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メッセージ

羊飼い 『福音を伝えるものとして』
マルコによる福音書16章9−20節
2008/1/13 説教者 濱和弘
賛美  3、344、392

さて、教の礼拝の説教の箇所となっておりますところの、今お読み致しましたマルコによる福音書16章から9節から節20節から、メッセージをお取り次ぎするにあたっては、若干の説明が必要であろうと思われます。と申しますのも、このマルコによる福音書16章9節から20節は、元々のマルコによる福音書にあった文書ではなく、後代になってから書き加えられたものであろうと考えられているからです。これはリベラルな神学の立場だけでなく、私たち福音派でも広く受け入れられている見方です。それは、このマルコによる福音書の信頼のおける古い写本、たとえばヴァチカン写本やシナイ写本といったものは、16章8節で終わっており、9節以下は書かれていないのです。また教会教父と呼ばれる、古代教会の指導者たち、たとえばアレキサンドリアのクレメンスやオリゲネスなども、どうやら、このマルコによる福音書16章8節以下については知らなかったようです。ですから、本来のマルコによる福音書は、16章の8節で終わっていた事になります。しかし、お読み頂ければわかりますように、16章8節は「女たちはおののき恐れながら、墓から出てきて逃げ去った。そして人には何も言わなかった。恐ろしかったからである」となっており、物語の終り方としては、あまりにも唐突で不自然です。

なぜこのような不自然な終り方をしたかについては、物語の最後の部分が破れて失われたためであるとか、マルコは16章8節まで書いたが、その後に何か突然のアクシデントに巻込まれて最後まで書くことができなかったのではないかといった諸説があります。しかし、実際の所、確かなことはわからないのです。では、その本来は16章8節で終わっていたはずのマルコによる福音書に、今日のように9節から20節までの文書が付け加えられたのでしょうか。これも確かなことを言うことができませんが、おそらくは、16章8節で終わりますと、先ほども申しましたように、あまりにも唐突で不自然なので、後の時代の人が、その不自然さを補うようにして、この9節以降を追加したのだろうと思われます。ですから、この9節以降は、古代の写本の中には、今お読みいただいたものとは別の、もっと短い追加文が書かれている写本もあるのです。たとえば、そのもっと短い別の追加文は、たとえば新改釈聖書などに、別の追加文として紹介されていますが、そこにはこう書かれています。

「さて、女たちは、命じられていたすべてのことをペテロとその仲間の人々にさっそく知らせた。その後、イエスご自身、彼らによってきよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで送り届けられた」このような短い追加文は、たとえばレギウス写本やアトウス・ラウンシウス写本といった8世紀9世紀の写本にみられますが、いずれにしても、このような短い追加文や、先ほどお読みしましたような比較的長い追加分が存在していると言うことは、マルコによる福音書はもともと16章8節で終わっており、9節以降は後から書き加えられたものであると言うことを指し示しています。このことは、実は重要な問題を私たちに投げかけています。と申しますのも、この9節以降の文書が元々のマルコによる福音書になかったとするならば、それは正典である聖書の言葉になかったと言うことだからです。私たちの教会は、聖書は誤りない神の言葉であるという信仰の立場、いわゆる聖書信仰という立場に立つ教会です。もちろんそれは、学問的研究の成果や、人間の理性を全く排除して字義拘泥主義に陥るものではないとしても、聖書は神によって語られた神の言葉であり、それぞれの時代背景を背負って生きる私たちに、真理を誤りなく伝達してくれるものであると、信仰をもって受け止めています。

そのような立場に立つ私たちの教会にとっては、このマルコによる福音書の16章9節以降が元々は聖書にはなかった言葉であるということは、その箇所を根拠にして、私たちの信仰の公の信仰の立場を示す教理や信仰告白を打ち立てることは出来ないと言うことです。たとえば、私たちの教団名は日本ホーリネス教団ですが、たとえば、私たちがアメリカに旅行したときに、どちらの教会ですかと聞かれた場合、あまり「ホーリネス教会です」といった言い方をしない方がよいと言われます。なぜかというと、アメリカには、聖霊にみたされると転げ回るようにして異言を語るグループがあり、そのグループは、「神を信じ救われたものは、このマルコによる福音書16章17節18節の「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、かれらはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。」言葉から、実際に新車になった者に「毒蛇をつかませる」と言ったことがあるらしいのです。

