〜田園の出来事 (村のひと月)〜


村のひと月 <戯曲> イワン・セルゲーエヴィッチ・ツルゲーネフ/作 (1855年発表、1872年初演)
田園の出来事
"A Month in the Country"
バレエ フレデリック・アシュトン/作 (1976年)

HOME

ストーリー辞典に戻る



<登場人物>


アルカーディ・セルゲイッチ・イスラーエフ ナターリヤの夫。裕福な地主。36才。
ナターリヤ・ペトローヴナ 優雅な人妻。29才。
コーリャ イスラーエフとナターリヤの息子。10才。
ヴェーラ・アレクサンドロブナ イスラーエフ家の養女。17才。
アンナ・セミョーノヴナ・イスラーエワ (※) イスラーエフの母。58才。
リザヴェータ・ボグダーノヴナ (※) アンナ・セミョーノヴナの話し相手、37才。
シャーフ (※) ドイツ人の家庭教師、45才。
ミハイロ・アレクサンドロヴィッチ・ラキーチン この家の同居人、イスラーエフの親友でナターリアの賛美者。30才。
アレクセイ・ニコライッチ・ベリャーエフ 大学生、コーリャの家庭教師。21才。
アファナーシイ・イワーノヴィッチ・ポリシンツォーフ(※) 隣村の地主。48才。ヴェーラの求婚者。
イグナーチィ・イリーチ・シュピーゲルスキイ (※) 医者。40才。
マトヴェイ 従僕。40才。
カーチャ 小間使。20才。

※ (※)印の人物はバレエには登場しません。



<あらすじ>



〜ツルゲーネフの戯曲「村のひと月」〜


 ナターリヤは、裕福な地方地主の夫イスラーエフとその母アンナ、10才になる息子のコーリャ、17才の養女ヴェーラと穏やかな日々を送っていた。イスラーエフの親友ラキーチンも4年前からこの家に同居している。教養高いインテリではあるが優柔不断で無気力なラキーチンは、ナターリヤを愛しており、いつかは彼女を我が物に、と思うのではあるが、静かな友情以上のものは勝ち取ってはいなかった。穏やかな倦怠の中でその状態に甘んじてナターリヤの側に侍るラキーチンは、イスラーエフの目にも危険な存在とは映らず、イスラーエフもラキーチンを信用してナターリヤを委ねていた。
 そこへコーリャの新しい家庭教師として、大学生のベリャーエフがやって来た。若く精悍なベリャーエフは、内心では倦怠感に喘いでいたナターリヤの心をたちまちとらえてしまった。またヴェーラも彼に夢中になった。
 身分も教養も格上のナターリヤを恐れるベリャーエフは、彼女の前ではぎこちない態度をとるばかりだったが、年の近いヴェーラとはすぐに親しくなった。そんな若い2人を見たナターリヤは次第に嫉妬にとりつかれて行った。
 ラキーチンはナターリヤの心の機微を敏感に感じ取り、自分の存在意義がなくなって行く事に焦りつつ、事の成り行きをじっと見守っていた。一方、イスラーエフはいつもの通りに農場経営に忙しく、何も気がついていなかった。
 そこへ出入りの医者によってヴェーラに縁談が持ち込まれた。愚鈍な中年男が相手であるにもかかわらず、ライバルを退けたい気持を抑えられなくなったナターリヤは、ヴェーラにその縁談をもちかけた。そして無防備で純真なヴェーラを誘導尋問にかけ、彼女がベリャーエフに恋をしている事を突き止めた。
 すると今度は、ヴェーラとベリャーエフはお互いに愛し合っているのではないか…という疑いがナターリヤの心を苦しめ始めた。ナターリヤはベリャーエフを呼び出し、ヴェーラの保護者の仮面をつけて、彼のヴェーラへの気持を聞きだした。ベリャーエフはヴェーラを愛してはいなかった。
 ようやくほっとしたナターリヤは少し落ち着きを取り戻したが、ナターリヤの心ない行動に反発したヴェーラは、ナターリヤがベリャーエフに恋している事、嫉妬から自分を誘導尋問にかけて心をふみにじった事をベリャーエフに暴露してしまった。
  このままではベリャーエフに軽蔑されてしまう…。ナターリヤは、自分がベリャーエフを愛している事、ヴェーラに嫉妬し、小細工を弄した事を正直にベリャーエフに話し、姑息な小細工を詫びた。そのナターリヤの素直な態度に、今までベリャーエフとナターリヤの間にあった壁が取り除かれ、ベリャーエフもまた自分の素直な気持をナターリヤに語った。彼もまたナターリヤに惹かれていたのだった。もっと早くお互いの気持がわかっていたらこんな事にはならなかっただろうに…2人は悔やみながらも寄り添った。
 しかしその場へラキーチンが現れ、我に返ったベリャーエフは部屋を出て行った。ラキーチンはベリャーエフとナターリヤの間に起こった事についてナターリヤと話をしたが、そこへイスラーエフがやって来た。そして2人のただならぬ雰囲気から、二人の間に何かが起こったのだと勘違いした。
 さすがに放っておけなくなったイスラーエフはラキーチンと話し合いを持つ事にした。しかしイスラーエフは本当のところはさっぱりわかっておらず、いつの間にかナターリヤとラキーチンの関係が危険なものに変化したのだと勘違いしていた。 
 どうせ真実を話してもイスラーエフには理解できないだろうし、話したところですでに自分の居場所も意義もとうに失われている。ラキーチンは誤解はそのままにしておき、イスラーエフの家を出る事にした。またラキーチンは本当の解決のため、ベリャーエフと、イスラーエフ家に起こっている騒動について話をし、その結果、ベリャーエフもまたイスラーエフ家を出る決心をした。
 そしてベリャーエフはナターリヤに別れを告げる事なく去って行った。これですべては終わった。…すっかり取り乱して嘆くナターリヤ。そのナターリヤに別れのあいさつをしても返事すら返って来ず、乾いた思いを抱いて去って行くラキーチン。ベリャーエフの愛を勝ち得たナターリヤとは一日でも一緒にいる事が我慢できず、不本意な縁談を受け入れて家を出る決心をしたヴェーラ。そして勘違いをしたまま、なぜベリャーエフまで出て行くのかわからずに混乱するイスラーエフ。取り残されて呆然とするアンナ…。
(終わり)


〜アシュトンのバレエ「田園の出来事」〜


 裕福な地方地主イスラーエフの妻ナターリヤは、善良な夫、息子のコーリヤ、養女のヴェーラと共に穏やかな日々を送っていた。同居している夫の親友ラキーチンはナターリヤを愛しているのだが、教養高く優しくはあってもどこか無気力なラキーチンは、ナターリヤの心をとらえるには至っていなかった。ただナターリヤの賛美者として彼女にかしづき、友情とも言うべき静かな愛情を勝ち得ているのみであった。イスラーエフもナターリヤとラキーチンの関係を安全なものと思っており、公認していた。
 そこへコーリャの新しい家庭教師、大学生のベリャーエフがやって来た。洗練されてはいないが、生き生きとしていて若い男性らしい魅力を持つベリャーエフは、たちまちイスラーエフ家の女たちの心を…恋も知らずにイスラーエフに嫁ぎ、妻そして母となったナターリヤの心さえも…とらえてしまった。
 はじめて知る恋のときめきや苦しさに戸惑うナターリヤ。しかし人がよく、農場の仕事で忙しいイスラーエフは何も気がつかない。一方、ナターリヤの変化に気づいたラキーチンは、ナターリヤの好意を失うまいとして、2人の間にあった静かな愛情を確認しようとするが、もはやラキーチンの姿はナターリアの目には入らなかった。その上あろうことか、ベリャーエフへの恋心を告白されてしまう有様だった。
 若いヴェーラは屈託なくベリャーエフについて回り、彼への愛を伝えようとした。しかしベリャーエフにとってヴェーラは妹のような存在にすぎず、ベリャーエフの心をとらえたのは、ナターリヤだった
 しかしヴェーラがあまりに人なつこくまつわりつくので、彼女を傷つけないように優しく相手をしているところへナターリヤがやって来た。
 若い二人の親しい様を目撃し、養女の監督者というよりも嫉妬に理性を狂わされたナターリヤは、ヴェーラを問い詰めた末に、ベリャーエフが好きだと言うヴェーラの頬を、思わずひっぱたいてしまった。
 ヴェーラとの仲を誤解されたベリャーエフは自分の恋心をナターリヤに伝えた。拒否しなければならない事はわかっていても、本能的にベリャーエフの愛を受け入れてしまうナターリヤ。しかしその場面をヴェーラに目撃されてしまった。ヴェーラは嫉妬とナターリヤへの反発からみんなを呼び集め、公然と2人の仲を吹聴した。一同は騒然となるが、ナターリヤは何とかその場をうまく収めた。
 しかし一度波立ったイスラーエフ家はもう元には戻れない。ラキーチンにはもうこの家にいる意義も居場所もない。そして何よりベリャーエフはここにいてはいけないのである。ベリャーエフはラキーチンと共にイスラーエフ家から去った。
 手が届いたと思うやその手からこぼれ落ちてしまった大切な恋。震える想いと絶望的な喪失感を胸に、ナターリヤはそっとベリャーエフが去って行く足音を聞いていた。
(終わり)




