「週の初めの朝早く」

及川 信

       ヨハネによる福音書 20章 1節〜10節
 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。

 週の初めの日


 愈々、ヨハネ福音書も大詰めです。主イエスの復活の出来事に入って行きます。
 「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」とあります。「週の初めの日」とは、ユダヤ人の安息日の翌日であり、日曜日のことです。ユダヤ人が恐らく千年以上にも亘って厳守してきた安息日を、キリスト者は日曜日に変えた。その事実だけを見ても、そこに復活という空前絶後の出来事があったことの証明だとも言えます。先週語りましたように、ユダヤ人の中のユダヤ人であったヨセフやニコデモは、イエス様を葬ることを通してユダヤ人であることを止めた。自分自身を葬り、それまでの自分に死んだのです。イエス様の弟子として生きるとは、そういうことです。そして、それは日曜日に、主イエスの十字架の死と復活を感謝して祝いつつ生きることになっていきました。

 暗いうちに

 その「週の初めの日」「朝早く、まだ暗いうちに」とわざわざ書いてあります。「暗いうちに」とは、まだ「闇であった」ということです。「闇」という言葉は、ヨハネ福音書では「光」と共に最初から最後まで重大な言葉です。一章の冒頭から、「光は暗闇の中に輝いている。暗闇は光を理解しなかった」と出てきますし、光の到来が闇を際立たせ、それが裁きとなっている、とも出てきます。また、闇の中では何も見えないとも出てくる。

 見る

 この点については、今日の個所以降、何度も出てくる「見る」という言葉との関連を考えざるを得ません。そして、一節から一〇節までの間に「見る」と訳された言葉も、実は原文では三つの異なる言葉が使われています。「見る」と一言で言っても、その意味は多様ですし、深さも多様なのです。これから読む個所の時間の経過の中で、朝の光は次第に強くなっていくわけですが、それと比例するように、「見る」という言葉も変化し、その意味も深くなっていきます。そして、それは一一節以降にも続いていくことになります。

 何のために墓に行くのか

 マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。


 マグダラのマリアと呼ばれる女性が登場します。他の福音書では複数の女性が墓に行ったことになっており、そこには、イエス様の遺体に香料を塗りに行くという目的がありました。しかし、ヨハネ福音書には、他の女性は登場せず、目的も明記されません。二節に「わたしたちには分かりません」とあるので、一緒に誰かが行ったかも知れませんが、ヨハネは一人の女性に注目します。そして、既にニコデモらによって没薬、沈香、香料、亜麻布によって手厚く葬られていることもあって、香料を塗るという目的があるわけでもない。しかし、それでは何故、何のために彼女は墓に行ったのか?それが、今日の個所の問題の一つです。
 とにかく、彼女は墓に行った。そして、「見た」のです。「墓から石が取りのけてあるのを」。ただそれだけで、彼女は、「主が墓から取り去られた」と思い込みました。当時は、埋葬品を狙う墓泥棒がいたり、恨みを晴らす目的で墓を荒らしたり、死体を傷つけたりする人もいたからでしょう。でも、この時彼女が見たのは、墓の蓋である石が取り除けられているという事実だけです。

 「置かれている」とは?

 しかし、その事実を見て以後の、彼女の二つ目の言葉は、実は意味深です。彼女はこう言いました。

 「どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

 「どこに」
「置かれている」も大事な言葉なのです。最初に「置かれている」を見ておきますが、表面的に読めば、イエス様の遺体が置かれている場所が分からないということでしょう。でも、そのことだけを意味するわけではないと思います。一一節以降に、こういう言葉が出てきます。

