『救いの原点に立つ十字架』
コリント人への第一の手紙 2章1−2節
2008/4/6 説教者 濱和弘
賛美 19、251、106
さて、レント、受難週、復活祭という特別な期間を終え、今日からまた、コリント人への手紙からの礼拝説教にもどります。ここまでに、コリント人への第一の手紙1章からお話しをして参りましたので、今日は2章1節からになりますが、おおよそ1ヶ月ほど間が空きましたので、ここまでの概略を大まかに振り返りますと、おおよそ次のようになります。コリントの町は、ギリシャ本土とペロポンネス半島をつなぐ交通の重要な拠点にある町ですが、そこで、パウロが伝道をしてできたのがコリントの教会です。パウロは、コリントの町に1年半ほど滞在し、教会を設立しました。しかし、パウロは、たとえば私のように定住してその地域で伝道をし、教会を牧会するといった、いわゆる牧師のような働きをする使命を負っていたのではなく、あちらこちらを旅しながら伝道をして歩く巡回伝道者、宣教師のような働きをする人でした。ですからパウロは、1年半近くをコリントの町に滞在し伝道を致しましたが、教会が設立されますと、ひとまず、パウロを地中海地域に宣教師として送り出したアンティオケの教会に宣教の報告をするため、宣教の旅を終えて帰路につくのです。
パウロが去った後のコリントの教会は、アポロという優れた説教者を迎えます、しかし、残念なことに、教会は、分派、分裂の危機にさらされるのです。それは、教会に残った人々が、私はアポロに付く、とかケパ(つまりキリストの一番弟子であるペテロ)につく、とかあるいは教会の設立者であるパウロに付くなどといって、派閥をつくりそれぞれが自分たちが正統的な立場にあると主張したためでした。つまり、教会の中に分派が起り、分裂の危機が起ったのです。パウロは、コリントの教会が、そのような危機的な状況にあるということをクロエの家のものから聴きます。それで、事態を収拾するために、パウロはコリントの教会に手紙を書くのです。それが、このコリント人への第一の手紙です。パウロが、その手紙において、コリントの教会の人々に示した事態の収拾策は、キリストの十字架を指し示し、それをもう一度思い返させるということでした。私たちの教会でもそうですが、どこの教会でも、十字架をシンボルとしてかかげてあります。かかげられている十字架の形は様々な形があります。たとえば、この講壇のところにかかげられている十字架は、ラテン十字と呼ばれる形のものです。これは西方教会の伝統に繋がる教会が用いる形の十字架です。つまり、このラテン十字をかかげている私たちの教会は、ローマ・カトリック教会と共に西方教会の伝統を受けつぐ教会だと言うことが、この十字架の形を見ればわかるのです。
これに対して、東方教会の伝統にある教会、たとえばギリシャ正教会などは、十字架の縦の棒と横の棒の長さが同じギリシャ十字といったものを遣いますし、同じ東方教会の伝統を受けつぐ教会であっても、ロシア正教会などは、カタカナのキの字に似た形のロシア十字といったものを使います。他にも、ケルト十字やエルサレム十字、総主教十字や教皇十字など、十字など、十字架の形は様々なのですが、そのような形の違いがあっても、それらが指し示しているものは、すべて一つのこと、それはイエス・キリスト様が十字架で死なれたあの出来事なのです。イエス・キリスト様が十字架に架かれ、苦しまれ死なれたという出来事は、私たちが負わなければならない苦悩や、苦しみを共に負って下さり救って下さり、死では決して終わることのない神の国という希望を約束してくださる出来事なのです。
私の田舎の山口にはザビエル記念聖堂があります。もう十数年まえに落雷で聖堂が焼失し、今は近代的な新しい聖堂が建っていますが、その新しい聖堂になる前の古い聖堂には、私にとって忘れられない十字架がありました。それは聖壇にむかって左側の回廊部分にかかげられていた十字架なのですが、そこには、十字架の上に無惨な姿で磔られたイエス・キリスト様の像が共にかかげられている十字架がありました。その十字架のイエス・キリスト様はあまりにもリアルで、思わず目をそむけたくなるような感じのものでした。ところが、そのむごたらしい十字架が、なぜか私の心を引きつけたのです。以前、このような話を聴きました。興味ある話なのでノートに書き取っていたので、正確を期すためにそのノートを読み返そうと思ったのですが、残念ながら見あたりませんでした。そこで記憶をたどりながらのお話しになりますが、私の心を引きつけた、あのようなむごたらしいキリストの姿をかかげた十字架像は、14世紀から、15世紀ごろにかけて特に用いられたというのです。というのも、14世紀から15世紀ごろはヨーロッパではペストが大流行し、ヨーロッパの人口の1/3の人がなくなったと言います。ですから、14世紀、15世紀前半のヨーロッパは、非常に死が身近にあったのです。
