「愛と死」

及川 信

ヨハネによる福音書 11章 1節〜16節

 

ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。 それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」 弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」
イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」
すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。


 二〇〇九年の歩みが始まりました。昨年の夏から創世記の御言を読み続けて来ましたが、今日から再びヨハネ福音書十一章の御言を読み始めます。
 一一章は五七節まである長い単元です。そして、四四節までがラザロの復活という出来事に関して書かれています。一気に語るべきだとも思いますが、今の私にはまだそんなことは出来ませんから、少しずつ少しずつ御言の語りかけに耳を澄ませていきたいと思います。

  「ある病人」ラザロ

「ある病人がいた。」

 十一章は、そういう書き出しです。
「ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。」
 出身地と名前が記されて、その「ある病人」が誰であるかが特定されていきます。しかし、ラザロという名前、それは「神が助けをもたらした」を意味する「エルアザル」のギリシア語読みです。ユダヤ人には多い名前のようです。神の助けによって生きる。それが神の民の現実だからでしょう。そして、「ある病人」という無名性から始まって名前の提示があるのだけれど、その直後に、このラザロはその姉妹たちによって「あなたの愛しておられる者」という形で呼ばれることにもなっています。この言葉は、これ以後、主イエスの弟子たちに対してしばしば使われる言葉なのです。主イエスの弟子とは、主イエスに愛されている者なのです。
 私が言いたいことは、このラザロという人は、固有名詞を持った一人の人物でありつつ神の助けによって生かされているすべての人の代表、あるいは象徴的存在であり、主イエスに愛されているすべての弟子、つまりキリスト者の代表、あるいは象徴的存在として登場しているのではないか、ということです。キリスト者とは、皆、主イエスの愛によって病気を癒された者であり、またそれは同時に、主イエスによって死から命へと移された者であり、そしてそれは同時に、主イエスによって体の復活が与えられることを保証された者たちである。そういうことを、この書き出しの言葉は言おうとしているのではないか。私は、そう思うのです。
実際、一二章の書き出しをみると、ラザロは「イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた」と書かれています。ラザロは、復活のイエス様の食卓に招かれているキリスト者たちの一人であるということが暗示されているのだと思います。つまり、今風に言えば、洗礼を受けて教会に加えられた現住陪餐会員のことです。ラザロはあくまでも二千年前に生きて、死んで、甦らされた一人の人でありつつ、私たちのことでもある。そういうことを、この部分は語っていると思います。
 一一章では、ラザロの病気が何であるかが書かれていません。それもまた意味あることだと思います。病気という限り、身体的なものに関り、それが肉体的な死に関ることは前提でしょうけれど、その病気と死も肉体だけの問題ではなく、霊的な問題でもあります。そういう肉体性と霊性の絡み合い、そこにある二重性もまた、ヨハネ福音書に一貫したものですが、この一一章においても重要な事柄だと思います。
今日は、一六節までに出てくる「愛」と「死」そして「病気」という言葉を巡ってメッセージを聴き取っていきたいと願っています。

信仰者は恋する者

 私がこの一一章に出てくる「病気」という言葉を聞いて思い出すのは、十九世紀の半ばに活躍したデンマークの実存的哲学者キルケゴールが書いた書物の名前です。『死にいたる病』が、それです。学生時代に手にとって読み始めたのですが、当時の私にはあまりに難解で、途中で放り投げてしまいました。この本の序文はラザロの復活に関する深い考察なのです。
 この本の後半部分に、こういう言葉があります。私にとっては、実に爽快にして、耳の痛い言葉です。少し抜粋しながら読みます。

