アンドリュー・ロイド・ウェーバー/制作 (映画  2004年)

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 19世紀後半パリ・オペラ座の地下には人知れず音楽の才能豊かな怪人が住み着いていた。醜く生まれついた怪人は、母親からも愛された事はなく、嫌われ迫害され続けた末に罪を犯し、オペラ座の地下に逃げ込んで、仮面をつけて孤独に暮らし続けて来たのであった。怪人は若いコーラスガールのクリスティーヌ・ダーエに恋をしており、劇場側を脅迫してクリスティーヌに主役を歌わせた。怪人の思惑通りクリスティーヌは大成功を収めたが、舞台終了後に幼なじみのラウルと再会し、恋に落ちてしまった。その夜、怪人はクリスティーヌを楽屋からさらって地下の隠れ家に連れて行った。そこでクリスティーヌは仮面の下に隠された怪人の化け物のような醜い顔を見てしまった。怪人は怒り狂うが、クリスティーヌはその怒りの中に孤独にあえぐ哀れな魂を感じ取った。
 幼くして孤児となったクリスティーヌは姿を見せずに闇から語りかけ、音楽を教えてくれる怪人を音楽の天使だと思い、慕い続けてきた。しかし怪人が自分に恋をしており、妻として地下の闇の世界に引きずり込もうとしている事を知って、怪人を恐れるようになった。そうは言っても、長年親しみ続けた怪人の音楽はクリスティーヌの頭から離れる事はなく、怪人に囁きかけられれば、催眠術にでもかかったように怪人の下へ引き寄せられてしまう。クリスティーヌの心は揺れ動き、ラウルはそんなクリスティーヌを守ろうとして、怪人と戦い始めた。
 ラウルとの戦いにしびれを切らした怪人はオペラ座を炎上させ、その混乱の中で隠れ家へとクリスティーヌをさらって行き、無理やり妻にしようとした。ラウルは隠れ家を探し当てるが、クリスティーヌの目の前で首にロープをかけられてしまった。怪人は、「この男を助けたければ自分の言いなりになれ。」とクリスティーヌを脅迫した。クリスティーヌはそんな怪人に嫌悪感すら感じたが、同時にそこまで醜く歪んでしまった怪人の孤独な魂を何とか助けてやりたいと思った。そして自分の怪人への愛情を示すため、怪人に歩み寄って、誰もが忌み嫌ったその醜い顔を正視しながら二度接吻した。クリスティーヌの愛は怪人の心を動かした。怪人は復讐や執着を捨て去って二人を解放し、隠れ家を立ち去るように命じた。
 事件の後、怪人は姿をくらまし、クリスティーヌはオペラ座を引退してラウルと結婚した。そして長い年月が流れ、クリスティーヌはこの世を去った。しかし怪人のクリスティーヌへの愛は色褪せる事なく、その愛を紅い薔薇に託してクリスティーヌの墓を彩り続けた。

(終わり)






 1919年、パリ・オペラ座で1870年に起こった惨事の遺品オークションが開かれた。当時の支援者であったラウル・シャニュイ子爵とバレエ教師のマダム・ジリがペルシャの衣装を纏ったサルのオルゴールを競った。シャニュイ子爵の思い入れの強さが伝わったのか、マダム・ジリはあきらめ、オルゴールは子爵の手に渡った。やがて競りはかの昔、天井から落下して大参事を引き起こしたシャンデリアへと移った。道具方が修復したシャンデリアを天井へ吊り上げると、子爵の記憶の中でシャンデリアは当時の輝きを取り戻し、劇場の天井に燦然と輝いた。そして当時の記憶が子爵の脳裏に鮮やかに甦った。


 

