「ユダヤ人による埋葬」

及川 信

       ヨハネによる福音書 19章38節〜42節
 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

 過越し祭 安息日


 先週、一九章の三一節の「その日は準備の日で」と四二節の「その日はユダヤ人の準備の日で」という言葉が、イエス様の死と埋葬の場面を囲っている枠であることを言いました。そして、その日は準備の日であった。つまり、年に一回の過越しの祭りの前日であり、たまたま祭りの初日が安息日とも重なる特別の日に備える日であったことが、強調されているのです。
 何度も言うように、過越し祭とは、ユダヤ人にとっては決して忘れ得ぬ出エジプトという決定的な救済の御業を記念し、神を讃美する祭りです。エジプトの奴隷であり、そのままでは民族絶滅の危機にさらされていた自分たちを、神様がモーセを立てて救い出してくださった。そして、シナイ山で十戒を内容とする契約を結んでくださった。そのことによって、イスラエルは神の民として誕生した。その事実を忘れない。それが、ユダヤ人が過越しの祭りを守る意味です。
 そして、七日ごとに安息日を守ることも、十戒の中で神様に命じられていることです。その一つの理由は、神様が六日で世界を造り七日目を聖なる日として休まれたことを覚えるということです。その日に、神の被造物である自分を覚え、神様を讃え、その安息に与るのです。もう一つの理由は、神様が出エジプトをさせてくださったこと、奴隷の身分から解放してくださったことを覚え、神様を讃えるために安息日を守るのです。創造の御業と救済の御業、それは切っても切れない関係にあり、その神様の御業の中に生かされていることを感謝し、讃美する。そこに神の民の生きる姿があります。
 その過越しの祭り、特別な安息日を翌日に控えたユダヤ人たちは、処刑された者の遺体を残しておくことは出来ません。それは汚れを身に帯びることだからです。彼らは、処刑者を早く十字架から下ろして処刑者用の墓地に遺体を埋葬したいのです。その場合の埋葬とは、ただ遺体を布でくるんで穴に放り投げるか、ひどい場合は人里離れた所で禿鷹や獣に食べさせるかというものだったようです。もちろん、葬式などするわけではありません。十字架刑はローマの刑罰ですから、その辺りの処置はローマの総督ピラトの管轄になります。そこでユダヤ人たちは早く殺して、さっさと始末するようにピラトに願ったのです。

 死刑囚の遺体を引き取るとは

 しかし、兵士たちが二人の足の骨を砕いて殺した後、イエス様が既に死んでいることが分かった後に、驚くべきことが起こりました。アリマタヤ出身のヨセフという人が、ピラトにイエス様の遺体を取り下ろしたいと願い出たのです。
 死刑囚の遺体を引き取るというのは、大変なことです。それは死刑囚の身内でなければあり得ないことです。そして、身内であっても、滅多にそんなことはしなかったはずです。そんなことをすれば、自分たちがそれまで住んでいた場所でそれまでと変わらずに住み続けることなど出来なくなるからです。今の世の中でも、家族の誰かが刑務所に入っていると周囲の人に知られれば、その家族は肩身が狭い思いをしますし、様々な不利益を被るでしょう。まして、死刑になるような犯罪者の家族は、その死刑囚との縁を切っていなければ、通常の生活など出来ません。現代の都会であれば、人目につかぬ生活は可能ですけれど、今だって田舎に行けばそれは無理な話です。
 当時のユダヤ人社会は、それぞれの地域に建つ会堂(シナゴーグ)を中心とした共同体であり、そこであらゆる情報が行き交い、律法の規定に従った相互扶助の中で生活しています。その共同体の中で生きることが出来ないということは、ユダヤ人として生きることが出来ないことを意味します。
 ヨセフ、彼はピラトに直接願い出ることが出来た地位や身分をもった人物です。他の福音書によれば、彼はユダヤ人の最高会議の「議員」でしたし、「金持ち」でした。現代で言えば、国会議員の上に金持ちだということです。
 ヨハネ福音書で「ユダヤ人たち」と出てくる場合、それは民族としてのユダヤ人とか、律法を守って生きているユダヤ人という意味があると同時に、ユダヤ教の当局者、支配者層という意味をもっている場合が多いのです。そして、それは即、イエス様の敵対者を意味し、イエス様を十字架につけた当事者たちのことでもあります。三一節の「ユダヤ人たち」は、その意味だし、三八節の「ユダヤ人たち」も同じです。そこには、「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた」とあります。ヨセフは、そういう意味での「ユダヤ人」の中のユダヤ人です。でも、だからこそ、自分の仲間であるユダヤ人が最高会議で死刑に値すると決定したイエス様を、自分が信じていることを怖くて言えなかったのです。当然でしょう。
 しかし、その彼が、イエス様が死んだ後に、その遺体の引き取りをピラトに願い出たのです。それは、最近の言葉で言えば、自分がイエス様の弟子、身内であることをカミングアウトしたということであり、それは最早「ユダヤ人」として、最高会議の「議員」として生きていくことは出来ないと覚悟したということです。彼は、この時、「ユダヤ人」としての自分の息の根を止めたのです。今日は、そのことがどういうことであるかを考えていきます。しかし、そのためにも、もう少し先まで読んでいきたいと思います。
 ヨセフがピラトにそのような願いを出し、ピラトから許可が出ると、「かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た」というのです。

