「何も持って行ってはならない」

及川 信

       ルカによる福音書  9章 1節〜 6節
9:1 イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。9:2 そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、9:3 次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。9:4 どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。9:5 だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」9:6 十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。

 いよいよ九章に入ります。八章を読み始めたのが三月十八日でしたから、随分長い時間をかけて読んできたことになります。漸くルカ福音書の三分の一まで来たわけで、まだまだ頂上を目指す登山が続きます。皆さんと共に一歩一歩登っていきたいと思います。

 構造

 八章はこういう言葉で始まっていました。

「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たちも・・・・一緒だった。」

 「神の国を宣べ伝える」「福音を告げ知らせる」「十二人」「悪霊追放」「病気の癒し」が共通した言葉です。八章の冒頭と九章の冒頭で八章全体を囲っているのです。その八章では、イエス様ご自身がその言葉と業を通して神の国を宣べ伝え、十二弟子はそのすべてを間近で見てきたのです。その上で、イエス様は弟子たちを神の国の宣教のために遣わされる。それが今日の場面です。十二人は、イエス様に遣わされた者として、その言葉と業を通して神の国到来という喜ばしい知らせ、「福音」を村から村へと巡り歩きながら告げ広めるのです。

 何も持って行ってはならない

 その際、主イエスは「旅には何も持って行ってはならない」とおっしゃいます。そして、どこかの家に迎え入れられたらそこに留まれ。しかし、誰も迎え入れないようであれば、足についた埃を払い落としてその町を出て行くようにとおっしゃるのです。いずれも厳しい言葉です。この言葉の意味を考えるために、少し先まで読んでおきたいと思います。
 ルカ福音書は弟子の派遣について何度も語る福音書です。十章の冒頭で、主イエスは七十二人を任命し、これからイエス様が訪ねるつもりの町や村に二人一組で派遣されます。
 そこでも、イエス様は弟子たちに持ち物を持つことを禁じ、どこかの家に入ったら、「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな」とおっしゃっているのです。
 神の国とは神様の支配のことですし、それは神様の守りでもあるでしょう。伝道のために派遣される者が神様の支配、守りの中に生きるためには、神様を信じなければなりません。その信仰に立って身も心も委ねなければならないのです。自分の力で生きる道を確保しつつ、「神様、私の富と安全を守ってください」と保険をかけるようにお願いをしても、何の意味もありません。神様に拠り頼むのであれば、全身全霊依存しなければならないのです。伝道者は、主イエスに遣わされた所に身一つで行き、ある家に迎え入れられたなら旅立ちの時まではその家に留まり続け、そこで出されるものを感謝して食べなければいけない。隣の家の方がご馳走を出すとか、個室をあてがうとか、風呂もあるとか、そういう好条件であることが分かっても、そういう事柄で出処進退を決めてはいけない。神の国をその心に迎え入れる者が伝道者の働きを支え、そのことにおいて共に伝道してくれるのであれば、時が来るまではその家に留まる。それが伝道者のあり方です。現代の伝道者にとって、教会はそういう「家」だと言ってもよいと思います。
 ここに伝道者のあり方の一つの原型があることは確かです。しかし、そのあり方を安易に普遍化してはならないことも事実です。
 主イエスが逮捕される直前、主イエスは弟子たちに「今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」とおっしゃっているのです。
 ここでイエス様が何をお語りになっているかは、その時にご一緒に聴き取りたいと願っています。ただ、ここを読んで分かることは、九章の段階で、主イエスは弟子教育、弟子の訓練をしているのだということです。神の国を宣べ伝えるために主イエスによって選び立てられた者たちには神の支配、守りがある。彼らがその使命を果たしている以上、必要は満たされる。伝道者がそのことを経験することは大事です。九章の段階で、イエス様はそういう経験を弟子たちにさせているのだと思います。
 伝道者の働きを支えるのは町に住む信徒です。無論、その人々は最初から信徒であったわけではありません。伝道者の説教と働きを通してイエス・キリストに出会い、信仰を与えられたのです。その信徒が伝道者を迎え入れ、その働きを支えることを通してその町での伝道の御業は進展していくのです。

