「山の上の出来事」

及川 信

出エジプト記24章 9〜11節              ルカによる福音書 9章28節〜36節
モーセはアロン、ナダブ、アビフおよびイスラエルの七十人の長老と一緒に登って行った。彼らがイスラエルの神を見ると、その御足の下にはサファイアの敷石のような物があり、それはまさに大空のように澄んでいた。神はイスラエルの民の代表者たちに向かって手を伸ばされなかったので、彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。    出エジプト記24章 9〜11節

この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。    ルカによる福音書 9章28節〜36節

山の上の教会

 皆さんの多くは、今日も渋谷駅から歩道橋を渡り、さらにいくつかある坂道のどれかを登って、やっとのことでこの桜ヶ丘の上に建つ礼拝堂までやって来られたはずです。この教会に赴任させていただいた当初から、私は「この坂さえなければ、まだ礼拝に来られるという方はいるだろうに。この坂のお陰で、礼拝出席寿命が3〜4年は短くなっているだろうな」と恨めしく思ったりします。しかし、「丘の上の教会」という讃美歌がありますように、教会は、高いところに建っているものだというイメージもあるように思います。そして、それはたしかに、聖書に基づくイメージでもあると思うのです。

聖書における山

 神の都エルサレムも山の上の都ですし、イエス様が十字架にかけられたのはエルサレムの中のゴルゴダの丘です。先週と今日にかけて続けて読んでいますルカ福音書の出来事も「山の上の出来事」ですし、マタイによる福音書によれば、イエス様は山の上で弟子たちと多くの群衆に向けて「山上の説教」と呼ばれる有名な説教をされ、さらに復活されて後、初めて弟子たちにお会いになったのも山の上です。
 目を旧約に向ければ、ノアの箱舟はアララト山の上にとまりました。箱舟は、しばしば教会の比喩として使われるイメージですから、箱舟が山頂にとまったということは、山の上の教会から救済が始まり、新しい世界が誕生してきたということでもあります。また、アブラハムがその独り子イサクを捧げた「イサク奉献の山」はモリヤの山と言われますけれど、それは歴代誌によればエルサレムの山のことです。そして、旧約聖書で「山」と言えば、なんと言ってもシナイ山(「ホレブ」とも言われますが)です。モーセが神と出会い、イスラエルの民が「十戒」と「契約」の書を頂いて、神と契約を結ぶことになったシナイ山、このシナイ山抜きに聖書宗教は誕生しなかったと言ってよいと思います。もちろん、聖書の宗教は、いわゆる山岳宗教ではありません。山自体を拝むことは考えられません。しかし、荒野とか山はこの世の中から離れた所です。俗世から隔絶された所で、神と人とが出会う。そして、神を礼拝する。神の言を聴き、信仰の告白を捧げ、犠牲や供え物を捧げ、罪を贖っていただく、汚れを清めていただく、賛美を捧げる、祈りを捧げる・・。聖書の中では、そういう礼拝の場として「山」があります。

   シナイ山の上の礼拝

そういう山の礼拝の最初が、イスラエルの代表者たちが、山の上で神を見ながら食事をした時だと、私は思うのです。
この出エジプト記24章には、イスラエルが神の民となった最初の礼拝の情景が描かれているのですけれども、私は、ここに最終的な礼拝の情景が描かれていると言ってよいのではないかと思っています。ここでは、イスラエルをエジプトから脱出させた偉大な指導者であるモーセと、モーセの兄アロン、アロンの子であるナダブとアビフという三人、そしてイスラエルを代表する七十人の長老たちが「神を見つつ」食事をしています。
聖書の宗教においては、汚れた罪人は聖なる神を見ることは出来ないどころか、近づくことさえ出来ません。これまでは、モーセだけがシナイ山に登ることが許されましたし、他の者たちは恐ろしくて、そんなことを望みさえしません。モーセだって、この時以外は、神を見ることなど決して許されません。ただこの時だけ、モーセだけでなく、イスラエルを代表する者たちが神を見ることが許されている。これが最初の出来事で、この次からこうなったわけではなく、これは最初で最後の出来事なのです。聖書によれば、イスラエルとは全世界の民の代表です。世界中の人々がいつの日か神を知ることになる。その先駆けとしてイスラエルが選ばれているのです。そのイスラエルの代表が、山の上で神を見ながら食事をする。それは、ある意味では世界の完成、救いが完成する姿の先取りと言ってよいのではないかと、私は以前からずっと思い続けています。
この時のイスラエルとは、神様の御言を「すべて行い、守ります」と誓い、神の民となるべき契約を神様と正式に結んだ直後のイスラエルです。神の言とそれに応答する信仰告白、そして犠牲の血によって神様と契約を結んだ直後、神様は、ここに登場する人々をシナイ山の上に招き、ご自身を見ることを許し、そして、食事を提供された。私は、この箇所を読む度に、ここにこそ究極的な救いがあることを思います。

