教会同士で祈り合うということ

      大住 雄一

ローマの信徒への手紙 15章25節〜29節

このまま事柄が進めば、私が会報の巻頭言を書くのは、これが最後になる。新年度に会報が月刊になるのか季刊になるのか、それは中渋谷教会に転任して来られる本城仰太牧師が、長老会と相談してお決めになる。いずれにせよ、次号巻頭言は、本城先生がお書きになる。今年度は、私の遅筆を長老会でご心配下さり、年三回発行ということになったのである。大変ご迷惑をおかけしたが、能力の問題だから、御忍耐、ご寛恕頂くしかない。
○ 神の伝道計画
 今回ご紹介するローマの信徒への手紙 15章25?29節は、本来、エルサレムのユダヤ人教会と、ギリシア(マケドニア州とアカイア州)の異邦人教会の関係を論じて、後者が前者を献金によって支えるのは当然であるとしたものである。というのは、エルサレム教会は、聖霊降臨によって初めに成立した教会、つまり伝道というものの始点にある教会であり、マケドニアやアカイアの異邦人伝道も、エルサレム教会の決定に促されたものである(使徒言行禄 2章、15章、16章 6?10節)。つまり、異邦人教会はエルサレム教会の霊的なものに与って成立したのであり、そうであるなら、エルサレム教会の困窮の折に、自発的に喜んで支えて当然であった。そのようにして教会は、互いに支え合って一つなのである。
 使徒パウロは、世界の都ローマに行こうとして、予めローマの信徒たちに手紙を書き、救いの最も重要な所、すなわち信仰義認を明らかにしている。ローマは、使徒言行録に言う所の「地の果て」であって、主の命令による伝道の目的地であった。パウロ自身、地中海の東半分の伝道は終わったと認識し、伝道の一区切りとしてローマに行こうとしている(ローマの信徒への手紙 15章18?19節 イリリコン州は、ギリシャの西部で、もうひとつ海を渡れば、ローマの直轄地イタリアである)。しかしローマに到達するに先立って、まずエルサレムに行こうとしているのだ。
 それは、異邦人教会の献金をエルサレム教会に持参するためであった(ローマの信徒への手紙 15章25?28節)。しかし同時に、エルサレムから始まって、「地の果て」ローマに至る伝道の筋道を、パウロ自身がたどるという意味があったはずである。
 ところでこのエルサレムからローマへという筋道は、パウロにとって大きな意味があったとはいえ、彼の計画が思い通りに実行されたというものではなかった。まずエルサレム行きは、殉教覚悟で「行かねばならない」ものであった。仲間たちもパウロに進言して、思いとどまらせようとしたのである(使徒言行録 21章 9?14節)。エルサレムでは心配されたとおり、パウロは異邦人を神殿に入れた廉で捕えられ、殺されそうになる。しかし不思議なことに、彼はローマの軍隊によって、命を守られ、彼らに護送されてローマ行きを果たしたのである。それは、彼の計画を越えたこと、まさに神の隠された計画が実現したものと言う他はない。
○ 霊的なものに与ったのだから
 ご紹介したのは、ユダヤ人教会と異邦人教会の一致を論じる聖句なのだが、「その人たちの霊的なものに与ったのだから、肉のもので彼らを助ける」という言葉は、今の私たちの国で、農魚村の教会と都会の教会の間の一致と互いの支え合いのことに当てはめることができる。農漁村の教会は、しばしば苗床教会と呼ばれる。教会員の子女やその地方の少年たちを、教会が養い育てる。そうした少年たちは、高校生になり大学生になると都会に出て行ってしまう。都会の教会は、そうして育てられた人たちの恩恵を受けることになるが、農漁村の教会では、折角育てた人たちが都会の教会に出て行ってしまい、自分たちの教会を支えるようにならない。まさに苗床の教会である。都会の教会は、農漁村の教会から、霊的なものを受け、それで育って行く。農漁村の教会は、自分たちの育てた信徒が、都会の教会で花を咲かせ実を実らせることで満足するという「全体教会」を信じる信仰がなければ、伝道もできないのである。他方都会の教会は、「生え抜き」の教会員もいるけれども(中渋谷教会は「生え抜き」の信徒が多いほうだと思う)、多くの農漁村出身の信徒によって支えられ、育てられている。「霊的なものに与った」のである。そうであるなら、私たちは肉のもので農漁村の教会を助けるのは当然である。自分が養われるだけではなく、むしろ他者を助けることで一つなる「全体教会」に仕える者となる。それで初めて教会は教会になる。
それだけではない。今回私たちは、松本東教会から本城仰太先生を贈って頂いて、教会形成に励むことになる。自分たちの中で互いに育ち合ってきた本城先生を送り出すのには、どれだけ深い祈りがあったことであろう。そのようにして松本東教会は、教団という「全体教会」に仕える、本当の教会であり続けて下さったのである。我々中渋谷教会も、松本東教会の祈りに答え、松本東教会のために祈り続け、教団という全体教会に仕える本当の教会になりたい。




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