 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。

 ここに「遺体の置いてあった場所」とあります。しかし、ここで「置く」と訳された言葉と、二節で「どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」「置く」では原語は違います。一二節の方は読んで字の如く、体であれ物体であれ、ものを置くという意味の言葉です。でも、二節の方は、そういう意味もありますけれど、全く違う意味としても使われる言葉なのです。
 一一章で、主イエスは何度もこうおっしゃいました。「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」この時の「捨てる」。それが「置かれている」と訳された言葉、ティセーミという言葉なのです。
 先週、一九章四二節が、「イエスの遺体を納めた」ではなく、「イエスを納めた」となっていることについて少し触れました。そのこととも関連するのだと思います。イエス様の「遺体」が問題になっているようでありつつ、実は「イエス様ご自身」が問題の核心なのです。
 そもそも、マリアは「遺体がどこに置かれているのか分かりません」と言ったのではなく、「主が、どこに置かれているのか分かりません」と言っているのです。問題は、旧約聖書では神ご自身を表す「主」の居場所であり、その在り様なのです。

 どこに

 それは、「どこに」という言葉の意味を見れば分かってきます。この言葉が重要な意味で出てくるのは、最初にイエス様の弟子になった二人の男とイエス様の出会いの場面です。もともと洗礼者ヨハネの弟子であったペトロの兄弟アンデレともう一人名が記されていない人物は、洗礼者ヨハネの「見よ、神の小羊だ」という言葉に促されて、イエス様の後に従っていきます。イエス様が、振り返って「何を求めているのか」とおっしゃる。すると、彼らは「ラビ、どこにお泊りですか」と尋ねる。するとイエス様が、「来なさい。そうすれば分かる」とおっしゃる。ここでの「分かる」とは、ホラオウという言葉で、普通は「見る」と訳される言葉です。後で大事なこととして出てきますから、覚えておいて下さい。その言葉に従って、二人の男はイエス様がどこに泊っているかを見て、そして一緒に泊った。その翌日、彼らは、ペトロに向って「わたしたちはメシアに出会った」と証言し、ペトロをイエス様に引き合わせるのです。
 ここでの問題は、イエス様のその日の宿はどこかなどということではなく、「イエス様は誰か」なのです。「どこに泊るのか」という問いは、この世界のどこに存在する方なのかという問いであり、それはつまり、誰であるか、神なのか人なのか、メシアなのか、預言者なのか、教師(ラビ)なのか、そういう問いです。それが分からないから、それを知りたくて、分かりたくて、見たくて、彼らはついて行ったのだし、イエス様も分かって欲しくて、「来なさい、そうすれば分かる(見ることになる)」と招かれたのです。
 マリアは、二節、一三節、一五節で、三回も「主を、どこに置いたのか分からない」とか「どこに置いたのか、教えてください」と言っています。それはつまり、イエス様が誰なのかが分からず、それを知りたくて知りたくて仕方ないということだし、さらに「置く」が先ほど言ったように「命を捨てる」という意味でもあるとすれば、その問いは、「イエス様の十字架の死とは一体何なのか分からない。それは冤罪の死なのか、それとも救い主としての羊たちのための死なのか。もし、そうであるとすれば、それはどういう意味なのか。あの方は今、どこにおられるのか。そのことを知りたい。」そういう問いをもって、彼女は墓に行った。そういうことになるのではないでしょうか。そして、それはペトロともう一人の弟子の問いともなっていくのだと思います。

