「お言葉どおり」

及川 信

       ルカによる福音書  2章22節〜40節
2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 2:27 シメオンが"霊"に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
2:36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、 2:37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、 2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
◆ナザレに帰る
2:39 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
2:40 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。


 お言葉どおり

 新共同訳聖書の区切りで言うと、神殿を舞台とする二二節からが新しい段落となります。それも一つの理解です。でも、律法の言葉であれ、天使の言葉であれ、聖霊が告げる言葉であれ、すべてが神の言葉です。その言葉どおりに事が進んでいるという視点から言うと、二一節のイエス様の割礼や命名から、新しい段落が始まっていると言ってもよいだろうと思います。
 ルカは、「わたしたちの間で実現した事柄について、順序正しく書く」と言って、この福音書を書き始めました。そのルカが言いたい一つのこと、それはシメオンの言葉を借りるなら、すべてが「お言葉どおり」に進んでいるということです。つまり、この世の支配者が歴史を動かしているように見えつつ、実際には、主がお語りになった通りに進んでいる。その事実を見ることが出来る者は幸いだ。その人たちは、「見聞きしたことがすべて天使の話した通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」羊飼い同様に、神様をあがめ、賛美することが出来る。ルカ福音書は、その幸いを告げていると思います。

 真の人 真の神

 生後八日目の男子に割礼を施すことは、旧約聖書の律法に記されている通りのことです。そして、イエスと命名することは天使がマリアに語った通りなのです。両方とも神様の言葉が実現している様が描かれています。
 しかし、それだけではありません。イエスとは「主は救い」を意味する名前です。当時のユダヤ人の中ではよくある名前だそうです。珍しくもなんともない。しかし、この方は、天使がマリアに告げた言葉によれば、「偉大な人」となり、「いと高き方の子」となり、「神である主」によって「ダビデの王座」が与えられ、「永遠にヤコブの家を治め」「神の子と呼ばれる」ことになります。また、羊飼いに現れた天使によれば、「救い主」であり、「主」「メシア」なのです。つまり、人間なのだか神なのだかが、よく分からない。後に形成されていく神学の言葉で言えば「真に神、真の人」です。しかし、聖書の時代は、そういう洗練された言葉はありません。神のようで人のようで、人のようで神のようなのです。
 しかし、神の子、救い主、主、メシアと呼ばれる方が、ここでは敬虔なユダヤ人の誰もが守っている律法の規定に従って割礼を受け、人間が持つ固有名詞を与えられているのです。そして、イエス様の両親は律法の定めに忠実な人々であり、すべて律法の定めに従っているのです。二二節から四〇節までの間に、「律法」という言葉が五回も出てきます。三九節がその締めくくりで、「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」とあります。つまり、この段落は律法の定めにイエス様の両親が従ったことが枠になっています。
 その後に、「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」と続いています。こうなりますと、イエス様は完全に人間です。神様の語った言葉どおりに事が進むとは、一面では、人間をはるかに超越している神の子であり救い主であるお方が、真の人間として肉をとり、律法に定められたしきたりの中に生きることなのです。

 律法の定め

 律法の内容について、少しだけ触れます。「彼らの清めの期間が過ぎた時」とは、主に母親の清めのことです。男児を出産した女性は、四十日間は汚れたものとされて、神殿の出入りが禁じられたり、聖なる物に触れたりすることが禁じられています。しかし、それは産後の女性が「家にとどまる」ことも意味します。言ってみれば、産休の制度なのです。レビ記に記されています。
 そして、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」とは、出エジプト記や民数記に記されていることですが、最初の子を主に捧げることを通して、子とその命は主のものであることを認めるためです。そのことを表すために小羊一頭、貧しければ鳩一つがいを生贄として捧げる。その上で、自分の子として育ててよいことになる。律法の精神は、イスラエルに与えられる子はすべて主のものだということです。それだけ尊い存在なのです。親が自分勝手に育てたり、売り払ったりしてはならない。子を、主のものとして大切に受け取り、主の教えを教えつつ育てる。それ故に、父母は敬われなければならないのでもあります。
 「山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとしてささげるため」に、エルサレム神殿にやって来るイエス様の両親は貧しかったことが、この記述から分かります。貧しいけれど、律法の定めには忠実に従った。そういう人々です。そういう人々の長男として、イエス様はこの世に生を受けたのです。それが、今日の個所で言われているもう一つのことです。

