「死んでいたのに生き返った」

及川 信

       ルカによる福音書 15章11節〜24節
   
15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

  召天者記念礼拝

 今日は11月の第一主日ですから、召天者記念礼拝として捧げています。カトリック教会や聖公会では、11月1日に歴代の聖人を記念する「諸聖人の日」の礼拝を捧げます。ケルト人の収穫感謝や悪霊祓いの祭りであるハロウィンが拡大しないように、10月31日の翌日に「諸聖人の日」が定められたという説もあるようですが、私にはよく分かりません。
 私たちが属するプロテスタント教会は、カトリック教会のような聖人崇拝をしません。聖書には、聖人崇拝信仰などないからです。日本人は、死んだら皆仏になる、神様になると思っている場合が多いですし、そういう仏とか神様が天国から自分たちを見守ってくれていると考えます。だから、ご先祖様を大事に祭らないと祟りがあると考えます。キリスト者になってもその点では少しも変わっていない場合もあります。葬儀礼拝においても、故人が今でも天国で地上を生きる私たちを見守ってくれていると語られたりすることがあります。素朴な感情としては分かりますが、聖書にはそういうことは記されていないと思います。
 私たちは今日、地上の生涯を終えて天に召された方たちを記念しつつ礼拝を捧げています。しかし、その方たちを聖人として崇めているのではありませんし、天から見守って貰いたいと願う訳でもありません。「召天者」とは、神によって罪を赦されて、天に召された者のことです。神様が、全精力を傾けて罪人である私たち一人ひとりを捜しだし、御子主イエス・キリストの贖いによって天に招いてくださったことを感謝し、賛美するのです。礼拝の対象は神ですし、記念するのはキリストの御業です。
 昨年の召天者記念礼拝から今日までに、逝去された教会員は二名です。1月にKMさんが47歳の若さで天に召され、二月にTYさんが102歳を目前にして天に召されて行きました。5月には佐古純一郎牧師が95歳で召されました。また、13年前に山本元子牧師の隠退に伴って国立教会に籍を移されていたYYさんのことも、今日は覚えたいと思います。YYさんは89歳を目前にした7月に召されて行きました。

  御言のために働いた人々

 私は、4年前の召天者記念礼拝からルカ福音書の説教を始め、今日で百十回目になります。一回目の説教題は「天に向っての歩み」です。ルカ福音書の書き出しはこういうものです。

「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。」(ルカ1:1〜2)

 「御言葉のために働いた人々」とは、教会史の中に名前が残る訳ではない無数の人々のことです。そういう無名の人々が、イエス・キリストの恵みを証しつつ天に向って歩むことで、教会の歴史は形成されているのです。私たちも同様です。私たち一人ひとりの歩みが、イエス・キリストの恵みの事実を証する物語なのです。その意味で、私たちキリスト者の歩みは「天に向っての歩み」です。死後は神なき世界である陰府に降る他ない罪人が、イエス・キリストと出会うことを通して悔い改めに導かれ、信仰を与えられて、神の家族に迎え入れられていく。具体的な経緯は皆異なるのですけれど、キリスト者の誰もがイエス・キリストを信じる信仰により、罪赦され、新たな命、御国に生きる「永遠の命」を与えられたのです。その命を、私たちは既に生きているのです。先ほど名を挙げた四名の方たちも、それ以前にキリストによって天に召されたすべての方たちも、いずれ天に召される私たちも、すべてその命を与えられて生きているのです。その命を生きるということにおいて、私たちキリスト者はすべて、「御言葉のために働いた人々」であり、イエス・キリストを物語る者たちなのです。

  悔い改めの根拠としての愛

 今日ご一緒にお読みする箇所は、「放蕩息子のたとえ」として有名な箇所です。既に10節までの譬話を二度に分けて読んできました。群れから離れて見失われた一匹の羊の譬えと、無くなった一枚の銀貨の譬えです。それぞれの譬話は、一匹を捜し出すと大宴会を開く「羊飼いの譬話」でもあり、無くした銀貨一枚を見つけると、その額の何倍もの費用が掛かる宴会を開く「女の譬話」でもあります。
 その二つの譬話のまとめの部分で、イエス様は「悔い改める一人の罪人については」「大きな喜びが天にある」とか「一人の罪人が悔い改めれば」「神の天使たちの間に喜びがある」とおっしゃいました。でも、私は、羊や銀貨が悔い改めて帰って来た訳ではないだろうと語ってきました。二つの譬話は、失われた者、つまり、既に本質的に死んでしまった者を憐れんで、ひたすら捜し出す神様の愛を語っているのだと思います。その愛が、罪人が悔い改める前提、あるいは根拠なのです。

