「永遠の儀式」
モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。 また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。 食卓共同体としての家族 次第に「聖餐の食卓を囲む共同体」を主題とする信仰修養会の日が近づいてまいりました。今日から九月二十日までは、すべて聖餐の食卓に関する御言を聴いてまいります。その主題による修養会は、今年で五年目となります。何故、この主題をここまで継続させるのかと言えば、それは六年前に掲げた「十年ヴィジョン」と深い関係があります。十年ヴィジョンの中心は「神の家族としての教会を形成する」というものです。家族の中心は言うまでもなく食卓です。家族が食卓を共にしなくなれば、家族の結束は弱まっていきます。今はその食卓には必ずと言って良いほどテレビがあり、下手をすると食事中、皆がテレビを見て黙ったまま食事をする場合があるかもしれませんし、さらには各自の部屋にテレビがあって、家族が揃って食べることさえ珍しいということもあるようです。また、父親あるいは母親が忙しくて、あるいは職場と家が遠くて、家族が揃って夕食を一緒にとることが難しいという事情もある。しかし、そういう事情があったとしても、週に一回でも食事を共にする努力すらしなくなれば、どうしても家族の交わりは薄くならざるを得ません。 私が幼かった頃は、鰹節を削ったり、大根おろしを作ったりと、子どもも食事作りに参加しながら皆で食事をする家が多かったと思いますし、一家の主人が気難しい父親でなければ、食事時には、子どもたちがその日にあったことなどを話したり、親たちが自分の経験を話して聞かせたりしたものです。何らかの宗教に関りのある家では、お仏壇にお供えをしたり、食前の祈りをしたりして、先祖と共に、あるいは神様と共にその食事を分かち合います。そういう食事を通して、子どもたちは自分が何者であるかを体感的に知っていったのだと思います。特に日本の風土の中では、ご先祖様を迎えるお盆とか、大掃除を済ませてのお正月の食事とその後の一年の無事を祈る初詣は特別なもので、ある種、神聖なものだったと思います。クリスチャンの家では、クリスマスの食事とかイースターの食事が、それに当たります。その時の祈りには、必ず主イエス誕生の喜びが感謝されますし、主の十字架と復活の出来事を感謝しながら家族が食卓を囲むのです。そのような祈りを伴う食事を通して、自分たちが何者であるかを確認する。そういう伝統がなくなると、その家族、あるいは共同体は内部から崩壊していきます。もちろん、家族の結束は夫婦の愛、親子、兄弟の愛にあるのですけれど、神を信じる家庭においては、神の愛を中心とし、その愛を分かち合うことが、その交わりの中心になるのです。ご先祖様を大切にする家では、そのことがないがしろにされるようになれば、家族の形は自ずと変わって生きます。 共同体を繋ぐ祭り 一つの家庭は、地域共同体の中に生きています。かつての村落共同体においては、その地域の神様を祭る神社や先祖が葬られている寺が催す祭りを守ることを通して、その村落のしきたりや風習が伝承され、その規範が確認されます。そして、その規範から外れる者はその地域では生きていけないという一体性を作り出していました。その祭りに欠かすことが出来ないのは、酒を伴う食事です。 しかし、政教分離が進んでいる現代では、祭りは次第にその宗教性を失って、地域興しのイヴェントとなり、夜店が出たり、花火が打ち上げられたりするだけで、その地域のしきたりや風習が伝承されるものではなくなっています。一方で、クリスマスはキリスト礼拝という意味ですが、キリスト教とは全く関係のない一大イヴェントになっています。 しかし、何か事が起きた際には、神社も再び国家の統制の中に入って、国家神道化していく可能性を秘めていることも事実でしょう。そして、かつての皇国史観に基づく歴史観、つまり日本の歴史とは万世一系の天皇を統治者とする神国の栄光の歴史であるという歴史観が形成され、学校教育の中で採用される可能性もあるでしょう。国家共同体が一つに纏まるために必要なものは、その共同体を形づくる歴史、あるいは物語です。多くの者が自分たちの歴史に誇りを持つことが出来るような物語を共有できる時、その国家、あるいは共同体は、一体感をもって歩むことが出来ます。そのためにも紀元節だとか、天皇誕生日だとかいう祝日、つまり物語を共有する祭りを祝う日が必要だったのです。 しかし、日本は敗戦によって、明治以降作り出してきたその物語が否定されました。