そのような中で人々は、あの無惨な姿、毒黒くやせ細り、血を流しているイエス・キリスト様の像を見上げたというのです。なぜなら、その苦しんでいる姿が、ペストで苦しみながら死んでいった人々の姿と重なり合うものだったからです。そこには、自分たちを悩ませ、死の恐怖に陥れるペストを身に負って、十字架で死なれているイエス・キリスト様の姿がある。そうやって、ペストという苦難、当時の人々は、どうやらそれを神の裁きと受け止めたようです。その人々が、十字架で死なれたイエス・キリスト様のお姿に、その神の裁きであるペストに苦しむ自分たちの姿を重ね合わせながら、そのむごたらしい姿に、自分たちの救いを見出していたのだというのです。考えてみますと、私が、あのむごたらしい十字架の上のイエス・キリスト様の像に引かれたのも、その像の前に立った私の心に、苦しみや苦悩があったからだろうと思います。というのも、私が始めて、あのむごたらしい十字架像の前に立ったときに、主イエス・キリスト様は、この私の罪深さのために、あのように苦しみを受けて下さったのだと思い、胸が締め付けられるような感じがしたからです。それは、私が大学生の頃でしたが、当時は確かに、私は自分の罪深さや、自分の心にある汚れた思いや醜い思いといったもので、悩んでいました。表面的なところではなく、心の奥深いところで、そんな自分の醜い姿が、心にとげのように刺さっていたのです。
また、同じように心の奥底で、自分の人生は決して幸福なものには成らないだろう、きっと苦しい、這いつくばって生きるような一生になるのだろうと、漠然とそう思っていた時期でもありました。それはあきらめにも近い気持ちだったといえます。おそらくそのような、気持ちが、あの十字架の上で苦しんでおられるイエス・キリスト様の像に私を引きつけさせたのだろうと思うのです。そこには、自分ではどうにもならない罪の問題、あるいは、自分ではどうしようもない不安や恐れ、あるいはあきらめに似た気持ちを共に負い、苦しんでくださる神のひとり子の姿がある。いえ、共に負い、共に苦しむだけではない、その苦しむお姿を通して、心に慰めをあたえ、希望を与え、救いを与えて下さる人となられた神のお姿があったのです。先ほど申し上げた中世末期のペストによる死という不安と恐れ、そしてその時代に生きる苦しみも、私が心に感じていた苦しみや不安は、自分自身でどうにかなるものでもなく、誰も助けることができないものです。ただ、十字架に磔られたイエス・キリスト様を見上げるしかない問題なのです。
なぜでしょう。それは、そこで直面している問題が救いしか解決を与えない問題だからです。お金がないという問題なら、お金が満たされれば問題は解決します。そのためにどうしたら良いかのhow toを教えてくれる人も多くいるだろうと思います。けれども、迫り来る死の不安や恐れ、あるいは、漠然とした将来への不安や、自分自身の罪深さや心の醜さ、汚れといった問題は、誰もそれを解決してくれませんし、解決を与えることはできません。ひょっとしたら、何かでその不安や恐れを紛らわしたりすることはできるかも知れません。しかし、人間が必ず死ぬということのゆえに、また確実な将来がわからない以上、その不安やおそれは、表面的には紛らわすことが出来たとしても、根本的には私たち人間には解決できない問題なのです。同じように、自分の罪深さや、心の汚れ、心の醜さといったものは、心理学的に受容したり、昇華したりすることはできるかも知れません。しかしこういった問題もまた、根本的なところで赦しがなければ解決しない問題です。そして、その赦しは決して自分自身の中から起ってきません。なぜならば、問題の当事者が自分自身だからです。だから、赦しの言葉は外からやってこなければならない。外側から語られる赦しの言葉を聴いて、始めて罪深い心や行ない、また心の汚れや醜さは始めて救われるのです。
その人間には決して解決することのできない問題に、イエス・キリスト様の十字架の出来事は救いを与えてくださるのです。また、イエス・キリスト様の十字架の出来事以外に、救いという解決をを与えてくれるものはないのです。だからこそ、パウロは、先ほどの司式の兄弟にお読みいただいたコリント人への第一の手紙2章1節2節で、このように言うのです。「兄弟たちよ、わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと決心したからである。」人間の知恵や英知で解決する問題であるならば、それに頼ればよいでしょう。そして、実際に、私たちの周りにある多くのことは、その人間の知恵と英知によって解決していきます。しかし、パウロが、地中海世界のあちらこちらを渡り歩きながら、伝道の旅をつづけたのは、そのような人間の知恵や英知で解決できる問題について語るためではありません。人間には決して解決できない問題、私たちではどうしようもない問題に救いを与える福音を伝えるために、伝道して歩いたのです。そしてコリントの街にもやって来た。そうやって、イエス・キリスト様が、私たちにその救いを与えるために十字架について死んでくださったのだということをコリントの人たちに伝えたのです。