 1870年のオペラ座には怪事件が多発していた。そしてまた、オペラ座の怪人を名乗る者が、高額のサラリーと2階の5番ボックスを彼のために空けておくこと、衰えの見えるプリマドンナのカルロッタの代わりにまだ16才のコーラスガール、クリスティーヌ・ダーエに主役を歌わせること等の無茶な要求を突きつけて来ていた。オペラ座に怪人なんかいるわけがない、という者もいたが、すべての怪事件は怪人の仕業だとする噂が絶えなかった。そんな中で神経が参ってしまった支配人は逃げ出し、何も知らない新しい支配人が着任した。
 それと同時に若きラウル・シャニュイ子爵が支援者となった。ラウルはクリスティーヌの幼なじみで、恋人ごっこをして遊んだ仲だった。今は一介のコーラスガールにすぎないクリスティーヌは、ラウルが自分に気づいてくれなかった事にがっかりしたが、懐かしい思いでいっぱいになった。
 新しい支配人はオペラ座での怪事件をよく知らず、怪人の要求を馬鹿げたものとしてすべて無視してしまった。すると、オペラ「ハンニバル」のリハーサル中に、舞台上部から装置が落下してカルロッタを直撃した。大道具係りのブケーが責められるが、ブケーは自分の過失ではない、これは怪人の仕業に違いないと断言した。
 カルロッタは怒って帰ってしまい、結局マダム・ジリの推薦もあってクリスティーヌが代役を務め、その魂を揺さぶる天使のように澄んだ歌声に観客から盛大な拍手が送られ、舞台は大成功であった。ラウルも輝くばかりの彼女を見て、幼なじみのクリスティーヌであると気がついた。
 舞台終了後、クリスティーヌはオペラ座の地下に作った父のための祭壇で祈っていた。クリスティーヌの父親はスウェーデンの名ヴァイオリニストであったが、彼女がまだ7才の時に亡くなり、以来孤児となった彼女はオペラ座の寄宿生としてバレエや音楽を学んできたのである。
 孤独なクリスティーヌは、「私が死んだらお前に音楽の天使をつかわすよ。」という父親の死の間際の言葉を信じてよくこの祭壇に祈りに来ていた。すると何時からか、姿は見えないが上の方から甘く優しい声がするようになり、クリスティーヌはその声を父がつかわした音楽の天使の声だと信じるようになった。そしてその甘く優しい音楽はクリスティーヌの頭の中で絶えず鳴り響くようになった。やがて娘となったクリスティーヌは音楽の天使の歌のレッスンを受けて短期間に飛躍的に歌が上達し、それが今日の成功へと結びついたのであった。
 マダム・ジリの娘、メグ・ジリはクリスティーヌにお祝いを言おうとして地下へやって来たが、音楽の天使の事を話すクリスティーヌが何かにとり憑かれたように蒼ざめているのを見て驚いた。
 楽屋に戻ったクリスティーヌは、マダム・ジリから黒いリボンのついた紅い薔薇を渡されて、誰からかといぶかるが、そこへラウルがやって来た。二人は再会を喜び合い、幼い頃同様に恋に落ちた。ラウルはクリスティーヌを食事に誘おうとして馬車の用意に行くが、その隙にマダム・ジリは楽屋に鍵をかけて、誰も入れないようにしてしまった。そして楽屋の上の方から声が響いてきた。ラウルを邪魔者として呪うその声こそ、音楽の天使の声であった。
 やがてクリスティーヌに請われるままに音楽の天使は鏡の中にその姿を現した。それは顔を仮面で覆ったオペラ座に住み着く怪人であった。催眠術のような甘い声を聞きながら、クリスティーヌは恍惚状態に陥り、怪人はその手をとって、自らの隠れ家のある地下へと誘っていった。
 ラウルが戻って来たが、楽屋のドアは開かず、クリスティーヌの姿は消えていた。クリスティーヌの捜索が始まり、メグ・ジリも心配してクリスティーヌを捜したが、楽屋に入ったメグは、鏡が少しずれているのに気がついた。鏡ははおもりによって回転するようになっており、その裏側には闇へ通じる通路があった。不審に思ってその通路を探索するが、途中でマダム・ジリに腕をつかまれ、引き戻された。マダム・ジリは、メグはじめブケーやダンサー達に、「好奇心は身を滅ぼす。」ときつく言い渡した。