 ヨハネ福音書の構造

 このニコデモについて触れる前に、少しだけ、ヨハネ福音書の構造について触れておきたいと思います。先週も、そのことを少し語りましたが、この福音書の最初と最後は、全く見事という他ない形で枠づけられているのです。
 一章に記されていることですが、イエス様が誰であるかを最初に見抜いて告白したのは洗礼者ヨハネです。彼は、イエス様のことを「世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。そして、今、過越しの小羊が屠られる時刻に、イエス様がエルサレムで十字架に架かっている。そして、イエス様から「まことのイスラエル人だ」と言われたナタナエルが、イエス様のことを「イスラエルの王」と告白したように、イエス様は「ユダヤ人の王」として十字架に磔にされている。二章において、イエス様が最初のしるしを行われた時に登場したイエスの母が、十字架の下にいてイエス様の愛弟子の身内となる。そして三章で、ユダヤ人として最初に登場した議員でありファリサイ派に属するニコデモが、埋葬の場面に登場する。そして、後で触れることですが、二章のエルサレムにおける最初の業である神殿浄化の際に出てくる「イエスの体」という言葉が、今日の個所の一つのキーワードとして出てくるのです。
 つまり、福音書の最初の方に記される事柄がすべて最後の十字架と復活の場面に出てくるのです。そういう意味で、この福音書は、最後までよくよく熟読した上で、最初から読み直すことによって、初めて一つ一つの出来事やその言葉の意味が分かるようになっているのです。それは、今言ったこと以外でもいくつもあります。

 ニコデモ

 そのことを踏まえた上でニコデモですが、彼はエルサレムにおけるイエス様の言葉や業に触れて、圧倒されたのでしょう。でも、そのことを周囲のユダヤ人に知られてはまずい。そこで彼は夜の闇にまぎれて密かにイエス様に会いにきたのです。その時の不思議な会話を細かく再現することは出来ませんが、イエス様は彼に、唐突に、こう言われました。
 「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
 ニコデモは老人だったのでしょう。こう言いました。
 「年をとった者が、どうして生まれることができましょうか。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
 イエス様は答えられました。
 「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」
 その後も会話は続きます。でも、いつしかニコデモの姿が消えてなくなり、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という、イエス様の言葉なんだか、ヨハネの教会の信仰告白なんだか判然としない、しかし、この福音書における決定的な言葉が記されるのです。
 「新たに生まれる」「水と霊とによって生まれる」「霊から生まれる」と、三度もイエス様は繰り返し、結局それは信仰によって新たに生まれた者が永遠の命を生きることに繋がっていくのです。
 この時、ニコデモはそのことが何のことか分かりませんでした。聖霊の働きを知らず、肉体の命しか知らなかったからです。しかし、その後、もう一度彼は登場します。七章です。
 そこでは、ファリサイ派の人々や祭司長たちが、イエス様を逮捕しようと下役たちを遣わします。次第に、イエス様を信奉する人々が出て来たことに危機感を抱いたからです。しかし、その下役たちも、イエス様の言葉に圧倒されて逮捕して来なかった。そこでファリサイ派の人々や祭司長らは怒ったのですけれど、ニコデモだけがこう言って、逮捕の不当性を訴えました。
 「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたか確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」
 しかし、その時、彼は仲間たちにこう言われて、黙ってしまいました。
 「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者は出ないことが分かる。」