<詳しい物語>


〜ツルゲーネフの戯曲「村のひと月」〜


第一幕


 イスラーエフ家の居間では、アンナ・セミョーノヴナが話し相手のリザヴェータやドイツ人家庭教師シャーフとカード遊びに興じている。ナターリヤは長椅子に腰掛けて刺繍をし、その側には彼女の賛美者であり夫の親友であるラキーチンが侍っている。いつもの平和な光景に見えるが、ここしばらく、何かがいつもと違っていた。
 勘の鈍いナターリヤの夫イスラーエフはともかく、いつもナターリヤに細心の注意を払っているラキーチンはすでに気がついていた。ここのところナターリヤは気分が不安定で、突然イライラしたり、やけにラキーチンに食ってかかったりするのだ。
 そこへナターリヤの息子で10才になるコーリャ、養女で17才のヴェーラが頬を真っ赤にしてはしゃぎながら現れた。コーリャは手に弓と矢を持っており、それは暑中休暇中のロシア語家庭教師、ベリャーエフが作ってくれたものだ。
 大学生のベリャーエフは、手先も器用だし、木登りをしてリスを追い立てたり、泳いだり、牛の背中に飛び乗ったり、野育ちの身体性を持った自然児である。今度は凧を作ってくれるんだよ、とコーリャもヴェーラも彼に夢中になっている。
 後からベリャーエフもやって来た。しかし彼はナターリヤの前ではほとんど口をきく事もなく、何とも居心地が悪そうだった。
 4年前から親友イスラーエフの家に同居しているラキーチンは、心の底からナターリヤを愛しており、彼女の側に侍って暮らしている。教養が高く優しくはあっても優柔不断で無気力なラキーチンは、ナターリヤの友情とも言うべき静かな愛情を勝ち取ってはいても、その心をとらえるまでには至っていない。それはイスラーエフもよくわかっており、二人の仲のよさを公認していた。
 しかし心の中では、いつかはナターリヤと危険な関係になりたい、とラキーチンは願っているのである。もちろん、農場経営に夢中で勘の鈍いイスラーエフはそんなラキーチンの本心など知るよしもないのだが…。
 ラキーチンは、ナターリヤが情緒不安定なだけではなく、やけにベリャーエフに関心を示す事にも気がついた。一体、ナターリヤの心の中で何が起こったのだろうか…。  

 そこへ出入りの医者で抜け目のないシュピーゲルスキイが、ヴェーラの縁談を持ってやって来た。ヴェーラはまだ17才で若すぎるから、と断ろうとしたナターリヤだったが、ヴェーラのベリャーエフに対する態度からその恋心に気がついたナターリヤの心には、制御し難いやっかいなものがすみついてしまった。ナターリヤはシュピーゲルスキイに、縁談の事は考えておきます、と返事をした。





第二幕


 従僕のマトヴェイはメイドのカーチャに結婚を迫っているが、どうした事か前のようないい反応が得られない。そこへヴェーラとベリャーエフがやって来たのだが、カーチャは急に生き生きとし始め、摘みたての一番粒の良い苺を幸せそうにベリャーエフに勧めるのだった。どうやらベリャーエフの登場は、イスラーエフ家のすべての女の心を揺り動かしてしまったらしい。

 カーチャも行ってしまい、二人きりになったヴェーラとベリャーエフはベンチに腰かけて凧の仕上げを始めた。ヴェーラはそれとなく、しかしひたむきに自分の恋心をベリャーエフに伝えようとするのだが、ベリャーエフの方はヴェーラが自分に気があるとは全く気がついておらず、孤児であるヴェーラが家庭に恵まれなかった自分に親近感を抱いているのだろうぐらいにか感じていなかった。
 しかしラキーチンと散歩しながら若い2人の姿を見たナターリヤの心は穏やかではなかった。「若い男女が迂闊に一緒にいるのはよくない。」とイライラし、出し抜けにシュピーゲルスキイやポリシンツォーフの事を言い出し、ラキーチンを不審がらせた。
 ラキーチンは、最近心の安定を欠いているのではないか、とナターリヤを心配したが、ナターリヤはいらいらして「さっきの若い2人に比べて私たちはいかにも古い」と言い捨ててヴェーラを探しに行ってしまった。

 取り残されたラキーチンは苦悩した。…一体、彼女はどうしたのだろう。自分は全生命をあの人に捧げ、側にいられるのが最上の幸せだと思っているのに…彼女が自分を愛しているのはわかっているが、自分はその静かな愛情が時と共に変化するのを待っていたのだ…それなのに彼女は変わってしまった、あの若い家庭教師にえらく関心を示す。まさか、そんなはずが…。ああ、何て苦しいんだろう、自分の立場は…。
 そこへベリャーエフがやって来たので、ラキーチンは彼と話しをしてみる事にした。猟は好き?読書は?婦人と話しをするのは?詩は?フランス語は?…ラキーチンは次々と質問を浴びせたが、ベリャーエフの答えは、自分は怠け者で悪戯者だ、という率直なものだった。
 ラキーチンは、あなたのそういう飾り気のない自由なところこそナターリヤが気に入っているのだ、と探りを入れるが、ベリャーエフは、ナターリヤの前では自分のような教養のない人間は恐れ入ってしまい、自由を感じない、というばかりだった。
 そこへナターリヤが現れ、恐縮するベリャーエフに、「そんなにかしこまらないで。私とラキーチンさんであなたの教育をしてさしあげますわ。」と上機嫌で言い、ヴェーラやコーリャと牧場で凧揚げをするために、ベリャーエフを連れて行ってしまった。
 その生き生きした幸せそうな姿を見送りながら、ラキーチンはナターリヤがベリャーエフによって変化している事を確信した。ナターリヤの心にはもうベリャーエフしかいない…もう自分には立場がなくなってしまった…。ラキーチンの心は大きく傷ついた。

 そこへポリシンツォーフを連れたシュピーゲルスキイが現れた。ヴェーラが気に入るならば縁談をすすめてもよい、との許可をナターリヤから得たのだった。女性に自信がなく怖気づくポリシンツォーフを、「あなたの人柄の良さと財産を前面に押し立てて単刀直入にやれば、万事うまく行く。」とシュピーゲルスキイは励ました。縁談がうまくまとまれば、ポリシンツォーフから三頭立ての馬車をもらう約束になっているのである。
 思いも計算も様々な一同であったが、ラキーチンやシュピーゲルスキイ、ポリシンツォーフも加わり、頬を上気させたさせたナターリヤに率いられた一行は、牧場へと凧揚げに向かったのであった。





