「すべてを失って、すべてを持つ」

及川 信

創世記 12章 1節〜 6節

 

主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。



 今日は衆議院選挙の日です。どんな結果が出るのか、私としてはとても不安です。この国に限らないことだとは思いますが、どうも経済的な豊かさと人間の幸福が直結するという考え方があると思います。政治は経済的な豊かさをもたらすことが一つの仕事ですから、それはそれでよいのですが、そのことと人間の幸福が必ずしも直結していないことは、いくらでも事例を挙げることが出来るし、私たちの経験によっても知ることができるように思います。しかし、私たちは気がつくと富の中に幸せがあるかのようにして生きている場合が多いのです。
 考えてみれば、エデンの園で何不自由なく満ち足りて暮らしていたアダムとエバは、蛇の誘惑に乗り、エデンの園の支配者である「神のようになろう」として、禁断の木の実を食べてしまいました。そして、すべてを失ったのです。エデンの園を失い、神様との愛と信頼の関係を失い、夫婦の愛と信頼関係も失い、自然との平和的関係を失い、そして、自分の子供まで失うのです。弟のアベルは兄に殺され、兄のカインは追放されたのですから。アダムとエバは、すべてを手にしようとして何もかも失いました。すべてを持とうとする人間の行き着く姿は、「呪い」であり、「分裂」であり、「死」なのです。
 その人間の罪の姿を描き切った後に、聖書が語り始める物語、それがアブラハム物語です。その最初に繰り返し出てくる言葉が「祝福」であることは一目瞭然でしょう。
 ここには「祝福」という言葉が五回出てきます。「祝福」に対する言葉は、「呪い」です。そして、「呪い」という言葉は、これまでに五回出てきていました。最初に呪われたのはエバを唆した蛇です。次は、アダムの罪の故に、地が呪われました。そして、地が呪われることによって、人は「生涯食べ物を得ようと苦しむ」ことになります。さらに、弟のアベルを殺してなお悔い改めないカインが呪われます。ついに、人間が呪われ、人は生きながらにして死に呑み込まれた者となるのです。さらに、五章のアダムの系図において「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と、将来祝福の基礎となるノアが紹介されます。しかし、そのノアが洪水後には酒に酔って裸になり、その罪を共にしたのであろうカナンに対して「カナンは呪われよ」という言葉を発する。
 つまり、動物、大地、そして人が呪われるのですし、神が呪うだけでなく、人が人を呪うということも起こるのです。呪いをもたらすものは罪です。罪の結果が、呪いであり死です。そういう呪いの行き着く先として、アブラハムの父テラが死に、そしてアブラハムの妻サラ(この当時はまだアブラムとサライという名前でしたが)が不妊の女であるが故に子供が生まれないということが起こったのです。ですから、一一章最後の系図には先がありません。未来はこの代で閉じられているのです。
 しかし、その時に、神様がアブラハムに呼びかけるのです。アブラハムは、神様から「あなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」という素晴しい言葉を聞かされました。しかし、その言葉が彼において実現するためには、彼が「生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」という神様の命令に従う、その招きに応答することが絶対条件なのです。そしてそれは、これまでの人生の中で彼が手にしたものをとにかく捨てなさいということです。
 彼は、羊や山羊を飼いながら季節ごとに草と水を求めて一定の範囲の中を移動しつつ生活する遊牧民でした。当時のメソポタミア地方、またパレスチナ地方は今ほど砂漠地帯ではなく草原地帯が相当に広がっていたようです。「バベルの塔」の話をしたときも、当時の王はライオン狩りをしたということを言いましたが、ライオンは草食動物を食べる肉食動物ですから、草原が広がっていなければ生きているはずがありません。アブラハムのような遊牧民は、そういう肉食動物から羊の群れを守らなければなりませんし、また盗賊の襲撃などからも守らなければなりません。ですから、遊牧民同士、特に親族同士が、互いに助け合い、情報を交換し合って、餌の確保、水の確保をしつつ生きていることが必要なのです。そういう繋がりから離れて、老夫婦がまだ若い甥を連れて(彼ら以外にも何人かの人がいたようですが)、見知らぬ地に向かって旅を続けるということは非常に危険なことです。そして、運良く目的地についたとしても、彼らは外国から来た寄留者として定住民との間に摩擦を起こさぬように非常に気を遣いながら生きるしかありません。寄留者として生きることは、社会の周辺、あるいは底辺を生きることなのです。だから、一二章一〇節以降にありますように、その地に飢饉が起これば、真っ先に飢えと渇きに襲われて難民になってしまう。ハリケーン被害によって隣の州などに避難した人々は、その避難先で「只でさえ職が少ない土地に職と家を求める大量の人々が来た」と迷惑がられていると報道されていましたが、アブラハムの旅立ちとは、時と場合によっては、そういう難民への転落をも意味するのです。つまり、それまでの彼が持っていたもの、生きてきた基盤を失うことを意味するのです。
