「信仰のまなざしを持とう」

本城 仰太

       詩編 14章 1節〜 7節
              マルコによる福音書  6章 1節〜 6節a
14:1 【指揮者によって。ダビデの詩。】神を知らぬ者は心に言う/「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。
14:2 主は天から人の子らを見渡し、探される/目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
14:3 だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。
14:4 悪を行う者は知っているはずではないか。パンを食らうかのようにわたしの民を食らい/主を呼び求めることをしない者よ。
14:5 そのゆえにこそ、大いに恐れるがよい。神は従う人々の群れにいます。
14:6 貧しい人の計らいをお前たちが挫折させても/主は必ず、避けどころとなってくださる。
14:7 どうか、イスラエルの救いが/シオンから起こるように。主が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき/ヤコブは喜び躍り/イスラエルは喜び祝うであろう。

6:1 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
6:2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
6:3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
6:4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
6:5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
6:6 そして、人々の不信仰に驚かれた。


1.御言葉を聴くことを重んじる

 先週の火曜日、西南支区の教師会が行われました。会場は「東京復活大聖堂」という教会です。通称、「ニコライ堂」と呼ばれています。この教会は、「日本ハリストス正教会」というグループの教会で、教会の流れとしては「オーソドックス」とも呼ばれているところに属する教会です。
 ギリシア正教とかロシア正教とか、そのような名前を聞かれたことのある方もおられると思います。教会の二千年の歴史の中で、ローマ帝国が東西に分裂しました。大きな国家が分裂するということは、教会も大いにその影響を受けるわけで、教会の歴史上、西と東に分かれた歩みがなされてきました。カトリック教会も多くのプロテスタント教会も西側に属しますが、ギリシアとかロシアは東側に属します。その東方の流れを汲む教会を訪ねて、見学をし、お話を伺い、研修をするというのが、先週の火曜日の教師会の趣旨でした。
 実際に見学をしてみて、また、その教会の聖職者の方にお話を伺ってみて、私たちの教会とはだいぶ違うところがあると感じました。聖職者の方も強調しておられましたが、礼拝を体験することが重んじられています。もちろん言葉を耳で聞くことも大事です。しかしそれだけでなく、聖書の言葉を口にし、ひたすら朗読することもなされます。また、礼拝堂の至るところに、イコン(聖画像)と呼ばれるものが飾られています。主イエスであったり、弟子たちであったり、そういうイコンを目で見るのです。またろうそくの光で照らされる、その光を見る。そして聖餐を口で味わうことも、もちろん重んじられています。それだけではありません。お香のようなものもかがせていただきましたが、その香りが天国を表しているのだそうです。礼拝堂の中心のところは、かなり高いドームのような天井になっていて、そこが天国とつながっていることを表しているのだそうです。教会によっては、天井にイエス・キリストが描かれていて、上から見ておられることを表す。そういう場所に身を置いて、まさに全身で礼拝をする。神を体験する。そういうことが重んじられている教会です。
 今日はここでその良し悪しを判断するというわけではありません。私たちの教会とだいぶ違うということを思いながら、私たちが重んじていることは一体何か、その思いを新たにさせられました。私たちが重んじていることは、御言葉を「聴くこと」です。中渋谷教会はプロテスタント教会の中でも、改革派と呼ばれるグループの伝統があります。改革派の教会は、プロテスタント教会の中でも、とりわけ、御言葉を聴くことを重んじている教会です。御言葉を聴くことを妨げているものは、徹底的に取り除いていく。改革派教会の歴史の中で、そのようなことも行われました。礼拝堂からオルガンが撤去されたこともありました。さすがにそれはやりすぎだろう、ということで、オルガンは戻されましたが、やはり礼拝堂はとても簡素なのです。御言葉を聴くということを重んじるからです。
 中渋谷教会の歴史の出発点において、「血みどろの十字架」という言葉が最初期の頃に繰り返し語られました。ついこの前、発行された『百年史』にこのようにあります。「罪人を愛し、滅びの縄目から解き放つために、ついにご自身を十字架につけて罪の贖いを成し遂げてくださったキリストの十字架の愛を、森明は「血みどろの十字架」として熱烈に語り続けました」(一二頁)。私たちの教会は、何も本当に目に見える形で、血みどろの十字架を恭しく見て、礼拝をしてきたわけではありません。そうではなくて、強烈な言葉である「血みどろの十字架」という言葉を聴き続けてきたのです。

2.主イエスを見たことがなくてよかった?

