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メッセージ

羊飼い 『神の誠実』
コリント人への第二の手紙 1章12−24節
2009/8/30 説教者 濱和弘

さて、パウロはこのコリントの手紙の冒頭の部分で、非常に丁寧にそして慎重に、試みを通りかつ痛みを経験したコリントの教会の人々と共に神の慰めがあるということを語り、また、パウロとコリントの教会の人々は共に神の民として一つに結び合わされ、共に苦難を負い、神の慰めを分け合う関係にあるのだということを伝えています。それは1章7節にある「だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである」という言葉や、1章11節の「そして、あなたがたもまた祈りをもって、ともどもに、わたしたちを助けてくれるであろう」という言葉が、そのことをよく示しています。特に「そして、あなたがたもまた祈りをもって、ともどもに、わたしたちを助けてくれるであろう」という言葉は、パウロが困難の中にあるとき、あなたがたコリントの教会の人たちの祈りが必要であるということを言っているものです。そこには、信仰の指導者としてコリントの教会の人たちより上の立場にある者として語るパウロの姿はありません。むしろ、自分も祈りが必要な弱い存在である事を示し、コリントの教会の人々と同じと高さに立ってコリントの教会の人々の祈りを求めています。そうやって、同じ仲間であるということを示しているのです。

パウロが教会の指導者であり教師であったことは確かなことです。しかし、どんなに指導的な立場にあり、教え導く立場にあったとしても、パウロもまたひとりの弱い人間であることには変わりはありません。ですから、神の前にはパウロもコリントの教会の人も同じ神の民なのです。だからこそパウロは、「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない。あなたがたは、信仰に堅く立っているからである」というのだろうと思います。パウロであれ、他の使徒たちであれ、神を信じ、同じ信仰に堅く立って生きる人たちの上に立ってその人の信仰を支配する存在などはいません。ただ、パウロや使徒たちは、神を信じる民が神の前に喜んで生きていけるように信仰が育まれ成長していくために仕え奉仕するために働いているものに過ぎないのです。

私が、この教会の赴任してきたときに、私はみなさんに「できれば先生と呼ばないで欲しい、もし呼ぶなら牧師と呼んでいただきたい」ということをお願いしました。また、いろいろな場面で、牧師というのは、信徒の皆さんより一段高いところにいて、牧師と信徒というのが上下関係にあるのではなく、むしろ、神の前には同じで、ただ教会の中で牧師職という務めと信徒職という務めを負っており職制上の違いがそこにあるだけだとお話ししてきました。それは、牧師もまた神の前には弱さを持ったひとりの人間に過ぎないからです。そして、同じ弱さを持ったひとりの人間として、皆さんと共にキリストの体である教会に召され、教会の頭であるキリストに仕え、皆さんと共に神の前に歩むものだからです。もっとも、皆さんはそのような私を牧師とし、また教会を導くものとして立ててくださり、尊重して下さっています。それはそれで本当に感謝な事です。しかし、本当に私は、信仰も弱く、欠けたところの多い人間です。その弱さや欠け、そして何よりも自分自身の限界を私なりに知っています。そのように私を皆さんが牧師として私を立ててくださり、祈りを持って支えて下さっている。だからこそ、私はより恐れを持って、皆さんの牧師ながら、皆さんと共にこの職務務めさせていただきたいとそう思わされるのです。

そのような思いは、きっとパウロも同じであっただろうと思います。ですから、パウロもまたここにおいてコリントの教会の人々に、自分が弱さの中に置かれたときに皆さんの祈りが必要なのだと願うことによって、そのようにコリントの教会の人々と共に、信仰の道を歩んでいるものなのだということを示しているのだろうと思うのです。そうやって、共に信仰の道を歩む同労者として、コリントの教会の人々に語り、また教え諭しているのです。そのパウロが、このコリント人への第2の手紙1章12節、13節でこのように言うのです。「さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではない。それを完全に理解してくれるように、わたしは希望する」パウロが「ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである」というには、それなりの背景があったようです。

