「記念と告知」

及川 信

コリントの信徒への手紙T 11章23節〜26節

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。



「聖餐の食卓を囲む共同体」を巡って−過越の食事

 今日と明日、私たちは信仰修養会を持ちます。「聖餐の食卓を囲む共同体」という主題を巡って今年で三年目となります。その修養会の趣旨やこれまでの流れに関しては、午後の主題講演で語りますが、今日の御言の説き明かしに必要なことに限って、旧約聖書の歴史に触れておきたいと思います。
 この修養会の第一回目に取り組んだのは「過越の食事」です。イスラエルがイスラエルとして誕生する、つまり奴隷状態であったエジプトを脱出し、神を礼拝する民として誕生する前夜、神様はイスラエルに一匹の小羊を屠り、その血を家の鴨居に塗るように命じました。その血が塗られたイスラエルの家には死の使いが過越し、血が塗られていないエジプトの家には死の使いが入り、その家の初子が死ぬという恐るべき裁きが下されたのです。イスラエルの民は、その日の出来事を、子々孫々に伝えていくために、小羊を屠って家族で食べる「過越の食事」を守り続けましたし、今もユダヤ人は守っているのです。私たちにとっては、受難節礼拝と復活節(イースター)礼拝がそれに当たります。

記念と告知によって生きる民イスラエル

イスラエルの民、またユダヤ人は、過去に神様がなさった救済の出来事を決して忘れない。つまり、その出来事を記念し、次の世代に告げ知らす、つまり告知し続けることによって苦難に満ちた歴史を生き続けてきました。もちろん、後に触れますけれど、皆が皆、信仰を生きたわけでも、生きているわけでもないのですが、私たちが『旧約聖書』と呼ぶ書物を残したということは、神の言を記憶し続け、様々な祭りで記念し、それを次世代にまた世界に告げ知らせなければならないという強烈な意思の表れであると言って、少しもおかしくありません。今日の説教題は『記念と告知』としました。それは、イスラエルの民の歴史を思ってのことですし、また新しいイスラエルの民としての教会の歴史を思ってのことです。

神の民の試練、食べ物と飲み物

イスラエルの民、またバビロン捕囚以降「ユダヤ人」と呼ばれるようになった民が、まさに命をかけて記念し、告知していることの一つは出エジプトの出来事であり、荒野放浪とシナイ山における十戒を内容とした契約締結です。彼らは、その出来事を過越の祭りを守り、過越の食卓を囲むことによって、また契約更新祭を祝うことを通して、子ども達に語り続けました。そのことを通して、自分たちが何者であるかを絶えず新たに確認し、そのアイデンティティを継承していったのです。そのアイデンティティとは、自分たちは神様によって救い出され、神様によって生かされており、神様のために生きる民なのだというものです。
こういう民は、この世の中を自分のために生きている、あるいは食べるために生きている民とは本質的に違います。彼らは、神の民として生きるべき様々な試練を受けますし、またその試練の中で特別な恵みも経験するからです。
その点について、パウロはコリントの信徒への手紙の中で、実に印象的な言葉でこう言っています。一〇章一節から一三節までを、飛ばしながらお読みします。

兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。・・・・彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。・・・・・だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。


イスラエルの民が紅海を渡ったことを、パウロは洗礼に譬えます。生と死を分ける水をくぐるという意味で、その二つは共通しているからです。そして、洗礼を受けた者は、ただ肉の糧を食べて生きる者ではなく、霊的な食べ物を食べながら生きるのであると言います。彼らは皆「同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました」と言うのです。これは具体的には荒野放浪時代に、神様が与えて下さったマンナという食べ物のことですし、神様が岩から水を出して飲ませてくださった歴史的な事実を指しています。私がここで面白いなと思い、本当にそうだと思うのは、マンナにしろ、水にしろ、目に見える形としては一つの食物であり、物質的な水に過ぎません。しかし、過越の食事を経、紅海渡渉を経た後のイスラエルの民にとって、神を信じる者たちにとって、また逆に、彼らをご自身の民として生かす神様にとって、それはまさに「霊的な食物」であり「霊的な飲み物」なのだということです。神の民は、この食べ物を食べ、また飲み物を飲みながら生きるのです。この霊的な食べ物を食べ、霊的な飲み物を飲みつつ生きるという点で、イスラエルは他の民とは決定的に違うのです。彼らは己のためではなく、神のために生きる民だからです。