「牧師はいうまでもなく信仰者であるべきである。信仰者。信仰者とは思うに恋する者である。しかし、世の如何なる恋にもまして激しく恋する者も、信仰者に比べれば、その感激の点では、まだ青二才に過ぎない。ここに一人の恋する男を思い浮かべてみよう。彼は来る日も来る日も夜となく昼となく、わが恋を語ることが出来るであろう。だがこの男が、恋することは大いに意味のあることであり無上の幸福であるということを、三つの理由を挙げて証明しようと思い立つなどということが、いったいあり得ると君は思うか。そんなことは、彼にとって口にすることさえいまいましいことではないだろうか。それはたとえば、牧師が、祈りは有益なことでありいっさいの知性を超越する幸福であるということを、三つの理由をあげて証明しようとするようなものである。・・・・・分かりきったことだが、ほんとうに恋する者にとっては、それを三つの理由によって是認したり、弁護したりしようなどとは思いもよらない。・・・彼は恋をしているのである。弁護したり何かをする者は、恋をしていない。ただみずから恋をしているようなふりをしているにすぎない。しかも、幸か不幸か、彼はたちまち馬脚をあらわすほどに馬鹿なのである。
ところが、「信仰あつき」牧師たちも、キリスト教会について、同じようなことを口にしている。彼らはキリスト教を「弁護し」たり、あるいはそれを「基礎付け」たり、あるいはさらにもったいらしくそれを思弁的に「把握し」ようとしている。そして、それが説教だと言われている。そういうような説教をしたり、またそれを聴いたりすることが、今日のキリスト教(世)界では、大したことだとされているのだ・・。」


 信仰者とはキリストにおいてご自身を現し、キリストにおいて私たちを愛してくださっている神を、キリストご自身を、愛して止まない人間であるはずです。つまり、キリストのために生き、キリストのために死ぬことを無上の喜びとしている者なのです。牧師も、もちろん、その一人であるはずです。しかし、牧師は職業柄、往々にして、神について論じ、愛について論じます。説明しようとするのです。そして、神に関して弁護したり、キリスト教の優位性を基礎付けたり、論理として把握し、論理的にも説明しようとするのです。納得してもらいたいからです。そして、その論理の把握や説明の仕方が上手いと人から評価されたりする。そして、いつしか人の評価を求め始めるものです。そういうことが実際起こるし、起こっています。私もまた、その例外ではないのだろうと思うのです。しかし、私は今日もこうして説教をしている、しなければならない。お聴きになっている方に神の愛を知ってもらいたいと願って語るのですが、それが単なる証明、説明になってしまう危険性はいつでもあり、そういう説教を「大したことだ」と思って聞いてしまう危険性もあるのです。説教は、神の愛の説明や弁護ではなく、私を愛してくださる神を愛する者として、夜も昼も、愛する神のことを語り続け、キリストのために生き、死ぬ者としての言葉でなければならないはずです。

死にいたる病

 『死にいたる病』の第一章の表題は「死にいたる病とは絶望である」というものです。「絶望」という言葉を聞いて何を思うかは、人それぞれだと思います。現代の日本社会を覆っている不況の中で、職を奪われ、住む所を奪われ、将来の夢の一切も奪われている方々がいます。そういう状況に置かれた人間こそ「絶望」という言葉を使える、使う資格があるのだという意見もあるでしょう。でも、外的状況は同じでも、すべての人が絶望しているのかどうかは別です。逆に、富も地位もある、生きていく上で不足なものはない。でも、その心において深い絶望を感じている人もいるでしょう。「人間は精神を持っている存在である」と規定するキルケゴールは、絶望は人間だけが感じることが出来る、動物は感じないと言っています。精神を持つ人間だけが絶望をするのです。確かにそうでしょう。
 しかし、精神を持っている人は、どういう時に絶望するのか?そして、死に至る病に罹るのか?それは端的に言って、愛を信じることが出来ない時ではないかと、私は思います。誰からも愛されていない、誰のことも愛していない。そういう現実に気付く時、人は絶望すると思います。しかしまた、病は自分で気付いていなくても、既に罹っていることもしばしばです。気付いたときは、致命的な状態になっていて、自分でもどうすることも出来ない。ただ、病の進行に身を任せるしかない。そういうこともあります。自覚症状はなくても、実は病そのものに侵されている。そういう人は多いと思います。誰からも愛されておらず、誰のことも愛してはいない。あるいは、愛されていることを気付いておらず、愛していることに気付いていない。その状態の中で、私たちは兎にも角にも生きることに必死になって、地位や名誉や富を求めて生きている。自分の価値を社会で認められるために、自分自身で認めるために、自分の力をなんとかして誇示し、確認しようと必死になっている。そして、ある人々は社会的に評価されることを通して自分の存在価値を自分でも認めることが出来るでしょうし、そこには絶望などないとも言えるのでしょう。しかし、実はその最も深い所で、そういうものに自分の存在価値を求めること自体が、絶望していることの裏返しでもあるのだと思います。それは、自分の存在そのものが愛されるとは思っていないことの証拠であるからです。何かをしなければ、何かを持っていなければ、自分は評価されず、価値あるものとは他人からも認められず、自分自身も認めることが出来ないと思っているからです。

