「試練」を乗り越えて

      本城 仰太


◆中渋谷教会が新たな牧師を迎えた今この時に、問われていることがあります。中渋谷教会は三年半にわたる「試練」を経験しました。及川信先生が病に倒れられ、大住雄一先生を「代務者」としてお迎えしましたが、教会に存在すべき「主任牧師」が不在だった三年半の期間のことです。この期間を「試練」として受けとめる。この「試練」という言葉は、長老による祈りの中でも聞かれますし、教会の何気ない会話の中でも聞かれることがあります。私もその言葉を聞いて、この期間の歩みを「試練」として受けとめてきたことがよく分かりました。そして「試練」だったとは、まさにその通りでしょう。しかし教会として考えたいことがあるのです。この三年半が過ぎ去って、「めでたし、めでたし、新しい牧師が来たし、これからはもう大丈夫だ」では済まないと思います。「試練」を乗り越えたならば、試練を経た者として、試練の前後で何かが変わっているはずです。中渋谷教会として何が変わったのでしょうか。赴任してきた私も、まだその問いに答えを出すことができません。なぜなら、どのように変わったかということは、今後の歩みが問われているからです。御言葉を聴きながら、教会としてその答えを見出していく歩みを、中渋谷教会は始めたことになります。
◆中渋谷教会からの招聘の話と共に、私のところに「招聘状」が送られてきました。招聘状には、牧師を招聘するにあたり、中渋谷教会として大事にしていることが書かれています。その二番目にこうありました。「原則として連続講解説教をしていただきたい」。こういうことを招聘状の中に書いてくる教会もなかなかないと思います。中渋谷教会がそのような説教に生かされてきたことがよく表れていることとして受けとめています。その招聘状に応えるように、マルコによる福音書の連続講解説教が始まっています。新約聖書には四つの福音書がありますが、どの福音書でも共通のテーマがあります。「イエス・キリストはどなたか」ということです。マルコによる福音書は四つの福音書の中で最初に書かれたと言われています。短い言葉で、しかし的確な言葉で、救い主イエス・キリストを証ししている福音書だと思わされています。その福音書を通して、神が今この時、中渋谷教会に何を語っておられるのか。私たちの教会がこれまで変わらずに大事にし続けてきた「御言葉を聴き続けること」によってイエス・キリストのお姿を仰ぎ、礼拝を献げていきたいと願います。
◆長老制度の教会においては、牧師を「宣教長老」、信徒の長老を「治会長老」と呼ぶことがあります。牧師もまた長老会の一メンバーです。この言い方で言えば、昨年度と比べ、一名の宣教長老と三名の治会長老が変わって新しい長老会が組織されたと言えるでしょう。一五名の長老のうち、四名が変わったわけですから、数としては大きな変化でしょう。しかしそのように長老会のメンバーが変わったからと言って、特に牧師が変わったからといって、何かが突然新しく変わるわけではありません。私もそうですし、長老会全体としても、「これまでの歩みを原則として踏襲していくこと」が基本姿勢になると自覚しています。
◆礼拝に来ることができなくなっておられる方々のところへの訪問を始めています。よく言われることですが、訪問を受けた側よりも訪問をした側の方がかえって励まされるものです。特に久しく聖餐に与っていなかった方に、聖餐をお届けすることができた喜びは、私としても大きなものです。牧会委員会によって週報や説教原稿をお届けすることもなされていますが、それと同時に、多くの方々のところにお届けすることができるように願っています。今後の中渋谷教会としても、牧会の体制を整えていくことが早急の課題となるでしょう。御言葉と聖餐を届ける業を大事にしたいと思います。
◆今年は教会設立101年目の歩みになります。100年史の発行も大詰めになってきました。毎週のように、遅くまで100年史編集会議の方々が校正の作業にあたってくださっています。私も原稿を読ませていただいていますが、過去の中渋谷教会の歩みをつぶさに知ることができ、牧師として赴任したばかりの私にとって、なんとも有難いタイミングだと感謝しています。また、6月10日には、昨年行うことのできなかった100周年記念の「礼拝とオルガン・コンサート」を行います。礼拝、コンサートに多くの方々が来られることを願っています。オルガン・コンサートは、教会がパイプオルガンのことでお世話になっている廣野嗣雄先生が演奏してくださいます。午前中の礼拝は「伝道礼拝」です。もちろんこの日だけに限らず、伝道する教会として歩んでいきたいと願っています。
◆教会学校の礼拝の出席者は少ない状況が続いていますが、教会学校の業を教会としても大事にしていきたいと思っています。中渋谷教会に連なる子どもたちのリストを見させていただきました。実に多くの子どもたちがいます。中渋谷教会が伝道しなければならない子どもたちが大勢いるということです。ぜひ教会学校の礼拝や行事に子どもたちをお誘いください。子どもたちへの伝道は、その親の世代への伝道にも直結します。
◆最後になりますが、「会報」の巻頭言を今後どのように書いていくか、思案中です。今回は5月の定期総会の「巻頭言」の内容を膨らませる形で書きました。かつては説教(の要約)のような形で載せられていたこともあったと思いますが、厳密に言うと、説教を要約したものは、あくまでも「説教の要約」であって、もはや「説教」ではないと思っています。説教は教会からの印刷されたものやホームページをご覧いただければと思います。「巻頭言」については試行錯誤が続くと思いますが、中渋谷教会を建て上げる言葉を綴ることができればと願っています。


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