「イエスに触れる」

本城 仰太

       マルコによる福音書  3章 7節〜12節
       創世記 28章10節〜22節
28:10 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。
28:11 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
28:12 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
28:13 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
28:14 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
28:16 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
28:17 そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」
28:18 ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、
28:19 その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。
28:20 ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、
28:21 無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、
28:22 わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」

3:7 イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、
3:8 エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。
3:9 そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。
3:10 イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。
3:11 汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。
3:12 イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。

1.「イエス」
 本日の説教の説教題を「イエスに触れる」と付けました。説教題をつけるのは、苦労のいることです。説教の準備をする前から付けなくてはなりません。場合によっては、こういう説教題を付けていたけれども、説教題を変えたくなる思いになることもあります。
 今日の聖書箇所は、主イエスに触れることが一つのテーマになりますので、こういう説教題を付けたわけですが、「イエスに…」と付けました。「イエスに…」ではなく、「キリストに…」「イエス・キリストに…」「主イエスに…」と付けてもよかったわけですが、敢えて「イエスに触れる」と付けました。
 私たち教会に集う者たちは、主イエスを救い主であると信じている者たちです。私たちにとって特別なお方です。その特別なお方をどのようにお呼びするか、このことは私たちにとって大切な問題です。人のことをどう呼ぶのか。このことは、その人との関係や、その人に対する自分の態度が表れることでもあります。
 私が教会生活において、昔から絶えず問われ続けたことは、主イエスのことを呼び捨てで呼ぶことができるかということです。教会学校の生徒だった頃、私も友だちもそうだったと思いますが、主イエスのことを「イエスさま」とお呼びしました。決して「イエス」と呼び捨てにはしない。なんとなくそういうものだとわきまえていたところがあります。教会学校の先生たちも、決して「イエス」とは呼ばない。「イエスさま」と呼んだり、「イエスさま」とすら呼ばずに子どもたちの前でも「主イエス」と呼ぶ先生もいました。私がだんだんと大人になるにつれて、私も「主イエス」と呼ぶようになる。そういう歩みを続けてきました。
 「イエス」という呼び捨てではなく、きちんと「主イエス」とお呼びする。あるいは「イエス・キリスト」とお呼びする。「イエス・キリスト」というのは、「イエス」というお方が「キリスト」、元来の意味では「油注がれた者」という意味ですが、「救い主」という意味です。つまり、「イエス・キリスト」という呼び方の中には、イエスというお方が私の救い主である、という意味が含まれている呼び方になるのです。
 それに対して、私などはほとんどしませんが、場合によっては「イエス」と呼ぶ場合もあります。これはどういう場合かと言うと、主イエスの人間面を表す際に使われる呼び方です。例えば「イエスの教え」という言い方があります。主イエスが倫理道徳的な教えを語っておられる、そういう道徳の教師としての「人間イエス」を表している呼び方です。あるいは「イエスの生涯」「イエスの系図」と言った場合も、人間的な生涯の歩みや人間的な親子関係を表しているということになります。
 今日の説教の説教題は、「イエスに触れる」です。主イエスのことを呼び捨てにする説教題を、私がほとんど付けることはありませんが、今日は敢えてこういう説教題にしました。なぜこういう説教題にしたか。それは、本日、私たちに与えられた聖書箇所に、物理的に主イエスに触れることが記されているからです。「人間イエス」に触れるということをどう考えるか、そういう説教題です。

2.触れられなかった群衆
 本日の聖書箇所には、群衆が主イエスのところに押し寄せてきます。「イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。」(七〜八節)。
 聖書の後ろにある地図などを見ますと(分かりやすいのが「六.新約時代のパレスチナ」)、ここに出てくる地名は、かなり広範囲にわたっていることが分かります。ガリラヤはもちろん、ユダヤ、南の方のエルサレム、さらにその南のイドマヤ、ヨルダン川の向こう側というのは東側の方です。ティルスやシドンというのは、北方の港町です。そこから人々が大挙してやって来たわけです。
 主イエスはどうされたか。「そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。」(九節)。小舟に乗って群衆とは物理的な距離を取られたのです。「群衆に押しつぶされないため」という理由が書かれていますし、さらにこう続きます。「イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。」(一〇節)。
 今日の聖書箇所の言葉を注意深く読みますと、実は主イエスは癒しを行われていないことが分かります。群衆は癒しの噂を聞きつけて、主イエスに触れようとします。しかし少なくともこの聖書箇所に書かれている言葉からすると、癒された人は一人もいません。
 先週の聖書箇所において、主イエスは「手の萎えた人」を癒されました。安息日に一人の人の手を癒した、その癒しの出来事が記されています。しかし今日の聖書箇所以降、しばらく主イエスは癒しをなさいません。少なくとも聖書の記述としては、癒しの話は記されていません。弟子を選ばれたり、論争があったり、譬え話や教えを語られたり、そういう出来事が続いていきます。そして次に癒しの出来事が記されているのは、第五章に入ってからです。異邦人の町へ行き、そこで癒しを行った出来事です。
 ですから今日の聖書箇所というのは、一つの転換点になります。今まで主イエスは多くの癒しをなさいました。癒しそのものの話から、その癒しを行うことができるイエスというお方がどういうお方なのか、という話へ転換していくのです。従いまして、今日の聖書箇所のテーマは、主イエスが癒しをしたということにあるのではなく、主イエスは群衆に対して触れさせなかった、群衆は癒しを求めたけれども触れることができなかったというところにあるのです。