 慰めを待つシメオン

 しかし、それだけではない。
 「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた」とあります。彼は「正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。」
 「慰められる」とは、「救われる」の意味と言ってよいと思います。特に、この言葉との関連で思い起こすのは、イザヤ書四〇章の言葉です。そこは、罪に対する罰として、長くバビロンに捕囚されていたイスラエルの民に、神様が預言者を送り、その預言者を通して民に語りかけた言葉が記されています。

「慰めよ、わたしの民を慰めよと
 あなたたちの神は言われる。
 エルサレムの心に語りかけ
 彼女に呼びかけよ
 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
 罪のすべてに倍する報いを
 主の御手から受けた、と。
 呼びかける声がある。
 主のために、荒れ野に道を備え
 わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」


 後半の言葉は、イエス様の先駆者である洗礼者ヨハネの登場の際に引用される言葉です。罪に対する裁きを超えて与えられる救いが「慰め」という言葉で表現されています。信仰深いシメオンは、そういう「慰め」を待ち望む人でした。

 見る

 その彼には聖霊がとどまり、「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」のです。「会う」は「見る」という言葉です。この文書を直訳すると、「主からのキリストを見る前には死を見ることはないと、聖霊から示されていた」です。主のキリストを「見る」ことと死を「見る」ことが並行して書かれている。その意味は深い、あるいはそこにある慰めは深い。そう思います。
 その点は最後にまた帰ることにして、今は先に進みます。そのシメオンが、聖霊の導きによって、神殿の境内に入って行く。その時、「両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た」のです。シメオンは聖霊の導きによって、両親は律法に従って、それぞれ神殿の境内に入って来た。そこには、大勢の人がごった返していたでしょう。
 毎週百人ほどの人が集まる中渋谷教会でも、礼拝に来たすべての人の顔を見る訳ではありません。私は見るという意味では、講壇の上からお顔を見てはいますが、すべての人と目と目を合わせてご挨拶が出来る訳ではありません。皆さんは、さらにそうでしょう。知った者同士だってそうです。まして、エルサレム神殿に来る人は、たとえば明治神宮などに多くの人が集まるように来る訳ですから、互いに名も知らぬし、顔も知らない。ヨセフとマリアのように子どものための「宮参り」に来る人も大勢います。しかし、聖霊に導かれて神殿に来たシメオンは、そういう人混みの中で、イエス様の両親の姿を見たのです。そして、まっすぐに近寄って行き、多分マリアの腕に抱かれていたイエス様に手を差し出した。マリアは、初対面の人、恐らく老人であったシメオンのその異常とも言える行動に対して、多少の困惑を覚えつつも、大切な自分の子を差し出した。
 マリアの行為は、本来なら、神殿に仕えている祭司に対してすることでしょうが、祭司はここには一切登場しません。彼らが登場するのはずっと後、イエス様を殺す場面です。真っ先にイエス様を神の子、救い主として受け止め、神を賛美しなければならないはずの神の民イスラエルの祭司は、ここには登場しない。聖霊が留まっていないから、彼らには何も見えないのです。そして、聖霊の導きに従って生きている一介の信徒であるシメオンがまっすぐに両親の許に行き、その腕に抱かれている幼児を見て、手を差し出したのです。そして、母マリアもまた、その動作に応えて幼児を差し出した。これは単なる偶然のなせる業ではありません。

 シメオンの賛美

 シメオンは、幼子をその腕に抱いた時に、神をたたえて、こう言いました。

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
 この僕を安らかに去らせてくださいます。
 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」


