「山から下りると」
6:17 イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、6:18 イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。6:19 群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。 山の上と山を下 「山の上と山の下では全く違う現実がある。でも、その二つの現実も実は同じ空の下での現実なのだ。」 石巻の山の上から眼下に広がる壊滅的な打撃を受けた町並みを見た時に実感したことです。 先週の礼拝後に簡単にご報告しましたように、私は八日の土曜日に石巻山城町教会のコンサートに出席しました。 四月末に石巻を訪ねた時、海岸線から一キロほどの所にある日和山公園から眼下に広がる崩壊しきった町並みを見た時は、やはり言葉を失いました。山の上は長閑な春の陽気の中、鳥がさえずり、花が咲き、近くの高校からは部活動を再開している女生徒たちの明るい笑い声が聞こえていました。しかし、眼下に広がる平地には倒れた墓石、まったく原型を留めない住居やビルディングの瓦礫が広がり、道路わきには焼け爛れた自動車が何台も積み上げられており、時折自衛隊のジープが走り、瓦礫を積み上げる重機が動いている姿が遠くに見えるだけで、音がない世界でした。 しかし、あの地震後の大津波が襲ってきた時、そこには何百あるいは何千という人々がいたのです。破壊されていく家の中に、流される車の中に、あるいはビルの屋上に。海の方に流されてしまった方も多くおられるでしょう。しかし、車の中や瓦礫の下敷きになって叫び声を挙げながら救助を待っておられた方も数多くいたのです。救助された方もいますし、間に合わなかった方もいます。津波の時に山の上に逃げた方たちは、人がまだいる家や車がどす黒い波に飲み込まれていく様を見ていることしか出来ませんでした。山の上の現実と山の下の現実のあまりの違いを思いつつ、私は言葉を失いました。 今回行った時は、町の瓦礫は海岸線や北上川沿いにうず高く積み上げられており、自動車も何百台と積み上げられていました。そして、石巻は被災地の中でも人口流出が激しいところです。その町の中で懸命に伝道を続ける教会を、私たちなりに継続的に連帯し、また支援が出来ればと願っています。そのことがまた、私たちの信仰や伝道にも力が与えられることだと思います。 コンサート・伝道礼拝 皆さんの献金によって必要経費を支えることが出来たコンサートは、幸いにも礼拝堂が一杯になる盛況で九十六名の参加者でした。通常の礼拝が二十七名前後でその多くが高齢の方たちですから、教会の方たちは本当に喜んでくださいました。そして、その翌日の伝道礼拝には八名の新来者が来られ、中には「これから毎週来ます」と言ってお帰りになった方もおられるとお聞きしています。 私はまだ具体的なことをよく知りませんが、先日、被災地のある牧師さんから伺った話では、被災地の教会の中に礼拝出席者が増えている教会がいくつもあるということです。震災の影響で止む無く遠くに建っている仮設住宅に移ったり他県に転居された信徒の方もおられ、礼拝出席者が減ってもおかしくないのです。もちろん、そういう教会もあるでしょう。しかし、これまで教会に足を向けることのなかった地元の方たちが震災後に教会に通い始めているというのです。教会は何故、震災前もその後も休むことなく礼拝を続け、そこに集う人々がいるのか、そこでは何が行われているのか、何が語られているのか、そのことを知りたい。そう思われる方がいるということだと思います。そういう人々が、教会の礼拝の中で、十字架の死を経て復活された救い主、イエス・キリストの臨在に触れ、絶望を越えて喜びと希望に生きることが出来ますように願わざるを得ません。それは、私たちの願いであるよりもまず、神様の願いです。そして、神様は被災地であれ、それ以外の地であれ、そこに生きる人々と主イエスが出会い、交わりを持つことを願っておられるのです。 十二使徒の選出 前回、私たちは山の上で夜を徹して祈られた主イエスの姿を見ました。ルカ福音書において、「山」は主イエスの祈りの場です。その祈りの果てに、イエス様は多くの弟子の中から十二人の使徒を選びました。それは新しい契約の民イスラエルを選ばれたということです。 イスラエルの民とは、アブラハムの子孫のことです。アブラハムとは、罪によって死の呪いに覆われた世界に信仰による命の祝福をもたらすために選ばれた人物です。そして、神の命じるままに見知らぬ地に旅立ち、各地で礼拝を捧げ、ついに神の命令に従って独り子イサクをさえ惜しまずに犠牲として捧げようとした人物です。しかし、そのアブラハムの子孫のイスラエルの代表であるべきファリサイ派や律法学者たちは、いつしか悪しき選民主義に陥り、独善と自己保身に陥ってしまいました。