〜エフゲニー・オネーギン〜

韻文小説 アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・プーシキン/作 (1823〜1830年)
オペラ ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/作 (1879年)
バレエ ジョン・クランコ/作 (タイトル:「オネーギン」 (1965年)

HOME

ストーリ辞典に戻る





 帝都ペテルブルクの華やかな社交界で放蕩三昧の生活を送ったオネーギンは、若くしてあらゆる事に飽きがきてしまった。田舎の領地に移り住んだオネーギンは変人として誰とも付き合わなかったが、近くの地主で若き詩人レンスキーとだけは気が合った。
 レンスキーにはオリガという婚約者がおり、レンスキーと共にオリガの家を訪ねたオネーギンはオリガの姉タチヤーナと出会った。聡明だが内気で空想好きな文学少女タチヤーナはたちまちオネーギンに恋をしてしまい、想いを胸に秘めておく事ができずにオネーギンに自らの恋を打ち明ける手紙を書いた。しかしオネーギンはタチヤーナの気持を慇懃無礼に拒否し、その洗練されない子供っぽさに説教までした。     
 間もなくタチヤーナの名の日の祝いが開かれたが、社交嫌いの上にタチヤーナのしおれた様子にますます不機嫌になったオネーギンはレンスキーを怒らせて気晴らしをしようとし、舞踏会の間中オリガをレンスキーから取り上げて恋をささやくふりをした。オリガもオネーギンにのせられてすっかりいい気になってしまった。
 自分の思い描く純粋な理想を踏みにじられたレンスキーは激高し、オネーギンに決闘を申し込んだ。オネーギンは動揺したが心ならずも決闘を受けてたち、レンスキーを撃ち殺してしまった。
 良心の呵責に苦しむオネーギンは旅に出た。オリガはレンスキーの死を嘆いていたが、生命力あふれる彼女はやがて他の男の愛を受け入れて結婚し、遠くへ行ってしまった。一人残されて孤独に沈むタチヤーナはそれでもオネーギンへの想いを断ち切る事ができず野原をさまよい、オネーギンの留守宅を訪ねてその蔵書の中に彼の人となりを見出していた。
 母親のラーリナ夫人はそんなタチヤーナが婚期を逃すのを心配して、縁を求めてタチヤーナをモスクワの花嫁定期市へ連れて行くことにした。
 数年後オネーギンは旅にも飽きてペテルブルクの社交界に戻ってきたが、そこで今は公爵夫人となって人々の尊敬を受けるタチヤーナに再会した。オネーギンは彼に会っても動揺もみせず気品と節度ある態度を保つタチヤーナに恋をしてしまい、想いを打ち明ける手紙を書くが、返事はなかった。
 一冬中恋に悩み続けたオネーギンは春の訪れと共に自分を押さえ切れなくなってタチヤーナを訪ね、社交界での仮面を脱いだ素のままの彼女と出会い、その本心を知る事となった。タチヤーナの心は昔と少しも変わっておらず、今も彼を愛していた。…しかしもうすべては遅すぎる、自分は人妻なのだ…と言って、タチヤーナは永遠にオネーギンから去って行った。
(終わり)

※ 名の日の祝い・・・・・自分の洗礼名と同じ名を持つ聖者の祭日。誕生日よりも盛大に祝われる。
※「あらすじ」は小説のあらすじです。オペラ、バレエとは多少違っています。オペラ、バレエは詳しい物語でご紹介しています。






<プーシキンの韻文小説>


第一章 ふさぎの虫
 エフゲニー・オネーギンは帝都ペテルブルクの社交界で放蕩三昧の生活を送った。昼夜逆転した生活、美食、流行の服装、高価な装飾品、あてにならない友情、悪口、喧嘩。それに加えて令嬢たちや人妻との色恋沙汰、その夫たちとのうっとうしいつきあい等々…。オネーギンは若くしてこれらの社交生活に飽きてしまった。刺激を書物に求めたが、これにもすぐに飽きがきた。
 そんな時に父親が多額の借金を残して死に、債権者が押し寄せて財産を持って行ってしまった。それとほぼ同時に裕福な田舎の地主であった叔父も死に、オネーギンはその相続人となった。
 かくして都会とその社交界に飽き飽きしたオネーギンは、叔父の残した田舎の屋敷へと移り住んだのであった。
(1823年 キシニョーフ、オデッサにて)