 愛しておられたもう一人の弟子

 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。


 今日は、ここに出てくる「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」に関して、どうしても触れざるを得ません。この弟子の名前が出てくることはありません。しかし、多くの場合、ペトロとの関係において出てきます。そこで学者たちは、様々な推測をします。大きく分ければ、この弟子は実在したのか、それとも、福音書の著者が創作した人物なのか、ということになるでしょう。私は、その点について、これまで結論めいたことを言って来たことはありません。また、先ほど、最初の弟子がアンデレともう一人の男であることを言いました。ひょっとすると、名前が記されないこの男が、イエス様に愛されたもう一人の弟子である可能性もあります。もし、そうであるとすれば、他の福音書ではペトロが一番先に弟子になったことになっているのですが、ヨハネ福音書では、ペトロはアンデレとその匿名の弟子にイエス様を紹介されたという形になるわけです。一番弟子の一人は、この匿名の弟子なのです。
 歴史的にどちらが正しいのかを判定することは最早出来ません。ただ、福音書が書かれた時代は、パウロがコリントの信徒への手紙に書いているように、主イエスはペトロに最初に現れ、その後十二人に現れという伝承が確立しつつある時代です。つまり、初代教会の土台にはペトロがいる。その教会の中心はエルサレム教会であり、その中心にはペトロがいるのです。ですから、マルコもマタイもルカも、ペトロが一番弟子ですし、弟子の代表として描かれています。しかし、ヨハネにおいては、その点は微妙です。
 「イエスに愛された弟子」が、最初に出てくるのは最後の晩餐の席です。その時、弟子の一人の裏切りを予告されたイエス様の真意を測りかねたペトロが、イエス様の胸元によりかかっている弟子に対して、誰のことを言っているのか尋ねるように促すという場面がありました。そこでも、イエス様の側近中の側近は、この弟子です。次に出てくるのは、十字架の場面ですけれど、そこではこの弟子がイエスの母を自分の家に受け入れるという重大な使命を与えられるのです。それは、十字架のもとにおけるユダヤ教会とキリスト教会の和解を暗示する非常に大事な場面です。さらに、今日の場面では、この弟子の方がペトロよりも先に墓に着きます。しかし、ペトロを待って、ペトロが先に墓に入ります。でも、後から入ったこの弟子は、「見て、信じた」のです。ペトロは、「信じた」とは書かれません。そして、二一章にいきますと、ティベリアス湖の畔(ほとり)に立つ方が「主」であることに最初に気付いたのはこの弟子です。その後、ペトロは三度も、「あなたはわたしを愛するか」と聞かれ、「わたしに従いなさい」と言われるのですが、その直後に、そのイエスとペトロの後に、何も言われなくても従って来る弟子がいる。それもイエスの愛しておられた弟子なのです。さらに、この福音書の最後には、この弟子こそがこの福音書に書かれていることを証しをしたのだ、と記されているのです。
 また、今日の個所には「愛された弟子」とは即「もう一人の弟子」のことですけれど、この「もう一人の弟子」が、イエス様がアンナスの所に連れて行かれた時、躊躇するペトロをアンナスの公邸の中庭に迎え入れた「もう一人の弟子」と同一人物だとすれば、そこでもペトロを先導しています。
 そして、主イエス・キリストを証しする人、目撃者にして証言者が、この弟子であるとすれば、それは前回、保留にした一九章三五節の目撃者ということになります。十字架の下にいて、イエス様の体から血と水が流れ出たのを見て、それを証しし、その証しは真実であると言われる者は、この「愛された弟子」「もう一人の弟子」ということになる。
 そうなりますと、こういう弟子は本当に実在したのか?という問いが起こります。実在したのであれば、何故、他の福音書では登場しないのか?そして、何故、この福音書では匿名なのか?いずれも説明しづらい問題です。ある学者は、古代の伝承に基づいて、イエス様の弟子であるゼベダイの子の一人ヨハネを想定します。マタイやマルコ等では、ペトロとゼベダイの子であるヤコブ、ヨハネの兄弟の三人が弟子の代表としてしばしば登場します。でも、そのヨハネがこの弟子であるとは、私には思えません。
 結局、私はちょっと曖昧な立場をとりますけれど、この弟子には一つの実在のモデルがいたとは思うし、その人物の証言が、この福音書を書いた人物(ヨハネという名前かどうかは実は分からない)に決定的な影響を与えたに違いない。けれども、この福音書に登場するような愛弟子が、最後の晩餐の時も、十字架の時も、空の墓の現場でも、ティベリアス湖でも、福音書に書かれたままに行動したとは到底思えません。
 この弟子は、ペトロを頂点とする既成の教会に対する一種の批判的存在として意図的に登場させられていると思います。そして、そのことを通して、ヨハネ福音書は一切の権威を人間には置かず、聖霊に置く。そういう意図を明確にしているのではないか、と思います。しかし、このことは現段階の私が思うことであって、歴史的真実だと確信して語っているのでもなければ、救いにとって必要不可欠な認識だと思って語っているのでもありません。でも、今日の個所を読み解いていく中で示された欠くべからざる一つの認識ではあるのです。

