「主であることを知っていた」

及川 信

       ヨハネによる福音書 21章 1節〜14節
 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

 今日の個所は、先週も言いましたように、ヨハネ福音書の付録です。でも、マルコ福音書にいくつかの付録がくっついているような意味での付録ではありません。マルコの場合は、付録が付いている写本や付いてない写本があったり、付録の種類もいくつかありますが、ヨハネの場合は付録が付いていない写本はないし、すべて同じ内容です。そして二一章は二〇章と密接不可分なもので、非常に印象深いものです。これなくして、ヨハネ福音書は終わらない。そう言ってよいでしょう。

 三度目なのに?

 しかし、そう考えることによって、難しい問題が起こることもまた事実です。一四節に、「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」とあります。つまり、二〇章にあるように、これまでに二度、主イエスはご自身を弟子たちに現されているのです。それなのに、弟子たちは誰も、ティベリア湖の岸辺に立って話しかけて来る人を見ても、それがイエス様だとは分からなかった。それは一体どういうことなのか?これが不思議なことの一つです。
 また、復活された日の夕方、エルサレムの家に鍵を締め切って隠れている弟子たちにイエス様が現れた時、弟子たちは聖霊を受けて、福音を宣教するためにこの世に派遣されています。それなのに、彼らは、漁師であったシモン・ペトロにとっては故郷であるティベリアス湖で漁をしている。これは一体どういうことか?彼らは、宣教命令に応えることなく生業に戻ってしまったのか?
 その他にも、ヨハネ独特の愛弟子とペトロの関係性だとか、魚が百五十三匹であったこの意味は何であるかとか、たくさんの問題がここにはあり、学者たちの様々な解釈があります。「そうだな」と思えるものもあれば、「いや、それは違うだろう」と思うものもありますけれど、いつものように、ヨハネ福音書全体の記述から見えてくるものを、見ていきたいと思っています。また、愛弟子とペトロの関係性については、次回以降の問題でもあります。

 見ること

 今、「見る」という言葉を使いました。何度も言っているように、「見る」とはヨハネ福音書では極めて大事な問題です。この福音書本文におけるイエス様の最後の言葉は、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」という言葉です。復活の主イエスを肉眼で見ることが出来たペトロやトマスは、私たちにしてみれば、「幸いな人たち」であるに違いありません。でも、彼らが肉眼で見た復活のイエス様は、戸の鍵を締め切っていてもその部屋に「来て、真ん中に立つ」イエス様なのです。十字架の傷跡を体に残してはいても、肉体が蘇生したイエス様ではない。そういう微妙な表現、あるいは神秘的な表現がここにはあります。そして、そのイエス様が、「見ないのに信じる人は幸いである」とおっしゃっている。「見ないのに信じる人」とは、聴いて信じる者たちのことです。つまり、私たちのことです。何度も言ってきましたけれど、私たちが信じることは、イエス様の肉体の蘇生ではなく、新しい霊の体としての復活であり、そこにある罪の赦しと新しい命の付与です。イエス様は、「神の子メシア」として、私たちの罪を赦し、新しい命を与えて下さるお方であり、今も聖霊において生きて働いておられる。そのことを信じる。その信仰において、私たちは新しい「命」を得るのです。その信仰にとって、肉眼でイエス様の姿を見る必要はありません。そして、信仰において新しい命が与えられていることを実感する者は、「幸いである」という言葉の意味を、その体で知っています。その「幸い」の意味を言葉で説明する必要もないのです。

 愛こそすべて

 今日の個所もまた、その記述は実に微妙であり、神秘的です。そして、なにより美しいと思います。
 「イエスはティベリアス湖半で、また弟子たちに御自身を現された。」でも、岸辺に立っておられるイエス様を見ても、弟子たちの誰もそれが「イエスだとは分からなかった」。その後、イエス様の指示によって、漁を再開すると大漁が与えられる。その時、「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに『主だ』と言った。」その時、ペトロは初めて、それが復活された主イエスであることが分かったのです。他の弟子も同様でしょう。つまり、肉眼で見ても分からない。「主だ」という人の証言を聴いて初めて分かる主イエスがここにいます。その証言をした人は、ヨハネ福音書にだけ登場する、イエスの愛弟子、イエス様と深い愛の交わりの中に生きている愛弟子です。この愛こそが、主イエスを「見る」、あるいは「主だと分かる」ために必須のことなのです。だから、ペトロは、この後、三度も、「あなたはわたしを愛するか」と問われるのです。