そして、自分たちのための律法主義体制を神の名の許に作り上げ、その体制を少しでも揺るがすような者の存在は断じて許さない。そういう人々になっていたのです。 今日の箇所には、「大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、またティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた」とあります。この言葉に対応するのが、五章一七節です。そこにはこうあります。 「ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。」 それぞれの人々が全く逆の目的でイエス様の周りに集まっているのです。ファリサイ派や律法学者らは、イエス様を監視し、自分たちの味方なのか敵なのかを探るためにユダヤ全土からやってきました。そして、彼らは新しいぶどう酒である主イエスを受け入れることを拒否しました。自分たちが新しい皮袋になることを拒絶したのです。それだけではありません。六章一一節にありますように、「彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」のです。つまり、イエス様を抹殺しようと思い始めたのです。 そのことが明らかになった時、イエス様は祈るためにひとり山に登り、新しいイスラエルの基礎になるべき人々が誰であるのかを神様に問われました。そして、夜が明けた時、弟子たちを山の上に呼び集めて新しいイスラエル十二部族である十二使徒を立てたのです。その上で、イエス様は彼らと共に山を下りてこられたのです。 山の下の現実 しかし、山の上と山の下には、全く異なる現実があります。そこには山の上にはいなかった「大勢の弟子」がおり、また「おびただしい民衆」がユダヤ全土、さらに異邦人の町と言ってもよい海岸地方のティルスやシドンから集まって来ていました。何のために集まってきたのかと言えば、「イエスの教えを聞くため」であり、病を癒してもらい、汚れた霊による悩みを癒してもらうためです。 少しわき道に逸れますが、原文には、「教え」という言葉はなく、「イエスに聞くために」です。それはそれで味わい深い表現だと思います。二〇節以降に、「平野の説教」と呼ばれるイエス様の言葉があります。それは、いわゆる「教え」ではありません。「説教」という日本語にも「教え」という字が入っていますし、それはある意味正しいでしょう。しかし、私は、聖霊の導きの中で聴くことができた神の語りかけを告げることが説教だと思っています。その中には「教え」もあるでしょう。しかし、それだけがあるわけではありません。神の言葉には何よりも力があると思います。高ぶる者を打ち砕き、倒れている者を立たせ、死んでいる者を生き返らせる。そういう力があると思います。一般的な「教え」には、そういうものはありません。主イエスにとって、「教え」は「癒し」という業と結びついています。その「癒し」は、ついに十字架の死と復活に至ることです。そのことを踏まえた上で、今日の御言に聴いてまいりたいと思います。 民衆 群衆 弟子たち おびただしい民衆が、イエス様に聞くために集まってくる。それはどうしてなのでしょうか?細かいことを言うようですが、一七節には「民衆」とあって一九節には「群衆」とあります。ルカは使い分けていると思います。「民衆」と訳されるラオスという言葉は、ルカ福音書の中では、基本的にイスラエルの民、つまり神の約束の実現を待ち望む民の意味で使われていると思います。「群衆」(オクロス)はもっと広い単位で、何であれ救いを求めている。そういう感じだろうと思います。つまり、山の下にはそういう群衆がおり、その中に民衆もおり、また弟子たちもいる。そういう状況です。 そして、二〇節以後に始まるイエス様の説教は、山の下で「群衆」や「民衆」に取り囲まれるようにして立っている「弟子たち」に向けて語りかけたものです。それは「貧しい人々は幸いである」とか「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」とあるように、山の下の現実とは全く相容れないものです。しかし、いつの日か、弟子たちの活動を通して山の下の現実となっていかなければならないものでもあります。その点については、次週からじっくりと聴いていきたいと思います。 いずれにしろ、山の下には救いを待ち望んでいるおびただしい人々がいるのです。その救いはイエス様がもたらすものです。その言葉、業、あるいは存在そのものを通してもたらされる救いを求めているおびただしい人がいる。それが、山の下の現実です。 愛の飢餓 私は、この箇所を読みつつマザー・テレサという人が日本に来た時の言葉を思い出しました。