サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」ヘトの人々はアブラハムに答えた。「どうか、御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません。」・・・・
こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。
サラの死 嘆く時
アブラハムの生涯は急速に終わりに向かっていきます。聖書の記述によれば、アブラハムはこの時から四十年近くを生きたことになるのですが、そういう年月の長さとは関係なく、内容として、彼の生涯は終わりに近づいているのです。その時に、長年連れ添ってきた妻サラが死にます。
「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。」
アブラハムとサラ、この夫婦について語るべきことは多いのです。彼らが歩んできた人生は長く、そして波乱に満ちたものでした。二人で共に耐えてきたこともありますし、二人が深刻な対立することもありました。神様の御心に従うがゆえの苦しみがありましたし、従わないがゆえの苦しみもありました。もちろん、深い喜びの時も沢山ありました。とにかく、彼らは二人で見知らぬ地に向かって旅立ち、その旅を続けてきたのです。まさに同伴者としてその歩みを続けてきた。その伴侶が死んだのです。
アブラハム物語というのは、いろいろ勉強して読んで分かるというようなものではなく、現実の人生を生きながら何度も繰り返し読みつつ味わうべき物語だと思いますが、こういう場面なども、私如き者が何かを語ることには戸惑いを覚えます。長年連れ添った伴侶が死んでしまうという時に、どのような感情に襲われるのか、あるいはその現実は一体どのように受け止めるべきことなのか、今の私にはよく分かりません。聖書は例によって言葉少なく、アブラハムは「サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」とだけ書きます。皆様方それぞれの受け止め方に任せたいと思います。
聖書のコレヘトの書に、「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、嘆く時、躍る時、黙する時、語る時」という言葉がありますが、アブラハムにとって、この時はまさに嘆き悲しむ時だったのだと思います。でも、その嘆き悲しむ時を過ごした後、次の時が来ます。「立ち上がる」時です。彼は「立ち上がり」ます。次にすべきことがあるからです。彼女ために、また自分のために、また子孫のためにです。
立ち上がる時
「アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。
『わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。』」
この言葉もまた、アブラハム個人の深い経験の中から出てきたものですけど、彼ははっきりと自分の身分を「一時滞在する寄留者です」と言います。このことが一体どういうことであるか、それはそういう経験をした人でないと分からないことだと思います。住民票がある、保険証がある、年金手帳(これは今怪しい感じになっていますが)がある、預金通帳を持っている、ハンコを持っている。こういうことは日本人には当たり前のことですけれど、外国人には当たり前ではなく、その当たり前のことがないが故に、住宅を借りることも簡単なことではないし、まして土地とか建物などの不動産を買うということはさらに難しいでしょう。特に農地などは、先祖代代受け継がれてきたものですから、それを外国人に売るということは、まずないと言って良いだろうと思います。外国人というのは、どこの国の人にとってもやはり外国人なのであって、通常の付き合いはしたとしても、土地や建物の売買をしたりするようなことはないものです。まして一時滞在の外国人なら尚更のことです。
アブラハムは、そのことをよく知っている。彼はどこに行っても一時滞在の寄留者、つまり旅人ですから、井戸一つ使うにも、羊たちに草を食べさせるのも、その地に住み続けている人々との折衝や取り引きを必要とし、その人々から何らかの許可を得ていなければならない立場です。ですから、彼はここで「自分は、そういう人間です。何も取得する権利も資格もない人間です。単なる旅人にすぎません。」そう言っているのです。しかし、「私の愛する妻が死んだ。この妻の遺体をちゃんと墓に葬ってやりたい。そのための墓が欲しい。この地に前から住んでいらっしゃるあなた方の所有する墓地の一つを譲って欲しい。」彼は極めて丁重にこう言います。
ヘトの人々にとってのアブラハム
「ヘトの人々はアブラハムに答えた。
『どうか、御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません。』」