第二章 詩人
 オネーギンは清々しい田舎にもすぐに飽きてしまった。そして農奴の労役を免除するなど自由主義的改革をして回りの地主たちから危険人物だ、変人だと噂されていた。オネーギンの方でもそういった近隣の地主たちとつきあう気はさらさらなく、誰かが訪ねて来ても裏口から逃げ出す始末だった。
 そんなオネーギンも最近旅行から帰って来た若い地主で詩人のウラジーミル・レンスキーとは親しくなり、毎日のように行き来して議論に興ずるようになった。傲慢でニヒルなエゴイスト、チャイルド・ハロルド(バイロンの詩の主人公)を気取るオネーギンとまったく違い、レンスキーはドイツ・ロマン主義の甘い夢想や純粋な理想にひたり、希望に満ちていた。厭世的なオネーギンもあまりに世間知らずで理想に燃える詩人に対しては、いつかは彼も世の中とはどういうものかわかるだろうから、と冷ややかな言葉を口にするのは努めて避けていた。
※ 「チャイルド・ハロルドの巡礼」…バイロンが1812年から18年にわたって各地を旅し、記した物語詩ともいうべきもので、4巻からなる。旅の途中で出会う様々なものについて、瞑想し、描写した。地形詩の形をとりながらも、詩全体を個人の意見、感情で満たし、主観的なものとした。(「チャイルド・ハロルドの巡礼」バイロン/著 東中稜代/訳 参照)
 レンスキーにはオリガ・ラーリナという幼なじみの可愛い恋人がいた。彼は幼い頃からオリガに惹かれており、彼らの父親は幼い二人の婚約を決めていた。陽気で可愛らしいオリガをレンスキーは一途に理想化し、愛していた。
 オリガにはタチヤーナという貴族には珍しい名前を持った姉がいた。タチヤーナはオリガほど器量はよくないが聡明で、読書、特にフランスの恋愛小説に夢中になっている、夢見がちで内に情熱を秘めた娘だった。
 タチヤーナとオリガの母親であるラーリナ夫人には昔好きな男がいたが、親の決めたラーリンと結婚した。最初は嘆き暮らしていたが、やがて地主の妻としての仕事に夢中になるにつれ、若い頃の夢や習慣を捨て去り、田舎や夫になじんでよい家庭を築いた。そして平和で穏やかな月日が流れ、夫のラーリンは娘たちの結婚を見る事もなく亡くなった。
(1824年 オデッサにて)
第三章 令嬢
 レンスキーがあまりに婚約者のオリガに夢中になるので、オネーギンは退屈しのぎにオリガを見てみたくなった。レンスキーは喜んでオネーギンをラーリン家に連れて行った。
 飽きるほど恋愛遊戯を堪能したオネーギンにとって、オリガは退屈そのものの平凡な若い娘にすぎなかった。オネーギンには内側に何か秘めていそうな姉のタチヤーナの方が印象が強かった。
 さて、狭い田舎社交界ではオネーギンがラーリン家を訪問し、タチヤーナに結婚を申し込んだという噂が広まった。そして当のタチヤーナにとって、オネーギンは待ち望んでいた最愛の人であった。とうとうタチヤーナは恋に陥ったのだ。
 しかしオネーギンはあれっきりラーリン家に現れることはなかった。
 ある月明かりの夜、恋で胸がいっぱいになって息苦しくなり、眠れなくなったタチヤーナはオネーギンに手紙を書いた。恋の手練手管を熟知した社交界の美女たちと違い、オネーギンを慕う純粋さにあふれた、無防備なまでの切々たる魂の告白であった。そして手紙は乳母の孫によってオネーギンにもたらされた。 
 タチヤーナは返事を待ち焦がれたが、その日は返事がなかった。翌日、訪ねて来たレンスキーがオネーギンが来訪するという報をもたらした。タチヤーナはどきどきしながら窓辺で待ち続けた。そしてオネーギンが馬で乗りつけるのを見て、タチヤーナはいてもたってもいられなくなり、庭へ駆け出した。そしてひとしきり走った後でベンチに倒れ込み、果樹園から聞こえて来る農作業の娘たちの歌を聞くともなく聞きながら、おののきと震えを鎮めようとしていた。
 そしてやっとの思いで立ち上がって歩き出し、並木道へと折れた時、目をぎらぎらと輝かせているオネーギンに出会った。
(1824年 ミハイロフスコエ村にて)
第四章 村で
 都会の社交界での恋愛遊戯ですれっからしたオネーギンは、もはや相手がどんな美女であれ心を動かされる事もなくなっていたが、タチヤーナの手紙はオネーギンの心を波立たせ、昔の純情を思い出させた。しかしもはや彼はそんな自分自身の気持に向き合う真摯さを失くしていた。
 オネーギンはまるで説教でもするように、自分の見解を語った。
 …もし自分に結婚する気があるならば、きっとあなたを選ぶだろう。しかし自分はすべてに嫌気がさした男であり、不幸になる事が目に見えているから、結婚をする気はありません。あなたもそのうちまた新しい恋をすることでしょう。その時はこのように自分の心を無防備にさらけ出すような事は慎みなさい。無経験は災いの種となるだけです…
 タチヤーナは涙で曇って何も見えず、見る影もなくしおれきってオネーギンの説教を聞いていた。
 しかしタチヤーナの中でオネーギンへの恋の炎が消える事はなかった。それどころか、ますます燃え上がって行ったのだ。そして希望のない恋に打ちのめされ、タチヤーナは悲しみに打ち沈んで行った。
 一方オネーギンは気まま放題の快適な独身生活をたいした感激もなく送っていたが、やがて冬が来た。そしてレンスキーと行き来して議論を楽しんでいたが、ある日ふとラーリン家の姉妹の話になった。2週間後に結婚を控えたレンスキーはオリガを礼賛した後、もうすぐタチヤーナの名の日の祝いがあり、君も呼ばれているからぜひ一緒に行こう、とオネーギンを誘った。 オネーギンは田舎社交界に顔を出すのはうっとうしいと思ったが、レンスキーがあまりに熱心に誘うので、つい行く約束をしてしまった。
(1825年 ミハイロフスコエ村にて)
第五章 名の日の祝い
 名の日の祝いを前にして、昔からの言い伝えや占いが好きなタチヤーナは枕の下に手鏡を入れて眠りに落ちた。そして不思議な夢を見た。
 …タチヤーナは夜霧の中、雪深い森を歩いている。と、吹き溜まりから大きな熊が現れ、タチヤーナの方に向かって来た。恐怖にかられたタチヤーナは目の前の奔流にかかっているあぶなっかしい丸太の橋を渡って逃げたが、熊はどんどんと迫って来る。やがてタチヤーナが力尽きて倒れると、熊はタチヤーナを抱え、森の中を走った。そして一軒のあばら家の前で立ち止まり、「ここに私の名付け親がいます。ここで暖まっておいでなさい。」と言って、タチヤーナを玄関に下ろして消えてしまった。
 あばら家の中では気味の悪い化け物たちが宴会をしており、その頭がオネーギンだった。タチヤーナを見つけると、化け物たちは口々に「おれのものだ!」と叫んだ。しかしオネーギンが一言「おれのものだ!」と叫ぶと、化け物たちはいっせいに消えてしまった。
 オネーギンはタチヤーナを部屋の隅のぐらぐらしたベンチに寝かせ、彼女の肩に顔を近づけた。そこへレンスキーとオリガが入って来た。オネーギンは邪魔者を罵り、口論となった。そしてオネーギンは柄の長いナイフをつかんで、レンスキーを刺した。あばら家がぐらりと揺れた…。 
 恐ろしさのあまりタチヤーナは目を覚ました。この夢の意味を探ろうと、いろんな書物を調べたが、わからなかった。 
 そして朝が来てタチヤーナの名の日の祝いが始まった。近隣からたくさんの人が集まり、賑やかに挨拶がかわされ、食事が始まった。その賑やかな中にオネーギンがレンスキーと共に現れた。二人はタチヤーナに挨拶したが、タチヤーナは涙があふれそうになり、今にも失神しそうだった。
 このような田舎の社交の場に来ることさえ本意でなかったオネーギンだが、タチヤーナの哀れな様子はますます彼の機嫌を悪くさせた。オネーギンはこのいらいらの八つ当たりに、レンスキーを怒らせて楽しむことを思いついた。
 タチヤーナへの祝辞、食事が終わって遊びの時間となった。連隊の楽隊が到着し、その演奏で舞踏会が始まった。
 ワルツが始まると、オネーギンは悪ふざけを開始した。オリガを誘って踊り、しばらく休憩して彼女と楽しげに話す。そしてまたオリガとワルツを踊り続ける。
 それを見て皆はあきれ返り、タチヤーナは傷つき、レンスキーは呆然とした。
 そして次のマズルカで、いたずら好きな者がオリガとタチヤーナをオネーギンのところへ連れて行き、どちらと踊るかと問うたところ、オネーギンはオリガを選んで踊り出した。そして恋歌をオリガの耳もとにささやき、手を握った。オリガはオネーギンの誘惑にのってしまい、浮き浮きとしてしまった。
 それを見ていたレンスキーはかっとなり、次のコティリオン(マズルカに似たダンス)でオリガを取り戻そうとした。しかしオリガはオネーギンと約束したから、とレンスキーを断った。
 レンスキーはオネーギンやオリガの軽薄な遊び心を理解できず、ラーリン家を飛び出した。純粋な理想を打ち砕かれたレンスキーは激高し、オネーギンに決闘を申し込む決心をしていた。
(1825、26年 ミハイロフスコエ村にて)
第六章 決闘
 オネーギンはレンスキーをうまく怒らせた事に満足した。興奮が覚めたオリガはレンスキーはどこへ行ったのだろうと目で探していた。タチヤーナはオネーギンの非常識な振る舞いの意図がわからず、心に深手を負っていた。誰もレンスキーの決心に気づいていなかった。
 やがて疲れた客たちはラーリン家の至るところで寝始めたが、オネーギンは一人家へ帰った。
 翌朝ザレーツキィという決闘に関わる事で有名な男がレンスキーの果たし状を持ってオネーギンのところへ現れた。思いもかけない事の進展に動揺し、何とか避ける事ができないだろうかと思ったオネーギンだが、名誉を考えると断ることはできない、という結論に達した。気持ちとは裏腹に、オネーギンはザレーツキィに受けてたつ旨の返事をした。
 オネーギンの承諾の返事を受け取ったレンスキーは、もう会うまいと思っていたにもかかわらず、オリガに会いに行った。そしてオリガが変わらず自分を愛している事を知った。しかしもはや決闘を中止するという選択はありえなかった。何事もない風を装いながらレンスキーはラーリン家を後にした。
 そして家へ帰ったレンスキーは、ロマン主義的な辞世の句とも言うべき詩を書いた。
 …どこへ行ってしまったのだ、青春を過ごした黄金の日々よ…時ならぬ時に命を落とすかもしれない自分を、あの人はいつまでも愛し、涙を流してくれるだろうか…。
 翌朝ザレーツキィの立会いのもと、水車小屋の側で決闘は形式にのっとって行われ、先にオネーギンのピストルが火を噴いた。レンスキーは声をあげる事もなくその場に倒れた。オネーギンは友に駆け寄りその名を呼んだが、レンスキーはすでに事きれていた。ザレーツキィが遺骸を運んでいった。
 オネーギンは良心の呵責に耐えられなかった。
(1826年 ミハイロフスコエ村にて)
第七章 モスクワ
 レンスキーは小川のほとり、生い茂った松の木陰に葬られた。オリガとタチヤーナは幾度となくレンスキーの墓を詣でて涙を流してその死を嘆き悲しんだ。しかし時が経つにつれてそれも途絶えがちになり、やがてオリガの前に別の求婚者が現れた。若く生命力あふれるオリガはその槍騎兵の愛を受け入れ、新しい愛を育んで結婚し、槍騎兵の任地へと旅立って行った。
 ひとりぼっちになったタチヤーナは癒えない悲しみの中、孤独に沈んだ。さ迷うように野原を歩いていると、いつしかオネーギンの領地に足を踏み入れ、屋敷の前に来た。留守番の女中頭に頼んで中へ入れてもらい、オネーギンの部屋で長い時間を過ごした。翌々日にもまた訪れ、オネーギンの蔵書を読み始めた。
 最初は泣いてばかりだったが、本を読み進むうちに、オネーギンがつけた印、書き込みに興味をひかれるようになった。そしてタチヤーナは彼がどんな事に興味を持ち、何を考えていたかを理解し始めた。あの人はチャイルド・ハロルドのマントを着たロシア人なのだ、とタチヤーナは思った。
 一方家ではラーリナ夫人が隣人と共に、なかなか縁づかないタチヤーナを心配していた。タチヤーナはどんな縁談も断っていたのである。そして隣人の入れ知恵もあり、冬が来たらタチヤーナをモスクワの花嫁定期市へと送り込む事になった。
 タチヤーナは夏の間、できるだけ大好きな野原をめぐって、故郷の自然に別れを告げて回った。
 そしてとうとう冬がやって来た。延ばし延ばしにしていたが、ついに出発の時が来た。タチヤーナはラーリナ夫人に連れられてほぼ1週間かかってモスクワへたどり着いた。
 モスクワは騒々しく見慣れない事ばかりで、タチヤーナは田舎へ帰りたくなった。しかし叔母の公爵夫人は心よく姉妹のラーリナ夫人とタチヤーナを迎えてくれ、早速タチヤーナは花嫁市場へとひきずり出され、劇場や夜会など、ありとあらゆる場所へ連れて行かれた。
 引っ込み思案で垢抜けないタチヤーナは気取った若者たちからはあまり評判がよくなかったが、ある堂々とした将軍がタチヤーナに目を留めた。  
(1827、28年 ミハイロフスコエ村およびマリンニキにて)
第八章 社交界
 森にも畑にもレンスキーの亡霊を見てしまうオネーギンは旅に出ていたが、数年後その旅にも飽きてしまい、ペテルブルクへ戻って来た。そしてその足で社交界へ赴いたが、そこで親戚で友人でもある将軍が気品のある若い貴婦人とやって来たのを見て驚いた。まさか、あれはあの田舎令嬢のタチヤーナではないか…。
 将軍である公爵に声をかけると、公爵は妻となったタチヤーナを紹介してくれた。タチヤーナはオネーギンを見ても何ら動揺した様子はなく、通りいっぺんの事を訊ねた後、疲れたような顔をして去って行った。
 オネーギンは驚いた。あの風格のある素晴らしい貴婦人が彼がかつて袖にしたタチヤーナなのか。オネーギンは未だ切々と恋情を訴えたタチヤーナのいじらしい手紙を保管しているのだが、公爵夫人となったタチヤーナは全く隙を見せようとせず、心憎いまでに立派に振る舞っていた。
 翌朝、将軍である公爵から夜会への招待状が届いた。オネーギンは夜が来るのを待ちかねて公爵邸へと駆けつけた。
 オネーギンは夜会の間中タチヤーナを見つめていた。オネーギンは恋に陥ったのであった。手を伸ばせば簡単に届く時には見向きもしなかったのに、社交界の尊敬を受けるつれない公爵夫人には子供のように夢中になったのであった。
 以来オネーギンはあらゆるところでタチヤーナの側にいられる事に喜びを見出すようになった。しかしタチヤーナの方は相変わらずオネーギンに対して特別な感情を示そうとはしなかった。
 想いをこらえきれなくなったオネーギンはついにタチヤーナにあふれ出す想いを打ち明ける手紙を書いた。しかし返事は来なかった。第二、第三の手紙も書いたが、やはり返事はなかった。夜会などでタチヤーナの表情に動揺を探そうとしたが、そこに見られたのは怒りの表情のみだった。
 オネーギンは再び社交界を離れた。そして読書に、満たされぬ恋に浸った。そうして詩人のような暮らしをしているうちに、春が来た。
 オネーギンはいてもたってもたまらず、タチヤーナの元へ駆けつけた。
 タチヤーナは一人で部屋にいた。化粧もしておらず、座ってオネーギンからの手紙を読み、はらはらと涙を流していた。
 オネーギンは彼女の足元に身を投げ出したが、タチヤーナは驚きもせず、怒りの表情もなく無言で彼を見つめ、やがて口を開いた。
 「起きてください。あなたは昔幼い田舎娘の私を冷酷に扱い、説教までしました。それが今こうして私に執着していらっしゃるのは、私が宮廷の覚えがめでたい身分の高い将軍の妻だからでしょうか。そして私が不貞を犯せば誘惑者として名をあげる事ができるからでしょうか。どうぞこのような事はおよしになって、名誉と知性を大事になさってくださいませ。
 私の心は何も変わっていません。今も心の中では変わらずあなた一人をお慕いしております。今の身分や生活などかなぐり捨てて昔に戻れるものならどんなにいいでしょう。しかしもうすべては変わってしまいました。私は人妻です。一生夫に貞節を尽くすつもりでおります。どうかもう私をお見捨てくださいませ…。」
 タチヤーナは去った。オネーギンは呆然と立ち尽くしていた。そしてオネーギンの耳にタチヤーナの夫である将軍の帰りを知らせる拍車の音が聞こえて来た…。
(1830年9月 ボルヂノ村にて)
(終わり)

