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メッセージ

羊飼い 幼児祝福礼拝
『共に分け合おう』
コリント人への第一の手紙 11章17−22節
2008/11/9 説教者 濱和弘

今日は幼児祝福礼拝なので、大人とこどもの合同礼拝です。ですから、いつも合同礼拝の時にしているように、最初に子どものためのお話しをして、それから後に、大人のお話をしますので、前に座っている子どもたちも静かに聞いていて下さい。さて、去年の幼児祝福礼拝のときにはしんや君とマナちゃんのお話しをしました。みんなおぼえているかな。一年前のことなので忘れちゃったかもしれないね。どんなお話しだったかというと、「幼稚園の年長さんのマナちゃんが6年生の男の子に意地悪をされていた。それを見つけたお兄ちゃんのしんやくんはマナちゃんを何とか助けようとしました。けれども、しんや君はまだ2年生です。だからどんなに頑張っても、おおきな6年生の男の子にはかないません。それで、しんやくんはお父さんに助けを求めました。さすがに6年生の男の子でも、お父さんにはかないません。だからお父さんがやってくると逃げ出しました」というお話でした。

そして、このお話は、旧約聖書のダビデさんとゴリアテさんのお話とよく似てるってお話しました。 ダビデさんはイスラエルの国に住んでいる小さな男の子です。それに対してゴリアテさんは、そのダビデさんが住んでいるイスラエルの国と戦争をしているペリシテという国の兵隊さんでした。そのダビデさんとゴリアテさんが戦ったんです。ゴリアテさんは大人です。それもとっても大きな人で力も強い兵隊さんでした。ですから、ふつうなら子どものダビデさんが勝つことなど出来ません。でも、そのダビデさんが、ゴリアテさんに勝ったんです。それはダビデさんには神様が味方だったからです。それは、お父さんが、マナちゃんとしんや君の味方になってくれたときに、6年生の男の子たちが逃げ出したように、天のお父さんである神様が私たちの味方になってくれるならば、私たちが絶対に勝つことのできない罪の誘惑、たとえば、嘘をついちゃいけないってわかっているのに、ついつい嘘を言ってごまかしてしまおうとか、人のものをとっちゃだめってわかっているのに、人のものが欲しくなって、とっちゃおうって思う気持ち、そういった罪の誘惑にも勝つことが出来ますよってことです。そして、罪の誘惑に打ち勝つことだけではありません。神様が味方になってくださるならば、私たちの心の中に、優しい心が起ってくるんです。神様のことをいつも思っている人の心には優しい心が育ってきます。

しんやくんとマナちゃんはお父さんやお母さんと一緒に毎週教会に行っていました。そして、教会学校で神様のお話しを聞いていました。だから、ときどき神様のことを考えることがあります。神様のことを考えるときは、心に優しい気持ちが起ってくるような感じがしました。だから、神様のことを忘れないでいるときはしんや君とマナちゃんはとっても仲良くできます。兄弟げんかなんかしません。でもね、神様のことを忘れてしまったときには、仲良くできないで兄弟げんかをしてしまうこともあるんです。あるとき、しんやくんとマナちゃんがとっくみあいの兄弟げんかをしていました。どうして喧嘩になったのかというと、お父さんがおみやげに買ってきてくれたケーキが原因でした。お父さんがおみやげに買ってきてくれたケーキは、いろんな種類がありました。苺ののった白いショートケーキや、栗がのった茶色いモンブラン。でもみんな一つずつしかありません。しんやくんもマナちゃんもどちらも、真っ赤な苺がのったしろいショートケーキが食べたくて、それでどっちも苺のショートケーキが食べたくて喧嘩が始まったんです。6年生の男の子に、妹のマナちゃんがいじめられているときには、助けてあげなきゃって優しい心になれたしんや君もこのときは優しい心になれませんでした。それは、「ぼくは、あのいちごのショートケーキが食べたいんっだ」って自分のことばかりを考えたからです。それはマナちゃんも同じです。マナちゃんも「あの苺のショートケーキがとってもおいしそう。だから苺のショートケーキが食べたい」って思っていたんです。だから喧嘩になっちゃった。

