「御言葉を聴き続ける教会」

本城 仰太

       マルコによる福音書  4章21節〜25節
 詩編 119編105節
119:105 あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。

4:21 また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。
4:22 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。
4:23 聞く耳のある者は聞きなさい。」
4:24 また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。
4:25 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」


1.ともし火がやって来る

 主イエスが譬え話を今日も語ってくださいます。「ともし火を持って来るのは…」(二一節)という言葉で始まっています。ともし火というのは、油を使ったランプのことです。電気などなかった二千年前の生活必需品です。夜に部屋の中を照らすために用いられました。
 人間がそういう道具を使うわけですから、当然、人間がともし火を持ち運びすることになります。「ともし火を持って来るのは」というのは、誰かがともし火を持ち運びすることが想定されているのでしょう。ところが、聖書の元の言葉を直訳すると、「ともし火がやって来るのは」となるのです。まるでともし火が自分からやって来るかのような、そんな言葉遣いが実はなされているのです。
 本日、私たちに合わせて与えられた旧約聖書の箇所は、詩編第一一九編の一〇五節です。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」(詩編一一九・一〇五)。一〇五節という数字に驚かれた方もあるかもしれません。どこまで続くかというと、一七六節まで続いていきます。詩編の中でも最も長いものです。
 この詩編には、旧約聖書の元の言葉のヘブライ語のアルファベットによる規則的な配列があります。一〇五節の直前に、括弧付で「ヌン」と書かれています。これは英語で言うと「エヌ」に当てはまると言えるのかもしれませんが、ヘブライ語の一つのアルファベットです。ヘブライ語には全部で二二の文字があります。一つの文字ごとに八節分が割り当てられ、二二×八で合計一七六節あるのです。つまり、一〇五節から一一二節までの節は、すべて「ヌン」という文字で始まっていることになります。
 詩編第一一九編は「アルファベットの歌」とも言われています。詩編には他にもそういう「アルファベットの歌」があります。言葉遊びのように、もしかしたら子どもたちにヘブライ語のアルファベットを覚えさせる役割も持っていたのではないかと考えている聖書学者もいます。しかし目的はそれだけではなく、詩編第一一九編は何よりも神の御言葉に生きることの大切さを説いている歌です。例えば九七節には、「わたしはあなたの律法を、どれほど愛していることでしょう。わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。」(詩編一一九・九七)とあります。一〇一節には「どのような悪の道にも足を踏み入れません。御言葉を守らせてください」とあります。そういう文脈の中、一〇五節が出てくるのです。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」(詩編一一九・一〇五)。
 ここでは、御言葉が光だと言っています。それをさらに言い換えて灯(ともしび)だと言っています。自分の歩みが御言葉によって照らされるのです。自分がそういうともし火を操っている、持っているというよりは、光が向こうからやって来ると言った方がよいでしょう。
 マルコによる福音書で主イエスが言われたのも、まさにこれと同じだと思います。あなたがたが御言葉を操るように、ともし火を持って来るというよりも、ともし火と共に光が向こうからやって来る。そのように理解した方がよいでしょう。

2.ともし火を消すな

 本日は、百周年記念礼拝という特別な礼拝を行っています。特別な礼拝ですから、普段とは違う特別な聖書箇所から御言葉を聴いてもよかったのかもしれませんが、いつも御言葉を聴き続けているマルコによる福音書の続きの箇所から、今日も御言葉を聴きます。ここしばらくは「種を蒔く人」の譬え話を聴いてきました。種を蒔く人が種蒔きをする。四種類の土地が出てきます。最初の三つは実を結ぶことがありませんでした。しかし最後の四つ目の「よい土地」は百倍もの実を結んだ、そういう譬え話です。主イエスご自身が一三節の所から譬え話の解説をしてくださっています。一四節にこうあります。「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである」(一四節)。
 ところがせっかく御言葉の種をいただいても、今日の聖書箇所の言葉で言えば、せっかくともし火が向こうからやって来ても、無意味になってしまうことがある。主イエスは言われます。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。」(二一節)。升というのは、何かを量るための量りですが、ともし火を消す役割もあったようです。狭い部屋の中でいきなり消したら煙が立ってしまいますから、升をかぶせておく、そういう使い方をしたそうです。寝台というのは文字通りにはベッドのことですが、ともし火を使わないときには、寝台の下にしまっていたそうです。細かな意味が分からなかったとしても、ここで主イエスが言われている言葉の意味は明らかです。せっかくやって来たともし火を消すな、ということです。ともし火
 主イエスの弟子たちは、一方では主イエスに従っていた弟子たちです。しかし他方では、主イエスの評判を気にしながら従っていました。主イエスはこの地域ではすっかり有名になっていました。すべての人から好意的に見なされていたわけではありませんでした。指導者たちは主イエスに対する反発を持っていた。「あの男は気が変になっている」という噂も流されていました。家族もその評判を気にして、主イエスのことを家に連れ戻そうとします。弟子たちにとっても他人事ではなかったでしょう。周りを気にするところもあったのです。その点では私たちも同じなのかもしれません。一方ではキリスト者として歩みながら、キリスト者である自分の評判やキリストご自身の評判が気になってしまう。できれば御言葉の光を目立たないようにしながら歩もうと思ってしまう。そんなところもあるかもしれません。
 そんな私たちに、御言葉の光を消すなと言われるのです。そして、二一節の言葉に続き、二二節の言葉を続けられます。「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」(二二節)。これは主イエスの約束の言葉です。御言葉の種を、すなわち御言葉の光をいただいた私たちが、その光を消さずに照らし続けるならば、私たちが分からないままということはあり得ない、信じられないままということもあり得ない、必ず明らかにされる、主イエスはそう言われるのです。その約束のもとで「聞く耳のある者は聞きなさい」(二三節)と主イエスは言われるのです。