第三幕


 シュピーゲルスキイから口添えを頼まれたラキーチンは、ナターリヤにヴェーラの縁談について話をしようとするが、ナターリヤはうわのそらだった。そしてあろう事か、ラキーチンはナターリヤからベリャーエフへの恋心を告白され、「どうすればいいの、助けて」とすがりつかれてしまったのである。
 いくら愛するナターリヤが苦しんでいるからと言って、こればっかりは助けるどころではない。深く傷ついたラキーチンは、「あなたはあの縁談についてのヴェーラの気持を確かめる必要があるでしょう。」と冷淡にナターリヤを突き放し、ヴェーラを呼びに行ってしまった。

 ヴェーラがやって来た。ナターリヤは、いかにもヴェーラのためだという風を装って、縁談について話し始めた。しかし縁談の相手がポリシンツォーフだとわかると、ヴェーラはおかしそうに笑い出してしまった。…これはまとまりそうにないわ…と思いながらも、それを契機に、ナターリヤはヴェーラの気持に探りを入れ始めた。
 …お前は気が乗らないのね。ポリシンツォーフさんが中年で太っているからかしら?それとも他に誰か好きな人がいるの?…。
 そしてナターリヤは近所の青年やラキーチンの名を個別に上げて行き、ついには「じゃあベリャーエフさんは?」とずばり切り込んだ。ヴェーラは、「ラキーチンさんを好きなのと同じ気持であの方の事も好きです。」とかわそうとしたが、それで追求の手を止めるナターリヤではなかった。
 「でもあの方はラキーチンさんと違って、誰にでも遠慮するところがあるでしょう。」と執拗にベリャーエフに話を向けるナターリヤ。しかし純真なヴェーラはナターリヤの意図に全く気がついておらず、「そんな事はないです、あの方は親しみやすいとてもいい方です。この間なんか、私のために高い崖から花を取って来てくれたんです。」と、不用心にもしゃべってしまった。そして挙句の果てには、「もし遠慮がお嫌なら、あなたに対しても遠慮なんかしないように、私からあの人に話しておきます。」とまで言ってしまった。
 若い2人の親しい様を聞き、ナターリヤの嫉妬は段々と制御がきかなくなって行った。そして「本当にあの方を愛していないの?」とヴェーラに畳みかけた。ベリャーエフへの恋心が突き上げて来たヴェーラは頬を染め、「わかりませんわ…」と言いながら、ナターリヤの胸に顔をうずめた。その瞬間、ナターリヤはヴェーラの恋に確信を持った。
 すると、突然、ベリャーエフもヴェーラを愛しているのではないか、という疑いがナターリヤを苦しめ始めた。「じゃあ、あの方はどう思っていらっしゃるのかしら?」と、押し殺すような声がナターリヤの口から漏れた。ナターリヤは真っ青だった。
 ヴェーラは驚き、「誰か呼びましょうか?」と訊いたが、ナターリヤの返事は「一人でいたいの。」だった。ナターリヤが怒ったのだと勘違いしたヴェーラは、許してもらおうと、ナターリヤの手をとろうとしたが、ナターリヤは気づかぬふりをして体をかわした。ヴェーラは目に涙をためて去った。

 ベリャーエフとヴェーラは愛し合っているのではないか…いや、しかしまだ確かめたわけではない。疑いと希望のはざ間で、ナターリヤの心は乱れた。
 …ああ、私は生まれて初めて恋をしたのだ、あの若者に。そしてあの人と親しくしているヴェーラに嫉妬し、邪魔になったヴェーラをあんな年寄りにやろうとしているのだ。しかもそれをあの抜け目のない医者に見透かされているなんて…ああ、神様、どうか私が自分で自分を蔑む事がないようにおはからいください…。
 何とか自制しようとするナターリヤであったが、結局は何とかして自分の恋に望みをつなごうとする心が自制心を押し流してしまうのであった。

 


 そこへナターリヤと仲直りしようと、ラキーチンが戻って来た。しかし今やラキーチンの姿など全くナターリヤの目には入らなくなっており、ナターリヤは、「あの2人は愛し合っているのかもしれない、私はどうすればいいの、助けてください。」とラキーチンにすがりつくばかりだった。
 そこへ運悪くイスラーエフとアンナが入って来て、泣きながらラキーチンにすがりつくナターリヤを目撃してしまった。夫と姑の姿を見たナターリヤは逃げ出してしまった。母親の手前もあり、いくら鈍いイスラーエフでもこれを放置しておくわけにはいかず、一体何が起こったんだね、とラキーチンに説明を求めた。
 正直に話すわけにもいかず、困ってしまったラキーチンは、明日になったらすべてを話すから、今はナターリヤをそっとしておいてくれ、と言うのが精一杯だった。
 ラキーチンは、こうなったらもう自分もベリャーエフもこの家にはいられない、いるべきではない、と思った。そしてナターリヤを呼び、その旨をベリャーエフに話すつもりだ、と言った。
 するとナターリヤは、待ってください、それならあの方には私から話します、と言ってきかなくなった。ラキーチンの提案は直接ベリャーエフに一番気にかかっている事を確かめる絶妙の口実を与えてくれるものであったのだ。
 ナターリヤの態度に絶望的な思いを抱きながら、ラキーチンはベリャーエフを呼びに行った。

 ナターリヤは、やって来たベリャーエフに、あなたに暇を出さねばならないかもしれない、と切り出したが、ベリャーエフには、なぜなのか、全く見当かず、当惑するばかりだった。
 ナターリヤは内心どきどきしながらも努めて平静を装い、ヴェーラの保護者の仮面をつけて、ヴェーラがベリャーエフを愛している事、更にどうやらヴェーラは自分もベリャーエフから愛されているようだと思っているらしい事をベリャーエフに告げた。
 ベリャーエフは驚き、自分はヴェーラを愛してはいない、ときっぱり否定した。…しかしヴェーラさんがそういうお気持ならば、僕はやっぱりここを出ていかなければなりません…そう語るベリャーエフの様子はいかにも苦しげだった。貧しい彼にはこのイスラーエフ家の仕事は大切なものなのだ。しかし、それ以上の何かが重く自分の心にのしかかっている。それは彼自身にとっても意外な事だった。
 一方、ナターリヤは、ベリャーエフがヴェーラを愛していない事を知り、少し心の安定を取り戻した。そして、あなたのお気持を知ってヴェーラとの間に危険がないのがわかったから、別にやめてもらう必要もないかもしれません、この事についてはもう少し考えさせてください、と結論を保留する事を、ベリャーエフに告げた。

 



第四幕


 またもやシュピーゲルスキイがイスラーエフ家にやって来ており、三頭立ての馬車のためにポリシンツォーフとヴェーラの縁談に口利きするだけでなく、何と、ちゃっかりと自分の縁談まで進めていた。アンナの話相手であるリザヴェータをねらっているのである。
 シュピーゲルスキイはリザヴェータに、よく言えば率直、悪く言えば露悪的に自分について語った。…万事気取って上から目線で人を馬鹿にしている上流の人たちと違い、自分はずい分と苦労してここまでやって来た。そして頭を下げて道化の真似をしながら上流の人たちを捕って食う方法を身につけた。そんな自分とあなたは釣り合いがとれているから結婚しよう。ロマンスなんか関係ない、現実的に協力して生きて行こう…。
 リザヴェータもまんざらではない。そして気をよくしたリザヴェータは、最近ナターリヤとヴェーラの様子がおかしいのだが、どうなっているのでしょう、とシュピーゲルスキイに訊いてみたが、返事は、「好奇心は表に現すな。」だった。
 そう、状況はシュピーゲルスキイにとって望ましい方に転がっている。余計な事をせず、言わずに待っていれば、三頭立ての馬車が転がり込んで来ようとしているのだ…。