お父さんとお母さんは、ちょっとの間、しんや君とマナちゃんがとっくみあいの喧嘩をしているのをみていました。でも、いつまでたっても二人が仲直りしそうにないので、喧嘩をしている二人の間に入って、こういいました。「どうして、二人とも喧嘩をしてるの?」もちろん、お父さんもお母さんも、二人の喧嘩の理由を知っています。でもわざと、「どうして、二人とも喧嘩をしてるの?」って聞いたんです。すると、しんや君は「僕が、苺のケーキ食べたいのに、マナがそれをとろうとするんだ」っていいます。マナちゃんはマナちゃんで「苺のケーキ食べたいのにお兄ちゃんがくれないの」というんです。それを聞いた、お父さんとお母さんは「そう、マナちゃんも苺のケーキが食べたいし、しんや君も苺のケーキが食べたいんだ。二人とも苺のケーキがたべたいんだね。」ってそう言いました。そのとき、しんや君もマナちゃん、ハッと気が付きました。「自分が苺のケーキが食べたいと思っているように、相手も同じように思っているんだ」ってそう気づいたんです。そんな二人に、お父さんとお母さんは「こんな時、イエス様ならどうすると思う」って聞きました。それで、しんや君とマナちゃんは考えました。「イエス様ならどうするだろう?」。イエス様は神の一人子です。ですから、天の父なる神様のことをよく知っています。神の一人子ですから神の心を持っているのです。そのイエス様ならどうするのか。

しんや君もマナちゃんもイエス様は優しい神様のお心を持っているということをちゃんと知っていました。だから二人とも、「イエス様ならきっと、どんなに食べたいケーキでも相手にあげると思う」とそう答えました。すると、お父さんはにっこり笑ってこういうんです。「残念、少しちがうな。イエス様ならきっとこうすると思うよ」って言って……、みんな、おとうさんはどうしたと思う。お父さんは、苺のショートケーキを半分に切り、栗ののったモンブランも半分にして、それぞれをしんや君とマナちゃんのお皿の上にのせました。そして、こう言ったんです。「イエス様はね、嬉しいことも悲しいこともみんなで分け合いなさいっていっていると思うよ」そうです。聖書にはね。「泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜びなさい」という言葉が書いてあります。これはイエス様のお弟子のパウロさんが言った言葉ですが、パウロさんはいつも神の一人子であるイエス様のことを思っていました。だから、イエス様のお心、神様のお心が良くわかっていたんです。そのパウロさんが、神様を信じる人、イエス様を信じる人は、嬉しいことも悲しいことも互いに分け合って生きていくんですよ。それが優しい心なんですよって教えてくれています。だれか一人がじっと我慢していたら、その人はやがて優しい心をなくしてしまいます。相手に自分の優しい心だけを与えていたら、自分の中にある優しい心がなくなってしまうからです。だから分け合うことが大切なんですね。

でもね、教会の中でもそのことを忘れてしますことがあります。たとえば、コリントの教会の人たちは、自分のことばかり考えて、相手のことを考えることが出来ませんでした。だから、喧嘩ばかりして仲良くできなかったんです。それで、一緒に食事をしていても、自分の好きな物ばかり食べて、食べることの出来ない人のことなんか考えなかったのです。そんなコリントの教会の人たちを、パウロさんは、「そんなんじゃ、だめですよ。神様を信じるイエス様の弟子は、相手のことを思いやり、心配する人にならなければダメなんですよ。ちゃんと神様のこと、イエス様のことを思いながら生きていかなければいけません。」ってそう叱っているんです。みんなは、いつも神様のこと、イエス様のことを思っていますか。父なる神様も子なる神様であるイエス様も、みんなが優しい心を持つ人になって欲しいと願っています。そして、優しい心を持ってお家の中で、教会で、お友達と仲良くして欲しいと思っているんです。だから、そんな神様のことイエス様のことを、いつも思っていましょうね。

