「教会を建てる時」

本城 仰太

        コヘレトの言葉  3章 1節〜11節
エフェソの信徒への手紙  5章15節〜20節
3:1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
3:3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
3:4 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
3:5 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
3:6 求める時、失う時/保つ時、放つ時
3:7 裂く時、縫う時/黙する時、語る時
3:8 愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
3:9 人が労苦してみたところで何になろう。
3:10 わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。


5:15 愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。
5:16 時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。
5:17 だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。
5:18 酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、
5:19 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。
5:20 そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。



1.会堂には祈りが込められている

 言うまでもないことですが、教会堂は単なる建物ではなく、そこには人の祈りと思いが込められています。先月のことになります。五月一五日に、聖ヶ丘教会との合同礼拝が中渋谷教会において行われました。夜に集まり、この礼拝堂で礼拝をし、下の集会室に降りて、夕食を共にしながら交わりの時を持ちました。
 すべてのプログラムが終了し、皆が帰ったり片付けをしたりする頃になりました。聖ヶ丘教会の何人かの方々から、もう一度、礼拝堂を見せていただきたいと言われました。この合同礼拝は、今回が第七九回目でした。一九八〇年に始まり、間もなくその歴史が四十年になろうとしています。聖ヶ丘教会の方々の中に、長きにわたって中渋谷教会とかかわりを持たれた方々がおられます。その方々が、名残惜しそうに礼拝堂の中に身を置き、写真を撮ったりされながら、しばらくの時を過ごされました。
 中渋谷教会の私たちは、なおさらのことだと思います。この会堂での礼拝は、まだ一年弱は続いていきます。まだあまり名残惜しさを感じる時期ではないかもしれませんが、少しずつその思いも増してくることと思います。特に四四年前に、この会堂を建てた時期から、ここで教会生活をしておられる方々は、なおさらのことだと思います。先月の聖ヶ丘教会の方々のお姿に、中渋谷教会の私たちの姿を先取りして見たような思いがいたしました。

2.「時」には神のご計画がある

 私たちは今、会堂の「起工」の時を迎えています。明日、七月一日が「着工」の日になります。その着工の前日の日曜日、私たちはこのように「会堂起工礼拝」を行っています。皆がここに集まり、普段の日曜日の礼拝を、会堂の「起工」を覚えての礼拝として捧げています。
 そのような「時」を迎えている私たちに、本日、旧約聖書のコヘレトの言葉の聖書箇所が与えられました。このコヘレトの言葉には、様々な知恵が記されています。神を信じ、この世の中をどのように歩んでいったらよいのか、その知恵が語られています。特に今日、私たちに与えられた箇所に記されている知恵は、「時」に関する知恵です。
 このコヘレトの言葉が書かれたのがいつであるか、正確には分かっていません。しかしその内容から、戦争に翻弄されている時代だったことは明らかです。この聖書箇所には、様々な「時」がリストのように出てきますが、その中には戦いに関連する時も多く出てきます。
 イスラエルという国は、いつでも戦争に巻き込まれていたようなところがあります。交通の要所だったからです。いつの時代でも、大国に囲まれていました。東にはメソポタミア地方があります。北にはシリアや小アジア(今でいうトルコ辺り)があります。南西にはエジプトです。これらの大国の間を陸路で移動するなら、必ずパレスチナの地を通らなければならない。東にはアラビアの砂漠がありますから、ここを通るわけにはいかないからです。したがって大国はいつでもこのパレスチナの地を自分の支配下に抑えようとする。イスラエルの人たちにとっては、いつ「戦いの時」が起こるか分からない、そのような中で過ごしていたのです。
 コヘレトの言葉は、この世の中のことに関しては、非常に悲観的に捉えています。コヘレトの言葉の著者は、様々な人生経験があったようです。この世で一番の権力者の王様になってみた。けれども、満たされることはなかった。すべてがむなしい。この世のあらゆる知識を手に入れてみた。しかしそれでもすべてがむなしかった。この世のあらゆる快楽を体験してみた。しかしそれでもすべてがむなしかった。結局、この世の中のどんなものによっても、満たされることはない。それがコヘレトの言葉の著者の出した答えでもあります。
 私は今から十年以上も前になりますが、牧師になるための学びをしていた神学校で、コヘレトの言葉には何が書かれているか、そのことをじっくり学んでいく旧約聖書の授業を受けたことがあります。担当の先生は小友聡先生という方です。少し前に、小友先生のコヘレトの言葉の連載が「信徒の友」という雑誌に取り上げられ、それをまとめた本が最近、出版されました(『コヘレトの言葉を読もう』、教団出版局)。
 その本の中で、小友先生はこのように書いています。「「すべてに時がある」というとおり、神が定めた時は確かにあります。…けれども、人間はそれをとうてい知ることはできないのです。…過ぎ去ってから、ようやくそれに気づかされるということでしょう。…後になってからようやく気づくのです。どんなに力を尽くしても、人はその「時」を見極めることはできません」(三八頁)。 一方で小友先生は、人間は「時」を決して捉えることができないのだ、そのように悲観的に考えます。しかし、大事なことがあります。どうせ何が起こるのか分からない、だから人間が何をしても無駄なのだ、そうは考えないのです。すべての時が「神の時」であり、人間にとって何が起こるか分からない、だからこそ、人は真剣に今を生きるのだと、小友先生はコヘレトの言葉の読み方を教えてくれます。「「時」は私たちにとってただ受け取るしかない神の恩寵」(四一頁)であると、小友先生は言われます。私たちにとって、これらの時の中が、有難い時もあれば、有り難くない時もあるでしょう。しかし私たちは「神の時」として、ただ受け取るしかないのです。
 確かに人間はこれらの時をはかり知ることはできません。しかしそれらの時の中に、神のご計画がある。コヘレトはそのような知恵を私たちに教えてくれるのです。これが「神の時」なのだ、そのように受けとめる知恵です。