3.私たちも触れられなくても…
 このことは私たちにとっても大事なことです。私たちも主イエスに触れることができないからです。直接、主イエスを目で見たり、直接、耳でお話を伺ったり、直接、お会いすることができないからです。
皆様の中に、このように思われたことのある方が、おられると思います。もしイエス様がここにいてくださって、私の前でお話をしてくださって、手で触れることができて、私の目の前で奇跡を起こしてくれたら、私の不信仰などすぐに吹き飛んで行ってしまうのに…。
 しかしこれは本当でしょうか。主イエスに直接お会いすることができれば、本当に何でも解決してしまうのでしょうか。聖書の中に、実際に主イエスにお会いし、その教えを聞き、癒しの奇跡を目の当たりにした人たちのことが記されています。その結果、どうだったでしょうか。主イエスのことを信じる人たちはもちろんいます。しかしそれでも主イエスのことを信じようとしない人たちもたくさんいるのです。結果として、信じる人もいれば、信じない人もいる。分かれるのです。いつの時代でもそうです。特別に主イエスの時代だけ、みんながこぞって信じたというわけではありません。いつの時代でも、信じる人と信じない人に分かれるのです。
 主イエスを直接見ることに関して、大事な聖書箇所があります。ヨハネの手紙一の冒頭のところです。この手紙はこのように始まっていきます。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。」(Tヨハネ一・一)。手紙の著者は、「目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」を伝えると言っています。主イエスのことを伝えると言っているのです。著者は主イエスに直接、お会いしたこともあれば、触れたこともあったのでしょう。
 しかしこの手紙が書かれた頃は、主イエスは天に上げられて地上にはおられませんでしたし、主イエスと直接、触れたことのある第一世代の人たちは、ほとんどいなくなっている状況でした。しかしこのヨハネの手紙一では、続けてこう言っていくのです。「わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。」(Tヨハネ一・三〜四)。
 手紙の読者であるあなたがたも、直接、主イエスのことを見ることができるように、触れることができるように、とは言いません。そういうことはもうできないのです。その点は、著者と読者の間で明確な違いはあったでしょう。しかし、それができない代わりに、交わりを持つことができるように、喜びを持つことができるように、著者はそう言っていくのです。物理的に触れあうことができなくても、主イエスと交わることができるように、喜ぶことができるように、と言っているのです。

4.群衆になるのではなく
 もう一つ考えなければならないことがあります。それは、主イエスに触れようとしていた人たち、実際に主イエスに触れることができなかった人たちですが、その人たちが「おびただしい群衆」と呼ばれていることです。七節にも八節にも出てくる言葉です。「おびただしい」だけでも、「群衆」だけでも、たくさんの人がいたことが分かりますが、二つの言葉をくっつけて強調しているのです。
 群衆は、どんなにたくさんの人がそこにいたとしても、ひと塊の集団です。人間は本当は一人一人違うはずなのに、しかし悪い意味でひと塊になってしまう場合があります。例えば、群衆心理という言葉があります。集団心理という言葉の方が一般的かもしれません。一人一人考え方は違うはずなのに、群衆の間に置かれてしまうと、正常な判断をすることができなくなってしまいます。人間の歴史の中から、いくらでもそのような例を挙げることができます。
 実は聖書においても、「群衆」という言葉は、あまりよい意味が込められて使われていないところがあります。「群衆」ではなく「民衆」という言葉も聖書には使われています。聖書箇所によっては、はっきり使い分けられている箇所もありますが、「民衆」は神を讃美する民として、よい意味が込められて使われているのに対し、「群衆」はそうではないという形で、使い分けられている箇所もあります。もちろん、すべての箇所がそういう法則に従っているわけではありませんが、そういう傾向もまたあるのです。
 何よりも指摘しなければならないのは、十字架の場面にも「群衆」がいたということです。同じマルコによる福音書の十字架の場面に、こうあります。「祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。」(一五・一一〜一五)。