 しかし、神様は大いなる約束と共に、そのことを彼に要求されました。そして、アブラハムはその要求、その招きに応えたのです。これは、神様とアブラハムの間に起こった神秘的な出来事です。アブラハムを選んだ神様が、ご自身の計画の時が満ちたその時に、彼に古き自分をすべて捨てさせ、新しい人生、新しい生き方に招き、アブラハムはその心の奥底で神様の招きを聴き取り、それに応えたのです。
 私たちキリスト者も、それぞれにそういう内的な召しを受けて、その召しに応えて信仰を告白し、洗礼を受けて、キリスト者になった。その事実は否定できません。そして、その信仰を抜きに聖書を読んでも、その内実は全く分かりません。聖書というものは、信仰をもって読まないと分からないのです。私は牧師ですから、説教するために、色々と調べたり、参考書などを読んだりして聖書を読みます。そこから色々なことを教えられます。先程言った遊牧民の生活の仕方だとか、当時の気候風土だとか、社会風俗だとか、そういうことは勉強しなければ何も知り得ません。しかし、何をどれ程読んだところで、神様からの語りかけを聞き、それに応えて一歩を歩みだす、未知なる信仰の世界に踏み出すという経験をしない限り、アブラハムと神様との事など何も分かりません。そして、それが分からなければ、その他のどんなことを知ったとしても、何の意味もないのです。
 個人的なことで申し訳ないのですが、私がアブラハムを思う時に、どうしても思い出すのは森有正という人です。思い出すと言っても、私自身は会ったこともないし、話を直接聞いたこともありません。その人が残した本を少しだけ読んだことがあるというだけのことです。不思議なことに、その人は、この中渋谷教会の初代牧師森明の息子であり、戦時中は私の前任地である松本の単立教会で奏楽者として奉仕をし、その後パリに留学してその地で思索を続け、パリで死んだ哲学者でありキリスト者です。その方が一九六〇年代後半から例年のように夏に一時帰国して、各地で講演をしたり、時には教会で説教をしたりして、それらの記録が本になって出版され、当時の教会ではよく読まれていました。私も大学一年の終わり頃に、『土の器に』という講演集を買って読みました。
以前もお話したことですが、東京の教会で生まれた私は、教会から離れるために、わざわざ京都の私立大学に行き、生まれて初めて日曜日に教会に行かない生活をしてみました。しかし、それは全くつまらないものであったし、様々な面で行き詰って、もう生きていく目標も気力も何もないままに、クリスマスから正月にかけて実家である教会に帰省しました。そして、クリスマス礼拝で高校生の女の子が洗礼を受ける姿を見、その女の子が「信仰は決断だと思う」と言うのを聞いて、どうしても決断できない自分の惨めな姿を見せ付けられて打ちのめされてしまいました。そして、このまま何もしないで京都に帰ったら人生が終わってしまうという思いで、急遽、新年礼拝において洗礼を受けさせて頂いたのです。そんなことは今の中渋谷教会の牧師は決して許さないことですが、その当時のその教会では牧師も会員も皆大喜びで、私の気が変わらないうちにとにかくやってしまえという感じでした。しかし、洗礼を受けたその次の日には、私は京都に帰ってしまい、またもや四畳半の部屋の中で悶々としていました。どこの教会にも行かず、学校も殆ど行かず、悶々として春休みを終え、新年度を迎えました。ちょうどその頃に『土の器に』という本を読みました。
その年度に、やはり牧師の息子で親同士も親しい友人が一年遅れで京都大学に入学してきて、すぐ近くに下宿しました。その彼も、同じ本を読んだのです。その本の最初に出ている話が「アブラハムの信仰」というもので、京都の北白川教会の礼拝で語られたものでした。北白川は下宿のすぐ近くなのです。(昨日、その本をまた本棚から取り出して読んでみたら、一九七二年の「中渋谷教会五五周年記念講演会」で語られた講演があって、私がつけた鉛筆の印などもついていましたが、その講演を二八年ぶりに中渋谷教会の牧師室で読むとは、その頃の私にはもうまったく思いもよらないことでした。そして、改めて、見えざる御手の導きの有難さと恐ろしさを感じます。それはとにかくとして、)その「アブラハムの信仰」を読んだ次の日曜日の朝、オンボロのオートバイの後ろに友人を乗せて、北白川という地名が付いている辺りを走り回って教会を探しました。しかし、いくら走っても教会らしいものはない。そこで諦めて「今日は帰ろうか」と思った時に、友人が、「今、あの路地に風呂敷包みを持った人が入っていったから、あそこに入ってみよう。あの包みの中身はきっと聖書と讃美歌だ」というのです。