霊で始めても、肉で仕上げるならば

しかし、彼らはその食べ物を食べ、飲み物を飲みながら、最後まで神の民の歩みを貫けたのかと言えば、決してそうではありません。「彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされて」しまったのです。自分たちのこのような惨めな現実を、これでもか!という形で包み隠さず描いている「歴史書」を、私は『聖書』以外に知りませんけれど、「神の民」であるべきイスラエルは、せっかく神様によって死の滅びから救い出され、霊によって生き始めたのに、肉で完成しようとすることによって、自ら救いを放棄して滅んでいく。実際、それが神の民イスラエルの歩みなのです。
パウロは、イエス・キリストの十字架と復活による福音を通して新しく誕生した神の民イスラエルについても、少しも楽観などしていません。今お読みした箇所でも、彼はかつてのイスラエルに起こったことは、「わたしたちを戒める前例として起こったのです」と言っていますし、三章三節では、コリントの信徒がまだ「相変わらず肉の人」であると言っているし、ガラテヤの信徒に向かっては「あなたがたは、それほど物分りが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのか」と言って嘆いているのです。そして、この嘆きは、残念ながら、そのまま私たちに対する神様の嘆きであることを、誰しもが認めざるを得ないと思います。私たちは一コリント書一二章にあるように、聖霊の導きによって「イエスは主である」と告白することが出来たキリスト者です。霊によって信仰生活を始めたのです。ですから、どこまでも聖霊の導きに従いつつ信仰に生きなければ、せっかく与えられた恵みを失ってしまうのです。「立っていると思う者」「倒れないように気をつけなければ」なりません。試練を受け続けることがあったとしても、そのことで神の愛を疑い、不平不満を口にし、ついには信仰を捨てるというのであれば、それはかつてのイスラエルの二の舞になってしまいます。試練を受ける時にこそ、その試練に「耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださる」神様を信じて、すがらなければならないのです。そして、私たちは実際には試練を通してこそイエス・キリストと出会い、交わりが深くなるのですから、実は試練は恵みなのです。その出会いと交わりを与えることこそ、試練の本当の意味なのです。

信仰は賜物

私がこれから言うことは、神学的にも正しいと思うし、経験的に実感することなのですが、信仰はそれが本物であるならば、神様から与えられた賜物です。自らの努力で獲得した宝物ではなく、恵みによって与えられた宝物です。その信仰を試練や誘惑の中で自ら捨ててしまうということが、悲しいかな、かつてのイスラエルの人々にもあったし、今の新しいイスラエルの中にもある。洗礼を受けたキリスト者が世の忙しさにかまけて、世の富に目を奪われ、世の迫害に耐えられず、教会から離れていく。これは今も続く悲しい現実です。しかし、その現実と同じく、何故か信仰に生き続ける人がいるという現実がある。信仰を守り続ける人がいる。「信仰を守る」というと、聞こえがよいのですが、その内実は、いつも新たに犯してしまう自分の罪を知っており、その罪を赦して下さる十字架と復活の主イエス、そして聖霊において共に生きてくださる主イエスを信じる信仰を生きているということです。「最早罪を犯すことがない信仰」を守りながら生きているわけではありません。今も犯してしまう罪を今も主イエスが赦してくださり、尚も見捨てずに私を愛してくださる。そういう主イエスが生きておられることを信じる、この方以外に救いはないことをすがるように信じる信仰。そういう信仰を生きているのです。そして、この信仰は、「自分で守っている」というよりも、「尚も神様に守られ、与えられている」信仰だ。だから、賜物なのだ。本当に有り難い賜物、これ以上に価値のあるものはこの世にはない。そういう賜物だ。私自身は、そう感じます。どういうわけか、神様は、こういう絶大な価値を持った宝物を、私のような者に与えてくださり、私が幾度も、その宝物を汚したり、その価値を傷つけたりしてきたのに、そうであれば尚更、「あなたにこそ、この宝物が必要なのだ。さあ、もう一回新しくこの宝物、私の独り子の命をあげる。あなたのために死に、あなたのために生きている独り子の命をあげる。悔い改めて、受け取って欲しい。そして、新たに信仰を生きて欲しい。」そう言って、前よりももっと光り輝く宝物を手渡してくださる。だから、私は今日も恥ずかしながら、一人のキリスト者として生きているし、生かされている。そして、今現在の私の場合は、そのキリスト者として生きることが、牧師として生きること、説教を語る者として生きることだから、こうして説教をしている。させられている、させていただいている。そういうことだと思います。皆さんも、それぞれにパウロがローマ書で言っているように、「罪が増したところには恵みはなおいっそう満ち溢れる」という現実の中を生かされて、今日も、こうして主に招かれ、その招きに応えて礼拝を捧げる者として、この場におられるはずです。

