「あなたは知らないのか」

及川 信

       イザヤ書  40章27節〜31節
ヤコブよ、なぜ言うのか
イスラエルよ、なぜ断言するのか
わたしの道は主に隠されている、と
わたしの裁きは神に忘れられた、と。
あなたは知らないのか、
聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。


 震災から一年が経ちました。あの日、東京でも大きな揺れがあり、何人もの方が帰宅出来ず、大変な思いをされたことと思います。私はこの建物の中におり、地震が収まったと思った時に外に出ましたが、近くの高層ビルが肉眼でもはっきりと分かるほど大きく揺れ続けている様を見た時、ただ事ではないと思いました。

 映せるもの、映せないもの

 それ以来、私たちがテレビで見る津波や原発事故による惨状はどれもこれも言葉を失うものです。しかし、それらはすべてテレビの画面で放映出来るものであり、実際には、映すこともできず、放映することなどできない様々な悲惨な現実があるでしょう。そして、人間の心の中にある深い悲しみや傷はテレビの画面には映りません。時折、言葉として表現されるだけです。
 先日の新聞に、遺体安置所で父親と対面した小学五年生の女の子が書いた文章が掲載されていました。

「そこには、お母さんが先にいって、お父さんの顔を、泣きながら見ていました。私は、お父さんの顔を見たら、血だらけで、泣きました」。

 血だらけのご遺体の顔は撮影も放映もできません。でも、そういうご遺体と対面せざるを得なかった多くの大人がおり、また幼い子どもたちがいます。また、海の中で腐敗してしまった夫や妻、あるいは子や孫の遺体と対面しなければならなかった方もたくさんおられる。その方たちの心に深くついてしまった傷がある。その傷を目で見ることはできません。
 小学五年生の女の子は、遺体安置所で見た母の泣き顔と血だらけの父の顔を思い出すたびに、心が引き裂かれるような悲しみに襲われるに違いありません。それは大人になっても変ることがないし、自分が母親の年齢になり、自分にも子どもがいるとすれば、尚更、津波に呑み込まれて死んでいった父の無念と、その血だらけの父と遺体安置所で再会した母の悲しみが胸を突き刺すだろうと思います。
 福島の原発事故によって故郷を追われた人々、また放射能を浴びつつ生活することを余儀なくされている人々がいます。先日聞いた話では、福島県の子どもたちの中には、「自分たちは放射能に汚染されていると思われているから福島出身者としか結婚できない。そもそも結婚できないかもしれない」と言っている子どもらがいるというのです。また、近い将来癌で死ぬことになるんだと脅えている子どもらがいます。
 広島や長崎の原爆被害者の中にも、出身地を隠し、原爆投下直後に現場にいたことをひた隠しにしなければならない方たちがいました。そうでないと、就職も結婚も出来ない程に様々な厳しい差別を日本国民から受けたのです。私たちは一方で同情しながら、他方で厳しい差別をする人間たちです。だから、被爆者にとって、あの出来事は生涯消えることのない深い傷と悲しみをその心と体に与え続けたのです。原発事故の被災者の方たちにも、それと同じことが起こりつつあるのではないでしょうか?そういうことが繰り返されてよいのでしょうか?

 人々に忘れられても、忘れることはできない

 その人々の心の傷や悲しみをカメラは映すことはできませんし、私たちの肉眼で見ることも出来ません。そして、私たち直接の被災を経験していない者たちの多くは、その傷や悲しみを見たくはないのです。実は忘れたい。「私たちは忘れない!」とスローガンを掲げたり、「絆」という言葉が掲げられたりするのは、私たちが忘れ、また分断されていることの表れだと思います。
 私たちがどうであれ、復興の見通しも立たない現地で、また各地の仮設住宅で、地域の繋がりや家族との交わりを奪われている方たちがいます。その方たちの中には、自分たちが世間の人々から忘れられ始めているのに、あの日、目の前で流されていった夫や妻、親や子の面影を忘れられず、その死に顔を忘れられず、行方不明のままの家族を探し続け、帰りを待ち続けているという方もいます。震災そのものは一日の出来事です。しかし、あの日の出来事は一年経った今も多くの人々の心に襲いかかり、悲しみがその人たちを呑み込もうとしているのです。