しかし、ただ「イエス・キリスト様が、私たちに救いをもたらすために十字架について死んでくださった。」といわれても、それは、なんとも、理解しがたい言葉です。「なぜ、イエス・キリスト様が十字架に磔られると私たちが、救われるのか?」と問われると、それはなかなか説明しにくい問題なのです。ましてや、現代の生きる私たちにとっては、おおよそ二千年も前の、イエス・キリストという人の十字架の死が、なぜ私の問題になるかを納得させることは、難しいことだと言えます。もちろん、神学という信仰の出来事を学術的に記述する分野においては、贖罪論という形で、なぜ、イエス・キリスト様が十字架で死なれることによって、私たちが救われるのかと言うことを説明する試みが、教会の歴史の中でずっとなされてきました。それは、人間の持っている知恵をふり絞りながら考え抜かれた説明です。たとえば、みなさんがよくご存知の「イエス・キリスト様は、私たちが受けなければならない罪の裁きを、私たちの身代わりとなって受けて下さった」というのも、刑罰代償説という贖罪論の中の諸説の一つです。もちろん、こういった贖罪論のひとつひとつは、確かにイエス・キリスト様の十字架の死の意味をよく説明していると思いますが、しかし、それでもそれで人々が十分に納得できるかというと必ずしもそうとは言えません。だからこそ、伝道しても私たちの言葉が届かないということがあるのです。
結局の所、説得や説明だけで人々を救いに導くと言うことは、難しいのです。そこには、イエス・キリスト様の十字架の出来事が、本当に自分の心に共鳴するとでもいいますか、心が響き合うといいますか、そのような宗教的な経験が必要なのです。たとえば、中世末期のヨーロッパの人々が、十字架の上で苦しむイエス・キリスト様の像を見て、そこに自分の苦しみや、恐れや、死を背負って下さるイエス・キリスト様の姿を見たように、また私が、あのザビエル記念聖堂にある十字架上のイエス・キリスト様の像を見て、自分の心の中にある苦悩や言いようもない漠然とした不安とあきらめに救いと希望を感じたように、十字架につけられたイエス・キリスト様のお姿が、自分の心を引きつけ、それが心に刻まれるという宗教的な経験が必要なのです。だからこそ、パウロは「十字架につけられたキリスト・キリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心した」というのです。どんなに、言葉巧みにイエス・キリスト様のことを話し、どんなに知恵をつくしてキリスト教のことを説明しても、それだけで信仰は伝わらないのです。本当に大切なことは、イエス・キリスト様の十字架が私の救いのためであり、十字架の上で苦しまれたその苦しみによって、イエス・キリスト様が、私の苦しみや苦悩、そして悲しみを一緒に負ってくださっているのだということを、心に実感することなのです。
そのためには、何も十字架につけられたイエス・キリスト様の像を実際に見上げなければならないと言うことではありません。像であろうと絵画であろうと、それは単なる人間の手によって描かれた像であり絵に過ぎません。大切なのはそれが指し示している十字架の出来事です。そして、それが指し示している十字架の出来事は、何よりも鮮明に聖書の中に記されているのです。ですから、聖書を深く読むことが大切です。そして、ただ読むだけでなく、聖書の言葉、特に福音書に描かれたイエス・キリスト様の御生涯と十字架の出来事を黙想することによって、そのような豊かな宗教経験は養われていくものです。黙想というのは、その場面を思い起こしながら具体的に頭の中で再現してみることです。たとえば、イエス・キリスト様が十字架の上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」と言われたルカによる福音書23章34節の場面ならば、イエス・キリスト様は誰にまなざしを注いで「父よ、彼らをおゆるし下さい。」といわれたのか、その時はどんな息づかいであったか。どのような声の大きさでそれを語られただろうか。また、その言葉をきいた人々の表情はどんなものであったろうか。そういったこと一つ一つのことを具体的に頭に思い描いてみるのです。まるで、自分がその場面の目撃者であるかのようにして、思い描いてみる。