と申しますのも、パウロは15節から18節でパウロのコリントの教会を訪問する計画について述べているからです。この訪問の計画は、これからコリントを訪問するという計画ではなく、過去の計画のことです。パウロはコリント人第一の手紙の16章5節以降で、「わたしは、マケドニヤを通過してから、あなたがたのところに行くことになろう。マケドニヤは通過するだけだが、あなたがたの所では、たぶん滞在するようになり、あるいは冬を過ごすかも知れない。そうなれば、わたしがどこへ行くにしても、あなたがたに送ってもらえるだろう」と言っています。つまり、パウロがコリント人への第一の手紙を書いた頃の当初の計画では、マケドニヤの諸教会にはよらず、まずコリントの教会を訪問する予定だったようです。もっとも、このコリント第一の手紙が書かれた段階で、「まずあなたがた(コリントの教会)の所に行き、 それからそちらを通ってマケドニヤにおもむき、そして再びマケドニヤからあなたがたの所に帰り、あなたがたの見送りを受けてユダヤに行く」という詳細な計画が決まっていたかどうかは定かではありませんが、ともかく、まず最初にコリントの教会を訪問しそこに滞在して、それから次の行動に移る予定だったようです。

ところが実際には、パウロは最初の計画を変更したために、コリントの訪問が遅れてしまっていたようなのです。そしてパウロがコリントに行くかわりにテトスをコリントの教会に送り出したようなのです。そのようなわけで、コリントの教会の中には、パウロの言うことはいい加減であるとか、パウロは不誠実であるというようなことを言う人たちもいくらかはいたようなのです。それで、パウロは、そのようなパウロに対する批判に対して自分は決してコリントの教会の人たちに対する不誠実な者でもなく、コリントの教会の人たちに対していい加減なことを言っているのでもなく、「ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである」はないと弁明しているのです。このパウロの言葉には、パウロの考える誠実さというものが明らかにされています。それは神の神聖と真実によって行動するということです。神の神聖さと真実さに従って行動するとき、人は本当に誠実になれるというのです。

以前にもお話ししたことがあるだろうと思いますが、昔、山折哲夫という宗教学者の方の講演会を聞きに行きました。山折哲夫という人は日本を代表する宗教学者ですが、その時は、たしか梅原猛というこれまた日本を代表する哲学者の方の講演と一緒に行なわれたものでした。その講演会で、山折氏は、あるお坊さんの話をしていました。非常に印象的な話だったので、私はこの話を何度も引用させていただいているのですが、あるお坊さんが、お寺の檀家の方々をつれて海外旅行に行ったそうです。当然、訪問先の国の空港に着くと税関を通り入国審査を受けて入国します。そのとき、一人の檀家の方が入国審査でもめておりなかなか出てこない。そこでそのお坊さんが様子を見に行き、何をもめているのか訪ねたところ、入国審査の際に、「無宗教だ」と答えたところ、宗教を持たないと言うことは、自分以外に畏れる敬うものを持たないということだから、そのような畏れ敬うものを持たない人は何をしでかすか分からないので、そのような人を入国させられないという事らしいのです。そこで、おのお坊さんは、「いやいや、日本には『無宗教』という宗教があるのだ」と言って、その場をしのいだというのです。

自分のお寺の檀家さんに「自分の無宗教だ」といわれたお坊さんの胸中も察してあまりありますし、その場を「日本には『無宗教』という宗教があるのだ」と言って切り抜けたお坊さんの機知にも感心しますが、それ以上に、「無宗教ということは、畏れ敬う存在をもっていない」というその入国審査官の言葉も心に残ります。もっとも、私たち日本人には、「恥」と呼ばれる概念があり、社会通念や、社会の慣習・道徳に反するとき、それは「恥」となり、個人や「いえ」といったものを著しく傷つける事になります。ですから、その「恥」の概念が、強い道徳心を日本人に植え付けてきました。新渡戸稲造という人は、「武士道」という本を書き、明治の初期、ようやく開国し海外と交流するようになった日本において、その日本文化を海外に知らしめた人です。この「武士道」という本は、日本文化を海外に知らせるために書かれた本です。もともと英語で書かれました。もちろん、今日ではそれが日本語に訳され私たちにも読めるのですが、その中で新渡戸は、西洋の「神」というような絶対的存在が無くても、海外の人が驚くような非常に高い道徳性が存在するのは「武士道」があるからだと言っています。

私は、この新渡戸稲造の言葉に、ある面では共感しますが、しかし、それ以上に、日本にある「恥」の概念が大きいように思います。つまり、その共同体の中の慣習や、習慣、そしてその共同体を支配する道徳といったものがあり、それに反すると「恥」となり、場合によってはたとえば村八分といった非常に強い制裁を受ける事があり、それが倫理道徳の基盤になっているように思うのです。ですから、私たち日本人にとっては、「無宗教」ということと、無宗教だから何をしでかすか分からないということは直結しません。だから「私は無宗教です」と言われても、「この人は何をしでかすか分からない」といった恐れを感じることもありませんし、「無宗教です」ということに何の躊躇も感じないのだろうと思います。けれども、そのような「恥」に支えられた倫理道徳は、結局のところ社会という共同体を恐れることによって支えられています。だからこそ、その共同体の外の世界に出たとき、たとえば「旅の恥はかきすて」といったことが言われるだろうと思うのです。