 「安らかに去らせてくださいます」という言葉が、死をも意味すると考えられるので、シメオンは老人であったとされています。その想像は、多分当たっているでしょう。この後に登場するアンナという女預言者は八十四歳であったと明記されていますから、そのアンナとシメオンはセットのように登場しているのかもしれません。
 しかし、ここで「主よ」と訳されている言葉は、「主イエス」とか、「主なる神」の「主」とは違って、ご主人様、君主を意味する言葉であり、「安らかに去らせてくださる」とは、ご主人様の命令通り、そのお言葉通りに使命を果たした今、その職務から解かれることを意味します。シメオンに与えられた職務とは、「主が遣わすメシアを見る」ことだし、そのメシアに現れている救いを見て、賛美することです。その職務を果たせた今、心安らかに去ることができる。そう言っているのです。それは職務からの解放を意味すると同時に、この世の生からの解放をも含蓄として含むだろうと思います。
 彼は、幼子を見ました。そして、そのことを彼は「わたしはこの目であなたの救いを見た」と言って賛美しているのです。まだイエス様は何もしていません。ただ寝ているだけ。起きていたとしても、何かを喋るわけでもないし、するわけでもない。まして、十字架に掛かっているわけでも復活しているわけでもない。しかし、聖霊が留まり、メシアを見るまでは死を見ることはないと言われていたシメオンの目には、すべてが見えたのです。その時、彼は、もう死んでもよいと思った。自分の使命を果たすことが出来たから。このことは、私なりによく分かることです。

 死への備え

 私は、年末から年始にかけて、尊敬する旧約聖書の学者とメールのやり取りをして、聖書解釈について深く教えて頂くことが出来ました。その先生が、新年を迎えた最初のメールの冒頭に、「新しい年を迎えました。あと一年大丈夫だろうか、来年は私にあるのか、ということを脳裏に浮かべる私は、新しい年を迎えられる感謝は年々深まります」と書いて下さいました。七十歳を越えていらっしゃいますし、少し病も養っておられるのです。自分は新しい年を迎えることが出来ないかもしれない。その前に死ぬことになるかもしれない。しかし、今年も新しい年を迎えることができ、感謝だ。こういう感慨は、齢を重ねれば重ねるほど深くなるものだと思います。
 しかし、その一方で、死を覚えるというか、自分がいつの日か迎える死を考え、一種の恐れを抱くことは、幼い時に既にあると思うのです。新年礼拝の説教でも、「人は死を考えるが故に人なのだと思う」と言いました。
 私が尊敬する哲学の先生が、まだ学生だった私にこう言われました。「僕が哲学なんぞに興味を持ったのは、安らかに死にたいと思ったからだ。」安らかに死にたいと思われたのは、先生の少年時代、戦時中のことです。その後、その先生は、哲学を学び、学生時代にキリストと出会い、今も哲学と信仰を深めつつ多くの人々に感化を与え続けておられます。
 私は学問とは縁遠い歩みをしていますが、そんな私でも、子どもの頃に死を考え、とにかくこのままでは死ねないと強く思ったことは事実です。それは、生きている実感も持てなかったからです。自分の命が何処から来て何処へ行くのかも分からないまま生きているのは、まさに浮世を漂っているだけのことです。生きることも死ぬことも何も分からぬまま、肉体の死に向っているだけ。その空しさを、自分ではどうすることも出来ない。でも、この世の大人たちは、その空しさから目を逸らすことばかりやっているし、子どもにもやらせるのです。死の問題など、学校の先生に話しても、ちょっと話せそうな大人に話しても、そういう問題は大人になってからじっくり考えても遅くない、今は勉強しろとか、そんなこと考えるよりもっと楽しいことを考えろ、世のためになる人間になれるように努力しろとか言われるだけです。子どもなりに、「ああ、この人たちも実際何も分かっていないし、真剣に考えていないんだ」と失望したことが何度かあります。実際にどうであったかは分かりませんが、その時の私にはそう思えたのです。そして、再び悶々とする。
 これをやることさえ出来れば、いつ死んでもよいと思えるものと出会わなければ、死ぬに死ねない。つまり、生きている実感を持てない。それは、実は多くの人が持つ思いではないでしょうか。

