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メッセージ

羊飼い 『愛は絶えることはない』
コリント人への第一の手紙 13章8−13節
2009/2/1 説教者 濱和弘

先週の礼拝、そして先々週の礼拝と、私はコリント人への13章1節から6節までを通して、愛ということの大切さについてお話ししてきました。それは、愛が三位一体なる神の御本質であり、それゆえに、私たちの主、子なる神イエス・キリスト様の御本質だからです。ですから、この地上でイエス・キリストの体として、イエス・キリスト様がなされるであろう業を行なう教会は、本質的に愛を動機として行動し、徹頭徹尾、愛に貫かれていなければなりません。

その愛について語るにあたって、パウロはコリント人への第一の手紙12章31節で、「あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に務めなさい。そこでわたしは最も優れた道をあなたがたに示そう」と言っています。つまり、パウロが「示そう」と言うこの「最も優れた道」は「愛」なのです。このように、パウロが「最も優れた道」としての「愛」をコリントの教会の人びとに示そうと考えたのは、コリントの教会に賜物についての混乱があったからです。賜物というのは神が与えてくださる恵であり贈り物ですが、ここでは具体的には神によって与えられる信仰に関わる特別な能力のことが考えられています。その賜物のリストがコリント人への第一の手紙12章8節から10節に記されていますが、そこにはこのように書かれています。

「すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている」ここには、神が御霊、すなわち聖霊によって与えてくださる賜物として、知恵の言葉、知識の言葉を語る賜物や、信仰や癒しの賜物、あるいは力ある業を行なう賜物といったものがあげられています。また、他にも預言を語る賜物や霊を見分ける力といった賜物、意見を語る賜物とそれを解き明す賜物といったものについても述べられています。実際にこれらの賜物がどの様なものであったかは定かではありません。もちろん、コリントの教会の人たちにとっては、それが何かは明らかであり、それゆえにパウロは何の説明もなく、これら聖霊の賜物のリストをここに書き綴っているのですが、現代の私たちには、これだけでは一体それがどの様なものであったかは良くわからないというのが正直なところです。

しかし、良くわからないことでも、なんとか少しでも分かることができるようにと、新約学者と言われるような人が、言語の意味や、当時のコリントの町の歴史的状況などを研究しながら、おそらくこのようなものではないだろうかと探っていくわけです。そして、そのような努力を通して、たとえば、知恵の言葉であるとか、知識のことばといったものは、信仰に関する聖なる事柄についての理解力であり、知恵の言葉は、そのような信仰に関する聖なる知識、あるいは自分の信仰の体験からつかみ取った神に対する理解を深め、具体的な生活や生き方に適用し教える能力であっただろうと推測するのです。そのような、推測によって、信仰とは、特別な奉仕を遂行する信仰と考えられています。この特別な奉仕というのは、たとえば司教あるいは監督といわれるような奉仕だと言えるでしょう。というのも、古代の教会における司教や監督と呼ばれる職にある人のもっとも重要な働きは、迫害が起ったとき、殉教するという役割を負ったからです。

古代におけるキリスト教への迫害は、迫害が起ったとき、キリスト教徒全員を迫害し殺してしまうということはなかったようです。むしろ、その教会を代表する中心的人物を捉え、苦しめ、殺すということで見せしめにしたのです。その見せしめとなって死ぬ役目が司教であり監督だったのです。ですから、そのような厳しい使命を負う強い信仰が司教や監督と呼ばれる人には必要でした。その信仰を神が賜物として与えてくれる、そのようなニュアンスの信仰と考えればよいだろうと思います。他にも、病を癒す賜物、あるいは奇跡を行なう力ある業を行なう賜物、また神の言葉を伝える預言の賜物、また、異言とよばれる特別な言葉、この異言が何であったかについては、外国語であるとか、人間には理解できないことばであるとか、今日でも議論があり混乱しているのですが、ともかく、異言とよばれる特別な言葉を語る賜物、そしてその異言を翻訳する賜物などがあったのです。

