「初めに言があった」

及川 信

ヨハネによる福音書 1章 1節〜 5節

 

 今日からヨハネによる福音書の説教を始めます。恐らく終わるまでには三年か四年かかると思います。今日は、最初ということもありますし、私にとっては掛け替えのない恩師の一人である松永希久夫先生が天に召された後の最初の礼拝ということでもあり、少し個人的な思いも語らせて頂きたいと思うのです。先生は新約聖書の学者であり、東京神学大学の学長としての重責を長い間担っておられましたが、何よりも、神様から召命を受けた一人の牧師でした。そして、学者としてはヨハネによる福音書をその専門とされていたのです。また、松永先生は、私にとっては神学校に行く前に出会った、これまた掛け替えのない恩師である哲学者であり教育者である川田殖先生の大学時代からの親友でもあり、私はこの二十五年間、川田・松永という二人の先生方にお導きを頂いてきました。神学校卒業後の私の任地に関しても、この両先生が何かと心配をして下さって決められてきましたし、私が今、中渋谷教会の牧師をさせていただくことも、この二人の先生方の存在と祈りなしには考えられないことです。私が中渋谷教会からお招きを受けたことを、真っ先に知らせたのは川田先生ですし、中渋谷教会のために牧師を探してこられた松永先生は、その時、病に倒れて入院中でした。その松永先生が、長い闘病の末に先週の火曜日、十月十一日午前六時過ぎに(医者が確認をしたのは七時五分ということになっていますが)、純子夫人と娘さんの有子さん、そして有子さんのご主人である弦太さんの看取りの中、天に召されました。私は、その数時間前の深夜、祝福の祈りをした上で、お別れすることが出来たことは、まことに幸いなことでした。
 「ヨハネ福音書」をいつか説教で取り上げたい、それは私の昔からの願いですし、牧師を続けていれば避けて通ることが出来ない必然でもあります。しかし、松永先生と長くまた深いお交わりを与えられている者として、特に先生が病に倒れて以降の数年間、この中渋谷教会の礼拝で語った説教を毎週読んで頂いてきた者として、ヨハネを専門とする先生に、ヨハネ福音書の説教を読ませることは、相当に緊張することでもあります。そして、それは先生にとっても同じはずです。去年頂いたお手紙の中に、こういうことが記されていました。 「おかしなことで、人にはこれまで言ったことはなかったのですが、聖書のヨハネ福音書がテキストですと、特に新共同訳だと、こちらの方が凄く緊張するのですね。翻訳も、また注解書も書いているので、それを用いて説教する牧師がいると、どう理解するのか、あるいは注解書をどの程度理解しているのか・・・とか、気になるのでしょうね。自分では、それは他の聖書理解と同じなので気にしてはいけないと命じているのですが。礼拝後、牧師に『先生の注解書を読ませていただきました』などと挨拶されると、ちゃんと理解して話したのかしらん・・などと考えてしまいます。」

