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平和を実現する人々

             及川 信

                         マタイによる福音書 5章9節            

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」

 戦後六十九年が経ちました。その間にも、世界各地で戦争があります。幸い、日本人が戦場で殺したり、殺されたりはしないで過ごしてきましたが、第二次世界大戦が終結後も、世界各地ではイデオロギーの対立や民族、宗教、人種の対立による理不尽な戦争や内戦、テロ行為と権力による弾圧が繰り返されています。
 そういう争いの根底にある一つのことは、格差とか不平等の現実だと思います。人種、民族、国籍、宗教などの違いが経済的な格差を生じさせています。富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなる。そして、貧しい者の命は富める者の命よりも軽く扱われる。そういう差別が蔓延している。これは否定しようのない事実だと思います。
 そういう格差、差別を産み出すのは人間の心です。どんな経験をしても、その心が変わらないかぎり、世界の現実は変わらないのかもしれません。ノアの時代、神様は地上のあり様を見て、「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」とあります。この箇所が書かれたのは、今から二千数百年前のことです。その後、全世界を滅ぼす洪水が起こります。
 その洪水の後に、ノアが箱舟から出て最初にしたことは、大地を耕して種を蒔くことではありませんでした。彼は、真っ先に祭壇を築いて、清い家畜と清い鳥を焼き尽くす献げ物として祭壇に捧げたのです。罪の赦しを乞い求めて犠牲を捧げる礼拝を捧げたのです。
 その犠牲の香りを嗅いだ、主は、その心の中でこう言われるのです。

「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」(創世記八・二一)

 「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」
 洪水という未曽有の大惨事を経験しても、人の心の思い、その悪は変わらない。それは、たしかに歴史が証明している事実でしょう。しかし、変わることなき悪を内に抱えている人間の一人であるノアは、その悪を自覚したからこそ、罪の赦しを求めるための犠牲礼拝を捧げたのです。罪の赦しを求める人によって犠牲が捧げられる。ただ、そのことにおいて、主は、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」と宣言され、ノアとその家族たちを祝福して、新しい歴史を始めることをお許しになったのです。この犠牲礼拝によって、神様に敵対していた人間は、神様によって和解を与えられたのです。そこに「平和」の基礎があります。
 この神様との和解、つまり、神様の御前に己の罪を悔い改めること抜きに、私たち人間同士の和解などあり得ようはずもありません。そして、実際にないのです。すべての人が、エゴイズムとかナショナリズムを超える思想とか信仰を与えられないかぎり、互いに和解する平和の道を見いだすことは不可能だと思います。
 コロサイの信徒への手紙には、こうあります。

神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。      (コロサイ一・一九〜二一)

 私たちは誰でも、何人でも、「神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していた」のです。しかし、神にとって敵である私たちのために、神は御子イエス・キリストという完璧な犠牲を捧げてくださった、というのです。この犠牲として捧げられたイエス・キリストを信じる。我が罪の赦しのために血を流して、神様との間に、平和を打ち立ててくださったと信じる。罪を悔い改めて信じ、洗礼を受ける時、私たちは神様と和解することができ、ただその時にのみ、人間同士の和解の道が開かれるのです。
 パウロは、その先にこう続けます。これは、私たちキリスト者に向けての言葉です。

互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。 (同三・一三〜一五)

 戦うべきは罪であって人ではない。敵は罪であって人ではない。私たちが互いに敵対し、憎み合っている姿を見て勝利の雄叫びを上げているのは罪なのです。罪に勝利させてはならないのです。だから、私たちはいつも新たに主の十字架の死と復活によって与えられている罪の赦し、新しい命の福音を聴き、信じ、感謝し、喜び、賛美し、互いに愛し合うことで一つの体、キリストの体を形成していくのです。そこにキリストが打ち立ててくださった平和があるからです。その平和を新たに知らされ、与えられた私たちは、今、「平和を実現する者たち」として派遣されるのです。キリストの平和を心に受け入れながら、真の敵に勝利しつつ歩めますように、祈ります。
 (二〇一四年八月十五日 平和祈祷会奨励要旨)
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