とどのつまり、社会という共同体を恐れるということは、人を恐れるということであり、絶対的な者を恐れるということではないのです。だからこそ、現代の日本社会の道徳心や倫理観というものがかつてのようなものではなくなってきているのだろうと思います。つまり、社会が変われば道徳心や倫理観も変わってしまうというわけです。ですから、私たちが信頼に足るものとして誠実に生きていくためには、絶対に変わらないものを恐れ敬うことが大切なのです。絶対に変わらぬお方を恐れ敬う心が、人をその絶対者の前で誠実な者となさしめるのです。そういった意味では、先ほどの入国審査官もあながち間違ってはいないといえます。もちろん、絶対的存在を恐れ敬うといっても、その絶対的な存在が誰であるかということは重要な問題です。それは、かつてのオウム真理教事件が私たちに明らかにしています。自分たちが絶対的であると信じていても、その存在が正しい存在でなければ、それはかえって恐ろしい事態を引き起こしてしまうことさえあるのです。

パウロが、オウム真理教事件のようなことを意識していたかどうかは定かではありませんが、ここにおいてパウロは、パウロの行動が誠実さに基づく行動であるというその信頼の根拠を「神の神聖と真実」においています。つまり、パウロが自分は不誠実な行動やいい加減な態度ではなく、誠実な思いでコリントの教会の人に接しているその誠実さは、人間的な思いによる誠実さではなく、神を信じる者としてその信じる神の「神聖と真実」による誠実さだというのです。この神の神聖(αγιοτητι του θεου)という言葉は、その語源から考えても、まさに神の聖(αγιο?)ということだと考えて良いものです。聖(αγιο?)という言葉は、一つは神のものという意味があります。私たちが「聖なる民」と言うとき、それは神を信じるものの行ないが清く正しいということ以上に、たとえ、その行ないが完全なものでなかったとしても、私たちが神を信じ神のものとされたから「聖なる民」というのです。ですから、私たちが「私たちの聖」、きよさということを語るとき、それは私たちが神のものであるという私たちの存在そのものの在り方について語っているのです。つまり、神のものであるか否かが問われているのです。

しかし、「神の聖」という神のきよさについて語るときは、少し意味合いが違ってきます。というのも、神の聖と言うとき、それは神の御性質について語るものだからです。この「聖」きよいという神の性質について山崎亭治牧師は、神の聖とは、神の義と神の愛、あるいは神の憐れみとか慈しみといった神の御性質一つに解け合った神の性質の総和だと言っておられたと聞きます。つまり、私たちが「神は聖である」というとき、神は曲がったことをせず、罪から離れ、愛と慈しみに満たされているお方であるというのです。その罪から離れ、愛と憐れみに満ちた神を信じ、神に従うときに、私たちもまた聖なるものとなるのです。もちろん、私たちは過ちもあり弱さもある存在です。ですから、判断や行動に置いて間違うこともあります。しかし、その行動の動機において、愛と慈しみが働いているならば、その過ちや失敗という表面に出てきた行動によってではなく、その愛と慈しみの思いゆえに神に従っているのです。

このような神の聖なる性質である「神の神聖」に基づいてパウロは、コリントの人たちの所に行く計画を立てたというのです。もし、パウロが、何か自分自身の利益のためにコリントの教会に行こうとしたのであれば、それは、パウロの肉から出た思いだと言えるでしょう。けれども、パウロは自分自身のためにコリントに行こうとしているわけではありません。そこには、コリントの教会の人たちに対する嘘偽りのないパウロの愛と慈しみがあったのです。だからこそ、パウロは1章17節で「この計画を立てたのは、軽率なことであったであろうか。それとも、自分の計画を肉の思いによって計画したため、わたしの『しかり、しかり』が同時に『否、否』であったのだろうか」というのです。この箇所は新改訳聖書では「この計画を立てた私が、どうして軽率でありえたでしょう。それとも、私の計画は人間的な計画であって、私にとっては、『しかり、しかり。』は同時に、『否、否。』なのでしょうか」となっています。決して人間的な思い、動機からこの「まずあなたがたの所(コリントの教会)に行き、 それからそちらを通ってマケドニヤにおもむき、そして再びマケドニヤからあなたがたの所に帰り、あなたがたの見送りを受けてユダヤに行く」という計画を立てたのではありません。それは、コリントの教会の人々に対する溢れる愛から湧き出た計画なのです。