『罪と罰』

 ラザロの復活の記事に関して色々なものを読んでいる時に、これもまた私の学生時代に読了せぬまま放っておいたドストエフスキーの『罪と罰』という小説が、ラザロの復活を背景に持っていることを知り、読んでみました。さすがに、今の年齢ですから、それなりに分かったような気になって最後まで読むことが出来ました。
でも、一読しただけですから、よく分かったとは到底言えませんが、あの小説は、主人公のラスコーリニコフという大学生が、自分の存在証明のために高利貸しの老婆を殺してしまうという出来事を巡る小説です。ラスコーリニコフという青年は、退廃が満ちたロシアの首都ペテルスブルグで金がなくて学費も払えず、食費も賄えないような生活の中で、社会に対する強烈な恨みを持っており、さらに引き篭もりの生活の中で精神を痛めてもいる。そういう青年です。そして、自分がしらみ以上の存在であることを証明するために老婆を殺すのです。ある意味では誰でもよかったのです。たまたま金を借りるために老婆の所に行き、こういう人間は社会にいなくてもよい、むしろ殺した方がよい、自分はそういうことをしてもよい人間なのだと勝手に理屈付けをして、数日後に殺すのです。金も奪うのですが、その金で楽な生活をしようとしたわけでもない。殺すことが目的です。
 その小説を読みながら、私は昨年六月に起きた秋葉原の無差別殺人事件を思い起こしていました。私たちが礼拝を捧げている時刻に、犯人はすぐ近くの道路を通って秋葉原まで行ったこともあって、私には非常に衝撃的な事件でした。あの事件の犯人は、小学生の頃はいわゆる頭がよく、成績もトップクラスであったのだけれど、それはすべて親の助けと強制の結果であり、高校に入った時には、ただの生徒からさらに劣等生にまで落ちて行ってしまい、その後は、派遣社員として職を転々とし、自分が虫けらのような存在であると思わざるを得なかった、と言われています。実社会でも軽く扱われ、無視され、ネットの世界でも次第に無視されていく。自分は誰にも愛されないどころか、相手にもされない。そういう絶望の中に落ちていったのだと思います。生きているのに、まるで死んだ人間かのように扱われている。そういう外的内的な状況の中で、自分はここでこういう思いを抱えて生きているんだという事実を知らせるために、ネット好きな人がたくさん集まる秋葉原の歩行者天国にトラックで突入し、ナイフを振りかざして無差別に人を刺し殺したのでしょう。そこにあるのは、誰からも愛されず、誰をも愛することが出来ない人間の絶望だと思います。
 ラスコーリニコフは、母親や妹から絶大な愛を注がれているのに、その愛を拒絶して自分の殻の中に閉篭もっている男です。そういう人間、つまり、愛を信じることが出来ない人間にとっては、愛されているという事実があっても、愛はないのと同じことです。そして、自己の殻の中で自己の存在価値を自分と社会に対して証明しようとする時、また自分の存在を認めない社会の存在価値を否定しようとする時、人は殺人に走るのかもしれません。しかし、彼は老婆を殺した後、気付くのです。「俺が殺したのは俺自身であって、あの老婆ではなかった。一撃のもと、俺は自分で自分自身を一挙に永遠に葬り去ったのだ」と。
 彼は、そこで死に至ります。自分が死に至った人間であることを自覚するのです。老婆を殺したことは、その病の結果であって、その結果が出ていなくても、病は彼を蝕み、死に至らせていたのです。
 しかし、その彼が、極貧の生活の故に、実の父親と継母、そして幼い姉妹を養うために娼婦に身を落としているソーニャという女性と知り合うことになります。飲んだくれの父親が酒場で彼女の哀れな人生と、その自己犠牲の愛を彼に語り聞かせたことがきっかけです。そして、彼は老婆殺害後に、ソーニャの部屋で聖書を見つけ、彼女に、ラザロ復活の記事を読んでくれるように頼みます。しかし、ソーニャは彼に向かって、こう言うのです。