これはやはり驚くべき言葉だと思います。アブラハムは、法的には何の権利も資格も持たない一時滞在の外国人に過ぎないのです。しかし、この地域の住民にとってアブラハムは「神に選ばれた方」として認められている。先週も言いましたように、ペリシテの国に寄留していた時に、その地の王であるアビメレクが、寄留者に過ぎないアブラハムの所に、わざわざ軍隊の長ピコルを連れて互いに不可侵条約を結ぼうとやってきたことがあります。その時もアビメレクは、「神は、あなたが何をなさってもあなたと共におられます」と言い、そのことのゆえに、七つの羊を契約の徴として一つの井戸をアブラハムのものとして提供したのでした。こういったことからも分かりますように、アブラハムという人物は、どの地に行ってもその地の人々に一種独特の印象を与えているのだと思います。見かけはどこにでもいる半遊牧民の一人であり、寄留者に過ぎないのだけれど、他の遊牧民とは何かが決定的に違う、神が特別に選んだ人間、神がいつも共にいる人間、神が特別に守っている人間、そういう印象を持たざるを得ない何かを持っていたのだろうと思います。そして、彼が自分たちの内に住んでいることで、自分たちも神の祝福に与かっているのではないかと思わされる。そういう人物だったのです。それはもちろん、威厳に満ちた風貌とか立ち居振舞い、言葉遣いにも現れていたでしょうけれども、目に見えない力として周囲の人々が感じ取っていたことでもあろうと思います。
使用と所有
アブラハムがヘトの人々と会って話している場所は、十節にありますように「町の門の広場」です。そこは公の集会が開かれる場であり、裁判所にもなる場所です。その広場で、アブラハムの提案に対して、「どこでも選んで墓地として使いなさい」という返答が為されたのです。これはヘトの人々にとっても拘束力のある言葉です。もし、アブラハムが「ここを使いたい」と言ったら、その土地の持ち主は最早拒絶できない。そういうことを意味します。しかし、よく考えてみると、この返答は、アブラハムに彼が選ぶ土地がどこであろうと墓地として「使用する」ことを許可してはいるのですが、実は巧妙な形でアブラハムの「譲ってください」という申し出は拒んでもいるのです。二三章における問題は、繰り返し出てくる「所有」という言葉なのです。アブラハムは墓を自分のものとして「所有」したいのです。しかし、ヘトの人々は、「使用」は許可しているけれど、「所有」を許可しているわけではない。ヘトの人々は、アブラハムに墓地の使用許可は与えても所有権の譲渡はしていない。それが、この箇所の要点です。
アブラハムは旅人ですから、いずれはこの地を去ります。また、彼はいずれ死にます。アブラハムが生きている時代はよくても、子孫の代になれば、寄留することも出来ないような状態になっているかもしれない。実際、この先の二六章を読むとアビメレクとアブラハムの息子イサクとの間でかつてアブラハムのものとされたベエル・シェバの井戸をめぐって土地の者との間に紛争が起きるのです。土地や財産というのは、公に所有が確認されていなければ、そういうことが起こり得るのです。ですから、アブラハムはあくまでも、この時代のヘトの人々の好意に縋るのではなく、きちんと墓地を所有することを願い、しぶとく交渉をします。
公的と私的
「アブラハムは改めて国の民であるべきヘトの人々に挨拶をし、頼んだ。
『もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、ぜひ、わたしの願いを聞いてください。ツォアルの子、エフロンにお願いして、あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください。』」
ここで、彼は実は前から目星をつけていた場所の所有者の名を明らかにし、さらに十分な代価を当時商取引で使用されていた銀で払うと言明します。ここから取り引きは本格的になるのですが、その様は実に格式張っているというか、慇懃なものです。その交渉過程のなかで「所有する」と共に繰り返し出てくる言葉は、「ヘトの人々の間」「ヘトの人々が聞いているところで」「一族が立ち会っているところで」「国の民の聞いているところで」「ヘトの人々の立ち会いのもとに」という言葉です。こういう繰り返しを通して、この交渉が多くの証人達の前で為された正式のもの、公のものであることを強調しているのです。
公衆の面前で名指されたエフロンは、人々の手前、見栄を張って「洞穴だけでなく周辺の畑も差し上げる」と申し出ます。「ただであげる」と言うのです。しかし、日本語にも「ただほど高いものはない」という言葉がありますように、こういう言葉に乗って「そりゃどうもご親切に」なんて言って好意を受けてしまうと、後でとんでもないことになる場合があります。
様々な危機を乗り越えながらの人生経験を十分に積んできたアブラハムは、そんなことは十分に知っています。人の心にあるもの、人間の社会にあるものをよく知っていますから、相手の好意的申し出に対して十分に感謝を表明しながらも、「どうか代金を払わせてください」と申し出るのです。「これはあなたの要求ではなく、私の願いなのです」と言って、エフロンが代金の提示をしやすいようにしているのです。何度も言いますが、これは一対一の交渉ではなく、公衆の面前での交渉ですから、お互いに面子もあり立場もあるわけで、それを尊重しながらでなければ話は進みません。