ですから、たとえその計画に変更があったとしても、その根底にあるパウロのコリントの教会の人たちへの愛は、一貫して変わらないのです。ですから「しかり」が同時に「否」となるような矛盾し食い違ったことをしているのではなく、彼等を思う心が計画を変更させたのです。そして「この一貫して変わらない愛」というものが、神の真実ということなのです。神の真実という言葉、それは「神の誠実」とも訳せる言葉です。ですから、新改訳聖書も新共同訳聖書も「誠実」と約しています。けれども、それは神の誠実ですから人間の誠実さとは違うものです。というのも、人間の誠実さは相手の態度によって変わることがありますが、神の誠実さは、相手の態度の如何に関わらず一貫しているからです。そのように一貫して態度を変えない姿勢は真実な態度です。ですから口語訳聖書の「神の真実」という訳は決して間違っていない、むしろ良い訳だと思います。その神の私たちに対する一貫して変わらない愛は、私たちを救う救いの約束となり、それがイエス・キリスト様の十字架の死と復活という出来事として実現したのです。

パウロはこの首尾一貫して変わらない神の愛に従い、コリントの教会の人々を愛する思いで行動をしてきたのです。それは、コリントの人々の信仰と喜びのために最も良い事は何かを考えて行動するということなのです。先にコリント人への第一の手紙をかいて、コリントの教会の混乱を収拾させようとしたパウロにとって、依然として混乱しているコリントの教会の状況はパウロを悲しませるものです。そしてそのような状況にあるコリントの教会に、パウロが直接コリントの教会に出向いていったならば、その混乱ぶりにひょっとしたら怒りを爆発させるかもしれません。もし、パウロが怒りの感情を爆発させるならば、それはパウロが神の一貫して変わらない真実な愛に従ってコリントの人たちに接していこうという思いに反するものです。ですから、自分の感情を抑え、静かな心を持ってコリントの人たちに寛大でいられるために、あえてまず最初にコリントに行く計画を思いとどまらせ、コリントの教会を訪問する時期を遅らせたのだろうと思われます。

23節の「わたしは自分の魂をかけ、神を証人に呼び求めて言うが、わたしがコリントに行かないでいるのは、あなたがたに対して寛大でありたいためである」という言葉、あるいは2章1節の「そこでわたしは、あなたがたの所に再び悲しみをもって行くことはすまいと、決心したのである。」という言葉は、そのパウロの心情を言い表していると言っても良いでしょう。そのようなパウロの心遣いも、ひとえにそれは、神の神聖さと真実さに従って生きる生き方の中から産まれてきたのです。それは、パウロ自身が神からそのような真実な愛で愛されたという経験からきたものです。かつてはキリストに反発し、キリストを信じる者を捕え迫害していたパウロさえも、神は決して見捨てることなくして救ってくださったということを痛いほど感じていたのは、まごうことなくパウロ自身なのです。自分がかつては否定し神の呪いの結果であると信じて疑わなかったキリストの十字架の死が、実は自分を救うためになされた神の愛の業であるということを知った時、同じようにその神の愛が注がれている人々に対して、神の神聖と真実とによって誠実な態度で臨んでいると胸を張って言えるのです。

そのようなパウロの思いが、22節の「神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わった」という言葉や、23節の「わたしは自分の魂をかけ、神を証人に呼び求めて言う」言葉の背後に読みとれます。そこには、神の一貫して変わらぬ愛と慈しみに触れたがゆえに、その神の愛と慈しみの前に、同じ真実さを持って誠実に人を愛そうとするパウロの姿があるのです。みなさん、このパウロが感じ取った一貫して変わらない神の真実の愛と慈しみは、私たちにも向けられているものです。私たちはこの神の神聖と真実のもとで神に愛されているのです。それは、2000年の教会の歴史の中で、教会が神の前に神を畏れ敬い神に従って生きていこうとする思いの中で、守られ私たちに伝えられてきた神からの私たちへのメッセージです。

そして、そのような愛と慈しみを注いでくださる神の前で私たちは生きているのです。だからこそ、私たちはこの神を畏れ敬い神に喜ばれるものとして生きていきたいと思います。それは、互いに愛し合い、互いに相手にとって何が最も良いことかを考え、互いの喜びのために共に働く生き方なのです。そして、教会が、またクリスチャンホームがそのような生き方をしていくならば、そこに神の栄光が現され、教会を通し、また家庭を通して神に栄光が帰されて行くのです。ですからみなさん、わたしたちはそのような神の民となるように務め、生きていこうではありませんか。

お祈りしましょう。