聖餐式の守り方、心のあり方

午後の講演の中でも言うことですが、神様はイスラエルの民に過越の食事を「あなたと子孫のための定めとして、永遠に守られねばならない」とお命じになりました。これは、まさにその時代のイスラエルの人々と、その子孫のための食事、小羊の血によって、彼らが死の滅びから贖われ、神の民として生きるために必要な食事として守るように命じておられるのです。しかし、その守り方がやはり問題なのであって、形だけ守っても意味がないことは言うまでもありません。そこに聖霊の働きがなければ、また聖霊の働きを求める祈りがなければ、また神への畏れがなければ、マンナはただの食物になるし、岩から出た水もただの水になります。それは、私たちが聖餐式で頂くパンとぶどう酒も同じことです。
パウロは、一一章二七節以下では、聖餐に与かる際の注意事項をこう述べています。これは、毎回、聖餐式の序詞において私が読む言葉です。

従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。

 配られるパンとぶどう酒に漫然と手を出して食べたり飲んだりする。「それが習慣だから」、あるいは「伝統だから」それを守る。十六世紀のカトリック教会の中で生きていたルターが大いに疑問に思ったことの一つは、この問題でもあると思います。罪の悔い改め抜きの聖餐は単なる形式的な儀式に過ぎないし、下手をすると魔術的な儀式にもなってしまうのです。ルターは、「イエス・キリストが『悔い改めよ』とおっしゃったとき、それは生涯に一度悔い改めよということではなく、キリスト者の生涯すべてがキリストへの悔い改めであるべきだとおっしゃったのだ」という言葉をもって、最終的にはカトリック教会から破門され、新たにプロテスタント教会が出発する宗教改革、より厳密に言えば教会改革を始めることになったのです。
 私たちが主日毎にこうして主の前に集まってくるということ、それは主イエス・キリストの「悔い改めよ」という招きに応えてのことです。そして、主イエス・キリストが「悔い改めよ」とおっしゃるとき、主イエスは、「悔い改める者の罪を私は赦す」とおっしゃっているのです。その赦しに主イエスはご自身の命をかけてくださった。だから、この方によって赦されない罪はない。その事実を私たちは忘れてはならないのです。その事実を深く見つめる時に初めて、私たちは己が罪を見つめることが出来るのです。

個人的体験 未信者と信者にとっての礼拝(聖餐)