  聴き手は信仰者

 今日の譬話においては、父親が遠い国まで行って、弟息子を捜し続ける姿は描かれません。弟息子が自分で父の家に帰って来るのです。この点が、羊や銀貨との違いです。そして、兄は家の近くまで来ますけれど帰って来ない。
 神の愛を語る羊や銀貨の譬話は、この兄と弟という二人の息子と父親の譬話に向って語られたものです。聴き手は、清く正しく生きていると自負するファリサイ派の人々と律法学者です。彼らは、徴税人や罪人と一緒に食事をするイエス様が気に入らないのです。何とかして、罪人たちを主イエスの仲間から排除したいと願っている。神の国の食卓から追い出したいと願っているのです。そういう彼らに向って、イエス様は弟の話だけでなく、兄の話もするのです。そのことを通して、見失われた羊、無くなった銀貨は誰のことなのか?羊飼いや女は誰のことなのか?捜し、見つけるとはどういうことか?を考えさせるのだと思います。それは当然、私たちキリスト者に対する問いでもあります。今日は、その前半だけを語ります。

  救い難い息子

 イエス様は「ある人に息子が二人いた」と語り始めます。この二人が兄弟であることは明らかですが、この兄弟が一緒にいる場面はありません。息子が二人いるけれど、二人が同じ食卓に着くことはない。この書き出しには、そういう雰囲気が漂います。
 弟は兄と共にこの家に居続ける気はありません。家督は兄が継ぎます。弟は兄の半分の財産を受け継ぐことになっています。だから、父の財産の三分の一ということになります。弟は、その財産を生前分与して欲しいと願うのです。それは生きながらにして父を殺すことでもあります。貰うべき財産さえ貰えれば、彼は家を出て遠い国に旅立ち、父と子の関係をもつ気はないのです。
 父は、弟の言葉、その時の表情、また声の調子によって弟が考えていることが分かったでしょう。でも、「父親は財産を二人に分けてやった」のです。もちろん、兄がその財産を自分のものとするのは、父が死んだ後です。ここでは、三分の二の財産を兄のものとして確定したということでしょう。一匹の羊を全力で捜し出して大宴会を開く羊飼いも、一枚の銀貨のために大宴会を開く女も実際にはいないのと同じように、ここに出てくる父親も、実際にはいないのです。

「下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。」

 財産には不動産だとか家畜とかも入っていたでしょうから、それを金に換えなければ、彼は出ていくことができません。彼にとっては、父の家を出ていくことが大事であり、金はその道具なのだと思います。だから、彼は無駄使いしてしまうのです。金そのものが大事なら、増やすために努力するだろうと思います。「全部を金に換えて」はある意味で良い訳だと思いますが、「すべてを集める」が直訳です。それに対して、「無駄使いをする」が「散らしてしまう」です。集めたものを全部散らしてしまう、ばら撒いてしまう。「放蕩の限りを尽くして」です。
 この言葉は、他の箇所では酒に酔いしれて「身を持ち崩す」とか、「ひどい乱行に加わる」とも訳される言葉で「救い難い」ことを表す言葉です。その放蕩の故に父の財産はまさにあぶく銭となり、またたく間に消えて無くなってしまいました。自分で苦労して稼いだものでなければ、その有難味が分からないのはいつの世でも同じことです。彼は、父が必死になって築いた「財産」が何であるかを知らないのです。それこそが、まさに救い難いことです。