エフロンは、アブラハムの申し出を聞いて、漸くにして金額を言いますが、その金額で買えとは言わず、「こんな金など問題ではない、どうぞ奥様を葬ってください」と、あくまでも見栄を張ります。しかし、この四百シケルというのは、かなりの高額のようで、それも法外の金額かもしれないと学者達は推測しています。
しかし、アブラハムにとっては、取り引きをいかに有利に進めるかが問題なのではなく、何としても妻サラを葬る墓を手に入れたい、そしてその墓は子々孫々がこれからも入ることが出来る墓としたいということでしたから、エフロンの言う通りの金額を支払うのです。一銭も値切ることなく言い値をそのまま払います。
「こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻サラを葬った。その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。」
非常に厳密にアブラハムが何を所有することになったのかが記され、いかに正式な手続きを踏んだものであるかが記されています。そこには、善意とか好意とか欲に基づいた計算とか見栄とか様々なものがありますけど、最終的には人間の感情とか思惑がどういうものであるとしても、きっちりとした法的な手続きが取られ、永続的にアブラハムが洞穴と周辺の土地を所有することになったのです。そして、この墓には後にアブラハム自身が入ることになりますし、彼の息子イサクとその妻リベカ、さらに彼の孫であるヤコブと妻の一人であるレア、またヤコブもエジプトの地で死んだにもかかわらず、わざわざミイラにして、彼の息子ヨセフの手によってこの墓に葬られることになるのです。それほどまでに、この墓の取得はアブラハムの家族にとって決定的に重要なことでした。
神に選ばれし寄留者
この個所から考えさせられることはいくつかあります。その一つは、この世を旅人、寄留者として生きることの厳しい現実です。この世に自分が生きる根拠をどっしりと置かないで生きていくということ、権利だとか資格だとかを持たずに生きていくことの厳しさを思います。アブラハムは、七五歳の時に突然神様に召されて、故郷を離れ、父の家を離れ旅立つことを命令されました。それは取りも直さず、地上の頼みを一切捨て去って、ただただ神様だけを頼みとして生きる人生への招きでした。神様が未来の人生を備えていてくださる。そのことを信じて生きる。そういう人生へと彼は旅立ったのです。それは単に各地を旅行しながら生きるということとは違います。一ヶ所に長く住んでいたとしても、その生活の土台をこの世には置かないということです。これは厳しいことです。この世においては、非常な不安定さに耐えることだからです。しかし、彼は、その不安定さに耐えながら、神様への信仰によって生き続けたからこそ、その地に住む人たちから「御主人」と呼ばれ、さらに「神に選ばれた方」(他の聖書では「神のような主君」と訳されてもいるのですが)と呼ばれるような存在になっているのです。そして、そのことがなければこの墓地取得ということも実現しなかったのです。
主イエスは、「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことは思い悩むな。明日のことは明日自ら思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である」とおっしゃいました。私達が求むべきは、ただ神の国と神の義である。それは、神様の愛と赦しを信じ、神様の愛と義が全世界を支配することを信じ求めて生きるということです。ただそのことだけを求めて生きる者に、神様はこの世を生きる上で必要なものも備えてくださる。主イエスは、そうおっしゃいました。
そして、アブラハムは二二章の段階で、まさにそのように生きる人間になったのです。彼は、罪の赦しによる祝福を頂き、その祝福が世界に及ぶために、その愛する独り子をさえ惜しまないで、神様に捧げようとしました。ただ一つのことのために、すべてを捧げたその時に、彼は一切を手に入れたのです。彼は祝福を受けました。そして、その祝福が世界の祝福へと繋がっていきました。その祝福された彼が、その後、手に入れたのはたった一つの墓だけです。しかし、それは子孫を与える約束と共に大事な約束であった土地を与えるという約束の実現でもあったでしょう。アブラハムが旅立たせられてから実に六十年以上を経て、今この約束の地に彼の家族の墓が誰の目にも明らかな形で彼の所有となったのです。それは、彼がそのために営為努力をしてきた結果ではなく、神に選ばれたアブラハムが、ただ神様の約束を信じて生きてきたことに対する祝福の結果なのです。そして、それはただ地上の墓を手に入れたことに留まらないことです。
天の故郷を目指す寄留者
ヘブライ人への手紙十一章は、アブラハムやサラについてこう記しています。
