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メッセージ

羊飼い 『キリストによる和解』
コリント人への第二の手紙 1章1−2節
2009/7/18 説教者 濱和弘

さて、今日から私たちはコリント人への第二の手紙から神の言葉に耳を傾けて参ります。コリント人への第二の手紙というのですから、それは第一の手紙に続く内容です。その第二の手紙に先行するコリ第一の手紙は、コリントの教会が分裂・分派を起しかねないような対立や意見や行動の違いがあり混乱している状況を聞いたパウロが、手紙を通してコリントの教会の人々を教え諭し、そしてその混乱を収拾しようとするため書いた手紙です。そして、教会の新しい指導者として若いテモテを選び、テモテを送ってコリントの教会の騒動を治めようとしました。ところが、どうやら、コリントの教会の騒動はそれだけでは収まらなかったようであります。むしろパウロに反対する人々は、激しくパウロを非難し、結局テモテは、失意の中でコリントの教会を去っていたようです。そのようなわけで、第一の手紙の最後の部分に書かれていたように、パウロ自身がコリントの教会を訪問もしたようであります。それで、パウロはこの第一の手紙と第二の手紙の間にかなり厳しい内容の手紙を書き送ったようです。7章8節に「そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない」と書かれている「あなたがたを悲しませた手紙」というのが、その厳しい内容の手紙であったろうと言われます。

このパウロのコリントの教会に書いた厳しい手紙は、通常「涙の手紙」と呼ばれていますが、実は、聖書学者の中には、ピリピ人への手紙3章2節から21節が、その「涙の手紙」の一部ではないかと主張する人がいます。というのも、ピリピ人への手紙の3章2節から21節は、突然その前後の分脈に対して不釣り合いな荒々しい口調で、論敵を非難するような内容になっているからです。その分脈の不調和さのゆえに、ここにパウロのコリントの教会に書いた「涙の手紙」の一部分が誤って、紛れ込んだのではないかというのです。その、ピリピ人への手紙3章2節から21節を読んでみようと思います。口語訳聖書ですと311頁から312頁です。少し長くなりますが、お読みします。

「あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。もとより、肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づく神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。

兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。だから、わたしたちの中で全き人たちは、そのように考えるべきである。しかし、あなたがたが違った考えを持っているなら、神はそのことも示して下さるであろう。ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」

もちろん、わたしたちは、この箇所はもともとピリピ人への手紙として書かれたものであって、パウロの涙の手紙の一部分であるとは考えていません。しかし、聖書学者達の中にはそのように考えてしまうほど、パウロがコリント人への第2の手紙で言っているようなパウロへの個人的中傷に答え、間違った考えをしている人を厳しく叱責する言葉がここに書かれています。パウロは、それほどキリストの十字架の福音をねじ曲げて伝えている人々を激しく非難し、「彼らの最期は滅びである」という厳しい裁きの言葉を宣告するほどに、厳しい言葉を投げかけるのです。ですから、おそらくは、コリントの第一の手紙を読んでも、パウロが推薦するテモテを送っても、あまつさえパウロ自身が訪問しても収拾がつかないコリントの教会の人々に、このピリピ人への手紙3章21節以下にあるのと同じような激しい口調で厳しい内容の手紙を送ったと思われるのです。けれども、パウロがそのような激しい口調で厳しいことを言うのも、それはコリントの教会の人たちが、イエス・キリスト様の十字架を見上げ、福音を正しく受け止め、キリストの恵と平安を得て歩んで欲しいと願うからです。

ここに集っておられるほとんどの方は、私の前任の加藤亨牧師を知っておられる方々です。新しい方は直接知らないかと思いますが、この教会の創立者であり、この教会を50年も導いてこられた方です。そして私も、加藤亨牧師の薫陶を受けたひとりです。加藤亨牧師も、晩年は好々爺と言った感じでしたが、昔は確かに厳しい牧師でした。私もその厳しい指導を受けたひとりでしたが、その厳しさは、私たちがキリストを信じる信仰にしっかりと立ち、神の恵みと平安の中に生きていくことができるようにという愛の思いから成された厳しさであったろうと思います。だからこそ、私も皆さんも加藤亨牧師を信仰の師として仰ぎ、慕っているのだろうと思うのです。そしてパウロも、それと同じように愛の思いの中でコリントの教会に厳しい手紙を書いたのだろうと思います。だからこそ、その手紙の甲斐があってコリントの教会は正しい方向に修正されていったようであります。その報告を聞いて、パウロは感謝な思いで書いたのが、このコリント人への第二の手紙なのです。

