ONE BORDER LIME ORIGINAL WEB SITE

ONE BORDER LIME
ワンボーダーライム History

知っていそうで誰も知らなかった(かどうかは知らないが)
ワンボーダーライムとその活動経緯。


■幼少時代■
神奈川県にて産声をあげ、3歳から東京は葛飾区に移り住む。
ユーミンが子守唄で、「卒業写真」を耳にすると今でも必ず眠くなる(大好きな歌です)。 
洗濯バサミでロボットを開発し「1円玉は水に浮く」ことを主張し続けた科学者園児期。
自分の歌声を録音するのが大好きで、この時すでに自作の歌があった。

■小学校時代■
地元の少年野球チーム「高砂オリオンズ」に入り、校庭、校舎内、週末がすべて野球に染まる。
強豪オリオンズの赤い帽子をかぶっている少年はモテたので、友達のほとんどはオリオンズ。

■中学校時代■
中学でも野球部に入部、キャッチャーでレギュラーを掴むが、怪我や骨折で不完全燃焼。
中学3年最後の夏の大会も怪我のエースピッチャーと共にベンチ。早々に敗退し、トボトボと学校に戻ると
エースピッチャーが「ギターがある場所知ってるんだ」と学校の会議室の中に立ち入る。
おもむろに「禁じられた遊び」を弾きだすエースに感動し、クラシックギターに興味をもつ。
その夏に新設された中学合唱部の顧問の先生に「声が大きいから」と入部を勧められ、
残り少ない中学生活に華をと、エースとともに入部。
秋の文化祭ではオフコースの「さよなら」を合唱。そのピアノの脇で、バッテリーで覚えたてのギターを弾かせてもらう。
発足したばかりの合唱部は、現在はオペラアーティストにまでなった顧問の先生の手腕により、
その年に、NHK杯で3位、TBS杯で4位と怒涛の入賞を果たす。
「エースピッチャー」と「合唱部の先生」という2人の豪腕から「ギター」と「歌」を得る中3の夏。

■高校時代■
覚えたギターを活かそうと軽音楽部の門を叩くも、部員数はすでに定員オーバー。
顧問の先生に「残念だけど、バンドに所属していない生徒は入部できません」と門前払いをくらう。
やむを得ず軟式野球部に入部し、家では一人でギターを爪弾く生活を送る。
アコースティックギターが欲しかったがお金がなく、「譲ります」という新聞記事に応募し、見事当選。活動にも火がつく。
高校最後の文化祭で、自作の曲が軽音楽部を差し置いてテーマソングに選ばれる。
憧れの初ステージを踏む。
野球は4番キャッチャーとして実力が開花。都大会を制覇、関東大会の出場を果たす。
監督に野球での大学進学を勧められるも、一般で進学。

■大学〜社会人■
高校時代の「門前払い」がトラウマになって、「音楽は一人でするもの」という固定観念のもと、「一人で打ち込む」学生生活を送る。
バイトで稼いだお金の殆どは曲作りの機材に費やし、新しい曲が出来ては、親や友人に聴かせる日々を送る。
TOKYO FMのとある番組で「オリジナルのクリスマスソング募集」企画に応募し、
候補曲として初めて公共の電波に自作の曲がフルコーラス流れる。
同企画ではバックコーラスとして有名アーティストとレコーディングに参加。
渋谷道玄坂の特設スタジオでも歌い、「自分の音楽」に自信をつける。

楽曲登録サイトに学生時代から数曲登録していたものがインディーズプロダクションの耳に留まり、
オムニバスCD企画への参加を勧められ、都内で初めてオリジナルをレコーディング。
自分の歌が初めてCDとなり、神楽坂で“レコ発ライブ”を行う。
主催ライブ「昭和酔奏楽部」では大学時代の音楽仲間や中学の合唱部のメンバーだった凪沢渋次率いるナギプロ・パーティと共演。

■最近■
長年続けていたサイト『One's Blue(ワンズブルー)』を改め、『ONE BORDER LIME(ワンボーダーライム)』として
YouTubeを中心に活動。作詞、作曲、アニメーションを手掛けつつ、自分なりの音楽を歩み続けている。

感謝。