「神の国は近づいた」

及川 信

       ルカによる福音書 10章1節〜12節
10:1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。10:2 そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。10:3 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。10:4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。10:5 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。10:6 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。10:7 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。10:8 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、10:9 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。10:10 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。10:11 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。10:12 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」

 9章の主題

 昨年のアドヴェント以来、一ヵ月半ぶりにルカ福音書に戻ります。
 思い起こしてみると、9章の冒頭は十二弟子の派遣でした。「神の国」を宣べ伝え、病人を癒すために、イエス様は弟子たちに悪霊追放や癒しの権能を授けて派遣されたのです。その伝道の旅には「何も持って行ってはならない」とおっしゃっています。それからいくつかの重大な出来事が続いています。
 そして51節に「イエスは天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」とあります。これがルカ福音書の前半と後半を区切る言葉です。

 その後、イエス様の弟子に関する事例が集められています。「どこへでも従って参ります」と言う人には「人の子には枕する所もない」とおっしゃり、「まず、父を葬りに行かせてください」と言う者には、「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」とおっしゃいました。そして、「まず家族にいとまごいに行かせてください」と言う者には「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」とおっしゃったのです。9章の主題は、神の国を宣べ伝えることです。

 十二人 七十二人

 10章はこういう言葉で始まります。

「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。」

 十二人の派遣の後は七十二人です。写本によっては「七十人」となっているものもあります。ルカは、創世記の10章に出てくる民族分布表の数を参考にしているのだと思います。そこには、ノアの三人の息子(セム、ハム、ヤフェト)を先祖とする民族が全世界に散らばっていた様が描かれています。ヘブライ語聖書では七十部族なのですが、一般に「七十人訳聖書」と呼ばれるギリシャ語訳聖書では七十二部族になっています。そういうことから、ルカ福音書の写本に「七十人」のものや「七十二人」のものがあるのでしょう。
 ここで注意しておきたいことは、この出来事はルカ以外の福音書には記されていないということです。つまり、これはルカがどうしても書いておきたい出来事だということです。その理由は、福音書の最後とその続きである使徒言行録の最初を読めば明らかだと思います。
 福音書の最後で、復活されたイエス様は弟子たちにこうおっしゃっています。

「『また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」

 使徒言行録の冒頭にはこうあります。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 「あらゆる国の人々に宣べ伝える」「あなたがたはこれらのことの証人となる」「地の果てに至るまで、証人となる」。
ルカ福音書や使徒言行録におけるイエス様は、その伝道の業をガリラヤ時代から始められるのです。そこで伝道すべき相手としてイエス様が見ているのは、最初から「あらゆる国の人々」なのです。ガリラヤの町や村の人々に留まりません。だとするなら、「収穫は多いが、働き手が少ない」のは言うまでもありません。まずは十二人から始められましたが、それではどうにもなりません。七十二人だってまだまだ少ない。これはどんどん増えていかなければなりません。そして、実際にそうなっていく様を使徒言行録は記していきます。そういう長い文脈を考慮して、今日の箇所も読んでいく必要があると思います。

 伝道者と信徒の業

 今日の箇所に出てくる七十二人の名前が記されることはありません。彼らは、「十二使徒」として教会の土台になる人々でもありません。しかし、彼らの働きはイエス様にとってなくてならぬものです。伝道は、いわゆる「伝道者」だけに託された使命ではなく、伝道者と信徒が共々に携わる教会の業だからです。
 彼らは、イエス様がこれから行こうとする町や村に二人ずつ先遣隊のように遣わされます。二人以上の証言があって、初めてその証言が真実なものであると認められるからでもあるでしょう。でも、この派遣は狼の群れの中に小羊が送り込まれるようなことですから、一人では心細くてたまらない。そのことをイエス様は配慮してくださったのかもしれません。

 聖書の読み方

 彼らは、「財布も袋も履物も持って行くな。途中で誰にも挨拶をするな」と言われます。こういう言葉を読む時に注意すべきことは、言葉を文字通りに受け止めて文字通りに行うことが求められている訳ではないということです。もちろん、聖書の言葉、またイエス様の言葉を自分に都合の良いように薄めて解釈することは禁物です。まともに受け止めなければなりません。
 でも、イエス様はエルサレムで逮捕される直前には、弟子たちにこうおっしゃるのです。