「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地を出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。信仰によって、不妊の女サラ自身も年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数え切れない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出てきた土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」
この言葉は、アブラハムの生涯を辿りつつも、次第に、現実のアブラハムよりも、アブラハムの本質を表現している言葉になっています。現実のアブラハムは、まだ天の故郷を約束として示され、その故郷を求めて生きたわけではないと思います。彼に与えられていた約束は子孫と土地です。そして、彼の代で実現したのは、一人の子と一つの井戸、そして一つの墓です。神様の約束は、アブラハムの子孫が天の星のようになることであり、彼らがカナンの地を受け継ぐことであり、そして、彼らを通して世界の民が祝福されることです。そのいずれもアブラハムは現実に目にしているわけではありません。でも、彼はそれが神様の約束であるという点において、はるかにその実現を信じたのです。しかし、彼はたしかに地上において寄留者であり、旅人でしたが、その旅の行き着く先がはるかに天の故郷であることを確信していたかどうかは定かではありません。
信仰の旅の行き着く先が天にあることを明示してくださったのは、アブラハムの時代から数千年を経て、マタイ福音書によればまさに「アブラハムの子、またダビデの子」として誕生したイエス・キリストだからです。この方は、「己が民を罪から救う者」として聖霊によってマリアの胎に宿り、人としてお生まれになりました。そして、ヨハネ福音書によれば、「人の子」は天から来て、天に帰るお方であることが宣言されています。その帰る道は十字架の道でした。このイエス・キリストの十字架の死の贖いと復活、そして昇天を通して、私たちの故郷は天にあることが明らかにされ、その道も造られたのです。アブラハムは、見果てぬ約束を信じて歩みを続けた人物であり、イエス・キリストを通してアブラハムの信仰を受け継ぐ者とされ、私たちもまたその信仰の歩みを継承しているのです。そして、その私たちにとって墓とは、最早先祖や自分自身が永遠に眠る場所ではありません。墓は、主イエスが復活した場所だからです。死の暗闇の中に命の光が差し込み、死の支配を打ち破り命の支配が証明された場所なのです。
私たちにとっての墓
私たちがキリストへの信仰によって生きることが出来るのは、まさに神の恵みの選びによることですけれど、その信仰においては、墓もまた一時滞在する場所に過ぎません。中渋谷教会の墓は小平霊園にありますが、年に一回持たれる墓前礼拝において、私がしばしば語ることは、原始キリスト教会の特にローマにおける礼拝堂は、カタコンベと言われる墓の中でした。迫害を受けたキリスト者は地下の墓の中で礼拝を捧げたのです。信仰の仲間たちの骸骨が並べられている中で、自分もやがて死ぬことを深く覚えつつ、さらに自分はやがてキリストによって甦らされ、天の故郷に生きる者とされることを確信して、復活のキリストを礼拝したのです。そして、そのキリストの福音は次第にヨーロッパに広がっていきましたが、そこにおいても礼拝堂の地下は信者の墓でした。墓の上でキリスト者は死に対して勝利をして下さったキリストを礼拝したのです。そして、その礼拝において、自分たちも神の国、その都、天の故郷をはるかに目指して生きる旅人であることを知らされ、いつも新たに勇気を与えられて、その信仰の歩みをし、伝道をしたのです。その歩みが今の私たちの信仰につながり、この礼拝に繋がっています。
アブラハムは大きな代価を払って一つの墓を手に入れました。しかし、私たちの主イエス・キリストは、ご自身の命を代価として支払って、私たちの墓を復活の場にして下さったのです。だから、パウロは、コリントの信徒への手紙の中でこう叫ぶのです。
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
私たちは聖霊によって与えられた信仰を通して、主に結ばれています。ですから、私たちが信仰をもって生きること、また信仰においてなすことの何もかもが無駄になることはないのです。全ては天の故郷、天の都に繋がることであり、そこに朽ちることのない宝を積むことになるのです。この世の宝に目を奪われ、無為に、罪を犯しながら生きることしか出来なかった私たちが、今や天を目指して、地の塩として生きることが出来るようにされている。なんと祝福された人生でしょうか。この祝福を一人でも多くの人と分かち合うために、また新たな一週間を歩み始めたいと思います。
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