「言は神であった」

及川 信

ヨハネによる福音書 1章 1節〜 5

 

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

 「聖書」というと、それは実に高尚な書物であり、宗教的な天才たちが書斎にこもって思索と祈りを深めた上で、天から啓示されたものを書き出した書物ではないか、と多くの人が考えておられるかもしれません。そして、礼拝とは、そういう高尚な思想とか信仰とかいうものを学ぶために行くものであり、牧師の説教は、講義だと思っている。そういう方もおられるかもしれません。しかし、明らかに聖書は書斎で書かれたものではないし、教会は学校ではなく、礼拝は授業ではありません。聖書はこの世の現実の只中に突入してくる神の言を聴き取り、宣べ伝える教会が書き記したものです。そして、聖書と教会の関係は、その最初においては、教会が聖書を生み出す面と聖書が教会を生み出す面があるのです。主イエスの十字架の死と復活、そして聖霊降臨によってキリスト教会が誕生していなければ、聖書それも少なくとも新約聖書の諸文書は書かれることはありませんでしたし、その一方で、聖書の諸文書が次々と新しい教会を生み出していったということも、また動かしようがない事実です。今は、もう聖書は「正典」となり、その範囲も固定されましたから、教会が新たな文書を生み出しても、それが聖書の一部になるということはもはや起こり得ないことです。しかし、教会の中でだけ、この言葉は今に生きる「神の言」として絶えず新たに聞かれ語られるのですから、教会の礼拝においてこそ聖書は聖書としてその力を発揮するのです。そして、教会は、その聖書の力、神の言の力によって教会として生きることが出来るのだし、今もその神の言を宣べ伝えることによって生きているし、新しい教会も誕生しているのです。ですから、聖書を読むということは、「学ぶ」だとか、「知識を蓄積する」だとか、そんな呑気な話ではありません。この言葉を書き、この言葉を「神の言」として読み、そして、この言葉を信じて生きるところに、まさに私たちキリスト者の命があり、それはまたある時代においては命がけのことだったのだし、いつでもそういう時代はくるのだと思います。
 つい先日、今の首相はその公約どおり、しかし、公約として口にしていた八月十五日ではなく、秋の例大祭初日に靖国神社に参拝しました。私的参拝であるか公的参拝であるかは議論の分かれるところですが、その議論に今日は立ち入りません。政教分離の原則に対する重大な違反がそこにはあると私は思います。それはとにかくとして、神社というのは神を祀るお社のことです。そして、靖国神社に祀られている「神」はしばしば「英霊」と言われますが、それは明治維新以来の歴代政府にとって「正しい戦争」で死んだ人間のことです。その時の政府にとって「正しい戦争」が本当に正しかったかどうかはもちろん分かりませんし、そもそも戦争が正しいのかも分かりません。死んだ人間が皆、戦争を正しいと確信していたかも分かりませんし、正しいことをしたのかも分かりません。民間人を意味もなく殺したり、婦女暴行を繰り返したり、略奪の限りを尽くしたりした人間だっているでしょう。しかし、「死んでしまえば皆、神様、仏様になる」のが日本の宗教的風土なのでしょう。そして「死人に口なし」ですから、今更「戦争についてどう思うか」と聞くことも出来ません。ですから、あの神社に祀られている246万余りの英霊(それ以前の戦争で死んだ人間は含まれていませんから、あそこの神様は、せいぜい150年位前からのものです)は、物言わぬ神です。そして、それだから利用する方は有り難いのです。「あの戦争で亡くなった方たちのお陰で、今の平和と繁栄がある」と言われても、英霊は何の反論も出来ません。「何を言ってんだ。俺たちの死を利用するな」とも言えない。もちろん、そんなことを思っている英霊がいるのかどうか分かりません。英霊同士が喧々諤々の議論をしているのかもしれません。しかし、地上では平然と、「皆さんのお陰です」と頭を下げられてしまう。「物言わぬ神」というのは、生きている人間には真に都合がよいのです。「死人に口なし」ですから、何を言っても平気です。これほど利用しやすいものはありません。
 しかし、聖書に記されている神様はどうでしょうか?最初から、聖書の神様は言を発する神です。そして、次週ご一緒に読みますけれど、その言によって世界を造り、私たち一人一人の人間の命をもお造りになるのですから、神の言は、まさに世界を創造し命を創造する言です。はじめに神が天と地をお造りになった時、神が『光あれ』と仰れば、そこに光があったのです。また、聖書の神様は、言をもって私たち人間に生きる道をお示しになる神様です。「この木の実だけは食べちゃ駄目だぞ。食べたら死ぬことになる。よいな、分かったな」とちゃんとお語りになる。もちろん、その言葉の前に「園にあるどの木からもとって食べていいんだよ」という言葉もある。だから、「食べるな」という言葉は、肉体的な命を脅かす理不尽な言葉ではなく、むしろ、その命とは別の「人として生きる命」を養うための言葉なのです。しかし、その言葉はえてして、私たち人間の肉が持っている欲望とは相反する言葉であるが故に、私たちは知らず知らずのうちに背いたり、よく知っているのに敢えて背いたりする。すると、ちゃんと神様が出てきて、「あの『食べるな』と言っておいた木から食べたのか?」と聞かれ、具体的な内容を持った言葉で、裁かれたり、赦されたりするのです。そのことによって、人は死に、また生きる。神の言はすべて実現するからです。