<チャイコフスキーのオペラ>


第一幕・第一場 (ラーリン家の庭)
 ラーリナ夫人が乳母とジャムを作っていると、二人の娘、タチヤーナとオリガの二重唱「林の向こうから恋と悲しみの歌が聞こえて来る」が聞こえて来た。ラーリナ夫人は昔を思い出し、乳母と過ぎし日を語り始めた。流行の服で身を飾った彼女には好きな男がいたが、親の決めたラーリンと結婚。最初こそ嘆いていたが、やがて家庭経営に夢中になり、それが習慣となるにつれて平穏な家庭に満足するようになった…そして夫は自分を信じてくれ、心から愛してくれた…。
 二人が話している間に姉のタチヤーナが恋愛小説に耽溺しながら登場。農民たちも「歩き通しで細い足が痛む」を歌いながら、収穫を終えた報告をしに現れた。ラーリナ夫人に乞われて、農民たちは楽しげに可愛い恋歌を歌い踊った。陽気な妹のオリガも出て来て、農民たちと共に踊った。歌と踊りが終わると、農民たちは退場した。
 ラーリナ夫人がタチヤーナの文学への耽溺をやんわりとたしなめていると、オリガの婚約者で若き詩人のレンスキーが都会から来た友人オネーギンを連れてやって来た。ラーリナ夫人は食事の支度のために席をはずし、若い4人が残された。レンスキーはうっとりとオリガに恋を語り、オネーギンはタチヤーナと静かに読書について語った。