 高齢化

 週報にも掲載してありますが、来週は桜会の集会があります。今回は、今後の桜会に関して話し合いたいと願っています。桜会が、年齢が七十歳以上の男女の会として誕生した頃は、「七十歳」というとそれなりに高齢であり、世間的には引退しており、そろそろ死に備えるという感覚があったと思います。そういう者同士が信仰的な交わりを深めるために桜会は誕生したように聞いています。しかし、日本の平均寿命はどんどん伸びて、現在の中渋谷教会で七十歳以上の方は九十名に近く、会員のほぼ半数になるのです。そして、皆さん非常にお元気。バリバリ奉仕をして下さっている。だから、誰も桜会に入りたがらない。そして、かつては七十歳以上の方に敬老のお祝いを差し上げていたのですが、九年前から対象年齢を毎年一歳ずつ上げて七十五歳以上にしました。それでも、現在は六十名くらいになります。そこで、今年からまた一歳ずつ上げて、五年後には八十歳以上の方のお祝いをさせていただくことになりました。去年七十五歳になられている方は、ずっとお祝いがありますから安心してください。七十四歳の方には、大変申し訳ないのですが、五年間頑張って長生きして頂くしかありません。

 キリスト者として生き、死ぬ

 しかし私は、平均寿命が延びたからと言って、私たちが自分の死を考えず、死への備えをしなくてもよいとは少しも思いません。死への備えをするとは、今をどう生きるかということだからです。それは、むしろ若い時の課題だとも思います。
 クリスマスに信仰告白や洗礼を通して二人の方を教会員にお迎えし、今日も新たに入会者をお迎えしました。お二人は私よりもはるかにお若いし、お一人は少し上の方です。一般的に言って、まだまだ死に備える年齢ではない。私はその三人の方たちそれぞれに、いくつもの書類を渡しつつ説明をしました。教会規則の内容、献金とは何か、礼拝の守り方などの書類をお見せしながら説明をするのです。
 その中に「わたしの信仰と生活」という書類があります。それには、自分の葬儀に備えた愛唱聖句や愛唱讃美歌を書く欄があり、これまでの信仰の歩みや葬儀に関する希望を書いて頂くことになっています。書くも書かないも自由です。昔からの会員の中にも提出しておられない方が大勢おられます。それぞれの理由がおありでしょう。誰も、明日自分が死ぬとは思っていないからかもしれません。しかし、明日生きている保証は、私を含めて誰にもありません。
 私は、その「わたしの信仰と生活」を渡しつつ、一応、この世の礼儀に従って、「あなたにはまだ早いのは分かっていますが」とも言います。洗礼を受ける決意や、会員になる決意をしたばかりの方に、そして、まだ四〇歳代とか六十歳代の方に、「自分の葬儀の備えをしろ」と言うことには些かの遠慮もありますし、多少勇気もいることです。でも、私は大事なことだと思っています。
 洗礼を受ける、それはキリスト者になることです。入会をする、それはキリスト者としての命をこの教会で生き、そして、この教会で死ぬことです。事情が許せば、この教会の礼拝堂で葬儀をするのです。そして、通常であれば、この教会の牧師が葬儀をすることになります。「キリスト者」とはキリストの者であり、それはキリストを主とあがめ、また御主人様として従う人間です。自分が、どういう経路を経てそのキリスト者になったのか、そして今、どのようにキリストを信じ、従っているのか。キリストはどのように自分を愛して下さっているのか。そのことを自分の言葉で書く。何度も新たに書き加えて下さっても構わないのです。それが一つの遺言になります。
 世間でも、遺言をちゃんと書くことが出来れば、安らかに死ねると言われます。内容は全く異なりますが、私たちキリスト者にとっては、キリストに出会うことができれば、もう安らかに死ねるのですが、キリストと出会った喜びや感謝を、証しして死にたいのです。それが私たちの賛美であり、遺言でしょう。
 私にとっては、毎週の説教がそういうものでもあります。今日は、私が尊敬する幾人かの方の言葉を引用していますが、私が指導を受けていた牧師が、神学生である私に向って、こうおっしゃいました。
 「今日語る説教が、自分にとって最後の説教かもしれない。そういう思いで説教は語らねばならない。悔いのない説教、自分としてこれ以上できない説教をしなければならない。また、会員の中には、突然召される方もいるし、ある日の礼拝を最後に二度と礼拝に来られず、そのまま召される方もいる。いつの説教がその方が聴く最後の説教になるか分からない。だから、『今週は不出来でしたけれど、来週は頑張ります』などということは言えない。」
 まさにそうなのだと思います。牧師も信徒も、そういう思いで礼拝に集いたいものです。もし、そのように集うことができれば、その礼拝には聖霊が豊かに働き、その礼拝の後には、
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
 この僕を安らかに去らせてくださいます。
 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」