 見た

 とにかく、「もう一人の弟子」が早く着いたけれど、ペトロを待ち、ペトロが先に入ります。ペトロが最初の目撃者であることが教会の伝承において確立していたからでしょう。そして、ペトロは、中に「亜麻布が置いてあるのを見た」とあります。この「見た」は、セオーレオーという言葉です。墓石が転がされているのをマリアが「見た」は、ブレポウという言葉で、単純に目に見える現象を見たということだと思います。ヨハネ福音書の言葉遣いを詳しく研究したある学者によると、セオーレオーはブレポウに比べて、関心をもって見つめることを表現している。しかし、それは「しるし(奇跡)を見て信じる」という場合のように真の信仰とは結びつかない場合が多いと言われます。いちいち例を挙げませんが、確かにそう言える面があります。
 そして、「頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所に置いてはなく、離れた所に丸めてあった」とある。つまり、墓泥棒が闇にまぎれてイエス様の遺体を盗んだということではないし、イエス様はラザロのように布を巻かれたまま蘇生したということでもない。イエス様は巻かれた布や頭巾から抜け出るようにして復活し、ここにはおられない、そういうことを暗示していると思います。

 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。

 ペトロの後に、愛されていたもう一人の弟子が墓に入って来ました。そして、彼は「見て、信じた」のです。しかし、何を見たのでしょうか。ペトロの場合は「亜麻布が置いてあるのを見た」と、見る対象がはっきりと書かれています。しかし、この弟子の場合、そのペトロの行為との間に、頭巾のことが書かれており、見る対象は書かれていません。何を見て、何を信じたのかが分からないのです。さらに難しいことがあります。それは九節にはこうあるからです。

 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。

 ペトロともう一人の弟子が墓の中で見た「もの」は同じでも、見た「こと」は違うはずだし、信じた人間と、信じることが起こらなかった人間では違うはずです。でも、彼らが聖書の言葉を理解していないことにおいては同じであった。そして、彼らはそれぞれ自分の家に帰って行ってしまった。その後、彼らを追って再び墓にやって来たマリアが、実は最初に復活の主イエスを「見た」のです。ヨハネ福音書では、復活の主イエスに最初に出会ったのはペトロではなく、愛弟子でもなく、一人の女です。その意味は、次回、考えます。

