかばいたいのではない。
「人を傷つけることはいけないことだ。」
ということは、心から賛成する。理解しているつもり
だ。
悪意があって人を傷つけることは、犯罪だ。
ただ、万人に
「人を傷つけることはいけないと思う」
はずの心が存在しているのではなく、
ほんのひとにぎりの人に、
生まれつきもしくは病気や事故で脳を損傷するな
どして脳の造り(器質という)に異常をきたしている
人の、悪意は全く無い、
「人を傷つけることはいけないとは思えない」
心もあるということだ。
だから、どんなに根気強く
「人を傷つけることはいけないことだ。」
と教えても、脳が異形であるがゆえに、ソレを理解
する回路が無い場合、教えても無駄なのではない
だろうか。
ひど人間だと思われても仕方ないが、これを解決
するためには、脳のその異形の脳の回路を外科手
術で取り除くなり、正しい(と思われる)回路を脳に
埋め込む必要が、あるのではないのか?
そうしないかぎり、その犯罪者は、
「人を傷つけることはいけないことだ。」
と思うことが出来ないのだから。
これまでは人の心の分かる優しかった人間が、外
傷によって脳の回路の形が変わってしまって、そ
の日から突然、些細なことで家族を脅かすほどの
大声を上げてわめく、心無い人間になってしまうこ
とがある。
でも、本人はそれが(家族を傷つけていることが)、
多分、全く分からなくなってしまったのだと思う。
分からないのなら、本人がその行為を直すことは
出来ないし、家族も、必死で本人に訴えてもなん
の解決にもならない。
お互い正しい意思疎通がはかれない状況は、本
当につらい。
家族が努力すれば相手に伝わる、という言葉は、
このケースに関して言えば絶対、叶わない。伝わ
ることが、出来ない頭の回路構造になってしまった
のだから。
今現在、救急医療は、医師や救急隊員、看護士な
どの努力によって、目覚しい成果を上げている。
10年前だったら、生き延びることが出来ないだろう
と諦められていた頭部外傷などのひどい怪我を負
った人も、今は助かる可能性が高い。
ただし助かっても、頭の中の回路はぐちゃぐちゃで
あろう。
無事、もとのように動けるようになっても、その後人
格が別人のようになる可能性が、年々高くなって
いるはずだ。
見えない脳(機能)の損傷を、見えないからといっ
て無視しては、頭の中の回路がぐちゃぐちゃになっ
てしまっている廃人を社会にむやみに増やすだけ
だ。
今世紀、バイオロジーやナノテク、IT、宇宙開発な
ど、皆が研究し解明・開発していく分野は華やか
だ。
しかし、華やかでなくても、取り組んでいかねばな
らない問題が、脳科学だと思う。
廃人は、私の家族だけで、充分だ。
彼によって苦しむのは、私だけで、終わりにして欲
しい。
2006年2月1日
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