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日珪記2010年9月

2010年9月18日
ありがたい・・・!
 ようやく猛暑が収束し、やっと秋らしい空気が感じられます。・・・とかいって来週以降に猛暑がぶり返したらどうしよう・・・それは勘弁してほしい・・・。

 今週はですね、ウレシイコトとザンネンナコトがありました。

 ザンネンナコトは、このところ10月がどうのと言ってた件で。ちょっと長い平新漫画的なものを描く準備をしていたんですが、別の機会になりそうです。ただ、このところ仕事にかかりきりで、正直、満足するものを間に合わせられるかな、と、心配していたので、ちょっと、安堵してま・・・(ゴメンナサイ!)。
 でも、この機会に、これまであまり力を入れられなかった、漫画を描くツールについての勉強ができたので、今後はサイト作品に漫画という選択肢も入れられそうです。(これはR様の貴重な情報提供と、F様の応援のおかげです!!)

 ウレシイコトは、このところ繰り返し日記で取り上げている、映画「ヒックとドラゴン」について。

 この映画、CGアニメだとか子供向けだということは抜きで、個人的には作品としてかなり素晴らしいと思うのですが、日本ではどうしても人気が出ず、悲しいくらい各映画館の上映終了が続いています。ううう、ほんとに多くの人に観てもらいたい。いいものはいい。大切なことは、コレだった。この映画全部を指してます。だからこそ、当日記で書き続けています。観て、失敗した、と思う人がいるかもしれないけれど、それは寛大な心で許していただきたく・・・(ごめんなさい)。

 さて、このほどヴェネチア映画祭3D部門で、「ヒックとドラゴン」はあの「アバター」と同点でグランプリを取ったとのこと。それを受けて、各地の映画館で凱旋上映が決まっているそうです。とはいえ、上映館数はいまのところ少ないですが、これが増加してくれることを祈って。ヴェネチアの結果はつまり、「3D作品の」評価が良かった、ということなのですが、それだけではないと、私は感じています。


 平新サイトなのに平新でないものにこんなに時間ついやすのは、それでも大切な作品だと思うからなのです。相手を思いやる優しさと、その大切さが、単純に、でも非常によく伝わる作品。
(おそらくこの映画のテーマのひとつではないかと思われる、「相手を思いやる優しさ」という点では、新ちゃんと平次さんの原作関係と通じるものがあると感じます(というか、平次さんが新ちゃんに対してとる態度、かな))。

 だから、すこしでもこの映画が評価されることが、とてもウレシイコトなのです。ありがたい。うちの近くの映画館は、なんとか今週まで上映してくれて、終了日に行ってきたのですが、その日お客は席の半分くらいでした。エンディングが流れてすぐ席を立って、観客のほうをちらと観ると、皆さん最後まで観てくれるのか誰一人席をたたなくて(・・・私サイテーだな・・・)、涙する人もいて。



 司馬遼太郎の本で、歴史小説ではないのですが、「未来をつくる君たちへ」という作品があります。この本を読んだのは数年前で内容うろ覚えなのですが、確か司馬先生はこの本で、次の世代を担う人たちにただひとつ願うこと、それは「相手を思いやる気持ちを忘れないでほしい」ことだと言っていたように記憶しています。たしか、人の痛みを感じていたわれること・優しいことは、弱いことじゃない、とも、書かれていたような。この心を失くすと、身近な人たちは、日本は、世界は、争いが絶えなくなり、不幸を生み出す、と仰いたかったのかなと、自分なりに考えたのですが。

 相手を思いやるというのは、意外に難しい。仲のよい人であるなら分かり合いやすいだろうが(仲がよくても上っ面だけ、というのがあるかもしれないけど・・・)、意見を異にする者同士では敵対心は生まれやすくても分かり合おうとする心は生まれにくい。
 意見を異にするのは間違ったことじゃない、と思う。すべて同じ意見にしなければ、というのではない。それぞれの立場や思いがあって、だからこそ世界はさまざまな人たちが、生き物がいて、同じ地球で短い時間を生きる。
 しかし、分かり合えなければ、どうするか?おそらく、そういう相手を排除する方向に力学が働きやすい(無視するということもあるが)。わずかなこの力で、いとも簡単にいがみあいが生まれる。いがみあいは、争いを生む。意を異にする相手を排除するまで続く。争いは何も生み出さない。