聖書における神様、私たちが信仰している神様は活ける神であり、そして、それは語りかけてくる神様です。そして、神様の言はすべて実現し出来事となっていく。私たちはその神様の語りかけ、その言の前に立たされ、応答する者として生かされている。この神様との交わりの中で生きるように、造られているからです。この言の前に立たず、この語りかけを聞かず、それに応答しない時、その人間は神の言によって造られた人間としての命を、まだ生きてはいない。まだ知らないと言わざるを得ないと思います
 しかし、この神様を信じ、この方の言に従って生きようとする時、それは肉体的な意味で、まさに命をかけざるを得ない時があるのです。現在の首相の靖国参拝と自民党が作成した新たな憲法の試案は連動しています。そして、その底流にあることは、彼らが考える意味での愛国心であり、国家観です。それは言うまでもなく、「多く」存在し得る愛国心の一つであり、国家観の一つです。しかし、それが「唯一」の愛国心の形態であり、国家観であると主張されないとは限りません。実際、国家の権力を握っている人々は、これまでも、そしてこれからも、自分たちが抱く愛国心とそれの基になる国家観こそが正しいと思っているわけで、その正しいことを国民に押し付けてくることは歴史の必然なのです。現在の学校現場における日の丸掲揚、君が代斉唱の強制などもその一つです。その延長線上に、あらゆる公的な行事における強制があり、さらに信教の自由も公的利益に反しない限りにおける自由だという制限がつく可能性もあります。先日「礼拝と音楽」に関する雑誌を読んだのですが、その中にも、戦時中の日本の教会が、「国民儀礼」を行うことを強制された事実が記されていました。「中渋谷教会八十年史・資料編」においても1943年2月7日は「紀元節礼拝」と名付けられ「肇国(ちょうこく)の精神」という題の説教が為されています。その前年1942年の正月、既に「祖国の必勝、東亜新秩序建設と、戦時下伝道報国に協力奉献のため」という祈祷会が開催されています。そして、礼拝開始前に行うことを強制された「国民儀礼」とは、宮城遥拝と国歌斉唱、勅語奉読、祈祷(戦勝祈願)を主な内容とするものです。つまり、天皇を現人神とする国家に対して愛と忠誠を捧げることを誓い、天皇並びに神国日本を賛美奉ることをその目的とするものです。そういうことを、父・子・聖霊なる三位一体の神を礼拝する前に為していた。そういうことを強制された。そういう経験をしている人が、まだ日本の教会の中に何人も生きている。そんなに遠い話ではありません。その時代に既に、日本は再軍備をし、国外派兵に向けて着々と既成事実を積み重ね、テロ防止とか国防の必要性から、国民一人一人の思想信条の自由や行動の自由よりも、国家の利益を優先する方向で法整備を積み重ねており、ついに憲法を変えるところにまで来つつあります。そうなりますと、いつの日か突然、キリスト教会の礼拝に対しても、ある種の干渉が入ってこないとも限りません。有事の際には、たとえばこの会堂を軍隊の倉庫として使うために提供を求められる可能性もあるはずです。一連の有事法案の中の一つにそういう規定があったと思います。さらに戦勝祈願などの協力を求められる可能性は今後ますます増していくでしょう。その時、私たちはどうするのか?かつての中渋谷教会のように、国民儀礼を受け入れるのか、それとも弾圧を覚悟して拒否するのか?私は、妙に人気がある首相が、靖国に参拝する姿を見、閣僚たちの大多数がそれを評価し、「なんとかチルドレン」と呼ばれる若手の新人議員の多くも粛々と参拝する姿を見ながら、いつか来るであろう国家による干渉に対して、緊張し、身構えている自分を感じています。それは10年後なのか、20年後なのか。そして、そういう時代の中で、ヨハネによる福音書を読み進めて行く意味を知らされ始めています。
聖書という書物、それは明らかに永遠に通用する書物ですし、全世界に通用する書物です。実際に、二千年の時を越え、七つの海を越えて、現代の日本人である私たちが、今日もこの礼拝堂で神の言として読んでいます。しかし、その聖書は学者とか思想家が、「永遠とは何であるか。永遠に全世界に通用するものとは何か」と思索をして書いたものではありません。
実は、ヨハネ福音書を誰が何時何処で誰に向かって何の目的で書いたのか?この点について、学者たちの一致した見解はまだありません。特に著者や執筆された場所については諸説紛々で確定が出来ないのです。最初の読者は異邦人が主だったのかユダヤ人が主だったのか、それもよく分からない。しかし、時代については紀元後八〇年代後半から九〇年代終わりまでの間ではなかろうかという点で、学者たちの意見はほぼ一致しています。