  「神を見る」こと

目を新約聖書に転じますが、パウロがコリントの信徒に向かって「そのときには、顔と顔を合わせて見ることになる」と書いていますように、私たちが救われる時とは、父なる神、そしてイエス・キリストの御顔をはっきりと見ることが出来る時なのです。それは罪を赦されて、御国に招き入れられる時、御国の中で神様を礼拝する時の現実です。「神を見る」とは、そういう救いが完成した状態のことを言うのです。
そして、イエス様は、弟子たちとの最後の晩餐をとる中で、「わたしの父の国であなたがたと新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」と仰っています。つまり、私たちの救いとは、天上において、すべての救いの御業を成し遂げて下さった主イエスの御顔を拝しつつ食事を頂くことです。私たち日本人は食事と言うと、ただ「飯を食う」ことを考えますが、イスラエルの民にとっての食事は、その前に御言を読み、賛美を捧げ、感謝の祈りを捧げ、さらに食べ終わった後も賛美を捧げるという一つの礼拝行為なのです。信仰を同じくする家族や友らとの心踊り、霊肉共に養われる感謝すべき礼拝がそこにあるのです。私が食事とか食卓を強調するのも、それが礼拝の中に不可欠のものとして位置付けられているからです。この食卓を中心に教会が出来上がっていくことが、教会が天上における救いの食卓に繋がる共同体になっていくということなのであり、真実の礼拝共同体になっていくことなのです。

ペトロの誤解

ルカ福音書9章に入ります。主イエスは三人の弟子たちを伴って、祈るために山に登り、そこで神様から遣わされ、栄光に包まれているモーセとエリヤと、エルサレムで遂げようとしている最後に関して、語り合っていました。しかし、この時、ペトロは栄光に輝くモーセとエリヤとイエス様の姿を見て、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです」と言いました。しかし、ここにもありますように、「ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかった」のです。

ひどく眠い

先週の礼拝に、私の昔からの友人が出てくれて、バザーの賑わいの中で、少し立ち話をしたのですが、「ペトロと仲間は、ひどく眠かった」ということについて、その友人が「あれって、どういう意味?なんかさ、俺たちって、全く分からない話を聞かされている時って眠いじゃん。それと同じこと?」と言うので、「そうそう、そういうことだと思うよ」と同意しました。ものの本には、「この出来事が夜だったことを示している」というような説明もありましたが、私は必ずしもそうは思いません。 調べてみると、31節と32節の言葉はマルコやマタイ福音書にはないルカ独自の言葉であるとか、色々興味深いことが分かりましたけれど、いくつかの翻訳はここをこう訳しています。
「ペトロと仲間達は、眠りに落ちてしまった。そして、彼らが完全に目覚めた時、彼らはイエスの栄光と共にいる二人を見た。」
私はこちらの訳のほうがよいのではないか、と思う。つまり、彼らは、イエス様とモーセとエリヤ(旧約聖書の代表者)が語り合っている事柄、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」は、さっぱり分からなかったので、つい眠ってしまった。しかし、目が覚めて見てみると、再びイエス様の栄光の姿が見えて興奮して、イエス様とモーセとエリヤのために三つの小屋を建てようと叫んだ。ペトロは、栄光に包まれた三人共がこの後も山の上に留まり、自分もそこに居続けたいと願ったのです。訳も分からずに、です。
この出来事の直前に、ペトロは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」との主イエスの問いに答えて、「あなたは神からのメシアです」と告白しました。しかし、その答えに対して、イエス様は、メシアは多くの苦しみを受け、人々から排斥されて殺され、3日目に復活することになっているという受難と復活の預言をされました。そして、このメシア(キリスト)である「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救おうと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」と仰った。その上で、ご自分がいつの日か、「父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来る」メシアであるとも仰ったのです。しかし、ペトロたちは、この「メシアの受難」については、全く分からなかったと思います。イエス様が何を仰っているのか分からなかったのです。彼らにとってのメシアは、あくまでも栄光のメシアです。彼らが求めているのは栄光、それも地上的な栄誉です。それ以外のことは、聞いても分からない。まさに聞く耳がないのです。