「どうしてあなたに読んであげるんですの?だって、あなたは、信じていらっしゃらないじゃありませんか・・」

 病の中で死んでいるラスコーリニコフが、ラザロの復活の記事を読んでくれとソーニャに頼む。彼は、キリストを信じて生きるなんてことは、気が狂ったこととしか思っていません。キリストを信じたところで、ソーニャの家族の全く目を覆いたくなるような悲惨な現実は変わるわけもなく、男に体を売って得た金をアル中の父親が飲み代に奪い取っていくというソーニャの絶望的な現実も変わるわけでもない。キリストは何をもしてくれないのです。それなのに、キリストの愛を信じているこの女、家族の愛を信じ、家族を愛しているこの女は、ラスコーリニコフには狂った女、狂信者にしか見えません。それは、私も同感します。その狂っている彼女が、ラスコーリニコフに「どうして、あなたに読んであげるんですの?あなたは、信じていらっしゃらないではありませんか」と叫ぶのです。
 私は、ここを読みつつ、やはり一種の衝撃を受けました。信じていなければ、聖書を読むことに意味はない。彼女は、そう言っているのです。信じている。それはイエス・キリストを信じている。イエス・キリストにおいて現れた神の愛を信じている。そして、神を愛しているということです。その信仰と愛において、聖書の言葉は聖書の言葉となる。神の愛と力の言葉、人を生かす命の言葉となるということだと思いました。ソーニャは、親の暴虐、男たちの性欲に身も心も踏みにじられ、まさに絶望的状況の中に生きていながら、それでも神を愛している。そして、聖書の言葉から慰めを受け、「希望」を与えられている。そして、親を愛し、病の中で死んでいるラスコーリニコフを愛していくのです。聖書の言葉は、信じる者に、そういう力を与える。
 その彼女の愛を、彼は拒絶しながらも求めていきます。彼は絶えず矛盾し、分裂しています。そして、彼女に十字架のネックレスを首にかけてもらい、警察に行って自分が殺人者であることを自白します。そして、流刑地に送られるのです。しかし、そこでも彼が心の底から自分のやったことの深層を知り、悔い改めているわけではありません。ソーニャは、流刑地についていきます。でも時折、面会をするだけです。ラスコーリニコフは、そういう彼女に苛ついた態度で接し続けます。愛されていることも愛することも、尚も拒絶し続ける。ソーニャも、別に愛を語るわけでも、愛が拒絶されることで悲しむわけでも怒るわけでもない。信仰に生きることを勧めるわけでもない。でも、監獄の周囲に住み、時折、面会し、他の囚人たちのためにもなにくれとなく優しく接し続けるだけです。
 そういう日々の中で、彼が病気になり、程なくソーニャも病気になります。大した病気ではありません。でも、彼はその時、面会に来ないソーニャの容態を心配し、使いを遣わして彼女の容態を知ろうとします。ただ、それだけです。そして、彼の枕の下には、あのラザロの復活が記されていたソーニャの聖書が置かれていました。彼が病気になる寸前に、彼女に持ってきてくれと頼んだものです。でも、彼女も読むように勧めもしなければ、彼も持ってくるように頼んだくせに読みもしない。でも、彼はその聖書を見た時、ふっと「今は、彼女の信仰が俺の信仰でなくて、何であろうか」と心に思う。
その時、彼は彼女の愛を受け入れ、自分が彼女を愛していることを知ったのだと思います。その愛を信じて生きることが、そこに始まるのです。そして、ソーニャの愛はキリストの愛の暗示ですから、ラスコーリニコフが、キリストの愛を信じる人生を生き始めるという暗示がそこにはあります。それは無論、形としてはこれまで同様の流刑地における償いの生活です。毛布一枚で地べたに寝て、油虫が浮いているようなスープを飲み、毎日、希望のない作業が続く生活です。その状況は変わりません。
 でも、ドストエフスキーは、最後に、こう書くのです。
「しかしそこにはもう新しい物語が始まっている。一人の人間が次第に更正していく物語、その人間が次第に生まれ変わり、一つの世界から他の世界へ次第に移って行き、これまで全く知らなかった新しい現実を知る物語である。これは新しい作品のテーマになり得るであろうが、――この物語はこれで終わった。」