 証言の重要性

 ここでの問題は、復活の主イエスとは、肉眼で見てすぐ分かる存在ではないということです。弟子たちに、主イエスが現れた最初の時も、実はその前に、マグダラのマリアの「わたしは主を見ました」という証言が先立っていました。マリアもまた、墓の前で天使の証言を聴いています。その上で、主イエスから二度も語りかけられ、二度も振り返ることを通して、目の前におられるのが主であること、復活されたイエス様であることが分かったのです。つい三日前まで生きておられた主イエスが、いきなり老人になって出てきたから分からなかったとか、そういう問題ではありません。復活された主イエスは、ある意味では、肉眼で確認できるものではない。ただ信仰によって分かる存在であることが、既にその時から語られているのです。そして、一回お会いすれば、いつでも分かるということでもない。そこに信仰が含まれる愛がなければ、目の前に主イエスがおられ、語りかけて来られても、それが主イエスであるとは分からない。そういう信仰的現実が語られているのではないだろうか、と思う。
 そしてそれは、ルカ福音書のエマオ途上における弟子たちと同じことです。その弟子たちは、ずっとイエス様によって語りかけられていたのに、それがイエス様だとは分からず、主イエスがパンを裂いたその瞬間、それがイエス様だと分かった。しかし、その時、イエス様は見えなくなった。けれど、彼らは失意の内に後にしたエルサレムに帰って行き、福音宣教に遣わされる使徒となっていきました。つまり、生まれ変わり、新しい命が与えられたのです。それは、イエス様を肉眼で「見た」ことで起こったのではなく、イエス様がパンを取り、裂いて渡してくださることが「分かった」ことによって起こったことです。

 漁とは何か

 さてそこで、問題になるのは、なぜペトロを初めとする弟子たちは、ティベリアス湖で漁をしているのかです。このことを即物的に解釈すると、トマスは漁師だったのか?という疑問が出てきます。わざわざ「ガリラヤのカナ出身」と書かれるナタナエル、彼もヨハネ福音書にしか出てきません。そして、カナとはイエス様が最初に水をぶどう酒に変えるしるしを行われた町ですけれど、それは山間部にある町です。だから彼は漁師ではないでしょう。「ゼベダイの子たち」、彼らは他の福音書を見ればヨハネとヤコブという名で、ペトロと同じガリラヤ湖の漁師です。それ以外の名が記されていない二人の弟子たちは、どうなのか分かりません。この中に、愛弟子が含まれると考える人もいれば、ゼベダイの子のヨハネが愛弟子であり、実はこの福音書の著者なのだと考える人もいます。いずれも推測ですし、私にはよく分かりません。しかし、ここに七人という完全数の弟子がいたことは意味があるかもしれません。
 彼らがすべて実際に漁師であったことは、他の福音書にも出てきませんし、あり得ないことでしょう。ヨハネ福音書では、ペトロが漁師であったことさえ出てきません。でも、それは当時の教会の人の誰もが知っていることであり、前提とされていたと思います。だとするならば、ペトロを弟子として召し出す時にイエス様がおっしゃった言葉、「人間をとる漁師にしよう」もまた前提とされていたと考えるべきだと思います。そのペトロの「わたしは漁に行く」という言葉に応えた「わたしたちも一緒に行こう」という他の弟子たちの言葉は、果たして、魚をとる漁のことを言っているのか?ヨハネとヤコブ以外は漁師ではないのに、そんなことがあるのだろうか?