それに代わる新しい物語を形づくることも出来ぬまま経済大国を目指すというヴィジョンの許で歩んできて、物凄いバイタリティをもってそのヴィジョンを実現してきました。しかし、その一方で家族の崩壊が進み、それは幼児虐待あるいは育児放棄という悲惨な事例をたくさん生み出しています。また、家族の崩壊は社会の崩壊と表裏一体のものです。良くも悪くも時代を超える宗教的な規範を失った家庭や社会の一体感は喪失し、安心とか、希望が見えない時代になっています。政治家たちも新しい国家ヴィジョンを描くことができず、私たち国民もまた同様だと思います。 聖書を読むこと そういう時代の中で、私たちは毎週二千年あるいは三千年も前に書かれた文書を読んでいます。しかし、言うまでもないことですが、私たちは歴史学的な興味や関心でのみ聖書を読んでいるわけではありません。かつて古代イスラエル社会において何が起こったのかを探求しているだけではなく、ここに記されている言葉は「神の言」であると信じており、その言葉は現代に生きる私たちに何を語りかけているのかを探求しているのです。その語りかけを聞き、信じ、従いつつ生きる。そこにこそ、私たちの教会、私たちの国、私たちの世界に明るい未来をもたらす道がある。そう信じて聖書を読んでいる。それも、この礼拝、つまり祭りの中で共に読んでいるのです。今日の場合で言えば、三千年以上前の出来事を記すこの出エジプト記一二章の記述の中に、歴史を貫いて継承されてきたものがあり、またこれからも世代を越えて、子孫たちに対して継承されていくもの、継承すべきものがあると信じているからです。その継承は、イスラエルにおいて、安息日毎の礼拝と、毎年祝われる祭りの中でなされてきたのですし、私たちにおいてもそれは同様です。毎主日の礼拝と、クリスマス、イースター、ペンテコステという三大祭りを守り続けることを通して、永遠に継承すべきものが何であるかを確認し、そのことにおいて神との交わり、主にある兄弟姉妹との交わりを生きているのです。 聖餐の起源 私は、「聖餐の食卓を囲む共同体」を主題とする修養会を始めるに際して、一回目を「過越の食卓」の学びとしました。中渋谷教会では年に十五回守ることになっている聖餐の食卓の直接的な起源は、主イエスと弟子たちとの「最後の晩餐」と言って良いと思います。その「最後の晩餐」の起源の一つは「過越の食事」であり、またもう一つは、次週ご一緒に読むシナイ山における「契約の食事」です。この二つの食事が最後の晩餐の背景にあることは明らかです。ということは、私たちが守り祝う「聖餐の食卓」の背景にもこの二つの食事があるわけで、今日は、過越の食卓を囲むことに関して、ご一緒に御言に聴きたいと思います。 過越の食事の起源 「過越の食事」の起源は、紀元前一三〇〇年頃の出来事にあります。あくまでも聖書の記述に基づいて語りますけれど、イスラエルの民の祖先であるヤコブの時代に、ヤコブとその家族は食料を求める飢餓難民としてエジプトに下りました。当初は、ヤコブの息子ヨセフがエジプトにおいて高い地位にあったので彼らは歓迎され、優遇されました。しかし、世代が代わっていくに連れて、ヤコブの子孫は数が増えていくと同時に外国人労働者、つまり下層労働を担う者となり、ついに奴隷と呼ばれる地位にまで落ちていきました。ヤコブたちがエジプトに行ってから四百年を経った紀元前一三〇〇年頃のことです。 しかし、彼らの父祖であるアブラハム、イサク、ヤコブに対して、神様は現在パレスチナと呼ばれる地域一帯を、その子孫に与えると約束されていました。ヤコブたちがエジプトに下ってから実に四百年を経て、神様はいよいよその約束を実現するためにモーセを選び立て、イスラエルの民をエジプトから脱出させるという救済の御業を始められたのです。その救済の御業が始まる直接の原因は、当時のエジプト王(ファラオ)が、数が増えすぎたイスラエルの民に脅威をおぼえ、弱い者はどんどん死ぬような激しい苦役を課すと共に、男の子が生まれたらそのままナイル川に放り投げろとの命令を下したことにあります。つまり、ファラオは一つの民族の労働力を徹底的に搾取した上で、絶滅させる政策を採ったのです。 そういう苦境の中で、イスラエルの民は、先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神、主に叫び、助けを求めました。主はその叫びを聞き、アブラハムへの約束を思い起こし、アブラハムの子孫なのにエジプトの宮殿で育ったモーセをその指導者として立て、エジプト人にとっては神の化身でもあるファラオとの対決に向かわせました。