 命懸け

 もし伝道者が入ってきてもその町の人が誰も神の国の福音を受け入れない場合、その責任は伝道者にあるわけではなく受け入れない側にある。足の塵を払って出て行くとは、そういうことです。語る方も聴く方もある種命懸けなのです。主イエスに遣わされた者は、神から遣わされたメシアとしてのイエス様を伝える言葉に命を懸けます。その言葉を聴いて信じる者は、それまでの命に死に新たに生まれ変わるのです。これも命懸けです。しかし、拒絶する者は神の国の中に生きる命を得ることは出来ない。つまり、土から造られ土に返るだけの肉体を抱えているだけで終わる。そういうことでしょう。
 しかし、これもただ一回のチャンスを逃せばそれですべてが終わりだと解釈するのはちょっと行き過ぎでしょう。イエス様は、ご自身を嘲りつつ殺す者たちの罪の赦しのために十字架の上で祈ってくださいましたし、隣で磔にされている犯罪者が死の直前に悔い改めた時、その罪の赦しを宣言されたのですから。
 ただ、神の国の福音を語ったり聴いたりすることは生半可なことではない。生と死を分けることである。今日の箇所で、イエス様がそのことを厳しくお語りになっていることは確実だと思います。生と死を分ける境界線は、人の口を通して語られる神の言葉を聴いて信じるか否か、その信仰と不信仰の間にひかれるのです。

 十字架による繋がり

 先週は、中渋谷教会から派遣される形で石巻山城町教会に行きました。説教と講演をさせていただきました。翌日から教会学校の夏季学校があるとかで、関川祐一郎先生の出身教会である東京の十貫坂教会から生徒や四名の神学生が応援に駆けつけていました。その礼拝には、中渋谷教会からも五名の方が礼拝に出席をしてくださいました。その前々週も二人の方が出席され、これから礼拝に行ってくださる予定の方もおります。これまでに延べで言えば十名以上の方が山城町教会の礼拝に出席しています。そういう顔の見える交わりを持つことが、継続的な連帯と支援にとっては何よりも必要なことだと思います。
 お互いに顔を見る回数が増えると親しみが湧きますし、安心します。私は三回目ですから、午後の講演の際も、普段はあまりおしゃべりにならないであろう婦人たちが活発に質問してくださいました。
 先週、中渋谷教会の礼拝には十貫坂教会の牧師であり、祐一郎先生の父上でもある関川泰寛先生に説教をしていただきました。先生は、「十字架のキリストだけを指し示す」と題して説教くださいましたし、私は山城町教会の大きなステンドグラスの真ん中に立つ十字架について語りました。
 そういう意味では、先週は三つの教会が十字架のキリストにおいて一つとなって礼拝を捧げることが出来たと思いますし。教会同士の連帯も支援も十字架の愛抜きには本質的にはあり得ないことなのです。

 被災地の模様

 五月に福島教会をお訪ねした時は、午後の時間を利用して海岸線や放射能汚染地域を車で走りました。今回は金曜日の夜に石巻に行き、土曜日は三陸の海岸線を北上して岩手県の釜石まで走りました。原発がある女川、気仙沼、南三陸、陸前高田、釜石です。三陸の入り組んだ海岸線は変化に富み、本当に美しいものです。しかし、その地形の故に津波は異常な高さになり、また一点に集中して町や村に襲い掛かったことがよく分かります。
 女川の小さな港町は鉄筋のビルがなんとか原形を止めているだけで、狭い土地を埋め尽くしていたであろう民家やその他の建物はすべて破壊されてもう誰も住んでいませんでした。南三陸町もビルの残骸の取り壊しが続いており、そこで働く人たちのためのコンビニが仮店舗で営業しているだけでした。一本の松が奇跡的に残った陸前高田は、細長い湾に囲まれた一直線の海岸線が自慢の町だったと思います。しかし、その地形故に凄まじく勢いを増した津波が襲ってきて海岸線から高台に至る地域は壊滅しました。松の木も枯れてしまいました。鉄の町釜石の海沿いの工場は動いていましたが、町の被害は甚大です。私はナビゲーションを頼りに新生釜石教会を捜しました。ナビは「地方銀行のある角を右折です」とか、「ガソリンスタンドの角を左折です」「コンビニが目印です」と言うのです。でも、銀行は廃屋となり、ガソリンスタンドは空き地となり、コンビニもがらんどうでした。