 ティベリアス湖

 その問題を考えるためには、通常は「ガリラヤ湖」と言われる湖が、ここでは敢えて「ティベリアス湖」と言われるのか、その理由を考えていかねばならないと思います。
 「ティベリアス」とは、イエス様が誕生した時のローマ皇帝アウグストスの後継者です。ヘロデ大王の息子、ヘロデ・アグリッパがガリラヤ湖北西岸にローマ式の町を建設した際、ティベリウスへの忠誠を示す意味でティベリアと名付けたのです。ユダヤ人の民衆にしてみれば、その名前で呼ばれる町がガリラヤ地方の首都であること自体が屈辱的なことでした。しかし、ヨハネは敢えて「ガリラヤ湖」あるいは「ゲネサレの海」と呼ばれていた湖を「ティベリアス湖」と呼んでいます。この名称は新約聖書では、ヨハネ福音書の二一章と六章にだけ出てくるのです。その意図は何か。それが問題となります。

 ティベリアス湖で起こったこと

 先週、「命」という言葉が六章に集中的に出て来ることを言いました。それは、聖餐のパンに関する論争においてでした。今日の個所にも最後にパンが出てきます。そして、六章は、ティベリアス湖の岸辺で、五つのパンと二匹の魚を五千人の群衆に分けて満ち足らせるという大きな「しるし」をイエス様が行われた個所です。魚とパンは、二一章でも大事です。そして、ヨハネ福音書における最後の晩餐は、後の聖餐式の原型となる食事ではなく、弟子の足を洗う食事でした。この福音書で、聖餐の元になる記事は、六章の五千人の給食とその後に続くパンを巡る論争であることは既に読んできた通りです。そして、今日の個所の食事もまた、杯はありませんが、ヨハネ福音書における聖餐の食卓なのです。そういう意味で、二〇章の後半から二一章にかけての部分は六章と密接な関係にあり、後の教会の礼拝にとっても極めて重要な個所ということになります。
 六章においては、イエス様はティベリアス湖畔で「五つのパンと二匹の魚」を男だけでも五千人の群衆に配って満ち足らせるしるしを行われました。そのイエス様を見て、人々はもちろん熱狂し、「この人こそ、世に来られる預言者である」と言って、「王」として祭り上げようとしました。この場合の「預言者」とは、モーセのような預言者であり、ユダヤ人が待ち望んでいた民の指導者、救済者という意味です。この時のユダヤ人の現実に照らせば、モーセがユダヤ人をエジプトの支配から脱出させたように、ローマの支配から脱出させる「ユダヤ人の王」ということになります。しかし、イエス様は、人々を避けて「山に退かれた」。イエス様は、そういう王となるためにこの世に来られたのではないからです。
 その直後の夕方に、「弟子たちは湖畔へ降りて行った。そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした」とあります。しかし、暗くなると同時に急激に気温が下がり、強い風が吹き、湖が荒れ始め、弟子たちの舟はいくら漕いでも向こう岸にいけなかったのです。その時、「イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て彼らは恐れた」
 先月、ガリラヤ湖を舟で渡った時は、朝でしたし、まことに穏やかな日でした。でも、その前日、湖畔に立ついくつかの教会やカファルナウムの遺跡を見学し終わった頃、突然、突風が吹き出して木の枝が揺れる音で、少し離れた人の声も聞こえないようなことがありました。そういうことは、盆地状になっている湖の周辺ではしばしば起こります。その時にも、もしイエス様が真っ暗の中で、荒れ狂う湖の上を歩いて来られたら、腰を抜かさんばかりにビックリするだろうなと思いました。それは、死んだ人が甦って目の前に現れた時の驚きにも似ているでしょう。
 その時、イエス様は、一言、こうおっしゃった。