  自由と責任

 彼が目指した「遠い国」とは、ユダヤ人から見れば異邦人世界のことであり救いの対象外なのです。それは、その地の人々が豚を飼っていることからも分かります。豚は、ユダヤ人が決して口にしない汚れた動物です。彼は父の財産を元手に一旗揚げようと思っていた訳ではなく、とにかく父の許から離れる、それも少しでも遠く離れることを願っていたのだろうと思います。そこに、自由があると思っていたのでしょう。そして、たしかにそこには自由があったのです。どのように生きてもよいという自由があった。それは破滅に向って生きる自由でもあるし、天に向って生きる自由でもあるのです。私たちは自由を求めますし、大人になれば自由が与えられます。そこにのみ責任が生じるからです。
 自由を行使する時、その行いの結果責任はその人にあります。親のせいでも先生のせいでもなく、女のせいでも蛇のせいでもない。どういう誘惑があったとしても、自分が園の中央にある木の実を取って食べたのですから、その行為に対する責任はその人にあります。他の誰も代わりようがないのです。そのことを知る。それは人間として大切なことです。だから、父親も息子の言いなりになったのかもしれません。自由を行使することでしか、人は自分が何者であるかを知ることはないからです。

  我に返る

 弟息子は、自分が今、全く庇護のない所に生きていることを知りました。誰も食べ物をくれないのです。飢饉ですから皆が飢えていたとしても、豚の持ち主が豚の餌を食べたいほど飢えていた訳ではないでしょう。しかし、誰も彼に食べ物をくれない。彼はこの国の人にとって同胞でもないし、いきなり大金をもって外国から来て、町で放蕩の限りを尽くしている若者の噂はすぐに広まったでしょう。そういう若者を評価する人間はいないし、身を持ち崩した姿を見れば、同情するよりも「それ見たことか」と思うのは当然でしょう。まさに見捨てられていくのです。
 そこまで落ちた時に、彼は「我に返った」のです。「我に返った」はよい訳だと思いますが、直訳は「自分自身の所へ来た」あるいは「行った」です。その上で、彼が自分自身に語りかける言葉の中には、重要な言葉が隠されています。

  わたしの あなたの

 前回、私は羊飼いが捜していたのは「一匹の羊」ではなく「わたしの羊」であると言いました。代わりがいない羊です。また、女が捜していたのも一枚の銀貨ではなく「あの銀貨」なのです。他の銀貨では駄目なのです。
 息子は「父のところでは」と言いますが、原文では「わたしの父のところでは」です。「ここを立ち、父のところに行って言おう」「わたしの父のところ」なのです。息子が我に返って気がついたことは、あの父親は「わたしの父」であるということです。自分の命の源としての父です。その父なくして自分の命など存在しないという意味での「わたしの父」です。その父の許では、雇い人たちも有り余るほどのパンを食べている。それは父が金持ちであることを表すだけでなく、父が誰に対しても憐れみ深く接する人間であることを暗示している言葉だと思います。
 しかし、彼も、息子として父の許へ帰ることができるとは思えません。「もう息子と呼ばれる資格はありません」「息子」「あなたの息子」です。18節以降の「息子」や「父親」という言葉には、原文では「あなたの」とか「わたしの」という言葉がついています。父と息子の人格的な関係が強調されているのです。弟は、自分と父は互いに掛け替えのない存在であることに気づいたのです。しかし、それはその人格的な関係を、自分で捨ててしまってからのことでした。

  愛の記憶

 しかし、「彼はそこをたち、父親のもとに行った」。この「父親のもとに行った」は原文では息子が「我に返った」とそっくり同じ言葉です。直訳すれば「彼自身の父親の所に行った」だからです。「我に返る」とは自分の父の許に帰ることなのです。けれども、その時には最早、父の息子である資格を失っているのです。自由を与えられた人間の誰もが経験する現実が、ここにあると思います。
 そのことに気付いた時、すべてを諦めるか、それでも帰ろうとするか。そこで人間は二手に分かれます。諦める人はいます。でも誰もが諦める訳ではないでしょう。その分岐点にあるのは、愛の記憶であり、想起だと思います。イエス様が、二人の息子の譬話の前に語った譬話では、人間にはない神様の愛が語られていました。どんな手間暇が掛かろうが捜し出す愛、見つけた時には損失を惜しまずに祝う愛、そういう愛で私たちは神に愛されていることを、イエス様はファリサイ派の人々や律法学者、また徴税人や罪人らに語りかけたのです。
 この愛を記憶しているか否か、思い出すことができるか否かが、絶望的な状況の中でも立ち上がって父の許に帰るか否かを決めるのだと思います。だから、イエス様は愛の譬話を二つ続け、少し唐突な形で「悔い改める罪人」に対する神様の喜びを語ったのだし、それは「二人の息子の譬話」をするための布石なのです。