第一幕・第二場 (タチヤーナの寝室)
 乳母がタチヤーナを寝かせようとしているが、オネーギンとの出会いに胸いっぱいになったタチヤーナは眠る事ができず、乳母の恋や結婚などの昔話をせがんだ。乳母はなつかしく話し始めるが、タチヤーナは聞いていなかった。あまりに目がらんらんとしており熱っぽいので、乳母は病気ではないかと心配したが、タチヤーナは恋をしていると打ち明けた。
 乳母が行ってしまうと、あふれ来る胸の想いに突き動かされ、タチヤーナはオネーギンへの切々たる恋文を書き始めた。(手紙の場:「違うわ、また書き直しよ…」)
 書き終えた頃に夜が明けた。タチヤーナは書き終えた手紙を乳母に渡し、孫に届けてもらうように頼んだ。


第一幕・第三場 (ラーリン家の庭の片隅)
 農民の娘たちが可愛らしい恋の駆け引きの歌を歌っている(合唱「きれいな娘たち、可愛い友よ」)。その歌を聞くともなく聞きながら、タチヤーナは物思に沈んでいた。あの人は私の手紙をどうお思いになっただろう…。
 と、遠くにオネーギンの姿が見えた。オネーギンの返事を思うと恐ろしくてたまらなくなったタチヤーナだが、やがて近づいて来たオネーギンはタチヤーナの手紙について口を開いた。
 …あなたの純粋な魂の告白は私の心を波立たせました。もし私が花嫁を選ぶならば間違いなくあなたをえらぶでしょう。しかし私は結婚には向かない男です。若い娘は移り気なもの。空想の中に生きている。これからは自分の胸のうちを押さえる術を学びなさい。世間知らずは災いのもとです…(「もしも僕がこの人生を家庭の枠にとどめるならば」)
 オネーギンの冷たい説教を聞きながら、タチヤーナは見る影もなくしおれていった。目は涙で曇って何も見えなかった。


第二幕・第一場 (ラーリン家の広間)
 オネーギンから冷たく拒絶されてもタチヤーナの恋の炎は消えず、いや、ますます燃え上がった。そして叶わぬ恋の悲しみにうち沈んでいた。そんな中タチヤーナの名の日の祝いが盛大に開かれた。軍楽隊も登場し、その演奏で老いも若きもダンスに興じ、宴会は盛り上がった。
 レンスキーに誘われたオネーギンもいやいやながらやって来た。タチヤーナとダンスを踊るなど精一杯愛想をしたが、客たちの評判は良くなく、変人だと悪口がささやかれていた(「これは驚いた」)
 タチヤーナのしおれた様子や田舎社交界にむかむかしたオネーギンは、レンスキーを怒らせて気晴らしをしようと思いつき、オリガを口説くふりをする事にした。
 オネーギンはレンスキーからオリガを取り上げ、甘い言葉を耳元にささやきながら楽しげに踊った。オリガは一旦レンスキーのもとへ帰ったが、レンスキーが「愛は終わってしまったのか」などとあまりに焼きもちを焼くのでうっとうしくなり、口論になった。
 タチヤーナはオネーギンの振る舞いの意味がわからず、激しい嫉妬に心がずたずたになっていた。フランス人のムッシュ・トリケが自作の詩をタチヤーナに捧げた(「この日に祝う宴に招かれた我らは」)が、それも上の空だった。
 賑やかなコティリオンが始まり、嫉妬のしっぺ返しにオリガはまたオネーギンと楽しげに踊った。
 うまくレンスキーを怒らせて満足したオネーギンは機嫌よくレンスキーに声をかけたが、レンスキーは食ってかかった。そのまま二人は口論となり、オネーギンに侮辱され、馬鹿にされたと思い込んだレンスキーはオネーギンの足元に白い手袋をたたきつけ、決闘を申し込んだ。(「あなたの家で…」)
 思いもかけない展開となり動揺したオネーギンだったが、多くの招待客の面前で申し込まれた決闘を受けないわけにはいかなくなった。皆の悲嘆の中、オネーギンは手袋を拾い上げ、決闘を受けてたった。
 祝いの場は騒然となり、皆それぞれの思いにとらわれた。善と人を信じて薔薇色の夢しか見てこなかったレンスキーは今こそ世間を知った気がした。オリガはこんな事になったのは私のせいではない、男はすぐにかっとなって決闘をする、と嘆いた。オネーギンは愛する友人とこんな事になるなんて、自分はあまりに軽率だった、と悔やんだ。そしてタチヤーナは心から傷つき、ますますオネーギンという人がわからなくなって絶望した。


第二幕・第二場 (水車小屋)
 翌朝、レンスキーは介添え人の決闘家ザレーツキィと共に時間通り到着したが、オネーギンはなかなか来なかった。レンスキーは物思いにふけり、決闘にのぞむ心情を切々と歌い上げた。(アリア「青春は遠く過ぎ去り」)
 寝坊をしたオネーギンはだらしのない服装をして、介添え人の代わりに召使を連れて、やっと現れた
 みんな決闘の事を知っており、決闘家のザレーツキィまで絡んでいるため今さら退くに退けないのだが、二人の心の中の声は、何とかしてこの決闘を避けて友人としてこのまま別れたいと叫んでいた。
 しかしザレーツキイの立会いのもと、形式にのっとって決闘は始まった。先にオネーギンのピストルが火を噴き、レンスキーは声もなく倒れた。「殺されました。」というザレーツキィの声が響いた。
 オネーギンは頭が真っ白になり、よろよろとその場を離れた。


第三幕・第一場 (ペテルブルクの舞踏会)
 華やかではあるが、空虚で退廃的な雰囲気の中、舞踏会が開かれている。そこにひょっこりオネーギンが現れた。どこにでも絶えずレンスキーの亡霊を見てしまうため、領地を離れて旅に出ていたのだが、その旅にも飽きて所在なく古巣のペテルブルクに戻って来たのであった。職もなく妻もなく拠り所のないオネーギンを社交界の人たちはひそひそと噂していた。
 そこへ身分の高いグレーミン公爵がタチヤーナと共に現れた。オネーギンは驚いた。素朴な田舎令嬢だったタチヤーナは気品ある優雅な貴婦人として社交界の尊敬を集めていたのである。
 タチヤーナもオネーギンに気づき、周囲の人にあれは誰かと訊ね、オネーギンである事を確認し、胸が波立つのを感じていた。
 オネーギンも親戚で友人でもあるグレーミン公爵に声をかけ、あの女性は誰かと聞いてみた。グレーミン公爵はあれは私の妻だと答え、白髪の軍人である自分も若者のように彼女に恋をし、結婚した。虚栄にあふれた冷たいこの世でタチヤーナは光輝いている、彼女は私を暖かく照らす天使だ、とタチヤーナを讃えた。(「恋に年齢は関係ない」)
 そしてタチヤーナを呼び、オネーギンに紹介した。タチヤーナはいささかも動揺を見せず、昔の知り合いとしてごく普通の質問を少しした後、疲れたと言って夫と共に去って行った。
 オネーギンは去って行くタチヤーナをいつまでもじっと見つめていた。オネーギンは気品にあふれ、毅然とした公爵夫人に恋をしてしまったのであった。(アリア「間違いない、恋に落ちた」)


第三幕・第二場 (グレーミン公爵邸の一室) 
 人前では何でもない風を装っていたが、オネーギンの出現によってタチヤーナの心は揺れていた。少女の頃の気持ちが甦ってきたのだ。(「心が痛む、ああ、オネーギン」)
(以下、二人の二重唱) 
 そんなタチヤーナの前にオネーギンが現れ、ひざまずいた。タチヤーナは自分が手を伸ばせば届くところにいた時にはあんなに冷たく拒絶したのに、なぜ今になって自分に執着するのか、夫の身分が高いために自分を誘惑してものにすれば名声になるからか、とオネーギンに真意を問うた
 そんなタチアーナにオネーギンは自分の胸の想いを熱く語り、すべてを捨てて自分の所へ来て欲しいと迫った。
 心の中ではオネーギンを愛し続けていたタチヤーナは気持ちが激しく揺れたが、やっとの思いでオネーギンを押しやり、言った。
 …私はあなたを愛しています。しかしすべては遅すぎました。私は人妻です。永遠に夫に貞節を尽くすつもりでいます。さようなら、永遠にお別れです…
 そしてタチヤーナはオネーギンに背を向けた。オネーギンは、心の痛みに打ちのめされながら、虚しく惨めな運命を嘆いた。
(終わり)