さて、ここからは、大人の人へのお話です。今日のコリント人への第一の手紙11章17節から22節は、聖餐に関することが語られています。それは次に続く23節以降につながっていくのですが、とくに、この17節から22節は、当時のコリントの教会における聖餐が乱れてしまっていた状態が記されています。当初、教会では、ユダヤ教の習慣に倣って土曜日に礼拝を守っていました。それはキリスト教もユダヤ教の中から起ったものだからでした。ですから、安息日である土曜日の午前中に、ユダヤ教の会堂であるシナゴーグで礼拝を持ち、土曜日の午後、あるいは夜に、誰かに家にもう一度あつまって、"パン裂き"あるいは"主の晩餐"とよばれる最後の晩餐の出来事を記念した食事を共にしていたのです。そのような形態は、今日のカトリック教会に残されています。カトリック教会の礼拝は、2部形式になっており、第一部が言葉の典礼とよばれるもので、私たちが行なっているような礼拝が行なわれます。もっとも、説教は極めて短いものではありますが、ともかく、聖書の言葉とその解き明しである神の言葉を中心にした礼典が行なわれるのです。そして、その後に第2部としてミサ典礼と呼ばれる聖体拝領という私たちで言うところの聖餐式が執り行なわれるのです。それは教会が出発した当初の形態を踏襲していると考えられるのです。

いずれにしても、まだ生まれたばかりの教会は、ユダヤ教の安息日の礼拝を守り、そのあと、再びあつまって、自分たち独自の集会を持っていたのですが、そうしている内に、ユダヤ教から迫害を受けるようになり、また教会も、自分たちはユダヤ教といった枠の中に収まるものではないキリスト教だという意識も芽生えてきました。それでだんだんとシナゴーグでの礼拝ではなく、礼拝の後に集まっていた"パン裂き・主の晩餐"が中心になってきたのです。しかし、"パン裂き"、あるいは"主の晩餐"は、最後の晩餐を記念するものではありましたが、今日のように礼拝の中で行われる儀式として整えられた聖餐ではなく、一緒に集まって食事をする愛餐会と共に行なわれたのです。そして、その聖餐に使われるパンやぶどう酒は自分たちがそれぞれ持ち寄っていました。その"主の晩餐"がコリントの教会では、乱れてしまい正しく行なわれていなかったので、パウロはコリントの教会の人たちを叱責するのです。では、どのように乱れ正しく行なわれていなかったかというと、それが21節の「食事の際、各自が自分の晩餐を勝手に先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。」といった具合です。それこそ、自分で持ち寄ったパンとぶどう酒で食事をするのですから、先に来た者は、勝手にその持ってきたパンとぶどう酒で食事をはじめ、後から来た人が着いたころには、すっかり酔っぱらってしまっているというようなことがあった。これでは秩序もヘッタクレもありません。また、個人がそれぞれ持ち寄ったものを食べるわけですから、当然そこには貧しいものと豊かな者との違いが出てくる。富めるものは充分に食事をして満足するわけですが、貧しい人たちは必ずしもそうではなかった。けれども、"パン裂き・主の晩餐"は、ただの食事の場ではなく、教会の集会ですから、そのような違いがあっても、彼らはきちんとその集会を守ったのです。

その状態をパウロは伝え聞いていました。それで、「あなたがたには飲み喰いする家がないのか、それとも神の教会を軽んじ、貧しい人をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたをほめようか。このことではほめるわけにはいかない。」と、叱責するのです。ただ飲み食いするだけならば、家ですればいいことです。わざわざ集まって一緒に食事をするには、それなりの意味があるのです。なのに、そんなことも考えないで勝手に飲み食いしているのであるならば、それはもはやそれは教会のあるべき姿ではないと、パウロはそう言うのです。そのように、みんなが集まって食事をする。それは一つには、"主の晩餐"としてイエス・キリスト様の十字架の死を思い起こすためです。同時に、その主の晩餐が、愛餐会でもあったということは、みんなが集まって交わりをするためであったのでしょう。それは、食事を共にし、主イエス・キリスト様が弟子たちにお与えになったただ一つの戒め、「あなたがたは互いに愛し合いなさい」という戒めを、そこにおいて具体的に実践するためであったといえるでしょう。