  憐れに思い

「まだ遠く離れていたのに、(彼の)父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」

 「憐れに思い」
は腸を痛めるほどに愛することで、新約聖書の中では、イエス様の愛にしか使われない大切な言葉です。「お腹を痛めて産んだ子」という言葉があります。出産を経験した女性にしか分からない言葉ですが、自分を捨てた子を新たに自分の子として迎え入れるのは、単なる太っ腹のなせる業ではありません。腸が捻じれ、血が吹き出るような痛みを伴うものなのです。その憐れみに突き動かされるようにして、父は家の外に出て、息子に走り寄ります。ということは、この父親は毎日窓辺に立って、「今日は帰って来るか、今日は帰って来るか」と外を見つめつつ待っていたのです。息子が父を見つけるよりも前に、父は息子を見つけたのですから。

  死んでいたのに生き返った

 息子は、我に返った時に自分自身に語りかけたように、こう言いました。

「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう(あなたの)息子と呼ばれる資格はありません。」

 そこまでで、彼の父には十分でした。弟息子は「かつての私は、あなたの息子として至りませんでした。しかし、これから頑張ります。チャンスをください」と言ったのではありません。自分の中にはまだ息子として生きる可能性があると思い、それを父に見て欲しいと願っている訳ではないのです。彼の中には何の可能性もないのです。そのことを彼は我に返ることで、そして自分の父の所に帰ることで、そして父に抱き締められ、接吻されることで知ったのです。死んだ者には何の可能性もありません。死ぬとは、そういうことなのです。
 父が息子に知って欲しかったことは、そのことだと思います。自分の中には、子として生きる資格など全くない。自分は父を殺し、そのことにおいて子としての自分の命を殺してしまった。そのことを知る。人間が知るべきことは、そのことなのではないかと思います。息子がそのことを知った。知ったが故に帰って来た。だから父親は、最高級のもてなしをすることを命じつつ、こう言ったのでしょう。

「この(わたしの)息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」

 「死んでいた」
はネクロスという言葉で、ルカ福音書の中には何回か出てきます。七章では、やもめの一人息子が納められた棺が墓に運ばれる葬列にイエス様は出くわします。その時、「主はこの母親を見て、憐れに思い」、棺に手を触れつつ、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と語りかけるのです。すると「死人は起き上がってものを言い始めた」とあります。死人を生き返らせるのは、主の憐れみ、主の愛なのです。
 ネクロスが出てくる箇所には必ず「生き返る」とか「復活する」という言葉が続くのです。その極めつけは、イエス様の復活の場面です。

  死んでいる人間

 イエス様の十字架の死から三日目の日曜日の朝、イエス様に従ってきた女たちは、イエス様の遺体に香油を塗るために墓に行きました。すると輝く衣を着た二人の人が現れて、こう言ったのです。

「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」(ルカ24:5〜7)

 女たちは、この時、「イエスの言葉を思い出した」とあります。そして、隠れ家に隠れている弟子たちに一部始終を知らせました。そこには深い畏れと喜びがあったと思います。でも、弟子たちは、女たちの言うことを信じませんでした。思い出すことができなかったのです。その時、弟子たちは死んでいるのです。
 「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言ったペトロを初めとした弟子たちは、皆、イエス様と一緒に死ぬことではなく、イエス様から逃げて生きることを選んだのです。それまで与えられていた愛を放り出し、愛によって与えられていた弟子としての命を放り出してしまった。それも、彼らの自由です。私たちは、そういうことをするのです。神様から「決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と言われていた木の実を食べるのです。賢く生きるためにです。
 私たち人間は、神の許を離れて生きることが賢いと思うのです。今の日本で、「私は神様を信じています」と言えば、「理性を捨てた愚かな人」とか、「よほど罪が深い人」とか見られるだけでしょう。信仰を与えられる前の私たちもそうでしたが、多くの人が、神を信じることは愚かさとか弱さの故だと思っているのです。あるいは、神様を信じることは理性を殺すことだと思っている。実際には、そんなことはありません。むしろ刺激され、覚醒されるのです。しかし、神様は、神様を否定し、拒否する自由を私たちに与えているのです。自由がなければ罪もないし、悔い改めもないからです。人が悔い改めて、神の許に帰るとすれば、それはその人に与えられている自由の故です。

