慰めよ、わたしの民を

      及川  信

イザヤ書 40章 1節

 慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる。

 いよいよ私が会報の巻頭言を書くのは最後になりました。私は二〇〇一年四月に赴任を許されましたから、十六年間お世話になったことになります。赴任した当時、私は四〇代半ばでしたけれど、今は還暦を迎えました。地方の家族的な教会の癖がなかなか抜けず、その当時の会員の皆様には随分とご迷惑をお掛けしました。最近は病気だ、入院だ、リハビリだと、皆さまにご心配やご迷惑をお掛けして、本当に申し訳なかったかと思います。お赦しください。
 この十六年間、「中渋谷教会は何であって何でないか」を長老会と議論しましたけれど、繰り返し言ってきたことは、「牧師の交代」と「新会堂を建てること」、その二つが「教会は何であるか」を知る最たるものだということです。すべては良き長老、良き会員、良き後継者があってのことです。今回、私の思いがけない病気や長期入院がきっかけになって、そのすべてが実現することになりました。
 赴任後すぐに「私の信仰と生活」を自由に提出して頂き、高齢の会員の方たちの訪問(時に聖餐訪問)をすることを始めました。それが私の最初の仕事で、ずっと続いたことです。
 最初の三年間は様々な「規定」や「規則」を作って頂きました。中渋谷教会はそれまで「記憶」の教会でした。八十有余年で牧師は四代で全員元は会員でしたから出来たことです。でも、長老たちも替わってきましたし、私は五代目で初めて外から来た牧師です。記憶ではやれません。だから、中渋谷教会を成り立たせてきたものと時代と共に変わっていくものを峻別して、『長老必携マニュアル』を作成し、教会規則や宗教法人規則などを作り、長老会の議事を整えて頂き、一〇年間の会計の体系を作って頂きました。牧師も長老も会員もその規定、規則を守ることに於いて、「記憶」から「記録」の教会になっていき、一つの教会を目指すようになってきたのです。礼拝の「こころと形」に関しても学び始め、次第に現在の式次第が出来上がってきました。
 次第に教会形成の準備が出来たので、二〇〇四年度から十年間を目指し「神の家族」を形成し、「顔の見える伝道と牧会」を目指すことを柱とする「伝道のための教会ヴィジョン」を作りました。そのヴィジョンには、暗に神学校や年金局への責任、日本聾話学校と中渋谷教会との関係も入っていました。
 そのヴィジョンを出した頃から、桜丘地区の再開発、渋谷駅の再開発、そして会堂移転などの話が始まり、長老会で今後の教会のあり方を何度も話し合ってきました。それが二〇一四年度からの第二のヴィジョンに現れてきています。
 第二のヴィジョンは、第一と同じく会報に毎回出ています。そこにも「礼拝」「神の家族」が出てきます。教会の使命は変わらないからです。それは「伝道」なのです。その「伝道」を優れたキリスト者個人が担って来たのが嘗ての中渋谷教会です。もちろん、私はそんな人間ではありません。第一のヴィジョンから「神の家族」という共同体が「伝道の主体」になりました。そして、「伝道の目的」も優れた個人を造り出すことではなく、一人ひとりを「神の家族」の一員に招くことになっていったのです。
 「聖餐の食卓を中心に教会形成をする」修養会を何年も続けたのも、その頃です。同時に、全体交流会やキャンドルライトサービスを、子どもまで含めた中渋谷教会形成のために用いました。
 その「新たな伝道」の業を「新会堂」を用いてなすのが、これからの中渋谷教会です。その仕事は、私には到底出来ないことで、新しい牧師を中心に皆さんがやってくださるに違いありません。
 来年度は、大住雄一主任代務者と長老会が教会の中心的機能を担うことになります。大住先生は、この四月から東京神学大学の学長になり、ますますお忙しくなります。皆さんのご理解とお手伝いが必要になります。最初は何かと不便なこともあると思いますけれど、そのことを通して、中渋谷教会は更に「神の教会」としてますます前進し、再来年度に備えるでしょう。楽しみです。
 神学校を出てから、自分はどういうタイプの伝道者になるのだろうと思っていました。
 最初の任地(東京)では、牧師の資格を取る直前に(二年)既に決まっていた単立教会(松本)に行くことになりました。そこでは、十五年お世話になりました。礼拝出席は若い人を中心に倍増し、恩師の講演を出版したり、建築もしましたが、なにより「日本基督教団」に加入する準備をしました。しかし、手続きだけを残す段階で中渋谷教会への異動が突然決まったのです。
 中渋谷教会は、来年度には百周年を迎えます。私は九十九周年までです。その間に、礼拝出席者の三割から四割は入れ替わり、来年度は、私の赴任以前の長老はその使命を終え、女性が増えました。来年度は全く新しい長老会です。私は、柄にもなく西南支区のことや大学にも関係し、大住先生のご紹介で中渋谷教会における説教を何冊も説教集として出版することになりました。
 こうやって見てみると、私は時代の変わり目の牧師であり、私がひっくり返っても出来ないことが出てくるまで仕事をする牧師のようです。期間は十五年前後なのでしょう。
 でも、教会の使命が「伝道」であることは変わりません。その「伝道」とは、神に背を向けて生きる人間の罪を指摘し、その罪を赦すために十字架で死に、復活したイエス・キリストを人々に紹介することに尽きます。教会は、これからも罪の赦しとしての「慰め」を語るのです。そのことだけは、忘れないでいてください。色々とご迷惑を掛けましたけれど、楽しく、有意義なことも沢山ありました。十六年間、本当に有難うございました。



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