八日目の出来事

その話をしてから「八日ほどたったとき」、イエス様は分かっていない三人の弟子を連れて「祈るために山に登られ」ました。「八日ほど」と少し曖昧な書き方ですからこだわる必要はないのかもしれませんが、ルカ福音書では、主イエスの誕生から八日目に割礼を受けてイスラエルの民に加えられたと記されています。数え始めの日を一日と数えると一週間ということになります。ペトロのキリスト告白、イエス様自身による受難・復活預言から一週間後に、イエス様はご自身のこれからの道行き、エルサレムで遂げるべき「最期」(エクソダス)について、神様の御心を確かめるべく山に登り、その受難の果てにこそある栄光の姿を弟子たちに見せた。ですから、誕生から八日目の割礼と同じく、受難預言から八日目のこの山の上の出来事は、受難後の栄光の命の誕生を暗示するものなのではないか、とも思います。しかし、彼らにはまだ暗示に過ぎません。

神の宣言

今日は、先週全く触れなかった三四節以下に入りますけれど、そこは栄光のキリストだけを求め、賛美するペトロ(たち)に向かって、またモーセ、エリヤ、イエス様が並列して並び立つと思っている彼らに向かって、神ご自身が語りかけておられる場面です。

「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け。」

 弟子たちが山の上で聞いた言葉が、これです。彼らが神の臨在を現わす雲に覆われる中で聞いたのはこの言葉です。この雲は、出エジプト記二四章にも、その後、シナイ山を覆う雲として何度か出てくる言葉で、その雲の中から神様はモーセに語りかけています。それと同じように、神様はイエス様の弟子たちに、決定的に大事なことを語りかけているのです。
 ここには三つの言葉が書かれています。それぞれに旧約聖書の背景があります。

1「これはわたしの子。」

 イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになった時には、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえました。ここでは、それが弟子に向けての言葉となっています。
 この言葉は、詩編二編の言葉です。そして、詩編二編とは「王の詩編」と呼ばれています。神様がご自身の選び立てた王(メシア)をエルサレムで即位させる時に、諸国の民に向かって「わたしは自ら、王を即位させた」と宣言し、同時に王に向かって「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする」と宣言されるのです。これが神様のお立てになる王、メシアです。まさに全世界の王の姿がここにあります。

2「選ばれた者」

 しかし、次に出てくる「選ばれた者」とは、旧約聖書のどこに出てくるかと言うと、イザヤ書の四二章一節です。そこにはこうあります。

「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。」

   この神に選ばれた僕です。旧約聖書では、「神の僕」とは、しばしば王(メシア)を指します。しかし、この僕は、そういう一般的な王とは全く正反対の僕なのです。この僕に関する預言はこの後に断続的に出てきますけれど、イザヤ書五三章において、この僕を通して神様が為さる裁きがどんなものであるかが明らかにされます。
それは、こういう裁きです。少し飛ばしながら読みます。

わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。・・・彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。・・・・彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。・・・ 彼は自らを償いの献げ物とした。・・・主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。

 神様に選ばれた僕、それは人々の罪を背負い、神の裁きを受けて死ぬという僕なのです。この僕の死が、自分の罪の贖いのための死であると信じて、罪を悔い改める者は、すべての罪が贖われて、新たに正しい者とされ、再び神との交わりの中に生きることが許される。そういう救いの裁きを、主なる神様は与えようとしておられ、その主が望まれることは、この僕の手によって成し遂げられるのです。
 詩編二編の「これはわたしの子」と言われる王、全世界を統治する王とは、実は、全世界の罪人の罪を背負って十字架にかかり、そこで肉を裂かれ、血を流して死ぬ王のことである。この王を唯一の罪の贖い主、罪と死に対する勝利者、主であると信じ、この主の前にひれ伏し、罪を悔い改め、赦しを乞い求める者は、誰でも赦される。そして、復活の主イエス・キリストと共に新しい命に生かされる。これが神様が与えてくださっている新しい契約です。

3「これに聞け。」

 これは申命記に出てくるモーセの言葉の引用で、そこで彼は来るべき日に立てられるメシアに「聞き従わねばならない」(申命記十八章五節)と、イスラエルの民に向かって命じています。それはもちろん、主ご自身の命令です。
 ペトロたちが、この言葉を聞き終わった時、「そこにはイエスだけがおられた」とあります。直訳すれば「そこにはイエスだけがいることが彼には見えた」あるいは「分かった」です。ペトロの目の前には、最早モーセもエリヤもおらず、ただイエス様だけがおられた。彼が、聞き従うべきは、この方のみなのだ。そのことが分かった。そういうことでしょう。
 しかし、その分かったことを、あるいは見たことを、聞いたことを、本当に自分のものとするのは、これからの彼の人生に掛かっているのです。そして、それは桜ヶ丘の上に建つ会堂で礼拝を守っている私たちにおいても同じことです。私たちは、この礼拝において、私たちのメシアは、私たちの罪を贖うために十字架にかかって死んで下さった神の僕としてのメシアであり、この方こそ、実は全世界を領土とすべく神が立てた王、神が選んだ神の子であること、私たちが聞き従うべきは、ただこの方であることを、今日も新たに聞いたのです。さて、問題はこれからです。

それがどうした?!

私は、牧師としては言葉遣いが荒々しくていけないのですが、無意識の内に乱暴な口癖が出てしまうことがあります。その一つは「それがどうした!?」「それで、どうした?!それでどうする?!」というものです。人が言ったことに対して、「それがどうした?!」と思わず言ってしまうのです。「問題はそんな程度のことではないだろう?そこで終わっちゃっていいの?」そういう気持ちになったときに、「それがどうした?!」と言ってしまうことがあるし、「そんなことを頭で分かって一体どうなるの?その分かったことをどうやって生きていくか、ただそれだけが問題じゃないの?」と問いかけたい時にも、思わず「それがどうした?!それで、どうする?!」言ってしまうのです。そして、それは他人に言うだけではなくて、自分にもしょっちゅう言っている言葉でもあります。特に、説教を作っている時も、「あんたが今、説教しようと思って書いていること、それは本を読めば分かること。辞書を調べてちょっと考えれば分かること。そんなことを語ってどうするの?問題はそこからでしょ?」という声が聞こえてきますし、「結局、聖書を通して聴いた神様の言葉を、現実の生活の中で、どう生きるか。そこに尽きるのだから、何を語るかが最終的な問題ではなくて、語ったことをどう生きるかが問題でしょ。自分で生きようともしていない言葉を、しゃーしゃーと語ることはするなよ?!」と心の中でもう一人の自分の声が響いてくる。説教の結論部分に達してきた時に、色々な次元で「それがどうした?!」「それで、どうする?!」という声が聞こえてくる。これが聞こえてくると、それまで積み重ねてきた説教の原稿が全部、空虚なものに見えてきて、全部最初からやり直しということも、しばしばあります。その声が聞こえるからこそ、さらに深まっていく、るいは前進していける場合もあります。そして、それは説教作成の過程だけでなく、信仰生活そのものが、ある意味ではそういうものだとも言える。三歩進んでも二歩下がってしまう。下手すると三歩下がってしまい元の木阿弥のこともあれば、五歩も六歩も下がってマイナスから始めなければならないこともあります。ある時は、「それがどうした!?それでどうする?!」という言葉のお陰で、これで限界と思っていた所よりも先に進んで行けることもある。