彼女はカトリックの修道女で、インドのカルカッタの貧民街に死を待つ人の家を建てて路上で倒れ、放っておけばそのまま死ぬほかにない人々を担架に乗せて家に運び、死ぬまで愛をもって世話をし続けた人です。そのマザー・テレサが日本に来た時、「ここはインドに比べれば有り余るほどのパンがあります。しかし、この国の人々はパンよりも愛に飢え渇いていることを感じます」と言いました。また、彼女は常々、「世界で一番恐ろしい病気は、孤独です。」「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。人から見放され、『自分は誰からも必要とされていない』と感じる事なのです」と言っていました。 たしかに、豊かな国であるはずの日本で、年間三万人の人々が自ら命を断ち、そして、ほぼ同じ数の人々がいわゆる孤独死をしています。たった独りで、誰にも看取られず、また誰も遺骨を受け取りにも来ない。そういう形で死んでいる。 昨日の新聞にも、家庭環境に恵まれず児童福祉施設で育ち、成人になって以後、社会生活をしている多くの方たちに対するアンケートが出ていました。その中で最も大きな不安は、何でも話すことが出来る相手がいない孤独感であるとありました。経済的な不安よりも、仕事がない不安よりも、心の思いを分かち合うことが出来ない孤独こそが、人を追い詰めていくのです。 津波に呑み込まれる中で必死になって生きようとしつつ命を落とした人がおり、その一方で誰にも助けを求めることが出来ずに、あるいは助けを求めることもなく命を絶ったり落としたりする人々がいる。その背後には、何倍何十倍もの孤独な人々がいるということです。おびただしい数の人々が肉体や精神の病で苦しみ、経済的な困窮の中に苦しんでいるということです。その苦しみの根底、あるいは究極は自分が全く無価値な存在であり、孤独な存在であり、誰にも必要とされず、生きていること自体が無意味だと思い込んでしまうということでしょう。そういう苦しみが満ちている。それが山の下の現実です。破壊された町であれ、一見豊かに見える東京の都心であれ、人間の根底にある現実は同じではないかと思います。 山の上の教会 先週の朝礼拝は東京神学大学の棚村先生にお説教を頂きました。礼拝後に階下の集会室で先生と一緒に食事をしていると教会学校の生徒が近寄ってきて、「質問がある」というので、「なに?」と聞くと、「どうして教会は山の上にあるのですか?」と言うのです。子どもの質問というのは、ギクッとするようなものが多いものです。また状況を考えずに質問してくるので恐いものがあります。棚村先生は教会史の先生だし、先生に答えて貰おうかとも思いましたが、やはりここは逃げてはいけないと思って大体こういうことを言いました。 「そうだね。この教会も桜ヶ丘という丘の上にあるね。世界中の教会が丘の上にあるわけではないけれど、『丘の上の教会へ』という讃美歌もあるし、たしかに丘の上の教会は多いかもしれない。イエス様は、『山の上にある町は、隠れることが出来ない』とおっしゃったよね。昔、ヨーロッパでは最初に教会を建てて、それから町や村を作ったんだ。その時、丘の上に教会を建てることがよくあったんだ。平地に建てて教会の周りに町を作るか、丘の上に建ててその丘の麓に町を作るか、そのどちらかだった。丘の上に建てるという場合、それは町中の人からよく見えるからだと思う。あそこに行けば、神様の言葉を聴くことができる。あそこに行けば神様を讃美できる。そういう教会がいつも見えるところにあることが大事なんだと思う」。 本当にそうなのか?それはよく分からないのですが、多分そうでしょう。私たちにとって山の上の教会は必要です。会堂が山の上に建っているとかいないではなく、教会は山の上になければならないのです。そこは、町の雑踏から離れた神様との交わりの場であり、時でなければなりません。そこで神様の言葉を聞き、信じ、神様を讃美し、神様に祈る。そういう礼拝を捧げる、そのこと抜きに私たちのこの世における信仰生活は支えられません。しかし、その礼拝を捧げた後、主イエスは弟子たちや使徒たちと共に山から下りられるのです。そこは命の飢餓が満ちています。愛の欠乏があり、孤独の苦しみがあり、命の飢餓状況があるのです。しかし、だからこそイエス様は山を下りて行かれるのです。 なんとかして触れたい 病の苦しみ、汚れた霊による悩み、そういうものは昔も今も変わりありません。私たち人間の大半は病気で死にます。病気は時に経済的苦境をもたらすことは当時も今も同じです。その病気が長引くとき、人は自分の存在は無価値であるばかりか家族の迷惑になっているのではないかと悩みます。病気は身体に限らず、精神とか神経に関わるものもあります。そして、当時、病気は何らかの意味で罪と関連付けられていました。