 さらに、ニコデモやヨセフを暗示する言葉が、十二章四二節以下に出てきます。

 「とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。」

 ニコデモは、ユダヤ教の主流となっていくファリサイ派に属していましたし、ヨセフと同様、議員なのです。その中に、イエス様を信じる者もいた。でも、この世の名誉、地位、生活の安定、さらには命を失うことになるかもしれない恐れに捕らわれて、その信仰を「公に言い表さなかった」のです。つまり、信仰を告白しなかった。

 公に言い表す

 こういう記事は、イエス様が肉体をもって生きておられた時の状況に重ねて、ヨハネが福音書を書いている時代の状況が描かれているのです。そして、「公に言い表す」とは、教会の礼拝において信仰を告白することであり、その告白がなされた時には水と霊による洗礼が授けられます。そして、それはこの世からの誉れではなく、神からの誉れを求めて生きる人間の誕生を意味します。しかし、それはユダヤ人社会から追放されることを意味し、神の名によって迫害されることをも意味するのです。
 今年の四月は四週続けて、公の礼拝の中で式をしました。洗礼式、長老按手礼式、CS教師任職式、入会式です。すべて、神と会衆の前で信仰を告白し、誓約をして頂く式でした。中でも、水と霊とによる洗礼式は、生涯を貫く式ですから、最も重たいものであることは言うまでもありません。洗礼を受けるとは、この世の誉れを失うかもしれないという恐れを越えて、公に信仰を言い表すことです。それは、聖霊の導きによって初めてなし得る業です。
 ヨセフもニコデモも、この段階では、その告白が出来なかった人物です。心で思っていても、口で告白出来なかった人々なのです。しかし、その彼らが、今、主イエスが十字架で息を引き取った時、自ら神様に息を引き渡された時、決然として行動を開始したのです。誰に強制されるでもなく、自ら、自分たちユダヤ人が死刑にすることを決定した死刑囚の遺体を引き取り、手厚く葬ることを決断したのです。
 それは、ユダヤ人への恐れから解放されたということでしょう。そこには、十字架上に磔にされているイエス様の体からほとばしり出た血と水を、彼らが浴びたということが暗示されているのではないか、と私は思います。

 ユダヤ人を恐れて

 とても興味深いことなのですけれど、先ほど一二章四二節以下を読みました。その続きは一三章です。そこには、何が書いてあるかと言うと、主イエスと弟子たちとの最後の晩餐です。その時、イエス様は、「世にいる弟子たち(御自分の者たち、身内)を愛し、この上なく愛し抜かれた」のです。つまり、弟子たちの足を洗われた。罪の汚れを洗い清めて下さったのです。しかし、その弟子の中の一人であるイスカリオテのユダは、イエス様を裏切るためにその部屋から出ていきます。それとは反対に、ペトロは「主よ、なぜ今ついていけないのですか。あなたのためなら命を捨てます」と信仰を告白するのです。
 直前には、主イエスを信じていても告白できない人々の姿が描かれ、その直後に、ひと部屋に集まって主イエスとの濃密な時を過ごしている弟子たちの姿が描かれます。そのうちの一人は裏切り、一人は熱烈な愛と信仰を告白する。しかし、そのペトロを初めとする弟子たちは、主イエスの十字架の場面には、愛弟子という匿名でしか登場しない弟子以外はいないのです。彼らは今、どこにいるのか?主イエスの遺体を引き取って、埋葬すべき彼らは、今、どこにいるのか。エルサレムの隠れ家にいるのです。
 二〇章一九節を読みます。そこにはこうあります。