5.一人一人の信仰告白
 主イエスを十字架につけてしまった「群衆」がいた。聖書ははっきりとそう告げます。聖書を読む私たちもそのような群衆の一人としての性質を持っていることをはっきりと認めつつも、教会は決してこのような「群衆」の信仰集団を作ることはしないのです。
 洗礼を受けたいと願う志を持っている方に、最終的には「試問会」というものを行います。長老会における「試問会」です。その漢字に注目していただきたいと思いますが、「試す」「問う」「会」という漢字を書きます。こういう漢字からすると、恐ろしいものを思い浮かべてしまいかねませんが、いったい何が試されるのでしょうか。その人の信仰深さを試すのではありません。そもそも、人間の信仰深さなどは、計ることはでません。それでは何を試すのか。試されるのは、教会の信仰に同意するかどうか、ということです。「はい、同意します」なのか、「いいえ、同意しません」なのか、問われていることはそれだけなのです。
 教会の信仰とは何か。使徒信条に言い表されています。使徒信条の言葉は、週報の裏面に印刷されていますが、使徒信条は、「我は…信ず」という言葉遣いになっています。そのすぐ上のところに「日本基督教団信仰告白」があります。その最初のところを見ていただくと、「我らは信じかつ告白す」とあります。こちらは「我らは…」です。「教会の私たちは…」ということです。教会の信仰はみんなの信仰ですから、「我ら」の方がふさわしいような気がするかもしれませんが、なぜ使徒信条は「我は…信ず」なのでしょうか。その理由は、使徒信条が、もともと洗礼式の言葉だったからです。
 古代の洗礼式の様子が記されている資料があります。それを見ますと、こういう形で洗礼式が行われていたようです。司式者が全能の父なる神を信じるかと尋ねます。洗礼志願者は「われ信ず」とだけ答え、一回目の水が授けられます。司式者が使徒信条にあるようなイエス・キリストを信じるかと尋ねます。洗礼志願者は「われ信ず」とだけ答え、二回目の水が授けられます。司式者が聖霊と教会を信じるかと尋ねます。洗礼志願者は「われ信ず」とだけ答え、三回目の水が授けられます。
 どんなに受洗志願者たちが多かったとしても、司式者は一人一人に対して洗礼を授けます。「あなたは信じるか」と尋ね、「私は信じます」と答える。「試問会」でも必ず一人一人に対して試問を行います。教会は人間を群衆にはしません。一人一人の「我は…信ず」という告白を大事にします。その一人一人の信仰がバラバラになるのではなく、中渋谷教会の一つの信仰となり、日本基督教団の一つの信仰となり、世界中の一つの信仰となり、神への信仰として整えられていく、そのことが極めて大事です。

6.主イエスを何とお呼びするか
 主イエスが群衆に対して距離を取られた、群衆からすると主イエスに触れることができなかった、その理由がまさにそこにあると思います。今日の聖書箇所の終わりにこうあります。「汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。」(一一〜一二節)。
 ここに汚れた霊が出てきたことを、唐突に思われた方もあるでしょう。しかも汚れた霊が「あなたは神の子だ」と主イエスのことを呼ぶのです。しかし何も唐突なわけではありません。主イエスのところに押し寄せた群衆が主イエスのことをそう呼ぶのではなく、かえって汚れた霊の方がそう呼んでいる。そういう皮肉が込められているのです。
 私たちは主イエスというお方をどう呼ぶのでしょうか。主イエスはどういうお方であると言うのでしょうか。何とお呼びすればよいでしょうか。
 今日の聖書箇所に出てくる群衆のように、私たちも病を抱え、死にさらされ、罪のうちに悩む、そのような私たちです。しかし主イエスは単に病を癒されるだけの救い主ではない。むしろ主イエスは、人間の病や死や罪の現実の中に飛び込んでくださいました。今日の聖書箇所でもそうですが、この後も、主イエスは多くの人たちと出会い、時には押しつぶされそうになりながらも、十字架への道行きを進んでくださいました。
 使徒信条ではこの主イエスのことを、「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり」と言っています。主イエスは病や死や罪に押しつぶされたのではなく、そこからお甦りになられた。その甦りの光を知っているのが、もはや「群衆」ではない、教会の私たちです。
 私たちはそのように主イエスを告白することができます。そのようにお呼びすることができます。主イエスが私たちの救い主でいてくださるのですから、死や病や罪の力にさらされる私たちに、それらをはね返す力を与えてくださいます。主イエスが私たちの救い主であるとは、そういうことです。お甦りになられた主イエスと共に、私たちは歩んでいくことができるのです。

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