 これから聖餐式に関してお話しすることは、私の個人的な体験であり私の特殊事情と変わった性格の故に多くの方には共感や同感は出来ないことだと思いますが、私が生まれ育った教会は、現在もそういう形式を取っているようですが、聖餐式の時に洗礼を受けた信徒が七名ずつが前に出てパンとぶどう酒を受け取ります。七名出るごとに、牧師が、「これはわたしたちのために裂かれた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを憶え、感謝をもってこれを受け、信仰をもって心の中にキリストを味わうべきであります」、「これは、わたしたちのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを憶え、感謝をもってこれを受け、信仰をもって心の中にキリストを味わうべきであります」と読むのです。高校生だった私は、その教会の牧師の子として、無言の強制の中に礼拝に出ていましたが、その聖餐式の時は、妙な喜びがありました。何故かと言うと、牧師の子として生まれると、生まれながらにキリスト者のように見られることがしばしばありますし、そうでなくても、完全にそっちの人間として見られるし、下手をすると、牧師になることが期待されたり、当然視されたりという、とんでもない見方をする人も、教会の内外を問わずいます。私の少年時代は、そういう人たちへの反抗と反発を徒に繰り返しつつ生きていたという面がありますけれど、この聖餐式の時は、はっきりと「自分はクリスチャンではない」という意思表示をすることが出来る貴重な時でした。それまで礼拝堂に一緒に座っていた人々が、いそいそと前に出て行き、パンとぶどう酒を頂いて帰ってくる。その姿を見ながら、私は、「自分はまだまだイエス・キリストを信じてなどいないのだ」という立場表明を明確に出来ることを喜んでいました。
もちろん、これは先程も言いましたように私の特殊事情と性格に基づく感覚です。多くの求道者の方は、聖餐式が始まると自分が阻害されているような感覚、突然、目には見えないカーテンで遮断されているような居心地の悪さを感じられるのかもしれません。しかし、私の場合は、礼拝堂にいるからと言って、同じ信仰を持っていると思われるほうが余程嫌だったので、礼拝堂にいるすべての人にパンとぶどう酒を配るという最近の傾向の愚かしさを強く思う面もあります。とにかく、あの聖餐式において前に出て行くためには非常に重大な決意が必要です。決然と前に出る、決然として座り続ける。そこには明確な違いがあります。私たちの場合だと目の前にまで持ってこられたパンとぶどう酒の杯を決然として取るか、とらないか。そこには大きな違いがある。礼拝空間を同じくしていても、前に出る者とそうでない者、手を出す者とそうでない者は、実際には、同じことをしているのではないのです。かつての私のような未信者、つまり、まだ自分の罪を知らず、知らないが故に悔い改めもしていない人間は、罪の贖い主のイエス・キリストに対する礼拝に参加しているかもしれませんが、ある意味で見学をしているのであって、礼拝をしているわけではありません。言葉を聴き、行為を見て、また讃美歌と呼ばれる歌を一緒に歌い、主の祈りを諳んじたとしても、礼拝をしているわけではありません。真似をしているのです。いつの日か、そこで語られる言葉、そこで行われる業、そこで歌われる歌、祈られる祈りが何であるかを知る時まで、そして、そこで配られるパンとぶどう酒が何であるかを知る時まで、その場に招かれながら、見ているし、聞いているのです。そして、それはいつの日か礼拝するための備えなのです。
とにかく、私は自分が信徒ではないことを目に見える形で現すことが出来る、また現れる聖餐式が好きでした。そして、牧師の説教は訳が分からず、退屈でしたけれど、厳かに読み上げられる式文や、聖書の言葉、また「これは私たちのために裂かれて主イエス・キリストの体です」に始まる言葉が繰り返し読まれる度に、何か心の奥底で確かな言葉を聞いているという安心感がありました。
 それから色々あって、私はついに信仰を告白してキリスト者になり聖餐式に与かるようになり、今はどういうわけか牧師にもなって、聖餐式を司る人間となって、式の度毎に、「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。」と読む度に心が疼き、「あなたのために、主が命を捨てられたことを憶え、感謝をもってこれを受け、信仰をもって心の中にキリストを味わうべきであります」と読む度に、「アーメン」と告白しつつ、頂いています。そして、それは皆さんも同じだと思う。

主から受けたことを伝える

 その聖餐式の時に「制定語」として読むのが、今日の御言、コリントの信徒への手紙一 一一章二三節〜二六節です。『式文』は以前礼拝で用いていた『口語訳聖書』の言葉です。

「わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。」

 心揺さぶられる言葉です。何と言ったらよいのか分からないのですが、この言葉の中には、何かとてつもないものがあると思います。よく世間では「キリストの教え」とか言いますし、教会でもそういう言葉が使われるかもしれません。「キリスト教」という言葉自体の中に「教え」がついているので、私も「キリスト教」という言葉を使いますけれど、私の場合は、少なくとも聖書には何かの「教え」が書いてあると思って読んでいるわけではありません。たとえば、キリスト教の教え、あるいはイエス・キリストの教えは「愛の教えだ」「隣人愛が説かれている」と言われたりします。すると、比較宗教学者のような人が、「その教えは、あの人も説いていた、この人も説いていた、やはり偉大な人の教えは似ているものだ。宗教というのは入り口は様々であっても、最終目標は一つであり、真理は一つだ」というようなことをおっしゃる。「そうなんだろう」とも思うし、そうであっても構いませんが、私にとっては、そんなことは全く関係ありません。
私にとっては、主イエス・キリストに出会って、愛されていることが全てです。教えに興味があるわけではありません。幸い、教えも素晴らしいけれど、愛というのは、教えではないでしょう。親が子供を愛している。愛を言葉で教えているわけではない。一日中、眺めても飽きない思いで愛している。おっぱいをあげ、オムツを換え、抱っこし、添い寝をしながら一緒に眠ってしまう。でも、少しでもむずかると目を覚まし、赤ん坊が自分を必要としてくれる喜びに満たされて、寝不足でしんどくても、世話をする。そういう愛を注がれている時、赤ん坊は安心して生きることが出来るし、赤ん坊にとってはその愛が全てです。赤ん坊は親の教えに感動しているわけではないし、立派な教えをもっているから親だと思っているわけじゃないし、そういう観点で親を選んでいるわけでもない。ただ、親から愛されることだけが赤ん坊にとってはすべてなのです。その愛で愛されることで生きているのです。泣こうが喚こうが抱き締めてくれて撫でてくれて、「お前がわたしの子であることが嬉しいよ」と表現をしてくれる。その愛で愛されていれば、その子にとって親は唯一の、掛け替えのない存在です。そして、イスラエルがエジプトから脱出する晩、「主は寝ずの番をされた」と聖書には記されていますが、その部分を書いた人は、徹夜して自分たちを守ってくださる主の愛に心揺さぶられるような思いで書いたのだと思います。
 パウロが、「わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである」と言うとき、新共同訳聖書の言葉で言えば、「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」と言うとき、彼の心は喜びと感謝で震える思いだったでしょう。この主は、彼のために、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われ、また杯を取って、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である」と告げられたのです。そして、その言葉は、十字架の死を意味していたのです。その死、肉が裂かれ、血が流される犠牲の死を通して、神様が背きに背いた彼の罪を赦して、神様の子供として迎え入れてくださったのです。そして、彼は神様を「アッバ、父よ」と呼ぶことが出来る神の子とされたのです。パウロは、この言葉で、その救いの喜びと感謝を溢れさせているのだと思う。