 さて、ナターリヤから、ベリャーエフが出て行く、と聞かされたヴェーラは、いてもたってもいられなくなり、カーチャにベリャーエフを家の離れまで呼び出してもらった。
 ヴェーラは、…私があの人の誘導尋問にひっかかったせいであなたが出て行く事になり、本当にごめんなさい…と謝り、「私があなたを愛しているとあの人から言われたのでしょう?」とベリャーエフに問うた。
 しばらく躊躇した後、ベリャーエフはヴェーラの問いにはっきりと答えた。…確かにきかれた。そして自分は自分の気持をはっきりと答えた、自分はヴェーラに友人としての好意は持っているが、愛してはいない…と。
 ヴェーラのすべての望みは絶たれた。たまらなくなったヴェーラは自制心を失い、ベリャーエフに訴えた。 
 …あの人はあなたに恋をしているんです、そしてあなたと私の間を疑い、嫉妬してずるく私を罠にかけたのです。それだけではなく、邪魔になる私をあの年寄りのポリシンツォーフにやってしまおうとさえしたのです。だけど、あなたは私を愛していません、だから私はもはやあの人にとって安全な存在になりました。だからあなたはもう出ていかなくてもいいのです、ここにいていいはずなのです…。
 ヴェーラの話を聞いたベリャーエフは呆然としたが、事は白紙に戻ったから、自分は必ずしも出て行かなければならないとは限らない、結論は保留されているのだ、と答えた。そこへナターリヤがやって来たが、それに気がつかないヴェーラは、なおも言い募った。
 …あの人は私がライバルにならない事に気がつき、自分の恋に望みをつないのです…ひょっとして、ベリャーエフさん、あなたもあの人を愛していらっしゃるんですの?
 驚いたベリャーエフは否定するが、ヴェーラは彼の本心を見抜いてしまった。たまらなくなったヴェーラはその場を去ろうとしたが、その時、ナターリヤの姿が彼女の目に飛び込んで来た。
 ナターリヤはヴェーラをなだめようとするが、もはやヴェーラは昨日までのような子供ではなくなっていた。姉のように思っていた保護者のナターリヤに心をふみにじられ、開きかけたつぼみのような恋も無残に失ってしまったヴェーラは、一足飛びに大人になってしまったのある。
 ヴェーラは、…あなたの嫉妬も小細工もすべてベリャーエフさんに話しました、これからは私はあなたの養い子ではありません、あなたのライバルです…と、激しい口調で言った。そしてその後、あまりにも大胆になった自分自身に驚き、涙を流しながら走り去った。

 ベリャーエフと二人きりで取り残されたナターリヤは、いてもたってもいられない気持ちだった。ベリャーエフはきっと自分を軽蔑しているに違いない。こうなった以上、ベリャーエフがこの家を去って行く事は止められないだろうが、軽蔑されたままで別れたくはない。ナターリヤは仮面も小細工もかなぐり捨て、素直に自分の気持を打ち明けた。
 …私はあなたがこの家に来たその日から、あなたに惹かれていました。しかしもやもやしたその気持が愛だと気がついたのはつい昨日の事です。そして私は嫉妬心からヴェーラにひどい事をしてしまいました。そしてそれによって自分自身をも裏切ったのです。こうなった以上、あなたはもうこの家にいてくださらないでしょうが、あなたに悪く思われたままお別れしたくありません。どうか、私を悪くお思いにならないで…。
 ベリャーエフにとって、ナターリヤの打ち明け話は思いもよらない内容だった。ベリャーエフはしばらく口をきく事もできなかったが、やがて彼もまた素直に自分の気持を打ち明けるのだった。
 …私は身分も教育も上のあなたが恐くて、どちらかと言うと、あなたを避けるようにしていました。でも、さっきあなたと話していて自分の本当の気持に気がついたのです。こうしてあなたのお気持を知った以上、このまま出て行く事はできません…でもこのままここにいたら、自分が何をしでかすか、わからない気がします…
 お互いに惹かれあいながらも、身分や立場と言う厚い壁に阻まれてお互いを分かり合えず、他人を巻き込み、傷つけながら遠回りしてしまったナターリヤとベリャーエフ。そしてお互いの気持を知った時には、もう別れるべき時が来ているのであった。
 それでもナターリヤは「すべてを神様のお裁きに任せましょう。」と言い、ベリャーエフもそれに応えようとした。その時、ラキーチンが現れた。我に返ったベリャーエフはナターリヤに一礼し、去って行った。

 ラキーチンは、ベリャーエフとの話し合いはどうなった、と訊くが、ナターリヤは、すべては済んだ、たいした事ではなかった、とごまかそうとした。しかしラキーチンは、ナターリヤとベリャーエフの様子からすべてを察した。そしてナターリヤを家へ連れて行こうとラキーチンが腕を差し出し、ナターリヤがラキーチンに近づいた所へイスラーエフが現れた。
 …また何かあったらしい…離れで二人きりという状況も手伝って、またしても勘違いしたイスラーエフは、ラキーチンの方は見ようともせず、ナターリヤを家へ連れて帰ってしまった。

 



第五幕


 見たくもない場面を見てしまった上に、母親のアンナからも、あの二人はどうなっているんだい、と回答を迫られ、困り果てていらいらしたイスラーエフはようやく決心し、ラキーチンにナターリヤとの関係の説明を求めた。ラキーチンが、実はなんでもない、とごまかそうとするので、仕方なくイスラーエフは、「君は僕の妻を愛しているね。僕は君たちは安全だと思っていたのだが、それがいつの間にか危険なものへと変化してしまったんだね。」と自分の見当違いの意見を述べた。
 もはや何を言っても自分の立場が良くなるわけでもない。説明しても、イスラーエフには理解し難いだろう。ナターリヤの名誉の事もある。そこで、ラキーチンはイスラーエフに、その通りだ、と返事をし、永遠にイスラーエフ家を去る決心をした事を告げた。
 そこへベリャーエフがやって来たので、イスラーエフは農場管理の仕事へ出かけた。イスラーエフとしても、こんな事はさっさと終わりにしたかったのである。
 ラキーチンはベリャーエフに言った…ナターリヤが情緒不安定になったのは、自分と彼女の関係が危険なものへ変化したからだ、とイスラーエフに説明した。そして自分はここを出て行く事にした。もしあなたが私の立場にあったならば、あなたも同じ事をするでしょう…。暗にベリャーエフに出て行くように迫ったのである。
 最初は自分には関係ない、という風を装っていたベリャーエフであったが、いまやベリャーエフにも自分がどうすべきかはよくわかっていた。

 一方、ヴェーラはもはやナターリヤと一日でも一緒にいる事が苦痛になっていた。ナターリヤは自分の非を認めて許してくれ、と言うのだが、それすらも、ベリャーエフに愛されている心の余裕に思えるのである。愛されている喜びに輝くナターリヤの顔なんて、一日だって見ているのはたまらない…。
 ヴェーラはやって来たシュピーゲルスキイに、ポリシンツォーフはいい人なんですね、と念を押した上で、できるだけ早く縁談をまとめてください、と頼んだ。
 シュピーゲルスキイは大喜びし、「はいはい、明日にでも」と言って、いそいそとポリシンツォーフの家へ向かった。


 