罪とは神様との関係の断絶であり、重い病は神にも見捨てられた結果だとか悪霊や汚れた霊にとり憑かれた結果だと考えられていました。つまり、病気は肉体の苦しみだけでなく、経済的、社会的、宗教的な苦しみをももたらすものであり、そのことだけでも人を死に追いやるようなものなのです。 そういう二重三重の苦しみを抱えた人々が、なんとかしてイエス様の姿を見、その言葉を聞き、その手に触れていただき、またイエス様に触れたい。そうすれば、きっと力を与えられて立ち上がれる、癒していただける。神様との交わりの中に再び迎え入れていただける。そのことがなければ、自分はこのまま罪と死の闇の中に沈んでいくほかにない。何の希望も喜びもなく、痛みを伴いながら死に向かっているだけの肉体を持て余すのです。主イエスは、そういう人々が大勢集まっている平地に下りていきます。 人間はいつか死にます。それは誰もが知っていることです。普段は知らない振りをしているだけです。しかし、自分は死ぬのだと突きつけられる瞬間がある場合もあります。その一つは、手遅れの病を宣告された時です。その時、肉体の命は永遠ではないことを否応もなく知らされます。残りの人生は限られている。それもごく僅かである。そのことを知ってからどう生きるのか?それが問われることになるでしょう。だから今日を楽しめ、食べ、飲み、歌おうということになるのか?打ちのめされて死の闇の中に閉じ込められていくのか? エンディングノート 今日の午後は、霊南坂教会の木村恵子さんに「愛する人に『遺すエンディングノート』」と題する講演をしていただきます。私は、今年度から「老いと信仰を語る会」という集会を不定期に持つようにしています。年齢を問わず、私たちはいつ死ぬか分からない人間なのです。老いるとは、そのことを若いときよりも自覚させられることではあるでしょうが、しかし、私たちは年齢順に死ぬわけではありません。だから、この会では今現在まだ老いてはいなくとも、信仰をもって生き、また死ぬとはどういうことであるかを考えていきたいと思っています。 ヨーロッパ中世の修道士は「メメントモリ」と挨拶を交わしたと言われます。「汝の死を覚えよ」「自分は死すべき人間であることを忘れるな」という挨拶です。しかし、その挨拶の後に「メメントドミニ」、「汝の主を覚えよ」とも言ったと言われています。 数年前からだと思いますが、仏教界において死と葬儀に関して議論が沸き起こり、そのことに関して様々な取り組みがなされているようです。特に都会に住んでいる人々が次第に無宗教で葬儀を執り行うことが多くなり、寺を頼らなくなった。それは仏教界にとっては深刻な問題ですから、葬儀のあり方について議論が沸き起こっているのです。そのことと関連があると思いますが、その頃から町の書店には遺言の書き方だとか、エンディングノートの類の本が並ぶようになりました。インターネットで少し調べただけで、数十冊も出回っていてびっくりしました。 この十月から、『エンディングノート』というドキュメンタリー映画も上映されており、私は月曜日の昼に観にいきましたが、かなりの数の観客がいました。チケット売り場で霊南坂教会の牧師さんにもお会いしました。その映画の主人公の方は化学メーカーの営業畑で生きてきた方で、何事も段取りを大事にするのです。その方が定年後に手遅れの癌に罹っていることを宣告された。そこから自分の葬儀のための段取りを開始するのです。パソコンに向かって、すべての手順を書いていくのですけれど、その中の一つにカトリック教会で洗礼を受けるというものがあります。 この映画を撮った娘さんがカトリック教会の信者なのだと思います。彼女は映画を撮ろうと思って父親や家族の姿を撮影していたわけではなく、ずっと前から家族の記録として撮り続けていたのです。そして、父親が死んだ時に、その悲しみの大きさ、喪失感の大きさに耐えられず、撮りためたフィリムを編集することでしか、その悲しみを癒すことは出来なかったと、つい先日の報道番組の中で言っていました。編集作業を通して死の先にある光を見つめることが出来るなら、との願いをもって編集し、それを映画にしたそうです。 末期癌を宣告された父親は、神父さんに対して、自分が癌であることを告げて、心の安らぎをもって旅立ちたいという願いを口にし、その場で「主の祈り」が記された紙を渡されます。時折それを読んで、最後に「アーメン」と言ってニコッと笑う場面もあります。しかし、その一方で、娘に「何故、教会で葬儀をしたいのか」と問われると、「ここは撮影するな」と言った上で、「余計な金は使いたくない。教会は多分その点リーズナブルだし、家からも近いしよいのではないかと思った」と言ったりもする。娘は、撮影するなと言われてもちゃっかり撮影しており、さらにそれを本人に断りもなく映画にして上映までしてしまうのですから恐ろしい話といえば恐ろしい話なのですが、微笑ましい話でもあります。 