 私たちにとって、主イエスを「聴くこと」が大事です。主イエスを見るのではない。「血みどろの十字架」を目で見るのでもない。そもそも不可能な話ですが、主イエスに触れるのでもない。「聴くこと」が大事なのです。
 新約聖書の四つの福音書には、主イエスの容姿に関する情報がほとんどありません。まったくないと言ってもよいかもしれません。主イエスの絵を描く画家たちにとっては、まさに画家泣かせでしょう。主イエスの容姿を想像して描いていくほかないのです。
 少し想像してみますと、主イエスはどんな顔をしておられたのでしょうか。どんな声だったのでしょうか。優しい声でしょうか、威厳ある声でしょうか。背が高かったのでしょうか、低かったのでしょうか。髪の毛の色は何だったのでしょうか、その長さはどのくらいだったのでしょうか。ひげを蓄えておられたのでしょうか。どんな服を着ておられたのでしょうか。少年時代のことも聖書にはほとんど書かれていません。唯一の例外は、ルカによる福音書に十二歳の話が記されているくらいです。クリスマスの話、これが〇歳の時の話であり、次いで一二歳、そして三十歳以降の話ということになります。
 皆様はそういうことをお知りになりたいでしょうか。もちろん私たちの救い主ですから、主イエスのことは少しでもよく知りたいと思われることは、自然なことかもしれません。しかし本日、私たちに与えられた聖書箇所を読むと、かえって私たちがそういうことを知らなくてよかったと思うかもしれません。

3.ナザレの人たちの盲点

 今日の聖書箇所は、主イエスがお育ちになったナザレというところが舞台です。聖書には「ナザレ」と地名まで書かれていませんが、故郷での話です。大きな町ではなく、小さな町だったようです。町中、誰もがお互いによく知っているような町です。その人々が主イエスのことを驚いたのです。「安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。」(2〜3節)。
 こんなに驚いたということは、裏を返して言えば、主イエスが神の子でありながらも、本当に人となって、人々の間に住まわれたということです。主イエスが小さい頃から驚くべき奇跡を行っていたというわけではありません。小さい頃から驚くべき教えを語っていたというわけでもありません。むしろ、何の変哲もない、普通の人としてお育ちになった。大人になってからは大工としての仕事をこなしておられた。ナザレの町の人たちにとっても、普通の人間だったのです。
 ところが突然、その大工をやめた。3節のところに、「この人は、大工ではないか」とあります。少し言葉を補えば、「この人は、あの大工ではないか」という言葉遣いです。「あの大工」、私たちがよく知っている「あの大工さん」ではないか、ということです。日本の大工のように扱うのは木ではなく、パレスチナの地では石になりますが、主イエスの建てた石造りの家も、ナザレのあちこちにあったかもしれません。
 そのような人なのにかかわらず、大工を突然やめて、人々に伝道活動をするようになった。優れた教えを語るようになった。力ある奇跡の業を行うようになった。ナザレの町の人たちはそのことにとても驚いたのです。そしてあまりにも主イエスの情報を知りすぎていたのです。結果として、2〜3節にあるようにつまずいてしまった。この人は一体どこから来たのか、その力は一体何によるのか、その由来が分からなくなり、主イエスの言葉や力を信じることができなくなってしまったのです。
 それを受けて、主イエスはこう言われます。「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」(4節)。多くの人がこぞって主イエスのところにやって来て、主イエスの話を聴いたり、主イエスの癒しを求めた状況とは、まるで違ったのです。

4.奇跡ができない主イエス

 その結果、こういう出来事が起こります。「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。」(5節)。
 主イエスが奇跡をすることが「おできにならなかった」と書かれています。本当にその通りの意味で書かれています。これまであらゆる癒しや奇跡を行ってこられた主イエスです。それを考えると、本当にできなかったとは考えにくいですし、実際に「ごくわずかの病人」に対しては癒しを行っているわけですが、しかしここでの文字上は、「おできにならなかった」と書かれているのです。
 同じ時の話が、別の福音書にも書かれています。マタイによる福音書では、「そこではあまり奇跡をなさらなかった」(マタイ13・58)と書かれています。ナザレの人たちが不信仰だったから、主イエスが「なさらなかった」。マタイによる福音書では、マルコによる福音書よりも物議を醸さない書かれ方がなされています。ルカによる福音書では、この記述自体が削除されています。つまり、マルコによる福音書では、「おできにならなかった」ことが強調されているのです。
 なぜ、「おできにならなかった」のでしょうか。その理由が6節に書かれています。「そして、人々の不信仰に驚かれた。」(6節)。人々が不信仰だったから、主イエスが驚かれるくらい、主イエスの奇跡が妨げられるくらいの不信仰が、その理由として挙げられています。