 どこにいるのか分からない 一

 ある番組の冒頭に流された被災者の声は、こういうものでした。

「誰にも言えないようなこの悲しみ、その日となにも変っていないんです」。
「将来の不安に負けてしまうと、死んだ方がいいんでねえかって思うわけよ」。

 その番組の中で、四歳の男の子を津波にさらわれた若い母親(「Kさん」としておきます)が紹介されていました。少し前に離婚して実家に帰り、地元の保育園で働いていた方です。地震の後、津波が襲ってくるとの避難警報が出ました。しかし、Kさんは保育園を離れられず、他の保育園に通う息子の迎えにいけなかったのです。そこで、自分の母親(息子の祖母)に迎えに行って貰った。しかし、息子はその祖母と一緒に津波に飲み込まれてしまった。
 息子を亡くしたKさんと、妻を亡くしKさんの父親は狭い仮設住宅に二人で暮らしています。クリスマスにはいつものようにケーキを作り、いなくなってしまった二人のためのコップにもソーダーを注ぎ、父と二人で乾杯する。息子のしょうや君の誕生日が来ると彼女はやはりケーキを買ってきて、二人でしょうや君の写真を見ながら祝う。亡くなった母と父の結婚記念日にも記念品を用意する。そういうことをしなければ、Kさんは悲しみに耐えることは出来ない。でも、そうすることによって息子や母がいないという現実が身に染みて、むしろ悲しみが湧き起こって来るのです。
 そんな年末にKさんの母親の遺体が見つかりました。でもそれは、Kさんにとって、母と一緒にいたはずのしょうや君が独りになってしまったことを意味します。Kさんは、しょうや君にとって最も辛く恐ろしい時に一緒にいてやれなかったという母としての罪責感と、独りになってしまったしょうや君の所に行きたいという衝動に呑み込まれそうになるのです。

「しょうやが今どこにいるのか分からない。しょうやが独りでいる所に私も行きたい」。

 Kさんは、そう言いました。

 どこにいるのか、分からない 二

 前の日の番組では、保育師をしていた二十六歳になる娘さんの帰りを待ち続けているOさんという父親が紹介されていました。その娘さんは、多くの園児と共に行方不明になったままなのです。
 三月十一日以来、父親は娘を探し続け、ノートに日記をつけ始めました。その文面は、ほぼ毎日同じです。
「菜津子と連絡取れず」。
 ただこのことだけが、Oさんにとって書くべきことなのです。他に何があっても、この事実こそが最も重たい事実なのです。そして、娘が帰ってくることのないままに年が明けた今年の二月、娘さんの二七歳の誕生日に死亡届を出しました。でも、娘はどこかで助かっており、記憶喪失になっているから帰ってこられないのではないかと想像したりする。そして、死亡届を出した日の日記にも、「菜津子と連絡取れず」と書いておられました。Oさんにとっても、愛する娘がどこにいるのか、それが分からない。そのことが娘との別離の悲しみと共に重くのしかかる苦しみなのです。

 どこにいるのか分かった

 先月、教会員のKHさんが四四歳の若さで天に召されました。私たちも大きな驚きと悲しみに襲われました。しかし、数時間前までいつものようにご自宅で話しをしておられたKN夫人が受けた衝撃は計り知れません。KNさんは、翌週の礼拝にいらっしゃり、皆さんにこうご挨拶をされました。

「KHさんが、今、どこにいるのか、はっきり分かったので、今日、礼拝に来ることができました。KHさんは、この中渋谷教会が大好きでした。わたしもいつの日か、頑張らないけれど、諦めない教会生活をしてもいいかなと思い始めています」。

 KNさんには、葬儀の数日前に葬儀説教の初稿を読んで頂き、ご夫婦のエピソードなどを教えていただきました。「この説教は、二〇回近く読んでその都度泣きました。でも、KHさんがどこにいるのか分かりました」とおっしゃいました。
 しかし、そうであったとしても、KNさんの悲しみは続いていますし、すぐにその時は終わらないでしょう。人は、支えの中で、悲しみを生きなければならない時があると思います。しかし、私たちは「悲しんでいる人は幸いである。その人は慰められるであろう」という主イエスの言葉も聴いています。その言葉が、いつの日かKNさんにも実現することを信じ、祈りをもって待ちたいと思います。