その対決がどんなものであるかは、それぞれ出エジプト記をお読みいただくほかにありませんが、通常、「十の災い」と言われます。主なる神様に逆らうファラオを裁くために、神様はエジプト全土に様々な災いをもたらすのです。その都度、ファラオはイスラエルの民をエジプトの地から解放する約束をするのに、また翻す。そういうことを繰り返します。 そして、最後の災い、それが今下されようとしているのです。その災いとは、エジプト中の家で初めて生まれた子供、「初子」がすべて死ぬという恐るべき災いです。それは二九節以降を見れば分かりますように、「王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれる」という徹底的な裁きです。その恐るべき裁きを免れ、エジプトを脱出して神様と契約を結ぶ神の民となるために、家族ごとにとらねばならぬ食事、永遠に守るべき儀式となっていった食事、そして現に今も「世界最古の祭り」としてユダヤ人が守り続けている食事、そして、私たちが受難週の祈祷会やイースター礼拝において新たな形で、象徴的に守る食事、それが過越の食事です。 守るべき儀式 モーセは、こう命じています。 「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。」 どのようにして料理をして、どのような格好をして食べるのかなどについては、一二章の最初の方に書いてあります。ここで強調されているのは、犠牲の羊の血を各家の鴨居と柱に塗ることです。その血を見て、主の使い、死の裁きをもたらす使いはその家を通り過ぎる、過ぎ越す。イスラエルの初子は撃たれることがない。犠牲の羊が肉を裂かれ、血を流す、その血によってこの家の中の人間の罪は贖われている、死の裁きを免れ、神の民として生きるべき使命が与えられる。その救いと使命が、この時と、後に続く食事を伴う契約締結を通して、イスラエルの民に与えられたのです。子々孫々がその救いに与るために、この食事を守ることは必須のことです。何故なら、その食事の席で、主の救いの御業がいつも新たに語られるからです。 モーセはこう言っています。 「あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。 エジプトを脱出して、アブラハムに対して主なる神様が約束した土地に入ることが出来て以後も、この食事を伴う祭りは必ず毎年守らねばならないと、彼は言います。それが主の命令だからです。その時、子孫たちは、その祭りの意味を問うでしょう。何をやっているのか?この肉は何か、この血は何か、このパンは何か、この苦い菜っ葉は何か?何故、この食事を毎年家族が集まって食べなければならないのか?と。その時に、親たちは、いつも、「これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである」と教え続けるのです。実際には、私が省略した十の災いを含めて、出エジプトの物語をすべて語り聞かせるのです。 現代でも、それは信仰を生きるユダヤ人の間で継承されていることです。そのようにして、彼らは、自分たちが何者であるかを確認し続けたのだし、確認し続けているのです。つまり、自分たちは主が定めた羊の犠牲によって罪を赦され、死の裁きを免れた民であり、主の救いの御業によって当時の世界で最強であったエジプト帝国の支配から脱出させられた者たちであり、その後も、主の養いと守りの中に生かされてきた者たちであることを子どもらに語り聞かせてきたのです。そして、出エジプト記を読み進めれば分かることですが、この後に続く荒野の旅路において彼らが知らされたことは、人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出る言葉によって生きるということです。そして、その言葉とは、結局、「わたしの愛を信じ、わたしの言葉を生きなさい」ということに尽きるのだし、その言葉の内容は、神を愛し、隣人を愛して生きなさいです。具体的には、次週読むことになるモーセの十戒がその中核となります。 ヨハネ福音書における過越の小羊 私たちはこれまでヨハネ福音書を読んできましたし、修養会や創立記念礼拝を終えた十月から再び読み始めます。けれど、そのヨハネ福音書において、イエス様が誰であるかを最初に証言したのは洗礼者(バプテスマ)のヨハネです。彼は、イエス様を見た瞬間、こう言いました。 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。