 オペラ座の地下は深く、複雑に入り組んでいる。地下には水脈があり、それは建物竣工後も湖のようになって残っていた。怪人の隠れ家は延々と地下を下り、湖を渡ったところにあった。怪人は音楽の才能のみならず、美術や建築など諸々の才能に恵まれていた。その才能を駆使して、怪人はオペラ座のあちらこちらに自分が出没するための細工を凝らし、湖に罠を仕掛けて誰も近づけないようにし、隠れ家を守っているのだった。
 怪人はその誰も足を踏み入れた事のない隠れ家にクリスティーヌを招き入れて言った。…私のために歌ってくれ、お前だけが私の音楽に翼を与えることができるのだから。そしてお前はいつか闇にも慣れて、私のものになるのだ…。そこには花嫁衣裳を着たクリスティーヌのろう人形も飾ってあり、それを見たクリスティーヌは失神してしまった。
 その夜は怪人の隠れ家で過ごし、翌朝目を覚ましたクリスティーヌは長年姿を見る事ができなかた音楽の天使の顔を見たいという気持ちが抑えきれなくなり、怪人が作曲に没頭している隙に、その仮面を剥ぎ取ってしまった。すると仮面の下から現れたのは、二目と見られぬ無残なまでに醜い顔だった。怪人は怒り狂って呪いの言葉を吐いた。
 クリスティーヌは脅えたが、同時にその恐ろしい様子に、人間と認められず、化け物として忌み嫌われ続ける怪人の絶望的な孤独感を感じ取った。


 



 オペラ座は大騒ぎになっていた。それはクリスティーヌの失踪のみならず、支配人、カルロッタ、ラウル宛に、怪人から脅迫状が送られてきたからである。怪人はカルロッタは歌手としてもう終わりだから、次の演目である「イル・ムーロ(愚か者)」ではクリスティーヌを主役にしろ、と言ってきた。そしてラウルへの手紙には、「クリスティーヌに近づこうとしても無駄だ。」と書いてあった。
 怪人は舞台のために一旦クリスティーヌを地上へ帰したが、怪人の存在など信じない支配人は、わがままなカルロッタの機嫌を損ねる事を恐れ、怪人の指示を無視した。
 そしてカルロッタ主演で「イル・ムーロ」は幕を開けた。すると、舞台の上から「指示を忘れたか。」という怪人の声が響き、怪人の腹話術でカルロッタの歌声がゲコッと言うヒキガエルの声になってしまった。観客は大笑いし、あわてた支配人たちは幕を一旦閉じて「代役はミス・ダーエ」とアナウンスし、とりあえずバレエを上演してその場をしのぐ事にした。
 そして大慌てでバレエが始まったが、その頃舞台上部では、怪しい扉を見つけたブケーが中を探索しようとして怪人に出くわしてしまい、首にロープをかけられてしまった。そして賑やかなバレエの最中に、ブケーの首吊り死体がぶら下がって来た。ダンサーたちは悲鳴をあげて逃げ惑い、観客は大騒ぎになった。怪人の仕業に違いないと直感したクリスティーヌは恐ろしくなり、ラウルの手を引いて屋上へ逃げ出した。
 クリスティーヌは怪人からの贈り物である紅い薔薇を手にしながら、ラウルに地下の怪人の隠れ家で見たことを話した。…怪人は私に恋をし、妻にしようとしている。私自身も長い間慣れ親しんだ怪人の音楽が頭の中で鳴り止むことはなく、きっと怪人から逃れられないだろう。そして怪人はきっと邪魔になるあなたを殺しに来る…。
 ラウルは脅えるクリスティーヌの肩をそっと優しく抱き、「僕が君を怪人の夜の闇の世界から救い出し、光の輝く自由な世界へと導いてあげるよ。」と力強く言った。クリスティーヌの手から怪人の紅い薔薇がこぼれ落ち、恋人たちは抱き合って愛を確かめ合った。そして二人は舞台へと戻って行った。
 後に残されたのは紅い薔薇の花のみ…いや、それを拾い上げる者がいた。物陰から二人の話を立ち聞きしていた怪人である。深い悲しみと共に、嫉妬、そして自分の愛に応えてくれないクリスティーヌに対する苛立ちが怪人の中に湧き上がった。