 この負の連鎖である争いを止める方法は、その言葉のいちばん対極にあるであろう「相手を思いやること」「優しさ」「分かり合うこと」があるのではないかと思う。
 私は、同年代の人の平均よりもちょっと、いわゆる人間関係上の「負の連鎖」を多く見てきたようなのだが、と言っても直接自分が巻き込まれたのではないが、そのときは黙って傍観するしかなかった。何もしなかったわけではないけれど、どう対処したら良いのか、自信も力もなかったから、非力だった。何もできなかったのと同じだ。そして失ったものは、少ないかもしれないけれど、重かった。どうすれば助けられたのか。

 その答えを、見せてくれる映画だったと思う。
 これは経験上、そう評価するのであって、そう思わないかたもいるであろうことは、重々承知しています。



 物語から真っ直ぐ伝わってくる、分かり合うことの大切さというメッセージ。優しさは弱さじゃない。いがみあっている状況を、世界を、良い方向に変える大きな力になるかもしれない。

 ただし、状況を変えた後の方法は、想像するしかありません。みなが分かり合おうと向き合ったとき、その後はどうしたら良いのだろうか。それぞれの状況に応じて考えねばならないのかのしれない。
 「草創と守文いずれか難き」という言葉に答えが無いように、悪い状況を打破することと、その後良い状態で保ち続けることとは、それぞれが違った難しさがあり、どちらがより難しいと言いきれない。
 これについては、映画次回作に描かれるかもしれないし、描かれないかもしれない。それも踏まえて。


 しつこいですが、とってもよい映画です。2Dも3Dも、それぞれに素晴らしい出来です。



2010年9月6日
3Dもスバラシイ
 鎮魂歌他平新映画以外、同じ映画を再度映画館に見に行くというのは、人生で初めてです(それだけこれまで映画に関心がなかったということですがね・・・)。

 てことで、映画「ヒックとドラゴン」、しかも3D版をですね、見ました。2Dで見てるとき、自然と、これを3Dで見たらどれだけ綺麗だろう、と思ってたのですが、何せ私がこの作品をはじめて見たのは8月末、のきなみ3D放映してくれる映画館が減少してまして・・・。でもまだ3D放映やってくれてる映画館が見つかったので、先日会社の帰りに観てきたのです。
 この映画、アバターの凝った自然の美しさ(蛍光カラーで幻想的な植物の世界を多用している)にはどうしても及ばないですが、純粋な自然の美しさや、主人公とドラゴンの飛行場面のスピード感が、まことに素晴らしいです。何でも3Dにしがちな昨今の映画ですが、そして3Dにしなくてもよかったんじゃないかと感じてしまうこともある昨今の映画ですが、この作品に関してはそんなこと全然感じませんでした。その世界観にふさわしい。3Dで良く作ってくれた、と、初めて思ったくらいで(言いすぎかな^^;でも、3Dで観る価値は間違いなくある)。そして文句のつけようのない物語のみごとさ。真っ直ぐ伝わってくる、分かり合うことの大切さというメッセージ。ラストに主人公が背負う重い運命。すべてが相まって、二度見なのに感動はひとつも衰えず。