・・この方こそ神の子であると証ししたのである。」 つまり、主イエスこそ、新しい出エジプト、私たち人間が罪の世から救い出されるために屠られる過越の小羊だと証言したのです。そして、ヨハネ福音書における最後の晩餐において、主イエスは新しい掟、新しい命令を弟子たち、つまり新しいイスラエルの民となるべき人々に与えられました。それが、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」であり、また、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」です。この愛とは、命を捧げて神を愛する愛であり、また命を捧げて友を愛する愛です。そして、その主イエスの愛に神の愛が現れているのです。そして、その愛は、ユダヤ人が過越の小羊を神殿で屠る時間にイエス様が十字架に磔にされ、肉を裂かれ、血を流されるその時に、完全な形で現れることになります。 ヨハネ福音書一九章一四節に、イエス様が当時世界最強であったローマ帝国の総督ピラトによって十字架刑が決定された時刻は、「過越祭の準備の日の、正午ごろであった」と記されています。それは、過越の食事のための小羊が屠られる時刻です。そして、ヨハネ福音書においては、十字架に磔にされたイエス様に、「ぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプにつけ」て飲ませようとするとか、イエス様の「足の骨が砕かれなかった」とか、出エジプト記一二章に出てくる言葉が何度も出てきます。過越の小羊は骨を砕いてはならず、またその血はヒソプという植物によって鴨居に塗られなければならなかったのです。 こういう叙述を通して、ヨハネ福音書は、主イエスこそ新しい過越の羊であることを告げているのです。つまり、死の裁きを代わりに受けて命を与える犠牲だということです。そして、その主イエスご自身が既に六章において、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」とおっしゃっていました。多くの弟子たちは、その言葉を聞いて、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と言って、離れ去っていきましたし、ユダヤ人はいよいよもってイエス様を殺さなければならないとの思いを深めていきました。しかし、主イエスは、そのすべての人々の内に生き、永遠の命を与えるためにも、十字架に磔にされ、世の罪を取り除く神の小羊となられたのです。 初子の死 出エジプト記一二章は、この後、エジプト中の初子が死ぬ場面が続くと先ほど言いました。そこに神様の裁きが現れています。神ならぬ者を神とし、また自らを神とする人間の世界、富による繁栄と武力による統治を目指し、自らの繁栄の為に人を奴隷としてこき使い、使えなくなれば捨て、欲望の極みである戦争に動員し、虫けらのように扱うこの世の代表として、この時のエジプトの王とその支配にあるエジプト帝国は登場します。それは、罪によって自らを破滅させていく世界の代表です。神様がお造りになり、祝福し、「すべて良かった」とお喜びになった世界とはかけ離れている世界です。神の像に象られ、神を愛し、互いに愛し合う人間の姿など、どこにもないのです。そして、主こそが神であることを信じるように何度も促されたにも拘らず、その度に心を頑なにして主の支配を拒み、あくまでも己が腹を神として、その欲望に従って歩むことを止めないこの世の支配者と民衆に対して、主はついに、その初子を撃つという裁きを下されました。 その後、イスラエルの民のエジプト脱出の出来事が記されます。その旅路は、この世の支配者など存在しない厳しい荒野です。その荒れ野で、彼らは激しい試練を受け、何度も何度も、主に背く罪を犯すのです。しかし、その都度、主の裁きを受けることを通して主に立ち返り、主こそが真の支配者、王であることを知り、主の民として主の言葉に従って生きることを学んでいくことになります。 割礼を受けた者だけの食事 そして、一二章の後半には、割礼を受けた者だけが、過越の食事に与ることが出来るという規定が出てきます。生まれながらのイスラエルの民だけでなく、寄留する外国人も奴隷も、皆、主の民となる契約のしるしである割礼を受けるならば、誰もが神の民として過越の食事に与かることが出来ると、主は言われるのです。それは、裏を返せば、割礼を受けていない者は、血筋がイスラエルに属している者であっても過越の食事与ることは出来ないということです。 