5.信仰とは何か

 信仰と不信仰は、いつでも紙一重なところがあります。私たち人間にとっては、コインの表と裏のように、切り離すことができないもの、いつもくっついているものと言えるでしょう。
 あなたに信仰はあるか、そう問われたとしたら、私たちは何と答えるでしょうか。まずは、信仰はあると答えることができるでしょう。あるからこそ、今このようにして御言葉を聴いているのです。しかし今、あったとしても、いつ御言葉を聴かなくなってしまうか、いつその不信仰に堕ちてしまうか分からない私たちです。自信をもってそんなことはありません、と答えることはなかなかできません。
 今日の聖書箇所に、「つまずいた」(3節)と書かれています。「つまずく」という言葉は、教会以外ではなかなか使われることのない不思議な言葉かもしれませんが、教会の中では、よく使われている言葉でしょう。しかも案外、気軽に使われることもあるかもしれません。この「つまずく」という言葉、もともとは獲物を捕らえるための罠に関する言葉だったようです。つまり獲物が「つまずく」と、罠に囚われてしまう。獲物にとっては、命にかかわるような重大事です。聖書でもそれほどの重大なこととして、この言葉が用いられています。ナザレの人たちがつまずいたように、そういう「つまずき」が私たちにも起こらないとは言い切れないでしょう。
 「つまずき」イコール不信仰だった。今日の聖書箇所からそのことが分かりますが、それでは信仰とは何でしょうか。それも今日の聖書箇所が私たちに教えてくれます。2節のところで、ナザレの人たちは「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か」と言っています。ナザレの人たちは、主イエスの由来が分からなかったのです。その教えが、その力が神に由来するということが見えなくなってしまったのです。神でありながら、徹底的に人になってくださり、人として死んでくださり、しかも人々の罪を身代わりに背負って十字架で死んでくださった主イエスのことが、あまりにも身近過ぎて、人間的な事柄に目をふさがれて、分からなくなってしまったのです。
 その意味で、クリスマスの出来事はとても大事です。間もなく、アドヴェント、クリスマスの時期を迎えます。今年のクリスマスも、恵み深いクリスマスを過ごすことができるために、このことはぜひ覚えておきたいと思います。罪深き世に、神の独り子が人間の幼子として与えられた。その他の余計なことは一切語られていません。罪の中からあなたを救うために、御子、主イエス・キリストがお生まれになった。あなたはそのことを信じるか。聖書が言っているのは、ただそのことだけなのです。

6.主イエスの家族も立ち直った

 今日の聖書箇所には、主イエスの家族の名前が出てきます。主イエスの家族は皆、この時はつまずいてしまったかもしれません。しかしそこで終わりではありません。つまずきっぱなしではない。立ち直ることができたのです。
 主イエスのことが、「マリアの息子」(3節)と表現されています。この時、すでに父ヨセフは生きていなかったのでしょう。それから主イエスの弟たちの名前が出てきます。「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟」(3節)。先頭に出てくる「ヤコブ」は、聖書の別の箇所に「主の兄弟ヤコブ」(ガラテヤ1・19)という表現があるように、最初期の教会で指導的な役割を果たすようになります。「ヤコブの手紙」のヤコブも、主イエスの弟としての名前で書かれています。「ユダの手紙」もそうです。ここでのリストの中にある「ユダ」の手紙。主イエスの弟たちが、最初期の教会で活躍をしているのです。
 確かにこの時はまだ、主イエスのことを誤解したままでした。私たちがすでに御言葉を聴いた箇所において、こうありました。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。」(3・21)。「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。」(3・31)。この時点では、兄である主イエスのことを理解できず、一刻も早く家に連れ戻そうとしたのです。
 しかし、やがては教会で歩むようになった。この兄弟たちに何が起こったのかはよく分かりません。しかし、実際の血の繋がりによってではなく、小さい頃から一緒に育ってよく知っているからではなく、自分の救い主として、主イエスのことを受け入れた。その信仰のまなざしが与えられたのです。
 私たちにとっても、その信仰のまなざしが大事です。主イエスの容姿を見るためのまなざしではありません。森明牧師が語った「血みどろの十字架」を聴くまなざしです。私たちもその御言葉を聴くのです。主イエスが救い主として私たちを、この私を救うために来てくださった神であることを信じる、それが私たちの信仰なのです。


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