そこは車一台も入れないような細い路地でしたけれど、「それじゃ最後に入ってみるか」と入っていきました。すると、そこは古い京都風の家屋が並んで建っている住宅地でしたけれど、その一つに、古い木の看板が掛かっていて、「北白川教会」とありました。玄関もただの家ですし、中も畳の部屋で、そこにパイプ椅子が並べてあって実に奇妙な感じでした。そこに来ている人は、ジーンズにぼろシャツでヘルメットを片手に持っている私にしてみると、皆、ひと時代前に生きていた人というか、若い人も皆大正時代の書生さんみたいな感じだったし、なんだか別世界の場に来てしまったという違和感を持ちました。(いや、私よりも教会の方のほうが「変な奴が迷い込んできた」と思ったに違いありません。)そして、相当に高齢の小さな牧師さんが、非常に甲高い声で天に向かって語るように、じっと目を閉じて一時間、説教をされました。私は、その説教を真剣に聴きながら、心の中がずっとざわついていました。「こんな教会に来たらやばいぞ、やめろ」という声が聞こえるのです。それは、本物と出会った時の喜びというよりも恐怖です。偽者では困るのですけれど、本物でも困るのです。私は、私自身本物になりたいけれど、それは大変そうだから偽者のままでもいいやという感覚で生きていましたから、ちょっと触っただけでも手が切れて血が出てきそうな鋭い刀のような言葉に出会って、このままこの教会に引きずり込まれて、あの説教を聴いていたら大変なことになると思っていたのです。
その日、これは全く偶然のことでしたが、その教会がその家で(それは牧師先生の自宅だったのですが)礼拝を守る最後の日で、礼拝の後、普通の住宅を少し改造しただけの礼拝堂に引っ越すというのです。初めて行ったその日に引越しの手伝いをするというのも変だなと思いましたので、その日は、友人を誘って北白川からそのまま歩いていける大文字山に登り、真下でやっているであろう教会の引越しを思いつつ、恐る恐るその友人に「あそこに、行く?」と聞いたのです。彼が、「そうだな・・・」とか迷ってくれれば有難いという期待があったのですが、その友人は予想通り「おう、俺は行く」と決意を秘めて言いました。その時、私は、口では、「そりゃ、そうだわな」とか言いながら、内心「ああ、やっぱり。そうだよな。困ったことになった・・・」と思ったことを、今でもよく覚えています。
 何故、そんなに困るかと言うと。当時の私は、どうしても否定しきれない思いというか、内的な促しがあって、ただでさえ困っていたのです。それは、伝道者になるほかに道はないんじゃないか?!という思いです。あれほど遠ざかりたかったキリスト教であり、教会であり、あれほど嫌だった親の仕事なのに、心の奥底では「信仰を告白して、洗礼を受けてしまったかぎり、いつでもどこでも誰に対しても聖書の福音を語らなければいけないし、語りたい」という、何とも言えない切迫感がいつも心にあって、「そんなこと出来るわけないだろ!そんな恐ろしいことは嫌だ。好き勝手に生きていたい」といくら否定しても消えない思いがあって、洗礼を受けたのに教会に行けないのです。行った教会で、牧師がつまらない説教していたら、「俺にやらせろ」なんて思ってしまうかもしれないし、とんでもなく素晴しい牧師の説教を聞いてしまったら、引き込まれてしまう。「どっちにしても、それはヤバイ」と本能的に感じていました。ちょうどその頃に、森有正の本を読んでしまい北白川教会に迷い込んでしまったのですが、その時、後者の現実が目の前に起こってしまったのです。あんな説教をすることは出来ない、しかし、牧師になれば、立場上は同じ立場に立つことになるのか、それは無理だと思いましたし、その牧師が飽きることなく語る恩師森明の姿とか、内村鑑三とか、植村正久とか、戦時中に中国にわたって伝道して死んだと思われる沢崎堅造とか、出てくる伝道者の名前とその姿は、「もう勘弁してよ」というような壮絶なものだったし、その教会にはちょっと人物崇拝的な所もあって、付いていけないんだけれど、どうしても次の週になるといそいそと礼拝に行ってしまう。そして気がつくと、「CS教師をやらせてください」と口走ったり、「会堂の掃除の手伝いさせてください」と言ったりしているのです。結局、私は北白川教会から東京神学大学に行ったような感じで、牧師への道を歩き始め、北白川教会の信徒だった人が戦時中に中国に伝道に行き、帰国後、松本に疎開中だった森有正の紹介で牧師として赴任し四十年近く伝道・牧会に従事した松本日本基督教会の牧師になり、今は、北白川教会の母教会と言うべき中渋谷教会の牧師になっています。それはすべて、今から三十年近く前に森有正の「アブラハムの信仰」という説教を読んでしまった時に決まっていたかもしれないと思うと、これもまた恐怖と喜びのない交ぜになった思いに捕らわれます。
 随分わき道に逸れたようなことになってしまいましたが、森有正の「アブラハムの信仰」という話の中に、その後、私が忘れたことのないこういう言葉があり、実は、それを紹介したかったのです。