 新共同訳聖書のヨハネ福音書の翻訳は松永先生のものです。もちろん、この聖書は個人訳ではなくて、他の翻訳者とさらに編集校正者の手が加わって現在の形になっています。しかし、先生は「ヨハネ」に関しては思い入れは深いわけで、実は、私も後で述べますように先生とは比較にならないレベルですけれども、思い入れが深いのです。ですから、時には先生と真っ向から対立する解釈をすることになるかもしれないという恐れもありました。だから、「先生が生きている間はヨハネはやりません」と冗談で言ったりしたのですが、次第に、「先生が生きている間にこそ、ヨハネをやっておかなければ」と思いが変わってきつつありました。ローマ書の説教を続けている時も、説教に行き詰まったり、解釈が難しくて分からなくなったりした時は、土曜日の晩に先生にお電話して30分ほど議論の相手をして頂いたりすることが何度もありましたし、7章に記されている霊と肉の分裂に関する文章については、ご自宅にまで伺って、長時間、議論の相手をして頂きました。また、現在、水曜日の聖研祈祷会ではヨハネによる福音書を学び続けていますけれど、14章に関しては、純子夫人の言葉を使えば、「及川先生にしては珍しく随分勉強した」上で、これまた長時間の議論に付き合って頂きました。まったく贅沢にして厚かましい話なのですが、そんなことを何年もやらせて頂いて来ました。ですから、「先生が生きている間は、ヨハネは出来ない」という思いと「先生が生きている時こそ、ヨハネをやらねば」という思いがいつも交錯していましたけれど、7月には秋からヨハネの説教を始めることを心に決めました。それは先生が結果として、最後の入院をしてしまったことが一つの大きなきっかけです。先生に元気になって頂き、また一緒に読み進めていきたいと願い、決心をしたのです。
 しかし、先生はいよいよ私がヨハネ福音書の説教を始めるその日の直前に、主イエス・キリストの愛を全身で受け止めて、罪と死に対する勝利を与えられ、主イエスの迎えによって召されていきました。私は、今後、先生が書き残してくださった注解書やいくつもの論文その他の文書を読み返しつつ、この福音書を読んでいくことになります。しかし、何をどう読んでも、ヨハネ福音書を理解できるとか、分かるわけではないと思います。
 先生は今回の入院中、非常に厳しい試練を受けられましたが、「人生に関して、信仰に関して、こういう目に遭わなければ知り得なかったことが沢山ある」と、何度も私に仰いました。そして、先生が召されて後に、純子夫人からお聞きしたのですが、先生は、「ヨハネのある箇所について、分からなかったことが今は分かる。今から注解書を書くとしたら、今度はこう書くのにな・・・」と仰ったそうです。だから、私がこれから一生懸命に読む先生の注解書は、一ヶ月前の先生から見ると、まだ分かっていない時の先生が一生懸命に書いたものだということになります。そして、それは実際に、そうだと思います。御言というものは、分かろうとしなければ分からないという面と共に、神様に分からせて頂かなければ決して分からないという面があるのです。神様ご自身が聖霊と共にその世界を見させてくださる、そのメッセージを聞かせてくださるということがなければ、分からないのです。
 今、私の書斎の本棚には注解書や説教集や研究書などを合わせると20冊近い書物が並んでいます。ヨハネ福音書は、やはり多くの人が愛していて、それに関する書物は最も多いと思います。しかし、私の心の中に消えることなく残り続けるのは、召される一週間前の先生の姿であり、その言葉です。一週間前とは、先生が多少なりとも話したり言葉としての祈りをすることが出来た最後の時ですけれど、その時の先生の姿と、その言葉とを私は一生忘れないと思っています。そして、神様が許してくださるならば、私にもそういう瞬間を与えて欲しいと心から願っています。その日、私は、それまで何となく先生の前では読むことをしないできたヨハネによる福音書の1章1節〜5節を読んで祈りました。先生もいつものように、精魂込めて神様の愛に感謝する祈りを祈られてから、荒い息の中で、こう仰いました。

「そうか、聖書はやはり本当のことが書かれているんだ。こうやって二度も同じことをしていると(死にそうなっても、なんか生きているという意味だと思います)、そのことがよく分かる。聖書はたしかに書かれたという意味では、ずっと後に書かれたけれど、人間が後から考えて書いたことじゃないんだ。そうなんだ。ずっと前からあったこと、最初からあったことを、後から書いたんだ。すべてのものは、言によって出来たんだ。ただ、それを見たままに書いているんだ。分かった。 わざわざ来てくれて有難う。お子さんたちにも宜しく。」