当たり前のこと 狂ったこと


 私たちキリスト者は、それぞれにキリストとの出会いを通して、「次第に生まれ変わり、一つの世界から他の世界へ次第に移って行き、これまで全く知らなかった新しい現実を知るという」現実を生きているのだと思います。この小説が、私にとって非常にリアルだったのは、ラスコーリニコフの回心が劇的に起こり、それ以後、彼が別人のようになったわけではないということです。彼は何年も何年もかかって、自分のしたことを知るようになり、そして何年も何年もかかって愛を信じるようになるのです。小説では、そのことは最後の一ページにほんのちょっと書いてあるだけです。信じた彼がどうなったかは、この小説では語られません。
 私は大学一年生の時に、自分のことも他人のことも全く信じることができず、愛など存在しないと思い込み、人との関係を断って下宿の一室に引き篭もってしまったことがありました。その時に、こういう文章を書きました。

「生きている、なんてことはあたりまえ。
死ぬ、なんてことはもっとあたりまえ。
いつ死ぬか分からない、なんてことはさらにあたりまえ。
自分は自分であることは、あたりまえ。
自分を造ったのが自分でないことは、もっとあたりまえ。
あたりまえのことをあたりまえのこととして、
みんな認めると、何にもなくなる。
あたりまえでないことをしたくなる。
自分で自分を殺すこと。
神に頼んで生かしてもらうこと。
それしかなくなる。
もう、あたりまえに疲れた。
疲れたと言いつつ生きることを長く続けすぎた。
何も変わっちゃいない。
忘却の繰り返し。
それに気づいたとき、過去がなくなり、未来がなくなる。
あたりまえでないことは、二つだけ。」

 つまり、自殺するか、信仰を告白して洗礼を受けるか。それしかないということです。
 その時、下宿に引き篭もりながら読んだ本が聖書です。その中で、心に突き刺さってきた言葉は、ヨハネ福音書一〇章のイエス様の言葉です。
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは、羊のために命を捨てる。」
 「愛は、愛する者のために死ぬことだ」と、イエス様は言っているのです。そして、「私はあなたを愛している」と言っているのです。「あなたを愛し、その愛の故に、あなたのために死んだのだ」と言っている。その愛を信じる。それは、私にとって当たり前ではあり得ません。狂ったことです。でも、狂っていない自分で生き続けることは、最早、私には出来ませんでした。
 その時の私は、まさに「ある病人がいた」と言われるラザロそのものです。死に至る病の中にいた病人です。でも、その病人は、主が愛している病人だったのです。だから、主は、「さあ、彼のところへ行こう」と言って出かけて行き、「ラザロ、出て来なさい」と大声で呼びかけてくださったのです。墓の中にいるラザロに向かって「わたしはあなたのために死ぬ。そのようにあなたを愛している」と語りかけてくださったのです。