3.「我もキリストの弟子たらん」

 今日の聖書箇所において、主イエスが語られた言葉というのは、すべて弟子たちに向けられて語られた言葉です。二四節の最初に「また、彼らに言われた」とあります。いきなり「彼らに」という言葉が出てきます。これより前の箇所から続けて読めば明らかですが、これは弟子たちのことです。不特定多数の群衆に語られたわけではなく、弟子に対して、主イエスの弟子としての心得が語られています。
 本日の礼拝は創立百周年記念礼拝ですが、年数としては昨年がちょうど百年目でした。昨年も創立百周年記念礼拝を行いました。正確に言えば、今年は創立一〇一周年記念礼拝なのかもしれません。しかし今年も改めて創立百周年記念礼拝を行うことにしました。なぜか。昨年は無牧の年でした。新たな牧師を迎えて、改めて百周年を祝う、そういう意味もあります。また、この日に合わせて、『中渋谷教会百年史』が発行されました。そういうこともあり、創立百周年記念礼拝として御言葉を聴き、聖餐を祝います。
 『中渋谷教会百年史』については、ぜひじっくり読んでいただきたいと思います。私たちの教会がどういう経緯で、どういう思いで、そしてどういう信仰に生かされてきたか、そのことがよく分かります。
 一つだけご紹介したいと思いますが、この『百年史』の最初のところに、森明牧師のことが書かれています。中渋谷教会の初代牧師です。「森明牧師の生い立ちと中渋谷教会の創設期」という小見出しが付けられたところがあります。及川牧師が書かれた文章ですが、最初のところにこうあります。「なぜ、中渋谷教会の『教会史』に森個人のことを書くのかと言えば、中渋谷教会の土台が据えられた森明の僅か十年間の伝道、牧会の働きの中に中渋谷教会の源流があるからです。」(九頁)。
 森明牧師は一九〇四年に、日本基督教会という教会のグループの指導者であった植村正久牧師から洗礼を受けました。一六歳の時です。十年経った一九一四年に、植村正久牧師の誘いによって上海に伝道旅行に行きます。一九一四年というのは第一次世界大戦が始まった年です。混乱する世界のただ中から祖国日本を見つめた森明牧師は、「日本を深く見直して、その繁栄がキリスト教を根本としないための文明の危機にさらされていることを痛感」(一一頁)し、キリスト者として何かをなさなくてはならないという使命感がありました。そこで、まだ正式な教会ではありませんでしたが、「中渋谷日本基督教会講和所」を伝道旅行と同じ年の一九一四年のクリスマスに設立します。この三年後の一九一七年に、正式な教会として発足し、一九一七年から数えてちょうど百年目が昨年だった、ということになります。
 森明牧師はそのようにして、中渋谷教会の初代牧師になったわけですが、病気がちだったこともあって、一九二五年に逝去します。一九一四年に「講和所」を設立してから十年と少しのことでした。『百年史』は森明牧師の働きをこのように評価しています。「罪人を愛し、滅びの縄目から解き放つために、ついにご自身を十字架につけて罪の贖いを成し遂げてくださったキリストの十字架の愛を、森明は「血みどろの十字架」として熱烈に語り続けました。語るだけでなく、祖国日本の救霊と一人ひとりの罪人の魂の救いのために、激しい病苦を押して日本各地の青年を訪ね歩き、キリストの愛を伝えた伝道者でした。そして、そのようにしてキリストの愛を伝えられた信徒たちも「友達にキリストを紹介する」ことに邁進するようになり、信徒になって以後は、相互の交わりを重んじるようになったのです。中渋谷教会は、そのような伝道と牧会の中で、「我もキリストの弟子たらん」と集まった群れとして産声を上げたのです」(一二頁)。
 今日の聖書箇所には、主イエスがご自分の直接の弟子たちに語られた言葉が記されています。しかし主イエスの弟子は、その後にもずっと生まれ続けているのです。キリスト者たちは、洗礼を受けてキリスト者になるということは、何よりも主イエスの弟子になる、その自覚を持っていたのです。
 そのことは中渋谷教会も同じです。『百年史』が言うように、「我もキリストの弟子たらん」、そういう者たちが集って発足した教会です。特に森明牧師は、実際に森明牧師が憂いた通りの結果になってしまうのですが、国の行く末を憂い、この国にキリストによる罪の赦しこそが必要ある、そのような志を持ち、福音を伝え続けた。それが森明牧師の姿です。