 と賛美しつつ、生活の場に帰ることが出来るでしょう。そういう礼拝を、皆で毎週捧げたいと切に願います。

 葬儀礼拝

 そして、キリスト者がこの地上の最後に捧げる礼拝は葬儀です。信仰をもって生き、そして死んだ。その遺体を、会堂の正面に安置することを通して、「私はキリストの者、キリストの十字架の血に贖われ、キリストの復活に与る者です」という信仰を告白するのです。キリスト者の遺体は、何も語らずともキリストの十字架の死と復活を通して与えられる恵み、その慰めを証ししているのです。
 牧師は葬儀説教を通して、その方の信仰とキリストの救いを証しします。信徒は讃美歌を歌うことによって、アーメンと唱和することを通して、また弔辞を語ることを通して、キリストへの信仰に生き、また信仰をもって死ぬことができる喜びを証しする。そういう礼拝を捧げるのです。それが教会に生きるキリスト者です。
 パウロは、フィリピの教会に生きる信徒に向けてこう言いました。
「これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然と崇められるようにと切に願い、希望しています。」
 これは、私たちキリスト者すべての希望でしょう。このように生きたいし、このように死にたいのです。

 万民の救いを賛美する

 ルカ福音書は、賛美に溢れていると語って来ました。イエス様が誕生する前後に四つの賛美があり、今日のシメオンの賛美がその四つ目です。最初はマリアの讃歌(マグニフィカート)、次はザカリアの讃歌(ベネディクトゥス)、そして天使の賛美(グロリア)で、シメオンの賛美は「今こそ安らかに去らせてくださいます」からヌンク ディミトゥスと呼ばれます。
 マリアやザカリアの賛美は、「イスラエルの救い」に強調点があります。イスラエルの先祖アブラハムやダビデに語られた言葉を実現して下さる主を賛美しています。しかし、天使やシメオンは、すべての民、「万民」に救いを与えて下さる主を賛美しています。天使は「地には平和」と歌いますし、シメオンは「異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れ」として、幼子主イエスを称えるのです。
 私たち日本人は、異邦人です。だから、私たちは律法の言葉や預言者の言葉を通して神を知るに至ったのではありません。イエス・キリストが神様を示す「光」として来てくださったが故に、神を知り、救いを知った。いや、見ることができるようになったのです。そして、その「光」によって旧約聖書を神の言葉として読めるようになったのです。暗闇の中では何も見えません。光がなければ、生も見えないし、死も見えません。それが何だかも分からない。だから不安だし、だから恐ろしいし、だから紛らわすのです。誤魔化すのです。
 しかし、私たちはもう誤魔化す必要はありません。「この目で救いを見た」からです。キリストを見たからです。だから、死も見ることができるのです。

 見る

 この「見る」ということについて、ルカ福音書は二四章において、とても印象深い出来事を書いています。一般に「エマオ途上の出来事」と言われるものです。イエス様が十字架上で死んで墓に葬られてから三日目の日曜日の朝、女たちが墓に行くと、そこにイエス様の遺体はなく、天使たちがいました。彼らは女たちに向って、イエス様はかつて語られたお言葉どおり、復活されたことを告げました。しかし、弟子たちは、誰も女たちの言葉を信じることが出来ませんでした。二人の弟子は、夢破れて故郷であるエマオに帰って行ってしまうのです。しかし、その二人の弟子たちをイエス様が追いかけて下さり、語りかけます。でも、「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」。目の前にイエス様が見えるのに、それがイエス様だとは分からないのです。しかし、イエス様は道すがらずっと旧約聖書の言葉を引用しつつ、「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」と語り続けて下さいました。そして、ついにエマオの村で弟子の家に入り、食卓についた時、イエス様が「パンを取り、賛美の祈りを唱えて、パンを裂いてお渡しになった。」