愛と死

 この愛によってイエス様がラザロを復活させた直後、多くのユダヤ人がイエス様を信じました。でも同時に、ユダヤ人の最高法院が、正式にイエス様を処刑することを決めたと記されています。イエス様はラザロを愛し、そのために死ぬのです。
 皆さんも、そのイエス・キリストの愛と死を信じて洗礼を受け、新しい人間、キリスト者になったのです。恵みによってキリスト者にしていただいたのです。でも、ラスコーリニコフではありませんが、私たちの多くは、劇的に回心し、それ以後、信仰と希望と愛の道をまっしぐらに歩んでいるわけではないでしょう。なおも迷い、逆らい、裏切り、背き、甘えつつ生きている。でも、既に新しい物語は始まっているのです。鈍く頑なな私たちは、長い時間の中で、次第に生まれ変わらせて頂き、次第に新しい世界を知らせて頂きつつ、生かされているのだと思います。主の愛によって。だから、私たちにとっての希望は、ただ主にのみあるのです。
 元旦に休暇から家に帰ると、教会のある方からメールが入っていて、会員のNさんが召されたようだとありました。その方が、若き日に精神を病み、ここ数年は肉体も病みつつ、独り暮らしをしているNさんに贈り物を送って下さったのです。しかし、「既に亡くなっている」と言われて返送されてきた。そのことを知らせてくださいました。昨年の十一月三十日に、新聞がたまっているのを不審に思った配達員がアパートの部屋を覗くと、そこで倒れていたとのことです。恐らく十一月二五日の夜に持病である心臓の麻痺によって亡くなったと思われています。
Nさんの葬儀を教会では出来なかったので、一言だけ、思い出を語ることを許していただきたいと思います。私が中渋谷教会に赴任をした二〇〇一年のたしか冬に、Nさんは心臓を患って入院をされることになりました。その時、入退院の送り迎えや、退院後の通院に何度かお付き合いしたことがあります。そして、二〇〇二年の特別伝道礼拝が近いある日、保証人も一緒に来て医者の話を聞くようにということで、病院にご一緒しました。心臓の状態の説明をお医者さんから受けた後、Nさんが、鞄から特別伝道礼拝のチラシを出して、医者に突き出すようにして渡されたのです。そして、私のほうを指さして、その後、チラシに書いてあるわたしの名前の部分を指差して、「この人が牧師だ」と示したのです。Nさんは、言葉では何を言っているかよく分からないことが多かったのですが、その動作でお医者さんも何を言いたいかが分かって、キョトンとして私の顔を見ました。特別伝道礼拝に来い、と言っているのです。私にとっても、その時のNさんの行為は全く意外なもので、茫然としてしまいました。その日のことを、今、強く思い起こします。Nさんもまた、主を愛し、主の愛を伝えるために生きているキリスト者だったことを。
 Nさんは誰が見ても「病人」でした。でも、そのNさんを案ずる姉妹がいてくださり、そしてNさんを愛するイエス様がいます。誰も知らぬままNさんが死の眠りについているアパートの一室に「さあ、行こう」と行って出かけて行き、涙を流し、そして死の闇から命の光に向かって「出て来なさい」と語りかけて下さるイエス様がいるのです。私たちは、このイエス様に愛されている者であり、イエス様を愛している者たちなのです。
パウロはこう言っています。

わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。

   Nさんも、そして私たちも、誰一人、自分のために生きるのでも死ぬのでもありません。私たち一人一人のために死んで生きて下さっている主イエス・キリストのために生き、死ぬのです。そして、死んだ後も、私たちを愛してくださる主を愛して生きることが出来るのです。私たちは、この一年も手を携えて、ただこの主の愛と、主への愛を語り続ける歩みをしていきたいと思います。
 
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