4.自分の量る秤

 主イエスの弟子たちへの言葉が続いていきます。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」(二四〜二五節)。これまでのところは、「聞く耳のある者は聞きなさい」ということが言われていましたが、この段落からは、「何を聞いているか」ということに焦点が当てられていきます。
 二四節は後で触れるとして、二五節の意味は明らかだと思います。「種を蒔く人」の譬え話を聴いてきました。最初の三つの土地は御言葉の種をいただいたわけですが、実を結ぶことができなかった。最後のよい土地は百倍もの実を結んだ。そのことを、「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」と言い換えているのです。
 そのことを踏まえて、二四節を考えてみたいと思います。「自分の量る秤」なるものが出てきます。私たちは自分の「物差し」を持っています。自分や人、何らかの事をそれではかります。同じような言葉が別の福音書で出てきます。「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」(マタイ七・一〜二)。
 ここでは「自分の量る秤」を、人を裁くように人に当てはめることではなくて、本当に「自分のことを量る秤」なのです。「種を蒔く人」の譬えを思い起こしていただきたいと思います。この譬え話を「自分の量る秤」で量ってみたらどうなるでしょうか。もしこの譬え話を、自分が裁かれてしまう、自分は駄目なんだと思って聴くとしたら、実りが与えられることはありません。百倍、六十倍、三十倍どころか、一倍にすらならないでしょう。
 そうではなくて、自分は恵みによって御言葉の種をいただき、よい土地にしていただき、百倍の実りが与えられた、そのようにこの譬え話を聴くなら、「更にたくさん与えられる」(二四節)ということになるのです。主イエスの御言葉の光があるかないか、その光に照らされ続けるかどうか、それが決定的な分かれ目なのです。「あなたがたは自分の量る秤」で量られることになる、と主イエスは言われます。その結果、「更にたくさん与えられる」と言われています。この秤はずいぶん大きな秤だということになります。
 私たちは自分のことを、価値がないと思っているかもしれません。「種を蒔く人」の譬えを聴いても、自分は「よい土地」ではないと思っているかもしれません。小さな秤ではないか、そう思っているかもしれません。
 しかし私たちの秤は変わったのです。キリストの十字架の血によって贖われ、罪赦された私たちです。「我もキリストの弟子たらん」、そのようにキリストの弟子にされた私たちです。その秤で量るからには、さらにたくさんの実りが、百倍もの実りが与えられるのです。

5.御言葉を聴き続ける教会として

 主イエスの弟子というのは、一人ではありません。私たちには多くの弟子仲間が与えられています。一昨日、教会で葬儀がありました。逝去された方は、病を得て、この礼拝堂に来られなくなってからも、電話で礼拝を続けてこられました。もう一度、ここに戻って来たい、そう願われて、病との闘いを続けられた方です。
 葬儀の礼拝では、ご家族・親族の方々が前の方に座られました。後ろの方には、多くの教会の方々が座られました。残念ながら行けないけれども、祈りを合わせていると言ってくださった教会員の方も多くいました。葬儀の礼拝において、御言葉を聴き続ける教会の姿が浮かび上がったと、私は感謝しています。
 もちろん、毎週日曜日の礼拝もそうです。キリストの弟子として、弟子たちがここに集って御言葉を聴く。御言葉の光に照らされる。私たちの秤は、百倍もの祝福を量ることができる秤です。祝福を受けて、ますます増やされます。多くの実を結んでいきます。百年、百一年を越えたこれからも、その歩みをこれからも続けていく教会として、歩んでまいりたいと思います。
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