 「わたしだ。恐れることはない。」

 原文では「エゴ・エイミ」です。これは、神様が御自身の名をモーセに告げた時の言葉です。神様の臨在を表す言葉なのです。そして、旧約聖書においては、神様が真の王です。地上の王は、その神の御心に従って生きる時にのみ、王としての権能を与えられるのです。人々が期待する王であることを拒絶されたお方が、この時、夜の闇の中で荒れ狂う湖の上で悪戦苦闘しても前進出来ない弟子たちの所に来て下さって、「わたしだ。恐れることはない」と語りかけて下さる。「わたしが王だ。あなたがたと共に生きる者だ。何も心配しないでよい。」そう語りかけて下さる。主イエスは、「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない」とおっしゃることが出来る唯一のお方です。だからこそ、主イエスはここでエゴ・エイミとおっしゃっているのです。
 それは、ティベリアス湖の上でのことです。ローマ帝国の皇帝ティベリアスが支配している世界の只中で悪戦苦闘している弟子たちに対して、「わたしが王だ。人々が望む王ではないが、すべての人々を支配し、守り、生かすのはわたしだ。そのわたしがあなたがたと共にいる。何も心配するな。」そう語りかけて下さる。 ヨハネは、そういうイエス様をここで証言しているのだと思います。
 ローマ時代のある詩人は、「群衆はパンと娯楽を与えられれば盲目的に王を支持する」と言ったそうです。実際、この世の王はそれさえやっておけば地位は安泰なのです。今日は参議院の選挙の日ですけれど、私たち多くの国民の関心は、やはり景気対策を初めとする経済問題です。そのことを解決することが政治家には求められています。でも、エゴ・エイミと言われる方は、食べてもすぐに空腹になるパンを与えて下さるお方ではなく、永遠の命を与えるパンとして、ご自身の肉を与えて下さるお方です。そのことが、六章の後半で明らかになっていきます。そして、そのことが明らかになっていくに従って、それまでイエス様に従って来た弟子たちの多くも、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と言って去っていき、残ったのは十二人でした。

 わたしは漁に行く

 この六章を踏まえると、二一章の読み方も変わって来るのではないでしょうか。ペトロが「わたしは漁に行く」と言い、他の弟子たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言って出ていったティベリアス湖は、迫害の厳しいローマ帝国のことであり、漁とは、人間をとる伝道の業の暗示なのではないでしょうか。弟子たちは主イエスの派遣命令に背いて元々の生業に帰ったのではないし、漁師をしながら伝道に励んでいたのでもない。そうではなくて、ペトロは一人でも漁に出掛ける覚悟を示し、他の弟子たちもそのペトロと一体となって決死の覚悟をもって伝道に出かけたのだと思います。伝道は決してひとりで出来るものではありません。牧師一人がどんなに頑張っても出来ないし、信徒一人でも出来ません。教会のすべての者たちが同じ思いになって成して行かなければ何をしても空しいのです。しかし、この時も「夜」でした。夜の漁は一般的であったようですが、これも光と闇の対比を描くヨハネ福音書においては一つの象徴を担っていると思います。夜の闇の中で、彼らの伝道は全く成果を挙げることが出来なかった。彼らは疲労困憊して朝を迎えたのです。
 その時、「イエスが岸に立っておられた。」夜の間、彼らの伝道の業を見て下さっていたのでしょう。夜明けの光の中で、弟子たちは、岸辺に立っている人を見ました。彼らは岸から二百ぺキス(九十メートル)ほどしか離れていなかったのです。でも、彼らには「それがイエスだとは分からなかった。」
 イエス様は問います。

 「子たちよ、なにか食べる物があるか。」
 「ありません。」
 「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」


 彼らは迷うことなく、疲れた体の力を振り絞って、網を打った。すると、信じ難いほどの大漁になった。そのしるしを見た時、愛弟子だけが、岸辺に立っておられるのが「主」であることが分かったのです。ペトロは、慌てて服を着て湖に飛び込みました。真っ先に主イエスの元に行きたかったのです。ガリラヤ湖育ちの彼は泳ぎにも自信があったのでしょう。他の者たちは、魚で一杯の網を引きながら必死になって岸辺にまでやってきました。すると、既に炭火が起こしてあり、「魚がのせてあり、パンもあった」のです。先ほど、主イエスが弟子たちに「何か食べる物があるか」と問われたのは、空腹の故ではないことがここからも分かりますし、弟子たちが単に漁をしていたわけではないこともここから分かるでしょう。
 主イエスは言われます。