 見て、信じた

 今日は、最後に、この信仰と理解に関して考えなければなりません。この点についての古来の学者たちの様々な解釈は読めば読むほど、混乱します。何が正しいのかさっぱり分からないのです。皆さんも、学者だとか牧師だとかが、聖書を解釈してみせても、それを鵜呑みにしてはいけないと思います。疑っているだけでも仕方ありませんけれど、一つや二つの専門的な注解書を読んだくらいで、ここはこうだなどと断言できるものではないし、十冊二十冊と読めばますます断言など出来なくなります。だから、私たちは聖書を読まねばなりません。とにかく何度も一生懸命に聖書を読むしかないのだし、それも聖霊の導きによって、光が与えられるように祈りつつ読むしかないのです。
 昨年の四月から、説教者が聖書朗読をし、その後に一言祈ってから説教を始めていますけれど、その時の祈りは、「聖霊の照明を求める祈り」です。その場合の「照明」とは、照明器具の照明と書きますが、英語ではイルミネーションです。イルミネーションという言葉そのものに「説明」とか「解明」という意味があるのです。聖書は聖霊によって書かれた書物ですから、聖霊によらなければ、分からりません。光に照らされなければ、その真相は見えてこないのです。闇の中では何も見えません。
 私は仕事ですから、多少は聖書に関する書物を読んで勉強します。でも、それは光が射して来るまでの準備に過ぎませんし、光が射してきて、真相が見えてくれば勉強などさっさとやめて説教原稿を書き始めます。光が射して来ない限り、悶々としながら、様々な物を読みつつ、聖書のあっちこっちをめくりながら読み続けるしかないのです。
 そういうことをしながら分かったことですけれど、ここでもう一人の弟子が墓に入って「見て、信じた」という場合の「見た」は、あの最初の弟子に向けたイエス様の言葉の中にある「来なさい、そうすれば分かる」「分かる」と同じ言葉です。この「分かる」は、ホラオウという言葉で「見る」という意味だと、先ほど言いました。つまり、真相を「見る」とは真相が「分かる」ことです。つまり、このもう一人の弟子、イエス様に愛され、またイエス様を愛して、胸元に寄り添い、大祭司の中庭にも恐れることなく入り、十字架の下にも何の恐れもなく立ち続け、真っ先に墓に駆けつけた弟子は、ペトロのように亜麻布が置かれているのを見たのではなく、墓の中にイエス様がいないことを見たのです。そして、その時、イエス様が復活したことが分かったのです。そして、信じた。イエス様が復活したことを信じた。そういうことが、ここで言われていることではないか。

 聖書の言葉を理解する

 しかし、その彼もまた、ペトロと同じように、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、理解していなかった」とは、どういうことなのか?
 ここに出てくる「聖書の言葉」とは、旧約聖書のことです。新約聖書は、徹底的に旧約聖書の証言を基にして書かれています。旧約聖書を読まずして新約聖書は分かりませんし、その逆もまた然りです。二つを合わせて、私たちにとっては聖書なのです。その聖書の言葉を、この弟子も、この時はまだ、理解していなかった。それは、どういう意味か?
 それは、聖霊がまだ与えられておらず、聖霊によって、イエス様の復活が何を意味しているのかを示されていなかったからだと思います。そして、それはイエス様の十字架の死の意味も、完全な形では理解していなかった。そういう意味で、イエス様が誰であるかを、この時はまだ完全な形では理解していなかったということだと思います。
 その日の夕方、隠れ家にいる弟子たちに復活の主イエスは現れ、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃって、「その手と脇腹をお見せに」なりました。そして、彼らに息を吹きかけて、こう言われました。

 「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

 この言葉が、一章に出てくる洗礼者ヨハネの信仰告白、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」に対応する者であることは、言うまでもありません。
 この告白で言われていることが、イエス様の十字架の死と復活を通して実現したのです。そして、そのことを聖霊が与えられることによって、つまりイルミネーションの輝きの中で、弟子たちは初めて分かった、理解したのです。その時まで、彼らは信じることも、理解することも出来なかったのです。そして、その理解に関しては、イエス様に愛されていたもう一人の弟子も同様である。彼もまた、聖霊が与えられるまでは、イエス様が復活したことを信じることが出来ても、その意味が何であるかは理解してはいなかった。そういうことが、ここで言われていることではないか、と私は思います。
 そして、旧約聖書は、多種多様な文書の集成ですけれども、そのすべてを通して、メシア、キリストの受難と復活が預言され、待ち望まれているということ、そのこともまた聖霊によって、初めて分かることなのです。