このように、教会に様々な賜物があったのは、教会に集う人々が伝道し、そして教会を建てあげていくためでした。12章の28節に「そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた」とありますが、古代の教会は、制度としての、使徒、預言者、教師といった今日で言われる教職者にあたるような職制上の働きと、賜物としてあたえられた能力によって奉仕をする働きがあったようです。この使徒と呼ばれる職務は、いわゆる12使徒とは違うものです。聖書では、12使徒に対しては12人という呼び方をしており、ここで言われている使徒というのは、キリストの召しに従い、福音を宣べ伝え、教会に仕え、教会を支えていった人々です。ある聖書注解者(榊原康夫・宮村武夫等)は、この使徒の職務・預言者・教師として働くために用いられた賜物が、知恵の言葉、知識のことばを語る賜物であり、預言の賜物であり、信仰の賜物といったものであっただろうといいます。つまり、教職者の働きをするために神が備えてくださった能力です。

聖書には、これらの賜物が「ある人には聖霊のよってこの賜物、はかの人には、聖霊によって別の賜物が与えられた」とありますから、同じ教職者であっても、与えられた賜物の違いによって、教職者のなかでも使徒、預言者、教師というように職制がわかれていたのかもしれません。そして、このような制度化された職制上の教職者とは別に、12章28節にあるように、力ある業を行う者、いやしの賜物を持つ者、補助者、この補助者は、病気の人を助け援助する働きだと考えられていますが、その補助者、そして管理者。この管理者は教会の役員のような職務であったと思われます。また、異言を語る者といった奉仕があったのです。これらは、制度化された職制上では、信徒の方々がその立場において行なう奉仕の業でした。教会は、このように、教職者と信徒の方々が、お互いに与えられた賜物を用いながら、共に宣教の業福音の伝道を行ない、教会を建てあげていったのです。ですから、コリントの教会を建てあげていくためには、このような賜物は必要なものであった。ところが、パウロは、そのような賜物も大切だが、もっと優れて、もっと大切なものが教会にはある。それは「愛」だというのです。

いえ、愛がなければ、教会の行なう一切の業は無益であるとさえ言い切るのです。それは、教会が愛によって一つに結ばれていなければ、決して一つのキリストからだとしての調和がとれないからです。というのも、私たち人間の心は、傲慢な一面を誰しもが持っているからです。ですから、何か特別な能力や立場、肩書きが与えられると、自分は人よりも優れているものであると誇ってしまうようになる傾向があります。実際、コリントの教会は、自分が与えられた賜物が他の賜物よりも優れたものであり、自分は、ほかの人よりも霊的に優れたものであると考える人たちによって混乱していたと思われるふしがあります。それが異言を語る賜物でした。ですから、パウロは、このコリント人への第一の手紙14章にはいると、ことさら異言を語る人に対して注意を促しているのです。また、異言を語る人が、自分の信仰の霊的優位性を主張していたからこそ、パウロは、12章28節で異言を語る賜物を一番最後においたのかもしれません。

いずれにしても、そのような混乱した教会を一つにし、調和を与える事ができるのは、教会員が互いに愛し合うことによらなければできないことです。なぜならば、愛は、相手に対して穏やかな心をもって接し、平静な心を持って相手を諭し諌める寛容という性質を持つからです。その寛容さが、高ぶることなく、誇らず、いらだたないものにしてくれます。また、愛は情け深いという性質をも持ちます。この情け深いという愛の性質が、私たちの心に、妬み恨むことのない、人に迷惑をかけない心を生み出しますし、屋根のように相手を覆い、罪をかばい赦すところのこころを踏み出していくからです。そうやって、愛は、共に神の前に真理と呼ばれる、信頼するに価するあるべき生き方を教会に集う人々に求めさせていきます。だから、教会に、そこに集うクリスチャン同士の間に愛が貫かれているならば、教会は必ず一つになることができるのです。そういった意味で、教会が立てあげられていくためには、確かに愛は、他のどんな賜物にも優るものであり、教会を一つに結ぶ合わせる道なのです。

しかし、パウロは、ここで愛が最も優れた道であるもう一つの理由をあげています。それは、「愛はいつまでも絶えることがない」ということです。パウロは、預言も、異言も、知識もすたれ止むといっています。つまり、神が与えたもう聖霊の賜物は、どんなにこの時代のコリントの教会で用いられるものであったとしても、その聖霊の賜物は不変でいつの時代にも存在するものではないということです。

考えてみますと、今日では預言の賜物というものは存在しません。なぜならば、聖書という神の言葉が与えられているからです。私たちの教会は、聖書は全たき神の言葉であり、誤りなき神の言葉であると信じています。ですから、聖書の言葉を解き明すということにおいて、牧師の説教があります。しかし、牧師の説教は決して聖書の言葉を超えることはありません。牧師の説教の言葉は聖書の御言葉を指し示し、照り輝かせるだけなのです。ですから、牧師は預言者ではありません。もちろん、教会が神の前に正しく歩めるように預言者的働きをしますが、それはあくまでも聖書の御言葉の中に留まり、聖書の御言葉が語るところから教会を導いていくことにおいて、預言者的なのであって決して預言者ではないのです。