迫害者から伝道者へ 

 パウロは、かつては旧いイスラエル、ユダヤ人のエリートでした。神の教えを忠実に守っている自分こそは神に義とされた人間であると堅く信じていたのです。そうであるが故に、「神の教えを守ることではなく、主イエス・キリストの十字架の死に現れた神の愛を信じることによって罪人は義とされるのだ」と告白しているキリスト教徒を、神に敵対する反逆者として迫害していた人物です。しかし、その彼が迫害に向かう途中で、復活の主イエス・キリストに出会い、それまでの自分の歩みの全てが、実は根本的に間違ったものであり、神様の御心に反するものであることを知らされたとき、彼は愕然とし、目も見えなくなり、食べることも飲むことも出来ない心神喪失状態に陥りました。しかし、そういう彼の許に、教会の責任者、今で言えば牧師の立場にあったであろうアナニヤという人が遣わされ、彼の全ての罪を主イエスはその十字架の死によって贖ったという事実を告げ、今、パウロが出会った方は、その十字架の死から甦られた主イエスであることを告げ、その主が彼を迫害者ではなく罪の赦しの愛を伝える伝道者として遣わそうとしていることを告げ、彼に洗礼を授けたのです。その時の情景を使徒言行録はこう記しています。

アナニヤは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。
「兄弟サウル(パウロ)、あなたがここで来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。」


 当初、迫害者であったパウロを恐れていた教会の人々も、彼が復活の主イエスに出会って新たに生まれ変わり、今は聖霊の導きの中を生きていることを知って、次第に彼を受け容れ始め、彼は異邦人への伝道を力強く始めることになります。

教会の中で知らされたことを知らせる

その彼が教会の礼拝の中で初めて知らされたことが、主の晩餐(聖餐式)です。彼は洗礼を受け、キリスト者の一人となって、初めて聖餐式に与かったのです。その時に、その教会で伝えられていた言葉を、自分が伝道して誕生したコリントの教会の人々にそのまま告げ、その言葉に則って使徒として聖餐の司式をしたのです。そしてその度に、主イエスと出会ったあの日のことを思い起こし、そして、主が自分のために肉を裂かれて死んでくださったこと、血を流して死んでくださったこと、神に見捨てられて死んでくださったことを通して、見捨てられて然るべき自分が神の子として迎え入れられる新しい契約が立てられたことを噛みしめたのです。そして、その度ごとに主に感謝し、主を讃美したのです。
しかし、コリントの教会において、その食卓の守り方が、崩れ始めていることを知って、彼はこの手紙を書き、主から受けた通り、パウロが告げた通り、聖餐式を守るように告げている。そして、その時から二千年という年月を経た私たちも、今、この渋谷の地で、同じことを告げられており、告げられた通り聖餐式を守り、祝っているのです。そのことを通して、私たちは毎回、主の死を告げ知らせている。主イエス・キリストが、私たちのために十字架で死んでくださった。そのようにまでして、私たちを愛してくださった。その主が、復活し、今日も私たちを悔い改めへと招き、招きに応えて礼拝に集ってきた者たちの罪を赦し、新しい命の祝福を与えてくださる。その事実を新たに記念し、新たに告知する。それが、私たちの礼拝だし、聖餐式です。私たちは、この礼拝において霊的な御言を糧として食べながら生きているのだし、霊的な食べ物であるパンと霊的な飲み物であるぶどう酒を飲みながら生きている神の民なのです。罪の支配の中に滅びるほかに道がなかった私たちに、かくも尊い宝物を与えてくださる父・子・聖霊なる神に代々にわたって栄光がありますように、祈ります。
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