3.四四年前の「時」を振り返って

 今から四四年前、中渋谷教会は会堂建築という「神の時」が与えられました。今、私たちが礼拝をしている、この会堂の建築です。その時にどういうことが起こったか、当時の教会の人たちはどのようにその「時」を受けとめたのか、振り返ってみたいと思います。
 当時の牧師であった佐古純一郎牧師が、こんな文章を残しています。一九七五年八月三一日発行の「会報」一五八号の巻頭言の文章です。その同じ月の八月二四日に「定礎式」の礼拝がなされました。この巻頭言には「定礎式を終って」というタイトルがつけられています。その文章の一部をご紹介します。「それにしても、教会総会において会堂改築のことを決意いたしましてから今日までにたどってきた筋みちをふりかえってみるとき、やはり感慨は無量であります。経済変動のもっとも烈しい社会情勢のまっただ中での会堂改築になったわけで、会員の皆さんに対して負わせてしまうことになった労苦のことを思うと、私は、心をしめつけられるように思えてまいります。しかも、中渋谷の皆さんが、耐えしのんで、自ら進んでその労苦を負うて下さったその信仰のあかしの姿に、私はただ頭を下げるのみであります。しかも、私たちは、栄光を神に帰したてまつるべきであります。このことを通して、神さまが、主イエス・キリストが、まさしく、私たちの群れのまっただ中に臨在したもうて、私たちをみちびき、私たちの願いをききとどけて下さって、すべての必要を満たして下さるということがないなら、とうていのことは成就できなかったでありましょう。まことに貴い経験を持たしめられたと思います」。
 「貴い経験」という言葉が出てきます。この貴い経験が、神から与えられたと受けとめている文章です。当時、世の中はオイルショックの最中でした。会堂を建てたのが一九七五年、第一次オイルショックが一九七三年から始まります。原油価格が高騰し、物価も急激に上昇。経済が混乱し、一九七四年度は敗戦後、初めてのマイナス成長になります。いわゆる「高度経済成長期」がここに終わったとも言われている年です。そういう時期のまっただ中に、中渋谷教会は会堂建築をした。建築費も高騰した。もろにそのあおりを食らったことになります。
 この出来事をどう受けとめればよいでしょうか。ともすると、「時」を間違えてしまった、もう三年ばかり早くやっておけばよかったのではないか、そんな評価を受けてしまうかもしれません。しかし佐古先生は、まったくそうは考えないのです。
 『八十年史』の中で、佐古先生が「忘れえないことなど」というコーナーを書かれています。たくさんの「忘れえないこと」がある中、会堂建築のこともその中の一つに加えられています。佐古先生はこう書かれています。「最初の総会で四千万円でよかった改築費が、完成された時には一億円に近かったのですから、どのように大変な変動であったかが想像していただけるかと思います。しかも、そのほとんどを、教会員の自力によって満たすことができたのですから、教会員の皆さんが、ほんとうに心を一つにして祈りを集中し、その実力を発揮してくださったことが了解していただけるのではないでしょうか。それが今日の中渋谷教会の会堂であり、またそこで毎週捧げられている礼拝の恵みなのだということを、しっかりと心に秘めていただきたいのが、私の切なる願いであります」。
 四四年前のあのタイミングで会堂建築を行ったこと、それが「神の時」だったと受けとめたのです。それを「貴い経験」と表現した。神からいただいた「時」です。もちろん、中渋谷教会として計画を立て、準備をし、着工し、会堂を建てた。しかしそういう時を、「神の時」として受けとめた。佐古先生も当時の教会員も、祈りと捧げ物をもって、そのように受けとめたのです。