 そう言ってから、先生はベッドに横たわりました。この時の先生は、たしかに私の目の前にいましたし、病室の中には純子夫人、次男の信嗣さん、長女の有子さんと弦太さん夫妻、そして私の妻の真理子がいました。しかし、先生だけは、その時、ちょっと違う世界、違う空間にいるような感じでした。先生は、今の言葉を、私たちに向けて言っているとも受け取れるし、ご自身に向けて言っているとも受け取れるし、そして、目には見えない神様に向けて言っているとも受け取れる。信仰とか聖霊とかを知らなければ、誰に何を言っているのか良く分からない感じ。しかし、明らかにその時の先生の心の目には、御言の世界が見えたのだと思います。神様が、聖書において語ろうとしていることが何であるかが分かったのです。神様が、その世界を見せてくださった。その御心をさやかに示してくださったのです。だから、先生と私は同じ空間にいて、先生は私の目の前にいながら、先生は私とは別世界にいるという感じがしました。
 その時、私は「やっぱり、そうなんだ。聖書は、こうやって分かる、いや分からせられるものなんだ。いわゆる勉強で分かることではない。」そう確信しました。この時、先生に聖霊が降ったのです。
 聖書に関して勉強することは必要だし、楽しいことでもあります。しかし、その積み重ねで聖書の言葉、特にヨハネ福音書の言葉が分かるものではないと思います。先生が生きていようがいまいが、私がヨハネ福音書の説教に取り組むことを躊躇い続けてきた一つの理由は、性格は物凄く感情的ですけれども、理屈でものを考えることが好きで、さらに歴史的にものを考えることが好きな私には、ヨハネ福音書の霊的な言葉、象徴的、神秘的な言は分かりようがないと思っていたことにあります。
 以前、ある牧師とヨハネ福音書のことを話していたら、その牧師は、「この福音書は、よく考えると意味が分からないのに、教会員に愛唱聖句を聞いたり、印象深い聖書の言葉を聞いてみると、結構ヨハネが多い」と言っていました。そうかな、と私も思います。
 私自身、松永先生と同じく牧師の家に生まれて教会学校で育ちましたから、聖書の言葉は沢山聞いて育ちましたけれど、ヨハネの言葉はやはりいくつも覚えています。そもそもこの福音書冒頭の言葉は、子供の時から忘れることは出来ません。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」


 この言を聴き取るために、何回の礼拝が必要か分かりませんが、とにかく、「先に行っても良い」と思うまで、何週間でも読んでいこうと思います。
 アウグスティヌスという巨大な思想家が、ヨハネによる福音書に関する膨大な量の説教を遺しており、その説教集の序文は誰が書いたのか分からないようですが、その中にこういう文章があります。私は心の底から同感します。(資料の途中から読みます)
「たしかに、他の福音書記者たちは、足で歩くことのできる動物のように主と共に地上を歩き、キリストの時間的な誕生と、人として成し遂げたもうた彼の時間的な業とを十分に解明し、彼の神性についても若干語りはした。しかし、ヨハネはキリストの地上の業については少ししか語らず、むしろ目を神性の力に強く向け、主と共に天へと昇っていくのである。実際、最後の晩餐の時に主の胸に寄り添った彼は、主の胸の泉から流れ出た天上の知恵の滴りを、他の福音書記者たちよりもいっそう多く飲んだのである。・・・ ヨハネは主の業については少ししか述べず、むしろ三位の一体と永遠の生の至福を指し示す主の言葉を、非常な熱意をもってここに集めている。そこで彼は、宣教の目的を、観想の徳の価値を明らかにすることにおいたのであった。というのも、人は神を見るためには観想の生において空っぽにされねばならないからである。」