しかし、この時代のコリントの教会には、まだ新約聖書はありませんから、そういった意味で神の言葉を取り次ぐ預言者という職務が必要だったのです。だからこそ、神は預言の賜物をお与えになり、預言者という職務を置かれました。しかし、新約聖書が与えられ、旧新約聖書66巻が正典としての神の言葉が定まった以降は、むしろ預言者という存在は必要ではなく、その聖書の御言葉に仕え語る、牧師や司祭、司教といった教職者が置かれているのです。このように、牧師や司祭、司教といった職制は、コリントの教会にあった使徒、預言者、教師といったものとは違っています。もちろん、内容的に重なるものもあるだろうと思いますが、しかし、制度としての職制も不変ではないのです。

私たち日本ホーリネス教団の職制も、現在は正教師、補教師、教師試補という3段階に分けられています。その中で正教師だけが、洗礼と聖餐という聖礼典を執行できるのですが、しかし、その私たちの教団の職制も過去のものとは違っているのです。このような変化は、かつてあったものがすたれ、なくなってしまうこともあるということを意味します。そして職制に変化があるとするならば、賜物にも変化が起るのです。たとえば、聖書66巻という神の御言葉が与えられたときに、もはや、直接神のお言葉を取り次ぐ預言の賜物は必要なくなりました。ですから、最終的に、正典としての旧新聖書定められたのは4世紀末ですが、しかし、現在の新約聖書にある書物が権威ある書物として受け入れられるようになった2世紀末には、預言や異言といったものか消えていったのです。

そういった意味では、聖書という、全き神の言葉のまえには、この当時のコリントの教会にあった預言は、部分的なものであったと言うことができるかもしれません。もっとも、パウロがこのコリント人への第一の手紙13章10節で「全きものが来る時には、部分的なものはすたれる」といっているのは、そのような狭い意味だけでなく、もっと広い意味を持っています。つまりそれは、やがてイエス・キリスト様が再びこの地上に来られ、この世の終りが来て、神を信じるものがすべて天国に招き入れられるという終末の時を見据えた言葉なのです。歴史上のどの時代のクリスチャンも、神に関して完全に知ることはできません。ただその時代の時代の中で、地域や文化的背景を背負って聖書の言葉を読み、理解し、そしてその時代背景の中で伝道をし教会を建てあげていくだけなのです。もちろん、それは大切なことであり、私たちがなすべきことです。そして、そのために、その時代時代に応じて神は聖霊によって賜物を私たちに与えてくださいます。そうやって、私たちはその時代という歴史の一断面の中で、限られた地域性と文化の制約を受けながら、神を知り、神の業を担うのです。

しかし、パウロは、愛は絶えることがないというのです。それはどの時代の、どの地域のクリスチャンであっても、神の愛に満たされ、神の愛に生かされ、神の愛を語り、実践するということにおいては何一つ変わらないからです。時代時代の教会、あるいは地域的・文化的背景が異なるのであれば、当然、賜物はすたれ失われることもあるでしょう。しかし、教会から愛が失われたならば、教会は教会でなくなるのです。なぜなら、三位一体なる神の本質は愛だからです。神の本質が愛だからこそ、神は人を憐れみ、救おうとなさった。また、神の御子であられるイエス・キリスト様は、私たちを救うために十字架で死なれたのです。教会が、この愛を知り、この愛を語り、この愛に生きることがなくなれば、教会がすたれ、教会がなくなるのです。たとえ形や制度が残っても、それは教会の残骸であり、生ける神の御子イエス・キリスト様のからだである教会は、もはやそこにはありません。キリストのからだである教会が立てあげられ、この世の終りまで絶えることなく残るために、なくてはならない最も大切なものは愛なのです。