 その時代がどういう時代であるか、それは今後読み進めていく上で、何度も触れることになるとは思いますが、歴史の転換点であったことは事実です。時はローマ帝国の時代です。ユダヤ人も、その支配の中にいました。しかし、紀元60年代からユダヤ人はローマへの抵抗を始め、ついにユダヤ戦争という戦争に発展しました。しかし、ごく少数のユダヤ人が圧倒的な兵力をもっているローマに勝てるはずもなく、70年にエルサレムは陥落し、その神殿は完全に破壊されました。最後まで抵抗をしたマサダという山の上の砦も、あの沖縄戦のように女子供も含む集団自決という悲惨な最期を遂げました。
その経験を経て、ユダヤ教の中に大きな変化が生じたのです。ユダヤ教にはそれまで神殿宗教という部分と律法宗教という部分がありました。神殿において犠牲を捧げ、罪を赦していただくという宗教的側面と、実生活の中で律法を守り、義人として生きるという側面があった。その内の一つである神殿が完璧に破壊されてしまったのですから、祭司とかレビ人という神殿に仕えていた人々は完全に失業しましたし、神殿礼拝そのものが終わったのです。残るは律法です。ラビと呼ばれる律法の教師の指導によって律法を習い、実生活の中で律法を守って生きていく。そういう律法主義的な宗教生活が主流になったのです。そして、それは同時に、メシア待望を捨てるということも意味します。神殿宗教であろうが、律法宗教であろうが、国を持たず大国に支配されているユダヤ人は、旧約聖書に預言されているメシアの到来を誰もが待ち望んできたのです。異教徒であるローマ人に抵抗して戦い、エルサレムが攻撃されるときにはメシア(救い主)が到来して、ローマを打ち破り、終末が来るはずだと信じた人々がいたのです。しかし、メシアは来なかった。世の終わりも来なかった。その挫折は深いものでした。そこで、もうメシアが来るとか、だから戦おうとか、そういうことを考えるのは止めよう。それはむしろ国を滅ぼし、下手をすれば民族そのものを滅ぼす危険思想だ。過激なメシア待望路線を捨てよう。そういうことを決定する会議がヤムニアという所にあったユダヤ人捕虜収容所の中で開催され、その結果、ナザレ育ちのイエスをメシアと信奉する「ナザレ派(初期キリスト者)は異端である」「のろわれよ」という宣言がなされたのです。そして、ユダヤ教はメシア待望を捨てて、ローマに対しては二度と抵抗運動を起こさないことを条件にローマの公認宗教としての待遇を受けることになりました。つまり、公的利益に反しない限りにおける信仰の自由を与えられることになった。しかし、広い意味でユダヤ教の一派と目されていたキリスト教がユダヤ教から異端宣告を受けて、ユダヤ教の会堂から追放されるということは、ユダヤ社会の中でユダヤ人キリスト者は生きていけないということであると同時に、ローマ帝国からの弾圧を受けても仕方のない危険なセクト的宗教団体として放り出されたということを意味します。キリスト教は、最終的にはローマの総督ピラトによってローマ皇帝に反逆する国家反逆罪を犯した重罪人として処刑された人物を、神の独り子であり神であると信じ、そのことを証言する宗教です。それがどんなにいかがわしい手続きを経てのものであっても、国家が定めた法の下で処刑した人物を、神の子であり神であると信じ、その人間に従って生きる人々がいるとすれば、それは国家が放任しておけない宗教であり、信者ということになるのは当然です。90年代とは、特にドミティニアス帝という皇帝によって、まさに現人神である皇帝に対する礼拝を強制される時代であり、それに抵抗するキリスト者たちに容赦のない迫害が加えられる時代なのです。
 ですから、ヨハネ福音書は、ユダヤ教からの追放と迫害、そして、ローマ皇帝からの大々的な迫害がまさに与えられようとしている、いや現実に与えられている最中に書かれた可能性が高いのです。「迫害」と口で言うのは簡単です。現実には鞭打たれ、裸にされ、木に括り付けられて、市街地で松明代わりに生きながらに燃やされるとか、競技場でライオンに追い回されて食い殺されるとか、両足を縛られて、その両足を馬で引っ張らせて股裂きにして殺すとか、そういうことです。そういう目に遭う。自分が遭う、家族が遭わされる。それが迫害です。現代で言えば、密室の中で電気ショックを与えられる、罵声を浴びせられ続けて眠らせてもらえない、最後は絞首刑とか電気椅子に座らされる。非国民のレッテルを貼られて、残された家族も屈辱にまみれて生きざるを得ない。そういう現実は、二千年前のローマ帝国の中に事実としてあったし、たかだか60年前の大日本帝国の中に事実としてあったのです。そして、恐ろしいことに、いつまたそういう事実が引き起こされるか分からない。
 そういう現実の中で、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と、ヨハネと呼ばれる人は書き始めた。それはいずれ、この書物を書いた人間が自分であることがローマの権力者に知られれば、即座に逮捕され、拷問を受けた上に、殺されても仕方がない行為です。ヨハネは分かっているのです。「これを書けば、読んだ人は皆、感動するだろうな、喜んでくれるだろうな、皆が信じてくれるに違いない・・」なんて思っていなかったでしょう。彼は、この福音書を書くことによって、自分が殺されてしまうかもしれないと覚悟して書いている。それでもよい、と思って書いているのです。十節に、こうあります。

