三鷹教会のロゴ

メッセージ

羊飼い 『本質を見極める目』
コリント人への第一の手紙 15章29−49節
2009/4/26 説教者 濱和弘

皆さんもご存知だろうとおもうのですが、数日前、非常に著名なタレントが、公然わいせつ罪で逮捕されたというニュースがテレビで流れました。ともかく、私もそのニュースの第一報に触れたとき「へー、あの人が」と驚き、いったい何をしたのだろうかと思いニュースを見ていました。そうすると、どうやら酔っぱらって裸になり、一人で夜中に公園で騒いでいたというのです。酔っぱらって公園で裸になるというのは、確かに感心できない行為ではありますが、普通だったら逮捕し送検までするような事案だろうかと考えさせられました。そういった意味では、普通の人よりも厳しい対処のように思われたのです。もちろん、法に触れることは法に触れることとして対処されなければなりませんから、逮捕されても文句は言えません。しかし、それにしても、確かに厳しい感じがする。もっとも非常に有名な方ですので、それなりに影響があるということもあったのだろうと思います。それはそれで理解できないわけではありません。置かれている立場や負っている社会的責任によっては、普通の人より厳しい目にさらされなければならないことも確かにあるのです。

しかし、もっと驚いたことは、そのニュースに対して、某大臣が、その人に対してテレビの前で「最低の人間だ」と言い放ったことです。さすがに、その発言には反響があったようで、翌日には発言を撤回し「最低・最悪の行為だ」と言い直していましたが、しかし、根底的には発言の趣旨は何も変ってはいませんでした。そのような一連の流れを見ながら、私は何となく、寛容性が欠けた社会になっているのではないかと感じさせられました。確かに誰でも知っている著名な人です。ですから社会的影響力も大きいといえます。だから普通の人ならば、警察でお灸を据えて終わりのようなことでも、逮捕、送検にまで至るということもあるでしょう。ですから、そこまでは、「そういうこともあるのだろう」と受け止められます。しかしたとえそうであったとしても、それに乗じて、一国の大臣という社会的立場のある人が、テレビの前で怒りにまかせて「最低の人間だ」と人格否定までするのは、あまりにも不寛容な社会に見えたのです。

寛容ということは、キリスト教にとって大切な徳のひとつです。新約聖書ガラテヤ人5章22節には、「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない」と述べられています。そういった意味では、神を信じる者は寛容でなければならないのです。ところが、信仰の世界では以外とこの寛容さが損われ、不寛容になってしまうことがあります。一昨日も、本を読んでいましたが、その本にウイクリフやフスといった人についての記述がありました。このウィクリフやフスは、宗教改革以前の14世紀から15世紀に中世のカトリック教会のあり方に異議を唱え、教会の改革を求めた人たちでした。そのために、教会会議にかけられ、処罰されたのです。同じようなことは、宗教改革の時代にもありました。アナパプテスト派といった人々は、嬰児洗礼の問題や国家権力と教会の関係についてカトリック教会やプロテスタント教会のあり方とは違った立場を取り、そのためカトリック教会やプロテスタント教会から迫害を受けました。また、セルベストゥスという人は、三身一体の教理を否定したために、カルヴァンを含むジュネーブの教会の人たちによって処刑されるといういわゆるセルベストゥス事件というようなものもありました。

そのような不寛容な過ちを繰返しながら、教会は寛容ということの大切さを学んできたのです。聖書の教える当然のところを、何世紀もかけて過ちをくり返して学んできたのです。それほど、寛容であるということは難しいことなのだろうと思うのです。それは、他者に向けての寛容であるということだけではありません。自分が自分に対して寛容であるということも以外と難しいことなのです。先日、先輩の牧師から、私は人の気持ちを十分に汲み取れていない、人の気持ちを考えていないという指摘を受けました。それは、配慮のある柔らかな言葉での指摘でした。けれどもそのことを私はじっと考えています。牧師という仕事にとって、人の心を汲み取るということは最も大切なことのひとつです。人の気持ちを考えられないということは、牧師としての大事な資質のひとつを欠いていると言っても良いのかもしれません。ですから、人の気持ちが汲み取れていない、人の気持ちを考えていないという自分を考えざるを得ないのです。私は、牧師として、教職者としてイエス・キリスト様がもっとも弱い者、貧しい者とともに歩まれたように、弱い立場にある人、困っている人の目線にたって生きたいと思っていました。しかし、そのように思っていた者が、人の気持ちを十分に汲み取れていない、人の気持ちを考えていないとすれば、それはゆゆしきことです。だからこそ、自分が教区の責任を負って良いのだろうか、教会の牧師をやっていて良いのだろうかと考えずにはいられないのです。そして、そのような自分に決して寛容になることができないのです。けれども、聖書はキリスト者にとって寛容であることの大切さをのべるのです。