 「イル・ムーロ」上演中の怪事件から三ヶ月が過ぎ、クリスティーヌとラウルは内々で婚約をした。そしてオペラ座には一応の平穏が戻っており、新年を前に仮面舞踏会が開かれた。その華やかな場に突然怪人が現れ、自作のオペラ「ドン・ファンの勝利」のスコアを皆の前に叩きつけ、クリスティーヌに主役を歌わせるように要求した。更に怪人はクリスティーヌにも、歌手としての進歩を望むならば自分のところへ帰ってくるように、と言い渡した。
 その際にクリスティーヌがラウルとの婚約指輪を身につけているのを見つけ、激怒して婚約指輪をもぎとり、「お前は誰にも渡さん、私のものだ!」と言い捨てて消えた。
 皆が唖然とする中、ラウルは怪人を追跡したが、クリスティーヌの楽屋に仕掛けられた回転する鏡のトリックに引っかかり、首にロープをかけられそうになったところを危うくマダム・ジリに助けられた。マダム・ジリは唯一怪人の実在を知る人物であり、多岐にわたる怪人の豊かな才能を崇拝し、その意向に従って行動していた。マダム・ジリはラウルの求めに応じて怪人の生い立ちを語り始めた。
 …マダム・ジリがまだバレエ学校の生徒だった頃、ジプシーやオリエントのサーカスがパリにやって来た。少年だった怪人はペルシャの見世物小屋で「悪魔の落とし子」として、その醜い容貌をサルと一緒に見世物にされていた。侮辱と虐待に耐えかねた怪人は、見世物小屋に誰もいなくなった隙に親方をロープで絞め殺した。そして追われる身となるが、一部始終を見ていたジリはとっさに彼をかばい、オペラ座の地下に匿った。その日から地下の暗闇が怪人の世界のすべてになった…
 例え生い立ちに気の毒な点があるにしても、人殺しさえ厭わない今の怪人は狂っているとしか思えない。ラウルは執拗な怪人の魔の手からクリスティーヌを守るために、片時も彼女の側を離れないようにした。しかし怪人は妖術を弄して、闇から隙を窺い続けた。
 クリスティーヌは怪人から逃れてラウルと共に光あふれる世界で暮らしたいと思いながらも、長年敬愛し続けた怪人の孤独な姿と、催眠術のようにまとわりつくその音楽を忘れる事ができずに苦悩していた。そしてクリスティーヌはラウルが居眠りした隙に馬車で父親の墓を訪れようとしたが、クリスティーヌを見張っていた怪人は、御者を気絶させて自分が御者に成り代わった。
 ダーエ家の墓でクリスティーヌは亡き父に、自分はどうすべきなのか、と問うた。墓からは「私はお前の音楽の天使だ。お前は私の導きを必要としている。」という優しげな声が聞こえてきた。クリスティーヌはその懐かしい甘い声に思わず我を忘れて吸い込まれそうになるが、そこへクリスティーヌを追って来たラウルが現れ、正体を現した怪人と一騎打ちになった。
 ラウルが怪人の息の根を止めようとした時、クリスティーヌは思わずラウルに駆け寄り、怪人の命乞いをした。ラウルは剣を鞘に収め、クリスティーヌを連れて去った。略奪に失敗し、屈辱にまみれた怪人は二人に復讐し、決着をつける決心をした。



 「ドン・ファンの勝利」の上演の日が近づいてきた。支配人は及び腰だが、ラウルはクリスティーヌに主役を歌わせて怪人をおびき寄せ、張り込ませた警官に逮捕させようと主張した。そしてこの異常な事態に決着をつけよう、と不安に脅えるクリスティーヌを励ました。
 いよいよオペラ「ドン・ファンの勝利」の幕が開いた。ドン・ファン役の男性歌手ピアンジが舞台の袖に入った時に怪人が現れ、背後からピアンジの首にロープをかけ、絞め殺してしまった。そしてピアンジからドン・ファン役の仮面を奪い取り、それをつけて舞台へ出て行き、自らドン・ファン役を演じ始めた。それは演技というよりは、オペラを通じたクリスティーヌへの愛の告白であった。
 クリスティーヌは様子がおかしい事に気がついた。支配人たちや他の出演者、客席も何かがおかしい事に気づいており、あたりは緊張に包まれた。クリスティーヌは芝居の成り行きで相手役に近づいた時、その仮面を剥ぎ取った。怪人の醜悪な顔がむき出しになり、客席は大騒ぎになった。怪人は劇場を混乱させるべくシャンデリアを落下させ、クリスティーヌをさらって奈落から地下の隠れ家へ脱出した。劇場は炎上し、人々は逃げ惑い、オペラ座は大参事になった。