「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」

 言は、自分が造った世の民のところへ来たのに、民はその言を受け入れない。「こんにちは、赤ちゃん、わたしがママよ」という歌が、私の子供の頃に流行りました。「わたしがママよ」、それは事実なのに、赤ちゃんが「あんたなんか知んない。どこかへ消えちまいな」と言うとすれば、それは言われた方も本当に気の毒ですが、言う方はさらに悲惨ともいえます。事実として母親なのに、その母親を知らず、その愛を受け入れず、母親を殺してしまう子供というのは、悲惨の極みです。それは命の源を殺すことであり、自分自身を殺すことです。自分を愛してくれる存在を殺すことは、自分を殺すことなのです。しかし、そういうことが起こった。それが、この福音書が告げていることです。
 自分で自分の命の源を殺してしまう人間、それは闇の中で死に向かう人間です。しかし、その闇の中に、その死の中に、そのことを承知の上で、決して闇には理解されない光として、決して死には呑み込まれない命として、言が来た。しかし、その言は、世に来る前に既に、世が出来る「初めにあった」のであり、「神と共にあった」のですし、「神」なのです。
 そして、先程も言いましたように、初めからあったこの事実を証言することは、ヨハネにとっては闇の世界の中で、自分の命の源を殺してしまう人々の中で、まさに殺されること、迫害されることを意味してもいたのです。そして、殺されてしまえばすべて終わりなのに、ヨハネには、人が殺すことが出来る命ではない命を与えられているが故に、死の恐れに捕らわれることなく、その命を一人でも多くの人間が、自分同様に与えられるように願って、初めからあったこと、そして、霊によって彼に知らされたことを書き始めたのです。12節にはこうあります。