<クランコのバレエ:「オネーギン」>


第一幕・第一場 (ラーリン家の庭)
 ラーリナ夫人と妹娘のオリガ、乳母の3人が姉娘タチヤーナの名の日の祝いに着るドレスを仕上げている。オリガは仕上がったドレスを身体にあてがいながらはしゃいでいたが、タチヤーナは一人離れて恋愛小説に熱中していた。陽気なオリガはこんなのどこがおもしろいの、ドレスの方がずっと素適よ、とばかりに本をとりあげてからかった。
 ラーリナ夫人は流行のドレスを着て恋をしていた昔を思い出しながら、タチヤーナにいい相手が現れますようにと祈っていた。

 賑やかなラーリン家に若い娘たちも集まって来て、オリガと一緒に踊り出した。
 ひとしきり踊りが済むと、ラーリナ夫人は机に鏡を置いた。古くから伝わる言い伝えで、若い娘が思いを込めて見ていると、鏡の中に将来の恋人が現れるというのだ。
 娘たちがはしゃぐ中、オリガが鏡の前に座った。その時オリガの許婚のレンスキーがやって来て、驚かせてやろうと、そっとオリガの後ろから鏡を覗き込んだ。鏡に映ったレンスキーを見たオリガは喜び、レンスキーと抱き合った。
 鏡が空いたので、占いや古い言い伝えが大好きなタチヤーナも鏡の前に座ってみた。
 少し遅れてペテルブルクから来たレンスキーの友人、オネーギンがやって来た。レンスキーはオネーギンをラーリナ夫人やオリガに紹介した。お姉さんはどこ、と聞かれたオリガは鏡の方を指差した。
 オネーギンはタチヤーナにあいさつをしようと、背後から鏡を覗き込んだ。本当に鏡の中に男性が現れたので、タチヤーナは驚いて振り返った。オネーギンは丁重にあいさつをした。
 私がずっと待っていた運命の人とはこの人なのかしら…知的で洗練されたオネーギンにタチヤーナの胸はときめいた。
 純粋な理想と甘い夢想に生きる詩人のレンスキーは、愛しいオリガとの結婚が迫ってきている事もあり、幸せいっぱいに踊り始めた(レンスキーのヴァリエーション)。やがてオリガも加わって、一緒に踊った(二人のうっとりと恋する様子がPDDで表現されます)そして踊りつかれたレンスキーとオリガ、娘たちはオネーギンとタチヤーナがいないのに気がつき、彼らを探しに駆け出した。
※ PDDはパ・ド・ドゥ(男女二人による踊り)の略です。
 そこへ散歩していたオネーギンとタチヤーナが帰って来た。タチヤーナは本を持っておずおずとオネーギンに従っているのだが、どきどきしてしまって、どう振舞ってよいのかわからなかった。オネーギンはと言えば、タチヤーナの相手をしようと努めるのだが、田舎の文学少女は彼にとって退屈だった。タチヤーナは自分の世界に入ってしまうオネーギンに近づこうとして手を伸ばすが、届かない…(このかみ合わない様子がPDDで表現されます)
 そしていつしか二人は遠ざかってしまった。

 若者たちと娘たちが登場し、ロシア風民族舞踊を踊り出した。レンスキーとオリガもやって来て、みんなで楽しく踊った。
 やがて客たちの帰る時間が来た。退屈していたオネーギンはさっさと帰ってしまった。若者たちや娘たちも賑やかに大騒ぎしながら、レンスキーもオリガとの別れを惜しみながら、帰って行った。


第一幕・第二場 (タチヤーナの部屋)
 恋に胸をかき乱されて眠れないタチヤーナはベッドから起き出した。昼間の出来事を思い出し、オネーギンの姿が映らないだろうかと期待して鏡をろうそくの灯で照らし出したが、自分の姿が映るばかりだった。
 タチヤーナは机に向かい、押さえ切れない想いを手紙につづり始めた。 
 乳母が入って来たので、仕方なく寝るふりをしたが、行ってしまうと、再び起き上がって手紙を抱きしめてうっとりと恋に浸っていた。ほどなくタチヤーナは眠りに陥った。
 タチヤーナが鏡の前に行くと、鏡の中にオネーギンが現れ、タチヤーナにキスした。驚いたタチヤーナは一旦鏡から離れてもう一度鏡を覗いたが、またしてもオネーギンが現れた。そしてオネーギンは鏡から出て来てタチヤーナの手をとり、踊り始めた。
 昼間に庭で会ったオネーギンと違い、鏡から出て来たオネーギンは優しく愛情にあふれていた。そんなオネーギンに支えられ、タチヤーナは情熱のままに踊り、恋の喜びに震え、浸った。(鏡のPDD)
 やがてオネーギンは鏡の中へ姿を消した。
 気がつくと、タチヤーナは部屋の真ん中に寝ていた。もしや、と思い鏡を覗いてみるが、またしても自分の姿が映るばかりだった。
 夢に励まされ、タチヤーナは手紙の続きを書き始めた。書き終わる頃には朝が来て、乳母がやって来た。タチヤーナは乳母に手紙を渡し、孫に届けてもらうようにと頼んだ。

第二幕・第一場 (ラーリン家の広間)
 タチヤーナの名の日の祝いが始まっており、オリガとレンスキーや若者たちが楽しく踊っている。老人たちもやって来て、今日の主役タチヤーナの手を取ってよたよた踊ったりして、田舎の社交界は盛り上がっていた。
 そこへあくびをしながらオネーギンがやって来た。レンスキーに強引に誘われ、仕方なくやって来たのだが、早くも田舎社交界に退屈していた。一方、オネーギンの返事を心待ちにするタチアーナの胸はどきどきと波打った。
 一応お愛想に主役のタチヤーナを踊りに誘ったオネーギンを、いつしか遠巻きに人々が取り囲んでいた。社交嫌いのオネーギンがラーリン家には顔出しをしているため、人々はオネーギンがタチヤーナと結婚するものだと決めてかかっており、いつタチヤーナに結婚を申し込むのかと噂していたのである。
 タチアーナの不安と期待の入り混じった消え入りそうな様子と、回りの者の田舎者根性に嫌気がさしたオネーギンはタチヤーナを放り出し、不機嫌にカードを切り始めた。
 人々が踊りながら遠ざかって二人きりになると、オネーギンは懐から手紙を取り出してタチヤーナに突っ返そうとした。タチヤーナにはオネーギンの思いやりのないやり方が耐えられず、首を横に振りながら泣き出した。
 その様子にますますイライラを募らせたオネーギンはタチヤーナの目の前で手紙を破り、呆然とするタチヤーナの手に握らせた。そして再び不機嫌にカードを並べ始めた。
 人々が戻って来たが、タチヤーナは泣きながらその場から逃げ出した。
 そこへ地位のある将軍、グレーミン公爵がやって来た。年配ではあるが独身のグレーミン公爵を、ラーリナ夫人はタチヤーナの願わしい花婿候補と考えていた。グレーミン公爵が親戚で友人のオネーギンとあいさつしていると、ラーリナ夫人に連れられてタチヤーナが戻って来た。
 グレーミン公爵はタチヤーナを気に入り、ダンスに誘った。まだ涙が乾かないタチヤーナは気乗りがしなかったが、ラーリナ夫人に促されて公爵と踊り始めた。