そして、そのグループが、「ホーリネス」という言葉を用いているということで、「ホーリネス教会」というと、そのグループと勘違いされるからだそうです。もちろん、私たちの教会ではそのような事は致しませんし、そのような考え方もしません。ですから、アメリカで教会はどちらですかと聞かれた場合、「OMS Churchです。」と答えた方が良いですよと言うことらしいのです。しかし、いずれにしても、このように「信じた者は毒蛇をつかんでも害を受けない」ということを、一つの教説のようにして、信徒の行動基準にすることは間違っています。なぜなら、それがよって立つ根拠となる聖書の箇所が、もともと聖書の言葉ではない箇所に由来しているからです。これは、もともと聖書にある言葉をどう解釈するかということにおいて出てくる相違とは、根本的に違うものです。そういった意味では、このマルコによる福音書16章9節以降が私たちの教理や信条の根幹におかれることはありませんし、置くことはできません。

けれどの、だからといって、私たちにとって、このマルコによる福音書16章9節以降の言葉は無利益な言葉であり、何の意味をなさないかというと必ずしもそうとは言えません。なぜならば、この付け足された追加文には、私たちと同じイエス・キリスト様を信じた人々の信仰の証しがあるからです。そして、その信仰の証とは、神の言葉と福音が大胆に語り告げられ、宣教の業が広がっていったと言うことです。これは、今日お読みいただいた、16章9節から20節までの長い追加文だけのことではなく、先ほどご紹介した新改訳聖書に付加的に記されている短い追加文においても同じです。16章8節にあるように、イエス・キリスト様の復活の出来事に触れた女たちは、最初に恐れを感じ、人には何も言いませんでした。しかし、いつまでも沈黙を守っていたわけではありません。やがて、イエス・キリスト様の十字架の死は、ただ単なる敗北ではなく、死に勝利を告げる復活に至るものであったことを伝え始めたのです。その結果、イエス・キリスト様の十字架の死と復活は、イエス・キリスト様を信じ、イエス・キリスト様に繋がる私たちもまた、罪が赦され、イエス・キリスト様と共に死に対して勝利することができる、永遠の命をいただき、天国で生きることのできる者となると言う福音が、弟子たちによって世界中に伝えられることになったのです。

そして、その証は、今も私たちに語りかけています。ともうしますもの、このマルコによる福音書の16章15節に書かれている「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝よ。」という言葉にたって、多くの人々がある人は牧師として、ある人は宣教師として伝道の場に立っていったからです。このように、かつてイエス・キリスト様を信じた人々の信仰の証しは、私たちを感化し、私たちをイエス・キリスト様の前にクリスチャンとして生かしていくのです。なぜならば、そのように、イエス・キリスト様を信じた人々の信仰の証しには、生き生きとした信仰の経験があるからです。そして、生き生きとした信仰の経験には真実味と言いますか、リアリティといったものがあります。つまり、彼らは福音を宣べ伝へよといっただけでなく、彼ら自身が本当に福音を宣べ伝える者として、福音を伝えてきたのです。だからこそ、2000年前の中近東のパレスティナ地域に始まったキリスト教が、こうして全世界に広がっていった。私たちは、その恩恵にあずかって、今日、こうして教会に集い、礼拝を捧げているのです。

それは、極東の日本という国にいる私たちだけではない、キリスト教が当たり前のように生活の中に浸透し伝統となっているアメリカやヨーロッパ諸国の人々にとっても同じです。結局の所、それらの国もまた、イエス・キリスト様の福音に触れた人々による宣教の業によって福音が伝えられたことによってキリスト教が当たり前のように生活の中に浸透していったのです。だからこそ、イエス・キリスト様の伝えた福音は、いつまでも沈黙を守り続けている者ではない。それは語られ伝え広められていくべきものなのだ。そして、それらは実際に語り告げられてきた。荘彼らは証しし、だから、私たちも、それを語り伝えていくものとなろうと、メッセージを伝えるのです。そのメッセージが多くの心を感化し、人々を宣教の場に送り出してきました。それは、彼らの生き生きとした信仰の経験を神様が用いられたからでもあります。神の言葉は、聖書の言葉は、啓示ともいわれます。啓示とは、神ご自身が自らのことを現すことであり、イエス・キリスト様という人となった神として、目に見え得ない神を、イエス・キリスト様のご人格と生き方を通して現したこと自体が神の啓示です。ですから、イエス・キリスト様という存在そのものが神の啓示なのです。