今日の聖書の箇所には、そのような寛容さ、パウロの寛容さが見られるところです。実は今日の聖書の箇所は非常に難しい問題を含んでいます。と申しますのも、29節の死者のためのパプテスマ(すなわち洗礼)ということが記されているからです。死者のための洗礼というものがいったい何であったかよくわかりません。いろいろな解釈があります。しかし、パウロはここで死者の復活があるということを述べるために、この死者のために洗礼を受けるという習慣を引き合いに出しているのですから、この死者とは明らかに死んでしまった人たちであることは間違いありません。そしてそのように死んでしまった人たちのために洗礼を受ける人々がコリントの教会にはいたのです。この死者のために洗礼を受けるということは、聖書の他の箇所には出てきません。かろうじて旧約聖書外典と呼ばれる書物に死者のための執り成しというものは見られますし、カトリック教会では、煉獄という罪の赦しは受けているが、その許された罪の償いをなし終えていない人が天国の一歩手前の場所で苦しんでいる人のために、執り成しの祈りをするということはありますが、それでも、死者のための洗礼をするということはありません。そのようなことから考えても、この死者のために洗礼を受けるということは、コリント教会独自のものであっただろうと推測されるのです。

先ほども申しましたが、この死者のための洗礼が何であるかについては、沢山の解釈があります。それこそ、人によっては40以上あると言い、あるいは200以上あるという人もいます。しかし、そのように沢山あるのですが、概ね共通していることは生きているものが死んでいるものの身代わりに洗礼を受けるというものです。そのようなことは、キリスト教の歴史を見ても見られないことです。あるとすれば、初代教会の時代にみられた異端とよばれる誤った教えを伝えたグループの一部と、今日の一部の極端なグループが、このコリント人への第一の手紙の箇所を根拠にして行なっているぐらいです。そのようなことを考えますと、この死者の身代わりとなって洗礼を受けるということはキリスト教の信仰では考えられないことなのです。いえ、今日の私たちから見れば、それは明らかに間違ったことなのです。ですから、本来ならその是非が問われなければなりません。むろん、パウロもそのことは分かっていただろうと思います。しかし、ここでパウロは、そのようなコリントの習慣を、あえて問題として取りあげず、またそれを否定することもなく、むしろ、そのことを土台として、もっと本質的で大切なこと、すなわち復活ということを伝えようとしているのです。

パウロという人は、一面で論争的な人のように思われます。たとえばガラテヤ人への手紙の3章などを見ますと、その一面が垣間見えます。実際、今日の聖書箇所を含んで、15章12節からは、コリントの教会の中で死人の復活はないといっている人たちに対する論争的な内容であるといえます。しかし、そのような論争的な一面を見せつつも同時に、ことの本質が捉えられているならば、違うのではないかと思われることも受容することが出来る寛容さを持っています。たとえば、このコリント人への第一の手紙の12章から14章には霊の賜物について書かれています。その中に異言という言葉の賜物があります。異言と訳されている言葉は、もともとのギリシャ語は、舌をあらわすγλωσσα(グロッサ)という言葉です。このγλωσσαは、死者のための洗礼とは違って、コリント人への第一の手紙以外にも出てきます。たとえば使徒行伝などにも出てくるのですが、その使徒行伝では外国語といった意味合いで使われています。ところが、このコリント人への手紙では、人間では理解できない不思議な言葉といったニュアンスで語られている節があるのです。つまり、コリントの教会では使徒行伝のγλωσσαとは違った形でそれが理解され、用いられていたのですそれは使徒行伝がいうγλωσσαとは全く違ったものです。ですから、本来ならこのγλωσσαの理解について議論されてもおかしくはないのですが、パウロはあえてそのようなことをせず、教会の秩序をきちんと保ち、教会の徳をたてあげ、キリストの教会を建てあげるようにと指導しているのです。そこには、一人一人がキリストの十字架を見上げ、自分の罪を悔い改めて神を信じ、神によりすがって生きているならば、理解の違い、考え方の違いがある人を受け入れていきながら、もっとたいせつなキリストの教会を建てあげていくことのために協力し合っていこうとするパウロの懐の広さ、といいますか寛容さを見ることが出来るのです。