 別離の悲しみを通して 一

 今日は二人の方の洗礼式がありました。私は、このお二人が大震災を覚える日に洗礼を受けられたことを偶然とは思えません。お二人とも、お身内の死という深い悲しみを通してイエス・キリストへの信仰へと導かれた方たちだからです。
 ISさんは、一四年前に最愛の父上を亡くされました。その時、私の前任牧師である嶋田先生や山本先生が繰り返しお見舞いを下さり、聖書を読んで祈ってくださいました。その時のことをISさんは、信仰告白文の中でこうお書きになっています。

「病状が進んでも、父はその日だけは嬉しそうで、苦しそうな表情がやわらいで見えました。共に聖書を読み、祈るということが、こんなにも病人を救うことなのだと思います。病人だけではありませんでした。側にいる家族も、私も救われて平穏な気持ちになりました。・・とうとう父が危篤となり、集中治療室に移された時、お二方の牧師先生は意識のない息もたえだえの父に『神様が共にいてくださいます。ひとりではありません。怖くありませんよ』と静かに呼びかけました。私は、涙が溢れそうになりましたが、心の中に新しい窓が開かれて、光が射し込んできたような感じを受けました。」
 そして、ISさんは、ヨハネ福音書一五章に出てくるイエス様の言葉を引用し、「私も神様につながっていたいと、そう思った時でした」と記しています。そのイエス様の言葉とは、こういうものです。

「わたしに繋がっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。・・わたしから離れては、あなたがたは何もできないからである」。

 父上の死を通して、ISさんはこの主イエスの言葉を聴き、その真実に撃たれ、慰められたのです。そして、父上の信仰をご自身にも与えられたいと願われるようになった。そして、時満ちて今日の日を迎えられました。
 「わたしに繋がっていなさい」とは、「わたしの中に留まっていなさい」という言葉です。主イエスの中に留まる。それは、ただ信仰によってのみ可能なことです。神を信じ、主イエスを信じる。聖霊によってその信仰が与えられる時、私たちは私たちのために十字架に死に、甦られた主イエスの中に留まることが出来るようになるのです。生死を貫き、天地を貫いて生きておられる主イエスの中に自分の居場所を見つけ出すことができ、その主イエスの中に憩うことが出来るのです。
 ISさんは、父上の死と別離の悲しみを通して、主イエスの言葉を聴き、信仰を生きた父上が主イエスの中に迎え入れられたことを知り、そして、ご自身も主イエスの中に生きる者とされたいと願われ、ついにその願いが今日実現したのです。それは、何よりも主イエスの願いであったからです。

 別離の悲しみを通して 二

 KYさんは、一年半前に愛する弟さんを亡くすという悲しみを経験されました。学生時代に心の病を患い、十年ほど療養され、回復の兆しが見え始めた時に亡くなってしまったのです。提出された「信仰告白文」から少し引用します。

「二〇一〇年九月二七日、最愛の弟が亡くなってしまうという不幸に見舞われました。弟は大学生の時に発病し、十年の療養生活の末やっと社会に出た、そんな矢先のことでした。本当に突然の出来事で、私達家族は彼の死を受け入れられず、深い、深い悲しみの底から抜け出せずにいました。
 弟の告別式の時に牧師が言われました。告別式には2つの意味があると。
 『死者を送り出す事と自分の死について考えるということです』。
 私はそれまで自分の死後のことなど考えたことがありませんでしたが、弟の死後は彼がどこへ行ってしまったのかがとても気がかりでした。牧師は、そんな私達家族にヨハネによる福音書第一四章を読んでくださいました。
 『心を騒がせるな、神を信じなさい。そして私も信じなさい。私の父の家には住む所が沢山ある。もしなければ、あなた方の為に場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなた方の為の場所を用意したら戻って来てあなた方を私のもとに迎える。』
 この御言葉が私の心に強く残り、私は天国についてもっと知りたいと考えるようになりました。告別式を終え、東京に戻ってきましたが、毎日がとても辛く泣いてばかりで何も手につきませんでした。そんな中、母の勧めもあり、渋谷でいくつかの教会へ足を運ぶようになったのです。そして一昨年の秋、初めて中渋谷教会へ導かれました。
 礼拝の冒頭で司式の方が招きの言葉をのべられました。