「今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。」

 これを文字通りに行うとすれば、イエス様の言葉のどちらかを捨てることになります。それはそれでおかしなことです。自分の都合の良いように薄めてしまうのも問題だけれど、杓子定規に受け止めて実行することも問題です。イエス様がその時に目の前にいる人々に何を言おうとしたのかを見極め、それは今に生きる私たちにとってはどういうことなのかを真剣に考えるべきなのだと思います。
 その場合、私のような「伝道者」の受け止め方と、皆さんのような信徒の受け止め方では同じ面と違う面の両方があるでしょう。何も持たずに町や村に行き、どこかの家に迎え入れられたら「この家に平和があるように」と告げるというのは、やはり私のように伝道を職務とする伝道者に対する言葉であると、私は思います。
 けれども、キリスト教の一派であることを自称する「〇〇の証人」という宗教団体の人々は二人一組になって戸別訪問し、パンフレットを売りつけたり、いきなり説教を始めることがあります。「あなたも伝道者としてそのような伝道をせよ」とイエス様から命じられていると、私は思いません。私には別の仕方の伝道が命じられていると思います。

 二人ずつ遣わされる

 先ほど、伝道は伝道者だけでやるものではないと言いました。伝道者と信徒が協働してやるのです。私たち伝道者は、大体の場合は招かれた所で語ることしかできません。先週も、私は大学や市民講座で聖書の話をしましたが、それはそういう機会と場を与えてくれた方がいるからです。その方が道を開いてくださったから、私はその道を歩いて行き、聖書の話をすることが出来たのです。こういうことも、「二人ずつ遣わされる」ことだと思います。
 私は、皆さんのご家族にお会いして聖書の話をしたいと願っています。でも、いきなりお宅に伺って「今日は聖書の話をするためにきました」と言っても、それは反ってご家族の信仰の躓きになることでしょう。そういう機会を皆さんが作るためには、何年もの祈りと配慮が必要でしょう。伝道礼拝にお誘いしたり、クリスマス礼拝やキャンドルライト・サービス、バザーやCS遠足など、様々な機会を捉えて教会を知って貰う、牧師や信徒の顔を知って貰うなどのことをして初めて可能になることではないでしょうか。そういう協働の祈りと業の積み重ねの中で、私はお宅に伺うことができ、聖書の話をすることが出来、そして最後に祈ってお別れすることができる。そういうことだと思いますし、そのことがイエス様から求められているのだと思います。私たちは、そのようにして「二人ずつ先に遣わされる」のではないでしょうか?

 緊急事態

 「財布を持つな」とは、派遣された限りは自分の食べることや着ることなどに気を遣わず、神の国の伝道に専心しなさいということでしょう。派遣されてもいないのに、勝手に血気盛んに出て行き、「働く者が報酬を受けるのは当然だ」と思うのは大間違いです。イエス様は派遣する者を「任命する」のですから。その任命もなく勝手なことをしてはいけません。しかし、任命されたら従うしかありません。
  「挨拶をするな」とは、「おはようとも言うな」ということではないでしょう。「この場合の挨拶とは、長々と安否を尋ねたりお茶を飲んだりすることだ」とある本には書いてありました。ただ、そこまで行かずとも挨拶をしている間に言うべきことを言うことが出来なくなってしまうことはあります。本当に大事なこと、また緊急のことを告げなければならない場合、挨拶などをしている場合ではないのです。
 今にも火が襲い掛かってくるような時に、長々と挨拶などしていたら両方とも焼け死んでしまいます。何はともあれ、「火事だ。逃げろ」と言わねばならぬでしょう。