 ベリャーエフの登場によって、思わぬ事になってしまったイスラーエフ家。不本意にもこの騒動の火付け役となってしまったベリャーエフも、どうにもならぬ恋のみならず、ナターリヤとヴェーラの間、イスラーエフとラキーチンの間を裂いてしまった事に苦しい思いをしていた。そしてこの苦しみから逃れたいと願い、ベリャーエフはモスクワへ帰る決心をした。
 ベリャーエフはヴェーラに別れを告げ、ナターリヤにあてた手紙を託して、別れのあいさつをする事なく、去って行った。
 ナターリヤはヴェーラから手紙を渡され、取り乱した。ベリャーエフが去らなければならない事は重々承知しているのだが、それでも挨拶もなく行ってしまい、もう二度と会えないという現実は受け入れがたいものだったのだ。胸をかきむしられるように苦しむナターリヤ。ヴェーラはそんなナターリヤを苦々しい思いで見つめ、私もこの家を出て行きます、と宣言し、部屋を出て行った。
 イスラーエフがやって来た。そしてナターリヤの様子が尋常ではないのを見て、「ラキーチンが出て行くのを知って動揺しているんだな。」とまたまた見当違いの事を考えているところへ旅支度をしたラキーチンがやって来た。
 ラキーチンはナターリヤに別れの挨拶をしたが、ナターリヤはそれに答える余裕もなく、息も絶え絶えに寝室へと去った。それを見たイスラーエフは、「やっぱり…。口もきけないほど別れが悲しいのだ。」と勘違いを重ねるのだった。
 やれやれ、これが4年にもわたる恋の結末か…。ラキーチンはやりきれない思いだった。もっともこんな病的な恋はさっさと終わらせた方が身のためだ…ラキーチンはそう思いなおして自らを慰めるしかなかった。
 イスラーエフは親友とこんな形で別れるのは悲しかったが、これで一家は元通りになると思い、「雨降って地固まるだよ、ラキーチン、君には感謝するよ。」とおめでたくラキーチンに感謝の言葉を述べた。
 そこへ、ナターリヤの具合が悪いのを聞いたシュピーゲルスキイがやって来た。アンナ、リザヴェータ、コーリャもやって来た。息子と同様の勘違いをしているアンナはラキーチンが発つと聞いて、ほっとしたようだった。しかしコーリャは、ベリャーエフさんが行っちゃったよ、と悲しげな叫び声をあげた。
 なぜベリャーエフまでが?…一時にいろいろな事が起こり、頭の中の収拾がつかなくなって混乱するイスラーエフに、ラキーチンが言った。…ヴェーラがベリャーエフに恋をしたので、あの人はモスクワへ帰ったのだ、迎えに行ってももう戻っては来ない…。
 またしても恋だって?一体、この家はどうなってしまったんだ…?…ますます混乱したイスラーエフは、ラキーチンを送りに行くから、と外へ逃げ出してしまった。
 ラキーチンが発つと聞いたシュピーゲルスキイは、「手に入れたばかりの三頭立ての馬車でお送りしましょう。」と、満足そうにラキーチンに申し出た。こいつ、人の不幸に乗じてうまく立ち回ったのだな…ラキーチンは苦々しく思ったが、ここはシュピーゲルスキイの言葉に従う事にし、シュピーゲルスキイと共に外へ出た。
 何と、みんないなくなってしまう…。混乱したアンナはリザヴェータに、「一体どうなっているのでしょうね?」と声をかけたが、リザヴェータは言った。「私ももうすぐ出て行きます。」
 唖然とするアンナ。一体ぜんたい、この家はどうなってしまったのであろうか…。
(終わり)




〜アシュトンのバレエ「田園の出来事」〜


 イスラーエフ家の居間では、家族が平和にくつろいでいる。息子のコーリャは机に向かって勉強、養女のヴェーラはピアノのお稽古。主婦のナターリヤは優雅にソファに座り、ちょっと退屈しながら夫の親友で同居人のラキーチンが本を朗読するのを聴いている。そしてこの家の主人イスラーエフは少し離れたところで新聞を読んでいる。
 そこへメイドのカーチャが呼びに来たので、イスラーエフは農場管理の仕事に出かけた。
 やがてナターリヤは、本はもう飽き飽きよ、とでも言うように快活に踊り出した(ナターリヤのソロ)。ラキーチンはそれを満足そうに見つめている。ラキーチンはナターリヤを愛しており、いつかはナターリヤを我が物に、と思っているのだが、それは表には出さず、ナターリヤにかしづきながら、忠実な騎士の役割を演じているのだ。イスラーエフもナターリヤとラキーチンとの間を危険のないものだと思い、仲の良さを公認していた。
 ヴェーラも踊り出した(ヴェーラのソロ)。ナターリヤとラキーチンは微笑ましく思いながらヴェーラの娘らしい様子を眺めていた。
 そこへカーチャを連れたイスラーエフが慌てた様子で戻って来た。鍵束が見つからないのだ。イスラーエフはカーチャと話しながらポケットを探っていたが、やがてみんなを巻き込んで、大騒ぎで鍵束探しを始めた。
 利発なナターリヤが鍵を探し出してやると、イスラーエフは、やれやれ、よかった、よかった、と一安心して再び農場へと出かけて行った。

 騒ぎが収まると、コーリャがボール遊びを始めた(コーリャのソロ)。ボールで遊ぶのなら外でしなさい、とナターリヤに言われて外へ出ようとしたコーリャが、「誰か来たよ。」と言った。
 確かめようと外へ出たナターリヤは屋敷へと向かって来る一人の青年を見てはっと胸を衝かれた。やって来たのはコーリャの暑中休暇中の家庭教師、大学生のベリャーエフで、質素なみなりをした、しかし精悍さにあふれた青年だった。ヴェーラもベリャーエフを見た途端、はっとして頬を染めた。
 ベリャーエフが持って来た凧をコーリャに渡してやると、コーリャは喜んで走り回り、凧揚げをしようと外へ駆け出して行った。ヴェーラも後を追った。ベリャーエフも一緒に行こうとしたが、まだ何もあなたとお話していませんわね、とナターリヤが引き止めた。そこでベリャーエフは自分の事を語り始めた。(ベリャーエフのソロ)
 その快活さ、はきはきした率直さは、どんどんとナターリヤをベリャーエフの世界に引き込んだ。ラキーチンは、この男は危険だ、と言わんばかりにベリャーエフを眺めていたが、ナターリヤがあまりに彼に関心を示すので、不愉快になってその場をはずした。 
 ナターリヤはもともと情感豊かで快活な性質だ。人は良いが鈍い性質のイスラーエフや、かしづいてはくれるが優柔不断で生命力を感じさせないラキーチンとの生活に知らず知らずの間に倦怠感を感じていたのだが、こうやってベリャーエフと話していると、身も心も生き返って来るようだ。ベリャーエフも同じ思いでいるようで、二人の間に心躍るような幸せなひと時が過ぎて行った(ナターリヤとベリャーエフのパ・ド・ドゥ)
 そこへヴェーラがベリャーエフを呼びにやって来た。若い娘らしい気軽さでベリャーエフに近づき、早く凧揚げをしましょうよ、と誘うヴェーラ(ヴェーラとベリャーエフの踊り)。そこへナターリヤ、催促しに戻って来たコーリャも加わり、4人は心浮き浮きと、それぞれに幸せな気分で踊り出した(ナターリヤ、ベリャーエフ、ヴェーラ、コーリャ)。 

 そしてベリャーエフはコーリャとヴェーラに引っ張られて凧揚げに行ってしまった。一人取り残されたナターリアは自分の胸の甘い疼きに気がつき、くずおれるように椅子に倒れこんだ。そこへラキーチンがやって来て、いつもの自分の役割を果たそうと、心配そうにナターリヤの手をとったが、ナターリヤは、何でもない、とラキーチンの手を振り払った。もはやラキーチンなど、ナターリヤの目にも入らなくなってしまったのである。
 しかしラキーチンはなおもナターリヤから目を離さなかった。ラキーチンはナターリヤのどんなに小さな変化も見逃そうとしないのだ。庭の向こうにベリャーエフの姿が見えている。ついにナターリヤは胸の苦しさをこらえきれず、自分のベリャーエフへの恋心をラキーチンに打ち明け、私はどうすればいいの、助けてください、とすがりついた。
 ラキーチンはかなりの衝撃を受けたが、動揺するナターリヤをなだめようとした。そこへイスラーエフがやって来た。イスラーエフはその様子を見て、二人の間に何かが起こったのではないか、と誤解した。イスラーエフの顔を見たナターリヤは逃げ出してしまった。 
 イスラーエフはラキーチンに、一体、君らの間に何があったんだね、と説明を求めたが、ラキーチンは明日話すよ、今は彼女をそっとしておいてくれ、とイスラーエフをなだめ、外に連れ出した。
 誰もいなくなった部屋に凧揚げに夢中になっているコーリャが現れ、走り回った末、また元気に出て行った。