 クリスティーヌを地下の隠れ家へ連れ込んだ怪人は、その手に婚約指輪を握らせて、闇の世界の花嫁にしようとした。女性の肌への欲望、クリスティーヌへの恋はもはや抑えきれないほど狂おしいものとなっていた。クリスティーヌはもう怪人の醜い容貌に驚くことはなかったが、真に救いがなく病んでいるのはその絶望的なまでに孤独な魂である事に気がついた。
 地上では警察が殺人犯を追っており、クリスティーヌを探すラウルは、マダム・ジリに怪人の隠れ家への道を途中まで案内された。そこからはマダム・ジリも足を踏み入れる事は許されておらず、ラウルは単身怪人の領域に乗り込むが、怪人が湖に仕掛けた罠にはまり、九死に一生を得てやっとのことで隠れ家にたどり着いた。
 しかしクリスティーヌを目の前にして、ラウルは首にロープをかけられてしまった。そして怪人はクリスティーヌに、「こいつを助けたければ私の思い通りになれ。」と迫った。怪人の要求を断れば、ラウルは絞め殺されてしまう。かと言って、受け入れれば、怪人の妻として永遠に闇の世界に閉じ込められてラウルとは引き離される。クリスティーヌの心は引き裂かれ、自分の信頼を裏切った怪人に対する憎しみさえ湧き上がった。
 しかし許しがたい行動の裏に、怪人の哀れな心根が隠されているのがクリスティーヌには見えた。
 …醜いが故に化け物として忌み嫌われて追われ続け、復讐に満ちた暴力的な行動しか取る事ができなくなった哀れな人。でも例え他の人がどう思おうと、私にとってあなたは化け物なんかじゃない。音楽を教え、成長を見守ってくれた大切な人。これまでだってあなたはひとりぼっちなんかじゃなかった、そしてこれからも…。
 自分の気持ちを何とかして伝えたいと願うクリスティーヌは正面から怪人に近づいてその顔を正視し、二度接吻を繰り返した。そしてクリスティーヌはなおも真っ直ぐに怪人を見つめ続けた。
 怪人は衝撃を受けて身を震わせ、その目からは涙が流れ落ちた。母親からも忌み嫌われた彼が優しい接吻を受け、人間として愛を伝えられたのはこれが初めてだった。クリスティーヌの愛が、怪人の心を救った。怪人はラウルを解放し、クリスティーヌを連れて去れと言った。
 別れ際に怪人の口から思わず「クリスティーヌ、愛している。」という言葉がこぼれ出た。しかし娘がいつか父親の元を離れていくように、クリスティーヌにも怪人の下を離れる時が来ていたのである。クリスティーヌは、怪人から贈られた婚約指輪をそっとその手に握らせ、ラウルと共に静かに怪人の前から立ち去った。
 今や怪人の唯一の望みは愛しいクリスティーヌを幸せにしてやる事であった。怪人は自らのあふれ出る想いをこらえ、愛しい人が遠ざかって行くのを見送った。
 やがてクリスティーヌを探すメグ・ジリに導かれて警察が踏み込んで来た。しかし怪人はすでに行方をくらました後だった。後には「仮面舞踏家」の曲を奏でるペルシャ風のサルのオルゴールが主無き隠れ家に取り残されていた。



 回想から覚めたラウルは落札したばかりのサルのオルゴールを今は亡き妻クリスティーヌ(1854〜1917)の墓前に供えた。クリスティーヌはあの事件の後、音楽の道を捨て、ラウルのよき妻として、子供たちのよき母親として生きた。あの忌まわしい事件ももう遠い昔の事だ。
 亡き妻の墓前で物思いにふけるラウルの目に、ふと黒いリボンに飾られた紅い薔薇と婚約指輪が供えられているのが目にとまった。ハッとしてあたりを見回したが、人影はなかった。そして紅い薔薇は今もなお色あせることなく、瑞々しくクリスティーヌの墓を彩るのであった。
(終わり)

 




<映画「オペラ座の怪人」基本情報>
監督     ジョエル・シュマッカー
制作     アンドリュー・ロイド・ウェバー
脚本     ジョエル・シュマッカー、アンドリュー・ロイド・ウェバー
音楽     アンドリュー・ロイド・ウェバー
原作     「オペラ座の怪人」 ガストン・ルルー/著(1910年)
出演     怪人・・・・・・・・・・ ジェラルド・バトラー
        クリスティーヌ・・・ エミー・ロッサム
        ラウル・・・・・・・・・ パトリック・ウィルソン
上演時間  143分
公開     2004年12月22日 in USA
配給     ワーナー・ブラザーズ、ギャガ・コミュニケーションズ