 挨拶をするな

 私事で恐縮ですが、「挨拶をするな」という言葉を聞いて思い出すことがあります。人によって様々ですけれど、私は洗礼を受けるまでに本当に長いこと逡巡した人間です。私は牧師の家庭に生まれ育ちましたが、それが嫌で堪りませんでした。そして、「洗礼など受けたら牧師になるしかないじゃないか」という非常に切迫した思いを持っていました。イエス様を信じたいとは思うし、信じなければ人生を生きていくことは空しく、苦しいことだと思っていましたが、「洗礼を受ける」とはどうしても言えませんでした。何度もその言葉が喉元まで上がってはくるのですが、いつも寸での所でその言葉を飲み込んできたのです。
 しかし、ある日の晩、先に洗礼を受けていた兄とそのことに関して夜を徹して語り合いました。そして、明け方になりました。兄は、「俺はこれから寝る。お前は起きていろ。そして、親父が起きてきたら、『おはよう』とも言うな。お前が真っ先に言葉として出さねばならぬのは『洗礼を受けたい』という言葉だ。もし、今日、お前がその言葉を最初に言わずに『おはよう』なんて言ったら、お前はまたもや機会を逸して再び悶々と悩み続けることになる。分かったな」と言ったのです。私は深く納得しました。そして、それからまんじりともせず朝まで待って、決して言いたくないその言葉を、決して言いたくない相手に言ったのです。その時のことは、今でも鮮明に覚えています。1976年の年末のことです。その時に、私が牧師になることはどうしようもない形で決定しました。それは、どれほど抵抗しても無駄なことでした。
 また、私の娘が高校生になる時、私の勧めで高校生を対象に伝道する団体の二泊三日のキャンプに行きました。娘がそのキャンプから帰って来た時、私は教会の二階ホールで「お帰り。キャンプはどうだった?」と言って迎えました。しかし、娘は「ただいま」とも言わず、いきなり「私、洗礼を受けようと思って」と言いました。私は喜びよりも、言葉に言えない衝撃を受けてしまい、「そのことは後で話そう」とだけ言って書斎にこもってしまったのです。その日のことも決して忘れ得ないことです。

 生死に関わる問題

 挨拶などはしないほうが良いことは確かにあります。ことは深い意味で生死に関わることであり、緊急のことでもあるからです。「神の国を受け入れる」とは、それまでの命に死ぬことだし、新しく生き始めることです。それは、神様との平和を生きることですけれど、この世とは敵対することでもあります。しかし、武力をもって対抗することではない。狼に襲われても、狼を殺すために剣を使うことではない。自分を守るためには使うこともあると、イエス様は後におっしゃったのだと思います。
 しかし、神の小羊であるイエス様は、狼の群れに囲まれ、たった独りになり、何の抵抗もしないでかみ殺されました。でも、そのことを通して、私たち罪人と神様との和解、罪の赦しによる平和を造り出してくださったのです。そこに神の国がある。その国を受け入れた人には「平和」が訪れます。そこに永遠の命があるのです。その小羊に従って生き、また死ぬのが弟子ではないか、と思います。

 出されるものを食べなさい

 七十二人は、「平和」を宣べ伝えるために遣わされるのです。受け入れてくれる家があれば、「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである」とイエス様はおっしゃいます。
 「好き嫌いを言うな」ということでもあるだろうし、「贅沢を言うな」ということでもあるでしょう。よりよい待遇を求めて、「家から家へと渡り歩くな」とも言われます。そして八節に、もう一度「出されるものを食べなさい」と出てきます。これは、恐らく後の世界伝道を視野に入れた言葉です。この言葉を最初に読んだ人々は、まさに世界の人々に伝道する教会に生きているのですから。
 宗教によっては食物規定があります。食べてはならないものがあるのです。旧約聖書の律法にも食べてはならないものが記されています。ユダヤ人は豚肉などは決して食べてはならないのです。でも、異邦人伝道に出かけてその家に迎え入れられれば豚肉だって出てくるでしょう。そういう食卓を囲むことになるのです。その時、豚肉を食べないということは、「自分たちとあなたたちは違う人間だ。自分たちは律法の民であり神の選びの民だが、あなたたちは違う」と言っていることになります。
 この問題は、初代教会の伝道にとって非常に悩ましい問題なのです。興味のある方は使徒言行録の10章とかガラテヤの信徒への手紙2章などをお読みください。