 「今とった魚を何匹か持って来なさい。」

 ペトロが数えてみると、「百五十三匹であった」というのです。古来、この数について様々な解釈がなされてきましたが、わたしは当時知られていた魚の種類が百五十三種類であったという解釈をとります。つまり、それは世界に存在する様々な人種や民族の象徴なのです。当時の世界は、ローマ帝国そのものです。すべての人種、民族がローマ皇帝の圧倒的な武力と権力の前にひれ伏す平和(ローマの平和)の中を生きていたのです。しかし、その世界の中で、真の漁師であるイエス様の宣教命令に従って伝道がなされる時、世界中のあらゆる人種、民族の人々が、救いの網の中に入れられる。キリストを王とする神の国の中に入れられる。キリストの十字架の前にひれ伏す平和の中に招き入れられる。神との和解、人との和解の中に迎え入れられる。そして、多種多様な人々が一つの網の中に入っても網は破れない。その救いの現実、あるいは終末に起こる世界の完成をこの場面は象徴しているのだと思います。つまり、これはこの日の現実ではなく、来るべき日の現実の先取りの場面なのです。
 一五節以下を見るならば、ペトロは主イエスの羊を飼うように命じられ、さらに殉教の死が予告されます。教会の伝道は始まったばかりです。ペトロを中心とする教会の体制は少しずつ形成されていきますが、それは次々と殉教者と背教者を出す厳しい伝道の歩みでもある。そういう厳しい伝道の業を生きる弟子たちに、主イエスは、いつの日か実現する救いの完成のヴィジョンを見せて下さったのではないか。私には、そう思えます。

 魚

 そして、ここで魚について一言付け加えると、これもまた示唆深いものがあります。イエス様が岸辺で焼いている「魚」は、原文ではオプサリオンという言葉が使われています。これは普通に食べる魚です。でも、シモン・ペトロが数えた「魚」、それはイクスースという言葉です。これも魚という意味なのですけれど、わざと変えてある。そして、このイクスースという言葉と魚のマークは、ローマ帝国による迫害の最中、信仰を生きるキリスト者のしるしでした。今でも、魚のマークは、そういうものとしてシールなどで使われます。何故かと言うと、イクスースは、ここで救いの網に掛かった魚というだけでなく、その文字の一つ一つが、「イエス・キリスト・神の子・救い主」の頭文字と同じだからです。ペトロは、そういう魚を数えたのです。

 さあ、来なさい

 ペトロが、その魚を数え終わった時、主イエスは言われました。

 「さあ、来て、朝の食事をしなさい。」

 「さあ、来て」
と訳された言葉は、デウテという一言です。それは、ヨハネでは四章でサマリアの女が、町の人々に「さあ、見に来て下さい」と招く場面で出てきます。彼女は、「この方がメシアかもしれません」と言うのです。救い主を見て欲しい。そういう場面で使われます。マタイでも、主イエスの墓にまでやって来た女たちに天使が「さあ、遺体のあった場所を見なさい」と語りかける場面で使われています。そこでも、救いの御業の現実を指し示す言葉です。ヨハネ二一章では、それが「朝の食事」なのです。それも主イエスが備え、提供してくださる食事です。その時、「弟子たちはだれも『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。」
 「問いただす」
とは、詳しく調べるという意味です。トマスが、死イエスの体を見なければ、そして釘痕に手を入れてみなければ信じないと言っていたような意味です。しかし、この時、そんな必要はなかった。誰もが、そこにおられるのは、食卓を用意して下さっているのは、復活の主イエスであることが分かったからです。(「知っていた」となっていますが、四節の「分からなかった」と同じ言葉の肯定形が使われています。)
 彼らは、この時、初めて弟子となったと言ってもよいかもしれません。弟子とは、師が誰であり、どういう意味で師であるかが分かった者たちのことです。イエス様の弟子とは、イエス様が主であること、神であること、また神の子メシアであることを聖霊の導きによって知らされた者たちのことであり、それは同時にイエス様の派遣に応えてこの世において罪の赦しの宣教をし、イエス様を証しする者たちのことです。そういう弟子たちの業を、主イエスはじっと見て下さり、また「網を打ちなさい」と促して下さいます。そして、その促しに応える者を通して主イエスご自身が救いの御業をなしてくださるのです。そして、食事を用意し、提供してくださるのです。
 それが、私たちにとっての礼拝です。何度も言っていますように、私たちの日曜毎の礼拝は、神の家族の食事の時間です。家族の食事を大事しなければ家族は崩壊します。そこで頂く御言は命のパンだし、年に十五回与る聖餐は、まさに主の食卓そのものです。そのパン、食卓に命の息である聖霊を注がれつつ信仰をもって与る時、私たちは、ここに主が生きておられ、私たちを励まし、造り替え、新たに伝道の使命に派遣してくださることを知るのです。