「人間というものは、どうしても人に知らせることのできない心の一隅をもっております。醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。またひそかな欲望がありますし、恥がありますし、どうも他人に知らせることのできないある心の一隅というものがあり、そういう場所でアブラハムは神様にお眼にかかっている。そこでしか神様にお眼にかかる場所は人間にはない。人間がだれ憚らず喋ることの出来る、観念や思想や道徳や、そういうところで人間はだれも神様に会うことは出来ない。人にも言えず親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている。そこでしか人間は神様に会うことは出来ない。」

 この森有正という人も、私生活においては様々な破綻を経験した人のようです。心の一隅にある「醜い考え」「秘密の考え」「ひそかな欲望」「恥」、そういうものに捕らわれ、精神と肉体の分裂や、精神性そのものの分裂状況なども経験させられてきたのだと思います。そういう人生の中で、森有正がアブラハム物語を繰り返し読んできたことは、『アブラハムの生涯』という講演集を読んでも分かります。
 私は私なりに、ここに出てくる森有正の言葉は実感をもって分かります。二十歳の頃の私もこの言葉に鉛筆で印をつけていますが、その当時とは比較にならぬほどの深さで、「そこでしか人間は神様に出会うことはできない」、そういう恥ずべき心の一隅があることが、分かります。皆さんもそうでしょう。神様は観念や思想や道徳で出会える方ではありません。私たちが自分ではどうすることも出来ない心の一隅を、誰よりも深く知り、嘆き、そこに語りかけてくるお方です。