17世紀になって宗教改革が一段落付き、宗教改革が次の世代に移り変わっていく中で、正統主義とよばれる人たちが出てきました。この正統主義の人たちは、私たちが信じる信仰はどの様なものなのかということを組織的にまとめ上げ神学の言葉で言い表そうとしました。ですから、説教も教理を語り、それを説明していくような説教になっていきました。そのような中で、人々の心が渇き、ひからびていくような感じがしてきたのです。しかも、時代は30年戦争という全ヨーロッパを疲弊させた戦争があり、人々の心が荒廃した中にありました。ですから、正統主義に立つ教会の語る言葉は、それは正しい神学にたち、正しい教理を語る言葉であったかもしれませんが、しかし、その言葉は、渇いた心の人々の、その心を満たし潤さなかったのです。正統主義の神学者や牧師は、知識に言葉を語る賜物はあったのかも知れません。しかし、その時に本当に必要だったのは神の愛に満ちた言葉だったのです。神の愛に満ち人々の心を満たし、如何に生きていくかを示す言葉が求められていたのです。

そこに、敬虔主義という運動が起ってきました。そして、神の愛と恵を語り分かち合い、その愛に行かされた生き方を語っていったのです。実際、この敬虔主義という運動は孤児院や、貧しい人、虐げられた立場の人たちのための施設を作り奉仕しました。また、プロテスタント教会の最初の宣教師を送り出したのも、この敬虔主義の人たちだったのです。そういった意味では、敬虔主義の人たちは、まさに、キリストの愛に満たされ、キリストの愛に生きた人たちです。彼らは、心が枯れ果て魂が飢え渇いた時代に、決して絶えることのない、そして絶やしてはならない神の愛を教会に取りもどしたのです。そして、その敬虔主義の伝統は、私たちホーリネス教団にも流れ込んでいます。

先日、ひょんなことから青野雪江という牧師の説教を聞く機会がありました。この青野牧師は、すでに天に召されていますが、その90歳の時の説教です。青野牧師は小学校5年生に時に学校をやめ、そのため聖書学院に入学することもできませんでした。しかし、四国で開拓伝道を初め、現在の私たちの教団の四国教区の教会は、ほとんどがこの青野牧師によって開拓され建てられたものです。青野牧師は、小学校を途中でやめ、聖書学院でも学んでいません。ですから、青野先生の説教は、聖書を釈義し語るのではなく、また神学的な説教でもありません。むしろご自身の体験を語り、なにかご自身の成功話、自慢話を語っているようさえ聞こえます。しかし、じっとその説教の言葉に耳を傾けて傾聴していますと、神が私たちを愛しておられる愛、イエス・キリスト様が私たちを愛しておられる愛が、聞いている私の心に響いてくるのです。

きっと、青野先生ご自身が深いキリストの愛を感じ、その愛で生きておられたのだろうと思います。その神の愛に満たされ神の愛に生きると言うことが、教会を建てあげ、宣教の業を進めていくためには最も優れた道であり、最も大切な道なのです。それが、あの決して学問的でなく神学的でもない、説教と言うよりは御自分の体験談のような説教からひしひしと伝わってくる。それは、まさに神の愛の生かされ、その神の愛を人々に伝えたいという愛に貫かれた説教だからだろうと思うのです。青野牧師の説教は決して敬虔主義の説教ではありません。敬虔主義が何であるかさえ知らなかっただろうと思います。しかし、私が聞いた青野牧師の説教は敬虔主義が見据えていたところを見抜いているような説教でした。それはホーリネス教団の中に流れ込んだ敬虔主義のエッセンスが、青野牧師の中に培われたからこそ生まれ出たものなのだろうと思うのです。

ところが、コリントの教会では、そのようなことが見失われ、賜物が重視され、しかもその賜物によって自分の信仰が他の人よりも優れていると思い、そのために教会が混乱してしまっているような状況にありました。そのようなコリントの人たちをパウロは、幼な子にたとえ、「わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった」といっています。自分が神からどの様な能力を与えられたか、何をすることができるようになったのか。何を、どのように語ることができるのか。具体的には異言と呼ばれる特別な言葉を語ることができるということ、そのことに価値をもとめ、それを誇り、それを求めていた人々に、そのような生き方は幼な子のような未熟なものだとパウロは諭すのです。

そして、大人の成熟したクリスチャンになるならば、そのような賜物に価値を見出し、賜物をもとめるような幼児のような生き方捨ててしまうのだというのです。それは自分により素晴らしいものを与えられることを期待し、自分の栄光と冨や繁栄を求める信仰ではなく、他者を愛し、隣人のために生きる生き方を求めなさいというパウロのお勧めの言葉のようにすら思える言葉です。というのも、パウロはピリピ人への手紙2章1節から8節でこう言っているからです。「そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」