 イエスは来て

 ここで不思議な言葉があります。一二節までの状況を思い浮かべて下さい。明らかに、ティベリアス湖の岸辺にイエス様を囲んで弟子たちがいるのです。車座になって、魚を焼く炭火を囲んでいる。そういう場面が描かれているのではないでしょうか。でも、ここにはこうあります。

 「イエスは来て、パンを取って、弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。」

 「イエスは来て」
というのは、いかにもおかしいのではないでしょうか。イエス様は既にそこにおられるのです。弟子よりも前にティベリアス湖の岸辺におられたのですから。でも、ヨハネは「イエスは来て」と書く。「来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた」と書きます。この魚は、もちろん、オプサリオンです。
 二〇章一九節以下で強調されていたことの一つ、それは弟子たちの隠れ家に、「イエスが来て真ん中に立った」という言葉でした。復活のイエス様が弟子たちの所に来てくださること、真ん中に立って下さること、そこにしかイエス様を「わたしの主、わたしの神よ」と崇める礼拝は生じないのだと、私は語りました。ここでも同じことをヨハネは言っているのです。目に見える形では、前からその場にいるように見えるイエス様が、しかし、新たに彼らの所に来て、彼らの真ん中で、復活の主としてパンを取り弟子たちに渡してくださる。そして、今、目の前に来て下さり、命のパンを私たちに与えて下さる主がおられることを知る。そこに礼拝が起こるのだし、そこに命の充満、幸いという現実が生じるのではないでしょうか。
 原始キリスト教会は、ローマ帝国の迫害を受ける中で成長しました。ユダヤ教側からも迫害を受けましたし、使徒言行録を読めば分かりますように、各地で土地の宗教関係者や民衆からの迫害を受け、追放され、殉教者を出しつつも伝道を止めずに成長を続けたのです。それは、いつもティベリアス湖の岸辺に主イエスが立って下さっているからだし、「網を打ちなさい」と命じて下さり、食卓を用意して下さり、時には湖の上を歩いて来て、「わたしだ。恐れることはない」と語りかけて下さったからです。その主イエスを見ることが出来たからです。そのすべては、向こう岸に渡ろうと沖に漕ぎだしたり、「わたしは漁に行く」と行って沖に漕ぎだす弟子において起こったことです。主を信じていると言いつつ、沖に漕ぎだすこともなく、隠れ家の中にだけ隠れている者に主が現れるわけではありません。三度目の主の顕現は、そういう意味で、二度目までとは全く違う状況の中で起こったことです。彼らは、聖霊を受けて、あの部屋から出ているのです。恐れと不安に満たされた部屋から御言と聖霊によって押し出され、ティベリアス湖に漕ぎ出し、網を打っているのです。その彼らの所に主イエスは来て下さり、食卓を用意して下さっている。
 私たち一人一人の状況、信仰的レベルは様々でしょう。主を信じてはいても、まだよく分かっていない段階の人もいるし、派遣命令を受けて、証しと伝道に励んでいる人もいるでしょう。しかし、それぞれの人の所に「イエスは来て」「あなたがたに平和があるように」と語りかけ、「息を吹きかけ」「網を打ちなさい」とおっしゃり、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と招いて下さるのです。そして、「パンを与えて下さる。」その主イエスの姿とその言葉を聴いて信じ、命のパンを頂きつつ、証しと伝道に生きることが出来る人は幸いです。その人は永遠の命に生き、終わりの日に復活させられるからです。父・子・聖霊なる神の愛の交わりの中に生かされるからです。そこに私たちの命があり、幸いがあるのです。そして、その命と幸いを百五十三匹の魚、あらゆる人種、民族のすべての人々に与えるために、主イエスは今日も来て下さっているのです。信じる者となれますように。そして、共々に網を打つ伝道に生きる信徒となれますように、祈ります。
ヨハネ説教目次へ
礼拝案内へ