『告白を神への生贄としてささげ…それから私を呼ぶが良い、苦難の日、わたしはお前を救おう』 詩編50編
 涙が止まりませんでした。生まれて初めて神にすがりたいと思いました。
・・・・
 今思い返せば、神様はきっと弟の死よりも前に何度も招いてくださっていたのだと思います。それを無視して生きてきてしまった罪をここに告白し、悔い改め、これからは、イエス・キリストが私の罪の為に十字架で死に、墓に葬られ、三日目に復活した神の御子、ただ一人の救い主であることを信じて生きていくことをここに誓います。」

 KYさんにとっても、突然亡くなった弟さんが、「今どこにいるのか」、それが最大の問題でした。そして、この教会の礼拝に通う中で、神様から離れてしまった私たちのために神の子である主イエスが十字架に死に、陰府に降り、復活されたことを信じるようになったのです。そして、弟さんは陰府の世界にまで降り給うた主イエスと出会い、きっと主イエスを信じる恵みを与えられ、復活の主イエスの命に包まれていることを信じることが出来るようになったのです。「悲しんでいる人は幸いである。その人は慰められるであろう」という主イエスの言葉は、このようにしても実現していくのだと、私は思います。

 悲しみと慰め

 今日の午後は、西南支区として「3・11を覚える礼拝」を霊南坂教会で捧げます。今日は、恐らく全国すべての教会で「3・11を覚える礼拝」を捧げているでしょう。私たちも同じです。この大きな悲しみの日に、私たちは神様を礼拝しない訳にはいきません。それは耐えがたいことです。主イエス・キリストを礼拝することでしか、私たちは死と別離の悲しみ、また将来の不安に向き合うことなどできません。

 KHさんが亡くなった時、私はある方から送られた言葉に支えられました。その方は、私の葬儀説教を読んでくださった上でこう書いてくださいました。

「諸々の悲しみに打ちひしがれてはならない。maybe,否,surely,諸々の悲しみをくぐって真の悲しみに達した方はあの方以外にいないに違いない。その方だけが慰めを用意してくださる」。

 「真の悲しみに達した方」とは、十字架の主イエス・キリストです。私たちキリスト者の生涯とは、決して知り得ないこの方の「真の悲しみ」を、少しでも知ろうとする生涯だと言えますし、そうであれば幸いなことだと思います。主イエス・キリストの悲しみを知る、そのことによって、私たちはもろもろの悲しみや不安に打ちひしがれることから救われるからです。ただ、そこでのみ「慰め」を得るからです。
 神様から離れてしまい、自分の居場所を失い、真の故郷を失い、真の家族である神の家族を知らず、いつか死にゆくこの体をもてあまし、不安を抱えるが故に気晴らしをしながら生きている。それが私たち人間であり、そこに自覚の有無を超えた罪人としての悲しみがあります。
 そういう私たち罪人を、本来の故郷である父の家に招き入れるために、「アッバ・父よ」と神様を呼ぶことが出来るように、主イエスは十字架に磔になってくださったのです。その十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしを見捨てになったのですか」と祈り、「父よ、彼らをお赦しください。自分のしていることを知らないのです」と祈りつつ死んでくださったのです。
 この方の「悲しみ」を深く知っていく。その悲しみの原因は何であり、何を目的としたものであるかを知っていく、その時に「心を騒がせるな。・・わたしの父の家には住む所がたくさんある。・・わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」「わたしに繋がっていなさい」という言葉が、その胸に染み入る。そういうことが起こるのだと思います。そして、その時、私たちはこの世からは決して与えられることのない慰めを受けるのではないか。私は、そう思います。

 慰めよ

 今日の礼拝で読むべき御言は何なのか、と随分迷いました。迷った末に、イザヤ書四〇章の言葉に決めました。この言葉は、第二イザヤと呼ばれる預言者の言葉です。この預言者は、バビロン捕囚の末期に預言者として立てられた人です。バビロン捕囚とは、神の民イスラエルに対する神の裁きです。ユダ王国は徹底的に滅ぼされ、国を支えていた多くの人々が故郷から遠くバビロンに連れ去られ、その地に住むことを余儀なくされたのです。その期間は六十年以上になり、一世代が絶滅するに十分な長さです。そういう裁きを受け続けることを通して、捕囚の民は絶望感に打ちひしがれていきました。それは当然のことだと思います。
 そういう時に、神様は預言者を立て、捕囚の民にこう告げるように命じます。イザヤ書四〇章冒頭を読みます。

慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
主の御手から受けた、と。


 自らの力で故国に帰る希望、エルサレム神殿を再建して新たに国造りをする希望、そのすべてを失った時、神様は「慰め」を与えるために預言者を通して語り始めるのです。絶望に打ちひしがれた人々の「心に」語りかけるのです。カメラには映らない。人の目にも見えないその「心に」神様は語りかける。「苦役の時は今や満ち、咎は償われた」と。

 地の果てまで、永久の神

 そして、「自分たちは最早神に忘れられた。神はもう何もなさってくださらない。私たちの神はバビロンでは力を振るうことはできない。私たちの神は最早死んだのだ。今は生きておられない」と絶望する民に向かって、こう語りかけるのです。

ヤコブよ、なぜ言うのか
イスラエルよ、なぜ断言するのか
わたしの道は主に隠されている、と
わたしの裁きは神に忘れられた、と。
あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。


 「何を言っているのだ。神はあなたのことを忘れてなどいない。神は最早死んだなどということはあり得ないし、このバビロンの地では神はその力を発揮できないなんてとんでもないことだ。イスラエルの神、主はとこしえにいます神であり、地の果てに及ぶすべてのものの造り主であり、倦むことも疲れることもなく、その英知は極め難いのだ。」
 預言者は、全身全霊を傾けて、神が共にいますことを、希望はただこの主なる神様にのみあることを語り、こう続けます。

疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。


 この言葉は旧約聖書の言葉ですから、ここに出てくる「主」とはイエス・キリストのことではありません。主なる神です。私たちキリスト者にとって「主」とは、もちろん神様のことですが、同時に、私たちの罪の赦しのために十字架に死に、三日目に甦らされ、天に挙げられ、神の右に座してい給う主イエス・キリストのことです。そして、その「主」は、聖霊において今も生きており、教会を活ける体としておられます。教会は聖霊の宮であり、キリストの体です。信仰を与えられ、洗礼を受けた者とは、この天地を貫く聖霊の宮、キリストの体に受け入れられ、主につながり、主と共に永久に生きることが許されるのです。

 主に望みをおく

 私たちは災害であれ、事故であれ、病気であれ、高齢であれ、この地上の生涯を終えて死んだ方たちに対して救いの御業をなすことができるのは、この主イエス・キリスト以外にはないことを信じています。だから、私たちはこの主イエス・キリストにすべての方を委ねるのだし、私たち自身も委ねるのです。それは、自らの力を頼む能動的な生き方ではありません。それは、主の力に頼む受動的な生き方です。
 私たちの力など、自然の猛威の前で何の意味もありません。私たちは自分の心の思い一つとっても意のままになど出来ません。また、いつどのように生まれ死ぬかについても、私たちは無知だし、無力です。すべて私たちの力を超えたことです。そのすべてのことは主なる神様の御手の中にあることであり、そして、主イエスが共にしてくださることなのです。その「主」に望みを置く時にこそ、私たちは新たな力を得るのです。風を翼に受けた鷲が空高く上っていくように、天を目指していくことができるし、山あり谷ありの道を走っても弱らず、歩いても疲れなくなるのです。いつも新たに主から力を与えられるからです。
 望みは主にあるのです。私たちの英知にあるのではありません。天地の造り主、とこしえにいます主にあるのです。計りがたい英知をもって今も救いの御業をなしてくださっている主にある。私たちは、その主を知っている者たちであり、その主に知られている者たちです。私たちは忘れられていません。私たちが忘れているのです。私たちと神様の間は断絶していません。主イエス・キリストの十字架の死と復活によって結ばれた主との絆は、何ものにも断ちがたいものなのです。そして、この主イエス・キリストが生ける者と死ねる者の主として、両者を繋げてくださっている。そのことを忘れてはならない。いつも新たに主に望みを置き、主こそ私たちの望みであることを、世の人々に証しをする者として今日新たに立てられたいと思います。
 そして、今日は特に、大きな悲しみを胸に秘めつつ被災地で懸命に生きていらっしゃる一人でも二人でもの方が、この主に望みを置くことが出来ますように共に祈りたいと思います。

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