 再び誰もいなくなった部屋に、ヴェーラがやって来た。恋にときめき、足が地につかない様子だ。そこへベリャーエフもやって来た。ヴェーラは若い娘らしく素直に恋しいベリャーエフにまとわりつくが、ベリャーエフは特にヴェーラに興味があるわけではない。しかしあまりにヴェーラがひたむきに想いをぶつけるので、ヴェーラを傷つけないように優しく接していた。(ヴェーラとベリャーエフのパ・ド・ドゥ)
 そしてついにはヴェーラがベリャーエフに抱きつき、ベリャーエフがヴェーラの背に軽く手を回したその時、ナターリヤが現れた。
 二人の様子を見たナターリヤは衝撃を受け、激しい嫉妬に襲われた。しかしナターリヤはヴェーラの監督者としての仮面をつけ、軽率なヴェーラを叱り、若い娘に不用意に近づいたベリャーエフを非難した。恐縮したベリャーエフは部屋を出て行った。
 ナターリヤは真っ青になり、椅子にくずおれるように座り込んだ。ヴェーラはひざまづき、ナターリヤの膝に頭を埋めて軽率さを謝りながらも、あの方が好きなんです、と告白した。ナターリヤはヴェーラを抱いてやりながらも、あの人に近づいてはいけません、と言い渡した。
 ヴェーラには理解できない。…なぜいけないんですの、私はあの人が好きなんです…と激しく訴えるヴェーラ。理由など説明できるわけもない。切羽詰まったナターリヤは思わずヴェーラの頬を引っぱたいてしまった。我に返ったナターリヤはヴェーラに謝ろうとしたが、傷ついたヴェーラはナターリヤに背を向けて去って行った。
 そこへラキーチンがやって来たが、泣きながら走り去るヴェーラとぶつかってしまった。
 何があったんですか、とラキーチンに訊ねられ、ナターリヤは言った。…私はとんでもない事をしてしまいました。もう自分で自分を抑える事ができなくなっているの、どうしたらいいのかしら…。
 ラキーチンは、気分を変えて落ち着こう、とナターリヤを散歩に誘った。ナターリヤはラキーチンに従って庭へ出る事にした。

 またしても誰もいなくなった居間にベリャーエフが戻って来た。ベリャーエフもまたどうしていいかわからなかった。まずは誤解をときたい。…ヴェーラさんの事は妹のようにしか思っていません…そこまでは言える。しかし、自分のナターリヤへの気持を伝える事などとうていできない…。
 そこへ苺摘みから帰って来たカーチャとマトヴェイが現れた。マトヴェイはカーチャにしきりにモーションをかけるのだが、どうも今日は反応が悪い。それどころか、ベリャーエフの姿を見たカーチャは目を輝かせ、マトヴェイを追い払ってしまった。そしてカーチャはベリャーエフの側に行き、陽気に摘みたての苺を勧めた。
 実はカーチャもマトヴェイにまんざらでもないのだが、若く生き生きしたベリャーエフを見てしまうと、やっぱり彼の側にいたくなるのである。ベリャーエフの口に苺を放り込み、一緒に踊るカーチャ(カーチャとベリャーエフのパ・ド・ドゥ)。そして踊り終わると、またもう一個、苺をベリャーエフの口に放り込み、カーチャは機嫌よく去って行った。

 一人になったベリャーエフからは切ない気持があふれ出た(ベリャーエフのソロ)そして椅子にかけてあったナターリヤの肩かけを頬に押し当て、抱きしめているところへナターリヤが現れ、そっとベリャーエフに近づいた。驚いて肩掛けを隠すベリャーエフ。その様子を微笑ましく思うナターリヤ。
 ナターリヤもベリャーエフと仲直りをしたかったのである。庭で摘んで来た花をベリャーエフの胸につけてやった。ベリャーエフは反射的にその手をとり、そのまま二人は言葉もなく見つめあった。
 ベリャーエフに抱き寄せられ、身を任せるナターリヤ。息がつまるような甘い陶酔の中、時折、理性がよみがえり、逃げようとする。しかしベリャーエフの情熱にその決心もたちまち鈍ってしまう。逃げては抱き寄せられ、ついにはどうしてよいかわからなくなり、「すべては神様にお任せしましょう。」とでも言うように顔をおおうナターリヤ。ベリャーエフはそんなナターリヤをなおも抱きしめる…(ナターリヤとベリャーエフのパ・ド・ドゥ)

 そこへヴェーラがやって来て、二人が抱き合っているのを見てしまった。ヴェーラは逆上し、二人を引き離した後、罵り、それでもまだ足りずに、大声でみんなを呼び集め、不倫の場面を目撃した、と吹聴した。
 どう対処してよいかわからずにおろおろするイスーラエフ、何が何だかわからないコーリャ、カーチャ。ついにそうなってしまったか、イスラーエフに誤解をされた上にこうなってしまっては、もう自分の居場所はここにはない、と絶望するラキーチン。
 ナターリヤは、「ヴェーラは誤解しているわ。ちょっとベリャーエフさんに相談があっただけなの。」と取り繕ったが、ヴェーラは負けておらず、叫んだ。「嘘よ、確かに二人は抱き合っていたわ!私、わかったわ、この人はベリャーエフさんに恋しているのよ!だから私に嫉妬して、私をぶったんだわ!」
 しかし事を大きくしたくないイスラーエフはナターリヤを信じる事にした。ヴェーラは傷つき、怒りに燃えて、「私、もうこんな家になんかいられない!」と言い捨てて部屋を出て行った。イスラーエフ、ナターリヤ、コーリャ、カーチャは驚いてヴェーラを追いかけた。
 僕のせいだ…何て事をしてしまったんだろう…ベリャーエフはへなへなと椅子に座り込んだ。ラキーチンはベリャーエフの胸にさっきナターリヤが摘んでいた花が飾られているのを目に留めた。
 ラキーチンはベリャーエフに言った。「僕はこの家を出る事にしたんだ。君もまたこの家を出るべきだと思うが、どうだろう?」
 いやだ、今はここを離れたくない…。しかしラキーチンの言う通りなのである。平和なこの家に争いと混乱を引き起こしたベリャーエフは、ここにいてはいけないのだ。ベリャーエフはラキーチンに同意し、イスラーエフ家を出て行く事にした。
 そこへコーリャが入って来た。不安がるコーリャに、ベリャーエフは別れを告げた。コーリャは泣きながらすがりついたが、ベリャーエフはコーリャを振り切り、ラキーチンと共に部屋を出て行った。「ベリャーエフさんが行っちゃうよ!」コーリャは叫んで部屋を飛び出した。
 それを聞きつけたナターリヤが狂ったように飛んで来た。ああ、あの人が行ってしまう…!そこへイスラーエフもやって来て、真っ青になっているナターリヤを心配したが、夫に顔を見たナターリヤは具合が悪いのだ、と誤魔化して、寝室へと逃げ込んでしまった。
 ベリャーエフがラキーチンと共に旅支度をしてやって来た。そしてイスラーエフに挨拶して出て行った。何が起こったのかわからず、面食らうイスラーエフ。コーリャは父親にすがって泣いた。遠さかって行くベリャーエフとラキーチン。イスラーエフはコーリャをなだめながら部屋を出た。