この割礼は、新約聖書においては洗礼に取って代わられました。男性器の包皮を切り取る割礼は男子しか受けることはできませんが、水が用いられる洗礼は性別を超えています。主イエス・キリストこそ神の初子であり、独り子であるのに、神はその独り子を世の罪を取り除く神の小羊として犠牲の供え物とされたこと、そして、主イエスは神を愛し、すべての人間を愛するが故に、すべての人間を罪の支配から解放し、永遠の命に生かすために、ご自身を十字架に捧げられたこと、そして、神はその主イエスを死人の中から甦らせ、罪と死に対する勝利を与えられたことを信じる者、己の罪を知り、その罪を悔い改め、主イエス・キリストによって赦され、新たに生かされることを聖霊の導きの中で信じることが出来た者は、洗礼を受けることを通して新しい神の民イスラエルとして神の家族に迎え入れられるのです。それが新約聖書、イエス・キリストによる新しい契約が記されている新約聖書が告げている福音です。 私たちは、この福音を礼拝の中で聴いて信じ、洗礼を受けたキリスト者です。洗礼を受けるとは、パウロがローマの信徒へ向けて書いた手紙の言葉で言えば、「罪が増し加わったところに、恵みはなおいっそう満ち溢れたこと」を信じ、「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた」のです。それは、「洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものと」なり、「キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるため」です。そのように古き自分に死んで、新しくキリストと共に生きる者とされた私たちにとって、毎週の礼拝はまさに祭りです。一同が決められた時刻に集まってきて、神の口から出る言葉を命の糧として食べ、また神が送ってくださるキリストの霊を命の息として受け入れ、父なる神様にこの一週間に与えられた恵みを報告し、また犯してしまった罪を告白し、主イエスによって赦して下さる神様を心から讃美する。そして、いつも神様の救いの御業の物語が語られるのを聴く祭りの時です。 御言を伴う食事 私たちがその礼拝の中で、年に十五回守っている聖餐において必ず読まれる聖書の言葉、それはパウロがコリントの信徒に向けて語った言葉ですけれど、その最後はこういう言葉です。 「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのである。」 私たちが日曜日ごとに祭りをする。そして、聖餐の食卓に与る。それは、常に新しく、主の死という出来事、神様の決定的な救済の御業を聞き、新たに語り伝えることです。まだ信仰を与えられていない方たち、また教会に集う子どもたち、私たちの子どもたちに、世の罪を取り除くために十字架に架かって死んでくださったお方がいるということ、このお方の死を通して、世界の歴史は一変し、私たちは罪と死の支配から解放され、神様の愛と命の支配の中に置かれていることを、私たちは礼拝の度毎に自ら確認し、感謝しつつ世の人々に告げ知らせているのです。私たち自身、この礼拝の中で告げ知らされることで信仰を与えられ、この恵みに与っているのですから、私たちもまた神の家族の姿が現れるこの礼拝において、いつも新たに主イエス・キリストを通して始められ、今も継続されている救いの御業を語り伝え、いつの日か主が来られ、世界中の人々が神の家族として神を愛し、互いに愛し合う神の国が完成する望みを新たにするのです。 永遠に守るべき儀式 私たちキリスト者が、自分たちの子どもに語り伝えること、後の世代に語り伝えること、それはキリストの愛です。私たちの救いのためにご自身の命を捧げて下さった愛です。これに勝る愛はないと言われる愛です。家庭の食卓を通して、また神の家族の食卓である礼拝を通して、このキリストの愛を語り伝える。その愛は、キリストの裂かれた肉を食べ、流された血を共に飲む食卓を通して、私たちの内にキリストが生きていることを教えてくれます。そして、キリストにあって、私たちを一つの家族として下さるのです。だから、この礼拝、聖餐礼拝は、私たちが永遠に守るべき儀式なのです。その儀式を守ることを通して、私たちは天地創造以来、終末に至るまでの神様の救いの歴史の中を生きることが出来るのです。聖餐の食卓を守るとは、単なる形式主義だとか、伝統文化の保存だとか、そんなことではありません。今に生きるキリストと結びついて生きることであり、そのキリストを宣べ伝えることです。だから、世の終わりまで継承していくのです。 |