「お前はそんなことでよいと思っているのか?お前は今どこにいるのだ?お前は、今何をしている?何をしてしまったのだ?門口に罪が待ち伏せしているぞ、お前はそれを支配しなければいけない。お前は呪われた者となった。これ以上ここにはもういる事はできない・・・・追放する。しかし、守ってやる。悔い改めよ。」

 アダムやエバに神様が語りかけた言葉、弟を殺そうとするカインに語りかけた言葉、殺してしまった後のカインに語りかけた言葉、そういう言葉は、これまでの私の人生の中で何度も心の中に聞こえてきた言葉です。そして、アダムやエバ、そしてカイン同様、しばしば聞こえない振りをし、耳をふさぎ、聞こえても敢えて抵抗し、刃向かいました。すべて、クリスチャンになって以後のことだし、牧師になって以後のことでもあります。そして、その結果はいつも本当に惨めなものです。
そういう意味で、創世記冒頭に登場する人々は、皆、私にとっては極めて親しい人々です。私なりによく分かるように思えるのです。アダムが考えたこと、エバが考えたこと、カインが考えたこと、その醜さ、その秘密、その欲望、その恥、皆、よく分かります。生きれば生きるほどよく分かる。そこに自分の存在がピッタリ重なります。神様の語りかけに耳をふさぎ、悔い改めることなく、エデンの園から追放された人間、その人間が生きる人生の惨めさが、よく分かります。それは結局、呪われた人生であり、既に死が約束されており、死で終わる人生なのです。また、そういう人間が作り出す世界も同じです。呪われた世界であり、分裂した世界であり、死で覆われた世界なのです。
 アブラハム。彼は、そういう人間に対する深い絶望を心の奥深くに感じていたのかもしれません。彼自身、そういう人間の一人である事実に変りはなく、その事実を自分で変えることができないこともまた動かしようもない事実です。アブラハムの内面、それは誰にも分かりません。しかし、これまでの物語の流れと系図が意味するところから推測して、彼の心の中に、深い絶望があったとしても、それは決しておかしな推測ではないと、私は思います。
そして、人間ではどうすることもできない現実、それを打ち破ってくださるのは神様です。罪による呪いと死を打ち破り、祝福と命を与えて下さるのは神様なのです。主なる神様だけなのです。
 アブラハムは、その神様の声をその心の一隅で聞き、そして、恐ろしさと喜びの両方を感じたのではないかと思います。これまでの人生の土台をすべて捨てて、ただ神様だけを信じて未知の世界、未知の人生に歩み出さねばならない。その恐怖と同時に、真の神、本物の神様と出会った喜び、そういうものを感じたのではないでしょうか?そして、彼は、すべてをかけて神様を信じ、神様の召しに応えた。その時から、彼の人生は、決して順風満帆なものではなく、山あり谷あり、信仰あり不信仰ありのものなのですが、とにかく神様との関わりの中で生きるものとなりました。そういう意味で、彼は私たち信仰者の父なのです。だから、信仰を持たないとアブラハムのことは分からないし、聖書に書かれていることは分からないのです。
 それでは、その信仰に生きるとはどういうことか?それは、恐怖と喜びの一瞬に留まることではなく、具体的に神様に従うことです。

「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」

とあります。信仰は具体的なのです。心だけではないし、行動だけでもない。心の一隅に語りかけてくださった神様の言葉に「従う」ことです。抗うことが出来ない召しが来たら、応えるしかないのです。それは時に、すべてを失うことです。ある人は、社会的な地位や財産を失い、ある人は、それまでの人間関係を失う場合もあります。それは、人によってそれぞれです。しかし、目に見える形がどうであれ、それまで持っていたアイデンティティーは失うのです。捨てなければならないのです。それまでは、自分の人生、自分の命は自分のものだと思っていた。だから、自分で何でも判断して、選択して生きていけばよかった。もちろん、判断も選択も出来なかったり、間違った判断や選択をして痛手を被ったりと、人生ままならないことが多いとしても、とにかく、すべての中心が自分ですし、自分のために生きていたことは事実です。しかし、神様からの召しが来てしまうと、そして、それに応えてしまうと、中心が自分ではなくなり神様になるわけですし、自分のために生きるのではなく、神様のために生きることになるのです。これはもう決定的な違いです。この違いが中途半端だと、信仰など下手にない方が余程良いということになります。
主イエスは、宣教を開始されると同時に弟子たちを召し出しました。それまでガリラヤで漁師をしていた人々と出会った途端、