 境界線

 被災地を車で走っていて感じることは、生死を分けた線があるということです。どの町でもここまでは津波が来たということが分かるラインがあります。曲がり角一つ、あるいは一メートルの差で破壊と残存、あるいは生と死を分ける線が引かれています。今回の震災を「ボーダーライン・デザスター」(境界線災害)と呼んでいる人がいるそうですが、分かる気がします。
 その境界線の僅かに外側に建つ家は無事です。また、津波が襲ってきた時、境界線の外にいた人や逃げることが出来た人は無事です。しかし、不幸にも逃げ遅れた人々は命を落としました。その差は本当に僅かなものであり、どうしてそういう差があるのかは分かりません。石巻の高台の家は無事だし、陸前高田の高台の家も無事です。しかし、その家から見える光景は根こそぎ破壊された町の光景であり、その破壊の中で無残に命を落としていった多くの方たちがいるのです。ご家族を亡くされた方もいる。友人や恋人を亡くされた方もいる。毎日、そのことを思い起こさせる町の跡を見つつ、店も学校も病院もなにもかもが一瞬にしてなくなった土地で生活をするとは、一体、どういうことなのだろうかと思わされました。何枚かの写真を撮って掲示板に貼っておきましたから、関心のある方は御覧になってください。
 私は車で走りながら、今日ご一緒に読むことになる御言葉を思っていました。関川祐一郎先生はまさに被災地の町に建つ教会に遣わされた伝道者です。自分で選んだのではなくイエス様に選ばれて遣わされたのです。「そのことを信じることが出来なければ、自分を支えることが出来なかった」と先生はおっしゃっていました。 宮城県も岩手県も海岸線の町に教団の教会はほとんどありません。石巻から二百キロほど北上して漸く新生釜石教会があるのです。しかし、その間にいくつもの町や村があります。こういう町に開拓伝道に遣わされるとしたら、私はどうするのだろうか?と思わされました。震災前だってかなり途方に暮れます。しかし、震災後の今、町の中枢部が破壊され、多くの人々が仮設住宅に移ったこの町に神の国の到来を宣べ伝える伝道者として遣わされるとしたら?ただでさえ胸が押し潰されているのに、そういう想像まで加わってなんとも言えない思いになりました。破壊と離散、生と死の分断という現実を前にして「神の国を宣べ伝える」。喜びの知らせとしての「福音を告げ知らせる」とはどういうことなのか?

 石巻で

 九時に走り始めましたが釜石に着いたのは午後の二時近くでした。来た道を帰ったらとても返却時刻に間に合わないので、帰りは内陸部まで行き高速道路を使って必死になって帰って来ました。なんとか時間ギリギリで返却した後、心を落ち着け、市内のホテルに着いていた中渋谷教会の仲間に連絡をして、翌朝の礼拝に備えて山城町教会への道をお教えしたりしました。
 その後、私の宿のすぐ近くの小さな鮨屋に入りました。客は誰もおらずいかにも寂れていました。しかし、カウンターの奥の棚に笑福亭鶴瓶とご主人が一緒に写っている写真がありました。昨年の五月か六月に『鶴瓶の家族で乾杯』という番組で彼が訪ねた鮨屋だったのです。その日の放映を私も見ていたことを思い出し、それから昨年の三月以来に起こった様々なことをお聞きすることが出来ました。
 石巻から帰った翌日の月曜の夜、鶴瓶氏が被災地の方々を再び訪ねる場面の放映があるということで、その番組を見ました。彼が、こうやって被災地で懸命に頑張っている方たちを何度も訪ね、連絡を取り合い、笑いで励まそうとする姿勢に感銘を受けました。その番組には、石巻のお寺の住職ご夫妻も出ていました。その奥様が言っておられたことは、「震災後、多くの人がしたかったことは祈りだったんです。お寺が避難所になって、それが出来たことが本当に嬉しかった。そして、鶴瓶さんやさだまさしさんが来てくれて、励ましてくれて本当に嬉しかった」ということです。住職は今、牡鹿半島の被災地を巡って供養の祈りをささげているそうです。破壊しつくされ、多くの人々がその命を落とし、今は人影もなくなった集落を訪ねて、供養の祈りを捧げる。私は、その姿を想像して、本当に頭が下がります。

 釜石で

 私が多少無理しても岩手県の釜石まで行きたかった理由は、石巻の北側で最も近い教団の教会がそこにあるからだけではありません。釜石は、中渋谷教会の会員である戸田良子さんが若き日に牧師と共に信徒伝道者として働いた地だからです。戸田さんは今年の二月で百歳になられましたが、多少耳が遠いだけで今もお元気です。その戸田さんがニコニコしながらお話くださる思い出があります。
 当時、釜石の教会学校に来ていた子どもたちは地元の鉄工所に勤めている労働者の子どもたちでした。その子どもたちを海岸に連れて行き、イエス様がガリラヤ湖の上を歩く紙芝居を見せて「イエス様は海の上を歩きなさったんだよ」と言うと、子どもたちが「へぇ〜海の上を歩いたの?」って目を見張って驚いた。そういうお話を何度か聞いたことがあります。その海も見たかったし、戸田さんが懸命に伝道した釜石の教会も見たかったし、戸田さんに現在の状況を少しでもお伝えしたいなと思ったのです。
 もちろん、昭和の初期と今では時代は全く違います。昔は砂浜の海岸があったかもしれませんが、今はすべて港になっていてコンクリートだらけでした。新生釜石教会は、建築後十年ほどの堅固な会堂でしたから建物は残っています。でも、以前見た写真では会堂内に二メートル以上もヘドロ混じりの水が入ってきて滅茶苦茶に破壊された教会です。多くのボランティアが来て縁の下のヘドロを掃除するところから始まって、礼拝を守ることが出来るようになったはずですが、今も一階の窓には青いビニールシートが張ったままでした。
 玄関には、「今こそ祈りの時」と墨汁で書かれた紙が貼られており、「物より繋がり、作業より笑顔」というカラフルな色彩の横断幕が掲げてありました。
 「今こそ祈りの時」という言葉の背後には祈ることも出来ない苦しみがあったはずです。「物より繋がり、作業より笑顔」という言葉にも、救援物資の山や多くのボランティアによる作業に支えられつつ、本当に支えになるものは何であるかを痛切に知らされていった実体験があるでしょう。
 その教会の周辺に建っている建物の大半に人の気配はありません。シャッターやビニールシートで窓が塞がっていたり、廃墟のまま放置されていたりします。そして、既に建物が取り壊されて空き地になっている土地がたくさんある。そういう町に遣わされている伝道者がいます。そして、その町に住み、牧師を支え、牧師と共に伝道する信徒の方たちがいます。帰りの車中では、石巻や釜石で伝道を続ける牧師や信徒のことを考え続けました。