それと同じように、ここでは死者のための洗礼という、今日では考えられないようなコリントの教会にあった独自の習慣であろうもの対して、それを受け入止めていくパウロの寛容さが見られます。先ほど、この死者のために洗礼を受けるということに対する解釈は沢山あるが、概ね死んだ人のために身代わりとなって洗礼を受けることだと申しましたが、その身代わりのための洗礼ということについても、大きくは二つの理解があります。ひとつは、未信者のための身代わりの洗礼であったという理解と、信仰をもちつつも洗礼を受けずに亡くなられた方のための身代わりの洗礼という理解です。さすがに、未信者のための身代わりということになりますと、パウロもそこまでは受け止められたかどうかは疑問ですので、信仰をもちつつも何らかの理由で洗礼が受けられなかった方のための洗礼であったと考える方が妥当だろうと思われます。それは、神を信じキリストを信じる信仰によって人は義とされ救われるのだという信仰の本質、最も大切なことを踏み違えてはいないからです。信仰の本質を踏み違えていたならば、パウロも論争的になったでしょう。しかし、信仰の本質さえ踏み違えていなかったからこそ、そこに違いや問題があったとしても、それを受け止めることが出来たのだろうと思います。

16世紀に、ルター派内部でアデアフォラ論争という論争がメランヒトンという人とフラキウスという人の間でなされました。アデアフォラというのは、「周辺的なことがら」という意味で、信仰には本質的なことがらと周辺的なことがらとがあり、もし考え方の違いがあったとしても、それが周辺的な事柄における違いであるならば、それは受容されるべきであると主張したメランヒトンに対し、フラキウスは、そのような曖昧さを残していたならば、信仰そのものが曖昧になってしまうと反対し論争になりました。この論争の、完全にとは言い難いのですが、ともかくも歴史的には最終的な軍配はフラキウスの方にあがったといえるだろうと思います。しかし、私は、ルターは内部という枠を超えてキリスト教の世界全体を見るときには、メランヒトンの主張の方に歩があるように思えるのです。確かに、キリスト教の信仰が立つか倒れるかといったような信仰の戦いであるような事態、フラキウスはこのような状況を「信仰告白的事態」というのですが、そのような「信仰告白的な事態」においては、曖昧な姿勢であってはならないことは事実です。しかし、キリスト教の世界全体を見るときには、さまざまな教派が互いに排斥し合うのではなく、教派の違いを超えて一致し歩んでいくことが出来るのはアデアフォラというものの見方があるからであり、また、ユダヤの文化の中で受けつがれてきた信仰を土台とするキリスト教が、ローマ・ギリシャの文化に伝えられ、伝えられるだけではなくとけ込み広がり、さらには日本にまで伝えられてきた中には、信仰の営みにはアデアフォラな部分があるからです。

そして、パウロも信仰の本質的なことではない事柄に対しては、それを受け止める寛容さを持っていました。いやそれだけではない、そのような違いの中にも、信仰の本質的なもの、信仰にとって失なってはならない大切なものに繋がるものを見出して、それを伝えて言っているのです。そして、この死者のための洗礼ということにおいても、それが信仰をもちつつも何らかの理由で洗礼が受けられなかった方のための洗礼であったと考えるならば、そのようなパウロの柔軟な姿勢を見ることができるのです。いずれにしましても、死者のための洗礼を受ける人たち、その人たちの行動の背後には、キリストによる救いの希望と亡くなられた方への愛があると言えます。その救いの希望を土台にして、パウロは、死者の復活というキリスト教にとってなくてはならない本質的な希望なのだと伝えているのです。そして、それがキリスト教にとってなくてはならない本質的な希望だからこそ、パウロは命がけでその本質的な希望を伝えるために「日々死んでいる」といわれるような危険を冒してまでも、それを伝え歩いているのですし、実際にエペソで獣と戦うといったことさえあったというのです。