 松永先生が死の一週間前、長く苦しい闘病の末に、神の御言の世界を見たとするなら、それは「観想の生において空っぽにされた」からでしょうし、そういう時に、人は「主の胸の泉から流れ出る天上の知恵の滴り」を飲むことが出来るのだと思います。それは、勉強して勉強して知識を蓄えて漸く見えてくる世界ではない。勉強をしようとしまいと、苦しみの中で、ひたすらに神様に心を向けて、観想する。黙想する。御言を目で読み、目で読んだ言に耳を澄ます。全神経を集中して、そこに聞こえてくるメッセージを聴き取らせて頂ける瞬間、そこにある世界を垣間見させて頂く瞬間を待つ。そういう時間が、特に必要とされるのが、このヨハネ福音書だと思います。皆さんも、毎週、そういう時間を取った上で礼拝に臨まれることをお勧めします。
 「初めに言があった。」これまた笑われてしまうかもしれませんけれど、私は高校生の頃、将来、結婚して子供が生まれたら、それは男の子であるに違いないから、その子には「言」と名付けようと決めていました。その時代から浪人を経て大学一年の終わりまでの数年間の私は、若者たち特有の人生問題で悩んでいたわけですし、親の宗教であるキリスト教以外の価値観を見つけ出したいと願い、悶々としつつ、生きることの意味や死ぬことの意味や、生きることの実感を求めていた時代です。目に見える現実としては高校もろくに行かないふてくされた不良の人生を生きているだけなのに、子供が生まれたら「言」と名付けると決めていたのは、やはりこの福音書の書き出しに心惹かれていたからです。当時の自分の言葉で言えば、この冒頭の言は「かっこよすぎ」です。深くて力があって、得体が知れないけれど、非常に魅力的。何を言っているのか分からないけれど、きっと世界の神秘、命の神秘を、この数行の言葉が言い当てている。それは多分間違いない。いつか分かりたい。そういう思いがありました。そして、私は常に漠然とですけれど、強く本当の言葉を求めていましたし、本当の言葉を語る人を求めていました。そして、いつか自分も本当の言葉を語る人間になりたかったのです。
去年の特別伝道礼拝の説教で語ったことかと思いますが、大学生になったばかりの私は、「おはよう」という挨拶を、本当に心の底から言える人間になりたいし、そういう人と知り合い、そういう言葉を使って付き合っていきたいと願っていました。しかし、世の中には、そんな言葉を使う人は滅多にいません。皆、おざなりな、いい加減な、表面的な、実のない尊敬語を使うばかりで、若者がよく読んでいたサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」という小説の言葉を使えば、「まったく反吐がでちまうぜ」という感じの言葉ばかりだと思いましたし、今も思います。
 ある説教者が、このヨハネの冒頭に関する説教の中で、ヨハネによる福音書の冒頭に出てくる文章に関して、「言葉の葉の字がなくなる。つまり、葉っぱのように薄っぺらなものではない、葉っぱのように風が吹けばいっぺんに飛ぶようなものではない。聖書の言葉自体がそうです。「行いそのもの」(神の行為の意味ですが)です」と語っています。そうだと思います。文字として記されている、人間の口から発せられている言葉は、木そのものにくっついていない葉っぱのように、カソコソと音を立てて風に吹き飛ばされていきます。大学一年の時、教室で教師の講義を聞いていてもキャンパスで友人と話していても、そこで聞く言葉は皆実体がなく軽く表面的で、とても真剣に聞く気になれないものだと思いましたし、自分が語る言葉もまた、何の実体もないその場しのぎのものに過ぎないと思わざるを得なくなったとき、誰とも会わずに下宿に閉じこもり、初めて自覚的に聖書を熱心に読みました。その時に、鮮烈に胸に突き刺さってきた言葉が、ヨハネによる福音書に記されている主イエスの言葉です。

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いではなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。」

 この言葉を読んだ時、その「言」が心に突き刺さってきました。つまり、イエス・キリストの愛が心に突き刺さってきました。この言葉は、語ったその人が書いたのではなく、聞いた人が書いた言葉です。この言葉を語りかけられた人が他の人に語り、それがこうやって書かれたのです。そして、この言を最初に聞いた人、それは主イエスの弟子たちです。その弟子たちは、この後を見れば分かりますけれど、実は狼が来たときに羊飼いを捨てて逃げたのです。「死んでもあなたを知らないとは言いません」という言葉を口にしながら、弟子たちは一人残らず、風が吹けばカソコソと消え去る葉っぱのように消えていったのです。それが人間です。私たちです。
しかし、この言葉を語った人は、その言葉どおりに生きた。本当に羊たちのために死んだ。
「こういう人がいたんだ。口で言ったとおりに生きて、死んだ方がこの世にはいたんだ。いや、その方は今も生きておられるんだ。この方は、こうも仰った。『わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれも私から命を奪い取ることは出来ない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることができ、それを再び受けることができる。これは、わたしが父から受けた掟である。』この言葉を聞いたとき、私たちはだれもその意味が全く分からなかった。でも、この方は、こう仰った。『今、あなたがたには理解できない。しかし、真理の霊が来ると、真理をことごとく悟らせる』と。主イエスは、私たちが逃げ去った後、私たちの前に現われてくださり、私たちの罪を赦し、聖霊を与え、罪を赦しなさいと命令された。この復活のイエス様に出会った時、そして、真理の霊、聖霊を与えられた時、私たちは、この方がお語りになったことが何であったかがすべて分かった。この方は、本当に私たちのために命を捨て、そして再び受け、今も私たちと共に生きてくださっている。その動かしようもない事実がその時分かった。だから、私は今、この方のことを生命をかけて証言しているんだ。」
 この福音書は、いや聖書というものはすべて、こういう驚き、腰も抜かさんばかりの驚き、神と出会う、神に語りかけられる、その罪を赦され新しく命を与えられる。そういう奇跡を体験した人間たちの証言がもとになっている。いや、その証言そのものなのだ、ということが分かりました。そういうことが分かった時、私は初めて、ここに本当の言葉があるということを知りました。しかし、それでも信じることはなかなか出来ませんでしたし、そこからさらに証言者として立つには長い時間がかかりました。
 聖書を書いている人、それはまさに神の言、すべてをお造りになった神の言にじかに触れて、それをそのまま書いている人です。神は、その人にご自身の御心を示されたのです。
 1章の14節と18節にこうあります。