   神の国は近づいた

 とにかく、遣わされた者たちが町に受け入れられたなら、「神の国はあなたがたに近づいた」と言わねばなりません。私たちは自分の思想や信仰を語るために派遣されるのではなく、神様が始めた御業、その出来事を証言するために派遣されるのです。そのことも勘違いしてはなりません。聖書に記されている出来事を告げるのです。
 しかし、これも「文字通り、神の国は近づいたと言え」ということではなく「あなたは神様に愛されています」と言ってもよいでしょう。
   私が洗礼を受ける半年前に、その頃お世話になっていた牧師さんから、こう言われました。
 「もういい加減、首を落とさんか」。
 元軍人ですから、こういう物騒な表現をするのでしょう。しかし、それは「神の国は今君の目の前に来ているんだ。抵抗するのはもういい加減にしろ。覚悟を決めて、これまでの自分に死に、新しく生まれ変わったらどうだ」という熱烈な招きの言葉です。それは痛いほど分かりました。でも、その時は首を落とすことは出来ず、半年以上悶々としながら生き延びたのです。
 罪を悔い改めて神の国を受け入れなければ、私に平和は訪れることはありません。しかし、その牧師が「神の国が近づいたことを知れ」と言うことを止めるわけでもないのです。何故か?それは首を落とさないで生き延びたところで、そこに待っているのは、あのソドムよりも重い罰だからです。神様と和解せずに生きる罪の結果は、完全な滅びだからです。消滅なのです。そんな滅びに至らせるために神様は私たちを創造したわけではありません。神様は涙を流さんばかりの思いで、「わたしの愛を受け入れて欲しい」とおっしゃっている。「救いを選び取って欲しい」とおっしゃっている。
 独り子であるイエス様を人としてこの地上にお遣わしになったとは、そういうことでしょう。そして、そのイエス様を受け入れ、イエス様から遣わされた者たちは、伝道者であれ信徒であれ神の愛を生きる者たちであり、告げる者たちなのです。
 イエス様が十字架に磔にされている時、神様は「彼らをお赦しください」という祈りを捧げるイエス様の姿を痛切な思いで御覧になりつつ「この子を見よ。ここにわたしの愛がある。赦しがある。信じて欲しい」と叫んでおられるのです。この叫びを聞き、このイエス様を見て、神の国を受け入れるか否かは私たちにとってまさに死活問題です。私たちの愛する家族や友人が、またこの国の人々が、そういう意味で死んでよいはずもありません。そんなことを神様が望んでいるはずもなく、私たちが望むことであるはずもないでしょう。

 伝道に生きる教会

 だから、主イエスは「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」「この家に平和があるように、と言いなさい」「神の国はあなたがたに近づいた、と言いなさい」と命じておられるのです。「平和の内に、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい」とおっしゃっている。
 その言葉は真正面から聴き取らねばならないし、従わねばなりません。そこに私たちの救い、そして私たちの愛する人々の救いが懸かっているのですから。そのことが分かるとき、私たちは「収穫のために働き手を送ってください」と祈る者にもなるでしょう。
 今日、「公告」を出しましたが、今月末に持たれる臨時総会の議案もその祈りから出てきたものです。教会は神の国を宣べ伝えるために生かされているのですから、伝道のために出来ることをしなければその命は弱っていくしかないし、「教会」ではなく単なる「友愛集団」になっていくしかありません。

 中渋谷教会の伝統(伝道)

 私たちの中渋谷教会は、約5年後の2017年9月には教会創立百周年を迎えます。そのための準備を少しずつ始めています。そのうちの一つが「百周年史」の作成です。「教会創立百周年」とは、別の言い方をすれば「伝道開始百周年」です。先日、『中渋谷教会八十年史』を開いて、中渋谷教会の草創期の部分を少し読み返しました。それは、私のような怠惰な牧師にとっては鋭い痛みを感じることでもあります。
 第二代牧師である山本茂男先生が「宣教の五十年」という文章の中で、重い喘息の病に苦しみつつ伝道に生きた初代牧師森明先生のことをお書きになっています。