 この映画は1986年にロンドンで初演され、ヒットしたミュージカルを作曲家のロイド・ウェーバー自身が映画化したものです。原作であるガストン・ルルーの怪奇小説「オペラ座の怪人」は何度も映画化、ミュージカル化されていますが、彼は当時の妻であったサラ・ブライトマンにクリスティーヌを歌わせるために、このミュージカルを作ったらしいです。
 物語の中の怪人のごとく、愛する妻によって音楽に翼が与えられたのでしょうか、この作品はたくさんの印象的で美しい音楽に彩られています。
 クリスティーヌがカルロッタの代役で歌う"THINK OF ME"、 クリスティーヌがメグに怪人の事を語り始め、やがて初めて怪人の姿を見る場面での"ANGEL OF MUSIC"、怪人が地下の隠れ家でクリスティーヌに歌って聞かせる"THE MUSIC OF THE NIGHT"、オペラ座の屋根の上でクリスティーヌとラウルが歌うラブソング”ALL I ASK OF YOU"。すぅっといつの間にか頭に入り込む甘い響きの数々。うっとりし、観客は総クリスティーヌ化してしまうのです。なお、映画ではカルロッタをのぞいて全員が吹き替えなしで歌っています。



 ミュージカルの原作であるガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」は、ノンフィクション風の形態で書かれています。オペラ座内部の人間関係や建物の特徴を描き出しながら、様々な人の証言によって、怪人が実在していた事、クリスティーヌやシャニュイ子爵に起こった謎の事件は怪人の仕業であった事を検証していくのです。この怪奇小説は夜寝る時間も惜しくなるほどおもしろいので、ぜひ読んでみてください。この作品に関しては、原作についてあまり詳しく書く事は「小さな親切、大きなお世話」になると思いますので、差し控えておきます。(推理小説と同様の楽しさがあるので。)
 ロイド・ウェバーのミュージカルは、怪人とクリスティーヌ、ラウルとの三角関係に的を絞ったロマンスものであり、怪奇的な色彩は薄れており、原作よりもずっとシンプルなドラマとなっています。「男が自分のすべてを与えて美しく成長させた若い女性に恋をするが、女性は男を恩人、父親代わりとしか思っておらず、結局は自分の作品であるその女性を他の若い男に取られてしまう。」というお話と、「醜い怪物が純粋な心を持つ若い娘に呪いをといてもらう」話が一緒になったような感じです。
 このお話をまとめようと決心した時、一番よくわからなかったのはクライマックスとなる隠れ家の場面でした。怪人に接吻したクリスティーヌの意図がよくわからなかったのです。このあたりは原作とかなり違うようなので、原作は参考にはなりません。そんな時、他のお話をまとめるために読んでいたハイネの「精霊物語」におもしろい記述を見つけました。
 「醜い怪物に変身させられても愛によって救済される。ヒキガエルのような怪物は二度接吻してもらわなければならない。そうしてもらえば美しい王子に変身するというわけである。あなたがその醜いものに対する嫌悪を克服し、あまつさえそれを愛するようになれば、その醜いものも何らかの美しいものに変身する。どんな呪いも愛情には勝てない。愛情それ自体がもっともつよい魔術であり、それ以外の魔術はどんなものでも愛情には勝てない。」 (「精霊物語」ハリンリヒ・ハイネ/著、小沢俊夫/訳 岩波書店 より引用)
 欧州のおとぎ話の世界ではこれは常識なのかもしれないですね。だからクリスティーヌは怪人に二度接吻したのでしょう。怪人は容貌の醜さ故に化け物扱いされ、心も化け物になっていましたから、唯一怪人に愛情を持つクリスティーヌが醜さに対する嫌悪を克服し、二度接吻する事によって怪人にかけられた呪いを解いたのです。その結果、怪人の心は美しいものとなり、クリスティーヌへの邪まな恋を突き破って優しい愛情が顔を出し、彼女の望みをかなえて幸せにしてやりたい、と思うようになったのです。
 クリスティーヌの望みはラウルと結婚して光の世界に住むこと。クリスティーヌは怪人を慕ってはいても、一緒に人生を歩いて行く人ではない事はわかっていました。だから怪人からの婚約指輪をそっと返してラウルと共に去って行きます。しかし…。原作よりシンプルとは言え、このお話が平凡な恋愛話と違うのは、クリスティーヌにはラウルにさえ立ち入れない想いがずっと残るであろう、というところです。
 映画を観ただけの私の頭の中にさえ「♪Angel of music hide no longer...♪〜」と歌が鳴り響くぐらいですから、クリスティーヌの頭にも心にもずっと怪人の甘く優しい音楽が鳴り響き続けたことでしょう。そして身をひき、自分の幸せを祈ってくれた怪人はずっとクリスティーヌの大切な音楽の天使であり続けたことでしょう。
 口には出さなくても、ラウルは常に妻の中に怪人が生きているのを知っていたと思います。だからラウルはオルゴールを落札して亡き妻の墓に供えたのでしょう。
 そしてラウルは墓に供えられた紅い薔薇と婚約指輪を見つけます。「負けた…。」と思ったかもしれません。そりゃあ負けても仕方ないでしょう。だってラウルには妻の他に子供もいます。親兄弟にも愛されていた事でしょう。しかし怪人にとってはクリスティーヌただ一人なのです。濃さが違うのです。いわゆる一極集中ですね。「負けた…。」というよりは、ラウルもそのしつこいを通り越して哀れなまでに一途な愛に心を打たれたかもしれません。