 「主」であることが「分かる」

 先ほどから「分かる」という言葉を問題にしているのですけれども、一章で、「来なさい、そうすれば分かる」とイエス様がおっしゃった時の「分かる」は、「見る」と同じ言葉ホラオウでした。しかし、先ほどの「理解しなかった」「理解する」は、他の所ではしばしば「分かる」とか「知る」と訳されるオイダという言葉です。その言葉が、弟子を主語として最後に使われるのは、二一章です。
 そこはティベリアス湖における漁の話です。そこで、イエス様が三度目に弟子たちに現れるのです。でも、舟に乗っている弟子たちは、湖の岸辺に立っておられる方がイエス様だとは「分からなかった」とあります。でも、イエス様が言うとおりに、舟の右側に網を下ろすと大漁になったのを見た愛弟子が、ペトロにあれは「主だ」と言う。その後、岸辺に上がって主イエスが備えてくださる食事の席に彼らが一緒に着くことになります。その時、「弟子たちは誰も、『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである」とあります。ここに出てくる、「分からなかった」「知っている」が共にオイダで、今日の個所では「理解していなかった」と同じ言葉なのです。
 そういうことをすべて総合すると、イエス様のことが「分かる」ということこそが、この福音書のテーマであることは明白だと思います。弟子たちは、「ラビ、あなたはどなたなのですか」と問うことを通して、次第に弟子になり始め、ついにここに至って、イエス様が「主である」ことが分かったのです。そういう構造になっているのです。
 今日の個所もまた、「主が、どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」というマリアの言葉から始まっています。それは、イエス様のことが分かりません、ということです。イエス様の死の意味が分かりません。イエス様が主、キリストなのか分かりません、という意味です。朝は近いけれどまだ暗い中で、よく見えないのです。でも、そういう闇の中で、必死になってイエス様を分かりたいと思って捜している人間がこの福音書の中には生きているのです。そして、そういう人間に対して、「マリア」と呼びかけてくださる方がいるのだし、逃げて隠れている者たちに、「平和があるように」と言いつつ現れてくださるお方がいる。手に釘をうちぬかれた跡が残り、わき腹に槍を刺された跡が残るお方です。そのお方が、誰の罪でも赦して下さったのです。「あなたのためなら死にます」と言いつつ、「あの人のことは知らない」と言って隠れてしまったペトロを初め、すべての人間の罪を赦して下さったのです。ご自身の犠牲によって、罪を取り除いて下さった。そういうお方として現れてくださった。それが復活なのです。ただ、死んだ人間が復活したということではないし、そのことを信じるのが復活信仰ではありません。少なくとも、それだけではイエス様の復活を正しく理解しての信仰ではない。イエス様の復活は、私たちの罪を取り除くため、赦すためです。そのためにイエス様は十字架にお掛かりになり、そして墓に葬られ、そして日曜日の朝早く、暗い内に復活されたイエス様は、マグダラのマリアに現れ、その日曜日の夕方には隠れていた弟子たちに現れてくださったのです。そして、聖霊を吹きかけてくださった。その時、彼らは、イエス様の復活を見て信じました。罪の赦しが与えられたことを信じることが出来たのです。
 そして、さらに湖のほとりで、主イエスが備えたまう食卓を囲むことを通して、イエス様がいつも自分たちと共におり、その業をなしてくださる主であることが分かったのです。そして、そのことを通して、ペトロを初めとする弟子たちは、死をも恐れぬ信仰、復活の希望をもって、主イエス・キリストを証しする伝道を開始したのです。
 洗礼を受けたキリスト者である私たちもまた、マリアやペトロ、また愛弟子のように、闇の中で何も見えないことがある人間です。イエス様がどこにおられるのか分からない、イエス様の十字架の死も復活も分からない。そして、自分が生きている意味も死の意味も分からない。そういう時がある。でも、明けない夜はないし、光は闇の中に輝くものでもあります。私たちとしては、とにかく、絶えず、イエス様と出会いたい、イエス様を信じたい、分かりたいと願いつつ生きる以外にはありません。そして、それは日々犯してしまう罪の赦しを求めて生きることなのだし、罪人が抱え持つ不安や恐れを平和に変えて頂くことを求めることです。そのような求めをもって生きている人間に、主イエスは必ず出会ってくださいます。
 「平和があるように。あなたの罪は赦された。わたしを信じなさい。そして、罪の虜としてではなく、平和の使者として新たに生きなさい」と語りかけてくださるのです。それが週の初めの日の朝早くに起こった出来事の帰結です。そして、今日は、その日曜日なのです。
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