その手紙の冒頭で、いつものように挨拶の言葉を述べています。そこには「神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ」とテモテの名前も連名で書かれています。さきにパウロの推薦でコリントの教会に使わされたテモテ。しかし、テモテはその教会で受け入れられなかったのです。パウロから使命を託され教会の指導者として使わされた若いテモテが、その教会から受け入れられず、いえ一部の人からは受け入れられたかもしれませんが、しかしパウロに反対する人たちの圧倒的な力で教会を追い出されたテモテが、そこに共に名前を記しているのです。私は、テモテが教会をコリントの教会を去るとき、いったいどれほどの失意と心の傷を負って教会を去ったのだろうかということを思いますときに、本当に心が痛む思いがします。先日も、ある教会の牧師と話をしておりますと、その牧師が近くにある教会は、牧師が3年と続かないのだと嘆いておられました。若い牧師が意欲を持ってやって来ても、3年も立たないで失意の中で去っていく。去って行くにはそれなりの理由があるでしょう。もちろん牧師の側に問題がある場合だってある。しかし、何人もの牧師が短期間で変わるということは、やはり教会の中にも何かしらの問題があると考えざるをえない。実際、その話を聞かせてくれた牧師に聞くと、やはりそのような事情があるようです。

そのような中で、教会を去ってもまだ牧師が続けられる人にはまだ救いがありますが、牧師を止めてしまう人もいるだろうと思うのです。神の使命にたち、神の召しを信じて教会に使わされていったのに、そこで傷つき、教会を負われるようにして去っていき、使命に立ったはずの牧師の仕事を辞めていく。そのような中で、自分を追い出した教会を恨む人もいるでしょうし、憎む人もいるだろうと思う。良くないイメージを引きずり続けたっておかしくはない。実際、そのような人がいることをわたしも知っています。けれども、誰もそのことを責められないような気がするのです。クリスチャンが教会で受けた傷は、思いのほか深いのです。ところがここでは、そのコリントの教会を去らなければならなかったテモテの名前がそこに連名として書き記されているのです。もちろん、テモテは今日の牧師のように腰を落ち着けて牧会をするということではありませんでした。短い期間のあいだコリントに留まって、コリントの教会の混乱をきちんと収拾してからパウロのところに帰ってくる予定ではあったのでしょう。しかし、たとえそうだとしても、テモテがその使命を果たせずにパウロのところに帰らなければならなかったことには違いがありません。ですから、テモテはテモテなりに心の傷を背負いながら、コリントからパウロのいるエペソへの道を歩いて帰っていったのだろうと思います。そのテモテの名前が、パウロの名前と並んで記されている。

いえ、パウロだって、テモテと同じように傷ついただろうと思うのです。このコリントの第2の手紙10章1節には次のような言葉があります。「『あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる』このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める」この「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」というのは、パウロに対するコリントの教会の人の中でパウロに反対する人たちの中傷の言葉であっただろうと思います。また10章10節には、「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」と言った言葉もあります。これも、パウロに対する中傷でしょう。さらには、11章8節9節で「それとも、あなたがたを高めるために自分を低くして、神の福音を価なしにあなたがたに宣べ伝えたことが、罪になるのだろうか。わたしは他の諸教会をかすめたと言われながら得た金で、あなたがたに奉仕し、あなたがたの所にいて貧乏をした時にも、だれにも負担をかけたことはなかった。わたしの欠乏は、マケドニヤからきた兄弟たちが、補ってくれた。こうして、わたしはすべての事につき、あなたがたに重荷を負わせまいと努めてきたし、今後も努めよう」と言っています。