「言は肉体となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」 「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」

 ヨハネ福音書の最大の特色、それは先程のアウグスティヌスの説教集の序文にもありますように、歴史的存在、地上的存在として肉体をもって生きた一人の人間を、「独り子なる神」と信じ、真正面から証言し告白することです。これから読み続けていけば分かることですけれど、この告白をすること、それは命がけのことなのです。先程は読みませんでしたけれど、序文の中に、ドミティニアス帝というローマの皇帝の名前が出てきます。その皇帝の時、キリスト教徒は激しい迫害を受けました。皇帝崇拝を強制する国家が、イエスという人間を神と信じ、この神にのみ従う信仰者を迫害するのは当然のことです。ですから、イエスを神と信じ、告白することは、時に死を意味した。だからこそ羊は羊飼いを捨てて逃げたのです。しかし、その羊たちが、後に、命をかけて、また命を捨てながら、この信仰告白をしなければ、キリスト教会はこの世に誕生はしません。
 しかし、その信仰は人間が自分で持とうとして持てるものではありません。恵みによって神様から与えられるものです。それはしかし、どのようにして与えられるのでしょうか。
 松永先生は、学者であることよりも牧師として、論文を書くことよりも説教をすることを熱望しておられました。神様に、そのように召されたからです。その先生が、中渋谷教会に何度も来て下さったのですが、その最後の説教、それは(結果としては先生にとっても最後の説教になってしまいましたが)先生が生涯をかけて探求してこられたヨハネによる福音書20章24節から29節の説教です。ここはヨハネ福音書本文の最後の部分です。21章は後に編集者が書き足したものです。これが先生にとって最後の説教になるなどとは、私も思いませんでしたし、先生だって思っておられなかったでしょう。でも説教者はいつでも、「これが最後の説教でもよい。今の自分に示されたことは、これだ。これ以外のこと、そして、これ以上のことは今の自分には語れない」と思う説教をすべきですし、先生もそういう思いは当然おありだったでしょう。
 20章24節というのは、主イエスを裏切って逃げてしまった弟子たち、特に疑い深いトマスの目の前に、復活の主イエスが現われて下さる場面です。主イエスはトマスにこう言います。

「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、貴方の手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

 先生は、こう説教されました。

 私どもの人間の罪深さはイエスを十字架につけてしまったが、それは、実は、神ご自身の隠された恵みの計画であり、人間の罪の贖いとして、神ご自身の僕が、それを負い、その僕の犠牲において人が赦されるということが起こったのだと宣言されているのです。その光の下に、イエスの手に自分の手を触れ、イエスのわき腹に自分の手を差し込んでいる自分の姿をどう見るか。それは自分が殺人者であり、罪人以外の何者でもないという事実です。それを、そのように判定したからこそ、トマスの口をついて出たのは、「わたしの主、わたしの神よ」との、イエスを神とする信仰告白の言葉でした。イエスの愛、神の愛を知り、その愛をもって生かされたのです。イエスにおいて神を見、それ以外には神を見ることのないことを表明したのです。(中略)
復活の主イエスの姿が見えるとき、私どもは私たちが罪人であるとの告白をせざるを得ません。そして、「私どもの罪がイエスを十字架につけたのだ」と告白するとき、主は「あなたの、その罪が赦されたのだ」と仰るのです。トマスは、そこに立たされ、「ああ、わが贖い主、わが救い主」と言わざるを得なかった。そこでひれ伏して用いられたのです。トマスのような弟子ばかりがいるのに、「ご自身の僕のシャーローム・平和」によって、トマスの集合体は、イエスを「わたしの主、わたしの神よ」とする礼拝共同体、キリストの体なる共同体へと変えられています。・・・・