信仰を生きるとは

個人的なことを話した序にさらに私的なことを言いますと、先日、私は目出度く五十歳の誕生日を迎えることが出来ました。多くの方から、様々な形でご祝辞を頂き感謝致します。その中で、最も近しい方で、私が常日頃から厳しい苦言を頂いている方が、誕生祝のカードに聖書の言葉を書いて下さいました。その言葉とは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」という言葉です。そして、「御言を取り次ぐ者として、この言葉を忘れないように生きていきなさい」と励ましの言葉が書いてありました。「誕生のお祝い」というより、叱咤激励というか、お叱りというか、とにかく身もすくむようなカードでしたが、でも、まさに問題はここにあるわけです。山の上の礼拝で何を見て、何を聞いて、何を言ったとしても、その後、山の下でどう生きるか。ただ、それだけが問題なのです。
信仰を生きるとは、たしかに決死の覚悟がいるものです。当然です。主イエスへの信仰を貫くことは、この世的には不利益を被ることが沢山あるし、時代が時代なら、死を招くことだってあったし、今後もあるかもしれません。でも、愛に生きるってことは、そういうことなのではないでしょうか?愛するということは命をかけることだと思います。信仰とは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛し」て生きることだし、「隣人を自分のように愛し」て生きることに他なりません。そして、「友のために命を捨てること、それに優る愛はない」と主イエスは仰いました。そして、主イエスはまさに私たちを友として、生き、そして死んで下さったのです。

泣きながら生きる愛

先日、「泣きながら生きて」というテレビ番組がありました。金曜日の夜だったものですからその時は全部見る時間はなくて、最初の方と最後だけを見ましたけれど、昨日の夜中、とにかく説教原稿を書いた後、我慢できずに録画しておいたものを見ました。それは中国の文化大革命のお陰で教育を受けることが出来ず、最下層を生きざるを得なかった中国人の夫婦のドキュメンタリーです。夫の方は、日本に夢をもってやってきたのですが、程なく夢は無残に破れます。しかし、それ以後も不法滞在を続けながら、朝から夜中まで働き通して中国にいる妻と娘に仕送りをするのです。自分が果たせなかった高等教育を娘に受けさせるという夢だけが、その離れ離れの夫婦を支えているのです。夫も妻も、まさにそのことに命をかける。不法滞在故に一回も中国に帰ることが出来ず、会うことが出来ない妻と娘に仕送りを続けて、娘に夢を託す。娘の将来に自分の人生を捧げる。それは娘を愛しているからです。愛しているから自分を犠牲とするのです。そして、彼らはあの「苦難の僕」のように、「自分の苦しみの実りを見、それを知って満足する」のです。娘は、その親たちの凄まじい自己犠牲を伴う愛に戸惑いを覚えつつ、真摯に愛を受け止めて、見事に成長していたので、本当に良かったと思いますけれど、愛に生きるとは、泣きながら生きるという一面があるでしょう。しかし、その涙は愛する人だけが流す涙なのです。
イエス様は、十字架に掛かる直前、オリーブ山の上でひざまずいて「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と祈られました。その時、イエス様は、「苦しみもだえ」「汗が血の滴りのように地面に落ちた」とあります。ヘブライ人への手紙には、「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげた」とも記されています。また、ラザロが死んだ時、イエス様な「涙を流された」とあります。