 タチヤーナの涙にますますいらいらしたオネーギンは、レンスキーを怒らせて気晴らししようと思いついた。そしてオリガにちょっかいをかけ、レンスキーから取り上げて踊り始めた。オリガは女の扱い方を知っているオネーギンにすっかりのせられてしまった。
 オリガはほんのり頬を染めながらオネーギンと踊り、レンスキーが取り戻そうとしても笑いながら逃げてしまう。レンスキーの怒りが段々と募って来るのを、人々ははらはらしながら見ていた。
 レンスキーの怒りを心配するのに加えて、嫉妬で耐えられなくなったタチヤーナは、何とかやめさせようとオネーギンとオリガの間に割ってはいったが、楽しくてたまらないオリガは言う事をきかなかった。
 オネーギンはレンスキーの怒りを見て、気晴らしがうまく行っている事に満足していた。
 そしてラーリナ夫人は良縁を成就させようと、一生懸命にグレーミン公爵のお相手を務めていた。
 やがて人々の踊りは一段落し、オネーギンは再び一人でカードを並べ始めた。
 タチヤーナはオネーギンの気持ちがさっぱりわからなかった。一体どうしてこんなにひどい事をするのだろう…なぜ?…波立つ心を抑えきれず、オネーギンに訴えた(タチヤーナのヴァリエーション)
 しかし苛立ったオネーギンに追い払われ、恐くなって逃げ出した。

 再びダンスが始まった。タチヤーナに苛立ったオネーギンは、またしてもレンスキーからオリガを取り上げて踊り始めた。楽しげなオリガはレンスキーが戻って来いと言ってもきかない。タチヤーナや回りの人々がはらはらする中、ついにオリガもレンスキーの怒りに気がついて、彼の元へ戻った。
 しかしもはやレンスキーはオリガを受け付けなかった。純粋な理想を打ち砕かれ、侮辱されたと受け止めたレンスキーはオネーギンの横っ面を手袋でひっぱたき、その足元へ投げつけ、決闘を申し込んだ。
 タチヤーナとオリガは驚き、何とか止めようとしてレンスキーにすがりついたが、もはや彼を止めることはできなかった。
 オネーギンは思いもかけない事態の進展に呆然としたが、彼もまた名誉を重んずる若者であり、公衆の面前で申し込まれた決闘から逃げる事はできなかった。
 オネーギンは手袋を拾い上げ、挑戦を受けて立った。 
第二幕・第二場 (森)
 オネーギンとレンスキーはピストルを手に決闘の場へと向かった。
 先に着いたレンスキーは、時ならぬ時に倒れてしまうかもしれない自分を、愛する乙女はいつまでも嘆いてくれるだろうか、と自分の運のつたなさを嘆いた(レンスキーのヴァリエーション)
 そこへタチヤーナとオリガが現れて決闘をやめるように懇願するが、レンスキーはもはや聞く耳を持たなかった。遅れてオネーギンも現れた。二人の女はオネーギンにもすがりついたので、オネーギンはレンスキーに今一度決闘の意思を確かめた。しかし一度破壊されたレンスキーの心は元には戻らなかった。
 二人の男は形式に従って決闘を行った。先にオネーギンのピストルが火を噴き、レンスキーは声もなく倒れ、絶命した。
 一人戻って来たオネーギンにタチヤーナは、なぜこんな事を…?と問うた。それはオネーギン自身にもわからなかった。愛する友人の命を奪ってしまったオネーギンは、後悔と悲しみに崩れてしまった。

第三幕・第一場 (ペテルブルクの舞踏会)
 華やかな舞踏会が開かれている。グレーミン公爵がオネーギンを連れて現れ、数年ぶりに帰って来た彼を皆に紹介していた。心ならずも決闘でレンスキーを撃ち殺してしまったオネーギンは、いたる所にレンスキーの亡霊を見てしまい、逃げ出すように旅に出たのであった。そしてその旅にも飽きて、当て所ももなくペテルブルクの社交界へ戻って来てしまったのである。
 オネーギンの心の中に昔の放蕩な生活、恋愛遊戯の記憶がよみがえった。そして更に、ささやかな田舎の幸せを壊してしまった痛恨の日々が思い浮かんだ。そして彼の弾に命を失くしたレンスキーの姿が現れ、この華やかな場でもオネーギンを苦しめ続けるのであった。
 人々が賑やかに集う中、グレーミン公爵が若い夫人を伴って戻って来た。夫人は気品のある優雅な女性で、社交界から尊敬を受けていた。グレーミン公爵は夫人と踊り始めたが、夫妻の仲のよさと家庭の穏やかさを感じさせるたおやかな踊りだった(グレーミン公爵とタチヤーナのPDD)。
 我に返ったオネーギンは愕然とした。その素晴らしい公爵夫人こそ、昔彼が冷たく袖にしたタチヤーナではないだろうか…。
 踊り終えたグレーミン公爵は妻をオネーギンに紹介した。タチヤーナは礼儀正しく昔の知り合いに接したが、疲れたと言って夫と共に立ち去った。オネーギンの胸は波立った。優雅な公爵夫人に、オネーギンは恋をしてしまったのだった。


第三幕・第二場 (グレーミ公爵邸・タチヤーナの部屋)
 オネーギンは抑え切れない胸の想いを打ち明ける手紙をタチヤーナに書き送った。一人部屋でオネーギンの手紙を読むタチヤーナの心は乱れていた。人前では平気な顔を装っていたが、オネーギンの出現はタチヤーナに昔の気持ちを思い起こさせていたのであった。
 そこへグレーミン公爵が入って来て、外出のあいさつをした。タチヤーナはすがりつくように、今日は出かけないで、と引き止めるが、何も知らない公爵は妻の可愛いわがままだと思い、軽くなだめて出かけてしまった。

 そして一人になった所へオネーギンがやって来た。タチヤーナは毅然とした態度をとり、オネーギンの愛の言葉に耳を貸さなかった。オネーギンはタチヤーナの足元に身を投げ出し、去ろうとするタチヤーナを引き止め、その手にすがりついた。
 心の中ではずっとオネーギンを愛し続けていたタチヤーナは思わずオネーギンの求愛に負けそうになった。しかしタチヤーナはもはや人妻であり、自分の想いは心の中に封じ込めて、一生夫に貞節を尽くす決心をしていた。
 タチヤーナはオネーギンを振り払おうとした。しかしオネーギンを前にして健気な決心も崩れそうになる。それを知ったオネーギンはますます激しく愛を訴える…。
 ついにタチヤーナは負けそうになり、オネーギンに勝利が見えかけた。しかしタチヤーナは土壇場で踏みとどまった。そしてオネーギンの目の前で手紙を破り捨て、永遠の別れを告げて、出て行くようにと申し渡した(この葛藤がPDDで表現されます…手紙のPDD)
 オネーギンは絶望して立ち去った。たまらずタチヤーナはその後を追ってしまいそうになった。しかし彼女はかろうじて踏みとどまった。そして独り、こらえ切れない悲しみに身を震わせた。
(終わり)

 




原作:プーシキンの韻文小説について


 「エフゲニー・オネーギン」はロシアの国民的詩人と言われるプーシキンの代表作であり、1823年から1830年にわたって書かれました。「のちにオネーギン・スタンザと呼ばれる14行4脚弱強の各連を集めて全8章が構成され…(「ロシア文学への扉」より)、詩形式で書かれているため、韻文小説と言われています。
 アレクサンドル・セルゲーエヴィッチ・プーシキン(1799−1837)は古い貴族の家に生まれ、早くから文学の才能を花開かせて社交界の寵児となりました。
 しかし自由主義的思想を持った彼は政治的な詩を書き、それが宮廷の不興をかって、1820年から26年まで地方追放されていました。そして不本意な日々を送りつつ、
 「自己に近い貴族の青年を主人公にして、いわば自己検証ののような性格も秘めたこの韻文小説に着手…生に倦怠したその主人公がロシアの現実の中で遭遇する愛と死と放浪の物語、という大筋だけを予め構想して、一章、また一章と半ば即興的に書き進められて完成をみた…」(「プーシキンとロシアオペラ」より引用」
 それがこの「エフゲニー・オネーギン」なのです。プーシキンは近代ロシア文章語の完成者、近代ロシア文学の確立者とも言われています。