 誰もいなくなった居間。ガウン姿のナターリヤがやって来て、ベリャーエフが行ってしまったのを知り、嘆き悲しんだ(ナターリヤのソロ)。そしてナターリヤは椅子に突っ伏して泣いた。
 そこへベリャーエフが戻って来た。そして泣いているナターリヤのガウンのリボンに口づけし、頬にあてた。未練は断ち切れない…しかしこれ以上この家の平和を乱す事はできない…もう何を言うことも許されないのだ。ベリャーエフは胸についていた花をはずして口づけし、ナターリヤの足元に置いて、そっと立ち去った。
 気配を感じたナターリヤが振り返った時にはもうベリャーエフはいなかった。ただあの花が足元に置いてあった。ナターリヤは花を拾い、ベリャーエフが去った方向に向けてむなしく手を差し伸べた。
 やがてナターリヤの手から力なく花がこぼれ落ちた。ナターリヤに生きる喜びを教えてくれ、しかし生まれたと思うやはかなく消えて行った初めての恋。ナターリヤは震える胸を押さえ、絶望的な焦燥感を感じながら、ベリャーエフの姿が消えた広間に一人立ち尽くすのだった。
(終わり)



<MIYU’sコラム>



ツルゲーネフの戯曲「村のひと月」について


 この作品が最初に発表されたのは1855年ですが、当局の検閲に引っかかり、ナターリヤは寡婦(未亡人)という設定に変更させられたそうです。その後、30年を経て全集を刊行した際、やっと原作のままで世に出す事を許された、という事です。
 また、題名も「学生」であったのが検閲にひっかかり、「二人の女性」に変えたものの、これもまた引っかかり…で、結局「村のひと月」に落ち着いたようです。
 「村のひと月」という題名だと、…田舎のおじさんたちが畑の線引きや収穫を廻って、ひと月の間、醜い争いを繰り広げる…みたいな内容が何となく思い浮かんでしまうのですが、いろいろと苦労があってつけられた、無難と言えば無難な題名だったのですね。 
 なお、アシュトンのバレエ ' A month in the country ' はわが国では「田園の出来事」と訳されています。確かにナターリヤとベリャーエフのあの美しいパ・ド・ドゥを含む作品を「村のひと月」としたのでは、ちょっとイメージが違うような気がしますものねぇ…。
 それにしても、「村」ではなくて、「荘園」とした方が作品の雰囲気にあっていたのでは?「荘園のひと月」ならばそのままバレエの題名としてもふさわしかったような気もしますが…。

 さて、小説家として有名なツルゲーネフですが、けっこう演劇にも熱心だったようで、長編・短編併せて10編の戯曲を残しているようです。その作風は「純然たる客観的態度」。八住利雄氏は以下のように語っておられます。
彼は主として上流階級の生活を、平坦な戯曲的場景の中に描述することから出発した。一言で言えば、香りの高い写実主義である。批評家コトリャーレフスキイは、ツルゲーネフの戯曲について次の如く言った、『ツルゲーネフの戯曲における功績は次の点に存する。すなわち彼はロシヤの舞台の上に、かくも単純な人々をかくも単純な環境に包んで連れて来た最初の作家であった。』」(日本図書センター:ツルゲーネフ全集10巻の解題より)
 確かに「村のひと月」において、ナターリヤの恋愛葛藤を中心に物語が進んでいきますが、ナターリヤとベリャーエフに的を絞ったドラマというわけでも、ナターリヤとラキーチン、またはナターリヤとヴェーラ、ましてやナターリヤとイスラーエフのドラマ、というわけでもありません。
 平和な荘園生活に自由人ベリャーエフが現れた事によって一家が大騒ぎのうちに変質していく様子が丁寧に描写されており、特に誰が中心、という感じもしません。このあたりを米川正夫氏はこのように表現しておられます。
 「『村のひと月』は題材から言えば、ロシアの裕福な地主の家庭における恋愛葛藤を描いたものであるが、本質的にはツルゲーネフの芸術の中核をなす所のロシア荘園生活の詩が、複雑微妙な形象と状態に盛り込まれ、かつ劇という立体芸術の形に凝集されたもので、その意味から言ってもロシア文学研究者の等閑視を許さぬ作品である。」
 その後、写実的伝統はチェーホフやゴーリキイたちに引き継がれ、数々の名作を生み出して行った、という事です。

 また、「ツルゲーネフ〜生涯と作品〜」の中で、小椋公人氏はこう述べておられます。
 「二つの世代、異なった心理的型の人々の葛藤は、長い間ツルゲーネフの関心をとらえてきた。40年代の中篇や物語詩では、この問題の解明に論理的な見地から近づかんとする傾向がつよい。内省的で弱い人間に対して、純粋な活力ある人間を対置している。…(中略)…この思想は…「村のひと月」等に具象化されている。」
 「村のひと月」では、異なる社会層の代表の衝突が描かれます。「平穏な生活の中で無気力になっている弱い人間」として、ラキーチン、イスラーエフが描かれており、「つくろうものなど何もなく、率直に力強く生きる階級の人間」として、ベリャーエフやシュピーゲルスキイが描かれているのです。
 そして「単純で快活でほとんど野育ちのような自由さを持つ」(米川正夫氏)ベリャーエフがイスラーエフ家に暑中休暇中の家庭教師として現れ、イスラーエフ家を大きくゆさぶります。
 結局、力強い自由な風のようなベリャーエフがイスラーエフ家を出て行く時、イスラーエフとラキーチン、ナターリヤとヴェーラの間は破壊され、更に騒ぎに便乗したシュピーゲルスキイの暗躍により、ヴェーラは意に沿わぬ男の元へ嫁ぎ、リザヴェータもシュピーゲルスキイの元へ吸い寄せられ、一家の姿は大きく変わります。
 しかも、最後まで一家の主人であるイスラーエフは一体何が起こったのか、さっぱりわからないまま、というのですから、「弱い人間側」のダメージは相当なものです。

 小椋公人氏は「村のひと月」を喜劇としておられます。八住利雄氏も、「ツルゲーネフの戯曲の大部分は喜劇である。戯曲において何か一定のポイントを作ることをしない純然たる客観的態度は、悲劇より喜劇を生みやすいおいう例証を、我々はツルゲーネフにおいてみることが出来るであろう。」と書いておられます。
 確かに、近くで見ていながら妻の浮気の相手が誰だかさっぱりわかっていないイスラーエフや、下心を押し隠して4年間も騎士道精神を発揮していたラキーチンがナターリヤから見向きもされなくなった上に、イスラーエフから浮気相手とみなされて家を出なければならなくなるなど、滑稽と言えば滑稽なところはかなりあります。
 しかし、安心して笑える喜劇ではありません。いくら時ならぬ初恋で動転しているとはいえ、ナターリヤのした事は笑えるような事ではありません。あまりにヴェーラが可哀想なのです。
 監督者としての自分の立場を利用して、まだ純真で立場の弱い少女の心の内奥を引き出して踏みにじるなど、あまりに卑劣です。
 しかも、ベリャーエフはヴェーラではなく、ナターリヤの方に惹かれていたというのですから、初恋と保護者への信頼の両方を一度に失ったヴェーラの傷は生涯癒えることはないのではないか、と思うほどです。
 普通ならば決して承諾しない縁談を受け入れてイスラーエフ家を出て行くヴェーラ。ポリシンツォーフを夫に持ったヴェーラは、豊かな家庭の主婦として何不自由ない生活を送るのでしょうが、夫にあきたらず、ナターリヤと同じ倦怠感、不幸を抱くことになるでしょう。それは本当に女として不幸なことです。
※ ヴェーラは養女ということになっていますが、もともとはナターリヤの母親がめんどうをみていた孤児です。それをナターリヤが引き継いだのです。ですから立場はとても弱いですし、イスラーエフ家を出る事になれば他に行くところはないので、縁談を受け入れるしかなかったのですね。
 せめてヴェーラがもう少し大人になった時、再びベリャーエフのような男性が現れて、ヴェーラに女性としての幸せが訪れますように。もしそうなったとしたら、その時にはじめてヴェーラはナターリヤの仕打ちの裏にあったものを理解し、許せるようになるのかもしれませんね。