 主イエスの伝道

 伝道で何をするのかと言えば、イエス・キリストによる神の国の到来を告げ知らすのです。その神の国、神の支配とは何であるかと言えば、罪と死の支配を打ち破る神の力です。悪霊に憑かれているとか、重い病にかかっているということは、当時、悪霊や罪の力によって神様との活ける交わりを断たれ、生きながらにして死の力に支配されていることの徴でした。イエス様は、そういう人々と出会い、「あなたも神の支配、その守りの中に生かされることが出来る」と語りかけ、その業を通して一人ひとりを神の国に招き入れていかれたのです。一人ひとりに信仰を与えることによって、生と死を分ける境界線を越える神の国へと招き入れてくださったのです。そのイエス様の歩みの果てが、あの十字架の死であり復活なのです。

 いったい何者なのだろう

 ルカ福音書では、イエス様が何者であるかについての問いが折々に出てきます。今日の続きの箇所では、「いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は」と領主のヘロデが口にします。その問いに対するイエス様ご自身の答えが、九章二二節に出てきます。

「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」

 この十字架と復活の主イエスが私たちの主、王として支配してくださる。守ってくださる。私たちの肉体の生と死の間にある境界線を越えて守ってくださる。罪人である私たちと神様との間にある境界線を越えて、私たちの所に神様の支配、その守りをもたらしてくださっている。その福音を信じる。そこに私たちの人生の支えがあり、またこの地上を生きていく希望があるのです。

 海の上を歩く主イエス

 皆さんは創世記の書き出しをご存知だと思いますが、あそこに描かれている情景は闇と混沌です。具体的には全地が海の水に呑み込まれている情景です。そして、「海」は混沌の象徴でありまた死の支配の象徴だと思います。私たち人間ではどうすることも出来ない圧倒的な罪と死の力の象徴なのです。創世記では、神様がその海の水を天上、地上、地下に、その言葉一つで分けていく様が描かれます。罪と死の支配を打ち破るのは神様の言葉です。神様はその言葉において、ご自身の支配を天地に打ち立てていかれるのです。
 そして、神様は、ついにご自身の「言」そのものである主イエスをこの世に誕生させ、主イエスの死と復活を通して罪と死の支配を打ち破ってくださったのです。主イエスは今や神の右の座で私たちのために執り成しつつ、終わりの日の救いの完成へと導き続けてくださっています。主イエスは、まさにそういう意味で海の上を歩くことが出来る唯一のお方なのです。

 終わりの日

 その主イエスが終わりの日に再びやって来られる。救いを完成するために、神の国を完成するために再臨される。私たちキリスト者はそのことを信じており、そのことを信じているが故に今既に神の国の中に生かされているのです。
 ヨハネの黙示録二一章は、その神の国完成の時をこのように書き記しています。

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」

 罪と死の支配は完全に消滅し、永遠の神の国が天地に実現します。その様を黙示録はこう描きます。

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

 伝道に生きる教会

 私たちは、いずこの町においても、主イエスがご自身の十字架の死と復活を通してもたらして既にくださり、世の終わりに完成してくださる神の国を宣べ伝えるキリスト者です。伝道者もそれを支える信徒も共に、ご自身の命を捧げて神の国をもたらしてくださるイエス様を「この方こそ、私たちの救い主キリストです」告白し、神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせていくのです。その歩みをする時、私たちは何も持っていなくても、実はすべてを持っているのです。
 パウロは、その伝道に生きるキリスト者の歩みをこう言うのです。

「栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(二コリント六:八〜一〇)

 キリストを信じ、伝道して生きるとは、こういうことです。
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