つまり、コリントの教会は自分のために教会のお金をかすめ取っているという事を言う人さえいたということです。このような中傷をパウロは受けていたのです。そのコリントの教会に対して、パウロは、テモテと連名で「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように」と祝福を祈るのです。もちろん、このような手紙の書き出しはパウロの手紙の常套句です。そういった意味ではいつもと同じような書き出しで手紙を書き始めているのです。しかも、この手紙の宛先は、「コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ」となっています。アカヤというのはギリシャの南半分のアカヤ州のことです。ですから、そのアカヤ州全体の聖徒、すなわちクリスチャンにこの手紙が読まれることを意識してパウロはこの手紙を書いているのです。いったいどうしてなのか、考えられる理由は幾つかあります。

ひとつは、この手紙に書かれている内容でアカヤの全州にあるクリスチャンたちにも関わる内容があったから、コリントの教会への手紙と会わせてアカヤの全州にいるクリスチャン宛として宛名を書いたのではないかという可能性です。たとえば、9章に大きな飢饉のために苦しんでいるクリスチャンたちへの献金を備えておいて欲しいと言う願いが書かれていますが、そこにはこのように書かれています。「聖徒たちに対する援助については、いまさら、あなたがたに書きおくる必要はない。わたしは、あなたがたの好意を知っており、そのために、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年以来、すでに準備をしているのだと言った。そして、あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させたのである。わたしが兄弟たちを送ることにしたのは、あなたがたについてわたしたちの誇ったことが、この場合むなしくならないで、わたしが言ったとおり準備していてもらいたいからである」つまり、パウロはアヤカ全土の聖徒たちに、エルサレムで困窮している仲間を助けるための献金を用意しておいて欲しいということを言おうとしてコリントの教会だけでなくアカヤの全土の聖徒も宛先に加えたのではないかということです。

もう一つは、アカヤ全土のクリスチャンの間にパウロに対する中傷や非難が広がっていて、それが根強くのこっているので、それに対してパウロの反論を合わせて書いたという可能性です。というのも、テモテによってパウロは、コリントの教会の人の大半が、パウロの「涙の手紙」によって、パウロの言葉に耳を傾けて聴くようになっているという報告を受けているからです。なにの、このコリントの第2の手紙には、相変わらすパウロに対する中傷や非難に対する弁明が書かれています。それは、まだコリントの教会に一部残っているパウロに批判的な人たちに対してと共に、アカヤ全土にあってパウロに対する中傷を信じている人に対してもパウロが弁明しようとしたためであるという可能性です。そして、三つ目、わたしは、この三つ目の可能性が一番高いのではないかと思っているのですが、それはコリントの教会の名誉を回復するためであるという可能性です。

アカヤというのは先ほども申しましたようにギリシャの南半分にあるアカヤ州です。コリントの教会はこのアカヤ州にありましたし、アカヤ州には他にもケンクレヤにも教会があったようです。ですから、近隣の教会やクリスチャンたちはコリントの教会のごたごたを知っていた可能性は十分にあります。そうなれば、当然、パウロとコリントの教会の間に問題があることも耳にしていたでしょう。そうすると、パウロに対する中傷以上に、コリントの教会に対する批判があったことも考えられることです。そのような中で、テトスによってコリントの教会が悔い改めパウロの言葉に耳を傾け正しい福音に立ち帰ったコリントの教会の名誉をパウロが回復しようという意図で、アカヤ全州のクリスチャンがこの手紙を回覧し、コリントの教会はちゃんと立ち帰ったのだということを示そうとしたのではないかと考えられるのではないかということです。というのも、特にパウロはこの手紙の宛先としてコリントの教会を挙げるときに「コリントにある神の教会へ」という言い方をしているからです。パウロはコリントの教会を「神の教会」と呼んでいます。このように教会宛の手紙に「神の教会」という言い回しを使っているのは、コリント人への第1の手紙、とこの第2の手紙だけなのです。