私たちの教会でも、毎週一緒に食事をする場があります。婦人会の方が当番になって下さり、昼食を用意して下さる週もありますし、皆さんが持ち寄りで持ってきた者を分け合って食べることもある。もちろん、何も持ってこなくても、喜んでその交わりに迎え入れられますし、入ることも出来る。わたしは、その光景を見ていて、いつもなんだか嬉しい気持ちがするのです。というのも、初代教会もきっとこのようなものだったのだろうと思うからです。そして、それは宗教改革の時にルターが目指した教会の姿でもあったのです。中世末期のルターやツビングリ、カルヴァンといった宗教改革者たちが生きた時代は、教皇や司教といった教会の制度としての教会はしっかりとしたものになっていました。また、修道院や大学などで、神学や霊性の研鑽といったこともけっしておろそかにされてはいませんでした。けれども、制度が整い、聖職者と信徒といったものがはっきりと区別がつけられるようになると、教会とこの世の区別がつけられ、交わりというものがだんだんと薄れていったのです。

それは、私たちの聖餐式にあたるミサ典礼でも同じです。ミサ典礼がだんだんと聖職者だけのものになり、信徒の人たちは遠くから見ているだけというふうになってしまっていたのです。もちろん、ちゃんと懺悔をしたものは、聖餐のパンに与ることは出来ましたが、ミサ典礼そのものは礼典後に行なわれていましたから、そこで一体何が行なわれているかは分からなかったのです。本当は、みんなで救いの喜びを分かち合うはずのミサ典礼が、必ずしもそのようなものになっていない。信徒のひとりひとりはそこで何が行なわれているかも分からないでいる。そのような礼拝ではなく、みんなで分かち合うことの出来る礼拝をルターは目指したのです。ですからルターは、それまで行なわれていたラテン語のミサをドイツ語で行なうことが出来るようにと、ドイツ語のミサ典礼書をつくりましたし、聖書もみんなに分かるように、自分たちの母国語であるドイツ語に翻訳したのです。そうやって、みんなが神の恵みを分かち合える場にしたのです。そして、それは最初の教会がもっていた、豊かな交わりでもあったのです。そのようなわけで、1952年から1965年に教皇ヨハネ23世が開いた第2バチカン公会議で、カトリック教会も、ラテン語ではなく、自分の国の言葉でミサ典礼を行う事が出来るようになったのです。それは、教会がもともとはみんなで神の恵みを分かち合い喜び合うところだからです。カトリック教会もその原点に立ち返ったのです。

ところがコリントの教会はそうではなかった。同じ一つの家に集まっているのに、それぞれが持ち寄ったパンやぶどう酒を分け合おうともせず、自分勝手に飲み食いして帰っていく。そこには喜びを分かち合うといった姿のかけらもなかったのです。そのような教会は、一人一人のクリスチャンにとって益になろうはずがありません。むしろ損失にさえなってしまうのです。だからこそパウロは、そのようなコリントの教会の姿を嘆いているのです。しかし、いったいどうしてコリントの教会はそのような姿になってしまったのでしょうか。その原因ついてパウロは、配慮を込めた言葉でこう言っています。「あなたがたが教会に集まる時、お互いの間に分派があることを、私は耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。」コリントの教会の中に、いろいろと意見の対立があるということは、このコリントの第一の手紙から説教を始めた最初の時にお話ししたとおりです。その意見の対立が分派を生み、教会の大切な愛餐会をだいなしにし、聖餐の秩序さえもなくしてしまったとパウロはそう言うのです。