4.今が教会を「建てる時」として

 私たちも、神が与えてくださった教会を「建てる時」を、まさにこれから歩もうとしています。四四年前に「貴い経験」をすることができたように、私たちはどのような「貴い経験」が与えられるでしょうか。
 このような「時」を歩むにあたって、今日、私たちにコヘレトの言葉と並んで、エフェソの信徒への手紙の言葉が与えられています。ここにも「時」に関する言葉が出てきます。「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」(15〜16節)。新約聖書が書かれた二千年前だけが、特別に「悪い時代」だったわけではありません。いつでもそうだと言ってもよいと思いますが、そういう時代を歩んでいくために、自分自身のことに、一挙手一投足、細かく気を配れと言われています。今、与えられている「時」をよく用いるためです。
 では具体的にどのようにすればよいのでしょうか。この聖書箇所の後半のところで、讃美歌を歌いなさいということが言われています。「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」(18〜20節)。ここには突然、「酒」、アルコールのことが出てきます。唐突のように思われた方も多いと思います。しかしこう考えていただくとよいと思います。二千年前、教会が初めて誕生した時、聖書にその時の出来事が書かれていますが、周りの人たちから「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」(使徒言行録2・13)と言われてしまいます。その言葉を受けて、主イエスの弟子の一人のペトロが、こう答えます。「今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。」(2・15)。酒に浸っているのではない、神の霊に浸っているのだ、ペトロはそのように反論していきます。
 エフェソの信徒への手紙のこの箇所も同じです。酒に浸るのではなく、霊に満たされ、讃美歌を歌い、祈りをし、礼拝をしなさいと勧めます。そのようにして、「無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」(17節)とあるように、神の御心を悟ろうとする歩みが整えられていく。そうすると、「時」をよく用いる歩みができるようになる。そうすると、愚かな歩みではなく、賢い歩みをすることができるようになる。この箇所はそのことを私たちに教えてくれます。だから今日も私たちはここで礼拝をしている。讃美歌を歌い、祈りを捧げています。
 明日からいよいよ着工です。コヘレトの言葉にあるように、「建てる時」(コヘレト3・3)です。神が与えてくださった「神の時」として受けとめたいと思います。そしてやがて、来年の六月以降になるでしょうけれども、今のこの会堂を壊す時「破壊する時」(3・3)もやって来ます。私たちの教会にこれから起こっていく出来事を「神の時」として捉え、神が必ず私たちに「貴い経験」を与えてくださることを信じて、歩んでまいりたいと願います。
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