 人間はだれでもトマスのような存在なのです。ある時は情熱的に「我々もイエス様と一緒に死のうではないか」と言ったかと思えば、「あの方の手に釘の後を見なければ信じない」と言ったりする。その言葉はまさに吹けば飛ぶような軽い葉っぱに過ぎません。発する言葉が葉っぱに過ぎないということは、その言葉を発している人間もまた葉っぱ同然ということなのです。そういう惨めこの上ない私たち、罪に支配され、闇の中で何も見えず、自分が何を言っているかも分からず、何を言われているかも分からず、ただ滅びに向かうほかにない惨めな私たちに、主イエスは毎週現われて下さり、語りかけて下さるのです。復活の主イエスが、鍵を閉め、窓も閉めて弟子たちが隠れていた部屋に現れたのは、週の初めの日、日曜日です。トマスに現われたのも8日目の日曜日です。日曜日、主イエスは毎週、愚かにして不信仰、愚かなくせに知恵があると思い込み、強がっているくせに弱虫、嘘を言っているくせに真実ぶっている弟子たち、つまり、私たちの只中に現われてくださり、その手についた釘跡を見せ、槍で突き刺されたわき腹を見せながら、
「あなたがたに平和があるように。あなたがたの罪は赦された。あなたがたはわたしの羊。私はあなたのために死んだ。そして、今、あなたのために生きている。わたしはあなたがたを派遣する。さあ、聖霊を受けなさい。私に罪を赦されたあなたがたの赦す罪は赦されるのだ。私があなたがたに与えた罪の赦し、その愛、その命を、あなたがたは世にいるすべての人に、わたしによって造られ生かされているすべての人に宣べ伝えなさい。心を騒がせるな、神を信じ、そして私を信じなさい。」
 そうお語りになっているでしょう。
私は先週、納棺式、ご家族による密葬・出棺式でも説教をさせていただき、明後日の葬儀でも説教をさせて頂きます。その中でも繰り返し語ることになりますけれども、今日も、皆さんに松永先生の最後の説教の最後の言葉をご紹介したいと思うのです。私も許されれば、説教者としての最後に、こういう言葉を語って、その任を終えたいと切望するからです。先生は、こういう言葉で、その説教を終えられました。

「私たちも、また、この礼拝から、『わが主、わが神よ』と告白し、賛美しつつ、この世にしっかり、出かけて行きましょう。」

 松永先生の最後の説教の最後の言葉の中に、ヨハネによる福音書の結論が出ています。ヨハネによる福音書が命をかけて証言していることは、主イエスこそ、「私たちの主、私たちの神、わたしの主、わたしの神、わたしのために死んで下さり、わたしのために生きてくださり、時が来たならば、わたしを父の住いに住まわせるために、迎えに来てくださる独り子なる神なのだ」ということです。聖霊に導かれる礼拝において語られる「言」によって、その主イエスを見ないで信じることが出来た人間は、「わが主、わが神よ」と告白しつつ、この世にしっかり、出かけていく」ことが出来ます。
 先生は、葬儀の時に読むべき御言として、ヨハネによる福音書14章を指定されました。この御言に導かれて説教をしなさいと、私に命じられました。私は、先生とお別れすることになるであろうと予測できた最後の晩、10日の深夜、病室で、この言を読むかどうか心の中で激しく葛藤しつつ、結局読むことが出来ませんでした。この言を読んだ途端に先生が死んでしまうのではないかと思ったからです。先生が聞きたかった言葉は、これであるのではないかと思いながらも、読めませんでした。私は先生の前で、最後まで、不信仰だったし、弱かったし、どうしようもない人間でしたけれど、でも病に倒れられて以後の先生とのお交わりを通して、主イエスが本当にその言どおり、光であり、命であり、愛であること、そして、聖書は神の言であり、真実であることは前よりも分からせて頂きました。先生に、そして、神様に心から感謝いたします。そして、これから、この礼拝の中で皆さんと一緒にこの福音書を読み進めていくことを通して、聖書は神の言であることを前よりも深く知り、イエス様が神様であることを信じ、告白しつつ、いつイエス様のお迎えが来ても良いように生きる者たちとなりたいと願います。

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行って、場所の用意をしたら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」

 先生は今、すべての召された聖徒たちと共に天上の主と共におり、この礼拝堂にいる私たちは今、地上で主と共にいるのです。私たちの主は命であり、光であり、死よりも、闇よりも強いのです。感謝し、賛美する以外にありません。
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