 原作で舞台となったオペラ座とは1875年に竣工したガルニエ宮です。 しかし映画では、オペラ座の怪事件は1870年に起こった事になっており、ガルニエ宮はまだ工事中で、当時使われていたのは1873年に焼失したプルティエ通りのオペラ座でした。なのに、なぜロイド・ウェバーは1870年に時を設定したのでしょうか。
 これについては確かなところはわかりません。これは私の推測なのですが、ロイド・ウェバーはお話の舞台を実際のオペラ座ではなく、架空のオペラ座だということにしたかったのではないでしょうか。
 あの怪事件は複雑なガルニエ宮の構造と切り離せません。しかしロイド・ウェバーのミュージカルではオペラ座は焼失する事になっていますから、未だ健在なガルニエ宮をお話の上で焼失させてしまうのはまずいと思ったのでしょう。だったら事件が起こったのをガルニエ宮がまだ工事中だった1870年にして、ガルニエ宮をモデルにした架空のオペラ座を舞台にしてしまえ、という事になったのではないでしょうか。映画の中では、建物の概観もガルニエ宮のみたいな感じに作りながらも、やっぱり違うものとなっています。
 現実には1870年と言えば、ナポレオン三世がプロシアに戦争を仕掛けた挙句、自ら捕虜となり、パリはプロシアに包囲されるという大変な年でした。オペラ座も混乱の中で1年ほど閉鎖されています。
 全体的にこのミュージカル映画はドラマの深さとか精神性とか難しい事を言うよりも、しっかりお金をかけて豪華な舞台装置や衣装、印象的で美しい音楽を思いっきり楽しんでもらおうという娯楽大作であるように思います。荒唐無稽だからこそロマンなのだ!さあ、スケールの大きなファンタジーに思いっきり騙されてくれたまえ!…そんな怪人のメッセージが聞こえてきそうな大型エンターティンメントだと思います。 
 最後にくだらないけれど、ちょっと気になる事を一つ。この映画においては怪人はそんなに醜くありません。それどころか、仮面の下は火傷みたいな感じだけれど、それがなければすごく男前なのです。詐欺だ〜、とか、これで醜ければオレはどうすればいいんだ〜!とか思って絶望する必要はありません。どこで読んだかは忘れましたけど、ロイド・ウェバーは、この作品においてクリスティーヌと怪人の関係を官能的に描きたかったのだそうです。(やっぱり怪人に若き日の自分を投影しているんですかねぇ…。)だから怪人はかっこよくなってしまったのです。
 そのあたりのところも、大ファンタジー・エンターティンメントと言う事で、大まかに考えましょう。




オペラ座の怪人    ガストン・ルルー/著  長島良三/訳   角川文庫
映画「オペラ座の怪人」   制作/アンドリュー・ロイド・ウェバー

バレエの歴史   佐々木涼子/著  学習研究社
「流刑の神々・精霊物語」   ハインリヒ・ハイネ/著   小沢俊夫/訳   岩波書店
ウィキペディア「フランスの歴史」の項目





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