もっとも、パウロは分派それ自体を悪いことだと言っていません。19節を見ますと、「たしかにあなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい。」ともいうのです。つまり、信仰において、何が正しく、何が違っているのかということを明らかにするためには、それぞれが合い分かれて議論を戦わせると言ったことも必要なのです。ですから、教会に意見の違いや、考え方の違いがあつことは、ある意味では仕方のないことですし、むしろ、健全な信仰のためには、そのような意見の食い違いにもとづくところの議論が必要な場合もあるのです。けれども、そのような意見の食い違いがあり、考え方の違いがあっても、兄弟姉妹として一つのテーブルに着いたならば、互いに喜びを分かち合い、祈りあえなければ、本当の主にある兄弟姉妹とはいえないのです。互いに泣くものと共に泣き、喜ぶ者と喜ぶような者の集まりが教会だからです。意見の対立や考え方の違いによって、相手を疎み、嫌い、憎しむようになって教会の交わりが壊れてしまうようなことになってしまうのであるならば、どんなに高尚な議論がなされていたとしても、それはまったく意味をなさないものであり、誉められたものではないのです。

さきほど、宗教改革者であるマルティン・ルターのお話しをしました。ルターは、先ほどお話ししましたように、信徒の一人一人が教会に集まり、神の恵みを分かち合うような初代教会の礼拝のあり方を目指していました。ところが、そのルター自身が、自分が主張しているその主張に対して、エラスムスという人が反対の意見を述べたときに、激しくののしり、雑言をあびせたのです。そのルターとエラスムスの意見の違いは自由意思論叢と呼ばれるものですが、人間には自由意思はないというルターに対し、エラスムスが、評論自由意思という本を書き、ルターは自由意思はないといっているが、自由意思はあるのだとそう主張したのです。そのエラスムスの評論自由意思に対して奴隷意志論という、エラスムスの本の3倍ぐらいの量の本を書くのですが、その2/3にはエラスムスに対する悪口であり、人格攻撃でした。そのようなわけで、そののち、ルターは「言いすぎた」とエラスムスに書簡をおくるのですが、もはやエラスムスはルターをまったく相手にしなくなってしまっていたのです。交わりが完全に壊れてしまっていたんですね。わたしは、ルターとエラスムスがこのような悲劇的な決別になってしまったのが、後のキリスト教会のあり方に決定的な禍根となったと考えています。ですから、ルターには、エラスムスが評論自由意思を書いたとき、エラスムスの言っていることにしっかりと耳を傾け、きちんと対論すべきだったと思いますし、エラスムスにも、ルターが「言い過ぎた」と言ってきたとき寛容であって欲しかったと思うのです。ともかくも、このコリントの教会で問題となったようなことは、宗教改革の時にも起った、それすなわち、このような問題はいつの時代でも起こりうるものなのだということです。

ですから、それが私たちの教会でも起こらないという保証はありません。もちろん、今は、私たちの教会はとてもよい交わりが保たれ、まさに最初の教会はこのようであったろうと思わせるようなよい交わりが持たれています。この交わりを、私たちは、これからも持ち続けていかなければなりません。そのためには、私たち一人一人が、教会に集う一人一人のことを思い、喜ぶ者と共に喜び、悲しむものとともに悲しむ心を養っていかなければなりません。そして、そのような心は、私たちが神を思い、イエス。キリスト様を思う心の中で養われていくのです。きょう、私たちの教会に集う、愛する子どもたちも、同じように、神を思い、イエス・キリスト様のことを思うことで、優しい心を持つ者になりましょうと学びました。その子どもたちと同じ合同礼拝を守る私たちも、子どもたちと同じように、神を思いイエス・キリスト様を思いながら、互いに喜びを分かち合い、悲しみを分かち合う教会を築き上げていく一人一人でありたいと願います。

お祈りしましょう。