 例えば仲たがいとか、戦争とか、いじめとか、負の感情が心を埋め尽くす状況が世の中にはたくさんある。嫌なことがあったら、ソレを忘れてただただ自分が楽しいことを考えろ、とか言うけれど、それは、ある場面では無責任なアドバイスだとおもう。その問題に向き合わないで無視することは、場合によってはその問題が発生した根本が何なのか、まったくわからないからだ。何もわからないから、解決策は無いに等しい。すると、その問題は延々解決(進展)することは無い。
 その中で、解決に導いてくれるものは、お互いをわかり合おうとすること。相手に抱いたその負の感情を取り去ることだ。いがみ合っていて、何のいいことがあるというのだろう。あ、政治家や官僚がやっているような、我が身かわいさに組織(自国)をだめにするような馬鹿なことばかりやってるのは、憎むべきですよ。犯罪も憎むべき。そういうことでないトコで、悪感情を取り去るということで。
 お互いをわかり合おうとするのは、その人の持つ優しさゆえにできるのだと思う。相手を思いやること。人が持つ能力で、一番素晴らしい能力のひとつだと思う。いや、人だけでなく、他の生き物でも、相手を思いやる行動をするものがいる。
 話がずれるが、先日(7月ごろかな)、庭に蝶々が一頭(確か蝶々は一頭二頭って数えるんだったような・・・)ひらひらと飛んでいた。しかしその蝶々は、その場を動かないので、私は気になってその蝶を見ていた。すると、向こうのほうから、すぐ近くにもう一頭蝶が飛んできた。そのまま二頭で並んで飛びはじめたので、この二頭はつがいなのだと解った。しかし、しばらく見ていると、一頭の飛び方に元気がなくなり、そのままひらひらと力なく地面に落ちてしまった。すこしするとまたひらりと飛ぶのだが、また落ちる。きっとその蝶は、もう寿命が近かったのだろう。そのうち、芝生の上に落ちたまま、飛びたてなくなったようだった。その蝶は、その後芝生の上ですこし羽ばたいていたけれど、もう力が尽きているらしく、自力で体を起こすこともできないようだった。私は、ああ、この蝶はそのうち力尽きて蟻さんに連れて行かれてしまうのだろうな、などと、後から思えば叱責したくなるようなことを考えていた。
 その時、ひらひらと、もう一頭のほうの蝶が、芝生に落ちた蝶の近くに舞い降りてきて、そのまま近くで羽ばたいた。すると、元気の無かった蝶がふわりと舞い上がった。また二頭で飛んだのである。しかし一緒に飛んだのは極短い間だった。また力なく落ちていってしまう蝶。すると、また、もう片方の蝶が、同じことをしたのだ。はじめは偶然かと思ったが、さらに二度三度、同じことを繰り返すので、やっとわかった。もう少しで力尽きてしまう相手を見捨てず、元気を出して一緒に飛ぼうと、励ましていたのだ。もちろん、励ましていたと断定できるわけではない。けれど、そう見えた。何故だか泣けた。健気(けなげ)とでも言おうか。明らかに相手を思う行動だった。
 彼らは、それを繰り返しながらやぶのほうに飛んでいってしまったので、その後どうなったかは知らない。

 話がずれたので戻すが、相手を思いやる優しさは、お互いを分かり合う架け橋になる。それはある意味、問題に向き合う強さにもなる。それが確かなきっかけになって、解決できなかった問題を、良いほうへ向かわせる機動力にもなるだろう。不満やいがみ合いは、何も生み出さない。何も解決しない。むしろ失うものが多くなる。

 いろいろ考えさせられる映画でした。考えなくても、全然感動できましたけど。

 そして思い出すのは、探偵甲子園。平次さんが、野蛮だの何だのと、他の探偵達から文句を言われているとき。「おれ、間違っとるやろか」と気落ち気味の平次さんを、「ぜんぜん」と、自信満々に言ってのけてくれた新ちゃん。出会った頃は、ライバル視しかしてなかったのに、いつの間にこんなやり取りをできるまで仲を深めてくれたのかと、当時すげー感動したんですよ・・・。感動するツボは、分かり合ってるってことだったんだなー、と、いまさらながら再確認です!


2010年9月4日
相棒
 有名なテレ朝の刑事ドラマ、ではありません。人間関係をあらわす言葉としての「相棒」です。

 いい言葉。
 友情より深くて、でも男女の「愛情」とはちがう。
 心が、共にある、みたいな。たとえ体が離れていても。一緒にいても。
 ある意味、依存関係でもない。共に独立してて、それぞれの力をそれぞれの場所で発揮して、結果的に相乗効果をもたらす。共存関係とでも言えるか。
 依存ではないけれど、心を預けられる。心が強く結びついている。
 強い信頼感。

 新ちゃんと平次さんの関係については、いわゆる「平新」というくくりとは別に、そういうイメージがあります(平新ダイスキですけれどね!)。
 新ちゃんにできないことがあれば、平次がそれをフォローすることができる。
 平次にできないことがあれば、新ちゃんがフォローできる。

 ・・・うーん、文才がないので、うまく言い表せないのですが。
二人がいて、「お前がいるからこの難局をのりこえられる」みたいな、強くなれる結びつき、というか。

 ひさしぶりにいたく感動してしまった映画「ヒックとドラゴン」を見て(「鎮魂歌」「追跡者」「難破船」「十字路」なんかも同レベルで感動してますが)、新ちゃんと平次さんを思い浮かべるあたり、わたしもイロイロ末期だなー、と・・・納得しました(^^;)。