 「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」

 この「弟子たちはユダヤ人を恐れて」という言葉は、原語でもヨセフが「弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れていた」と、全く同じ言葉が使われています。これまでずっと、ユダヤ人を恐れて弟子であることを隠していた人々と、これまでずっと弟子であった人々が、今、逆転しているのです。ヨセフは公然とピラトに願い出て、ニコデモと共にイエス様の血まみれの遺体を十字架から引き下ろし、丁重に墓に埋葬するのです。それは、自分たちは死刑囚イエスの身内である、弟子であると表明することと同じです。しかし、「あなたのためなら死にます」と告白したペトロを初めとする弟子たちは、「あの人のことは知らない」と言って逃げ去り、隠れているのです。恐らく、最後の晩餐をとり、イエス様にこの上なく愛されたあの家の中にです。ヨハネは、その恐ろしいまでの対照を際立たせているのです。

 イエスの葬り 自分の葬り

 そして、ニコデモが持って来た没薬と沈香を混ぜた物とは、具体的にはどういうものなのかよく分かりませんが、沈香はアロエのようです。いずれにしろ、香料や亜麻布と共に、人が死ねばただちに発し始める死臭防止のために使われるものです。しかし、没薬や沈香は王侯貴族の葬りの際に用いられるもので、庶民には縁遠いものですし、まして死刑囚とは無縁のものです。また、墓の場所は「園」であったと記されていますけれど、これも王を初めとする特権階級だけのものです。「だれも葬られたことのない新しい墓」もまた、元来は王に与えられるものです。主イエスの時代は、議員や貴族階級の中に、まれにこういう扱いを受けて葬られる人々がいたということだと思います。死刑囚として、人々から唾棄されるべきイエス様が、ピラトによって「ユダヤ人の王」という肩書を受けつつ死なれたように、今、ピラトの許可のもと、突然弟子であることを表明した二人によって営まれているイエス様の葬りもまた、王としての葬りなのです。
 あれよあれよと言う間に逮捕、裁判、処刑となってしまったイエス様のために、ニコデモが百リトラ、およそ三十キロもの没薬と沈香を予め用意していたはずもありません。彼は、この百リトラもの没薬や沈香を、自分の葬りのために用意していたのだと思います。また、園にある「新しい墓」とは、マタイ福音書によれば、ヨセフが自分のために作っておいたものなのです。
 私たちもある程度の年齢になり、それなりの富を蓄えることが出来た場合、終の棲家として墓を用意したり、葬式代を用意したりして、「これで安心して死ねる」と言うことがあります。ニコデモやヨセフも、そういう用意をしていた人たちだろうと思う。自分の葬りと終の棲家のために用意していた物を、彼らはすべてイエス様の遺体に塗ったり、納めたりするために差し出したのです。そこにはやはり、古き自分に死んで新たに生まれるという救いの現実の暗示があるのではないでしょうか。彼らは今、ユダヤ人の習慣に倣った主イエスの葬りをしつつ、人の誉れを好み、ユダヤ人を恐れ、死を恐れていた自分を葬っている。
 それが、ユダヤ人の準備の日で彼らがやっていることです。しかし、実は、それはイエス様の復活の備えをしていることであり、また彼らが新たに生まれ、神の国を見、また入る備えをしていることになっている。そういうことが、ここで言われていることなのではないか、と思うのです。

 イエスの遺体(体)

