神にできないことは何一つない(再録)

              及川 信

 クリスマスが近づいています。心を合わせて、クリスマス(キリスト礼拝)への備えをしたいと思います。
 キリストが降誕する。人から神の子が生まれる。それは本来あり得ないことです。実際、歴史上ただ一回だけ起こったことであり、二度と起こらないことです。しかし、そのとんでもないことを自分の身で経験することになったのが、まだ幼さの残る娘であったマリアです。彼女はヨセフの許婚でしたが、まだ結婚はしていませんでした。しかし、その彼女が突然天使の来訪を受け、聖霊によってその身に男の子が宿ることを告げられるのです。その時のマリアの困惑、身が震えんばかりの困惑は、いくら想像しても、捉えることが出来るものではないと思います。その時、マリアに語られた最後の言葉、それが「神にできないことは何一つない」です。
 しかし、これと同じ言葉を、歴史上最初に聞いたのはアブラハムであり、その妻サラでした。サラはマリアとは反対に、既に結婚しており、もう百歳にならんとする夫をもつ高齢の婦人でした。そのアブラハムとサラの所に神の使いが突然来訪し、「来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、その頃には、あなたの妻サラに男の子が生まれているでしょう」と言ったのです。サラは天幕の入り口でその言葉を聞いていましたが、ひそかに笑ったのです。何を愚かなことを言っているのよ!? ということでしょう。無理も無いことです。
 その時、主の使いは、アブラハムにこう言ったのです。
 「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子どもが生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」
 サラは、恐ろしさの余り笑ったことを打ち消しましたが、「いや、あなたは確かに笑った」と言われてしまいます。実は、それ以前に、アブラハムも同様のことを言われた時にひれ伏しながら笑ったのです。それで、生まれる子は「イサク」(笑い)と名付けられることになったのです。
 人間が笑った神様の言葉は、しかし、実現しました。約束通り、彼らの間に男の子が誕生したのです。その時、サラの笑いは、不信仰による嘲りの笑いではなく、神を賛美する笑いへと変えられていったのです。
 彼らは、突然の神の来訪と約束の告知によって激しく困惑させられながら、しかし、誤解を恐れずに言えば、強引に信仰を与えられた者たちです。
 その信仰のことを、パウロはこう言っています。
 「彼(アブラハム)は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。」(ローマ書四章二〇節〜二一節)
 クリスマスの出来事、それはアブラハム以来の約束の実現です。マリアに告げられたことは、神は必ず約束を実現して下さるお方だということなのです。
 その徴として、彼女は老齢のエリサベトの妊娠の事実を知らされました。そして、エリサベトの身にヨハネが宿っていることを知ったその時、彼女は喜びに溢れてこう賛美したのでした。

 「わたしの魂は主をあがめ、
 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 主は、その僕イスラエルを受け入れて、
 憐れみをお忘れになりません、
 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」


 この神様の愛と真実を知らされることに優る喜びはありません。私たちと私たちが作り出す世の中に真実なものなどどこにもありません。すべては儚く消えていくものです。これが真実だ、永遠に変わることのないものだ、と言えるものはありません。「草は枯れ、花は散る」のです。「しかし、主の言葉は永遠に変わることはない」(一ペトロ一章二四節)のです。そして、その言葉は必ず実現します。そのことを信じることが出来る幸い。それが私たちに与えられた幸いです。
 神が「光あれ」と言われれば光はあります。その命の光として、イエス・キリストが闇の世に生まれてくださいました。そして、その光は真昼なのに暗闇が覆う十字架の死の時にかき消されたかに見えました。しかし、最も闇が深まるときにこそ、光は輝いているのです。主イエス・キリストの十字架の死は、即、復活の命です。罪と死の闇の中に輝き決して消えることのない光なのです。その主イエスが、私たちの間に宿られた。聖書は、私たちにそう告げている。その神の言葉に対して、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」とマリアと同じく応答できる者は幸いです。  「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカ一章四五節)
 クリスマスは伝道の季節でもあります。天使たちから信じがたい知らせを聞き、ベツレヘムの厩まで出かけた羊飼いたちは、「見聞きしたことが、すべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」とあります。私たちが毎主日、キリストの現臨に触れる礼拝に集まった後、それぞれの生活の場に、賛美を持ち帰ることが伝道となるのです。愛する家族をはじめ、一人でも多くの方に、神様の愛の真実を伝えることが出来ますように。そして、共に賛美することが出来ますように、祈ります。
【及川信牧師休養中のため、会報五四二号(二〇〇八年十一月三十日発行)所載の巻頭言を再録しました。】


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