  思い出す

 天使は女たちに「思い出しなさい」と言い、女たちは思い出しました。失意のどん底に落ちつつ墓に向った女たちは、イエス様の言葉を思い出すことによって喜び勇んで墓を後にしたのです。
 悔い改めるとは、思い出すことから始まります。死んでいた人間が生き返るのも、思い出すことから始まるのです。父がどういうお方であるか、何をしてくださったのかを思い出すことに始まるのです。
 12節と13節に「財産」という言葉が三度も出てきます。息子が求めたのは父の「財産」です。でも、「父親は財産を二人に分けてやった」「財産」はビオスという言葉で、「一生」とか「生涯」とも訳される言葉なのです。弟は財産を求めたのだけれど、父は自分の生涯を与えたのです。自分の命を与えた、と言ってもよいでしょう。30節で兄は、「あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来た」と言うのですが、その「身上」もビオスです。父は、自分自身の生涯を息子たちに分け与えるのです。財産の中に父の命が込められているのです。でも、二人の息子は、そのことの意味が分かっていません。兄は、この時も分かっていないのです。
 弟は自分自身の所へ帰った時に、父を思い出し、父の許にいた時の自分を思い出しました。そして、父が自分に何を分け与えてくれたかが分かったのです。財産に託されているものが何であり、父がどういうお方であるかが分かったのです。だから、彼は「彼自身の父の所へ帰った」のです。しかし、父の息子としてではなく、一人の罪人として帰った。自分自身の中に些かの希望も見出せない死人としてです。でも、その死人としての自分を、丸ごと父の腕に委ねる。すべての裁きを委ねた時、父は彼を「わたしの息子」と呼び、「死んでいたのに生き返った」と言ってくださるのです。

  記念(想起)としての聖餐

 今日は召天者記念礼拝であり、同時に月の第一主日ですから、洗礼を受けた者たちは聖餐式に与ります。まだ洗礼を受けておられない方は、自分自身が帰るべき所はここにあることを感じとって頂ければと願っています。
 その聖餐式の度に読むのは、コリントの信徒への手紙一に記されている主イエスの言葉です。主イエスは、弟子たちとの最後の晩餐の席でパンを裂き、杯を回しながらこうおっしゃいました。

「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい。」
「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい。」
(Tコリント11:24、25 口語訳)

 「記念とする」とは「思い出す」ということです。私たちは、忘れるからです。どれほど愛されているかを、すぐに忘れる。だから、礼拝で神様の言葉を聴く度に、神が私たちをどれ程強く愛してくださっているかを思い出さねばならないのだし、聖餐に与る度に神がご自身の独り子をさえ惜しまずに与えてくださった愛を思い出し、「御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る」ことを思い出さねばならないのです。そして、主イエスは死人の中から甦り、今日も私たちの直中で生きており、腸を捩るような愛で愛してくださっていることを確信するのです。その愛を信じる時、死人は生き返るのです。その信仰の故に罪赦され、主イエスの復活の命に与るのです。だから、この聖餐の食卓は、なによりも死んでいた者が生き返ることを神様が喜び祝う食卓なのです。この食卓に与ることを通して、私たちは遥かに天を見上げることができ、心新たに天に向って歩むことができるのです。ルカ福音書の最後は、イエス様の昇天の場面なのです。
 既に天に召された兄弟姉妹も皆、地上にいる時にこの祝いの食卓についたのだし、その度に、救われしすべての兄弟姉妹と共に御国で祝う日を遥かに望み見つつ天に向って歩んだのです。だから、私たちも後に続くのです。

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