 主人公のオネーギンは若くして厭世的となり、仕事にも愛にもきちんと向き合う事ができずに自らの人生を棒に振ってしまいますが、これは19世紀に花開いたロシア文学に特徴的な「余計者」の原型となりました。
 無気力で怠惰、かつ傲慢なオネーギンのイメージはあまりよくはありませんが、これも時代の産物らしいのです。当時のロシアは専制政治と農奴制という古いシステムをとっており、自由主義が広まり始めた西欧より政治的・社会的・文化的にかなり遅れていたようです。
 そして西欧式の教育を受けた貴族の青年たちは近代的な改革を望んだのですが、その声は権力によって跳ね返されました。1825年に起こったデカブリストの乱もすぐに鎮圧されています。
※デカブリストの乱…1825年12月14日、貴族の将校たちが皇帝による専制政治に異議を唱え、農奴解放を要求して武装蜂起した事件。
 改革の必要性を痛感しながらも権力の厚い壁に阻まれてどうする事もできない…そしてうわべばかり飾り立てるけれど真実などどこにもない社交界に窒息しそうになる…そんな時代背景の中でオネーギンのような青年たちが生まれて来たのです。ただの怠け者やばか者とは違い、むしろ本来彼らは知的で教養があり、理想を持ち、繊細な心を持った人たちなのです。
 もう一歩進んで、強さやしぶとさも持っていればよかったのですが…。生活において苦労もなく、借り物の「西欧型知識」を身にまとったにわか作りの悲しさでしょうか…。



 それと対照的なのが女性主人公であるタチヤーナです。田舎で生まれ育ったタチヤーナは「ロシアの自然と民衆性の体現者」(「ロシア文学への扉」)として描かれています。
 文学少女タチヤーナは純粋な恋心を綴った手紙をオネーギンに出し、愛を拒まれた上に「このような無防備さは災いの元となるから以後慎むように。」とオネーギンに説教までされてしまいます。
 その後、つらい体験を経て、タチヤーナはいろいろな事を学び、成長していきます。そして公爵夫人として首都ペテルブルクの社交界で尊敬を受ける存在となるのです。
 一方、説教をした張本人のオネーギンはどうかというと、軽率な行いから親友のレンスキーを射殺してしまい、自らも救いようがないほど傷ついて領地から逃げ出して旅に出ます。ところがその旅にも飽きてペテルブルクの社交界へとふらふらと戻ってきてしまうのです。
 そして成長しないオネーギンは成長したタチヤーナから永遠の別れを告げられる事になります。
 オネーギンが「余計者」の原型であるとすれば、タチヤーナは「ロシア文学史上もっとも尊敬されるヒロイン」(「ロシア文学への扉」)と言われています。(トルストイの「アンナ・カレーニナ」と比べると興味深いですね。) 
 社交界でちやほやされていた立場から一転して地方へ流されたプーシキンは、苦労しつつ成長した軌跡を、書きながら段々と好きになって来たタチヤーナに投影したようです。




 それにしても男性というのは、現実的ではないというか、大人にはなりにくいというか、難しいところがあるのですね。成長できないのはオネーギンだけではなく、レンスキーも結局成長する事なくこの世を去っていきました。
 物語では18才で決闘に敗れてこの世を去ることになっていますが、実際のところ、あのような純粋な理想や甘い夢想に浸ってられるのは18才ぐらいまで、ということなのでしょう。それを過ぎたら、たとえ現実には生きていても純粋な青年ではなくなって現実を知るようになり、オネーギンみたいになってしまうのかもしれません。
 タチヤーナたちの父親であるラーリンのように大人になれるのは、オネーギン的状況を乗り越えた人か、もともと足が地についている人、またはあまり何も感じない・考えないのんきな人たちなのでしょう。
 それにしても、オネーギンが無気力に陥らずにきちんと自分自身を見つめ、タチヤーナに向き合って彼女を愛していれば、どんなにみんな幸せだったことでしょう。
 レンスキーも死なずにすんだし、オリガもレンスキーと結婚して近くに住んでいられたし…。そうすればラーリナ夫人だって独りぼっちにならず、娘や孫に囲まれて幸せな老後を送れたでしょう。タチヤーナも想いを胸に封印して人妻として毅然と生きる…なんて人から褒められこそすれ、女として不幸な生き方をしなくてすんだはずです。 
 でも、そんなにオネーギンの出来がよかったら、この美しい韻文小説は成立しませんね。自分が不幸になってしまうのみならず、回りの者をも不幸にするからこそ、オネーギンは「余計者」。しかも以後ロシア文学で連綿と描かれ続ける「余計者」の元祖なのです。



 「エフゲニー・オネーギン」は原文で読むと韻文のリズムが非常に心地よく、それ故になお人気が高くて、ロシア人にとっては特別なものだそうです。そう言われるとロシア語がわからない身にはちょっと残念ですが、この作品の魅力はそれだけではありません。
 プーシキンが詩という形式で物語を書いたのは、若い頃に傾倒していた英国のロマン派詩人、バイロンの影響です。しかしいつしかプーシキンはあまりに強烈なエゴを持ち主観主義的なバイロンの文学から離れるようになりました。
 プーシキンはバイロンのように主人公と作者を一体化させる事を避け、ゆったりと物語を運びながら物語から脱線して文学やロシアの自然や習慣、いろいろな階層の人々について雑談し、また物語の登場人物についても雑談風にあれこれ語りました。
 そういった自由な創作態度がこの作品に詩情あふれる豊かさをもたらしており、それは翻訳からも伝わってきます。そして我々はこの作品を通じてプーシキンの感性、人となりに親しくふれる事ができ、また当時のロシアの生活をも知る事ができるのです。
 1826年にモスクワに戻ったプーシキンですが、その後も見張りがつくなど、不本意な待遇が続きました。
 1830年に絶世の美女と言われたナタリア・ゴンチャロワと結婚しますが、この妻にジョルジュ・ダンテスという近衛士官が執拗に言い寄りました。ついに1837年、プーシキンはレンスキーの如くダンテスに決闘を申し込み、ダンテスの弾に倒れて2日後に亡くなってしまいました。
 若くて世間知らずのレンスキーとは違い、プーシキンの決闘と死は政治的陰謀だ、という説がささやかれたそうです。




チャイコフスキーのオペラについて

音楽 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
原作 アレクサンドル・セルゲーエヴィッチ・プーシキン
台本 コンスタンティン・シロフスキー&ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
初演 1879年3月17日  於 マールイ劇場(モスクワ)


 「エフゲニー・オネーギン」はチャイコフスキーにとって5作目のオペラです。当時ロシアで主として上演されていたのはイタリア・オペラであり、描かれていたのは英雄や王族、美女などでしたが、チャイコフスキーはこの作品によって普通の人たちの普通の出来事をありのままに描こうとしました。そしてこの作品をオペラというよりは、原作に挿絵のようにつけられた叙情的情景である、としたそうです。
 そういった事情もあって観客も戸惑ったのか、初演はあまり好評ではなく、1881年のモスクワ・ボリショイ劇場での上演も同様でした。人々に受け入れられるようになったのは、1884年のマリインスキー劇場(ペテルブルク)以来だといいます。
 チャイコフスキーはプーシキンの原作に敬意と愛情を抱いており、原作の詩をできる限り生かす事を心がけました。
 タチヤーナの手紙のアリアなどは、わずかの削除と補作があるのみで、原作がそのまま使われているそうです。他にも農作業の娘たちの歌やレンスキーの決闘前の嘆きの歌など、原作の詩をほぼそのままに、我々はチャイコフスキーの音楽付きで味わうことができるのです。