このパウロが獣と戦ったという事件は、使徒行伝にあるパウロの伝道の記録に記されていません。ですからそれがどの様なものであったかは定かではありません。ひょっとしたらそれは、エペソでパウロがデメリオという人の扇動によって起った人々の暴動によって非常に危険な状態に置かれた使徒行伝19章23節以降の出来事を指しているのかもしれません。ともかくも、パウロは繰返し起ってくる死の危険を冒してまでも、イエス・キリスト様による救いを宣べ伝えて歩いているのです。そのようにしてまでパウロが伝えているイエス・キリストの福音、そしてその福音によってもたらされる死からの復活という希望がなければ、それは全く虚しいものです。それこそ、命がけの伝道などしないで、「もし死人がよみがえらないのなら、『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』といったふうに、この世の現世的な楽しみを求めればそれでよいのです。この29節でいう『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』という言葉は、聖書にもカッコ書きでかかれているように引用です。イザヤ書22章からの引用であるといわれています。確かに、イザヤ書22章13節には、次のように記されています。

「見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、『われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』この言葉は預言者イザヤが、イスラエルの民が神から離れてしまい神の裁きとしてエルサレムが滅ぼされるであろうことを告げる預言の言葉の中の一節です。ですから、『われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』といっている人たちは、神をおそれず、神を顧みていない人たち(イザヤ22章11節)なのです。しかし、『われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』という言葉は、何も聖書だけの言葉ではありません。ギリシャにあったエピクロス派という快楽主義の人たちのモットーに似たようなものがあるとも言われますし、実際古代の教父と呼ばれる教会の指導者の一人アレキサンドリアのクレメンスなどは、このコリント人への第一の手紙15章32節の『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』はギリシャの哲学者からの引用であるとしています。ですから、クレメンスもエピクロス派の人たちのことを意識していたのかもしれません。ここで誤解があってはいけないと思いますので述べますが、エピクロス派の人たちは、快楽主義であるといわれますが、彼らが求めたのは肉欲的快楽ではありません。むしろ肉欲的なものを追求する人生は、苦しみしかないのであるから、そのような肉欲的な苦しみから離れて精神的な喜びに基づく幸福を追求しようというのがエピクロス派の人たちの主張です。

しかし、いずれにしても、この生きている人生の中での幸福の追求ですから、極めて現世的なものであったことは違いありません。そのような人たちにとっては、死について考えるということは苦痛でしかありません。死は逃れることの出来ない現実であり、その現実を考えるときそれは恐怖でしかないからです。だからこそ、『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』なのです。それは、死は現実の恐れ、恐怖なのですから、それのようなことなど考えないで、飲み食いしようではないかというのです。しかし、パウロは「間違ってはいけない」といって、『悪い交わりは、良いならわしをそこなう』といって、コリントの教会の中にいった「死人の復活などない」という人々を戒め、教え諭すのです。ここにパウロのもう一つの寛容さが見られます。それは、先に述べました、本質さえ踏み違えていなければ、信仰の周辺的なこと、アディアフォラを小さな違いとして受け止められる寛容さに優る寛容です。「死人の復活はない」という主張は、キリスト教の本質を踏み違えてしまう大きな過ちです。けれども、パウロはそのような大きな違いにある人たちを断罪し、教会から排除するのではなく、なんとか教会の内に留めて正しい方向へ導いていこうとしているのです。

その戒めの教える言葉としてパウロは『悪い交わりは、良いならわしをそこなう』という言葉を選び、引用し、用いているのです。この『悪い交わりは、良いならわしをそこなう』という言葉の引用は、古代からギリシャの喜劇作家メナンドロスという人の引用であるといわれています。そしてこの言葉『悪い交わりは、良いならわしをそこなう』という言葉を用いながら、パウロは信仰の本質に関わるような問題は、この世の物の見方や考え方でとらえるならば、その本質を見誤ってしまい、信仰にとって大切なことを見失ってしまうということを暗に指し示しているのです。