 「何にもまして主イエス・キリストを愛し、キリストの福音を宣伝えて、友と共に救いに与ることを無上の喜びとした先生は、夜も昼も祈り、火の燃えるような烈しい伝道をなさいましたが、ひとりの人が救われるためには、自身の生命をかけて捨身でした。『人がその友のために自分の命を捨てるこれより大きな愛はない』(ヨハネ15・13)との御言葉をそのままに、キリストに従った人でした。先生の死に際して岡山に在った和田保氏は『先生の死によって初めてキリストの十字架の死は自分の罪の贖いのためであることが解った』と手紙に書いて寄越しました。これは先生に接した者たちのだれしもが実感したことだと思います。
 ある人は、『森先生は伝道狂気だ』と評したと聞きましたが、無理もない評で、伝道のためには計画湧くが如く、当時の教会では先端を切った新機軸を出して積極的伝道を行うのでした。」(「中渋谷教会八十年史」19頁)

 森明牧師は、第一次世界大戦が終わった1918年のクリスマスを迎えるにあたり、「世界平和の理想の高まりの中で、教会員の伝道の確信を強める宣言書を発表したい」と長老会に提案し、「1918年基督降誕節礼拝決議宣言書」を書いたというのです。その最後の部分を読みます。

 「将来憂慮すべきわが国の個人、家庭、社会、国家及び国際諸問題に対し、われらの使命のために努力し、神の国をあまねく東洋に建設せむことを期す。こいねがわくば主耶蘇基督、われを憐み用い給わらんことを。」(同書 30頁)

 森明は、教会員と共に伝道することを絶えず願い、そのために祈り尽力した牧師です。その起源は、十二人をまた七十二人を派遣しつつ「神の国はあなたがたに近づいた」と言わしめたイエス・キリストにあることは言うまでもありません。このイエス・キリストの愛が差し迫ってきて、溢れてくる。そこに伝道が生じるのです。  義務でやっているのではない。溢れてくるからやっているのです。

 ひとつのことを主に願う

 先週は2013年の最初の礼拝でした。私たちには詩編27編の御言葉が与えられました。「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう」という言葉です。この言葉は、私たちにとっては、「ひたすらに主を礼拝することを求めよう。この地上に到来した神の国である教会において、ひたすらにキリストを崇め、礼拝することを求めよう。主の食卓を囲みつつ、神の国が近づいていることを宣べ伝えて生きていこう」ということになるのではないでしょうか?
 私たちの礼拝の中で欠かすことが出来ないものの一つに、「主の祈り」があります。それは主イエスご自身の祈りだし、弟子として生きる私たちに祈るように教えてくださった祈りです。この先の11章に出てきます。

「父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
わたしたちの罪を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
皆赦しますから。
わたしたちを誘惑に遭わせないでください。」

 「御国」
とは「神の国」「神の国がこの地上に来るように。罪の歴史でもある世界の歴史の中に、神様の救済の現実が入ってきますように。一人でも多くの人々が、神の国を受け入れることが出来ますように。私たちの罪を赦してください。私たちが罪の赦しを与えてくださるキリストを宣べ伝える者となれますように。」
 私たちはこのことをひたすらに祈り、そして尽力していく神の国の住民です。

 小さな群れよ、恐れるな

 私たちは、この国にあって「小さな群れ」です。1パーセントにも満たない群れです。 原因の一つは、私たちの不信仰にあることは明らかです。一つのことだけを求めないで、あれもこれもと求める不信仰を抜け切れないのです。財布も袋も持たずに伝道することができないのです。神様が必要な糧を毎日与えてくださることを信じることが出来ないのです。何を食べようか、何を着ようかと思い煩うのです。
 そういう私たちに向かってイエス様は、この先の12章でこうおっしゃいます。

「信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」

 この言葉を信じるところに「平和」があります。「自由」があります。「喜び」があります。そして、「命」があるのです。神様は、その命を一人でも多くの人々に生きて欲しいと願っておられるのです。そのために、私たちは今日も礼拝に招かれ、そして遣わされるのです。どうして、その愛に応えないでいられるでしょうか。

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