 なお、「村のひと月」は人妻の恋を扱ったものではありますが、普通の不倫ものと違うのは、夫のイスラーエフが常に圏外におり、夫でもないただの同居人ラキーチンがやたらにクローズアップされる事です。
 これにはツルゲーネフ自身の恋愛経験が投影されているのではないか、と思います。ツルゲーネフは一生独身でしたが、彼の人生に女性は欠くべからざる存在であったようです。
 特にポーリーヌ・ヴィアルドーというスペイン生まれの歌姫には強烈に惹かれたようで、いろいろな過程を経ながらも、その縁はツルゲーネフが死ぬまで、25年間も続いたらしいです。
 このポーリーヌには夫も子供もおり、ツルゲーネフはそれほど熱烈に愛されていたというわけでもなかったようですが、それでも一時は彼女の家に同居していたというのですから、これではまるでナターリヤとラキーチンですね。
 ポーリーヌとの関係に悩みながら、「村のひと月」でラキーチンを描いたツルゲーネフ。きっと「純然たる客観的態度」を維持しつつも、苦笑いしていたのではないでしょうか。




アシュトンのバレエ「田園の出来事」について


<「田園の出来事」基本情報>    
振付    : フレデリック・アシュトン
音楽    : フレデリック・ショパン
編曲    : ジョン・ランチベリー
原作    : イヴァン・ツルゲーネフ「村のひと月」
初演    : 英国ロイヤルバレエ団 
1976年2月12日 
於 ロイヤル・オペラハウス コヴェント・ガーデン
初演配役 :       ナターリヤ・・・・・・・リン・シーモア
      イスラーエフ・・・・・・アレクサンダー・グラント
      コーリャ・・・・・・・・・ウェイン・スリーヴ
      ヴェーラ・・・・・・・・・デニス・ナン
      ラキーチン・・・・・・・デュレク・レンチャー
      カーチャ・・・・・・・・・マルグリット・ポーター
      マトヴェイ・・・・・・・・アンソニー・コンウェイ
      ベリャーエフ・・・・・・アンソニー・ダウエル
      ソロ・ピアニスト・・・フィリップ・ギャモン


 このバレエは原作とはかなり違った作品となっているようです。米川正夫氏が「…人々の微妙な心と心の相闘交渉や、痛ましい心理的闘争は、ツルゲーネフにのみ見られる匂いの高い、気品に充ちた、レースの如く繊細な筆によって隈なく描き出され…」と表現した「ロシア荘園生活の詩」である原作と違い、荘園生活や家庭内騒動を背景に、内に倦怠を抱える人妻ナターリヤと若い家庭教師ベリャーエフの甘美ではかない恋をしっかり軸にすえて描いているように思います。
 原作のベリャーエフは、野育ちの自由さを持った精悍な青年ではあっても、ナターリヤのような上流婦人の前に出ると緊張してろくろく口をきく事もできない世慣れない人物として描かれますが、バレエでは最初から快活で堂々としており、登場するやイスラーエフ家に活力をもたらし、女たちを虜にします。
 ウェブ上の感想をいろいろ見てみると、どうもこのような描き方により、ベリャーエフは多情で軽薄な男に見えてしまうようです。つまり、ナターリヤに惹かれるだけでなく、ヴェーラやカーチャにも気があるように見え、「男ってどうしようもないのねぇ。」という印象を与えているのです。確かにそう言われても仕方ないと言えば仕方ないような…。
 しかし、それではドラマの軸がぶれてしまいます。実際はバレエでも八方美人というわけではなく、男性らしい男性がおらずに倦怠感漂っていたイスラーエフ家に若く活力あふれるベリャーエフがやって来た事により、女性たちが勝手に色めきたってしまっただけだ、と思います。
 ベリャーエフはただ単に彼女のたちの情熱を受ける立場なのです。「色目を使うのは止めてください。僕にはそんな気はありません。」などと言うわけにもいきませんしね…それなりに当たり障りなく相手をしていただけだと思います。
 しかし、そういった事情は言葉がないバレエでは説明しきれませんね。また、ナターリヤとのみならず、ヴェーラやカーチャとの楽しい、または情感豊かなパ・ド・ドゥもあった方がバレエとしてはいろいろなものが振付られて、見栄えがします。
 きっと、そのような諸々の理由で、「下手をすれば八方美人に見えてしまう」描き方に落ち着いたのでしょう。演出上の難しいところですね。

 また、原作ではナターリヤとベリャーエフの恋が表面に出るのはほんの一瞬ですが、バレエでは最初から二人が惹かれあい、ヴェーラ事件がむしろきっかけとなって、二人はどんどんと近づいていきます。
 しかも、原作と違って、ナターリヤはヴェーラを卑劣な罠にかけたり、醜い小細工をしたりはしません。嫉妬から思わずヴェーラの頬を打ちますが、すぐに反省してヴェーラには謝りますし、自分でもうろたえます。
 バレエでは、ナターリヤはとても美しく描かれているのです。優雅な上流婦人でありながら、時ならぬ恋にうろたえる、かばってやりたいような可愛いい女性、という感じですね。まさに、これは男心をくすぐるでしょう。これではまるでヴェーラの方が悪役みたいで、何だか可哀想です。
 なぜこんなにナターリヤ、ベリャーエフの描き方やドラマの作りが変わってしまったのか。もちろん、あの長い戯曲を バレエ、それも一幕ものにするのだから、いろいろ変わって当然といえば当然なのですが、これはやっぱりアシュトンだからこうなった、という感じがします。
 だって、もしこれがマクミランだったらどういう事になったでしょう。きっとナターリヤの卑劣さや恋の苦しみは原作よりもずっとグレードアップして濃く描かれ、ヴェーラとの諍いもかなり延々と醜く描かれたことでしょう。マクミランは、腐り切った泥の中にこそ真に美しい花が咲く、という思想の人だと思いますから。
 アシュトンはちょっと複雑なところもある喜劇「村のひと月」の設定を借りながらも、ナターリヤとベリャーエフとの恋を甘美に描き出したかったのでしょう。ここでは二人の恋は、不倫、罪の恋といった匂いはしません。ノスタルジアの中の甘美な恋。長い年月のふるいにかけられて、甘さ、美しさだけが残った追憶の恋なのだ、と思います。
 ナターリヤに注がれるアシュトンの視線は暖かいです。恋も知らずに妻そして母となり、裕福な生活の中にも倦怠を心に秘めながら、真に生きようと救いを求めるナターリヤ。それはひょっとしたら、その昔、アシュトンが憧れ、愛したどこかの若奥様の姿と重なるのかもしれません。もちろん、これは私の勝手な想像なのですけれどね…。  

 
 ナターリヤはシルヴィ・ギエムの持ち役で、ジョナサン・コープやマッシモ・ムッルを相手に何度か英国ロイヤルで演じています。日本にも持って来てくれているので、私たち日本のバレエファンにもこの「田園の出来事」はなじみが深いと言えば深い演目です。
 でもギエムもそろそろポワントで踊るのは終わりにしようとしている今日この頃。そうすると、もう日本では「田園の出来事」を見る事はできなくなってしまうのでしょうか。
 それはあまりに残念。私も2011年10月にギエムとマッシモ・ムッルの舞台を観ましたが、それはそれはため息が出るほど美しかったです。東京バレエ団との共演でしたから、これからも東京バレエ団に何とか工夫してもらって、ずっと演じて行ってもらいたいですね。




<参考文献>


ツルゲーネフ全集第十巻 「村のひと月」 米川正夫/訳 日本図書センター
東京バレエ団 JAPAN TOUR 2011 (公演) 
     於 東京文化会館  10月26日
ナターリヤ・・・・・シルヴィ・ギエム
ベリャーエフ・・・・マッシモ・ムッル
イスラーエフ・・・・アンソニー・ダウエル
ヴェーラ・・・・・・・小出領子
ラキーチン・・・・・後藤晴雄
ツルゲーネフ 〜生涯と作品〜 小椋公人/著 法政大学出版会
Royal Opera House "serch the performance database" (HP)
You Tube (動画サイト)



HOME

ストーリー辞典に戻る



このページの画像はSTAR DUSTさんからいただきました。

Copyright(C)2012.MIYU all rights reserved