イエス様の愛

イエス様は誰よりも神を愛し、その御心を行うことに力を尽くし、その命をかけられました。そして、イエス様は、誰よりも私たち罪人を隣人として、また友として愛し、私たち罪人を救うために、その命を投げ出してくださいました。それは涙なくして出来ることではありません。私たちは、そんなに深く強く主イエスに愛されているのです。愛されていることを信じることが出来る時、私たちの心は喜びに満たされます。そして、御自分の独り子をさえ惜しまずに与えるほどに私たちを愛して下さる神を、そして私たちを愛するが故に、私たちが受けるべき裁きを身代わりに受けるために命を捧げてくださるイエス様を、心から愛することが出来る時、それは私たちの命をイエス様に捧げる時であり、イエス様のために生きるということです。そして、それこそが私たちの最大の幸せでしょう。自分の命を捧げてもよい、この人なら自分の命を捧げたい、この人に私のすべてを用いていただきたいと願える人と出会い、その人との永遠の愛の交わりの中に生きることが出来るなら、それが私たちの最大の幸せです。イエス様は、そういう真の人として私たちとの愛の交わりを生きてくださる真の救い主です。
信仰に生きるとは、ある面、悲壮なことですが、しかし、何よりも嬉しいことです。何故なら、イエス・キリストを通して与えられる最大の愛、永遠の愛を信じて生きることなのですから。

聖餐の食卓とは

これから聖餐の食卓に与ります。ここで配られるパンとぶどう酒は、そのキリストの愛を信じて生きるという告白をし、洗礼を受けてキリスト者になった者だけが取ることが出来、食べたり飲んだりすることが出来るものです。何故なら、キリスト者にとってだけ、パンとぶどう酒は神様が私たちを永遠に愛してくださっている徴であり、この食卓を囲んでいる時に、今に生きるキリストとの霊的な交わりをすることが出来るからです。私を愛し、私のために命を捨ててくださったキリスト、私のために復活し、今も生きて、愛を与えて下さるイエス・キリスト、私のために天国の食卓を用意してくださっているキリスト、そのキリストからパンとぶどう酒を頂く、私のために裂かれたキリストの体と血を悔い改めと信仰をもって頂くとき、私たちは罪を赦され、汚れを清められ、今日より新たにキリストの愛を信じ、キリストを愛し、キリストのために生きる力が与えられます。愛に生きるという十字架、愛するからこそ泣きながら生きるという十字架を背負う力が与えられます。そして、この十字架の道しか天に至る道はないのだ、この苦難の道だけが栄光への道であることを教えられるのです。そして、そのすべてをキリストご自身が共にして下さることを、まざまざと示されるのです。

天の食卓

この食卓には、仮初(かりそめ)のこの世にはない永遠の愛の交わりがあり、天に繋がる交わりがあります。この主の食卓を囲みつつこの地上を生き、既に天に召された方たちは、天においてキリストの顔を拝しつつ、神の家族として、この食卓を囲んでいるのです。そこにはペトロもパウロもマグダラのマリアもいるし、モーセもエリヤもいるのです。私たちキリスト者は、天に繋がるこの食卓を今日も囲んで、はるかに天にある栄光、天の食卓を目指して、今日からの一週間の歩みを始めることが出来る。そこにどんな苦難があっても、勝利の主イエス・キリストが共にいますから、何も心配する必要はありません。何と幸いなことかと思います。天に召された教会員のご家族で、まだ洗礼をお受けになっておられない方々が、近い将来、信仰をお求めになり、必ずその求めには答えてくださる主の恵みによって洗礼を受け、共々に天上の食卓に繋がるこの聖餐に与ることが出来ますように、お祈りいたします。また、今、信仰を求めて、この礼拝に集っておられるお一人びとりが、いつの日か、キリストと出会い、信仰を告白し、洗礼を受け、この聖餐の食卓を囲むことが出来ますように、祈ります。
主題説教目次へ戻る
礼拝案内へ戻る