同時に、神様は多くの人々を用いて神の言葉を聖書という形で残されました。ですから、聖書もまた、神の言葉を通して神ご自身を現す神の啓示だと言えます。このような、イエス・キリスト様という存在、あるいは神の言葉である聖書といったものは、神が直接歴史に関わられた出来事であり、そういった意味では特別な出来事です。ですから、神学の世界では、イエス・キリスト様という存在、あるいは神の言葉である聖書といった客観的に現されたものを、特別啓示と呼びます。それに対して、自然を通して、また人々の歴史や、生き様を用いて、神様は自らを現される場合もあります。このようなものを一般啓示と呼びます。そういった意味では、今日の聖書に記されている古代の人々の証の言葉を通して、多くの人が感化を受け、宣教の場に立って行ったと言うことは、神が彼らの証を用いて語りかけてくださっているということでもあるのです。だからこそ、私たちもまた、この証の言葉が語りかける「私たちもまた、イエス・キリスト様の十字架と死と言う福音を語り伝えていくものとなろう」というメッセージに、真摯に耳を傾けるものにならなければなりません。そして、実際に福音を語り継げていくものになっていかなければならないのです。

もちろん、それは容易なことではありません。むしろ困難なことであるといえます。特に、私たちの国で福音を伝えると言うことは本当に大変なことであり、それは江戸時代の政策でキリスト教か禁教とされたのち、明治時代に再びキリスト教が伝道されるようになって150年近くになろうとしても、未だに人口の3%しかクリスチャンがいないという教会の現状が物語っています。ですから、そのような国にありながら、「私たちもまた、イエス・キリスト様の十字架と死と言う福音を語り伝えていくものとなろう」というメッセージの前に立たされても、「いったいどうしたらよいのだろうか」とまどうばかりなのも良くわかります。しかし、その解決もまた、今日のこの証の中にあるのです。神様は、私たちが困難な問題の前に立たされ、とまどってしまうときに、何の解決も与えることなく、私たちを放置しておかれるお方ではありません。私たちが聖書を良く読み、また過去の歴史や神を信じた人々の生き様をよく学んでいく中で、私たちは、あるいは私はどうしたらよいかを導いて下さるお方です。そして、今日のこの証の中にも、それを見出すことができるのです。

では、それはいったい何なのか。この、マルコによる福音書8節から11節をみますと、イエス・キリスト様の復活の出来事に出会った女たちが、他の弟子たちのところにいって、「イエス・キリスト様が蘇られた」ということを伝えたが、だれもそれを信じなかったと言うことが記されています。また12節、13節にも、別の二人の弟子が田舎に歩いているとき、イエス・キリスト様はその二人に別の姿でご自身を現されて事が記されているのです。私たちの教会堂の後ろには、エマオの途上の絵がかかげられていますが、これは、おそらくそのエマオの途上の出来事だろうと思われます。そのエマオの途上でイエス・キリストに出会った二人の弟子が、その話をほかの所でしてもだれも信じなかったと言うのです。このように、マルコによる福音書9節以降は、まず、イエス・キリスト様の復活という喜びの知らせが、誰にも信じてもらえず受け入れられなかったということから語り始められるのです。ところが、その誰にも信じてもらえず受け入れられなかったということが、やがて受けられていくようになります。信じなかったものが信じるようになっていく、そこに何があったのかというと、14節です。

「その後、イエスは11弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心かたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」ここに記されていることは、復活のイエス・キリスト様が信じなかった人々に自らをお現しになったというイエス・キリスト様の顕現の出来事です。信じなかった人々も復活のイエス・キリスト様と出会うことで信じたのです。もちろん、復活したイエス・キリスト様と直接出会うということは、復活の事実を実証する何よりもの物理的証拠ですから、それによって信じるということは当然と言えば当然のことだといえます。しかし、そのような実証的事実以上に、復活したイエス・キリスト様の出会いは、かたくなな心を溶かすという人格的変化をもたらすものであり、物理的に出会うと言うことだけではなく、人格的に出会うということなのです。