そして、いよいよ最期が近づいた時、多分、神父さんが来るのが間に合わないと思ったのだと思います。娘が洗礼式の式文を読みながら、病床で緊急洗礼を授けます。父は、死が近いことを自覚し、「死後の世界がどうなっているか、それはあなたたちに教えられない」と言ってニコッと笑う。そして、子どもたちを病室から追い出した後、エンディングノートに自分で記した段取りどおり、四十年連れ添った妻に「愛している」と言うのです。娘は、カメラを設置したまま病室を出たのです。 愛の絆 人は愛によって繋がっており、愛によって生きるものなのです。コロサイの信徒への手紙の中に、「愛は、すべてを完成させるきずなです」とあります。人は夫婦の愛、親子の愛、兄弟姉妹との愛の中で生き、その愛の絆をもって死ぬことが出来れば幸いです。しかし、人は誰も愛する人と共に死ぬことは出来ません。また、愛する人のために死ぬことも出来ませんし、死んだところで愛する人を生かせるわけではないのです。 しかし、ローマの信徒への手紙には、こういう言葉があります。 「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」 私たちの主イエス・キリストは、私たちのため死に、そして、私たちのために生きた方です。いや生きている方です。ここに出てくる「キリストが死に、そして生きた」とは、十字架で死に、復活して生きておられるという意味ですから。だからこそ、この方は「死んだ人にも生きている人にも主となられた」のです。 力 ルカ福音書は「力」という言葉を多用する福音書です。イエスに触れる者は、イエスから出る力によって癒されたとあります。その力は、愛の力だし、その故に人を生かす力です。最も深い孤独という病を癒す力なのです。ルカはもちろん、この時に多くの人々がイエス様の服や体に触ったことを告げているでしょう。しかし、ルカが福音書を書いた時、イエス様はもうそういう形で生きていたわけではありません。でも、彼は「群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである」と書く。それは、「この福音書の読者においては不可能なことだけれど、かつてはそういうことがあった。よい時代だったね」ということでしょうか? 違います。ルカ自身がイエス様に触れて、イエス様から出てくる愛の力に触れ、その復活の力に生かされているのです。それは、聖霊の力と言って良いでしょう。その聖霊の力によって、彼はこの福音書を書いているのです。そして、この福音書を読むすべての人々が、メシアを待ち望む民衆として、また救いを求める群衆として、なんとしてもイエス様に触れたいと願うようになり、また触れることを欲しているのです。そして、弟子として生きることを願っているのです。 キリストとの絆 聖霊の導きの中で、御言を読み、また説教を聴き、信仰が与えられた者はイエス様に触れられ、またイエス様に触れます。そのような愛の交わりの中に生かされているのです。愛と信仰によってイエス様との絆を持つことが出来るのです。その時から、私たちはもう自分のために生き死にするわけでもないし、自分独りで生きたり死んだりするわけではありません。主のために生きることが出来るのだし、主のために死ぬことが出来るのです。もう、私たちは生きるにしても死ぬにしても主のものなのです。主は、私たちを生かすためにその力を出し尽くしてくださるのです。その力は、ご自身の肉を裂かれ、血を流して死ぬ、あの無力な十字架において実は最大限に発揮されているのです。あの十字架の死を通して、罪人の罪を赦すために死ぬという愛の力が現れているのです。その十字架のイエス様の愛に触れる時、私たちの罪は赦され、私たちとイエス様は愛の絆で結ばれます。 そして、イエス様はこの十字架の死から三日目に甦り、絶望の闇の中に沈んでいる弟子たちに「あなたがたに平和があるように」という祝福の言葉と共に命の息(聖霊)を吹きかけてくださったのです。今日も、それは同じです。その言葉と聖霊を受け入れた時、死の闇の中に閉じこもるしかなかった弟子たちは、愛の力に癒され、新たに立ち上がり、イエス・キリストを宣べ伝える使徒として生き始めたのです。 残された問題は、私たちがイエス様に聞き、癒していただこうと必死になってイエス様に触れようとするかどうかです。私たちが、自分の死を正しく認識するならば、私たちは主を求めるはずです。メメントモリはメメントドミニなのです。死を覚えることは、主を覚えることです。そして、主に触れることなのです。そのことさえ出来れば、私たちは生きることにおいても、死ぬことにおいても、主を讃美することが出来るのです。なんと幸いなことでしょうか。ご自身の十字架の死と復活を通して、私たちをご自分の者として下さった主を、共々に讃美したいと思います。 |