 詩句には忠実なチャイコフスキーですが、物語の展開や登場人物の扱いはかなり独自のものとなっています。
 原作におけるオネーギンは傲慢で無気力ではありますが、まだ共感できるところがあります。しかしオペラでは時代背景や細かい事情など説明していられませんから、かなり損な役回りとなっています。
 それに比べて原作では思慮の足りない若者として描かれていたレンスキーは、聞かせどころのアリア「わが黄金の青春の日々はどこへ行ったのか?」などをもらって、若き悲運の詩人として格好良く描かれています。死後にオリガがさっさと他の男になびいた事情が描かれていないために面目も保て、レンスキーにとっては幸いな事です。(やっぱりオペラにおいてテノールはお得です。)
 もっともチャイコフスキーが一番魅せられた登場人物はタチヤーナのようです。この「エフゲニー・オネーギン」は題名を「タチヤーナ・ラーリナ」にしてはどうか、とまで言われているそうで、オペラの作曲もタチヤーナの手紙のアリアから始められました。「ロシア文学史上、最も尊敬されるヒロイン」であるタチヤーナを、チャイコフスキーも愛し憧れたのですね。
 実は作曲にとりかかる直前、チャイコフスキー自身も女性から熱烈な恋を告白する手紙をもらいました。オネーギンと違って拒絶せず手紙を書いた女性と結婚したのですが、その結婚生活は絶望的なものであったそうで、チャイコフスキーは自殺未遂騒動を起こしてしまいました。
 暗く気の毒なエピソードの多いチャイコフスキーですが、悲惨な目にあうだけでは終わらないところがさすが天才作曲家。ウクライナやイタリアに転地し、この騒動のショックから立ち直るべく仕事に熱中し、この「エフゲニー・オネーギン」を仕上げた、ということです。



クランコのバレエ「オネーギン」について

振付・台本 ジョン・クランコ
原作 アレクサンドル・セルゲーエヴィッチ・プーシキン
音楽 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
選曲・編曲 クルト・ハインツ・シュトルツ
装置・衣装 ユルゲン・ローゼ
初演 1965年4月13日 シュツットガルト・バレエ団
(タチヤーナは伝説の女優バレリーナのマリシア・ハイデ)

 

 バレエ「オネーギン」はチャイコフスキーのオペラにヒントを得た振付家クランコによって創られました。音楽はチャイコフスキーのものではありますが、オペラの曲は全く使われておらず、ピアノ曲を中心として選ばれたものが、このバレエのために管弦楽化されたのだそうです。
 シュトルツ氏が熟慮して選び編曲した音楽、そしてユルゲン・ローゼによる装置や衣装はのどかな優雅さにあふれています。鏡、手紙、別れのパ・ド・ドゥなど印象的な踊りも多く、村の娘たちが若者たちに支えられてグランジュテで舞台を横切るシーンや、ペテルブルクの舞踏会での群舞もバレエならではの美しさです。プティパのクラシックバレエとはまた違うのですが、「オネーギン」はうっとりするほど美しいバレエです。

 まさしく視覚や情緒に直接訴えるという点ではバレエはまったくもって素晴らしいのです。しかしながら言葉がない上に舞台上で限られた時間内で演じられるため、複雑な事情は説明できず、オペラ以上に内容的に深みに欠けるという欠点が出て来てしまいます。
 そういう意味ではオネーギンは致命的に損をしているように思います。
 最初からタチヤーナに対して慇懃無礼な上に、名の日の祝いでタチヤーナからもらった手紙を目の前でびりびりに破き、紳士ではない嫌な奴という印象を与えます(原作ではオネーギンは本当は心を動かされたその手紙を最後まで保存しています。)
 その上、親友の婚約者を誘惑した上に決闘とはいえ親友を撃ち殺してしまうのに至っては、もう立派な悪役。それでまた公爵夫人となったタチヤーナの前に現れて駆け落ちを迫るというのですから、最後にタチヤーナが「消えなさい!」と命じるのも当たり前だ!…となってしまう危険性もあり、困ったものです…。どうぞ皆様、原作を読んでオネーギンの人格を回復してあげてください。
 他にもタチヤーナの描き方に疑問があるとか、決闘の場面が変だとかいろいろありますが、言い出したらきりがありません。名作と言われる原作がある場合、どうしても比べられてしまうので、分が悪いですね。
 とはいえ、原作と比べていろいろツッコミを入れる、というのも舞台芸術の楽しみ方かもしれません。もともと小説とバレエやオペラでは表現方法が違うのは当たり前なのです。原作が言葉で語り、読者に想像させて楽しませるものであるのに対し、オペラやバレエは音楽や踊りなどの動きでもっと直接的に感じさせる表現方法です。
 比べて楽しみながらも、オペラやバレエは原作とは違う別の作品、と割り切って楽しむといいと思います。

 この「オネーギン」もバレエとしてとても美しく素適な作品です。シュツットガルト・バレエ団が来日して上演するのに加え、東京バレエ団が2010年からこのバレエをレパートリーに加えますから、日本でも上演される機会が多くなると思います。いろんなバレエ団のいろんな配役での上演をぜひ見てみたい素適な物語バレエです。 
 現在、映像は市販されておらず(2010年3月現在)、私は地元の図書館に通って1985年収録の映像をレーザー・ディスクで見てきたのですが、DVDも出るといいなぁ、と思います。
   
 なお、2009年にはロシアの振付家ボリス・エイフマンもバレエ「オネーギン」を創作したようです。エイフマンは2005年にトルストイの「アンナ・カレーニナ」も創っているので、対照的な二人のヒロインを見比べてみることができるならば、おもしろいでしょうね。
 「アンナ・カレーニナ」は2010年3月、新国立劇場が日本で初めて上演しました。登場人物の心理を視覚化することに長けたエイフマンはオネーギンやタチヤーナをどう表現したのでしょうか。たおやかな美しさに満ちたクランコ版ともぜひ比べて見てみたいです。
※ ネットで検索し、皆様のブログで教えていただいたところによると、エイフマンの「オネーギン」は時代をソ連崩壊直後にうつし、「オネーギンには女性を愛せないわけがあった(レンスキーは彼の愛人という設定です)…しかし最後にはちゃんと愛することができることがわかったのに…遅かった…。」みたいな内容を、身体能力を極限まで追求したような娯楽性のあるダンスで綴っていくようです。かなり衝撃的ですが、バレエもよどむ事なく新しい方向を模索しつつあるのだな、と思いを新たにいたしました。








「オネーギン」(散文訳)     プーシキン/作 池田健太郎/訳  岩波文庫
「ロシア文学への扉」        金田一真澄/編著  慶応義塾大学出版会
「プーシキンとロシアオペラ」  田辺佐保子/著  未知谷
「チャイルド・ハロルドの巡礼」  バイロン/著 東中稜代/訳 修学社
DVD魅惑のオペラ「エフゲニー・オネーギン」 小学館 
     グラインドボーン・フェスティヴァル・オペラ
     収録  1994年7月
     配役  オネーギン・・・・・・ヴォイチェフ・ドラヴォヴィッツ
          タチヤーナ・・・・・・エレーナ・プロキナ
          レンスキー・・・・・・マーティン・トンプソン
          オリガ・・・・・・・・・ルイーゼ・ウィンター
LD「オネーギン」(バレエ)  RM ASSOCIATES
     ナショナル・バレエ・オヴ・カナダ
     収録  1985年12月
     配役  オネーギン・・・・・・フランク・オーギュスティン
          タチヤーナ・・・・・・サビーナ・アルマン
          レンスキー・・・・・・ジェレミー・ランサム
          オリガ・・・・・・・・・シンシア・ルーカス

  


HOME   

ストーリー辞典に戻る

このページの壁紙、画像はSTAR DUSTさんからいただきました。

Copyright(C)2010.MIYU