 その時、何が起こったか。

すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。」(ルカ二四章三一節〜三二節)

 そして、彼らはエルサレムに帰って行ったのです。そして、死を恐れていた彼らは、福音を携えて全世界に派遣される使徒となったのです。死を恐れていた者たちが、死を恐れず使命を果たす者に造り替えられたのです。
 この場面は、何度読んでも血湧き肉躍ります。様々な経験を想起させられますし、様々なイメージが喚起されます。
 たとえば、私は毎週の礼拝に備えて、全くの暗中模索の状態の中で、聖書のあちこちを読み始めます。旧約、新約の色々な所を読んでいく。最初は何も見えていなかったのに、次第に情景が見えてくる。そして、ある瞬間にイエス様がここにおられるのが見える。あるいは、日曜日の礼拝堂の中に立って「あなたがたに平和があるように」と語りかけてくださるイエス様や、聖餐の食卓の主人として振舞ってくださるイエス様が見える瞬間がある。その語りかけが心に響く瞬間がある。その時は、やはり心が燃えますし、聖霊によって心の目を開けて頂いたことが分かります。そして、その心の目でイエス様が見えれば、あとは喜びをもって語ることが使命であり、その使命をちゃんと果たすことができれば、安らかにその使命を解かれます。そして、安らかに去ることができる。

 ようやく人間になれたような気がする

 私は、目が遮られて見えなかった者が見えるようになったというこの記事を読むと、必ずと言ってよいほど思い出す方がいます。もう二十年も前に召された方です。前任地の女性会員の養母で、STさんと言います。その方は信州のチベットと言われる木曾御岳山の麓で、明治二十四年に生まれ、その地で育った方ですから、いわゆる学があるわけではありません。キリスト教にも触れたことがありません。私がお訪ねするようになった頃は寝たきりでしたし、視力がどんどん落ちていかれました。その時、九十三歳位でした。月に一回とか二月に一回程度訪問をし、聖書の話をさせて頂くと、うっすらと膜が掛かってしまったような目を輝かせて、「ほう、海の上を渡りなさったかね」「ほう、復活されたかね」と嬉しそうにおっしゃって、はるか遠くを見つめる顔をされるようになりました。私も、そのお顔を見るのが嬉しくて楽しくて、しばしばまだ二歳だった娘を連れてお訪ねをしました。そして、ついにSTさんも洗礼を受けるということになった。日曜日の礼拝の後、教会員十数名でSTさんの部屋をお訪ねし、ベッドに寝ておられるSTさんの傍らで讃美歌を歌い、聖書を読み、短い説教をして洗礼を授けました。
 その翌日、お訪ねして、「STさん、昨日はどうだった?」と伺ったのです。その時、STさんは、ニコニコして、「なんか、ようやく人間になれたような気がした」とおっしゃいました。私にとっては、決して忘れ得ない言葉です。「なんか、ようやく人間になれたような気がした。」
 もう目は見えない。でも、心の目でイエス様が海を渡る姿、十字架に掛かって死ぬ姿、そして復活された姿を見ることができた。もう「安らかに去ることができます。」そうおっしゃったのだと思いました。STさんが洗礼を受けたのは、九十七歳です。「九十七年掛かって、ようやく出会うべき方に出会うことができた。生きている意味、死ぬ意味が分かった。私はキリストの者とされた。だから、生きることが嬉しい。だから死ぬことも楽しみです。キリストと顔と顔を合わせてお会いしたい。主よ、あなたは今こそ私を安らかに去らせてくださいます。」
 「ようやく人間になれたような気がした。」それは、STさんの魂から溢れ出て来た賛美です。私は、その賛美を捧げるSTさんを見たし、そこにキリストの慰め、救いを見ました。だから私も主を讃美します。
 私たちもまた、それぞれにイエス・キリストと出会ったキリスト者です。この目で救いを見た者たちです。賛美しましょう。賛美するしかありません。
 詩編一〇二編一九節を読んで終わります。

後の世代のために
このことは書き記されねばならない。
「主を賛美するために民は創造された。」


アーメン
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