ここでパウロは、へりくだって、人を自分よりすぐれたものとし、自分のことばかりでなく他の人のことも考えなさいといっています。それは、キリストが神の御子であり三位一体の神としての栄光を持っておられたのに、私たち人間の救いのためにその栄光をすて、おのれを低くして人間に身をやつし、十字架の死に至るまで、従順であられたからだというのです。このように、キリストが三位一体の神としての栄光を捨て、人となって私たちのために生き、そして死んでくださったその生き方の背後には、神の愛、キリストの愛がありました。このピリピ人への手紙を書いたパウロが、コリントの教会の人たちに福音を伝え、キリストを伝えたのです。ですから、当然コリントの人たちも、同じ内容の話をパウロから聞いていただろうと思います。いえ、それだけではありません。このピリピ人への3章1節から8節までの部分で、特に6節から8節までの「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」という部分は、当時の讃美歌であったろうと言われているのです。ですから、コリントの教会の人たちも、この讃美歌を歌っていたかもしれないのです。

そのように、キリストの愛が伝えられ、その愛にもとづいて、互いに一つ思いになって、へりくだって互いに、人のために生きなさいという教えるパウロから、福音を伝えられ信仰を教えられていたのに、コリントの人たちは、神が与える聖霊のよる賜物に優劣を決め、その優れた賜物を自分の信仰の誇りのために、得ようとして愛が本質である教会に混乱を来していたのです。そこには、コリントの町が港町で、当時のギリシャ・ローマ世界では優れて繁栄した商業都市であったという背景があったからかもしれません。商業における繁栄はお金を儲けることだからです。お金をどれだけ持っているかが優劣を決め、より多くのお金を手にすることで、選りすぐれた価値を手に入れることができるというのが商業文化の一面です。そのような文化的背景にあるコリントの人たちは、そのような文化的な背景の中で、パウロが語る福音を聞き理解しました。そして、その理解によって、神から与えられる賜物に優劣をつけ、自分の信仰が人よりも優れた価値ある信仰だと感じたのかもしれません。

しかし、それはパウロの伝えた福音の真髄を充分に受け止めた理解ではなかったのです。コリントの教会の人とたちが置かれた地域的環境・文化的背景がパウロの伝えた福音をおぼろげで、鏡に映すようにしか見ることができないものにしていたのかもしれません。しかし、いずれにせよ、私たちは、自分が生まれ育ち、置かれている地域的・文化的、そして時代的背景の中で聖書を読み、聖書を理解するのです。そうです。確かに私たちは、限られた時代や地域文化的背景を背負い聖書を読み語ります。だからこそ、より客観的な理解であると思われている神学の言葉であっても、時代によって移り変わりっていくのです。そのような現実は、どんなに人間の叡智を働かせ理性を用いても、神の全体像、聖書の言葉にある真理の全体像、そして神のご計画のすべてを知り尽くすことはできないということを私たちに教えてくれているといえるのではないでしょうか。

それは、まさに私たちは、神というお方を未だおぼろげに鏡を通してみるようにしてしか知ることができ無い存在であるということを意味しているのです。神について、聖書について、またイエス・キリスト様というお方についても、今というときに知りうる範囲内でしか知ることができないのです。その全体を完全に知ることができるのは、この歴史が終わる終末の時でしかありません。私たちは三位一体なる神をおぼろげにしか知りません。しかし神は、私たちのことをはっきりと、しかも完全に知っておられます。そして、私たちを救いに導き、神の愛で包んでくださっているのです。この神の愛は、完全で絶えることはありません。私たちは、いつでも、どんな時でも神の愛に包まれているのです。そしてそのことこそが、私たちが神について完全に知ることのできる唯一のことなのです。

ですから、この神の愛を知って、互いに愛し合うことで、教会に愛を絶やさないようにしなければなりません。そして、その愛を教会の内側だけでなく、教会の外側にも向けていかなければならないのです。具体的には伝道するということでしょうし、社会に仕え、奉仕するということでもあるでしょう。それは17世紀の敬虔主義の教会が実際に行なっていることなのです。ですから、私たちにできない事はありません。なぜならば、それは賜物よってなされるものではなく、愛によってなされるものだからです。その愛は、教会に、また教会に集う私たち一人一人に、主イエス・キリスト様によって与えられています。その神の愛を動力として、私たちはキリストの体なる教会として、歩んでいきたいと思います。

お祈りしましょう。