死人の復活ということは、常識的には考えにくいことです。先日も、ルーテル学院大学の公開講座に行ってきましたが、そこで日本の死生観について学んできました。その中で古事記にしるされているイザナギ、イザナミの尊(みこと)の話が話されました。それは、大まかにいって次のようなことです。イザナギとイザナミは夫婦でありましたが、大変仲の良い夫婦であった。その仲の良い夫婦の中のイザナミの尊が死んでしまった。イザナギは大変悲しんで黄泉の国(つまり死者の国)へイザナミに会いに行くのです。そして死者の国から生者の国にいる自分のもとに帰ってきて欲しいというのです。イザナミは決して覗かないで欲しいといって、別の部屋でしょうか岩陰でしょうかとにかく身を隠すのです。しかし、決して覗かないでほしいといわれると覗きたくなるのが人の常です。ですから、イザナギはこっそり隠れてしまったイザナミの姿をのぞき見するのです。イザナギがそこで見たのは、朽ち果て腐敗しウジが湧いているようなイザナミの姿です。その姿の恐ろしさにイザナギは逃げ出してしまいます。一方のぞき見られたイザナミは、それを恥、イザナギを捉えようと追ってくるのです。けれどもイザナギは、追って来るイザナミから何とか逃れて死者の国から戻ってくることが出来ました。そして生者の国と死者の国とを結んでいた黄泉比良坂(よもつひらさか)で道を岩で塞いでしまいました。死者と生者との間の世界を行き来できないようにしたというのです。この話には朽ちた体はもはや、よみがえることが出来ないことが示されており、死者と生者の世界は行き来ができないものであることを示しています。古代の日本においても、死人の復活ということは考えにくいことだったのです。

同じように、古代ギリシャの哲学者エピクロスに習う人たちは、死というものを考えないで、この世界でどの様に生きるか、この世界でどの様に幸福を求めて生きるかということに精神のすべてを集中していました。死という苦痛の中に幸福など考えがたかったからです。ですから、死ということは考えずに現世的な幸福の追求だけを考えたのです。そしてパウロは、そのような現世追求的な考え方をもってキリスト教の信仰を捉えていくならば、キリスト教の本質を見失ってしまうとパウロは、そう危惧するのです。そもそも死という現実の直面している人は、決して『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』などということは言いません。死の恐怖にさらされ、自分の死の意味を考えずにはいられないのです。医療の現場にたつ臨床の立場で見る死という現実に直面した人が抱く最期の境地はあきらめだそうです。あきらめることによって人は穏やかな心で死を受容することができるというのです。ですから、『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』などと言うことにはならないのです。

パウロは、自分自身の伝道者としての歩みは「わたしは日々死んでいる」というような死に直面しているような人生であるといっています。そして、死を考えないのではない、死からに逃げるのでもない、死と向き合うところから信仰を考え捉えているのです。そのとき、パウロにとって死はもはや、くるしみでもなくあきらめでもなく希望なのです。死者のために洗礼を受けていた人たちも、死ということに直面し、それを直視していた人たちです。おそらくは身近な肉親の死を通し、死の意味を考え復活の希望によって死者のために洗礼を受けたものと考えられるからです。そのように、死から逃げず、死と向き合いながらキリスト教の信仰を見つめるならば、罪の裁きである死、神の呪いである死が、イエス・キリスト様の十字架によってもはや裁きでもなく、呪いでもなく恵に変えられ希望に変えられているという、キリスト教信仰の真髄、本質に気が付くのです。だからこそ、死ときちんと向き合おうとしない現世的な考え方が反映されているような『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』ではあってはなりませんし、そのような考え方から信仰を見るとするならば『悪い交わりは、良いならわしをそこなう』ことになってしまうのです。

パウロは、コリントの教会の「死人の復活などない」といっている人たちを決して排斥してはいません。誤った考え方に染まっているかもしれませんが、兄弟姉妹として認め受け入れているのです。そして兄弟姉妹として受け入れているからこそ、彼らにきちんと死という現実から信仰を見つめ、信仰の本質を捉えて欲しいと願っているのです。愛する兄弟姉妹の皆さん。私たちは弱く誤りの多い人間です。私などは人の気持ちを汲み取れない、人の気持ちも察してあげられないような、牧師として失格者のようなものです。けれども、神は、そんな私たちを決して見捨てず離れないで導いて下さるお方です。そして、そのような私たちであっても、私たちの死、あるいは信仰の先輩たちの死という事柄からキリスト教の信仰をしっかりと見つめるならば、決して現世的な幸福の追求としてキリスト教の信仰があるのではなく、死という私たちが逃れることのできない運命までをも打ち負かし勝利に導く神の恵みを見ることが出来ます。そして、死という私たちがもっとも忌みきらい、おそれる運命さえも、神の恵みと希望の出来事が包んでいることを知ることができるのです。そしてそこには、罪人を赦し受け入れようとする神の寛容な愛があるのです。その神の寛容さが、弱さを持ち、限界を持つ私たちをも受け入れ導いて下さるのです。ですから、私たちはそのことを覚えながら、神に感謝を捧げつつ、神の前にしっかりと正しく歩んでいくものでありたいと思います。

お祈りしましょう。