イエス・キリスト様がこの地上で生きておられた時代から、今日の時代は二千年以上経っています。当然、今の時代に生きている私たちは、二千年以上前に生きておられたイエス・キリスト様のお姿を見てはいません。ですから、突然、私たちの前に「私が復活のイエスである」と言う人物があらわれても、それが本当に復活のイエス・キリスト様であるかどうかを確かめる術はありません。つまり、それは確かな物理的証拠とはならないと言うことです。ですから、私たちは、物理的に復活のイエス・キリスト様とお出会いするということはできません。しかし、物理的に復活のイエス・キリスト様と出会うことができなくても、人格的には出会うことはできます。聖書を通して、礼拝を通して、またイエス・キリストを信じた人の生き方を通して、私たちは、イエス・キリスト様と出会うことができるのです。そうやって聖書の言葉が伝えられ、礼拝が守り続けられ、イエス・キリスト様を信じて生きた人々の生き様という証を通して、福音は全世界に広がっていったのです。まさに、こういった聖書、礼拝、証しといったものを通して、復活のイエス・キリスト様は自らを現し、啓示し、顕現なさってこられました。そうやって、私たちは、今日でもこの復活したイエス・キリスト様のご人格と出会い、イエス・キリスト様のご人格に触れることができるのです。

そして、このイエス・キリスト様との人格的な出会いというものが、信じることのできないかたくなな心を溶かし、信じるものに代えていきます。どんなに伝道が困難だと思われるところにも、福音が伝えられ、人々に救いの出来事を手渡すことができるのです。だからこそ、私たちもまた、私たちが捧げるこの三鷹キリスト教会の礼拝を通して、また私たちがイエス・キリスト様を信じて生きるその生き様を証として、人々に復活のイエス・キリスト様のご人格を現していかなければなりません。それが、私たちが「イエス・キリスト様の十字架と死と言う福音を語り伝えていくものとなる」と言うことなのです。そのためには、私たちの捧げる礼拝が、私はイエス・キリスト様と出会ったのだという信仰的経験に満たされたものとならなければなりません。また、私たちの神であるイエス・キリストを信じる生き方が、復活のイエス・キリスト様に出会ったという経験に満ちていなければなりません。

礼拝に、イエス・キリスト様と出会うという信仰的経験が満ちあふれるためには、何よりも説教者の説教がとぎすまされていく必要があります。その意味では、この三鷹キリスト教会が伝道の場に建ちうる教会となるために私に課せられている責任は重たいことを認めざるを得ません。しかし、同時に、礼拝は説教者だけで成り立つものでもないのです。礼拝は、説教者と同時に、会衆のみなさんお一人お一人によっても作り出されています。礼拝に集う一人一人が、心から神を待ち望み、イエス・キリスト様を待ち望みながら、心からの賛美と、神の言葉に対する期待と、謙虚な心をもった聞く耳をもって、始めてそこでえ復活のイエス・キリスト様と出会うことができるのです。また、私たちの神であるイエス・キリストを信じる生き方が、復活のイエス・キリスト様に出会ったという経験に満ちているためには、実際に復活のイエス・キリスト様に出会っていなければなりません。そのためには、礼拝を守ると言うことと同時に、祈ると言うことや聖書を読み、聖書の言葉に聞き従うという姿勢が大切になってきます。

そうやって、礼拝を捧げ、祈り聖書の言葉を読み、それに聞き従って生きていくときに、私たちの生き方の中に復活のイエス・キリスト様が現されてくるのです。たとえば、B・F・バックストンという宣教師がおられます。このかたは、私たちの教会の創設者である加藤亨牧師の恩師である米田豊牧師がそのもとで学び大きな影響を受けた方であり、そういった意味では私たちの教会の信仰の霊性の源泉のお一人だと言えます。そのバックストン宣教師は、聖めを語る人ではなく、見せた人だと言われます。つまり、その生き様の中に、「神の聖さ」が何であるかが現されていた人だと言うことです。そのバックストン宣教師の生き様の中に現された「神の聖さ」は、「朱に交われば赤くなる」ではありませんが、主イエス・キリスト様と、礼拝を通して、聖書を通し、祈りを通して交わる中で、身に付いてきた「神の聖さ」だと思うのです。たしかに、私たちがバックストン宣教師の域にまで達するには、大変なことかもしれません。とうてい達することなどできないかもしれません。けれども、私たちが真摯な気持ちで礼拝を捧げ、聖書を読み、学び、祈りを捧げるならば、私たちは私たちなりに、復活のイエス・キリスト様を指し示し、福音を伝えるものとなることができます。そのことを、信じ、うけとめて、「キリストの生ける手紙」(コリント人への第二の手紙3章3節)として、共に歩んでいくものでありたいと願います。

お祈りしましょう。