「私に従ってきなさい。人間をとる漁師にしよう」

 と語りかけ、彼らをお招きになりました。この主イエスの言葉を聞いて、ペトロとアンデレは、「すぐに網を捨てて従」いました。これも説明不可能な出来事だし、家族にしてみればとんでもなく迷惑な話です。しかし、この時の彼らは、自分たちにも分からない心の一隅に響く神の招きを聞き、どうすることも出来ずに従ったのでしょう。そして、彼らは主イエスに従う生活の中でこそ、実は主イエスを理解できずに苦しみ始めましたし、とんちんかんなことをいったりやったりし、また不信仰を露呈し、ついには裏切って逃げたりもしたのです。アブラハムだって、そうです。彼は何度も神の約束を疑い、妻の奴隷との間に子供を作ったこともあります。また、心の中で神様をせせら笑ったこともあるのです。しかし、彼らを召しだした神様は、また主イエスは、その選びと召しを変えることがないのです。私を召し出した神様もイエス様も同じです。どれ程、神様に背き、神様の御名を汚し、その御心に逆らい、自らの尊厳を傷つけても主イエスは「私に従ってきなさい、人間をとる漁師にしよう」という召しをお変えになりません。私は今もまだ見捨てられず、こうして御言葉を聴き、語ることが許され、また命じられています。恐ろしくも喜ばしく、まことに感謝すべき、讃美すべきことで、主の御名をたたえます。
皆さんをキリスト者として召し出した神様も同じです。皆さんの度重なる反抗と抵抗と生ぬるい信仰にもかかわらず、今日も主イエスは、熱い愛をもってこの礼拝に招き、神様は御言葉を与えてくださっています。
今、私たちがこの礼拝堂にいるのは、私たちの信仰が真実であるからではなく、神様の愛が真実であり、その選びが変わることがないからです。だから、私たちは今日もこうして礼拝に招かれ、その中で御言葉を与えられ、新たな旅立ち、信仰の旅立ちへと召し出されているのです。
この召しに応えて生きる。それが罪による呪いと死に覆われた世界に祝福の命をもたらす歩みなのです。主イエス・キリストの十字架の死と復活によって与えられる罪の赦しと新しい命という祝福を、出会うすべての人々に伝え、分かち合うために生きる。信仰をもって生きる。それが私たちのこの世における歩み、旅なのです。
宗教改革者のルターは、「靴屋はその仕事で神の栄光を現せ」と言ったそうです。私たちにはそれぞれの賜物がありますし、それぞれの現場があります。目に見える形では、やっていることは違います。しかし、信仰においてやることは一つなのです。神様が与えてくださった救いを無にすることなく、ひとりでも多くの人と分かち合うことです。そのためには、今日、この礼拝において古き自分に死ななければならないのです。ルターはこういうことも言っているそうです。
「礼拝の中で語られる説教は、生かすためにまず最初に殺す御言葉であり、祝福するために滅ぼす御言葉だ。」
聖霊の導きの中で与えられた説教を通して御言葉が語られ、そして御言葉として聴かれる時、そこに罪に支配された命の死があり、新しい命への復活があり、呪いに覆われた人生の滅びがあり、祝福された人生の出発があるのです。
最後にパウロがキリスト者の伝道について語っている言葉を読んで終わります。

「わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、懲らしめられているようであるが、殺されず、悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。」

 本物の救い主、主イエス・キリストと出会い、その招きに応え、主イエスに従う旅を続ける時、すべてを失って、すべてを持つのです。
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