 そこで最後に、「イエスの遺体」と訳された言葉について見ていきたいと思います。皆さんも、聖書を読む時に、たまに注意深く読まれると、繰り返し出てくる言葉があることが分かると思います。冒頭に言った、「その日は準備の日」もそうです。この二つの言葉は単元を囲む枠だと分かります。「ピラトに願い出た」も二度出てきます。また、「ユダヤ人たち」という言葉も、微妙に意味が異なりますが、四回も出てきます。そして、もう一つ繰り返される言葉がある。それが「遺体」という言葉です。三一節に最初に出てきて、三八節に二回、四〇節に一回で、合計四回出てきます。でも最後の四二節は、「そこにイエスの遺体を納めた」とあってもおかしくないのに、「イエスを納めた」と書かれています。このことすべてに、意味があると思います。
 「遺体」と訳された言葉はソーマという言葉で、もちろん生きている人間の体のことを表します。動物の体のことでもあり、犠牲として捧げられた動物の死体を指す場合もあります。パウロが、教会のことを「キリストの体」と表現することもありますが、その時の「体」もソーマです。しかし、その一方で、腐りゆく死体を意味するプトーマという言葉もあるのですが、ヨハネ福音書では使われません。でも、マタイやマルコ福音書では、ヘロデに殺された洗礼者ヨハネの弟子たちが彼の「遺体を引き取り、墓に納めた」という場合は、腐りゆく死体としてのプトーマが使われます。また、興味深いことに、マルコ福音書では、ヨセフがピラトに「遺体」引き取りを願う時の「遺体」はソーマが使われていますが、ピラトが、本当にイエス様が死んだかどうかを百人隊長に確かめた上で、「遺体をヨセフに下げ渡した」という場合は、プトーマが使われています。ヨセフにとっては、丁重に扱うべきイエス様の「体」であるものが、ピラトにとっては腐っていく「死体」に過ぎないということだろうと思います。そういう使い分けがある言葉です。
 そして、ヨハネ福音書において、このソーマという言葉は、イエス様の「体」にだけ使われるのですけれど、この言葉が出てくる個所もまた福音書の最初と最後なのです。その最初とは、先ほども言いましたように、エルサレム神殿を清めた時のことです。そこで、イエス様は、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみる」とおっしゃいました。ユダヤ人たちも、弟子たちも、何をおっしゃっているのか分かりませんでした。でも、ヨハネは、こう付け加えています。

 「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」

 この「御自分の体」がソーマです。そのソーマという言葉が、一九章で四回出てきて、そして、二〇章で一回出てきます。マグダラのマリアが、イエス様の遺体を墓の中に捜しに行ったのに、墓の中にその遺体はなかったという場面です。イエス様は復活されていたからです。イスラエル最大の救済の御業を祝う過越しの祭りの期間に、そして、神様の創造と救済を覚える安息日の翌日、「週の初めの日」、つまり日曜日に復活されたからです。そして、この日に起きた出来事を通して、新しい神の民、キリスト教会が誕生しました。だから、私たちは、週の初めの日である日曜日に、主イエスの十字架の死と復活によって与えられている新しい創造と救済を感謝して礼拝を捧げるのです。

 終わりは初め 死は命の始まり

 先週、主イエス・キリストにおいては、終わりは初め、死は命の始まりということを言いました。イエス様が、「成し遂げられた」とおっしゃって息を引き渡された時、人間の目には腐りゆく死体にしか見えないその体に槍を刺すと、血と水が流れ出たのです。それが既に、「三日で建て直して見せる」とおっしゃった新しい神殿の建設の開始だと言ってよいのではないでしょうか。血は罪の贖いのために流されるものであり、同時に命の象徴です。そして、水はその命を生かす霊の象徴なのです。その血と水が、イエス様の体、ソーマから流れ出てくる。本来なら腐りゆく死体から、流れ出てくる。その血と水を浴びる時、死んでいた人間が、新たに生まれる。そういう救いの出来事が起こっていく。
 ヨセフとニコデモは、それまでイエス様に敵対するグループに属していた人々です。世に属し、肉に属していた人々です。しかし、その彼らが今、イエス様の体から流れ出る血と水を見、また浴びる中で、イエス様の弟子として誕生してくる。そういう現実が、ここには記されているのだと思います。
 だから墓に納められたのは、「イエス」なのです。イエス様は、洗礼者ヨハネではない。腐りゆく死体となって墓に納められ、そこを終の棲家とする人間ではない。墓に自ら入り、その墓を復活の場とする真の人間でありつつ真の神である。ここに記されていることは、そういう信仰の告白、キリスト証言なのだと思います。