「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」

この「神によって生まれた命」、それは闇には理解できず、死が勝利することが出来ない命です。聖霊の導きの中で、私たちが神である言を受け入れる時、私たちは神の子とされ、この命を与えられるのです。
 言、それは神の言です。それは世の初めから終わりまですべてを貫く神のご計画とも言えるし、語りかけとも言えるし、神の臨在そのものとも言える。だから、私たちが捉えることなど出来ようはずもありません。しかし、その神の言そのものである御子イエス・キリストは、私たちの間に肉となって生まれる前から、神と共にいまし、父・子・聖霊なる三位一体の神の中の「子なる神」として永遠の昔からいまし給う方なのです。その神の独り子が、14節にありますように、二千年前に「肉となって、わたしたちの間に宿られた」のです。
 それは何のためか。3章16節以下を読みます。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じないからである。」

 神様は、ご自身の独り子を世にお与えになった。それは、世を愛しておられるからです。これを与えてしまったら、もうあとには何も残っていないのに、たった独りの子を与えた。神様がそのようにまで深く強く愛する「世」とは、しかし、独り子である「言」が来ても受け入れない世です。そのことによって自ら裁きを招き、闇と死を自分自身にもたらしてしまう世です。そういう愚かにして惨めな世、そういう愚かにして惨めな私たちを、しかし、神様は愛し、独り子を与えて下さる。そして、独り子なる神、肉となって私たちの間に宿られた言は、そういう闇の子、死の支配の中に、ただ肉体が生きているだけの私たちを、光の子、永遠の命を生きる者とするために、ご自身の命を与えてくださいました。そのことを通して、私たちは神様の愛がどんなものであるかを知らされ、その愛に圧倒され、包まれて生きることが出来るようになったのです。ヨハネは、この愛に打たれ、この愛に包まれ、この愛の中で生かされているので、何も恐れることなく、この福音書を書くことが出来た。この愛を証しするために。
 この福音書を読み進めていくと、主イエスが弟子たちにこう仰るところがあります。

「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。」

 これも私たちの国でかつてあったことです。この国においてただひたすらにキリストを崇め、従っていこうとするキリスト者を殺すことは現人神天皇の名によって正当化されました。それはこの国家の中で合法的なことでした。そういう国家に再びなる可能性はいつだってあるし、今の政権が続けば、その速度は速まるでしょう。しかし、いわゆるキリスト教国が、神の名を語りながら不当な戦争を引き起こし、殺人を犯していることも事実なのです。それはいずれにしろ、父なる神を知らず、父と一体となって生きている子なる神を知らないからです。その愛を知らないからです。
私たちは、そういう世を裁くのではなく、愛し、救うために、最も大切なものを与えた父なる神、ご自身の命を与えた独り子なる神を聖霊の導きの中で信じる信仰を与えられたキリスト者です。このキリスト者としての命は、血筋によるのでも、肉の欲によるのでもなく、ただ神の恵みによって与えられたのです。だから私たちは、いつでもどこでも、「神の言であるキリストは、真に人であり、真の神です。私たちのために死んで下さり、甦り、今共に生きてくださる救い主です。私たちはこの方を信じ、この方によって生きています。この方を通して、私たちは父を知り、その愛を知りました。私の命を造り、生かしてくださっている方が誰であるかを知ったのです。この方を信じて生きるところに、人間の本当の命があり、喜びがあり、希望があります。この方は愛そのものだからです。あなたもこの方を信じて共に愛し合って生きようではありませんか」と、告白し、伝道する者でありたいのです。私たちもかつては世の者、世の闇の中に生きており、愛されていることも知らず、言を理解せず、拒絶していたのに、今はその愛を知り、信じる者に造り替えられました。その私たちは信仰の故に世から憎まれ、迫害されても、世を憎む理由はどこにもありません。御子がそうであるように、私たちも愛して生きる以外にしようがないのです。私たちの戦いは信仰と希望と愛による以外にないのです。
 まことの神の言である主イエスはこう仰いました。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

 アーメン、その通りです。主イエスは既に世に勝っているお方です。初めにいまし、今いまし、永久にいますお方です。時代が変り、ものの考え方が変わり、国の体制が変わり、その都度、それがまるで永遠不変で唯一の絶対の思想や体制であるかのように喧伝されたとしても、所詮は「世」の「中」のことです。永遠のものなどありません。しかし、私たちの主イエス・キリストは、世の初めに既にいます方であり、世が造られる土台になった方であり、世の終わりに再び来られて神の国を完成される方です。私たちは、恵みによってこの方と出会うことが許され、信仰を与えられているのです。感謝し、賛美し、その信仰を告白しつつ、世の歩みをしっかりとなして参りたいと思います。
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