本来ならとても教会とは呼べないようなごたごたと問題を抱えたコリントの教会なのですが、しかし、それでもコリントの教会は、神がお立てになり神が所有なさっておられる教会なのだ、そして、その神の教会が悔い改めて私とテモテと和解したのだということ示し、まるで何事もなかったかのようにいつもの通りの手紙の書き出しでパウロとテモテの名前で挨拶の言葉を書き記している。そうやってコリントの教会の名誉を回復し、彼らもまた私たちの兄弟であり仲間なのだということをアカヤ全土のクリスチャンに知らしめようとしたのではないかと考えられるのです。そして私は、その可能性が一番高いように思われるのです。いえその可能性が一番高いと思いたい。なぜならば、それが、和解の福音、十字架の赦し、といったものが一番現れているからです。どんなにもめ事があり、ごたごたがあったとしても、そこに真摯な悔い改めがあるならば、どんなに壊れていた関係も必ず回復する。それが神の教会の在り方だからです。愛し合う者の群れである教会の姿だからです。

何年か前、私が修養生(神学生のこと)だった頃にご奉仕していた教会の方とお会いしました。その方は、女性の方でしたが、「濱さんが結婚してから奥さんと喧嘩をしたことがないと言われているのを聞いてうらやましいなと思ってたんですよ」と言われました。「そんなこと言ったっけ」と思いましたが、確かに結婚して3−4年は喧嘩らしい喧嘩をしたことがありませんでしたから、確かにそのようなことを言ったかもしれませんし、言ったような気がします。さすがに私たち夫婦も結婚23年目に入りましたので「もう喧嘩したことがない」とは言えませんが、しかし、喧嘩してもちゃんと和解して仲良くやっていけています。愛し合うということはそういうことではないかと思うのです。喧嘩することもある。ひょっとしたらののしり合うようなこともあるかもしれないのです。けれども、神の前に目を向け、神に立ち帰るならば、必ず和解して、もう壊れてしまったのではないかと思われるような関係でも必ず回復する事ができる。それが神の家族である教会の姿でありクリスチャンホームの姿である。要は、ひとりひとりが神の前に立ち、神に目を向けて生きていくかどうかにかかっているのです。

パウロは、コリントの教会に対して一貫して示しているのは、イエス・キリスト様の十字架です。このイエス・キリスト様の十字架が私たちの全ての罪を赦し、神と人との間に和解をもたらして下さるものです。だからこそ、私たちクリスチャンがこの十字架を見上げているならば、私たちは互いに赦し合い愛を深めていく者になっていかなければなりませんし、私たちを命を投げ出して救うまでに愛して下さったキリストの愛を心で深く受け止めるならば、赦し合い愛し合う者となれるのです。パウロとテモテは、憤りもあるでしょう、わだかまりもあるでしょう。憤っても、わだかまりを持ち、文句を言っても、だれもが「それはそうだよね」と納得してもらえるであろうと思われるような態度を示したコリントの教会の人たちなのです。けれども。その彼らがふたたび神に目を向けたならば、パウロもテモテもこの十字架の赦しに立つのです。だからこそ、彼らのことを神の教会と呼べるのです。それこそが神に召されて「使徒」となったといえる者の態度であり、その神に召された者から「兄弟」と呼ばれる者の態度なのです。

みなさん。私たちひとりは神に召し出されて教会に集う者になりました、洗礼を受けクリスチャンになりました。そして「兄弟・姉妹」と呼ばれる者になったのです。いつも申し上げていますが、神の招きなしに誰も教会に来ることはできませんしクリスチャンになることなどできないのです。そのように私たちはみんな教会に召し集められているのです。そして教会はそのように神に召し集められた者のあつまりεκλησιαなのです。ですから、私たちひとりひとりが教会です。そのように神の教会とされた私たちは、キリストを見上げながら生きていくならば、必ず赦し合い、愛し合い、和解しながら生きていく者となることができます。神を愛する者の心には神の愛が宿り、養われ、育っていくからです。そのことを信じて、神を見上げながら生きていく者でありたいと思います。

お祈りしましょう。