そして、その場面を黙想しながら、自分の心が何を感じたのか、どう思ったのかをしっかりと心に留めるのです。そう言ったこと通して、私たちは、イエス・キリスト様の十字架の意味を心が深く感じ取っていくのです。考えてみますと、私がザビエル記念聖堂にあったあの十字架上のイエスの像に心を引かれたのは、それが単にリアルなイエス・キリスト様の姿を描いた像であったからというだけではありません。もし、それが単なる、写実的なリアルな像であるという理由だけならば、それはグロテクスな像に過ぎなかったかも知れないのです。よくて、せいぜい芸術的に素晴らしい作品として捕えられただけだろうと思うのです。けれども、そうではなくて、そのキリスト像に、自分の悩みを負い、自分の苦悩を負ってくださるイエス・キリスト様の姿を見、そのような悩みや苦悩から救ってくださるイエス・キリスト様のお姿を見たのは、それまでに、聖書を読み、礼拝の説教を聴くという、神に御言葉に触れていたからです。そうやって、私の中に刻み込まれた神の御言葉を通して、神は具体的な像を用いて、イエス・キリスト様の十字架が私にとって何なのかを、私の心の中に刻んでくださったのだろうとそう思うのです。それは、目に見える像ではなく、心に描かれたイエス・キリスト様のお姿が、具体的な像を通して、私の心に思い起こされたのです。
それは、みなさんにも言えることだろうと思います。みなさんの心の中に、イエス・キリスト様の像がどのように刻まれているか、それが大切なことなのです。なぜなら、そうやって、みなさんの心の中に刻まれたイエス・キリスト様のお姿が、みなさんにとってのイエス・キリスト様の関わり合いを表わしているからです。そして、そこには十字架の上に磔られたイエス・キリスト様のお姿がなければならないのです。それは、イエス・キリスト様の十字架こそが、私たちクリスチャンの立つべき土台だからです。パウロは、教会がよって立つ土台は、このイエス・キリスト様の十字架しかないからこそ、「十字架につけられたキリスト・キリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心した」(Tコリント2:2)と、そういうのだろうと思います。それは取りも直さず、教会につながり、キリストのからだなる教会を築き上げているお一人お一人が、この十字架に架かられたイエス・キリスト様が、私の苦悩や苦難を共に負って下さり、それに救いを与えて下さるお方であると、信頼を寄せ、このイエス・キリスト様という、お方が、私たちの罪や死すべき運命によってもたらされる苦難や苦悩、十字架に寄りすがっていなければならないということでもあります。
私たちは、このイエス・キリスト様の十字架に寄りすがっているというただ一点において、神の民の群れとして結びあわされているのです。どんなに使徒から継承された権威であろうと、立派な人格者であろうと、そう言ったものが教会を成り立たせているのではありません。ただ、イエス・キリスト様の十字架に寄りすがって生きる信仰だけが、教会を教会をとしてなりた足せているのです。私たちの教会は敬虔主義の伝統を受けついでいます。それは、単に信仰を知的に理解するということではなく、心の宗教としてのキリスト教を大切にする伝統です。聖書の言葉を読んで、正しく理解するということよりも、正しく感じ取ると言うことを大切にしている伝統であるといっても良いかもしれません。それは、イエス・キリスト様の十字架のお苦しみが、私の苦しみや苦悩を負い、私に救いをもたら素ものであったということを、しっかりと心に刻んで、それをもとに信仰生活を歩んでいく伝統でもあります。おそらくパウロは、コリントの教会が「私はアポロの付く」「私はケパに付く」「私はパウロに」「私はキリストにつく」といった教会がバラバラになって行きそうなときに、そのような人の権威によって信仰を打ち立て、教会を打ち立てようとするのではなく、「教会は、イエス・キリスト様の十字架の出来事に寄りすがって生きていく信仰によって打ち立てられるべきである」とそういいたかったのだろうと思います。
そのような思いで、パウロは、このコリントの手紙を書き始めたのだろうと思うのです。そして、一人一人の心の中に十字架にかけられたイエス・キリスト様のお姿を思い起こさせたかったのだろうと思うのです。そのお姿を、心に思い描くことができるならば、そのお姿がすべてを解決に導き、すべての問題に希望を与えて下さるからです。十字架にかけられたイエス・キリスト様は、どんな人間の知恵にも勝って私たちを救う神の知恵であり、力なのです。ですから、私たちは、今までもそうであったように、これからも、イエス・キリスト様の十字架を見上げながら鮎生んでいきたいと思います。そして、そのように私たちが歩んでいくならば、私たちの教会は必ず神の恵みと祝福を受け継ぎ、語り伝えていくことのできる教会になると確信するのです。
お祈りしましょう。