 墓と教会

 五月は、中渋谷教会においては、墓前礼拝のある月です。教会によっては、イースターの日の朝とか午後に墓前礼拝を捧げます。しかし、たとえば古代ローマの教会は、毎週日曜日に礼拝を捧げる礼拝堂そのものが墓なのです。墓にわざわざ行く必要がありません。信者の骸骨が棚に並べられている墓の中で、礼拝を捧げていたのですから。カタコンベ礼拝と呼ばれます。迫害の時代、キリスト者は、その墓の中で、主イエスの十字架の死と死からの復活を記念して、聖餐式を守り続けました。それは、主イエスの十字架の死と復活の命に与る礼拝に他なりません。
 私が洗礼式を執行する時に必ず読む言葉は、パウロがそのローマの信徒たちに向けて書いた手紙の言葉です。そこには、こうあります。

 「 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」

 これを福音と呼ぶのです。これを救いと呼ぶ、あるいは新しい創造の業と呼ぶのです。私たちは毎週、この救い、新たな創造の御業に与るべく礼拝へと招かれているのです。今に生きるキリストご自身が、私たちを招いて下さっているのです。
 その招きに従って日曜日ごとに礼拝を捧げつつ生きるキリスト者の生と死はどういうものであるのかを、パウロはその先で、こう言っています。

 「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」

 ヨーロッパの古い礼拝堂もまた、その地下は墓地です。墓は縁起が悪い場所なのではなくて、復活の場だからです。私たちが墓前に行くのは、死者の霊を慰めるためではなく、キリストを讃美するためです。教会は、死を打ち破ったキリストの体なのです。私たちは、水と霊を通して、その教会の中に新たに生まれたキリスト者です。そのキリスト者の命は、私たちのために死に、私たちのために甦ったキリストの肉と血の徴であるパンとぶどう酒を、聖霊の注ぎの中で、信仰をもって頂くことを通して生かされるものなのです。そのことを通して、私たちは主のものとされ、すべての恐れを取り除かれて、主のために生き、そして死ぬことができるようにされるのです。そこに永遠の命がある、そこに神の愛があるのです。

 伝道に生きるキリスト者

 ヨセフもニコデモも、ローマ・カトリック教会やギリシア正教会では、「聖人」として崇められる人間となっていきました。ユダヤ人を恐れ、この世の誉れを好んでいたこの人々も、命がけでイエス様の体を葬ることを通して、水と霊によって新たに生まれ変わっていったからです。そして、この時は、ユダヤ人を恐れて家の鍵をしめ切って、墓のような真っ暗な部屋に隠れていた弟子たちも、十字架の傷跡も生々しいイエス様から聖霊を吹きかけられることを通して、新たに生まれ変わり、キリストのために殉教の死を遂げながらキリストの体なる教会の基礎を固める人々になっていきました。
 私たちプロテスタント教会の信徒は、人間を「聖人」として崇めることはしません。誰もが弱い人間であることをよく知っているからです。誰もが恐れに捕らわれて、隠れることがあることをよく知っているからです。完全に聖なるお方は、ただイエス・キリストお一人だからです。しかし、そういう弱さを抱え持った私たちもまた、キリストの十字架の死と三日目の復活によって建てられた新しい神殿の中に招き入れられ、そこでキリストの血と水を頂きつつ生かされるならば、誰であっても、罪を清められ、聖なる者として生かされるようになる。そのことは信じています。そして、今日も、この聖餐を伴う礼拝を通して、そのような者として造り替えられ、派遣されるのです。特に今月は特別伝道礼拝がある月ですから、普段以上に、私たちはキリストを証しし、愛する人々を礼拝へと招くことに祈りを合わせたいと願います。そして、そのためにも、今日、この礼拝において、罪を悔い改め、キリストの十字架の血の贖いを信じ、復活を信じ、聖霊を受け入れ、心も体も新たにされて、この一週間の歩みを始めたいと願います。

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